モリちゃんの酒中日記 11月その1

11月某日
14時に我孫子駅で大谷源一さんと待ち合わせ。成田線で元日航のキャビンアテンダントの神山弓子さんが着く。3人でバスで市役所前へ。「水の館」の展望台から手賀沼を一望。1階の「あびこん」で地元の野菜販売を見てから再びバスで我孫子駅前へ。「しちりん」で3人で呑む。私は「しちりん」へはたいてい一人で行くので頼むものが限られる。この日は3人だったのでいろいろなものが食べられてうれしかった。

11月某日
今日は11月3日、文化の日である。11月3日は確か明治天皇の誕生日だったんだよね。したがって明治時代は天長節(今で言う天皇誕生日)、大正時代から昭和前期、敗戦までは明治節と呼ばれていた。それはともかく年金生活者の私は「毎日が日曜日」、祝日はあまり関係ない。午前中、何気なくテレビをつけるとNHKBSで「プロフェッショナルー仕事の流儀」をやっていた。タイトルは「餅ばあちゃんの物語~菓子職人・桑田ミサオ~」。青森県の津軽地方、五所川原あたりに住む今年93歳のミサオばあちゃんが主人公。60歳のとき手作りの笹餅を持って老人ホームに慰問に行ったら2人のお婆さんに涙を流して喜ばれたのが餅づくりを始めたきっかけ。タイトルは「餅職人」となっているが、ミサオさんは小豆も自分で作っているし、笹も自分で採集している。もちろんスーパーなどへ卸もしているが津軽鉄道の車内販売も手掛ける。経済学は分業の発達によって資本主義経済は発展したとするが、「餅ばあちゃん」は経済学の原理に反して何でも自分でやってしまうのだ。マルクスの「ドイツイデオロギー」に将来の共産主義社会では分業が止揚され、「今日は漁師明日は百姓」みたいな社会が実現するというようなことが書いてあったように記憶するが「餅ばあちゃん」は分業を止揚してしまっているのかも知れない。「何でも自分でやってしまっている」から生産性は高くはない。したがって利益率も低い。だが「餅ばあちゃん」はそれでもいいのである。お客が喜んでくれるから。経済が発達すると生産者には消費者の顔が見えにくくなるのが常識だが、「餅ばあちゃん」はこの常識にも反している。私は「餅ばあちゃん」を「菓子職人」ではなく「資本主義経済を超越した偉大な小生産者」と呼びたい。なお、あとでネットで調べたら今日の放送は6月22日の再放送でした。

11月某日
図書館で借りた「優しい暴力の時代」(チョン・イヒョン 斎藤真理子訳 河出書房新社 2020年8月)を読む。中国語圏での姓名は日本と同じ姓が最初に来て名前が後に来る。欧米はこの逆で名前が来て姓が来る。朝鮮半島ではどうか。キム・イルソン(金日成=北朝鮮のキム王朝の初代)のように日本、中国と同じ姓+名の順である。本書の著者チョン・イヒョンの場合もチョンが姓でイヒョンが名前ということになる。男性か女性かは私には判別がつかない。「訳者あとがき」によると本書は、短編集「優しい暴力の時代」の全訳に、短編集、「今日の嘘」所収の「三豊(サムプン)百貨店」を加えて1冊としたという。ついでに言うと「訳者あとがき」では著者のことを「現在の韓国文学を語る際に欠かせない女性作家である」としているので女性ということが分かる。この短編集を一言で言うならば「日常の中の非日常」だろうか?「何でもないこと」は平凡な日常生活を送る一家の中学生の娘が突然、出産するという話。「ずうっと、夏」は日本人商社員と韓国人妻の間に生まれた太った女の子が主人公。父の赴任先のK国のインターナショナルスクールで韓国語を話す東洋系の少女に出会う。彼女はどうやらノース・コリアの首領の係累らしい。彼女との短い交流への想いが「ずうっと、夏」というタイトルに現れているようだ。

11月某日
「地方から考える社会保障フォーラム」開催。今回で23回目。今回は厚労省から内閣官房に出向して新型コロナウイルス感染症対策室審議官の梶尾雅宏審議官、全国社会福祉協議会副会長の古都賢一氏、厚労省の健康危機管理・災害対策室長から現在、日本生命出向中の高島章好氏、そして老健局長の土生栄二氏の4人が講師。会場は前回から皇居のお堀端の日本生命ガーデンタワービル3階のAP東京丸の内でオンライン中継も実施した。地方議員の先生方も満足してくれたようだ。フォーラム終了後、近くのアマンホテルで打ち上げ。