3月某日
桐野夏生の最新刊、「燕は戻ってこない」(集英社 2022年3月)を読む。桐野夏生の小説を「現代のプロレタリア文学だ」と評したのは政治思想家の白井聡だったが、本書も現代のプロレタリア文学と言える。主人公の29歳の女性、リキは派遣社員として病院の事務を仕事にしている。給料は手取りで14万円、部屋代の58000円を除いた、残りの82000円で生活する。リキはまさしく現代のプロレタリアートである。プロレタリアートの解放をめざす日本共産党の眼もリキのもとには届かないし、労働者の味方である労働組合の存在もリキには遠い。そんなリキに1000万円の仕事が舞い込む。代理母出産である。不妊症の妻に代わって夫の精子を人工授精し、妊娠出産するという仕事である。不妊症の夫、草桶基はバレーのダンサー、母も著名なダンサーで資産家の娘。母は不妊治療の治療費も援助してくれる。
基母子はさしずめ現代のブルジョアジーだ。リキは双子の男女を妊娠し出産する。リキは妊娠中、日本画家のりりこの事務仕事を手伝う。りりこは基をお金でリキの頬っぺたを叩いたと言い「こういうのって、経済格差を利用した搾取っていうんですよ」と非難する。リキはどうする?ネタバレになるので結末は書かないが、リキはある方法によりブルジョアジーに報復する。「蜂起」に成功するのだ。
3月某日
上野駅で香川さんと待ち合わせ。東京国立博物館平成館に「ポンペイ展」を観に行く。約2000年前の紀元79年、イタリア中南西部にあった人口1万人ほどの都市が街の北西10㌔にあるヴェスヴィオ山が噴火、大量の噴出物が住民ごと街を呑み込んだ。18世紀以降発掘が進んだが、今回の「ポンペイ展」ではイタリア・ナポリ国立考古学博物館が所蔵する宝飾品や彫像、日用品など150点が出品されている。2000年前のポンペイの生活は考えようによっては今の私たちの生活より快適だったかも知れないと思った。上水道は完備だし装飾用の美術品も各家庭に備わっていた。といってもこれらの生活は奴隷の存在によって支えられていた。ブドウの栽培やワインの製造などがポンペイの経済を支えていたようだが、これらも奴隷労働があったればこそであろう。観終わって根津まで歩き沖縄料理屋に入る。
3月某日
「愚かな薔薇」(恩田陸 徳間書店 2021年12月)を読む。腰巻のコピーに曰く「14年の連載を経て紡いだ吸血鬼SF」。巻末の掲載誌一覧によると「SF Japan」という雑誌に2006年から11年まで掲載され、続いて「読楽」という雑誌に2012年から20年まで隔月に掲載されている。四六判で580ページだから読み終わるのに三日も費やしてしまった。内容はというと…。私なりに単純化すると、1万数千年後に地球は太陽に吸収されてしまう。それまで地球外の星に人類は移住しなければならない。日本のある地方で船と呼ばれる宇宙船によってそれが何代も前から実践されている。というようなことを物語として14年間も連載する、ウーン、ご苦労さま。
3月某日
「東京23区×格差と階級」(橋本健二 中公新書ラクレ 2021年9月)を読む。橋本健二先生は早稲田大学人間科学学術院教授。格差と階級についての研究を40年近く続け「新・日本の階級社会」「アンダークラスー新たな下層階級の出現」「〈格差〉と〈階級〉の戦後史」「中流崩壊」などの著書がある。戦後、日本が経済成長を遂げる中で格差は拡大し続けているというのが先生の基本的な立場である。しかし格差を解消し階級対立を止揚するために「革命を!」という立場はとらない。先生は「しばしば共産主義者と誤解される」とし、「定義にもよるが共産主義とは、私有財産制を廃止して階級のない社会=無階級社会をめざし、最終的には国家すら廃止しようとする思想と運動である。しかし私は、階級をなくすことは不可能だし、そもそも望ましくないと考える」としている。そして「問題は、階級間に大きな格差があること、そして階級間に障壁があって、所属階級が出身階級によって決まってしまう傾向があることである」(終章 交雑する都市へ)と主張する。都市政策としては公営住宅の供給拡大や家賃補助を重視する。思想的にはリベラルなんだね。なお、先生にはフィールドワークとして居酒屋考現学を実践し著作も何冊かある。居酒屋の歴史をたどるという学術的な側面と居酒屋紹介的な側面を持つ楽しい著作である。