モリちゃんの酒中日記 9月その3

9月某日
近所の床屋さんに行くと「勝手ながら休みます」の張り紙が。しょうがないので床屋さんの近くの我孫子の農産物直売所の「アビコン」を覘く。レタスとニンニクを購入しての帰り道に携帯が震える。「大谷」の表示。「大谷だけど今日、よろしくね」「えっ何かあったっけ?」「会食の約束でしょうが」「あーごめんごめん」。というわけでシャワーを浴びて着替える。18時に東京交通会館の「ふるさと回帰支援センター」で待ち合わせることにしたので、その前に神田の「社保研ティラーレ」によって吉高会長と佐藤社長と懇談。17時過ぎに交通会館に着く。1階の「三省堂書店」「北海道物産店」を覘いた後、「支援センター」へ。大谷さんに古都さんに押し売りされた「自治体職員かく生きる」を押し売り。しばらくすると神山弓子さんが来る。19時30分のスタートだが「練習をやろう」ということで、高知県アンテナショップの「おきゃく」に移動、ビールを呑む。定刻になって厚労省から総務省に出向している辺見聡さん、同じく財務省に出向している吉田昌司さんが来る。辺見さんからは「大臣官房審議官(情報流通行政局担当)」の名刺を、吉田さんからは「財務省主税局総務課兼調査課 企画官」の名刺を頂く。

9月某日
図書館で借りた「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」(望月衣塑子+佐高信 講談社+α新書 2020年7月)を読む。望月は映画「新聞記者」の原作となった同名のノンフィクションも書いている。菅官房長官(当時)への「しつこい」(いい意味でね)質問でも名前を挙げた。望月と佐高の対談がメインなので読みやすく2時間ほどで読了。テレビのワイドショーを観ると日本の「政治ジャーナリズム」は一見すると隆盛を誇っているかに見える。しかし望月も佐高も権力批判こそジャーナリズムの本懐と主張する。私もまったく同感である。望月は1975年生まれで今年45歳、表紙に佐高とともに写真が掲載されているがキリリとした美人である(どうでもいいけど)。両親は団塊の世代でともに亡くなっている。父親は左翼の活動家であったようだ。

9月某日
地下鉄の千代田線で我孫子から新御茶ノ水へ。美土代町のイタリア風レストランの「花の碗」へ。社保研ティラーレの吉高会長と会食の予定。次亜塩素酸水や二酸化塩素水による微細ミストの噴霧器Gバスターを開発した人を紹介してくれるという。吉高会長が開発者の岸工業社長の岸さん、二酸化塩素を取り扱っている㈱プライスの河田社長、税理士の琉子さんをともなって現れる。社会保険旬報の谷野編集長を交えランチ。私は海鮮パスタを頼んだが、スープが絶品でした。会食後、揃って社会保険出版社を訪問、同社の高本社長はじめ営業幹部に説明する。岸さんや河田さんの説明を聞くとGバスターは確かに不特定多数の住民が利用する役所の受付や高齢者施設、学校などでの需要が期待できそうだ。社会保険出版社での説明が終わった後、私はお茶の水駅から神田経由で我孫子へ。「しちりん」によって18時頃帰宅。

9月某日
高血圧の治療にほぼ月1回、「中山クリニック」に通っている。治療と言ってもドクターが「どうですか?」と聞いて私が「変わりありません」と答え、「じゃ、血圧測りましょう」とドクターが血圧を測って終わり。5分もかからない。それから処方箋を持って薬局へ行く。今日は奥さんから「プレミアム付き我孫子市内飲食共通券」の「あびチケ」を貰ったので、中山クリニックの近くの蕎麦屋「三谷屋」へ行って「親子丼」を食べる。ぶらぶらと公園坂を歩いているとちょうど「鳥の博物館経由天王台駅行き」のバスが来たので乗ることにする。鳥の博物館は我孫子農産物直売所アビコンのすぐ近くなので、アビコンでニラとピーマンを買う。アビコンから我孫子市民図書館まで歩く。

9月某日
図書館で借りた「時代の抵抗者たち」(青木理 河出書房新社 2020年5月)を読む。元共同通信の記者で現在、フリージャーナリストとしてコメンテーターなどテレビ出演も多い青木の対談集。テレビのコメンテーターは発言時間が短く細切れに切り取られがちだ。青木のテレビでの発言も「いいことを言っているな」と思わせるものも多いのだが、時間の関係でどうしても事件に対する「感想」の域を出ないと私などは思ってしまう。本書はなかにし礼、前川喜平、古賀誠など9人の論者と青木の対談をまとめたもので読み応えがあった。私はとくに古賀誠「平和を貫く保守政治を」、岡留安則「スキャンダリズムから沖縄の怒りへ」、安田好弘「オウム事件、光市事件の弁護人として」を面白く読んだ。古賀はかつての自民党保守政治家の良心と凄さを持っている人で、岡留の反骨精神は現代のジャーナリズムにこそ復権させなければならないものだ。私がもっとも感心したのは安田好弘だ。光市事件とは18歳の少年が光市の団地に水道の検針員を装って侵入、若い母親を強姦のうえ殺害し寝ていた乳児も殺害したというものだ。犯人は極悪人のように報道され私もそれを信じていた。安田は丹念に被告との面談を繰り返し、被告が両親から虐待を受け、母親の自殺まで目撃したことを調べ上げ、被告に「解離性障害」の疑いがあることを突き止める。「真実を追求する」のは弁護士のみならず、検事、裁判官、捜査に携わる警察官の責務だが、安田は愚直にそれをやっている。青木が安田に「心からの敬意を抱いている」というのもうなづける。

9月某日
図書館で借りた「おさん」(山本周五郎 新潮文庫 昭和45年6月)を読む。文庫本の初版は昭和45年だが、私が手にしたのは平成30年7月73刷であった。周五郎は1967(昭和42)年に亡くなっているが、国民的な作家として今も根強い人気があることを示している。私も40代頃には周五郎はよく読んだ。「樅ノ木は残った」「五變の椿」「虚空遍歴」「さぶ」などなどである。どちらかというと長編を好んで読んできたような気がするが、周五郎には短編にも名作がある。「おさん」には10の短編が収められている。冒頭の「青竹」は昭和17年に満洲で発行されていた「ますらを」に掲載された作品。大阪夏の陣で主人公は軍令に背いても持ち場死守するが部下の大半を失う。軍令違反で処分されるが結局は加増される。周五郎の太平洋戦争中の作品には戦意高揚ものもあるが、当時「上官の命令は天皇陛下の命令」だったわけで、この作品は軍令違反を採りあげているだけに微妙だ。10作品のうち「戦陣もの」はこの1作のみで、あとは「市井もの」「武家もの」。異色なのが平安時代の盗賊を主人公にした「偸盗」。主人公の鬼鮫は貴族は農民や庶民から搾取して富を築いているのだから、その一部を盗賊が盗み返すのは当然という価値観の持ち主。貴族の16歳の美貌の娘を誘拐して身代金を奪おうとするのだが、この娘がとんだあばずれで鬼鮫が蓄えていた貴重な食べ物、酒を消費し、あろうことか類い稀な好色で鬼鮫に肉体関係を迫る。これは昭和36年の作品である。ということは昭和35年の安保闘争における共産党や社会党の正統反体制グループを鬼鮫が象徴し、当時の全学連や共産主義者同盟の異端反体制グループを貴族の姫が象徴していると言えまいか。ちょいとうがちすぎかね。