11月某日
「乱れる海よ」(小手鞠るい 平凡社 2022年10月)を読む。小手鞠るいという作家には今まで関心がなかった。図書館で新刊コーナーに並んでいたこの本を手に取るまでは。本文が始まる前に次の文章が掲げられていた。献辞のように。
まだ何もしていない
何もせずに 生きるために
多くの代償を支払った
思想的な健全さのために
別な健全さを浪費しつつあるのだ
時間との競争にきわどい差をつけつつ
天よ 我に仕事を与えよ
―奥平剛士
奥平剛士って今じゃぁ知らない人の方が多いと思うけれど、1972年5月30日に起きたイスラエルの「テルアビブ空港乱射事件」の3人の犯人の一人で主犯格だった。奥平は事件の最中に銃弾を浴びて死亡、他の一人は手榴弾で自爆した。残った一人が岡本公三でイスラエルの法廷で終身刑を宣告された。本書の末尾に注意書きのように「本書は、実際の事件に着想を得て書かれたフィクションです。歴史的事実を盛り込んでありますが、登場人物はすべて、著者によって創作されています」と記載されている。ではあるけれど主人公の渡良瀬千尋が奥平剛士を、生き残った岡部洋三が岡本公三をモデルとしたことは明らかだ。千尋は京大文学部に進学、セツルメント活動で貧しい子供たちの面倒を見る一方、自分を追い込むように肉体労働に勤しんでいた。魅力的な人物として描かれているが、当時の活動家連中のなかにはそういった人間が確かにいたね。「あとがき」で著者の小手鞠は事件のときに高校生で、校長が「我が校出身の奥平さんが仲間ふたりと共にイスラエルで自動小銃を乱射し、罪のない人々を大勢、殺してしまった…奥平さんの為した行為は間違っていたが、平等な社会、差別のない社会を作ろうとしていた彼の理想は間違っていなかった」と話したそうである。なかなかの校長である。ちなみにこの高校は岡山県立岡山朝日高校、私の記憶に間違いがなければ岡山きっての進学校である。
11月某日
「私にとってオウムとは何だったのか」(早川紀代秀 川村邦光 ポプラ社 2005年3月)を読む。川村邦光という人の本は先月、荒畑寒村の評伝を読んだけど本業は宗教学者のようだね。早川紀代秀は1949年生まれ、神戸大学農学部、大阪府立大学大学院修士課程修了。86年にオウム神仙の会(後にオウム真理教に改称)に入会。95年に逮捕、死刑判決確定、2018年死刑執行。川村が旧知の弁護士から早川の裁判での証言を求められたことから二人の交流は始まった。すでに早川は麻原彰晃からのマインドコントロールは解けており、自分が犯した罪を激しく後悔している。早川は麻原からの指示に〝自らが認める権威が示す正義”に従うという習性は、決して特殊なことではなく、人間誰しもが持っている特性、と書いている。これは確かに旧統一教会にも当てはまるし、イスラム教徒によるテロにもそういった側面があると思う。宗教ではなくとも日本の新左翼による内ゲバにも「権威が示す正義に従ってしまった」結果があるのではないか。連合赤軍によるリンチ殺人事件もそうだ。オウム真理教の信徒たちはグル麻原の指示に盲目的に従った。私にはそれがスターリンによる反対派の粛清、連合赤軍によるリンチ殺人を連想させるのだ。
11月某日
オウム真理教は仏教をベースにしながらも、ハルマゲドンなどキリスト教の概念を盛り込んだりした麻原彰晃が考え出した新興宗教の一つと考えられる。仏教といっても幅広いが、激しい修行による個人の解脱を重視した小乗仏教に近いとも考えられる。こうした考え方に真っ向から対立すると思われるのが親鸞であろう。ということから図書館の宗教コーナーの仏教の棚を眺めていたら「吉本隆明が語る親鸞」(糸井重里事務所 2012年1月)という本が目についたので早速借りることにする。2011年の東日本大震災を経て、糸井重里は親鸞は「どんな立場でどんな言葉を民衆に投げかけていたのか」という問題意識から、吉本と対談する。冒頭が吉本と糸井の対談で、以下に過去の吉本の親鸞に関する講演が収録されている。吉本には「最後の親鸞」という著作もあり、以前から親鸞の思想に注目していた。この本は私も読んだが、よく理解できなかった記憶がある。今回は講演録ということもあり、何となくわかったような気がする。
吉本にとって親鸞が生きた戦乱と天変地異の中世は「ある意味で現在と同じ」で「目に見えない戦いや、人を支配していたり支配していなかったりというような問題が、目に見えないかたちで重なっています」と語る。私はロシアのウクライナ侵攻や旧統一教会問題を思い起こしてしまう。吉本はまた「肉体を痛みつけたり、精神を痛みつけたりする修行の果てに、浄土を思い浮かべたり、仏様の姿が眼の前に思い浮かぶようになったりすることには本当はなんの意味もないんだ、ということが、親鸞のなかに重要な考え方としてあった」と思うとする。それはまた「人間が自力でできることに見切りをつけたということ」でもある。修行によって浄土へ行くことはできない、「ただ本当に阿弥陀如来を心の底から信ずる、そして名前を称える、そうしたら浄土へゆけます。それ以外のことをやったら駄目ですよ」というのが親鸞の信念だった、と吉本は言い切る。60年安保のときに吉本は既存の日本共産党や社会党、総評などの「擬制の終焉」を唱え、「自立の思想的拠点」を築けと叫んだ。その頃と変わっていないね。