モリちゃんの酒中日記 11月その1

11月某日
上野の東京都美術館に「コートールド美術館展―魅惑の印象派」をフリーライターの香川さんと観に行く。「マネ、ルノアール、ドガ、セザンヌ、ゴーガン、巨匠たちの傑作が終結」とパンフレットにあり、確かに私でも知っている名画、ドガの踊り子やセザンヌのサント=ヴィクトワール山などが出品されておりなかなか見ごたえがあった。コートールド美術館はコートールドという英国の実業家のコレクションが元になっていることを今回初めて知った。コートールドの事績も紹介されていたがレーヨンの製造・国際取引で財を成しただけでなく経済学の論文を専門雑誌に載せるなど学者的な側面もあったようだ。私は倉敷市に大原美術館を開設した倉敷レーヨンの大原総一郎を連想した。ウイキペディアで検索すると、大原財閥の実質的な創業者で大原美術館を開設したのは大原総一郎の実父の孫三郎だった。この人が偉い人で倉敷紡績の社長を継いだ後、のちのクラレでレーヨンの製造に乗り出しただけでなく中国電力、中国銀行の創業にも参加している。孫三郎が偉いのは実業だけでなく大原美術館や大原社会問題研究所を開設するなど芸術や社会問題にも深い関心を持ったことだ。ウイキペディアによると孫三郎は東京専門学校(後の早稲田大学)に入学した後、放蕩に明け暮れ現在の価格で1億円ほどの借財をつくり、倉敷に引き戻されたという。うーん面白そう。

11月某日
我孫子図書館で「大原孫三郎」を検索すると「わしの眼は10年先が見える-大原孫三郎の生涯」(城山三郎 新潮文庫 平成9年5月)が出てきたので早速借りて読むことにする。文庫本で300ページを超える厚さだが、私にとっては大変面白く4時間ほどで読み通してしまった。大原孫三郎は東京専門学校に遊学したが放蕩がたたって倉敷に連れ戻される。それが20歳そこそこなのだがその後が凄い。父の跡を継いで倉敷紡績の社長に就任する一方、天然原料に依らない化学繊維レーヨンに着目、後のクラレ、倉敷絹織を創業する。それだけではなく現在、大原孫三郎の名を高からしめているのは大原美術館や大原社会問題研究所、労働科学研究所、倉敷総合病院などをつくり、その運営資金を生涯にわたって援助し続けたことであろう。また本書ではクリスチャンの石井十次の孤児院経営にも援助を惜しまなかったも記されている。三井財閥や三菱財閥はその財力では大原家をはるかにしのいだかも知れないが、文化事業、医療、福祉事業、そして地域への大原家の貢献は特筆すべきものと思う。三井三菱は明治政権と結びついて日本の軍事大国化とともに成長したのに対し大原家は、倉敷地方の大地主から出発し紡績業の創業当初は稼業と企業の分離があまり進んでいなかったことも、孫三郎の地域や文化への貢献は起因するのではなかろうか。孫三郎も取締役会で文化事業などへの出費を何度か反対されるのだが、たぶん創業家としての名望と圧力、そして株の支配によって反対を抑えることができたのだろう。余談ではあるが、総一郎の妻は侯爵家の野津家から嫁いでいる。新興ブルジョアジーとしての大原家のブルジョア社会における地位を示していると言ってもよい。

11月某日
図書館で借りた「地下鉄に乗って」(浅田次郎 徳間文庫 1997年6月)を読む。地下鉄にはメトロとルビが振ってある。単行本は1994年4月に刊行されたとあるから25年前の作品である。浅田は1951年生まれだから40代前半の創作で1997年には「鉄道員(ぽっぽや)」で直木賞を受賞している。私はこのところ浅田次郎の作風に魅かれて何冊も読んでいる。どこがいいのか考えてみると概ね庶民であるところの登場人物が、人生に対して真摯に向き合おうとしている姿を作家としての浅田が、これまた真摯に丁寧に描こうとしているということかもしれない。本書の舞台は現代、といっても1990年前後の東京である。中年サラリーマンの主人公、小沼真次はクラス会の帰り、地下鉄に乗って時空を超えた不思議な体験をする。不思議な体験は一度ならず何度も繰り返し真次を訪れる。それは兄の自殺した地下鉄の駅であったり、終戦前にソ連軍の侵攻の脅える避難民で溢れかえる壕であったりする。それらを体験して真次は人生の不条理に改めて気が付くのだが、浅田はそこに「希望」と「愛」を忘れずに嵌め込む。まぁ考えてみれば通俗である。しかし私にはこの通俗がたまらないのである。

11月某日
品川駅から新幹線で新横浜へ。セルフケア・ネットワークの高本真佐子代表理事と待ち合わせる。高本さんと横浜線の中山駅のロータリーで待っていると社会福祉法人キャマラードのみどりスマイルホームの統括責任者、菊地原巧介さんが車で迎えに来てくれる。みどりスマイルホームは重度重複障害者のためのグループホームで、男女12人の障害者の人たちが共同生活している。日中、入居者は同じ社会福祉法人が運営するデイサービスで過ごすためにホームは静かなものだった。高本さんが重度重複障害者のグループホームにおけるエンド・オブ・ライフについて実態調査を行いたいと考えたことから今回の訪問となったもの。もっとも私は初めての訪問だが、高本さんは何度か来ているらしく話を聞いた看護師さんやサービス提供責任者の方とも顔なじみのようだった。認知症高齢者のグループホームは何度か訪問したことはあるが重度重複障害者のグループホームを尋ねたのは初めて。初回の訪問で分かったようなことを言うのは避けるべきだが、職員の人の熱い思いは伝わってきた。菊地原さんに中山駅まで送ってもらい帰りは横浜から在来線で品川へ。品川駅構内の「ぬる燗佐藤」で高本さんにご馳走になる。私は品川から始発の上野東京ラインで我孫子まで座っていく。