3月某日
「思想史の相貌-近代日本の思想家たち」(西部邁 世界文化社 1991年6月)を読む。先週読んだ「日本の保守とリベラル」(宇野重規)では福沢諭吉や福田恒存について多く論じられていた。福沢諭吉はリベラリストとして福田恒存は保守派として論じられていた。そういえば西部に福沢や福田を論じた本があったなと本棚の奥から探してきたのが本書である。本書が書かれたのは今から30年以上前だが、一読してまったく古さを感じなかった。60年安保ブントを率いた西部は、現在も革共同全国委員会の議長を務める清水丈夫と確か東大経済学部の同期で親しかった筈。それはさておき本書では保守の水脈の先端に福田恒存がいるのに対し、その起点には福沢諭吉がいる、としている。諭吉といえば、幕臣から明治新政権の高位に着いた勝海舟と榎本武揚を批判した「瘦我慢の記」があるが、本書では勝や榎本が「荷物をば担わずして休息する者」の代表者とみえたからである、としている。福田恒存については私は彼の著作を読んだことがないので論評はできない。しかし「あとがき」で「何を隠そう、私の思想の師は福田恒存その人なのであり、本書を携えて氏にお会いさせてもらうべく大磯に出かける楽しみが私を待ってくれているわけなのである」と記しているのを読むと、西部の福田への傾倒ぶりがうかがえるというものだ。
3月某日
「僕の女を探しているんだ」(井上荒野 新潮社 2023年2月)を読む。帯に「大ヒットドラマ『愛の不時着』に心奪われた著者による熱いオマージュの物語」とある。「愛の不時着」は観ていないのですが、仄聞するに「北朝鮮に不時着した韓国の令嬢と北朝鮮将校の恋物語」らしい。本書は9編の恋物語の連作。共通するのは「イ…」と名乗る長身、イケメンが恋物語の主人公を助けてくれること。彼は異国出身で日本に来てから日が浅い。韓国出身とは明示されていないが、「イ…」と名乗ることから韓国から来たことが示される。彼は愛する人を探しに日本に来た。タイトルがそれを示している。瑞々しい恋の物語に私はすっかり感動してしまった。今年75歳になるんですが、まっいいか。
3月某日
「この世界の問い方-普遍的な正義と資本主義の行方」(大澤真幸 朝日新聞出版 2022年11月)を読む。本書は朝日新聞出版の月刊PR誌「一冊の本」の連載を再編集し、加筆したものという。内容は「ロシアのウクライナ侵攻」「中国と権威主義的資本主義」「アメリカの変質」「日本国憲法の特質」の4章建て。東大社会学の見田宗介ゼミの出身。本書を読む限りについては大澤の主張には反対すべきものはなかった。ロシアにとってウクライナは「ほとんどわれわれ」だったが、そのウクライナが親西欧の大統領を選択しEUやNATOへの加盟を準備しているという―これをロシア、プーチンは許容できなかったのだ。その根底にあるのは「プーチンの、(さらに一般化すれば)ロシア人の、ヨーロッパ(西側)に対する劣等感とルサンチマンだ」としている。この劣等感を解消させるのは「自らがヨーロッパ以上のヨーロッパたりうることを示し」、自国政府つまりプーチンとその政府を「打倒し、戦争を終結させることである」と宣言する。私が思うにロシアのウクライナ侵攻は日本帝国の韓国併合、中国大陸侵略、満洲国建国を思い浮かべさせる。さらに大澤は日本人および日本の政治家に対し、ウクライナの側に立つにあたって、「それが国益にかなっているかだけを考えている」「何がグローバルで普遍的な正義に貢献できるのか、という観点を持っていない」と批判する。ウクライナを訪問した岸田首相のお土産が必勝と書かれた広島のシャモジだったという。「グローバルで普遍的な正義」のカケラも見られないではないか。
中国の現状を権威主義的資本主義とする大澤は、資本主義が発展すると「ある段階で、十分な生産力の発展を阻害するものになる。このとき、(資本主義的な)生産関係を変える革命が起き、社会主義が到来する」というマルクス主義の法則をあげ、中国ではまったく逆のことが起きているとする。中国では「社会主義的な生産関係が、生産力の発展に桎梏となっていた」ために、「改革開放」によって「生産関係を、資本主義的なものへ転換した」のである。大澤が危惧するのは権威主義的資本主義は中国だけでなく資本主義の本家たる米国にも及ぼうとしていることだ。GAFAMに代表されるIT企業は「サイバースペース上の私的所有権を活用して利益を得ている」。この私的所有権は国家権力によって保障されている。これは「権威主義的資本主義ではないか」というのが大澤の危惧である。大澤は「資本主義の行き着く先が、権威的資本主義であるとすれば、結局、求める社会は、資本主義そのものの超克を含意していることになる」と主張する。どうするニッポン、日本資本主義。