モリちゃんの酒中日記 8月その2

8月某日
図書館で借りた「まっとうな人生」(絲山秋子 河出書房新社 2022年5月)を読む。フツーの人の人生に潜む楽しさと辛さ、それを絲山秋子は暖かい目線で描く。自身の「双極性障害」の病歴の影響もあるのだろうと思う。本作は前作「逃亡くそたわけ」で福岡の精神病院を逃げ出したなごやんと花ちゃんがその後、富山で再会するという話。互いに家庭を持って平和に暮らしているのだが…。平凡な暮らしを描いて一編の小説に仕上げる―それが絲山の作家的力量である。ただ私は「逃亡くそたわけ」を読んだ記憶がない。今度、図書館で借ります。

8月某日
学生時代からの友人、馬木君が亡くなった。同じ寮にいた加賀(旧姓木下)さんからの電話で知った。西武池袋線の江古田駅の近くにあった国際学寮で馬木君とは出会った。学生運動で逮捕され、私は前に住んでいた下井草のアパートに居づらくなり、先輩のいた国際学寮に引っ越した。馬木君は初めて会ったときは上智大学の1年生、私は早稲田の2年生。ただ国際学寮では馬木君の方が先輩だった。学生時代からよく呑んだしバイトも一緒に行った。大学を卒業してから馬木君は新潟のテトラポットの会社を皮切りに、肉の卸会社や千葉のマザーズ牧場などで働いていた。私も同じようなものだが、要するに職を転々としていたわけだ。馬木君は30歳を過ぎてから鍼灸の専門学校に通い、鍼灸師の国家資格を取得し、自宅のある荒川区で鍼灸院を開業した。ケアマネジャーの第1回の資格試験に合格し、ケアマネ事業所、訪問介護事業所、デイサービスを次々と開業させた。女子医大病院で助産婦をしていた奥さんも退職して、一緒に訪問看護事業所も始めた。事業は順調のように見えたのだが、癌には柔道の猛者だった馬木君も勝てなかった。冥福を祈る。

8月某日
「歴史のなかの新選組」(宮地正人 岩波現代文庫 2017年6月)を読む。宮地は1944年生まれ、東大史料編纂所教授、国立歴史民俗博物館館長を経て、東大名誉教授。私は同氏の「幕末維新変革史」(岩波書店)を購入、幕末から明治初期で分からないことがあると確認するのに重宝している。本書は幕末の著名人はもちろん、市井の庶民の書簡など史料の引用が多い。それは本書の目的の一つが「新選組論における、歴史学の時代小説からの訣別を試みるところにあり、そのためには、徹頭徹尾、史料をもとにして論を展開することが求められるからである」(前置き)としている。近藤勇の書簡も引用されているが、粗野な武人と思われがちな近藤の豊かな教養人としての一面が伺われる。近藤は土方歳三と共に多摩の豪農の出身、剣は天然理心流を学んだが、書をはじめ学問もそこそこ学んだに違いない。近藤は最後、現在の千葉県流山で捕らえられ板橋で斬首される。本書では「近藤は、この場において動揺するような恥ずかしい男ではなかった。新政府は薩長二藩の私的権力であるといいはなち、従容として斬首された」(第8章)と描かれる。

8月某日
馬木君の通夜。町屋斎場へ向かう。友野君、井上さん、渡辺さんといった国際学寮の懐かしい顔に出会う。3人に加えて同じ国際学寮の豊島さん、鈴木さん、それに私を加え6人で呑むことにする。町屋といえば「ときわ食堂」なのだが、あいにく満席だったので隣の蕎麦屋へ入る。当然、話題は「馬木君とあの時代」。私が国際学寮に入寮したのは1969年の年末、退寮したのは卒業した72年3月だ。2年の3学期と3年と4年まるまる国際学寮にいたことになる。学問はまったくしなかった。国際学寮から大学院に進んだ人も何人かいたから、学問に真面目に取り組んでいた人もいた。馬木君や井上さんと土方のバイトに良く行った。土方のバイトは北千住の水野勝吉さんのもとで働くのだ。水野さんと僕らの出会いは1969年4月28日の「4.28沖縄デー」に遡る。この日、ブンドのデモに参加してパクられた国際学寮の森君と警官に暴行してパクられた水野さんが同房だったのだ。留置場でのリンチの証言を求められたのがきっかけで二人は仲良くなり、国際学寮から何人もの学生が土方のバイトに行くことになる。馬木君の通夜が縁で集まった6人、同時代を生きたんだよね。井上さんが「馬木の会」としてまた集まろうと言っていた。賛成。