社長の酒中日記 10月その1

10月某日

富国倶楽部からの夜景
富国倶楽部からの夜景

大学の同級生のA宮弁護士の事務所が西新橋の弁護士ビルにあるのでHCMに寄ったついでに表敬訪問。金曜日に飲む約束をする。その足で郵政互助会琴平ビルにある医療介護福祉政策研究フォーラムのN村理事長を訪問。オヤノコトネットのO沢さんに会うことになったことを報告。今日は6時から富国生命ビルの富国倶楽部で元自衛官の人と会うことになっているので、少し早いが富国倶楽部に向かう。富国倶楽部にはユトリロやクールベといった名画が掛けられている。

クールベの「波」
クールベの「波」

「シャガールが戻ってきました」と掛かりのF谷さんが教えてくれたのでシャガールを鑑賞。ほどなくHCMのO橋さんが来る。2人でビールを呑んでいると元自衛官お二人がやってくる。今日は自衛官の再就職先についての相談。二人共大変感じの良い人で、「色々と聞いてみましょう」と約束してくれた。

昭和の香りがするスナックのたまちゃんと
昭和の香りがするスナックのたまちゃんと

私とO橋さんは2人で新橋の昭和の香りがするスナック「陽」へ。ママさんは現役の生命保険の外務員。

10月某日
国際福祉機器展に当社の有力顧客である社会保険福祉協会とSMSが出展しているので見に行くことにする。社福協とSMSのブースに出向き担当者に挨拶。時間がないので二つのブースの近所だけを見学。介護報酬請求ソフトやケアプラン作成ソフトなど今年はICTを活用したもの、それもクラウドを利用したものが多いように感じた。事務管理部門のコスト削減、合理化が課題となっているということだろう。

レストランかまくら橋にて
レストランかまくら橋にて

私が当社に入社する前にいたのが日本プレハブ新聞社という住宅の業界紙。当社に入社してからもリクルートの「ハウジング」という雑誌を創刊から2年くらい手伝った。そんなわけで今でも住宅関連業界や国土交通省住宅局関係には知り合いが多い。今日は日本プレハブ新聞時代の同僚、O田賢治さんが音頭をとって積水ハウスの広報マンだったH順一郎さん、ミサワホームで政官、業界の調整役を担っていたK山さん、住宅展示場の運営をやっていたI藤さん、K川さん、リクルートで「ハウジング」の編集をやっていたT島みどりさんが当社の近くの「ビアレストランかまくら橋」に集まった。話題はどうしても住宅のことになる。住宅展示場の役割についても議論になったが、私としては実際に建てる家とはかけ離れて広く豪華なモデルハウスには疑問がある。商品見本としての役割よりも客寄せとしての役割が強いように思う。住宅を先ごろ亡くなった経済学者の宇沢弘文のいう「社会的共通資本」としての捉え方が消費者側にも供給側にも弱いと思う。

10月某日

奥さんの実家の元ガソリンスタンドの一角に事務所を構えたI川さん
奥さんの実家の元ガソリンスタンドの一角に事務所を構えたI川さん

SMSの仕事で事業所に属さない独立ケアマネの取材。第1回は練馬のI川さん。I川さんはカネボウ化粧品の出身。昭和25年生まれというから私とほぼ同年齢。利用者に適したケアプランを、いかに費用を抑えて提供するのがポイントと話す。非常にわかりやすい。独立ケアマネは取材したことがなかったので勉強になる。夜、大学時代の同級生A宮弁護士に虎ノ門の「たけとら」という店で日本酒をご馳走になる。

10月某日

10・8山崎博昭プロジェクト
10・8山崎博昭プロジェクト

今から47年前の1967年10月8日、当時の佐藤栄作首相の訪米に反対する全学連の学生たちが羽田空港に突入しようと機動隊と激突した。この戦いで京都大学の一年生だった山崎博昭君(18歳)が弁天橋で亡くなった。彼を追悼するモニュメントの建設と記念誌の作成を目的とした「10・8山崎博昭プロジェクト」の集会が大井町で開かれるという。O谷氏と一緒に出かけることにする。当時私は浪人中で同年の山崎君が死んだことにショックを受けたことを覚えている。翌春、早稲田大学に入学するのだが、授業に出席した記憶はほとんどない。デモと集会、サークル活動(ロシヤ語研究会といってもロシヤ語を学習したわけではなく麻雀の面子を集めに通っていた)の日々だった。集会は詩人の佐々木幹郎の司会で始まったが、私同様ほとんどが前期高齢者のジジババ。羽田闘争のドキュメント映画「現認報告書」を観たところで、私はインタビューの仕事があったので退席した。

N村さんと当社のS田
N村さんと当社のS田

インタビューの仕事は前日に引き続き、独立ケアマネの取材。ケアマネの受験講座の講師を勤めるN村さんを講師の現場に訪ねる。ここではインタビューは無理なのでタクシーで会社へ。N村さんは社会事業大学出身の社会福祉士。長野県安曇野市で独立ケアマネを営んでいる。独立したのは一年ほど前。前日のI川さんのインタビューでも感じたが、独立ケアマネは経済的には結構きつい。きついけれどもケアマネの職責からして事業所と独立していることが望ましいのもわかってきた。介護保険制度は財政的に持続可能な制度にしていくことも大切だがケアプランの作成含めて「質の担保」の側面からの検証も必要だ。インタビュー後、当社のS田、I藤と四人で「葡萄舎」へ。

10月某日

愛してよろしいですか?
愛してよろしいですか?

日曜日。朝から雨。床屋へ奥さんに車で送ってもらう。朝食兼昼食をビールと日本酒で頂く。昼寝をした後、雨の日の日曜日には田辺聖子と決めて集英社文庫の「愛してよろしいですか?」を読み始める。初版は昭和57年とあるから30年以上も前の作品である。ハイミスの「すみれ」と就職を控えた大学生「わたる」の恋物語である。携帯電話もコンビニもなく「すみれ」のアパートには風呂もない。だけれどこれは恋愛を巡る周辺環境が変わっただけで、「すみれ」と「わたる」の恋愛そのものが古びて色褪せたわけではない。「すみれ」は基本的に真面目な女性である。これは田辺の小説のヒロイン全般に言えることだが、「すみれ」は「わたる」に「誠実だけが人間に大切なものやわ」「マジメや誠実が人間の根本でなかったら、社会の連帯や構造も崩れてしまうやないの」と言う。言葉がやや70年代的ではあるが、要するに「すみれ」は、真面目でキュートな女性として描かれているのだ。

10月某日
民間介護事業者協議会のO田専務と西新橋の「花半」へ。遅れてHCMのO橋常務。このところ考えている「退職自衛官の再就職先として介護業界はどうか?」についてO田専務が訪問入浴業界にいたときの経験を聞くためだ。この話は5分くらいで済んで、話はもっぱらO田専務が介護業界にいたときの話とその前の都市銀行に在籍した頃の話。O田専務のいた銀行は高卒200名、大卒250名の同期から支店長になるのが高卒5人、大卒50人くらいだそうだ。高卒は20人にひとり、大卒は5人にひとりの狭き門だ。O田専務はその狭き門をくぐり抜けて上福岡支店を皮切りにいくつかの支店長を歴任した。それだけにO田専務の話は説得力があり面白い。ひとしきりO田専務の話を堪能したあと、O橋常務と阪神タイガースの話題で盛り上がっていた。我孫子駅前の「愛花」に寄る。F田さんに会う。

10月某日

富国倶楽部からの夜景
富国倶楽部からの夜景

神田の葡萄舎で元厚労省で阪大教授を勤めたあと、現在「暇人」を自称しているT修三先生と呑む。先生とは元厚労省で上智大学の教授を勤め、昨年急死したT原亮治先生と3人で何度か呑んだ。T原先生は生前、プロテスタントからカソリックに改宗したが、T修三先生は、その影響もあってか最近、宗教書を読むことが多いという。そこで私が20年ほど前、初めてヨーロッパに行ったときの「宗教体験」の話をした。あれはスイスのどこかの都市の郊外だったと思う。日曜日で公式行事もなく1日自由時間だったので一人で街を散策していたら、教会があったので入ってみるとミサをやっていた。後ろの席で神父さんの説教している姿を眺めていたら、突然ポロポロと涙が出てきた。説教は多分ドイツ語がフランス語で行われていたのでもちろん意味が分かってのことではない。旅行も終盤に差し掛かって肉体的な疲労がピークに達していたため神経が昂ぶっていた影響もあると思う。それとカソリックの教会のイエス像やマリア像、ステントグラスなどの雰囲気も旅に疲れた心を刺激したのだと思う。そんな話をしていたら高齢者住宅財団のO合さんが遅れて登場。葡萄舎の焼酎はアルコール度数が高い(多分40度くらい)のでかなり酔っ払う。

10月某日

資本主義という謎-「成長なき時代」をどう生きるか
資本主義という謎-「成長なき時代」をどう生きるか

エコノミストの水野和夫と社会学者の大澤真幸の「資本主義という謎-『成長なき時代』をどう生きるか」(NHK出版 2013年2月)を図書館から借りて読む。大澤による「まえがき」から本書のコンセプトを見てみよう。第1章の「なぜ資本主義は普遍化したのか?」では、まず資本主義は文明の先進地域の中国やイスラム圏では誕生せず、周辺的な地域、西欧で生まれたことに触れている。これは、資本主義がマックス・ウェーバーやカール・シュミットが示唆するようにきわめて特殊な文化を背景に持つ倫理や生活様式(具体的にはキリスト教とくにプロテスタント)に規定されているためだ。しかし現在では、資本主義はほとんど普遍化し、どのような文化にも根付いている。資本主義は一方できわめて特殊であり他方で、ほとんど普遍的と言っていい波及力を持つ。この両極性をどう理解するかという問いが提起される。第2章の「国家と資本主義」は資本主義にとって国家とのつながりは必然であると主張する者もいれば、逆に、国家は、資本主義には本来不要なジャマ物であるとする専門家もいる。国家と資本主義の関係は「腐れ縁で続く夫婦の関係」のようなものと本書はいう。第3章の「長い21世紀と不可能性の時代」では歴史家のブローデルや世界システム論のウォーラステインが用いる時代区分の「長い16世紀」論、つまり1450年から1650年までの200年間は、西欧で世界経済したがって初期の資本主義が誕生した歴史の転換点となっている、という考え方にならって1970年代から現在、将来を長い21世紀ととらえる。第4章「成長なき資本主義は可能か?」では、われわれの社会は経済成長を前提にして運営されているが、経済成長がさまざまな問題をもたらし、そもそも経済成長自体が困難になってきている。経済成長なしの資本主義を考えてみる。第5章の「『未来の他者』との幸福論」では未来の他者との連帯や21世紀のグローバリゼーションのあとの制度設計について語られる。私にとって非常に刺激的な本ではあるが、簡単には解けない問題を与えられたような気がする。