モリちゃんの酒中日記 12月その2

12月某日
「帝国と立憲-日中戦争はなぜ防げなかったのか」(板野潤治 筑摩書房 2017年7月)を読む。本書で坂野先生が言いたかったことは明治維新以降、日米開戦に至るまで日本の政治過程は「立憲」勢力と「帝国」勢力がせめぎ合い、ときには前者が後者を圧倒しまたときには後者が前者を圧倒するという繰り返しであったということだろうと思う。そして結局は前者は後者によって駆逐され、日本はファシズムへの道をたどる。中国大陸への侵略から太平洋戦争、敗戦へと至るわけだ。翻って現代の日本はどうか? 天皇主権の明治憲法下の戦前と国民主権の現憲法下の現代はもちろん全く異なる政治体制にある。しかし安倍一強体制から菅体制になって新「帝国」勢力が圧倒的に力を持ち出しているように私には思える。菅政権は自民党の岸田派、石破派以外の各派閥から支持を得て成立した。このことは逆に党内から政権に対して異を唱えることを許さない雰囲気を醸成していないか? 以前の自民党は党内反主流派に元気があった。政権交代はなかったが、党内で疑似政権交代を繰り返していた。自民党内で「立憲」勢力と「帝国」勢力が拮抗していたのである。私としては自民党内の「立憲」勢力としての宏池会(岸田派)に少しばかり期待しているのだけれど。

12月某日
「三体」(劉慈欣 早川書房 2019年7月)を図書館で借りて読み始める。人気があるらしく裏表紙に「読み終わったらなるべく早くお返しください」という黄色い紙が貼られている。文化大革命のさなか、紅衛兵による知識人への糾弾闘争の場面から物語は始まる。1967年の北京である。それから時代は40数年後の現代中国に舞台は移る。これから小説は一気にSF小説となってくる。それで私は急速に興味を失ってしまう。SFは苦手なんだよ。明日、この本は図書館に返却しよう。待っている人がいるのだからね。
だもんで、やはり図書館で借りた「はじめての文学」(文藝春秋)の桐野夏生(207年8月)の巻を読むことにする。「はじめての文学」は村上春樹、よしもとばなな、浅田次郎、山田詠美などの現代の人気作家を12人選び、12巻として刊行したもの。桐野の巻には6作が収められている。うち半分の3作は既読だったがやはり面白かった。桐野は巻末の「小説には毒がある」という短文で「毒」にこそ小説の魅力はあると書いているが、桐野の小説の魅力はそこにある。読者としては読書を通して得難い体験をしてしまう。桐野は「使ってしまったコインについて」の解説で「もしかすると、自分が社会のアウトサイダーなのではないか、という怯えと、アウトサイダーを排する社会への怒りは、私の作品に繰り返し表れる主題でもあります。その原形がここにも表れているのでしょう」と書いている。納得である。

12月某日
家にあった向田邦子の「無名仮名人名簿」(文藝春秋 2015年12月)を読み返す。私は1970年代の後半だったと思うがテレビドラマ「だいこんの花」のファンで毎週欠かさず見ていたように思う。父親役が森繁久彌で独身の息子が竹脇無我、当時のホームドラマでは珍しい枯れたユーモアに魅かれたのだろう。この脚本が向田の手によるものと知ったのは後のことである。1980年に向田が直木賞を受賞し翌年航空機事故で急逝したころ知ったのかも知れない。「向田邦子は突然あらわれてほとんど名人である」とは向田の直木賞受賞に際して山本夏彦が書いたものの中にあるそうだが、私も実に同感である。「無名仮名人名録」には32編のエッセーが収められている。初出が何時どこに発表されたのかの記載がされていないのが残念である。私は冒頭の「お弁当」が最も気に入っている。向田が小学4年生の頃である。向田は昭和4(1929)年の生まれであるから昭和10年代前半であろうか。転校した鹿児島の小学校のすぐ横の席の女の子が茶色っぽい漬物だけがおかずの貧しいお弁当を食べている。ある日、向田がその漬物を一切れ分けてもらうとこれがひどくおいしい。女の子は学校帰りに家に寄れ、漬物をご馳走してあげるという。彼女が向田を台所へ連れて行き黒っぽいカメの上げ蓋を持ち上げたとき、「何をしている」と怒鳴られる。働きに出ていたらしい母親が帰ってきたのだ。「東京から転校してきた子が、これをおいしいといったから連れてきた」というようなことを言って彼女は泣きだした。母親は向田をちゃぶ台の前に坐らせ、漬物を振舞ってくれたという話が紹介されている。向田の父親は生命保険会社に勤め当時の典型的な中流家庭であった。だがときは戦前である、現在のように9割が中流ということなどありえなかった。向田の描くホームドラマの舞台は中流家庭である。だが向田の視線は遥か戦前、鹿児島の貧しい食卓もとらえている。向田のドラマが庶民の心をとらえる所以であろう。

12月某日
向田邦子の小説を読みたくなって図書館で「隣の女」(文春文庫 2010年11月)を借りて読む。表題作を含めて5編の短編が収められているが、ストーリー仕立ての巧みさや古風ともいえる文体の意外な艶っぽさに感心する。向田は田辺聖子や瀬戸内寂聴、林真理子とは違った女流作家として大成していたと思われる。本書は単行本が昭和56年10月に出版されている。向田が飛行機事故で亡くなったのが同年8月、本書に収められた「春が来た」が絶筆となった。向田作品では幸福の絶頂にある家庭は描かれない。かといって不幸のどん底にある家庭も描かれない。不幸と幸福がない交ぜとなった家庭が描かれる。「春が来た」の主人公は化粧映えのしないOLの直子。若手サラリーマンの風見と恋仲になるが、見栄を張って父は広告会社の重役、母は行儀作法にやかましく、家は庭付き一戸建てと小さなうそをつく。デートの最中、足を捻挫した直子は風見に家へ送られ嘘は露見してしまう。しかし風見は「見栄をはらないような女は、女じゃないよ」と優しい。風見は直子の家にちょくちょく遊びに来るようになるが、それまで身なりに気を使わなかった母親が化粧をするようになったり直子の家族は変わり始める。二人の恋は実らず直子の母親もクモ膜下で急死する。母の初七日が終わった頃、直子はばったり風見に会う。「みんな元気?」と問われ、実は母が、と言いかけて直子は口を噤む。この人のおかげで、束の間だったがうちに春が来たのだ。「元気よ、みんな元気」と直子は答え、自分でもびっくりするような大きな声で「さようなら」を告げる。幸せは長続きはしない、かといって不幸せも長続きしないのである。これが普通の庶民にとっての日常であり願望なのだ。向田はそこを巧みに描くのである。