社長の酒中日記 9月その2

9月某日

葡萄舎でMさんとI津さん、I井さん
葡萄舎でMさんとI津さん、I井さん

CIMネットのN宮理事長と「退院支援ソフト」の普及を応援している。このソフトは北里大学病院のO沢医師が急性期病院から回復期病院、あるいは在宅に復帰する患者さんの状態をデータ化し回復期病院の医療ソーシャルワーカーや医師に提供するというもの。これからの地域連携や地域包括システムにはもってこいのシステムと思う。今日はN宮さんの紹介で公益社団の日本医療社会福祉協会の業務執行理事のS木さん、それに高崎医療センターで医療ソーシャルワーカーをしているS原さんと会うことになった。S木さんは普段は福島県いわき市病院でソーシャルワーカーをしている。いわき市は震災後、何度か行っているので話があった。とくにいわきから2~3駅先の四倉は奥さんの実家があるそうで、話が盛り上がった。厚労省の医政局か保険局に繋ぐべき話と思われるが、相談がてら、元厚労省で国際医療福祉大学のN村先生に紹介することにした。今日は6時からHCMのM社長と待ち合わせていたので途中で失礼する。神田の葡萄舎に行くとM社長と当社のI井さんはすでに来ていた。もうひとり当社のI津さんも呼ぶ。私はN宮さんにビールと日本酒をご馳走になっていたのでかなり酔っぱらう。

9月某日

「とんび」
「とんび」

3連休。我孫子駅前の東武ブックスで買った角川文庫の「とんび」(重松清)を読む。トラックドライバーのヤスさんは、奥さんを事故で亡くし一人息子のアキラを育て上げる。アキラは早稲田大学法学部へ進学し、出版社に入社、年上で子連れの同僚と愛し合う。2人は結婚しこどもが生まれる。まさに通俗を絵に描いたようなストーリーなのだが、私はたまにはこういう小説を読むのもいいかもと思ってしまった。人間の善意を素直に信じられそうだから。

9月某日

「緑の毒」
「緑の毒」

図書館で借りた桐野夏生の「緑の毒」(角川書店 2011年8月)を読む。これは重松の小説とは180度違って惹句に曰く「暗い衝動をえぐる邪心小説!」。妻もある39歳の開業医が連続レイプ犯という設定。医者というかなり特殊な職業の夫婦の話でもあり、開業医や救急病院を舞台とする医療の内幕小説でもあり、被害者たちがネットで出会って結束して犯人を追いつめる復讐譚でもある。「とんび」のような人生もあれば「緑の毒」のような人生もある。そういうことだと思う。

9月某日

「コーポレート・ガバナンスー経営者の報酬と交代はどうあるべきか」
「コーポレート・ガバナンスー経営者の報酬と交代はどうあるべきか」

「コーポレート・ガバナンス―経営者の交代と報酬はどうあるべきか」(久保克行 日本経済新聞出版社 2010年)を図書館から借りて読む。非常に参考になった。私なりに理解したのは①経営者は株主から経営を委託されている②したがって業績が不振な会社の経営者は交替させるべきである③取締役会の役割は本来、経営を監視するところにある④しかしながら日本の企業の場合、社長の部下という側面が強く監視機能が働いていない場合が多い、というものである。また「会社は誰のものか?」というテーマも気になるところだ。アメリカでは「株主のもの」という意識が強く、近年、日本もそういう傾向が強くなっているという。私の場合は抽象的だが、会社は公共財であるという意識が強い。株主のものでも従業員のものでもなく、社会のものだという考えである。社会に役立つモノや情報を生産することによって付加価値を得、従業員の生活も安定させることができるという考えだ。

9月某日
社会保険庁OBのK野さんと神田の庄内料理の店「このじょ」へ。「このじょ」というのは庄内弁で「このあいだ」という意味らしい。元気なお姉さんがフロアを担当している。「虎穴」という日本酒をいただく。ネーミングがいいね。「虎穴に入らずんば虎児を得ず」にちなんだものだろう。K野さんとはK野さんが庁の保険指導課庶務班長のときからの付き合いだから25年以上の付き合い。Kさんが国民年金協会に来てから付き合いはさらに深くなった。亡くなった当社のO前さんとも仲が良く、3人で呑んだことも何度かある。

9月某日
元厚労省のA沼さんと東京駅近くの「すし屋の勘八」で呑む。認知症や地域包括ケアについていろいろと教えてもらう。遅れてジャーナリストのH家さんが参加。後輩というか部下のY屋さんを連れてくる。Y屋さんはがん、認知症の取材を続けているという。いろいろ情報交換させてもらう。年寄り同士で呑んで懐旧譚にふけるのも悪くないが、若い人と話すのもいいものだ。

9月某日

医療介護福祉研究フォーラムの第22回月例研究会
医療介護福祉研究フォーラムの第22回月例研究会

医療介護福祉政策研究フォーラムの第22回月例研究会。今回のテーマは「障害者福祉の到達点と今後の課題」。最初に社会・援護局の障害福祉専門官の高原伸幸さんが「生涯福祉の現状と実践的課題」について講演した。高原さんは中国四国厚生局も併任ということで広島の今回の台風による土砂災害の報告もあった。また奥さんがくも膜下出血で倒れ、高次機能障害となったことも率直に話していた。講演では障害福祉サービスの予算がこの10年間に2倍となり、平成26年度には1兆374億円に上っていることにも触れていたが、障害福祉サービスに関心の薄い私としては少々びっくりした数字だった。このほか施設から地域への移行が進んでいるなど、最近の障害福祉はずいぶんと変わっているのだなぁという印象を強くした。
続いて前中国四国厚生支局長稲奈川秀和さんの「障害者差別解消法による障害者政策の新たな展開」も「共生社会」という言葉からはじまって、貧困や障害による差別について私に考えるきっかけを与えてくれた講演だった。最後の「障害者の可能性を切り拓く―アール・ブリュットの取り組み方」は滋賀県の社福グローの田端一恵さん。アール・ブリュットとは日本語に直訳すると「生の(加工されていない)芸術」という意味で、既存の文化や流行などに影響されずに自身の内側から湧き上がる衝動のまま表現した作品をさす言葉だそうだ。実は私は2年前の滋賀県大津市で開かれた「アメニティフォーラム」に参加したときY武さんに誘われて近江八幡市にある「アール・ブリュット」のミュージアムに行ったことがある。そのときも障害者のアートに驚いたものだが、講演した田端さんなどの裏方が支えているわけなのだ。このフォーラムでは旧知の人に会えるのが楽しみで、本日も全社協のT井副会長や前任のK林さん、それから久しぶりに社会保険庁の企画課長のころ知り合ったN野さんにあうことができた。

9月某日

サービス提供責任者の方々による座談会
サービス提供責任者の方々による座談会

財団法人社会保険福祉協会の50周年記念事業の一環でサービス提供責任者の方々による「座談会」を開催するという。印刷物としてまとめる仕事を頂いたので、編集者とライター、カメラマンが取材に行く。私も少し覗かせてもらったが、三つのグループに分かれて、活発な討議が行われている。議論の内容もさることながら、訪問系のヘルパーさんたちが交流することの大切さを感じた。
聖イグナチオ教会の納骨堂のマリア像?
聖イグナチオ教会の納骨堂のマリア像?
私はこの日は、元厚労省の医系技官で昨年急死したT原さんのお墓参りをすることになっていたので途中で失礼する。お墓参りと言ってもT原さんの遺骨は、上智大学の聖イグナチオ教会に納骨されているのでそこで元厚労省でこの前まで阪大教授をやっていたT修三さん、埼玉県庁のOGで上智大の非常勤講師のK藤ひとみさん、それに当社のI佐と待ち合わせる。聖イグナチオ教会は、たいへんモダンでしかし荘厳さも併せ持つ建物だった。お参りをした後、高田馬場のグループホームを見学する。理事長のN村美智代さんが案内してくれる。ここのグループホームは職員、ボランティアの数も多いようで入居者は手厚い介護を受けているようで、私は何度かお邪魔しているが入居者の表情が明るくていい。

9月某日

築地本願寺
築地本願寺

第一生命の東京マーケット営業部のS水部長さんに第一生命の築地寮でフィスメックのK出社長とご馳走になる。会場に行く前に築地本願寺を見物した後、会場へ。S水とは珍しい姓なので出身を尋ねると福岡という。高校は修猷館だそうで、ならばY武さんの後輩ということになる。私の知り合いのうちで出身高校が最も多いのが修猷館かも知れない。Y武さん、元日経の論説委員のW辺俊介さん、Y武さんと同期で弁護士のH田野さん、東急住生活研究所の所長をやったM月久美子さん、それからまだ厚生労働省の現役のH生さんもそうだ。不思議と飾らないいい人ばかりだ。

9月某日

「西郷隆盛―西南戦争への道」
「西郷隆盛―西南戦争への道」

岩波新書の「西郷隆盛―西南戦争への道」(猪飼隆明 1992年初版)を読む。猪飼は序章で「西郷の軌跡は、近代天皇制国家成立過程そのもののうちに、またその関連の中ではじめてその本質が明らかにされると考えて」いると述べている。岩倉、大久保らの遣欧使節グループすなわち有司専制グループと残留組(西郷、板垣、江藤ら)の対立と考えると分かりやすいし、残留組がのちに国権派と自由民権派に別れて行くのも面白い。

9月某日

「ばかもの」
「ばかもの」

図書館から借りていた「ばかもの」(絲山秋子 2008年 新潮社)を読む。冒頭から大学生と年上女のセックスシーンで少し驚いたが、これは大学生のヒデと額子との関係をわかりやすく提示するのに必要だったためで、その後の展開は私の予想を裏切るものだった。額子は出奔するようにヒデと別れ、結婚するが事故で腕を失う。ヒデは地元の家電量販店に就職するが強度のアルコール依存症になり恋人にも去られる。ヒデは依存症を克服すべく入院する。退院後、二人は再会する。二人が結婚することを暗示して物語は終わるのだが、私にはとても爽やかな恋と肉体と精神の再生の物語として読めた。