5月某日
「敗戦後論」(加藤典洋 ちくま学芸文庫 2015年7月)を読む。巻末に「本書は1997年8月5日、講談社より刊行され、2005年12月10日、ちくま文庫で再刊された」とある。本書には加藤の3つの論文が収められているが、それぞれの初出誌は「敗戦後論」が「群像」95年1月号、「戦後後論」が「群像」96年8月号、「語り口の問題」が「中央公論」97年2月号である。今年が2021年だから今から25年前に発表された論文である。私が50歳になる手前、40代後半の頃である。その頃、加藤典洋なんていう批評家の存在を知っていたのだろうか? 名前くらいは知っていたかも知れないが、ほとんど興味を覚えなかったと思う。加藤の本を読んだのも昨年の「戦後入門」(ちくま新書 2015年10月)が初めてだ。それも我孫子の香取神社境内で月一で開かれる朝市で500円で購入したものを数カ月、放っておいて読みだしたのだ。加藤は私と同年で彼が早生まれのため学年は一つ違い(大学では私が一浪したため学年は二つ違い、私が早大に入学したとき、彼は東大の3年生)だ。私は20歳のころ(1968年)、25年前は昭和18年、戦中であった。それは歴史としてしか存在しなかった。現在から「敗戦後論」が書かれた25年前を振り返ると、それは現在(現代)としてしか意識されない。私が年を重ね時間の流れる速度を短く感じるようになったためだろうか。あるいは逆に経済が高度成長から減速経済に移行し、時間がゆっくり流れるように感じるようになったためだろうか。
「敗戦後論」は先の大戦で敗れた国家としての日本と日本人を問い直そうとする試みである。敗戦そして戦後を日本人はどうとらえたか?加藤は日本古代史の津田左右吉や天皇機関説の美濃部達吉の戦後の言説に注目する。津田は戦前、実証的な古代研究で当局からの弾圧を受け、戦後は民主主義陣営に立つ学者として期待された。しかし津田が「世界」に寄せた論文は「建国の事情と万世一系の思想」と題するもので「天皇は『われらの天皇であられる』。『われらの天皇』はわれらが愛さねばならぬ」と「世界」の編集者を困惑させるものだった。美濃部は新憲法を審議する枢密院でただ一人反対する。理由は憲法改正を定めた帝国憲法73条は日本がポツダム宣言を受け入れた時点で無効である、というものだった。加藤によると津田も美濃部も敗戦による「ねじれ」の感覚に自覚的だったことを示している。この「ねじれ」に自覚的な文学者として加藤は中野重治と太宰治をあげる。中野や太宰の作品にあらわれるのは「ねじれ」の感覚と戦後の一種の解放感に対する違和感である。この違和感は大岡昇平の「俘虜記」や「レイテ戦記」にも通底する。大岡はエッセーにテレビの1日の終わりに日の丸が画面一杯に映るのに「いやな感じがする」と書く。大岡はさらに外国の軍隊が日本にいる限り、絶対に日の丸をあげないと断ずる。大岡のエッセーが書かれたのは1957年である。半世紀以上たった今も沖縄には米軍が駐留している。「敗戦後論」は十分に存在の意味があるのである。
5月某日
「南北戦争-アメリカを二つに裂いた内戦」(小川寛大 中央公論新社 2020年12月)を読む。南北戦争については奴隷解放を巡って、それに賛成する北部の州と反対する南部の州が戦ったアメリカの19世紀の内戦、程度の知識しかなかった。今回この本を読んでアメリカにおける南北戦争の存在の大きさが分かった。戦前戦後という言葉は日本ならば太平洋戦争の前と後ということで理解されるが、アメリカでは戦前(antebellum)と戦後(postbellum)は1861年から1865年にかけて行なわれた南北戦争の前か後かを指す言葉という。戦死者は南北両軍併せて約60万人。アメリカ独立戦争のアメリカ側の戦死者2万5000人、第二次世界大戦では約40万人、ベトナム戦争では約5万人である。南北戦争は、最も多くのアメリカ人が命を落とした戦争なのだ。南北戦争は奴隷制の維持か否かを争って戦われた戦争であることは正しいのだが、より正確に言うと奴隷制の維持を主張する南部諸州が合衆国から脱退、南部連合国という新国家を作り、それを認めない合衆国と戦闘状態に入ったということであろう。当時の黒人奴隷は主として南部で綿花の栽培、収穫に使役されていた。それに対して北部では小麦、トウモロコシなどの穀類が主要な農作物であり、牛や馬を使役していた。南部は綿花に完全に依存した地域であったのに対し、北部は多様な農産物、さらに鉄鋼業や造船業などの諸工業に依存していた。南北の格差は明らかなのだが、それでも4年間にわたって南部は抵抗したと言える。よく知られているように当時の大統領はリンカーンで戦争中に再選され、戦後に暗殺された共和党の大統領である。南部は民主党の地盤であった。現在のアメリカはバイデン、オバマ、クリントンらの民主党大統領にはリベラルの印象が強い反面、トランプ、ブッシュらの共和党大統領には保守のイメージが強い(個人の感想です)。どうなっているのでしょうか?
5月某日
「百合中毒」(井上荒野 集英社 2021年4月)を読む。井上荒野は好きな作家で図書館に新刊が入るとリクエストする。「百合中毒」もひと月ほど待ったが読むことができた。八ヶ岳の麓で園芸店を営む一家の物語。女主人の歌子は25年前に夫に出て行かれるが、現在は園芸店の従業員との再婚を考えている。夫はイタリア料理店のイタリア人の女と暮らすようになるが、女がイタリアへ帰国し、夫は園芸店に戻ってくる。長女は元銀行マンと結婚し夫婦で店を手伝っているが、夫の不倫を疑っている。次女は勤め先の上司と不倫の仲だが雲行きが怪しくなっている。タイトルの百合中毒は、園芸店で売られた百合に飼い猫が中毒したとクレームを付けられた作中のエピソードによる。不倫がテーマなのだが、より正確に言うと男と女が主題なんだろうね。そう言えば井上荒野の父は井上光晴。瀬戸内晴美と長く不倫関係にあった。瀬戸内はその関係を清算するのも出家の一因という説がある。井上荒野には光晴と瀬戸内の関係をモデルにした「あちらにいる鬼」という作品があるが、これももちろん面白く読んだ。
5月某日
今日の朝日新聞朝刊の千葉版に「千葉県の新型コロナウイルスワクチンの高齢者への接種率が、全国ワースト2の4.3%」という記事が出ていた。ちなみに全国平均は6.1%で最も高かったのは和歌山の17.5%、次いで山口の14.3%だった。首都圏は東京が6.6%、神奈川が4.6%、埼玉が4.5%と軒並み低い。人口が多ければ高齢者の数も多く準備も大変だろうと自治体関係者に同情はするが、なるべく早めに接種してもらいたいものだ。近所の80歳過ぎの高齢者には6月接種のお知らせが届いたということなので、私は7月かな。