モリちゃんの酒中日記 12月その1

12月某日
島田療育センターで河幹夫理事長に面談、今年亡くなった阿部正俊さんの遺稿集について相談する。阿部さんが残した何冊かの著作をもとに編集することで一致、今年中に私が阿部さんの著作を読んで、大まかな台割を作成し年明け後、ご遺族に提示できればと思う。ところで島田療育センターは多摩センターにあるのだが、本日は大手町から丸ノ内線で霞が関へ、千代田線に乗り換え代々木上原で小田急へ、新百合ヶ丘から小田急多摩線で多摩センターへという乗り換えを繰り返した。河さんによると京王線が都営新宿線と乗り入れているので、「それの方が便利じゃないの」ということなので帰りは京王線にする。確かに岩本町まで一本で行けるのでこの方が便利。秋葉原から山手線、上野から常磐線で我孫子まで帰る。昼飯を食べ損ねたので駅前の「しちりん」でホッピーとつまみを少々。
帰りの電車の中で「悪党芭蕉」(嵐山光三郎 新潮文庫 平成20年10月)を読み終わる。直近の酒中日記で「嵐山は作家、エッセイストと紹介されることが多いが、私に言わせると『雑文家』というジャンルこそふさわしい」と書いたが、「悪党芭蕉」は雑文などではなく嵐山が丁寧に史料を読み解きながら、作家の想像力によって芭蕉の実像に迫った伝記風ルポルタージュである。私には芭蕉は江戸時代の俳人というイメージしかなかったのだが、この本を読んでイメージが大きく変わった。芭蕉が故郷の伊賀上野から江戸に出てきたのは29歳、寛文12(1672)年である。当初は河川工事の専門家として神田川の工事に携わった。嵐山は「神田川工事は、芭蕉の余技ではなく、本職であった。むしろ俳諧の方が余技であった」としている。もちろん徐々に俳諧の方が本職になっていくのだが、江戸時代の俳諧師はたんなる俳句のお師匠さんではない。句会を催しスポンサーをまわり、句集を出す。芭蕉の場合はこれに全国各地への吟行と、それをもとにした「奥の細道」などの紀行文の執筆が加わる。イベントとしての句会を開催し、スポンサーをまわるなどは現在でいえば広告代理店である。嵐山はマルチ人間としての芭蕉にみずからを投影したのかも知れない。

12月某日
社保研ティラーレの佐藤社長と南青山の一般社団法人未来研究所臥龍に香取照幸代表理事を訪問。香取さんは厚労省からアゼルバイジャン大使を経て上智大学の総合人間科学部の教授に就任し、一般社団法人も立ち上げた。香取さんには2月の地方議員向けのフォーラムでの講師をお願いする。香取さんから一時間ほど我が国の社会保障の現状についてレクチャーを受ける。熱を込めて語るその姿はさながら「憂国の志士」であった。私としては亡くなった荻島國男さんや竹下隆夫さんの話が出来てうれしかった。

12月某日
「ママナラナイ」(井上荒野 祥伝社 令和2年10月)を読む。10編の短編が収録されている。祥伝社のWEBマガジンンに連載されたもので帯に曰く「この世に生を享け、大人になり、やがて老いるまで―ままならぬ心と体を描いた美しくも不穏な、極上の10の物語」。「不穏な」という形容がそれぞれの短編にふさわしいように思う。「約束」という1編を除いては。高校生の篤を主人公にした「約束」私には爽やかな青春小説と読めた。劣等生の篤は優等生の皐月から生徒会長への立候補を要請される。立候補して当選したら「セックスしてもいい」という皐月の「約束」もあり、篤は立候補する。勉強もできて常識のある生徒を当選させたい教師は篤に立候補の辞退を迫る。演説会で篤は「俺が生徒会長になるなんて絶対無理だからやめておけと言われました。そのかわりに副会長に立候補しろって。むかつきませんか? 俺はむかついたよ。だからいやだって言った…」と暴露する。大きな歓声、拍手。これはまぁフランス革命のようなもの、教師の横暴に劣等生が立ち上がったのだから。そうかそういう意味では、この「約束」も「不穏」なのかもしれない。

12月某日
「三度目の恋」(川上弘美 中央公論新社 2020年9月)を読む。力作であり意欲作、だろうと思う。梨子は2歳になる前に将来の夫となるナーちゃんに会い、一目惚れする。ナーちゃんは女性にも優しく結婚後も女性の影が絶えない。ナーちゃんとの結婚生活を送る中で梨子は長い夢を二つ見る。一つは江戸時代の吉原の遊女、春月となり馴染みの客となった高田と恋に落ち駆落ちする夢。もう一つは平安時代のやんごとなき姫君の女房となり、いくつかの情事を経験する夢。もう一方でこの物語の核となるのは梨子が小学生の時の用務員、高岡との出会い。梨子も高岡も夢か現実か分かつことができないシーンで時空を超越し、過去と現在を行き来する。古代から現代まで人が人を恋するという意味では恋愛の意味は変わらないのだろうが、その形態はずいぶんと変化している。平安時代の貴族社会では男が女の家に通う「妻問い婚」が普通だった。というようなことを思い起こさせたり、不思議な読後感であった。

12月某日
忘年会の呼びかけで本郷さんと水田さんとJR大塚駅で待ち合わせ、15時ちょうどに改札口付近に集合。南口周辺を軽く散策、「築地銀だこ大塚駅南口店」に入る。この3人は年齢もバラバラ(一番年長が本郷さんで73、4、次が私で72、一番若いのが水田さんで60代)、職歴もバラバラ(本郷さんは石油商社、水田さんは塾の講師、私は零細出版社)、出身大学もバラバラ(本郷さんは中大、水田さんは北大、私は早大)である。共通点というと3人とも年金生活者であることと3人とも全共闘体験があること。だから話はどうしても政治的な色彩を帯びやすい。本日も主な話題は新型コロナと菅政権批判であった。