社長の酒中日記 4月

4月某日
 京都嵐山の天龍寺ではこの季節、桜を見る会、観桜会が開催される。観桜会に合わせて厚労省の元次官A沼さんと京都での呑み会をセットしたので行くことにする。住宅情報の元編集長O久保さんもその日は京都にいるというので一緒に呑むことにする。会場はO久保さんにお任せ。午後1時東京駅発の「のぞみ」に乗車、京都駅で山陰本線に乗り換える。嵯峨嵐山が最寄りの駅なのだが、以前だいぶ歩いたことを思い出し、ひと駅手前の太秦からタクシーで行くことにする。しかしこれが大間違い。太秦駅周辺にはタクシーの影さえないではないか。20分くらい歩いて幹線道路に出てしばし空車を待つ。何とか空車にありついたが30分以上も時間をロスしてしまった。芥川賞作家にして禅僧の玄侑宗久の講話も1時間ほど聞き逃す。でも「泥の中にこそハスの花が咲く」という言葉が印象的だった。
 17時から花見の宴が始まる。HCMのH田会長が手配してくれた席に座り。用意された弁当をつまみに日本酒を呑む。1時間ほどで中座し、A沼さんやO久保さんが待っている料理屋へタクシーで向かう。御幸町三条上ルの「つばき」という店だ。タクシーに三条上ルと店の名前を言っただけでタクシーは店の前へ。私ら外の人間からすると京都の地番は分かりにくいが、京都の人にとってはとても分かりやすいのだろうと感心する。美味しい京都料理と日本酒をご馳走になる。カウンター越に料理人のつくる領地をいただくというのは何も京都でなければ味わえないということではないが、京都はまた格別と田舎者の私は思うのであった。

4月某日
 天龍寺で講演を聞いた玄侑宗久の「祈りの作法」(新潮社 2012年7月刊)を読む。玄侑は慶大文学部中国文学科失業後、さまざまな職に就いた後天龍寺道場で修業、現在は福島県三春の臨済宗妙心寺派の福聚寺の住職。もちろん芥川賞受賞作家でもあるのだが、本書は小説じゃなく東日本大震災、とりわけ福島原発事故に見舞われた生々しい被災の記録であると同時に、日本人として今、原発とどう向き合うかを問うていると思う。玄侑は震災後、皇室と自衛隊の存在感が自分の中で大きくなったという。今回の震災で感じられた皇室、とりわけ天皇皇后両陛下の慈愛、そして自らの危険を顧みず救援、捜索にあたった自衛隊の活動については全く同感。そして低線量の放射線とどう付き合っていくか、感情論ではなく、また福島県民の問題ではなく、日本国民全体の課題であることがよくわかった。

4月某日
 今朝の日経新聞の経済教室で松井彰彦という東大教授が「経済なき道徳は戯言であり道徳なき経済は犯罪である」という二宮尊徳の言葉を引いて「道徳と経済原理の融合を」と説いていた。「経済と道徳の融合をわれわれ一人ひとりが心がけ、自分の身近なところから行動を起こせば、日本の潜在力はまだまだ引き出せる」とも書いていた。全く同感である。だが言うは易し、行うは難しである。身近なところからこつこつとやっていくしかないのだろう。私も絶望せずに頑張らなければ。

4月某日
 HCM㈱のO橋取締役とO橋さんの高校の卓球部の後輩、M浦さんと葡萄舎で呑む。O橋さんが後輩で面白いのがいるからとM浦さんを紹介してくれたのだ。M浦さんは高卒後坊都市銀行に就職、その後いくつかの会社の経営に携わっている。私が面白く感じたのは、靴磨きの会社を立ち上げた話。靴磨きのイメージを一新して国際ビルや大手町ビルに出店、料金も1回千円と高めに設定した。店は繁盛したが内紛が発生してM浦さんは追放されたという。M浦さんは靴磨き会社の経営だけでなく、靴磨き技術も修行、「今でも靴磨きは日本で一番旨いと思っています」という。靴の皮の種類や状態によって靴磨きの材料や磨き方を変えるのだそうだ。実にうなずける話であった。この話を民介協のO田専務に話したら「面白い」と言ってくれたうえ、「僕だったらフットマッサージと靴磨きを組み合わせてみたいな」とも。新しいビジネスの可能性があるような気がするが。

4月某日
 愛宕山で花見。6時に愛宕神社あたりでと約束したが、私が大幅に遅刻。メンバーは東急住生活研究所のM月久美子さんと健康生きがい財団のO谷常務、元住文化研究協議会のK原さん、それと当社のI佐。もっともI佐は仕事で花見には参加できず、呑み会から参加。呑み会はHCMのM社長に何度か連れて行ってもらった西新橋の「ぜん」。おいしい日本酒をいただく。

4月某日
 健康生きがい財団のO谷常務と打合せ。石巻の介護事業者「ぱんぷきん」が厚労省の「老人保健健康増進等補助事業」で行った「高齢者『ボランティアマッチング』実践ハンドブック」を見せたらえらく共感していた。打合せ後、神田駅東口の津軽料理の店「跳人」へ。ホタテの貝味噌料理などをいただく。日本酒は田酒、凡など青森の地酒。税理士のH子先生が数人の税理士の先生方と「跳人」に見える。先生にO常務を紹介する。結核予防会のT下常務から携帯に電話。神田駅南口の三州屋にいるという。O常務と別れて三州屋へ。フィスメックのK出社長とFPのW辺さんが同席。4人でスナックへ流れる。フーッ、今週も呑み過ぎ。

4月某日
「てらさふ」(朝倉かすみ 文藝春秋 2014年2月刊)を読む。我孫子図書館のパソコンで新着図書を検索していたら「在庫」となっていたので借りる。朝倉かすみという作者は初めて。1960年北海道生まれだから私より12歳、一回り若い。小樽在住の中学生・堂上弥子と鈴木笑顔瑠(にこる・ニコ)の物語。小説の新人賞への応募原稿を見つけた弥子は、賞をとりやすいように文章を改竄し、ニコが書いたことにして投稿、ついには芥川賞を受賞する。思春期の少女の揺れる心情が巧みに描かれていると思った。文体は「1Q84」の村上春樹を連想させる(と私は思った)。ファンタジーではあるが、私はなにか「STAP細胞」の小保方さんや佐村河内の騒動ともつなげて考えてしまう。小説とは別に本当の「真贋」ってなんだろうと思う。

4月某日
 民介協のO田専務と○○で焼酎を呑む。O田専務は県立奈良商業高校から富士銀行に就職、高卒ながら支店長を勤め、介護業界に出向そのまま転籍して訪問入浴の会社経営にあたり、現在に至っている。高卒で都銀の支店長を勤めただけあってなかなかの人物で、介護業界にも幅広い人脈を持っている。この日もいろいろと面白い話を聞けた。今週末、ゴルフに誘ったら「いいよ」とのこと。一緒に行くT根さんに浦安の家まで迎えに行ってもらうことにする。呑んでいる最中にそのT根さんから電話。待ち合わせ場所を決める。

4月某日
 成田のレイクウッド総成ゴルフクラブでゴルフ。メンバーは元厚労省のS継さん、Y武さん、T根さん、元社会保険庁のS木さん、N西さん、元報知新聞のKさん、民介協のO田専務、それに私。元報知のKさんは湯島のスナック、マルルでママに「こちら報知新聞の前の社長のKさん」と紹介されたのが始まり。私が「記者のときの担当はどこですか?巨人軍?」と聞いたら「読売の社会部で厚生省を担当していました」というではないか。それで「へぇ、そのときの広報室長は誰でした?」と重ねて聞くと「Y武さんです」と。私を初めてマルルに連れて来たのはY武さんなので不思議な偶然にびっくり。
 このゴルフ場には何度か来たことがあるが、植栽が丁寧に手入れされており、おまけにグリーンも十分に手入れされていて「速い」のが特徴。T根さんがメンバーで、今日はT根さんの誕生日ということで特別料金でプレーできる。おまけに帰りには参加賞までいただいてしまう。

4月某日
 町屋の「ときわ」で「介護ユーアイ」のI上さんとU木社長と待ち合わせ。I上さんは私と同い年、U木社長は1年か2年下で学生時代、同じ練馬区江古田の国際学寮で過ごした仲。U木社長は上智大学を卒業後、いろいろな職業を転々とした後、鍼灸専門学校で鍼灸師の資格を得、介護保険スタート時にケアマネージャーの資格も取得、訪問介護事業所を荒川区で開設した。I上さんは東京教育大学を卒業後、電通に入社、電通を定年で辞めた後、U木社長のもとで利用者の送迎をやっている。I上さんは送迎の仕事のなかで介護現場で働く仲間と出会い、いろいろな利用者と向き合う中で、新しい何かを発見したようだ。「けあZINE」への執筆を依頼する。今週も呑み過ぎだが我孫子駅前の「愛花」に寄る。

4月某日
「言い寄る」(田辺聖子)を読む。私は同じ小説を何度も読むということはほとんどしないのだが、田辺聖子だけは別。「言い寄る」も確か2回目。この小説の初出は「週刊大衆」の昭和48年の7月~12月までの連載小説。単行本は49年11月に文芸春秋から。文庫は53年8月に文春文庫で出ている。私が最初に読んだのはたぶん図書館で借りた集英社の「田辺聖子全集6」だと思う。31歳の独身のデザイナー乃里子が主人公。40年近く前に書かれた小説だが中身は全然古くなっていない。恋愛の切なさ、ときめきがときにユーモアを交え伝わってくる。で田辺は恋愛を描く一方で男性に従属しない女性の生き方を提案しているように思う。それも上から目線ではなく、自立して生きるということの困難さと困難を経た後の歓びの等身大の実像を伝えているような気がする。