12月某日
大学時代、サークルで一緒だった森幹夫君と東京駅丸の内中央口で5時に待ち合わせ。千代田線の大手町から乃木坂へ。乃木坂のフレンチレストラン「シャルトル―ス」へ。このレストランは森君の娘さんの夫がオーナーシェフで、娘さんが営業と給仕役を担っている。今日はクリスマスイブの土曜日で満員の盛況。私たちが所属していたサークルは「ロシヤ語研究会」で大隈講堂の裏にプレハブの部室だった。森君は理工学部、私は政経学部だったが、二人ともロシヤ語の勉強は全然しなかった。ロシヤ語以外の学業にもまったく熱が入らなかった。授業に出はなくともサークルの部室で駄弁ったり、麻雀の面子を捜していた。森君はブンド、共産主義者同盟の活動家で大学を中退後も続けていた。森君と結婚したのが尾崎絹江さんで確か私たちが4年生のとき、法学部へ入学、ロシヤ語研究会にも入部してきた。絹江さんもブンドの活動家になった後、フリーライターとして活躍した。本も何冊か出していた。残念なことに数年前に乳がんで亡くなった。
森君の実家は大阪のタバコ屋で、森君は現在は実家で暮らしている。関西電力への反原発の抗議行動など現在も活動中だ。レストランはクリスマスイブということもあってカップルが多かったが、私たちの話題はもっぱら前世紀のサークルや学生運動についてだった。私が入学した政経学部の学友会の執行部は社青同解放派が握っていたから、私もさして考えることもなく同派の青ヘルメットを被ってデモに行っていた。68年の12月に革マル派によって早稲田を追われた解放派は東大駒場の教育会館に立て籠り、革マル派とお互いに全国動員で対峙した。翌年の4月17日、解放派と中核派、反戦連合などの部隊が、革マル派の戒厳令を突破、本部封鎖に成功する。4.28の沖縄デーでブントの森君は逮捕され、北千住署に留置される。同じ警察署に留置されていたのが勝っちゃんこと水野勝吉さんで、水野さんは警官と口論、公務執行妨害で逮捕されていた。留置所内で水野さんは警官から暴行を受けるが、水野さんは警官を告訴、森君は裁判で証言することになる。その縁で私たちは水野さんのもとで土方のアルバイトをすることになる。レストランで常連客らしき人から焼き菓子をもらう。東京から浦和へ向かう森君と霞が関で別れ、私は真っ直ぐ我孫子へ。
12月某日
「昭和史講義」【戦後篇】(上)(筒井清忠編 ちくま新書 2020年10月)を読む。岸田政権は現在、防衛費を増額しその財源を増税で賄おうとしている。私からすると立法府たる国会での議論がなされないままに決められようとしていることに納得が行かない。本書は戦後改革、東京裁判、吉田茂内閣、再軍備から自衛隊創設まで、サンフランシスコ講和条約・日米安保条約、砂川闘争・基地問題、戦後賠償問題など20のテーマで戦後史を概観する。私は占領軍によって与えられた民主主義を、日本国民がとまどいながらも我がものとしていく姿を垣間見た思いがした。岸田政権の現在の姿はその思いを踏みにじるものではないだろうか。私たちは先の大戦で膨大な人命、財産を失った。その犠牲のもとに現在の繫栄があることを忘れてはならないと思う。本来の自民党は「軽武装、経済発展重視」という思想だったはず。岸田首相の属する宏池会にはとくにその伝統が色濃かった。防衛は軍事だけではなされない。外交や経済、文化の交流などと併せて考えるべきものと思う。「軍事費増強に舵を切った政権」と歴史に刻まれてもいいんですか?岸田さん。
12月某日
我孫子から上野-東京ラインで東京駅へ。東京駅から歩いて東京サンケイビルの24階にある北洋銀行東京支店で送金手続きをする。親切な銀行マンが手伝ってくれる。東京サンケイビルから内神田の社保研ティラーレへ、吉高会長と懇談。社保研ティラーレを出ると15時を過ぎていた。昼食をとるのを忘れていたが神田駅から上野経由で我孫子へ。駅前の「しちりん」に寄る。「豚耳」「国産ニンニクオイル焼き」「五目ひじき煮」を注文。これが今日のランチ。
12月某日
「秘密の花園」(三浦しをん 新潮文庫 平成19年3月)を読む。横浜の中高一貫のカトリック系女子高校に通う3人の少女、那由多、淑子、翠。この3人が語る日常がストーリーである。ウイキペディアによると三浦は横浜雙葉中学校・高等学校を卒業後、早稲田大学第一文学部へ入学している。とすると3人の女子高生の日常は三浦の体験とそこから来る想像力によって描かれていると思う。三浦にとっては初期の作品。私にとって三浦はユーモアを絡ませた作風が特徴なのだが、本作はそれが薄い。もちろんにじみ出てくるユーモアはあるのだが。病院院長の娘で鎌倉の邸宅に住む淑子、サラリーマンの娘で横浜線沿線のマンションに住む那由多、東横線沿線の商店街の本屋の娘である翠。3人の性格分けが面白い。
12月某日
「敗者の想像力」(加藤典洋 集英社新書 2017年5月)を読む。加藤典洋の本は私にとって難解、でも好きで読んでしまう。加藤は1948年生まれだから私と同年だが、確か早生まれなので学年は1年上。残念ながら2019年5月に亡くなっている。本書もそうだが、加藤は日本の敗戦にこだわった思想家である。「敗戦後論」という著作もある。「敗者の想像力」とは、「自分が敗者というような経験と自覚をもっていないと、なかなか手に入らないものの見方、感じ方、考え方、視力のようなもの」(はじめに)である。このことを加藤は安岡章太郎や多田道太郎、吉本隆明や鶴見俊輔などの著作から読み解いて行く。面白いのは、その論が映画「ゴジラ」やアニメ「千と千尋の神隠し」にまで及んでいることである。「ゴジラ」は何度か映像化されているが、加藤が論じるのは主として第一作である。1954年11月に封切られたこの映画は私もリアルタイムで観ている。加藤はこのゴジラ映画を「戦没兵士の霊と怨念と希求の念とを体現している」とする。ゴジラは「やってくるのではない。帰ってくる」のだ。これは卓越したゴジラ論と私には思える。ディズニーを目指した手塚治虫に対してまったく独自の道を歩んだ宮崎駿を評価しているのも加藤らしい。「大江健三郎の晩年」では、敗戦間際の沖縄の集団自決事件を巡る裁判での大江を強く擁護し、全体としての大江作品を高く評価している。
12月某日
週刊文春の新年特大号に高齢者は健康(骨)のために1日4400歩こうという記事が載っていた。それで昨日は自宅から我孫子の農産物を売っている「アビコン」まで歩きレタスを買ってきた。自宅からバス停「我孫子高校前」を経てアビコンへ、アビコンから我孫子高校前で5000歩を超えた。我孫子高校前からはバスで停留所2つ目の「アビスタ前」で降車。本日は手賀沼公園を横切って新しい道を通って成田街道へ。成田街道を左折して「八坂神社前」を右折、我孫子駅の構内を通って我孫子駅北口へ。北口から5分ほど歩いてショッピングモール、イトーヨーカドーへ。3階の本屋で絲山秋子の文庫本「夢も見ずに眠った」を購入。イトーヨーカドーを出て我孫子駅に着いたら空は暗くなってきた。そのまま旧道を経由して自宅へ。万歩計は辛うじて4400歩を超えていた。
12月某日
「せんせい。」(重松清 新潮文庫 平成23年7月)を読む。重松清は「文庫版のためのあとがき」で教師を主人公や重要な脇役とする小説をたくさん書いてきたとし、「本書は、その中でも特に、いわば教師濃度の高い作品集である」としている。私は小学校、中学校、高校と勉強の方はまずまずだったが、教師に対しては割と反抗的であった。性格的に合う先生はいたが、尊敬できる先生はいなかった。大学は重松と同じ早稲田だが、私は団塊の世代で学園紛争の世代でもあるから、バリケード封鎖で授業に出た記憶はあまりない。バリケードが解除された後も、当時、早稲田を牛耳っていた革マル派に敵対していたから授業に出られなかった。学期末試験を受けに登校したら「お前らは来ちゃぁいけねぇんだよ」と革マル派にすごまれたこともある。実際はそれをいいことに授業をサボっていただけだけれど。重松清の描く先生はとても共感できる。生徒にとって教師は「尊敬できる」存在でなくともいいから「共感できる」存在でありたい。