5月某日
五月晴れにふさわしいいい陽気だ。神田駅南口の「軍鶏鍋龍馬」で民介協の佐藤理事長、扇田専務、そして民介協で健保組合の設立を検討していたソラストの岡村さんと4人で呑む。健保組合は今のところ拠出金の負担が膨大になるとかで断念、今日は岡村さんのご苦労さん会。私は関係ないけれど時間が空いていたので参加。ここはチムニー系の居酒屋だそうだがなかなか美味しかった。民介協の理事長も専務も楽しい人で気持ち良く酔えた。
5月某日
ゴールデンウィーク。毎年のことだが特に予定もないので福島県のいわき市に出かけることにする。震災後、いわき市には何度か行ったが、私の場合はボランティアで何かをするというのではなく「ただ行く」だけ。我孫子から常磐線の各駅停車を乗り継いで3時間以上かけていわきへ。いわきの中心市街地は地震や津波の影響は軽微だったが、常磐線のふたつ先の四倉は津波の被害を受けた。四倉駅から私の足で15~20分ほど歩くと四倉海岸だ。ここの道の駅は津波で大きな被害を受けたが、改修して今は営業をやっている。野菜などを購入。大川商店という大きな魚屋があるのだが今回はパス。帰りは四倉から水戸行に乗って水戸で上野行きに乗り換え。水戸でビールと日本酒を買い、それを呑みながら我孫子へ。途中で大越さんから「今、愛花にいるから」と携帯に電話。で愛花に寄る。
5月某日
連休中なれど高田馬場の社会福祉法人サンへ。理事で西東京市でグループホームを経営している安岡さんやフリーアナウンサーの町さんと食事へ。さぬきうどん屋に行く。少し摂取カロリーを減らそうと思っているんで私もレディーズセットを注文。すると「男の人は注文できません」。町さんが「じゃ私が頼んだことにすればいい」と言ってくれたので、めでたくレデーズセットにありつけることができた。これって逆差別だと思う。
高田馬場からに日本橋小舟町のセルフケアネットワーク(SCN)へ。アンケート調査の設問事項の確認。終わると人形町のカウンターだけの創作料理屋さんで御馳走になる。美味しいし雰囲気がいい。この界隈はレベルが高い。
5月某日
我孫子市民図書館でポプラ文庫の「Tanabe Seiko Collection5 うすうす知っていた」を借りる。田辺の短編をテーマ別に再編集したもので面白い試みと思う。巻末に田辺のインタビューがついているのもいい。そのインタビューによると「この本には、表だってあきらかにはできない、微妙な心理を扱った作品を集めた」という。要するに独身者2人だけの恋愛ならば、問題は2人の愛に限定されるが、それに家族が絡むとややこしくなる。そのもつれた糸をときほぐすでもなく「こんなになっている」と見せるのが田辺の力量なのではないだろうか。それもユーモアを交えて。田辺の短編にユーモアは欠かせないし、そのユーモアは登場人物たちが話す大阪弁とも密接につながっている。言葉と土地が分かりやすく結びついているのが大阪だ。
5月某日
我孫子市民図書館で借りた「妻の超然」(絲山秋子 10年9月 新潮社)を読む。表題作と「下戸の超然」「作家の超然」の3作が収録されている。3作は独立したストーリーで連関しない。共通するのは主人公が何者かから「超然」としていること。第3作で主人公の作家である「おまえ」は「超然というのは手をこまねいて、すべてを見過ごすことなのだ」と語らせている。第2作の主人公「僕」は恋人に「そうやっていつまでも超然としていればいいよ。私は、もう合わせられないけど」と別れを告げられる。第1作の主人公「理津子」は「およそ妻たるものが超然としていなければ、世の中に超然なんて言葉は必要ないのだ」と考える。まぁ私が思うに絲山の「超然」は夫(第1作)、恋人(第2作)、社会や自然(第3作)に対する関係性の持ち方の態度のあり方ではなかろうか。この小説は現代人の持つ「関係性への不安」をよく表していると思う。
5月某日
連休明け。映像の仕事をやっていて当社とも何度かコラボしたことのある横溝Jrと胃ろう吸引シミュレータの開発者である土方さんとビアレストランかまくら橋へ。横溝JrとJrがつくのは、もともと横溝さんのお父さんと知り合いだったため、勝手に命名したもの。「胃ろう・吸引シミュレータ」は当社からHCMに販売を移したが、今年1月以降ほとんど動いていない。積極的な宣伝・営業活動を行っていないので当然と言えば当然であるが、商品力はあるとみているので再度テコ入れを図りたい。土方さんは40代、横溝Jrは30代と思われるが、66歳の私にとっては若い友人。向こうがどう思っているかわからないが年下の友人として大事にしたい。
5月某日
住宅金融支援機構の理事に東急住生活研究所の望月さんが就任したのでプレハブ建築協会の合田専務、高齢者住宅財団の落合さんと鎌倉河岸ビル地下1階の{跳人}で祝う会。望月さんとは住文化研究協議会で親しくさせてもらって20年位になるのかな。合田さんに至っては私が日本プレハブ新聞社の記者として当時の建設省住宅局住宅生産課を取材で回っていた時の担当係長。今から30年以上前の話である。落合さんは私が年友企画に入社して5年くらい経ったころアルバイトで年金時代の編集をしていた。そういうわけで3人とも古い友人。しかも住宅関係という共通点がある。望月さんはお酒は呑まないが非常にさっぱりした女性。お父さんの転勤で福岡の修猷館高校に転入、この欄に度々登場する吉武さんの後輩にあたる。昔話に盛り上がった。
5月某日
日本橋三越前で西東京の田無病院で地域連携の仕事をやっている社会福祉士でケアマネの高岡さんと待ち合わせ。日本橋小舟町のセルフケアネットワークで「看取り・グリーフケア」についてのインタビューをさせてもらうためだ。今日は神田明神の大祭にあたり三越前も見物客でごった返していた。小舟町に行く間にも神輿に遭遇した。インタビューは医療職と介護職との連携の必要性と難しさ、ケアマネの置かれている状況と課題など多岐にわたる問題に答えてもらった。高岡さんに深く感謝である。終わって近くの洒落た料理屋さんで御馳走になる。先付や刺身など美味しいうえに盛り付けがきれい。この界隈は本当にレベルが高いと思う。
5月某日
平野貞夫の「戦後政治の智」(イースト新書 2014年2月)を読む。著者は1935年高知県出身。法政大学の学生時代、同郷の吉田茂の知己を得、大学院卒業後衆議院事務局に入る。1992年、参議院議員に当選、自民党、新生党、自由党、民主党と一貫し小沢一郎と行動を共にする。実は私と親交のある樋高剛元衆議院議員の岳父でもある。そんな関係でこの本も贈呈されたものと思う。よくある政治家の本と思って読まずにいたのだが、連休中に読み始めて面白さに引き込まれることとなった。私は現今の政治家には甚だしく不信感を抱いている。安倍首相にしろ、あの何とも言えない高揚感には「関わりたくない」と思ってしまうし、民主党の鳩山とか管などは「論外」としか思えない。もちろん近しく言葉を交わしたこともないので本当のところは確認できないのだが、政治家としての見識が感じられないのだ。
平野は本書で吉田茂、林譲治、佐藤栄作、園田直、前尾繁三郎、田中角栄について議会の事務局としてつきあった印象を記しているが、いずれも極めて人間的でしかも国家、国民の将来に対して深い思いを持っていることが伺われた。私が過激派と一緒になってデモをしたり火炎瓶を投げてた頃は、ちょうど佐藤栄作政権のときと重なる。当時は自民党の保守政治こそが打倒すべき対象であったのだが、まぁ若気の至りでしたね。こうした保守政治家たちにはおそらく確固としした国家観があったのだと思う。総じて現今の政治家は小粒であると思わざるを得ない。国民にとっての不幸である。