社長の酒中日記 5月その3

5月某日
社会保険福祉協会で(社福)にんじんの会の石川理事長、当社の浜尾、映像担当の横溝君と打合せ。石川理事長は渋谷へ。浜尾は会社へ戻る。わたしと横溝君は「その辺で一杯」ということで西新橋界隈をぶらぶらしているとHCMの大橋さんが通りかかる。大橋さんも誘って、「南部どり内幸町店」に入る。ビールを呑んでいるとこの界隈の弁護士ビルに事務所のある学生時代の友人、雨宮君が入ってくる。声を掛けると「あれ、モリちゃんなんでいるの」と言うので「それはこっちのせりふだよ」と返す。帰り際に「近いうちに呑みましょう」と約束する。

5月某日
松戸の聖徳大学の篠崎先生にインタビュー。松戸のイトーヨーカ堂にあるレストランで待ち合わせ。先生は筑波大学で障害児教育を学び、出版社勤務の後、八戸学院大学で教え、昨年聖徳大学へ移った。先生は今、「介護の専門性は何か?」について具体的に解き明かそうとしている。介護福祉士は国家資格だし専門職なのだが、その中身はとなるとかなりあいまい。先生はそれを科学的に客観的に明らかにし、それで介護現場の報酬の低さを証明していく方向らしい。好漢シノチャン、がんばれ。
企業年金連合会の常務理事に就任した足利さんを訪問。私が理事をやっている社会福祉法人の評議員への就任を要請するため。西村理事長も同行。企業年金連合会の理事と他の団体の理事、評議員の兼職は禁止されているのかもしれないと思ったが、そんなことはなく快諾していただいた。社会福祉法人は高田馬場にあるが足利さんの自宅は小滝橋の近くだそうで、法人の近くまで散歩で来ることもあるそうだ。会談を終えて大宮に帰る西村さんと別れ、企業年金連合会近くのSMSへ。当社の迫田、浜尾とSMSの担当者と打合せ。打合せ後、近くの韓国料理屋「からくにや」で食事しながら打合せ。

5月某日
先日行った「地方から考える社会保障フォーラム」で講演してもらった宮島さんに社保研ティラーレの佐藤さんとお礼に。終わってからニュー新橋ビルの「初藤」で佐藤さんに御馳走になる。佐藤さんは衆議院議員だった樋高剛さんの秘書だったが、議員の落選にともない社保研ティラーレを設立、代表になった。小柄で顔立ちが可愛いので若く見えるが、「今年で50になるのでキャッシュカードを処分しました」と。そうか独身を通すというのも覚悟がいるのだなと思った次第。佐藤さんは元議員秘書だが、とても素朴で純真、話していて面白い。佐藤さんと別れニュー新橋ビルの2階にあった「T&A」を覗くと違う店になっていた。私がプレハブ新聞社にいたころから通った店でさみしい限り。マスターとママの「しゅうちゃん」はどうしたのだろう。我孫子駅前のバー「ボン・ヌフ」でジントニックとカナディアンウイスキーのロックを一杯。

5月某日
季刊誌「へるぱ!」の取材で日本介護福祉士会の内田千恵子副会長にインタビューに。フリーライターの沢見さんと当社の迫田も一緒。インタビューのテーマは介護福祉士の研修、人材育成だったが、話は「介護」という仕事の専門性とは何か?介護福祉士に求められる資質とは何か?に移って行った。内田さんに拠れば、例えば30分、45分間、高齢者宅を訪問介護するにしても、その時間帯だけの利用者のケアするのではなく、その人の1日の状態、生活はどうだったか、その人の暮らし、人生はどうだったか探求し、思い描かなければ十全な介護はできないということであった。介護という仕事は奥が深いと改めて思った。
「介護という仕事は肉体労働ではなく頭脳労働」という内田さんの言葉に深く納得。
一般社団法人の社会保険福祉協会から助成金をいただいて「介護職の看取り、グリーフケアの実態調査を行っているが、アンケート調査の項目を整理するため、SCNの高本代表の原案を元に、元厚労省で現在、筑波大学の宇野先生と議論。私と高本代表理事だけでは深まらない議論も宇野さんが入ると深化する。
元機械工業新聞労働組合の毛利さんから電話。毛利さんとは私がプレハブ新聞社の前に在籍していた日本木工新聞で労働組合をやっていた時、毛利さんが専門誌労協のオルグとして派遣されてきたときからの知り合い。ざっと40年くらいの付き合い。忘れたころに電話があり、酒を呑む関係だ。御徒町の居酒屋で一杯やった後、毛利さんのなじみの西日暮里の韓国倶楽部へ。毛利さんは韓国語が堪能。ホステスと韓国語で会話していた。

5月某日
保険局の武田審議官に次回の社会保障フォーラムのアドバイスを受けに社保険ティラーレの佐藤社長と。ソファーで先客の終わるのを待っていたら社会保険旬報の手塚さんが武田審議官に掲載誌を持ってくる。待っている間3人でおしゃべりする。武田審議官にいろいろとアドバイスを受けて帰社。当社の石津と久しぶりに呑みに行く。神田駅南口の「とめ手羽」に呑みに行く。結構繁盛している店で料理も美味しい。景気が少し回復してきたからなのだろうか、客足が戻ってきたように感じる。勘定を終えると竹下さんから携帯に電話。石津には「まっすぐ帰るんですよ」と声を掛けられたが神田の葡萄舎へ。焼酎を飲む。賢ちゃんとおねーちゃんも一緒に呑む。

5月某日
飯嶋和一の「狗賓童子の島」(小学館 15年2月)を図書館から借りて読む。A6判555ぺージの大著。幕末の隠岐を舞台とする歴史小説。大塩平八郎の乱に連座した父の罪により、西村常太郎は15歳の時に隠岐、島後に流される。常太郎は島民に暖かく見守られ青年医師に成長する。幕末の時勢は隠岐にも押し寄せ、隠岐の農民、漁民の松江藩への不満は高まる。庄屋や神官を指導者に島民は松江藩の代官を追放するのだが。鳥羽伏見の戦いから始まる戊辰戦争とほぼ同時期に行われた隠岐の島民の松江藩に対する反乱。これは一つの階級闘争としての農民戦争と言えなくもないと思う。支配者としての松江藩の収奪が庄屋や神官を指導者とする島民の蜂起をもたらしたのだ。明治維新を巡ってはその性格を巡って講座派と労農派の論争があったが、私としてはこの小説を読んで、「ブルジョア民主主義革命を内包しつつも基本は絶対主義の明治国家を成立させた」という折衷論をとりたい。飯嶋はなかなかの書き手と思う。

5月某日
日曜日だが、日本ホームヘルパー協会の因会長のインタビューがあるので大手町の新丸ビルへ。フレンチ料理の個室を確保している。因さん、当社の迫田、フリーライターの沢見さんと一緒に店に入る。食事の前に30分ほどインタビュー。食事をしながら1時間ほどその続き。因さんとは初対面だが飾らない、それでいて利用者やヘルパーのことをよく考えている人と思う。雑談のなかで因さんはボランティアから始め、家庭奉仕員、ヘルパー、介護福祉士、ケアマネージャーの資格をとってきた人らしい。結構な苦労人だが、そんなそぶりを少しも見せない。介護業界には魅力的な人が多いと改めて感じた。
東京に出てきたついでに相模大野でがん療養中のフリーライター、森絹江さんを見舞いに行くことにする。大学のサークルの後輩。サークルはロシヤ語研究会。のちに評論家となる呉智英さんなどもいた。森さんは入学後、共産同にオルグされて大学に来なくなった。再会したのは15年ほど前、私は編集者、彼女はフリーライターだった。彼女は女手ひとつで娘二人を育て上げ、そうしたら乳がんが発見された。5年くらい前だろうか。積極的な治療はしない段階になったそうで今日は見舞いに。在宅療養中で思っていたより元気だった。昔の仲間の話をして「また来るね」と別れた。