7月某日
集団的自衛権を使えるようにするため、憲法解釈の変更を閣議決定した。集団的自衛権とは日経新聞の解説によると「米国のように日本と密接な関係にある国が攻撃を受けた場合、日本が直接攻められていなくても武力で反撃する権利」のことで、自国への攻撃に反撃する個別的自衛権と分けている。日本の歴代政権は憲法9条が許容する「必要最小限度の自衛権」の範囲を超えると解釈し、権利は持つものの行使はできないと解釈してきた。
私はこの閣議決定は容認できない。そもそも憲法解釈のような重要なことを一内閣の閣議決定で覆していいものなのだろうか?はなはだ疑問である。集団的自衛権の行使が本当に必要なら憲法解釈の変更ではなく、憲法を改正してしかるべきだと思う。最終的に容認の立場をとった公明党も如何なものか?「与党内野党」としていささか公明党に期待した私としてはがっかりである。また自民党内の旧宏池会などリベラル派の沈黙も解せない。これではまるで戦前の大政翼賛会ではないか?彼等には次の言葉を投げつけたい。「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として二度目は茶番として」。
7月某日
我孫子在住の川村女子大学副学長のY武さんに今日、我孫子でどう?と電話したら、「今、手一杯で駄目」の返事。「副学長になったのはいいけど能力を超えているわけね」と返したら「違うよ、だれもやんねぇからしかたねぇじゃないか」と言ってくる。日を改めて約束したところで元厚労省のA沼さんから「上智大学で会議が6時に終わるので神田あたりでどう?」とのメール。神田駅で待ち合わせ南口の「BEER&WINE65」という店に入る。各国のビールを300種類そろえているという。最初に呑んだちょっとスモーキーな生ビールはおいしかった。その後、グラスワインを各種。チーズなどのつまみも、A沼さんに言わせると「ボン!」。A沼さんは今日中に新幹線で京都に帰らなければならないそうで神田から東京駅へ。私は我孫子へ。最近行っている我孫子駅前のマッサージ店「癒し堂」へ寄る。1時間2980円のマッサージを受け、近くの縄のれん「愛花」で真露の緑茶割を2杯。
7月某日
年金時代の「書評」を書くのを忘れていた。我孫子駅前の東武ブックスで本を物色。実業之日本社文庫の「決戦!大坂の陣」を購入。これは大坂の陣を背景にした時代小説のアンソロジーなのだが、なぜ今、大坂の陣かというと、今年は大坂冬の陣から400年だそうで、来年の大河ドラマには真田幸村を主人公に三谷幸喜が脚本を書くという。大阪の夏の陣を最後に国内は太平を謳歌することになる。無理やり集団的自衛権の閣議決定とこじ付け、「戦後七十年近く日本は戦争に巻き込まれていない。平和の尊さを再認識した」と書いた。
7月某日
国土交通省を退職しプレハブ建築協会の専務理事に就任したG田さんのお祝いの会を神田明神下の「章太亭」で。6時半の約束に6時10分頃店に到着。「待ちますか?」と聞かれたが、「待ちません。というか待てません」と言ってビールをもらう。6時半丁度にG田さんが到着。まず乾杯。遅れて高齢者住宅財団のO合さんが参加。今日は当社のI津さんから韓国土産にいただいた韓国焼酎を持ち込ませてもらう。アルコール度数45度である。3人がそろったところで栓を開ける。いい香りだ。最初はロック、次に水割りでいただく。3人で1本空けるが、私はかなり酔っぱらう。
7月某日
NPO法人年金・福祉推進協議会の会員になっている。今日は社会保険研究所で第1回の通常総会が開催されるので出席することにする。総会後の懇親会は会社近くの「ビヤレストランかまくら橋」。私は元年金局長のK藤さん、社労士のS藤さん、シルバー人材センターのO山さんと同じ席。K藤さんは若いころ外務省に出向して北京大使館に駐在していたことがあるとか、その頃の話が面白かった。当時は直行便がなく香港からシンセンに入りそこから飛行機で北京に行ったそうだ。小さな子連れで大変だったらしがそれはそれで今となっては楽しい思い出となっているようだ。シルバー人材センターのO山さんは仕事で全国を回っており各地の日本酒に詳しかった。生ビール1杯と日本酒3杯、赤ワイン2杯。帰りは神奈川県立福祉大学のY埼名誉教授を大手町の駅まで送る。
7月某日
医療法人輝生会の理事で理学療法士のM田さんに家庭で家族がする介護について取材する。
輝生会は初台と船橋でリハビリテーション病院を運営しているほか成城や元浅草で通所や訪問リハビリを実施している。私も4年前の3月に脳出血を発症、急性期は柏の名戸ヶ谷病院に入院したのだが、回復期は厚労省のN村さんの紹介で船橋リハビリ病院にお世話になった。主治医のS田先生と熱心で優秀な理学療法士、作業療法士のおかげで1か月半の入院、退院後の半年に及ぶ通院のおかげで日常生活に不便がないくらいにまで回復できた。そんなわけでリハビリ病院に来るととても懐かしく感じてしまう。前山口県知事、山本繁太郎さんを偲ぶ会を来週やるのだが、お姉さんに連絡して写真を借りることにする。その写真が今日届いた。誠実な人柄の出たいい笑顔の写真が3枚送られてきた。
夜、HCM社のM社長お誘いで当社のI津さんと白金台の「カフェ・ラ・ボエム」というイタリアンの店に行く。中世のお城のような外観。なかは三層で中二階ではシロガネーゼと思しき若いママに連れられて3~4歳の幼児が誕生パーティらしきものをやっていた。私たちは一階の隅のテーブルに座る。20年近く前、M社長らと20人くらいでヨーロッパツアーに行ったことがあるが、そのときイタリアで行ったレストランを思い出す。注文はM社長に任せたがサラダ、チーズの前菜、カツレツ、どれも美味しかった。赤と白のワインも「ボン!」。お腹が一杯になったところでM社長が前に良く行っていたという焼き鳥屋に行くことにする。店の在ったところに行くと焼き鳥屋はなくうどん屋になっていた。M社長が中を覗くと、何と焼き鳥屋の主人がいるではないか。つまり、M社長が通わなくなってから焼き鳥屋からうどん屋へ商売替えをしたわけだ。お腹がきついので「モロキュウ」を肴に日本酒を呑む。とても楽しい1日だった。なので我孫子で駅前の「愛花」で仕上げ。
7月某日
介護職の投稿ウエブマガジン「けあZINE」のオフ会が大田区の大森で開かれる。前回は版元のSMSの肝いりで開催されたが、今回は前回集まったメンバーを中心に、自主的な集まりとなる。今回、幹事の労をとってくれたのが、大森で地域包括ケアを担っているメンバー。それで開催場所も大森となったわけ。7時からスタートということだったが、私は5時頃に大森に着く。今日の会場は北口、山王側の蕎麦屋。時間があるので南口の大衆酒場「富士川」の暖簾をくぐる。カウンターに座ると右側に60代の夫婦もの。左側に70代と思しき一人客。その隣に中年の男女3人組。酢の物3点盛りと生ビールを注文。ビールの後、吉野川を2杯。まだ6時、外は明るい。大森は北口、山王側は高級住宅地で馬込の文士村には今、朝のテレビドラマで人気の村岡花子も住んでいた。対して南口、大森海岸側は京浜工場地帯の労働者の街の風情がある。私が学生運動をしていたとき留置されていた大森警察者もこちら側の筈。今日の会場である山王側に行って、ダイシン百貨店に寄る。ここは地域に根差した高齢者に優しいデパートとして有名。店内をひと通り廻って(3階建てだから10分ほど)、外に出る。間口1間もないような古書店による。佐藤雅美の「町医 北村宗哲 やる気のない刺客」を300円で売っていたので購入。7時ちょうどに会場に着く。もうすでにみなさん集まっていた。会費を払って自己紹介。大田区の高齢者見守りネットワーク、「みまーも」の中村代表や地元のゼネコン、カドヤ建設の野口常務、地域包括支援センターの保健婦、後藤さんなどと名刺交換。帰りの電車で奈良の若名さんと秋葉原まで一緒、JR東海の認知症家族への賠償請求裁判について話す。
7月某日
SMSのユーザー向けフリーペーパーの取材で大森の山王リハビリ・クリニックへ。ここは介護保険のデイ・サービスでリハビリを行っている。歩行訓練用のポールや機能訓練のためのマシーンが置いてあり、私が入院していた船橋リハビリテーション病院を思い出した。山王リハビリ・クリニックでは藍原副部長の話を伺ったが、私には「通所には運転手を含めて送迎が非常に重要です」の一言が気になった。「あーなるほどなぁ、送迎のとき家族や住居の様子も垣間見れるし、送迎バスの中での利用者の観察も大事なのだろうなぁ」と思った次第。
夜、我孫子駅南口すぐの「海鮮処いわい」で川村女子学園大学副学長のY武さんと待ち合わせ。「いわい」は初めて行く店。マンションの1階で内装は古材を使用しているようでなかなかお洒落。結構、お客も入っているようだ。海鮮処と名乗るだけあってお刺身が美味しかった。お店おすすめの日本酒もあっさりしていながら、気品のある味。店主とアルバイトのお運びさんだけの店らしいが、アルバイトはかなりの美人。Y武さんには今回の厚労省の人事異動についての感想などを聞く。Y武さんの話には「なるほど」と思わせるものがある。時々だけどね。締めにうどんを頼んだがこれもおいしかった。
7月某日
大森の古書店で購入した佐藤雅美の「町医北村宗哲 やる気のない刺客」(講談社 平成20年3月刊)を読む。現存している日本の作家では佐藤雅美は田辺聖子に次ぐ「文豪」。もちろん私だけのランキングではあるが。佐藤雅美は直木賞作家でそれなりの知名度はあるけれど、池波正太郎や藤沢周平ほど知られていない。1941年生まれ、早大法学部だから私より7歳上。ウイキペディアによると週刊誌記者、フリーライターを経て「大君の通貨」で小説家に。ウイキペディアでは「綿密な時代考証による社会制度や風俗を正確に描写し、とくに江戸時代の町奉行や岡っ引きなどの司法・警察制度のほか医学、医療、学問に詳しく」と紹介している。江戸の町筋、口入れ屋など江戸の職業の紹介、医療なら官医と町医、漢方と蘭方について実に的確な解説を加えている。北村宗哲は官医の家に生まれ、官医養成の医学館に学ぶも、わけあって破落戸(ごろつき)に追われることになる。各地を流れながら医療の実際を学び、ついにその破落戸、浅草の青龍松を倒した後、芝神明で町医を開業することになる。町医となった宗哲は「あちら(破落戸)の世界とは関わりがない」と言いつつ事件に巻き込まれていく、というのがシリーズの粗筋。「やる気のない刺客」では、蘭方医、松本良順が登場する。良順は実在の人物で、将軍家茂の侍医となるが、戊辰戦争に軍医として参戦、降伏後、一時囚われるが赦されて初代の陸軍軍医総監となる。こうしたフィクションとノンフィクションの交差が私にはたまらない魅力だ。