5月某日
「弥生人はどこから来たのか―最新科学が解明する先史日本」(藤尾慎一郎 吉川弘文館 2024年3月)を読む。サブタイトルの「最新科学」とは、「酸素同位体比年輪年代法や核ゲノム分析といった自然科学と考古学との学際的研究によって新たな事実が明らかにされた」ことを指しているようだ。私が知り得た考古学は、もっぱら発掘調査によって土器の破片や石器などを採集して、その発掘された地層などからそれらが使われていた時代を想定するといったものだったと思う。今後、人工知能なども活用して考古学の分析も深まるのであろうか。私の習った日本史では確か弥生時代に入って稲作が日本に入ってきたことになっていたが、本書によるとそれはもっと早く縄文晩期、紀元前10世紀ころまで遡るらしい。本書では「水田稲作開始後、およそ100年たった前9世紀後半には環濠集落が出現して戦いも始まり、そして富める者は墓に副葬品を添えて葬られるなどの階層差が生じていることがわかる」としている。おそらくこの頃が原初的な国家と私有財産に基礎を置く階級差が生まれ原初的な部族国家による戦争もあったのだろう。弥生人は縄文人の後継たる晩期縄文人と稲作をもたらした韓半島南部からの渡来人との通婚の結果ということだろうか。興味は尽きない。
5月某日
週刊文春の5月30日号が届く。なにげなく「家の履歴書」のページを開く。これは有名人が自分の住居の変遷を語るというページだ。今週号は塩見三省(俳優)である。塩見は山陰地方の日本の四方を山に囲まれた町で育ち、同志社大学に進学、1970年に卒業。イギリス滞在を経て上京、アングラ劇団に触れやがて俳優の道を歩む。居候だった塩見は吉祥寺のジャズ喫茶「ファンキー」に通うようになる。私が早稲田に入学した1968年、サークルはロシヤ語研究会というところに入ったのだが、1年先輩に野口暁という人がいて実家が吉祥寺のジャズ喫茶「ファンキー」ということだった。塩見は店のオーナーの野口伊織さんと親しくなるが、ネットで調べると野口伊織さんは1942年生まれ。私の知っている野口暁さんはラグビーに熱中して早稲田高等学院を5年で卒業して、早稲田に入学したのは1967年、20歳のときだ。ということは1946か47年の生まれだから野口伊織の弟ということになる。暁さんは1年生のときは共産同マル戦派の活動家だったらしいが、マル戦派の拠点、社会科学部の自治会を革マル派に奪われ、活動家はバラバラになってしまった。行き場を失った暁さんもロシヤ語研究会に顔を出すようになったらしい。暁さんは高等学院の頃からロシヤ語をやっていた。将来はロシヤ語を活かした仕事をするのかと思っていたが、なぜか私や同じロシヤ語研究会の森幹夫君らと一緒に、北千住の水野勝吉さんの下で土方のバイトをするようになった。暁さんはラグビーをやっていただけに力も強く、肉体労働向きではあったけれど。結局、野口さんは大学を辞め、本職の土方になった。その後のことは分からない。
5月某日
「日本の先史時代-旧石器・縄文・弥生・古墳時代を読みなおす」(藤尾慎一郎 中公新書
2021年8月)を読む。藤尾先生の著作を読むのは「弥生人はどこから来たのか」に続いて2冊目。私は子どもの頃から歴史好きではあったけれど、興味を持ったのは織田・豊臣以降の時代で、とくに中年以降は愛読した司馬遼太郎の影響もあって幕末、明治維新、日清・日露戦争の頃に興味を抱いた。近年は退職して時間があることもあって東大教授の加藤陽子先生や2年ほど前に亡くなった半藤一利さんの著作に親しむことが多かった。そして藤尾先生の著作に触れて、「日本人とは」「日本という国の始まりは」「米作が始まったのは」ということに興味を抱くようになった。日本の旧石器時代はおよそ3万年前ころとされる。鹿児島県種子島の立切遺跡から石皿や集石遺構が発見されている。集石遺構とは調理に行ったと考えられる遺構である。次に大きな考古学的変化があらわれるのは1万6000年前。これから縄文時代の始まる1万1700年前までが旧石器時代から縄文時代への移行期とされる。旧石器時代になくて縄文時代に出現するのが土器と土偶、竪穴式住居である。住居の存在は家族の存在も連想させる。縄文時代の晩期から稲作が行われる。九州北部と本州の日本海側で韓半島との交流が確認される。弥生時代から環濠集落が出現する。環濠集落にしろ水田耕作にしろ集団の力が必要であるから、この頃から集団のリーダーが出現し、後の王となって行く。王の王が大王(おおきみ)であり、まぁこれが天皇制の原型となって行く。権力者の登場にともない権力者の墳墓も大型化する。古墳の登場である。藤尾先生は考古学者だが、マルクスの史観を参考にしながら藤尾先生の著作を読むのも面白いと思われる。
5月某日
日本の先史時代に興味を持ったので佐倉の国立歴史民俗博物館に行くことにする。我が家からバスで5分ほどで我孫子駅。我孫子駅から成田線で小1時間でJR成田駅。成田駅から2駅で佐倉である。佐倉駅前の王将でランチ、佐倉駅からはバスで博物館の前まで行ける。博物館では日本の先史時代を2時間ほど堪能。土器や石器、先史時代の武器など書物では分からないリアルを感じることができた。ウイークデイなので観客もまばら。博物館前からバスに乗車、京成佐倉駅で下車。京成線で京成成田駅へ向かい、早めの夕食をとるつもりだったが、逆方向の上野行きに乗ってしまった。京成船橋で下車、東武船橋から柏へ。柏で常磐線我孫子へ。我孫子で「しちりん」で夕食兼一杯。隣の酔客と雑談、私より2歳上だそうだ。話に夢中になって図書館で借りた本を忘れてきてしまった。
5月某日
「しちりん」に忘れてきた本をとりに行かなければならないが、「しちりん」のオープンは15時から。それで15時まで床屋さんで散髪をしてもらうことにする。「カットクラブ・パパス」へ向かう。ここは散髪代が3500円で以前行っていた近所の床屋さんより1000円高い。しかし近所の床屋さんは25日に1回ほど行っていたが、今度の床屋さんは35~40日に1回などで実質的な負担は変わらない。散髪後、「しちりん」に行くと店員の「みゆきさん」が本をビニール袋に入れて保管しておいてくれた。ホッピーを3杯程呑む。
5月某日
「弥生人はどこから来たのか―最新科学が解明する先史日本」(藤尾慎一郎 吉川弘文館 2024年3月)を読む。サブタイトルの「最新科学」とは、「酸素同位体比年輪年代法や核ゲノム分析といった自然科学と考古学との学際的研究によって新たな事実が明らかにされた」ことを指しているようだ。私が知り得た考古学は、もっぱら発掘調査によって土器の破片や石器などを採集して、その発掘された地層などからそれらが使われていた時代を想定するといったものだったと思う。今後、人工知能なども活用して考古学の分析も深まるのであろうか。私の習った日本史では確か弥生時代に入って稲作が日本に入ってきたことになっていたが、本書によるとそれはもっと早く縄文晩期、紀元前10世紀ころまで遡るらしい。本書では「水田稲作開始後、およそ100年たった前9世紀後半には環濠集落が出現して戦いも始まり、そして富める者は墓に副葬品を添えて葬られるなどの階層差が生じていることがわかる」としている。おそらくこの頃が原初的な国家と私有財産に基礎を置く階級差が生まれ原初的な部族国家による戦争もあったのだろう。弥生人は縄文人の後継たる晩期縄文人と稲作をもたらした韓半島南部からの渡来人との通婚の結果ということだろうか。興味は尽きない。
5月某日
週刊文春の5月30日号が届く。なにげなく「家の履歴書」のページを開く。これは有名人が自分の住居の変遷を語るというページだ。今週号は塩見三省(俳優)である。塩見は山陰地方の日本の四方を山に囲まれた町で育ち、同志社大学に進学、1970年に卒業。イギリス滞在を経て上京、アングラ劇団に触れやがて俳優の道を歩む。居候だった塩見は吉祥寺のジャズ喫茶「ファンキー」に通うようになる。私が早稲田に入学した1968年、サークルはロシヤ語研究会というところに入ったのだが、1年先輩に野口暁という人がいて実家が吉祥寺のジャズ喫茶「ファンキー」ということだった。塩見は店のオーナーの野口伊織さんと親しくなるが、ネットで調べると野口伊織さんは1942年生まれ。私の知っている野口暁さんはラグビーに熱中して早稲田高等学院を5年で卒業して、早稲田に入学したのは1967年、20歳のときだ。ということは1946か47年の生まれだから野口伊織の弟ということになる。暁さんは1年生のときは共産同マル戦派の活動家だったらしいが、マル戦派の拠点、社会科学部の自治会を革マル派に奪われ、活動家はバラバラになってしまった。行き場を失った暁さんもロシヤ語研究会に顔を出すようになったらしい。暁さんは高等学院の頃からロシヤ語をやっていた。将来はロシヤ語を活かした仕事をするのかと思っていたが、なぜか私や同じロシヤ語研究会の森幹夫君らと一緒に、北千住の水野勝吉さんの下で土方のバイトをするようになった。暁さんはラグビーをやっていただけに力も強く、肉体労働向きではあったけれど。結局、野口さんは大学を辞め、本職の土方になった。その後のことは分からない。
5月某日
「日本の先史時代-旧石器・縄文・弥生・古墳時代を読みなおす」(藤尾慎一郎 中公新書
2021年8月)を読む。藤尾先生の著作を読むのは「弥生人はどこから来たのか」に続いて2冊目。私は子どもの頃から歴史好きではあったけれど、興味を持ったのは織田・豊臣以降の時代で、とくに中年以降は愛読した司馬遼太郎の影響もあって幕末、明治維新、日清・日露戦争の頃に興味を抱いた。近年は退職して時間があることもあって東大教授の加藤陽子先生や2年ほど前に亡くなった半藤一利さんの著作に親しむことが多かった。そして藤尾先生の著作に触れて、「日本人とは」「日本という国の始まりは」「米作が始まったのは」ということに興味を抱くようになった。日本の旧石器時代はおよそ3万年前ころとされる。鹿児島県種子島の立切遺跡から石皿や集石遺構が発見されている。集石遺構とは調理に行ったと考えられる遺構である。次に大きな考古学的変化があらわれるのは1万6000年前。これから縄文時代の始まる1万1700年前までが旧石器時代から縄文時代への移行期とされる。旧石器時代になくて縄文時代に出現するのが土器と土偶、竪穴式住居である。住居の存在は家族の存在も連想させる。縄文時代の晩期から稲作が行われる。九州北部と本州の日本海側で韓半島との交流が確認される。弥生時代から環濠集落が出現する。環濠集落にしろ水田耕作にしろ集団の力が必要であるから、この頃から集団のリーダーが出現し、後の王となって行く。王の王が大王(おおきみ)であり、まぁこれが天皇制の原型となって行く。権力者の登場にともない権力者の墳墓も大型化する。古墳の登場である。藤尾先生は考古学者だが、マルクスの史観を参考にしながら藤尾先生の著作を読むのも面白いと思われる。
5月某日
日本の先史時代に興味を持ったので佐倉の国立歴史民俗博物館に行くことにする。我が家からバスで5分ほどで我孫子駅。我孫子駅から成田線で小1時間でJR成田駅。成田駅から2駅で佐倉である。佐倉駅前の王将でランチ、佐倉駅からはバスで博物館の前まで行ける。博物館では日本の先史時代を2時間ほど堪能。土器や石器、先史時代の武器など書物では分からないリアルを感じることができた。ウイークデイなので観客もまばら。博物館前からバスに乗車、京成佐倉駅で下車。京成線で京成成田駅へ向かい、早めの夕食をとるつもりだったが、逆方向の上野行きに乗ってしまった。京成船橋で下車、東武船橋から柏へ。柏で常磐線我孫子へ。我孫子で「しちりん」で夕食兼一杯。隣の酔客と雑談、私より2歳上だそうだ。話に夢中になって図書館で借りた本を忘れてきてしまった。
5月某日
「しちりん」に忘れてきた本をとりに行かなければならないが、「しちりん」のオープンは15時から。それで15時まで床屋さんで散髪をしてもらうことにする。「カットクラブ・パパス」へ向かう。ここは散髪代が3500円で以前行っていた近所の床屋さんより1000円高い。しかし近所の床屋さんは25日に1回ほど行っていたが、今度の床屋さんは35~40日に1回などで実質的な負担は変わらない。散髪後、「しちりん」に行くと店員の「みゆきさん」が本をビニール袋に入れて保管しておいてくれた。ホッピーを3杯程呑む。