2月某日
「大杉栄伝-永遠のアナキズム」(栗原康 角川ソフィア文庫 令和3年2月)を読む。本書はもともと2013年に夜光社から刊行された単行本に加筆訂正したものだ。「おわりに」では次のように書かれている。「今年(2013年)の3月初旬だったろうか。この原稿を書きはじめたころ、わたしは名古屋をおとずれた。友人のYさんがよびかけた勉強会合宿に参加するためだ。2011年3月12日以降、おおくの友人たちが東京を去った。放射能を避けるためだ」。「文庫版あとがき」では「目下、コロナの大フィーバー、わたしにとって、大杉栄とカタストロフはセットなのだろうか」と記されている。原発事故のさ中に初版、コロナ禍の渦中に文庫化という過酷な運命の本書は、大杉栄という激しい人生を歩んだ人の伝記にふさわしい運命を歩んでいるようだ。栗原の「サボる哲学-労働の未来から逃散せよ」(NHK出版新書)によると、アナキズムの語源はギリシャ語の「アナルコス」、「無支配」からきているそうだ。そういえば大杉栄や伊藤野枝、金子文子など伝記小説を読むと、彼ら彼女らは人から支配されることを拒絶しつつ、人を支配することも拒んだ。天皇や皇太子の暗殺を企てるほど過激な彼らは、一方で家族や友人たちには優しく接している。見返りを期待しない相互扶助ね。
2月某日
「激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」(池上彰・佐藤優 講談社現代新書
2021年12月)を読む。私が高校を卒業したのが1967年で、東京の予備校に通っていた10月8日、当時の佐藤首相の南ベトナム訪問に反対して三派全学連を中心とした学生集団が機動隊の阻止線を突破、羽田空港に迫った。翌日の朝刊1面に「学生、暴徒化!」というような大きな活字が躍っていたことを覚えている。私は「大学に入ったら学生運動をやろう」と秘かに決意したものだ。68年4月早稲田の政経学部に入学、自治会は社青同解放派が握っていて、5月の連休明けには私も解放派の青ヘルメットを被っていた。68年の12月に解放派は革マル派によって早稲田を追い出され、東大駒場へ逃げた。本書で佐藤は「新左翼の本質はロマン主義であるがゆえに、多くの者にとって運動に加わる入り口になったのは、実は思想性などなにもない、単純な正義感や義侠心でした。そのために大学内の人間関係を軸にした親分・子分関係に引きずられて仁侠団体的になり、最後は暴力団の抗争に近づいていった」と話しているが、まぁ「あたらずと雖も遠からず」だ。私ら解放一家は革マル組によって早稲田のシマを追い出されたのである。
2月某日
「自壊する官邸-『一強』の落とし穴」(朝日新聞取材班 朝日新書 2021年7月)を読む。安倍首相が辞任して菅政権が誕生した時点で本書が執筆されているので、短命に終わった菅政権、菅のあとを継いだ岸田政権についての論評はないけれど、それでも十分に面白かった。新しいことが書かれているわけではないが、保守政権としてはかなり異質であった安倍政権の本質が活写されていると思う。7年8カ月という憲政史上最長の安倍政権はなぜ、可能だったのか?党内に大きな反対勢力が存在せず、総務会で発言するのも石破茂、村上誠一郎などに限られていた。さらに安倍政権は選挙に強く強力な野党が存在しなかった。反対勢力が弱いと権力を握っている側はどうしても説明責任を果たさなくなりがちである。内閣人事局の存在も大きかったようだ。安倍政権以前は各省の局長級の人事には各省からの人事案がすんなり通っていたが安倍政権では差し替えられることもあったという。学術会議の任命拒否もこれに繋がっている。巻末に御厨貴東大名誉教授らに対するインタビューが掲載されているが、牧原出東大教授の「恣意的人事、やめるのが先決」というインタビューが印象的だった。牧原教授は「安倍、菅政権での官邸官僚の影響力は、無理を通して道理を引っ込ませる力でした」とし具体例としてアベノマスクをあげている。官邸官僚が全戸配布を首相に無理に押しつけたが、それを無理だとは官邸官僚も気付いていなかった。こうした構図が長期間繰り返されたというのだ。恐ろしい!