モリちゃんの酒中日記 3月その3

3月某日
「あのころ、早稲田で」(中野翠 文春文庫 2020年3月)を読む。中野翠は1965年に早稲田の政経学部に入学しているから、私が入学した68年には4年生だったわけだ。実は私は中野翠さんと麻雀をしたことがある。中野さんは卒業後、父君の勤める読売新聞でアルバイトをした後、主婦の友社に入社した。「給料も悪くなかった」とあるからその頃のことだと思う。本文にも登場し、巻末で対談している呉智英が「美人と麻雀をさせてやる」と誘ってくれたのだ。呉智英は文研で社研の中野さんとは同じ部室で親しかったのだ。そのときの面子は私、呉智英、中野さんと確か中野さんの主婦の友社の同僚だったと思う。呉智英と年上の美女2人と卓を囲んだわけだが、半チャンを2回ほどやって私は少し勝ってしまった。中野さんは負け分と麻雀代を悔しそうに払って去っていった。呉智英は私の出会いは、私が入っていたロシヤ語研究会に呉智英が入部してきたことに始まる。私が1年、呉智英が4年のときだが、それはまた別の話である。
「あのころ、早稲田で」へ戻ると私が入学したときは中野さんが政経学部の4年、呉智英が法学部の4年で、この年代の1年と4年の差は非常に大きかった。今ならば65歳と70歳なんてほとんど変わらないもんね。中野さんは社研だけあってその頃は左翼だった。だったけれど活動家にはなれきれなかった。浦和の自宅から通っていたし、非日常の学園闘争の現場から帰れば日常そのものの家庭があったのだ。この本では随所に中野さんのイラストが配されているが、第1次早大闘争の全共闘議長だった大口昭彦さんや東大全共闘の山本義隆代表、日大全共闘の明田明大議長もイラスト入りで紹介されている。文学部自治会の高島委員長は容貌魁偉な外観から「フランケン高島」と呼ばれていた。後に自殺してしまったが、中野さんは「その繊細さに胸が痛む」とこれもイラスト入りで記している。そうそう私がリクルートで一緒に仕事をした村瀬春樹さんと奥さんの「ゆみこ・むらせ・ながい」さんのことも吉祥寺でライブハウス「ぐゎらん堂」のことも含めて紹介されている。

3月某日
朝、目が覚めると温かいし晴天である。ふと思いついて常磐線で「いわき」に行くことにする。我孫子駅でいわきの2つ先の四ッ倉までの切符を買う。四ツ倉は漁港があり道の駅もあって海産物や野菜を売っているのだ。電車はいわき迄なので、いわきで下車、駅ビルの半田食堂で「肉丼」380円を食べて四ツ倉へ。駅から20分ほど歩いて道の駅へ。地物の野菜を買う。東日本大震災のとき、この道の駅も津波に襲われたが今は立派に再建されている。道の駅から海産物を扱っている大川商店によって「赤魚の煮付け」を買う。帰りの電車で酒のつまみにするつもり。四ツ倉から水戸行きに乗車、いわきで10数分待ち時間があったので日本酒とビールを買う。電車が空いてきたのでビールと日本酒を「赤魚の煮付け」で呑む。車内でつまむには「煮付け」より「焼き魚」か「てんぷら」の方がいいかもしれない。水戸で特急に乗り換え柏で下車、我孫子へ帰る。

3月某日
社保険ティラーレの吉高会長の家で「すき焼き」を呼ばれる。淡路町の交差点まで吉高さんが迎えに来てくれた。交差点から吉高さんのマンションまではすぐで、マンションに着くと社保険ティラーレの佐藤社長と早稲田大学を卒業した3人の若者が来ていた。4月から早稲田の法科大学院に行く人、三重で司法修習を受けている人、三井住友銀行に3年務めた後、4月から松下政経塾へ行く人だ。3人ともしっかりした考え方を持っていて話していて楽しかった。少し遅れて多摩の市会議員の先生も参加して座は一層盛り上がった。美味しい牛肉とビールと酒をたくさんご馳走になった。

3月某日
図書館で借りた「女性のいない民主主義」(前田健太郎 岩波新書 2019年9月)を読む。著者の前田は1980年生まれだから今年40歳、東大文学部卒業後、東大大学院法学政治学研究科博士課程修了、現在は東大大学院法学政治学研究科准教授とあるから新進気鋭の政治学者なんだろう。本書を一言で言い表すとすれば「ジェンダーの観点から論じた日本政治の現状」となろうか。「はじめに」で「日本では、政治家や高級官僚のほとんどが男性が占めており、女性で権力者と呼ばれるような人はほとんどいない」と書かれていて、私も「まぁそうだね」と読み進んだ。しかし著者の前田は「これは、実に不思議なことではないだろうか」と問いかける。そして「民主主義の国では男性と女性が共に政治に携わるはずであろう。ところが、日本では圧倒的に男性の手に圧倒的に政治権力が集中している。……このような国は、他にあまり見かけない。日本の民主主義は、いわば『女性のいない民主主義』なのである」と続ける。
私が「あーそうだったのか」と思ったのが第3章の「『政策』は誰のためのものなのか」だ。そこでは多くの先進国が到達した福祉国家についてジェンダーの視点から強力な批判が加えられたことが明らかにされる。「男性稼ぎ主モデルとしての日本の福祉国家」というタイトルの節では、日本は階級格差の小さな社会を実現したもの著しい男女の不平等が存在するとして、国民年金の第3号被保険者や女性が自らの就労を自発的に制限する「103万円の壁」や「130万円の壁」を挙げている。日本の社会保障政策について100点満点を与えるわけにはいかないにしろ、厳しい財政的な制約の中でそれなりの成果を上げてきたというのがこれまでの私の評価であったが、それはまったくジェンダー的な視点を欠いたものであったことが本書を読んで露呈してしまった。

3月某日
無抵抗の重度心身障害者の19の命を奪った津久井やまゆり事件。犯人の植松聖被告に横浜地裁は死刑判決を言い渡した。報道によると裁判長が閉廷を告げると被告は「すみません、最後に一つだけ」と発言を求めたが裁判長は認めずそのまま閉廷されたという。被告の犯した罪は許せないものであることを前提にして言うのだが、ここは被告の発言を許すべきだったのでは、と私は思う。判決に対してあるいは自分の犯した犯罪に対して、被告がどう思っているのかを話す権利と義務を被告は持っているのではないだろうか。またそれを知る権利を私たち国民は持っているのではないか。判決の後でそれを聞く必要はない、国民は知る必要がないと裁判官は判断したのだろうが、私には納得が行かない。裁判官の裁判を行う権利は立法、行政と同じく国民から負託されたものの筈。国民の知る権利に対してこの裁判官は無自覚ではないかと思うのだ。

3月某日
南桜田公園で大谷さんと待ち合わせ。ほころび始めた桜をちょい見した後、公園近くの「64 barrack st. 」というオーストラリア料理のレストランで食事。15時からのフェアネス法律事務所での打ち合わせには時間があるので郵政福祉琴平ビルの近くの「麺酎房赤まる虎ノ門店」でビールとハイボールを呑む。この店は前に石川はるえさんと昼飲みしたことがある。15時近くなったので私は虎ノ門日土地ビルのフェアネス法律事務所で渡邉弁護士と打ち合わせに、大谷さんは埼玉で会議。渡邉弁護士との打ち合わせは30分で済んだので千代田線の霞が関から大手町へ。17時15分にフィスメックの小出社長を訪ねることになっているが時間があるので銭湯の稲荷湯へ行く。ここは年友企画にいた頃、会社をサボって良く行っていた。稲荷湯を出るとちょうどいい時間になったのでフィスメックへ。近くの割烹に連れて行ってもらう。小出社長にすっかりご馳走になる。