社長の酒中日記 6月その3

6月某日
山田詠美の「風味絶佳」(文春文庫 08年5月 単行本は05年5月)を図書館から借りて読む。山田詠美は昔好きでよく読んでいたが最近、とんとご無沙汰。面白かった。この六篇の短編集に登場する男たちは鳶職、清掃作業員、ガソリンスタンドのアルバイト、引っ越し作業員、汚水槽の作業員、火葬場の職員。つまり己の肉体を使うことによって収入を得る職業だ。こういう職業は仕事の対象がモノであれヒトであれ具体的と言う特徴がある。対象が具体的と言うことは仕事の成果も具体的と言うことだ。介護福祉士なんかはその典型と思う。だからこの小説に親近感を持ったのかな。

6月某日
第一生命保険株式会社の株主総会。第一生命の株は同社が、何年か前に相互会社から株式会社に転換した際に当社にも割り当てられたものだと思う。上場企業の株主総会は経験したことがないので今回は参加してみようと思う。新橋から「ゆりかもめ」で「台場駅」へ。駅から直結のホテルグランパシフィックの大会議室が会場。10時開会だが9時半過ぎに会場に着いたらほぼ席は埋まっていた。入り口でお土産のクッキーとお茶を渡される。議長席に社長が着いて挨拶。事業報告は大画面に映し出される映像が行う。議案採決後株主からの質問を受け付けたが、好決算と言うこともあってか問題となるような質問もなかった。終わりまでいると「ゆりかもめ」が混むと思い、途中で退席する。
「介護事業者のための危機管理DVD」制作で社会福祉法人「にんじんの会」の石川理事長と打合せ。立川の石川さんの事務所へ映像担当の横溝君と当社の浜尾と伺う。各シーンについて検討を加える。ディテールがきちんとしていないと説得力に欠けると思っているので石川さんにいろいろと質問する。細部については石川さんも把握していないことがあるので現場の介護士や看護師に確認してくれるということだ。ところで私の古い友人の伊藤さんがこの6月から「にんじんの会」の西国分寺の「にんじんホーム」でお世話になっている。お世話になっているといっても入居しているわけではなくスタッフとして働いている。というわけで石川さんとの打合せが終わると西国分寺へ。駅前の「もこちゃん」という居酒屋で横溝君と待っていると伊藤さんが来る。近況を話してくれるが、どうしてもおよそ30年前の昔話となる。横溝君はつまらなかったろうな。

6月某日
石川理事長が横浜市の都筑区医師会で「訪問・施設でのリスク・マネジメント」について講演するというので、映像の記録をとりに横溝君と行く。訪問看護、訪問介護、ケアマネ、福祉用具相談員など70人くらいが熱心に受講する。石川さんは受講者を飽きさせることなくリスクマネジメントやその基本となるモニタリングは、利用者や家族だけでなく、事業者や働いている人を守るために必要であり、そのためにはサービスの標準化を図り、事業所でその基本を決め、契約事項に明記しておくということがよくわかった。

6月某日
「明治維新の新考察‐上からのブルジョア革命をめぐって」(大藪龍介 06年3月 社会評論社)を我孫子市民図書館の棚で見つけ、ぱらぱらとページをめくっていると例の明治維新を巡る日本資本主義についての本らしいので借りることにする。私は一般の経済史には興味はないけれど明治維新の性格についての論争が、当面する日本革命についてブルジョア民主主義革命を経て社会主義革命にいたる2段階革命論か、すでに日本は不十分とはいえブルジョア社会段階に到達しているのだから、当面する革命は社会主義革命とする一段階革命かという論争は、戦前の日本共産党系の講座派と労農派から戦後の日共と社会党左派、新左翼の論争に引き継がれた。いまやどうでもいいような話かもしれないが、私はグローバル経済下の日本の現状を理解するうえでも明治維新にさかのぼった検討も必要と思っている。
著者は明治維新について「上からのブルジョア革命」として次のように主張する。
①目的は諸列強に開国を強制され半植民地化の危機にさらされた弱小国、日本にとっては独立立憲政体の確立であった
②指導的党派は旧討幕派下級武士・公卿を中核とした維新官僚が分裂しながらも一貫して主導権を掌握した
③組織的中枢機関としては全行程にわたり、政府が主力になって変革を推進した
④手段的方法はクーデタと内戦、一機と反乱の鎮圧、そして「有司専制」など、全面的に国家権力の発動により行われた
⑤思想については尊王思想、「公議輿論」思想、西洋風の啓蒙思想、自由民権思想などが混在し、後に保守主義思想が伸張したが、基軸となったのは尊王思想‐天皇制イデオロギーであった。
これらのことから著者は、明治維新は国内の経済的社会的条件からすると早産であり、近代世界史の抗しがたい潮流に引き込まれ、外からの重圧に対応した「上からのブルジョア革命」であったと結論づける。それはまた「講座派」などが尺度としてきた史的唯物論の公式に反する革命であった。そしてこのような諸特質を持つ明治維新によって近・現代の日本の伝統となる官僚主義の国家体制や国家主導主義の原型が築かれたとする。
私には非常にすっきりした理論なのだが。大藪龍介という著者が気になったのでネットで調べると、60年安保のころ九大というか九学連の指導者で九州ブンドの主要なメンバーだったらしいことがわかる。安保ブンドのメンバーは西部邁、唐牛健太郎、青木昌彦はじめ興味深い人生を送っている人が多い。でも理論的にマルクス主義の陣営に止まった人はそう多くはないと思う。大藪という人は貴重な存在ではないか。

6月某日
我孫子駅前の東武ブックストアに入る。桐野夏生の「抱く女」(15年6月 新潮社)が平積みされていたので買うことにする。小説は1972年の9月から12月の女子大生、直子の日常を描写する。72年といえば私は3月に早稲田大学をギリギリの単位で卒業、友人の親戚が経営している印刷屋に潜り込み、付き合っていた同級生(今の奥さん)と結婚したころだ。直子は吉祥寺のS大学(桐野の母校、成蹊大学が想定される)で国際関係論を学ぶ2年生。授業に興味を持てず、麻雀壯とジャズ喫茶で時間をつぶし、男友達と酒を呑み、ときに関係を結ぶ。直子は親友の泉のアルバイト先のジャズ喫茶に勤めることにするが、ある日泉を訪ねると男が泉のアパートを出ていく場面に出くわす。男は泉の元恋人で赤軍派の活動家だという。72年のテルアビブ空港の銃乱射事件で射殺された犯人、安田安之と知り合いで「安田が死を賭けて闘ったのに、自分はどうしてこんなところにいて、のんべんだらりといきているんだろう」と「もう死ぬからお別れに来た」ところという。結局、男は西武池袋線の始発電車に飛び込み自殺する。
直子の二番目の兄、和樹は早稲田の革マル派の活動家で何日も家に帰ってこない。直子は新宿で知り合ったドラマー志望のバンドボーイ深田と同棲するつもりで家へ帰るが、そこで知らされたのは和樹が敵対するセクトに襲われ、瀕死の重傷を負ったこと。早朝病院に和樹を見舞った直子はひとりで和樹を看取ることになる。こうやって粗筋を追うと実に暗い小説となるが、私の読後感は少し違う。ひとつは全共闘運動が敗北し、連合赤軍事件でそれが決定的になったころの青春を見事に描いているとおもうからだ。もうひとつはその当時の雀荘や安酒場、ジャズ喫茶の雰囲気が皮膚感覚で蘇ってくるような気がするからである。まぁ万人向けとは言えないが。

6月某日
ぎっくり腰になってしまった。こういうときは中国鍼の王先生に施術してもらうのだが、先生が目黒の鍼灸院に来るのは水曜と土曜のみ。それ以外は立川と国分寺に行っているので今日は無理。民介協の扇田専務に神田の「しあつ村」を紹介してもらう。単なるマッサージと違って血流やリンパの流れを刺激するのだという。施術してくれた女性も感じがよかったので明日も予約する。ぎっくり腰と反対側のおなかをホカロンなどで温めるといいと先生に言われたので、家に帰って早速やってみた。少しは楽になったような気がする。
元年住協の林さんと新松戸の「ぐい呑み」で待ち合わせ。林さんは年住協を退職した後、東京フォーラムで危機管理のしごとをやったりして、今は日本環境協会。保育所や市役所を廻って環境教育の重要性を訴えているそうだ。林さんにすっかり御馳走になる。