6月某日
富国生命ビル28階の富国倶楽部。6時前に着くと6時ちょうどに当社の大山氏が登場、少し遅れて社会保険出版社の高本社長、結核予防会の竹下専務が来る。高本社長がスマホを開いて「年金記録流出」の記事を見せてくれる。ほどなく私の携帯に年金局の八神総務課長から電話。「申し訳ありませんが本日の会合は欠席させていただきます」と。結局仲間内の呑み会になり、西新橋の居酒屋へ流れる。HCMの森社長が関西からの出張の帰りと言って顔を出す。高本社長と2人でニュー新橋ビルの地下のバーへ。我孫子へ帰って「愛花」で焼酎のお茶割を1杯。
6月某日
久しぶりにCIMネットの二宮さんを八丁堀の事務所を訪問。CIMネットは地域包括医療システムの構築を目指す医療職や介護職を応援する目的で設立されたNPO法人。事務所に行ったら印刷会社のキタジマの北島社長と打合せ中だった。ソルクシーズという会社の中島さんを紹介される。かの会社は見守り支援システム「いまイルモ」を開発、販売しているという。私はこれからの高齢者介護を支えるにはIT、ロボット、外国人労働力の活用が不可欠と思っているから非常に興味深かった。二宮さんに誘われて中島さんと3人で近くの「月山」で御馳走になる。残念ながら新橋の長谷川で先約があったので中座、長谷川に向かう。HCMの森社長、大橋常務、当社の赤堀、そして結核予防会の竹下専務と打合せ。
6月某日
午後、虎の門の医療・介護政策研究フォーラムの中村理事長を訪問。次いで西新橋のHCMの森社長、大橋常務と打合せ、それから高田馬場の社会福祉法人サンの西村理事長に面談。一度会社に帰って御茶ノ水の社会保険出版社の高本社長と打合せ。それから外神田の「章太亭」へ。前の厚労次官で、現在は京都大学の理事をやっている阿曽沼さんが東大で会議があるので上京。軽く一杯やることにした。約束は7時からだが、私は6時過ぎに章太亭へ。町内の旦那衆4、5人のグループが先月行われた神田明神のお祭りについて話している。鎌倉町や旭町という町名が聞こえてくる。私の会社がある内神田の旧町名ではないか。会話のなかに「いくよ寿司」や「寿司定」といった知っている店の名前も出てくる。見ず知らずの客だが親近感を持ってしまった。東大から阿曽沼さんが到着。「京大は百年先を見ている」とぶってきたそうだ。
6月某日
社保研ティラーレの佐藤社長と吉高さんに神田錦町の「由利本荘うまいもの酒場」で御馳走になる。料理も日本酒も旨かった。由利本庄市は鳥海山の麓だが、海も近く海のものもおいしい。私は社員の親族のお葬式で一度行ったことがあるが、山紫水明という表現が合う町だった。造り酒屋が4軒もある日本酒の町でもある。佐藤さんと吉高さんと別れ、9時ころ根津の「ふらここ」へ。常連の宮ちゃんが岩手県の一関に赴任、今日は出張で東京に来る。もちろん岩手のお酒も一緒に。ここでも日本酒をたっぷり御馳走になる。常連の宮越さんやあやちゃんも来る。
6月某日
「資本主義の預言者たち ―ニュー・ノーマルの時代へ」(角川新書 中野剛志 15年2月)を読む。著者は東大経学部教養学科を卒業後、通産省に入省。京都大学の准教授を経て、今は肩書が特にないから著述業かな。私にとっては保守派の印象が強いが、むしろグローバル化に抗する経済ナショナリストの印象が強まった。中野の言わんとすることはまず「資本主義は所有と経営が分離した結果、安定した秩序を保つことができ」なくなった。初期の資本主義では所有(株主)と経営は一致していたが、次第に株主は経営に参加せず経営には経営の専門家(経営者)が当たることになって行ったことを指す。株主は短期的な視野から株高を求めがちであり、この要求に応えようとした余り、エンロンの粉飾も起こったと考えられる。簡単に言うと中野は株主資本主義、金融資本主義、経済自由主義に反対しているのだ。これらに依拠し拝跪している限り資本主義は破綻すると。
中野は例えばシュンペーターに着目する。企業家の経済活動における動機は、主流派経済学が想定するように経済的利益の最大化といった功利主義的なものではなく、企業家を駆り立てるのはスポーツのような征服への意志、創造する喜びといった動機なのである。企業家の機能とは、生産手段をこれまでとはまったく違ったパターンで結合する「新結合」にある。この新結合を実行するために、企業家が必要とするものは何か。それは「意志と行動のみ」であるとシュンペーターは言う。まさにその通りだと思う。経済学は高等数学などを駆使して技術的には高度化されたかもしれないが経済哲学の面で前世紀の経済学者に大きく遅れをとっているのかもしれない。
6月某日
飲み友達の本郷さんに日比谷公会堂で集会があるから行こうと誘われる。「何の集会?」と聞くとメールで「国鉄」と返ってくる。「終わったら一杯やろう」とも書いてあるから行くことにする。山手線を有楽町で降りて公会堂へ。公会堂前の待ち合わせだが本郷さんはまだ来ていないようだ。参加者の一人が「向こうにいるのは全部公安ですよ」と言う。なんだかとても60年代、70年代の雰囲気だ。本郷さんを見つけて中に入る。韓国統一労組からの連帯のあいさつや動労千葉からのあいさつがある。なんとなく中核派系の集会だということがわかる。でも公会堂がほぼ一杯だったし、安保法制や集団的自衛権の問題で、国民の各層が危機感を持ち始めたのかもしれない。韓国労組との連帯はじめ国内でもいろんんな中小労組の連帯が進んでいるようだ。労働運動いまだ滅びずというところかね。集会は1部が終わったところで退席、新橋鴉森口で本郷さんと一杯。
6月某日
介護職の危機管理のDVD制作で、立川のケアセンター「やわらぎ」の石川代表と打合せ。映像の横溝君、当社の浜尾が同行。「やわらぎ」や社会福祉法人「にんじんの会」での危機管理の実際を参考にすることにする。危機管理は従業員個々の問題ではなく組織の問題であることがなんとなく理解できた。終わって新橋の「北の台所おんじき」へ。ここはHCMの大橋さんが予約していた店だが、大橋さんが行けなくなって予約を肩代わりしたところ。4人で予約したということなので、健康生きがい財団の大谷常務、共同通信の城を誘った。あと1名は一緒に立川に行ってもらった横溝君。酒も料理も旨かったが、何といっても松田隆行という人の津軽三味線のライブが素晴らしかった。
6月某日
「私の人生」などというと気恥ずかしいが、その私の人生に最も影響を与えた人と言えばやはり荻島國男さんの名前を挙げないわけにはいかない。荻島さんは20年以上前に亡くなった厚生官僚だ。私が荻島さんと初めて会ったのは彼が老人保健部の企画官の頃で、老人保健法の改正を進めるためのパンフレットを作ったときだ。企画官のときから「将来の次官候補」などと周囲から言われ、打合せ中も切れ者の印象が強く、私はただ議論を聞いているだけだった。あるとき文章を巡って私が「そこはこうしたほうがいいんではないですか」と言ったら、荻島さんが「あれっ君も意見を言うの」と少し驚きながら私の言葉に耳を傾けてくれた。荻島さんはなぜか私のことを気に入ってくれて、呑みにつれてくれていったりゴルフを誘ってくれたりした。それから荻島さんは調査室長として厚生白書を書き、白書をもっと読まれるにはどうしたらいいか、意見を求められたこともある。調査室長の次は児童手当課長。このときは単行本やポスターを作ったりした。このときの課長補佐が社会保険庁から来た池田保さんで、のちに「あのときは大変だったんだよ」とポツリと漏らしたことがある。つまり児童手当課は児童家庭局で児童家庭局系の出版社があり、そこに仕事を発注しないで当社に発注したことが一部のノンキャリの反発を買ったということらしい。
荻島さんのこと書き出すとキリがなくなるので今日はここまでにしておこう。その荻島さんの奥さんの道子さんが体調を壊して入院中というので今日は見舞いに行ってきた。道子さんは思っていたより元気で近況を話してくれた。厚生労働省へ寄って昔、荻島さんの部下だった唐沢保険局長と武田審議官に報告。2人とも「昔、良く荻島さんの家で飯食わせてもらったからなー」と懐かしみながら、道子さんが思ったより元気なことを喜んでくれた。
今日は人形町の「恭悦」が3周年と言うことでコース料理が3500円で飲み物が半額。セルフ・ケア・ネットワーク(SCN)の高本代表が予約してくれている。店に行くとすでにフィスメックの小出社長と社会保険出版社の高本社長が来ていた。ほどなくSCNの高本代表、市川さんが来る。SCNの岩阪夫妻も到着して乾杯。恭悦のお料理は美味しいだけでなく見た目がきれい。日本料理の伝統ですね。
6月某日
「介護職の看取り、グリーフケアの実態調査」で、今日はオランダ人の田中モニックさんにインタビュー。昨日に続いて「恭悦」で。私は原則として酒食を伴ったインタビューはすべきではないという考え(インタビューを終えてからならば構わないけれど)。で、今日は食事しながら呑みながらという趣向だったので正直不満(?)だった。でもモニカさんが酒を召し上がらないうえに大変聡明な人だったので、とても良いインタビューができたと思う。オランダ人は北方ゲルマン民族に属すると思うけど、私の印象は彼らがとてもインディペンデントなこと。モニカさんもその例にもれず自立した女性だった。考えてみると、日本の介護保険の理念は自立支援。私たちは介護だけでなく、なんによらず自立していかなければならないと思う。産業化と個人の自立は「近代化」の条件のように思う。自立と言う言葉を聞くと茨木のり子の「倚りかからず」という詩を思い出す。
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ