モリちゃんの酒中日記 11月その3

11月某日
「最新アイヌ学がわかる-従来のアイヌ観を塗り替える試み」(佐々木史郎 北原モコットゥナシ監修・執筆 A&FBOOKS 2024年10月)を読む。私は北海道の室蘭で高校を卒業するまで暮らした。小学校では2学年上の兄にアイヌの友人がいた。私の同級生にはアイヌの女の子がいた。室蘭は当時、道内有数の工業都市であったが私の住む水元町は、室蘭工大の学生と関係者だけが住む田舎であり、それだけにアイヌの人たちも住んでいたのだと思う。本書を読んで私のアイヌ観も少し改められた。マーク・ハドソンは「アイヌ社会では階層化が進まなかった」とし、グレーバーの「人間は可能ならば社会の階層化を避けようとする」という見解を紹介している。アイヌは狩猟採取を主とした民であった。雑穀等の農業も一部行っていたようだが。戦国から江戸時代にかけて北海道の南部、松前地方を中心にして和人の支配が行われたが、北海道の大部分はアイヌが自由に支配する土地だった。明治以降、アイヌは土地を追われ居住地に囲い込まれた。アメリカ大陸の先住民たるインディアンと同じような運命をたどることになる。先住民としてのアイヌに想いを馳せると、征服民(和人)の末裔たる私は、何とも申し訳のない気持ちになるのだが。

11月某日
「口訳 太平記 ラブ&ピース」(町田康 講談社 2025年9月)を読む。惹句に曰く。「南北朝の動乱を描いた日本最大の軍記物語が唯一無二の文体と圧倒的な面白さで生まれかわる‼」。鎌倉時代の末期、北条高時が率いる鎌倉の武家政権に対して、後醍醐天皇が反旗を翻し、天皇親政を敷こうと企てた。その一連の動きを軍記物語として記したのが太平記。それを現代語訳、口訳したのが本書である。町田康には「義経記」の現代語訳「ギケイキ」や「口訳 古事記」などがある。古典への深い愛情と理解から生まれたと言ってよい。日本の天皇制は時代とともにその中身をかえてきた。古代、奈良時代ころまでは天皇が実権を握っていた。平安朝になると藤原氏が政治の実権を握る。藤原氏に代わって平清盛が太政大臣となるが清盛没後、源頼朝が征夷大将軍となる。源氏は三代で途絶え、実権は幕府執権としての北条氏が握る。最後の執権となるのが北条高時で、北条氏に代わって京都の室町に幕府を開いたのが足利尊氏だ。平安朝以降で天皇が実権を握っていたのは後醍醐天皇の一時期しかない。明治維新の王政復古の大号令により、天皇親政が復活したかに見えたが、実態は立憲的君主制であり、天皇機関説は明治憲法からしても正しかった。私見ながら長い日本の歴史のなかで、天皇が政治的な権力を握っていた時期は短く、むしろ象徴的な権力を保持していたとみるべきと思う。象徴的な権力のさらなる象徴が三種の神器ということになろう。

11月某日
大相撲九州場所でウクライナ出身の安青錦が初優勝、大関昇進が決まった。ウクライナ出身の大関は史上初。18歳で来日し関西大学相撲部で稽古をし、相撲部の主将の家に居候していたという。日本語も上手で礼儀正しい。2022年2月のロシアのウクライナ侵攻から来年で4年。ウクライナの人には安青錦の優勝に勇気づけられた人も多かったに違いない。大相撲の国際化の歴史は朝鮮半島の出身だった力道山に始まる。戦後はハワイ出身の高見山かな。それからモンゴル出身が大関、横綱に昇進が相次いだ。大相撲の国際化には反対の意見もあるかも知れないが、私は賛成。オリンピックの種目にも加えてもらいたい。

11月某日
山の木の実が不作ということで熊が人里に出て来ているらしい。昨日の朝日新聞の俳壇歌壇欄にも熊のことがとりあげられていた。「大学へ滑走路へと熊走る(川崎市 吉田泰子)」「熊のこと俳句に作るゆとりなく(奈良市 笠原滋功)」「木枯しや熊はせつなき胃を抱ふ(日立市 加藤宙)」「熊鈴をつける子つけぬ子各々の下校始まる盛岡市街(盛岡市 福田栄紀)」「「射殺」とう慙無き言葉は使用せずハエ蚊のごとく熊は「駆除」さる」(加東市 藤原明)など。クマ騒動は無粋だが、そこに風流を感じる人もいるってことね。