6月某日
早稲田大学のサークル(ロシヤ語研究会)の3年後輩だった長田君が亡くなった。友人の友野君が電話で知らせてくれた。新宿区の落合斎場の通夜に参列することにする。我孫子から千代田線で大手町へ。東西線に乗り換えて早稲田、高田馬場の次が落合。徒歩5分ほどで斎場に。通夜はすでに始まっていて僧侶の読経の声が響く。祭壇には長田君の在りし日の笑顔が輝く。いい写真だ。焼香。参列者に知っている顔はいない。友野君は明日の葬儀に参列すると言っていた。お清めの席にも寄らず退席。落合から地下鉄で飯田橋へ、JRに乗り換え秋葉原、山手線で上野へ。上野から常磐線で我孫子へ。常磐線では席を譲られる。席に座って見上げると、譲った人は髪の薄くなった50代後半から60代の人。平気でシルバーシートに座っている若い人もいるが、譲ってくれるのは年配者が多いというのが私の印象。
6月某日
「摂関政治-古代の終焉か、中世の開幕か」(大津透他 岩波書店 2024年11月)を読む。「シリーズ古代史をひらくⅡ」の最終巻。タイトル通り後期平安時代の摂関政治を取り上げている。摂関政治とは摂政、関白がリードする政治ということであろう。それ以前は律令制のもと、中央集権的な支配体制が築かれ、税も中央政府(朝廷)により一元的に管理されていた。それが私的な荘園が広範囲に拡大し、私的領有と公的領有が並立するようになったらしい。しかし何といってもこの時代を画するのは平和な時代ということであろう。摂関政治以前には古くは壬申の乱、大化の改新といった内乱、クーデターがあったし、白村江の戦いに見られる朝鮮半島への出兵もあった。また時代が下れば平安末期には源平の合戦があり、鎌倉時代には二度にわたる元寇があった。平和な時代を背景にして貴族社会では文藝が興隆した。漢詩、和歌などに加えて源氏物語、枕草子などの小説、随筆でも見るべきものがあった。源氏物語、枕草子など女性が執筆したものは女房文学と呼ばれる。私は日本史に興味があるけれど、どうしても動乱期に興味が集中するきらいがある。源平の争乱や、南北朝、応仁の乱、戦国時代、関ヶ原から大坂の陣、幕末の尊王攘夷という具合である。本書を読んで摂関時代にも親しんでみようと思う。
6月某日
「道長ものがたり-『我が世の望月』とは何だったのか―」(山本淳子 朝日新聞出版 2023年11月)を読む。「摂関政治」に続いて、この時代をリードした藤原道長を巡る物語である。道長の時代を画するのは、道長はじめ当時の有力者が、天皇または皇太子にみずからの娘を妃として入内させ、皇子を得ようとしたことである。この皇子が成人前にミカドになれば、妃の父となる有力者は摂政として、政治を司ることができるからだ。ミカドの外祖父として権力を握る、このような例は世界史でも例のないことでなかろう。しかし道長の時代のようにそれが百年も続いたというのは、珍しいのではないか?道長には天皇を廃してみずから王となる選択肢はなかった。天皇制は温存しつつ、実際の権力は摂関家(藤原氏)や将軍家(鎌倉、足利、徳川)が握るという伝統である。ひるがえって現代も、天皇制は象徴天皇制として残しつつ、実際の権力は議院内閣制のもと、内閣総理大臣が握っているということであろう。
6月某日
社会福祉法人にんじんの会の評議員会に出席。会場は立川の同法人の研修センター。前回は立川駅から会場にたどり着けず欠席してしまったが、今回は30分前に無事、到着することができた。中村理事長と石川常務理事及び各施設の管理者から法人運営について説明があり、了承した。経営は順調に推移しているようだ。実務を担っている石川常務の手腕と職員の能力向上によるものと思う。石川常務の母親で創業者の石川はるえさんは欠席とのことだった。会議の終了後、近くの「末広」で食事。幹部職員と楽しく歓談することができた。
6月某日
「マル」(平沢克己 集英社インターナショナル 2025年3月)を読む。平沢克己は1950年東京・蒲田生まれ、早稲田大学理工学部卒業後、翻訳会社を立ち上げる。私は1948年北海道生まれで早大政経学部卒。生まれは東京の下町と北海道の山のなかという違いはあるが、反骨精神が旺盛なところなど一部共通点があり、面白く読んだ。私は当時、盛り上がっていた学生運動にのめり込んだが、平沢は冷静だったようだ。東京育ちと北海道育ちの違いだろうか。