モリちゃんの酒中日記 1月その1

1月某日
川上未映子の「夏物語」が面白かったので、その原形というか「夏物語」の前編とも言える「乳と卵」(川上未映子 文藝春秋 2008年2月)を図書館で借りて読む。「夏物語」は第1部(2008年夏)と第2部(2016年夏~2019年夏)に分かれているのだが「乳と卵」は時期的には第1部とほぼ重なる。「乳と卵」はずっと「にゅうとらん」と読んでいたのだが本のカバーのタイトルには「ちち」「らん」とルビが振ってあった。大阪で姉の巻子と姉の娘の緑子暮らしていた「わたし」は、作家志望の夢を実現されるべく上京、「上野から乗り換えて2駅」の下町で一人暮らしを送っている。常磐線で上野から2駅の三河島界隈が想定される。下町と一口に言っても神田、上野、浅草、日本橋と小説の舞台となった三河島や千住、町屋などは趣を異にする。私の眼には前者は洗練された下町に、後者はディープな下町に映る。小説にはそこらへんはほとんど反映されていないが、「わたし」のアパートの描写や銭湯での入浴場面にそれらしさがうかがわれる。タイトルの乳は巻子が豊胸手術を希望していること、卵は緑子の初潮や「わたし」の生理のことを表している。「夏物語」と「乳と卵」まで10年以上が経過しているが、作家の文体もそれなりに変化しているように感じる。「乳と卵」は饒舌な大阪弁の語り口で、野坂昭如または町田康の文体を思わせるところがある。私は川上未映子という作家がデビュー作以来(私は未読ですが)、人間の性と関係性について真剣に取り組んでいるように感じられるのだ。
正月休みですることもないので、読書のついでにテレビ、そのついでに酒と食事という暮らしを送っている。昨日の大晦日は松重豊の「孤独のグルメ」を楽しんだ。読書は図書館で借りた「日本銀行『失敗の本質』」(原真人 小学館新書 2019年4月)を読む。書名は日本軍を組織論から分析した「失敗の本質」に依っている。私は元からアベノミクスには疑問的だったので本書の論旨には全面的に賛成である。2年で2%という物価目標は達成されないままに時間が過ぎ、実質賃金は良くて横ばい、庶民の実感としては低下している。だが安倍政権の支持率は昨年末でも45%で不支持37%を大きく上回っている。円安が続き株価が経済の実態以上に好調なのも政権の後押しをしているのだろう(この数字は確かNHKの調査だが、朝日新聞の昨年末の調査では、安倍内閣の支持率は38%、不支持率は42%で、1年ぶりで不支持が支持を上回っている)。共産党を含め立憲民主党、国民民主党、社民党の奮起に期待したいところではある。しかし私が本書を読んで最も感じたのは、日本銀行が大量の国債を事実上引き受けているという現状に対する危機感である。今の国債市場は異常と言っていいのではないか?もし日本国債への信頼が揺らぎ国債価格が暴落(金利は高騰)したら日本の財政は破綻する。現在の日本で財政破綻の影響が最も大きい分野は社会保障と公教育、それに国防であろう。介護保険財政が危機に陥りヘルパーさんに給料が払えなくなり、教員や自衛隊員への給料が遅配したらと思うだけでもぞっとするではないか。

1月某日
年末、上野駅構内にある本屋をブラつくと「リベラル・デモクラシーの現在―「ネオリベラル」と「イレベラル」のはざまで」(樋口陽一 岩波新書 2019年12月9が目に付いたので買うことにする。普段は専ら我孫子市民図書館を利用しているが、たまに本屋をのぞくのも悪くない。著者の樋口陽一という人は全く知らない。でウィキペディアで調べると仙台一高から東北大学の法学部に進学、同大学法学部教授を経て東大法学部教授を歴任。上智大学法学部教授や早稲田大学法学部特任教授も務めた。井上ひさしは仙台一高の同級で菅原文太は一年先輩とあった。専門は憲法学、比較憲法学とあった。この本で言う「デモクラシー」とは、一つの公共社会の構成原理であり、「リベラル」は「基本権」で、具体的には思想の自由、表現の自由である(はじめに)。リベラルとデモクラシー以外でも本書を構成する重要な用語として立憲主義がある。「憲法」の本質的役割を権力への制限とする考えを前提にするなら「リベラル・デモクラシー」は「立憲デモクラシー」と重なる、と著者は言う。この本で初めて分かったことがいくつかあるのだが、最初の驚きは明治憲法についてである。伊藤博文は「憲法ヲ創設スルノ精神ハ第一君権ヲ制限シ第二臣民ノ権利ヲ保護スルニアリ」と言っているという。著者は「今でも大学の教養課程の憲法科目の試験の模範答案に」なると評価している。さらに驚くべきは伊藤のこの発言に対して、森有礼文相が反発して臣民の権利を条文に書いてはいけないと言う。森は「臣民ノ財産及言論ノ自由等ハ人民ノ天然所持スル所ノモノ」であって、法によって与えられるものではないと発言している。これは考えようによっては伊藤博文や森有礼のほうが現代日本の安倍政権を支持する人たちよりよほどリベラルである。こういう本に出合えるからたまに本屋をのぞくのも悪くないのである。

1月某日
図書館で借りた「短編集 ダブル SIDE A」(パク・ミンギュ 筑摩書房 2019年11月)を読む。パク・ミンギュは以前「ピンポン」を面白く読んだ記憶がある。内容はまったく忘れたけれど。「ダブル」は「サイドA」と「サイドB」が同時に刊行され、私はどっちも図書館にリクエストした。「サイドA」は前半の3作がリアリズム、後半の6作がSF・ファンタジーだ。リアリズムの3作は結構、面白かったのだがSF・ファンタジーはちょっと私にはハードルが高かった。日本で言えば安倍公房ぽいのかなぁ。「サイドB」は読まずに図書館に返そうと思ったが、訳者解説に「二冊セットで初めて成立する本なので、ぜひ二冊併せて読んでいただきたいと思う」とあったのでとりあえず、リクエストもないようなので「サイドB」は貸し出し期限まで借りておこう。

1月某日
図書館で借りた「リボンの男」(山崎ナヲコーラ 河出書房新社 2019年12月)を読む。書店の店長を務めながら書評を書くなどして年収650万円を稼ぐ「みどり」は、結婚相談所を通して新古書店のアルバイトで生活する小野と結婚する。小野は小野妹子にちなんでみどりから「妹子」と呼ばれる。みどりの妊娠出産を機に妹子は勤めを辞めて専業主夫となる。前半は結婚まで後半はみどりと妹子、息子の「タロウ」の生活が描かれる。この描かれ方がいいんだよね。みどりが出勤した後、妹子とタロウは川沿いの道を幼稚園に通う。川沿いの自然、野草や虫、山から出てきたタヌキ、こうした都市郊外の自然との交流が新鮮だ。妹子は世間から見ると「ヒモ」かも知れないが、みどりからするとタイトルの「『リボン』の男」だ。作者はきっと手塚治虫の漫画「リボンの騎士」を思い浮かべたに違いない。