7月某日
社保研ティラーレで次回の「地方から考える社会保障フォーラム」の打ち合わせを吉高会長、佐藤社長とする。缶ビールをご馳走になる。キタジマの金子さんと「真の成熟社会を求めて」のスケジュールを打ち合わせ。金子さんに車で上野まで送って貰う。我孫子で営業再開した「しちりん」に寄る。
7月某日
「アンソーシャル ディスタンス」(金原ひとみ 新潮社 2021年5月)を読む。コロナ禍の5組の若い男女の恋愛とセックスを描いた5編の中編小説が収められている。恋愛もセックスも引退の身ですがそれなりに面白かったけれど、最近は「厨房」が罵倒する言葉となっていることを学ぶ。中学生を意味する「中坊」が同音の「厨房」となったらしいけれど、わけがわからないよ。
7月某日
「敗戦後論」(加藤典洋 ちくま学芸文庫 2015年7月)を読む。「敗戦後論」は①「敗戦後論」②「戦後後論」③「語り口の問題」-の3部構成になっていて、初出は①が「群像」95年1月号、②が「群像」96年8月号、③が「中央公論」97年2月号で、単行本は1997年8月に講談社より刊行されている。2005年12月にちくま文庫で再刊され、2015年7月にちくま学芸文庫に収録された。単行本、ちくま文庫、ちくま学芸文庫のそれぞれに、著者の「あとがき」が掲載され、ちくま文庫には内田樹の「卑しい街の騎士」、ちくま学芸文庫には伊東祐史の「1995年という時代と『敗戦後論』」というタイトルの解説が付けられている。単行本、文庫の「あとがき」も文庫の解説も、学芸文庫にすべて収められており、これは加藤典洋のことをあまりよく知らない私のような読者にとっては大変ありがたい。以下、「敗戦後論」の内容紹介を「あとがき」と解説に沿って進めたい。
単行本の「あとがき」で、加藤は「この本は互いに性格の異なる三本の論稿からなっている」と述べ、「敗戦後論」が政治編、「戦後後論」が文学編、「語り口の問題」がその両者をつなぐ蝶番の編と位置付ける。これに対して学芸文庫版の解説で伊東祐史は、加藤の位置づけを肯定しつつ第二論文「戦後後論」が「加藤のすべての著作の“扇の要‟に位置」し、「加藤の『文学』の原論である」とし、それをもとに、日本の戦後を論じたのが第一論文「敗戦後論」であり、デリケートな政治社会問題を論じたのが第三論文の「切り口の問題」となる。私は「あとがき」も解説も本文を読んでから読んだから、3つの論文のそういった関係はこれらの文章を読んで初めて知った。何しろ私にとってはいささか難解で、しかも巻末の注釈にも目を通しながら読んだので、文庫本一冊を読み終わるのに三日かかってしまった。
第二論文は太宰治とサリンジャーを軸に戦争(第2次世界大戦)と文学の関りを論じたもので、第三論文はハンナアーレントが戦後、ユダヤ人大量虐殺の罪で裁かれたアイヒマンを描いたルポルタージュ「エルサレムのアイヒマン」を軸に批評を展開している。二つの論文共に私が完全に理解したとは思えないが、文学や思想に真剣に向き合おうとする加藤の姿勢には共感できた。しかし私が一番問題意識を持って読んだのが最初の「敗戦後論」であった。第一論文の「敗戦後論」を貫く加藤の最大の問題意識は「ねじれ」である。日本の現行憲法は日本人の手によって書かれたものではなくGHQの英文の原文を翻訳したものであることはもはや常識である。進駐軍の圧倒的な武力を前に、日本国および日本国民は憲法を「押し付けられた」。しかしその「押し付けられた」憲法は、戦力の放棄をうたう世界に誇るべきものだった。これが加藤の言う「ねじれ」の一つである。もう一つの「ねじれ」は先の戦争(日中戦争、太平洋戦争)の犠牲者は日本人は3百万人、アジア・太平洋地域は併せて2千万人に及ぶ。これらの犠牲者に我々は真摯に向き合っていないのではないか? というのが加藤の提起する第2の「ねじれ」である。
「ここには二種の死者がいる。死者もまた私たちのもとでは分裂している。この分裂を超える道はどこにあるのか」と加藤は書いて、吉田満の「戦艦大和ノ最期」から兵学校出身の哨戒長、白淵大尉の言葉を引用する。「進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ 負ケテ目覚メルコトガ最上ノ道ダ」。加藤は「ここにいるのは、どれほど自分たちが愚かしく、無意味な死を死ぬかと知りつつ、むしろそのことに意味を認めて死んでいった一人の死者だからである」と書く。私は2、3カ月前、我孫子の香取神社の朝市で「戦艦大和ノ最期」を入手、初めて読んで今までにない何とも言えない気持ちになった。だから加藤の気持ちはよく分かる。だが私は同じ朝市で買った「総員玉砕せよ!」(水木しげる)という戦争マンガを取り上げたい。昭和18年末、陸軍部隊の一支隊が中部太平洋ニューブリテン島に進駐する。マンガは重労働と下士官のビンタに明け暮れる一人の新兵の視点で描かれる。偵察に行った同僚が鰐に襲われたり、熱病に倒れていく。そんななかで戦局は確実に悪化していき、昭和20年3月部隊に玉砕命令が下される。玉砕戦でも生き残る兵や士官がいる。それを察知した司令部はさらなる玉砕戦を命じる。兵たちは猥雑で娑婆に未練たっぷりに描かれる。海軍士官の白淵大尉のような高潔さやインテリジェンスは微塵もない。私はそこにむしろ感動した。白淵大尉は自分の死に意味を見つけた。だがニューブリテン島の兵たちは意味を見つけることもなく死んでいく。
7月某日
社保研ティラーレで佐藤社長と吉高会長と雑談。その後、社会保険出版社の1階でキタジマの金子さんから「真の成熟社会を求めて」の最終ゲラを貰い、次いで社会保険出版社の高本社長に挨拶、金子さんに上野まで送って貰う。上野駅で大谷源一さんと待ち合わせ。一緒に有楽町の交通会館の「ふるさと回帰支援センター」に行って高橋公理事長に挨拶。交通会館地下1階の博多うどんの店「よかよか」に行く。ビール、シャンペンと日本酒を頂く。この店は博多うどんの店だが、おいしい日本酒と日本酒にあったつまみを揃えている。店を仕切っているのはネパール出身の青年。日本語は日本人と変わらないし、顔もほぼ日本人である。
7月某日
近所の「髪工房」という床屋で散髪。髪工房は私より2~3歳年上のご主人とその娘さんがやっている。65歳以上は1800円のうえ、スタンプが5回になるとさらに500円引きになる。今日は500円引きの日だったので1300円だった。申し訳ないほど安価。床屋さんのすぐ前が坂東バスのバス停、我孫子高校前だ。床屋さんを出るとすぐバスが来たので乗る。終点の我孫子駅で降りて南口駅前の「ココ一番屋」に入って「野菜カレー」を食べる。雨が降ってきたので帰りもバス。このところ障害者割引を利用しているので片道75円である。「モリちゃんの酒中日記」を読み返していたら6月に加藤典洋の「敗戦後論」を読んでいたことが判明。認知症発症か?「どっかで読んだことが…」と思ったのは事実ですが1カ月前に読んだことを忘れる?