11月某日
図書館で借りた「やさしい猫」(中島京子 中央公論新社 2021年8月)を読む。家族の話である。シングルマザーとその一人娘、そしてのちにシングルマザーの夫となる男の物語。まぁ今どきどこにでも転がっているはなしではある。フツーと少し違うのはシングルマザーの夫となる男がスリランカ出身の外国人であることだ。中島京子の作品には戦時下と戦後のある家族の変遷を描いた「小さいおうち」、認知症の家族を描いた「長いお別れ」などがある。家族が家族であるということの幸せと困難性がテーマ。「やさしい猫」で描かれる幸せは、東日本大震災のボランティアを通して知り合ったシングルマザーと男が東京で再開し、魅かれあっていく。シングルマザーの娘(物語の語り手)とも深く結びついていく。
困難性とはこの作品の場合、夫となる男が外国籍であることに起因する。日本は、日本人は外国人、それも非欧米系の外国人に冷たい。「やさしい猫」でも日本の厳しい入国管理局体制が描かれている。外国人であるが故に基本的な人権さえ奪われている現実がある。そういえばこの3月、入管施設でスリランカ人女性が医療につないでもらえず亡くなった。この本には「多くの人の予約が入ってます」という赤い紙が貼ってあった。私もたくさんの人に読んでもらいたい本と思うから、これから図書館に返してきます。
11月某日
地方議員向けの第25回の「地方から考える社会保障フォーラム」に参加。会場の日本生命丸の内ガーデンタワーに10時過ぎに到着。いつもは10時過ぎまで寝ているが、今日は7時頃起きるつもりが8時の起床となってしまい、朝食をとらずに電車へ。今回のスピーカーは樽見前厚労次官、医療的ケア児支援法の成立と今後の課題について厚労省障害福祉課の河村のり子室長、行政のデジタル化と厚労行政について情報化担当参事官の山内孝一郎。樽見さんは「新型コロナ対応は『行政機能の試金石』だったのではないか」としたうえで、「ワクチン接種では地方自治体の底力を見た」と語っていた。河村さんは医療的ケア児とその家族が置かれている現状について丁寧に説明してくれた。資料には「当事者の想い」も掲載されていたが河村さんは「読むと泣いてしまうので今日は読みません」。きっとやさしい人なのだろう。山内さんはデジタル化についてわかりやすく説明してくれたうえに議員の質問にも誠実に答えていた。今回のフォーラムはスピーカーの人柄があらわれて、なかなか良かったと思います。
フォーラム終了後、元厚労省の堤修三さんと会うことになっているので霞が関へ。待ち合わせ場所の飯野ビルの蕎麦屋へ行くと堤さんはすでに来ていた。遅れて大谷源一さんも参加。堤さんは外で呑むときはノンアルコールビール。私は生ビールから日本酒、大谷さんは生ビールから焼酎。2時間ほどおしゃべりして大谷さんは東京駅まで歩き、私は霞が関から千代田線、堤さんは同じく霞が関から日比谷線で帰る。
11月某日
「官邸の暴走」(古賀茂明 角川新書 2021年6月)を読む。古賀は元経産官僚ながら安倍菅政権に対して批判的な発言を繰り返している。古賀は安倍や菅の統治能力自体は低いとみている。そのうえで官邸官僚(首相補佐官など)が政策決定で力を持ち、各省庁の官僚の力が低下したと見ている。それはそうだと思うのだが、私は安倍菅政権の最大の問題は国会の軽視だと思っている。安倍は首相のとき、野党議員の質問に野次っていた。品位にかけるし国会議員は野党と言えども国民の代表である。国会に対して謙虚な対応が望まれる。
11月某日
図書館から借りた「安藤昇-侠気と弾丸の全生涯」(大下英治 さくら舎 2021年8月)を読む。安藤昇は1926年、東京新宿生まれ。子供のころから素行が悪く少年院に収監されるも予科練を志願、伏龍特攻隊に配属され、2カ月後に終戦。46年に法政大学予科に入学するが翌年除籍、周囲の不良少年たちのリーダーとなり、後の安藤組に発展する。安藤組や安藤昇については本田靖春の「疵・花形敬とその時代」で読んだことがあるが、安藤組解散後についての安藤昇について読んだのは初めて。ヤクザを演じさせると独特の迫力があったと言われているが、本物だったのだから当たり前と言えば当たり前だ。奥さん以外にいつも何人かの愛人がいた。とにかく女性に持てた。それも自分からアプローチするのではなく女性に惚れられたそうである。