1月某日
「コーポレート・ガバナンス」(岩波新書 14年11月 花崎正晴)を読む。コーポレート・ガバナンス、企業統治はこの数年、わたしの関心の高い分野。会社は利益を上げることが重要な役割だが、利益を上げればそれでいいか、そうでもないだろう、というのが漠然としたわたしの考え。では企業は何のために存在するのか?というところからコーポレート・ガバナンスに関心が向かったきっかけだ。著者の花崎は早稲田の政経出身、日本開発銀行設備投資研究所などを経て現在、一橋大学商学研究所教授。株主と経営者の関係はエージェンシー関係として理解される。会社の所有者たる株主がその代理人としての経営者に経営を委任している。しかし株主と経営者の利害が常に一致するとは限らない。株主と経営者の利害対立は、企業がフリーキャッシュフローを多額に派生させたときに深刻になる。フリーキャッシュフローとは、企業にとって長期的に見てプラスの収益を生む設備投資プロジェクトの原資として使われたとしても、なお余剰となるキャッシュフロー部分を指す。フリーキャッシュフローが存在すると、資本コストを下回るような低い収益しか生み出さない非生産的な投資プロジェクトに資金が回ったり経営者の自己満足を引き上げるだけの浪費的な支出に使われたりといった非効率が生ずる。当社の所有するゴルフ場会員権なども「浪費的な支出」と言えなくもない。ただこの場合は株主も賛同して購入したからね。それはともかく、これからのコーポレート・ガバナンスとして著者は「各企業およびその投資家、従業員、顧客などのステークホルダーは、環境問題、コンプライアンス、企業倫理などを含めた多様な社会的責任に合致した行動をとっていくことが求められよう」としている。もって瞑すべし。
1月某日
「大切な人をどう看取るのか‐終末期医療とグリーフケア」(岩波書店 信濃毎日新聞社文化部 10年3月)を読む。07年10月から09年9月にかけて信濃毎日新聞に連載したものを加筆・訂正したもの。少子化=多子化ととらえれば「死」もビジネスチャンスととらえることができる。そう考えて終末期医療、看取り、グリーフケアの勉強をはじめたところ。あとがきである医師の「人間はいずれ誰しも最期を迎えるという当たり前のことを認識すれば、一人一人の行動や考えが変わる可能性は大きい。死を日常に取り戻すことは、社会を大きく変える力になる」という発言が紹介されていた。今、真摯に死を見つめることが求められていると思う。
1月某日
HCMのM社長、O橋さんと新宿で呑む。帰りは私とO橋さんは池袋まで一緒。わたしが「今日の総括が必要ですね」と言ってもう一軒誘うと、O橋さんの地元の「大山に行きましょう」という。大山商店街の名高いハッピーロードの外れの「伏音」という居酒屋に案内される。O橋さんが電話で予約を入れておいてくれたのでカウンターに席が用意されていた。前にO橋さんに紹介されたチェコからの留学生ヨハナ嬢もここでO橋さんがナンパしたらしい。常連客もマスターもママも感じが良かった。さすが大山!ケアステーションみなみ風練馬のサービス提供責任者をやっているT橋さんと名刺交換。O橋さん、また連れてってくださいね。
1月某日
竹内孝仁国際医療福祉大学教授と当社のO山役員と3人で富国生命ビル28階の富国倶楽部で食事。先生の日医大、医学連の頃の話、東京医科歯科大での医局長時代の話などとても興味深かった。先生は70歳代半ば近くになられているはずだが、今でもジムに通っているそうで、とてもチャーミングでお元気だ。今度、当社の社員にもいろいろと話を聞かせてもらいたいと思った。
1月某日
一般財団法人の社会保険福祉協会から制作を受託している「へるぱ!」の編集会議。いつもはこちらが協会に出向くのだが、今回は当社にU田さん以下、担当の方に当社までご足労願った。「へるぱ!」の編集を任せていただいたお蔭で、当社は曲がりなりにも介護の世界に食い込むことができた。社福協に深く感謝である。編集会議終了後、神田のベルギー料理屋で新年会。我孫子で「愛花」に寄る。O越さんが来ていた。
1月某日
3連休だが、いろいろとやり残したことがあるので休日出勤。ひと段落したところでライターのF田さんに電話。上野で会うことにする。F田さんは私より1~2歳下で早稲田の文学部の確か文芸学科出身。いろいろな意味で得難い人材で娘さんはピアノでチェコのプラハに留学している。F田さん自身は大卒後、行くところがなく家具の業界紙という私と同じようなコースをたどった。二人で焼酎を1本空けて帰る。
1月某日
フランスでアラブ系過激派によるテロで犯人の3人が射殺された。わたしの場合、テロで思い浮かぶのは東アジア反日武装戦線狼による三菱重工本社ビル爆破をはじめとする連続爆破テロだ。犯行グループの一人、斉藤和氏は逮捕直後に服毒自殺した。実は斉藤氏はわたしの高校の1年先輩。中学も同じで学業優秀で生徒たちだけでなく教師からの信望も厚かった。斉藤さんが逮捕され自殺したというニュースにわたしは驚愕したのだが、なんとなく「あの人ならやりかねないかな」と思ったものだ。のちに斉藤さんは高校時代からアイヌ問題に関心があり、それも日本帝国主義に対する怒りの発端となっていたようだ。一般市民を巻き込むテロ行為は理由が何であれ許されるものではない。しかしテロリストを逮捕、射殺することによって問題が解決したとする考えには反対だ。なぜ、テロが生まれるのかそこを考えなければテロの根絶とはならない。
1月某日
日本環境協会のH弘之氏と御茶ノ水で呑む。Hさんは元年住協で支社長をやっていた。年住協在籍中は仕事上のお付き合いはなかったのだが、呑み会やゴルフで一緒になった。今でも年に何回か呑む。なぜか気が合うんでしょう。とくに話題があるわけではないが互いの近況報告などを話す。
1月某日
元厚労次官のA沼氏と麹町のスペイン料理屋、メソン・セルバンテス。A沼氏は普段は京都在住で母校の京大の理事をやっている。東京へはときどき主張で出てくるらしい。A沼氏から電話があったので「女性好きなあなたのために何人か声を掛けときますよ」と言ったら「何言ってんだよ。女好きはあんたでしょ」と電話を切られた。それからすぐ電話がかかってきて「女の人に声を掛けることは比定しません」と言ってきた。ほら、やっぱり。それで参議院議員の秘書をやっているY倉さん、元住宅情報の編集長で今は会社社長のO久保さん、中央線沿線で介護事業を展開しているI川さん、NHK記者のH家さん、国土交通省から現在、内閣府に出向しているI藤さんに電話する。Y倉さんの都合がつかず、I川さんも体調不良とのこと。約束は7時30分からだったが、私に野暮用があって1時間ほど遅れてしまった。A沼氏とO久保氏が来ていた。しばらくしてH家さんも来る。A沼さんは「京大も予備校化が進んでいる。何とかしたい」と熱弁をふるう。でもわたしたち早大全共闘は40ン年前に「産学共同路線粉砕!」をスローガンにしていたのだけどね。まぁ和気藹々のうちに会合を終了しました。次の日の朝、内閣府のI藤さんから電話があり、「ごめん、11時過ぎまで仕事しちゃった」とのこと。旧建設省住宅局で係長になる前からI藤さんのことは知っているが、昔から仕事好きだったものね。お産で入院していた時も、病室から役所に電話を掛けて指示していたというエピソードを聞いたことがあった。
1月某日
埼玉グループホーム協議会のN村会長と東浦和の居酒屋へ行く。N村さんはほとんど呑まないのでわたしがもっぱら呑む。今日は東浦和で栄養士の先生を招いて勉強会があったということだ。介護業界に人が集まらない話だが、給与が日恋だけの問題ではないと思う。埼玉グループホーム協議会はよく勉強会や研修会をやっている。介護に携わる職員の向上心を刺激しているのだ。職員のスキルアップに努力しない事業所は淘汰されていくというか、淘汰されなければならないと思いますね。