モリちゃんの酒中日記 3月その1

3月某日
「関友子さんを偲ぶ会」に出席。関さんというのは赤坂にあったクラブ邑のママである。1968年に早稲田の政経学部に入学したので私の同期生、というより私の奥さんとも同期生で奥さんとは仲が良かった。私は在学中にはほとんど面識がなく、クラブ邑からの付き合い。関さんは最初、新宿歌舞伎町でクラブを開業したが私はその頃、会社の金を使える立場になかったので上司に便乗して同じく歌舞伎町にあった「ジャックの豆の木」というクラブに通っていた。偲ぶ会は関さんが所属していた早稲田の出版研究会の人が出席していた。友子さんの一人娘、一奈さんがゲスト。一奈さんはタイ在住で一時帰国中、今月中にタイへ帰るそうだ。一奈さんのワインの呑みっぷりが大変気持ちよかった。会には邑で友子さんを支え、邑が閉店した後も友子さんと仲が良かった千恵さんも参加していた。会場を提供してくれた浪漫堂の倉垣君に感謝!

3月某日
「同志少女よ、敵を撃て」(逢坂冬馬 早川書房 2021年11月)を読む。早川書房主催のアガサ・クリスティー賞受賞作である。第2次世界大戦中のスターリングラード攻防戦や大戦末期の要塞都市ケーニヒスベルクを舞台に赤軍の女性の狙撃兵、セラフィマと彼女の属する射撃訓練学校の生徒たち、そして射撃訓練学校の教官、イリーナの群像劇として描かれる。第2次世界大戦はナチスドイツの電撃的なソ連侵攻から始まった。そう思うとこの何日かのロシア軍のウクライナ侵攻に思いが及ぶ。スターリングラード攻防戦は1942年、今から80年前である。プーチンは80年前のヒトラーと同じようなことをしようとしているのではないか。週刊文春の今週号(3月10日号)で林真理子が「夜ふけのなわとび」でソ連の対独戦と本書に触れている。以下抜粋。
「それにつけても不思議なのは、最近この対独戦を描いた『戦争は女の顔をしていない』が、日本ではベストセラーになったことである。ソ連はなんと百万人を超える女性兵士がいたというから驚く。
そしてこの本に影響された『同志少女よ、敵を撃て』は、日本の作家によるものであるが、こちらも大ヒット、直木賞の候補にもなった。フェミニズムの気配もあり、若い読者がついた」。
著者の逢坂冬馬は1985年生まれ、明治学院大学国際学部卒の新鋭作家。物語の組み立ては新人作家とは思えないほど緻密だし、歴史考証も正確。次作にも期待したい。とりあえず私は我孫子市民図書館に「戦争は女の顔をしていない」をリクエストした。

3月某日
「幕末社会」(須田努 岩波新書 2022年1月)を読む。幕末という言葉から私がイメージするのは尊王攘夷というスローガンや、倒幕運動のなかで闘われた桜田門外の変や佐幕派への討幕派のテロル、池田屋事件、寺田屋事件などの討幕派に対するテロル、さらには大政奉還から鳥羽伏見の戦いから五稜郭の戦いに至る戊辰戦争である。著者の須田努という人は違うアプローチで幕末に迫る。「はじめに」で著者は「本書でこだわりたいのは、政治や制度ではなく、社会の様相である」と記している。「社会の様相」は何から見えてくるのか? 著者はそれを百姓一揆や騒動から読み取ろうとする。一揆や騒動を主導したのは多くは若者であった。彼らは世襲的身分を超えて社会的ネットワークを作り出していったのである。一揆や騒動は暴力をともなった。「あとがき」で「幕末という時代、若者が現状から抜け出す途が開けた、といえる。(中略)現状打破と自己実現を可能にしたのは暴力であった」としている、私はここから1960年代末の学生運動をイメージしてしまう。あの頃も「現状打破と自己実現」を投石とゲバ棒によって暴力的に実現しようとしていた。須田は「暴力を選択した若者の多くはその暴力の中で死んでいった」とし「しんどいが事実である」と書く。これも過激な学生運動の末路を連想させるではないか。