12月某日
「激しく煌めく短い命」(綿矢りさ 文藝春秋 2025年8月)を読む。600ページを超える大作。しかし面白かったので3日ほどで読み終えてしまった。二人の女性どうしの恋愛を描く。舞台は京都で久乃と綸は中学1年で同じクラスとなり仲良くなる。綸の家は中華料理店で両親は中国出身。久乃の家はサラリーマン家庭だが両親の仲は悪く、父親の出身地域は差別されているようだ。恋愛小説ではあるが外国人差別や出身地域差別の問題も底流にある。第2部は20年後、久乃は大卒後、広告代理店に入社し営業部に配属され、営業成績を上げるためには「枕営業」も辞さない。「枕営業」は久乃の自己肯定感が低いことを象徴している。久乃は綸と再会、曲折はあるもの二人の恋愛関係は復活する。綸は仕事上のパートナーとも恋愛関係にあり、パートナーの子を妊娠し出産する。久乃は綸と子供を引き取り、家族となることを決意する。二人は同性婚に至るのだが、それをきわめて肯定的に描く小説である。
12月某日
「シン・アナキズムー世直し思想家列伝」(重田園江 NHK出版 2025年7月)を読む。重田園江は早稲田大学政経学部卒で、藤原保信門下。政府系金融機関に1年務めた後、東大の大学院へ。現在は明治大学政経学部教授。本書は重田がアナキストと信ずる4人の評伝というか紹介である。5人はジェイン・ジェイコブズ、ヴァンダナ・シヴァ、森政稔、カール・ポランニー、デイヴィッド・グレーバーである。私にとってヴァンダナ・シヴァは初めて聞く名前だし、他の4人も名前を聞いたことがある程度である。しかし、序の「私はいかにして心配するのをやめ、アナキストについて書くことにしたか」を読んで、俄然、中身に興味を持った。序に曰く「アナキズムは体系的ではない。「体系的アナキズム」とは、かなり笑止な語義矛盾に陥っている。またアナキズムは「全体」を標榜したり、唯一の正しさを主張したりしない。-…それは理論ならざる理論であり、ある種の生の様式である」。これはマルクス主義を標榜する日本の新旧左翼に対する批判としても読める。日本共産党にしろ新左翼にしろ、体系的な理論を持ち、「唯一の正しさを主張」している。他党派は解体の対象でしかない。私は大学1年のときは学部の自治会を握っていた党派のヘルメットを被ってデモに行っていたが、その党派が革マル派に追われ、東大駒場に亡命したころからその色のヘルメットを被るのを辞めた。大学2年の4月、私たちは反革マルの党派とともに黒ヘルを被って大学本部に突入した。それが私の大学における全共闘の母体となった。今想うと全共闘はアナキズムと極めて近かったと思う。
12月某日
「戦後「社会科学」の思想―丸山眞男から新保守主義まで」(森政稔 NHK出版 2020年3月)を読む。著者の森政稔は「シン・アナキズム」にも登場する。猫好きで取手から駒場まで通勤するどちらかというと「変人」扱いされていた。しかし本書は森が東大教養学部でのノートをもとにして書き下ろした戦後「社会科学」の通史である。戦後という時代区分に異議はない。けれども私は現代という時代区分でいうなら1914~1919年の第一次世界大戦と1917年のロシア革命としたい。ロシア革命は世界大戦中のロシア国内の厭戦・反戦ムードの高まりの中で始まった。10月革命に勝利したロシア共産党(ボルシェビキ)は史上初のプロレタリア独裁を実現させた。しかしプロレタリア独裁はボルシェビキ独裁に、ボルシェビキ独裁は書記局独裁に、書記局独裁は書記長(スターリン)独裁に転嫁されていった。20世紀の終わりにソ連は崩壊したが、民主化は束の間で終わり現在はプーチンによる独裁が続いている。森は戦後を①「戦後」からの出発②大衆社会の到来③ニューレフトの時代④新自由主義的・新保守主義的転回-に区分している。本書の執筆時は第二次安倍政権のときと思われるが、当時の保守政権は現在の高市政権に踏襲されている。私は台湾の現在の民主主義的な政権を支持し、中国の膨張主義的な政権に危惧抱くものである。しかし、日本の戦後で一番大事なものと言えば、私は躊躇なく平和と答える。高市さん、頼みます。
12月某日
大学の同級生で新橋で弁護士事務所を開いている雨宮先生の事務所を訪問。事務所でビールと日本酒を呑んでいると同じ同級生の吉原君も来る。雨宮先生が予約をしていてくれた近所の高級焼き鳥屋へ向かう。私たちが大学生活を送ったのは1968~72年。私は1年の浪人生活を送ったのちに早稲田に入ったのだが、雨宮先生も吉原君も67年に現役で入学しているそうだ。雨宮先生は国立大学を再受験するため、吉原君はクラブ活動が忙しく、授業に出なかった。そのため私たちは同級生となったわけだ。当時は学生運動が盛んで私たちのクラスも私たち全共闘系と民青系に分かれて対立していた。民青系と言っても同盟員は恐らくリーダーだった清君くらいで、あとは秩序派。清君は後に近畿大学の哲学の教授になって「高橋和巳論」という本も出した。
12月某日
「九月を生きた人びと-朝鮮人虐殺の「百年」」(加藤直樹 ころから 2025年9月)を読む。1923(大正12)年9月1日の正午前、大きな地震が関東地方を襲った。関東大震災である。このとき自警団や軍隊、警察によって多くの朝鮮人、中国人、そして日本人の社会主義者やアナキストが殺された。本書にはそれに関連して著者の行った講演や雑誌に発表した文章などがおさめられている。著者は虐殺の背景には1919年から4年間続いたシベリア出兵がある、としてこう記している。「関東大震災に至る時期、日本が満洲からシベリアにかけての広大な地域で、朝鮮、ロシア、中国の民衆そのものを敵とみなす苛烈な戦争の泥沼に足をとられていたことである」。虐殺されそうになった中国人の一人が、後に中華料理店を開業する。後の王貞治選手の父親、王仕福(ワン・シーフ)さんである。
12月某日
「原点 THE ORIGIN-戦争を描く、人間を描く」(安彦良和×斉藤光政 岩波現代文庫 2025年9月)を読む。安彦はアニメーターとして「機動戦士ガンダム」などを産み出し、その後漫画家として「クルドの星」「紅色のトロツキー」などの作品がある。1947年、オホーツク海に近い北海道の遠軽で育ち、高卒後、弘前大学に入学。全学共闘会議の主要なメンバーとなり、退学処分を受ける。上京後、写植屋に務めた後、虫プロに入社、アニメーターとなる。私は48年生まれで北海道の室蘭で育ち、1浪後早稲田大学に入ったから、私が1年のときに安彦は3年、安彦が退学になったのが4年で、そのとき私は早稲田の2年生で全共闘運動に参加して逮捕起訴された。幸いにも処分されることもなく4年で卒業したが、卒業後、務めたのが写植屋であった。安彦とは共通点がいくつかあるのだ。ということもあってこの本は楽しく読めた。安彦が今でも反戦平和への強い思いを持っていることにも共感した。
