10月某日
横浜の鶴見にある白鵬女子高校の生徒手帳の制作を請け負っている。この仕事は当社の経理担当の石津が同校の校長先生、藤原先生と親しかったことから始まった。藤原先生は昭和24年生まれだから私より一歳若い。日本体育大学を卒業して最初に赴任した中学で教えたのが石津ということらしい。三宅島が噴火したときは三宅島の高校の校長だったと石津に聞いたことがある。そんなわけで今日は京浜急行の青物横丁にある三宅島出身のママさんがやっている「ビストロおきみくら」で打合せ。石津と6時丁度にお店に顔を出すと先生はすでに来ていた。ビールで乾杯後、お刺身やしいらのカルパッチョ、あしたばのてんぷらを堪能した。遅れて白鵬女子高校の担当で10月からフリーになった浜尾さんも参加。
10月某日
さまざまな食材を家庭に宅配している大阪に本社のある「わんまいる」の堀田社長と山脇役員が当社を訪問してくれる。SMSの「介護マスト」に出稿してもらっている縁だ。堀田社長はもともとが酒屋、酒屋の御用聞きのシステムを発展させて宅配に進出したということらしい。少子高齢化が進むということは支えられる側は増える一方なのに支える側は増えないということでもある。財源から言っても税と保険料だけでは支えきれないのだ。民間の活力を活用し介護保険外のサービスを如何に充実させるかが課題だと思う。これは労働人口が減少し経済成長に赤信号が灯る日本経済にとっても必要なことだ。ここら辺は堀田社長の考えとも一致する。堀田社長は吉本にも知り合いが多いそうで、「しゃべり」がとてもお上手だ。5時半を過ぎたので「葡萄舎」に案内する。お通しやお刺身、栃尾の油揚げなど気に入ってくれた。途中からSMSの竹原さんも参加。酒屋出身なのでお酒に強いと思い込んで度の強い焼酎を勧めたが、実はあまり強くないようで帰るときは千鳥足だった。すみませんでした。
10月某日
2010年の第143回直木賞を受賞した中島京子の「小さなおうち」(文春文庫 12年12月)を読む。読んでいて大変心地よかった。悪人や悪意とは無縁のストーリーだからなのかな。時代は昭和初期から、戦中、そして現代まで。と言っても小説の主な舞台は戦前の郊外の「小さなおうち」で、女中のタキの目を通して家族の日常が語られる。戦前は物資が乏しく軍国主義で「暗い時代」と捉えがちだが、この小説を読む限りでは日中戦争の頃まで、太平洋戦争もミッドウエーの海戦ころまではそうでもなかったようだ。そんなことを山本七平かなにかのエッセーでも読んだような気がする。美しい奥様と玩具会社の重役のご主人、タキになついてくれる坊ちゃん、永遠に続きそうな平和な日常。庶民の思惑とは全く別の次元で日本は戦争に突入する。そして出征を控えた玩具会社の社員と奥様との恋、戦争末期の大空襲で小さなおうちは焼かれ、奥様とご主人は死ぬ。そして戦後・…と言う具合に物語は語り継がれていくのだが、ストーリーの展開がかなり巧みで飽きさせない。中島京子という作家の作家的力量はなかなかのものだと思う。
10月某日
図書館で借りた「森は知っている」(吉田修一 幻冬舎 15年4月刊)を読む。吉田修一は02年に「パーク・ライフ」で芥川賞を受賞、近年は「悪人」や「横道世之介」などで若手のストリーテラーとして注目されている(と思う)。私は「悪人」「横道世之介」以外にも何作か読んだが、まっとうに生きようとしながら世間や社会とずれていく若者の心情がよく描かれていると思った。本書は幼児期に母親に虐待され、母親は逮捕、受刑中の高校生鷹野が主人公。鷹野は秘密結社AN通信の手によって児童養護施設から出され、沖縄の南蘭島で高校生活を送る。鷹野は高校卒業を待たずにAN通信から日本国内の水利権をめぐる謀略戦の渦中に投入される。こう書くと荒唐無稽な冒険小説(確かに冒険小説として読んでも十分に面白い)と思われがちだが、作者は「運命の過酷さ」とそれに抗う人間の勇気を描きたかったのかも知れない。村上龍の「オールドテロリスト」、桐野夏生の「夜また夜の深い夜」を彷彿とさせるものがある。
10月某日
数年前、群馬県で「胃ろう」施術のセミナーを手伝ったことがある。そのときデザイナーの土方さんに依頼して開発したのが人体の腹壁と胃壁を樹脂系の材料で模したシミュレータ。同じように浴風会ケアスクルールで実施した吸引のセミナーでも必要に迫られて咽頭部を含む人体頭部のシミュレータをやはり土方さんが開発した。量産して販売することになったが販売元がなかなか決まらず、当社が販売元となった。ところが当社で販売を推進していた大前役員ががんを発症、昨年亡くなったことから当社は販売元となるのを断念、親しくしているHCM社に販売してもらうことになった。専任の販売員も置かず、広告宣伝もゼロに等しいなか、100台近く売れている。土方さんはさらに気管カニューレのシミュレータも開発、これで介護職の医療的行為に関わる吸引、気管カニューレ、胃ろうの3点セットが完成した。問題はどう売ってゆくか。それで今日は西葛西のネオユニットで開発者の土方さん、HCMの大橋さん、私、コンサルタントの三浦さん、当社の迫田、映像担当の横溝君が集まって販売会議。介護職が一部の医療行為を担うのは時代の流れだし、施術の実習をたとえば学生同士でおこなうなどは難しくなって来ている。シミュレータの潜在的な需要はあると確信している。会議が終わったところで西葛西の駅近くの焼き鳥屋「筑前屋」へ。なぜか大橋さんと呑むときは焼き鳥屋が多いように感じる。
10月某日
図書館で借りた「朱子学入門」(垣内景子 ミネルヴァ書房 15年8月)を読む。私は東洋思想にはほとんど興味を持ったことはなくまして朱子学など大学入試のときに歴史で名前だけ暗記した程度である。だから全体的に良く理解できたとは言い難いが垣内さんの平易な文章もあってなんとか読み通すことができた。儒教(朱子学)は中国、朝鮮、日本で支配的なイデオロギーとなったが、中国、朝鮮には科挙の制度があり、朱子学を学ぶことは立身出世のハードル超える条件であった。これに対して日本には科挙の制度がなく、林羅山をはじめ幕府の官学となった学派や在野の学者でも弟子に恵まれた人は食べられたが多くの人は寺子屋の師匠などをやって糊口をしのいだらしい。それはともかく朱子学的思考スタイルは私にも影響を与えていると思う。もう少し朱子学を勉強してみたいと思った。
10月某日
市会議員や県会議員などの地方議員向けに「地方から考える社会保障フォーラム」を年3回ほど実施している。社保研ティラーレという会社が運営しているのだが、企画のお手伝いを多少やっている。当社を退職してフリーになった浜尾さんの力も借りたいということだった。それで今夜は社保研ティラーレの佐藤社長と吉高さんが浜尾さんにご馳走してくれるというので私も便乗させてもらうことにした。佐藤社長は元衆議院議員秘書、吉高さんは元製薬会社の社員で中医協の委員も務めたことがあるそうで話題が豊富、美味しいご馳走とお酒もいただきありがとうございました。
10月某日
社会保険出版社の高本社長と西国分寺の駅で待ち合わせて社会福祉法人にんじんの会が運営する特養の「にんじんホーム」へ。理事長の石川はるえさんに会うためだ。石川さんが代表理事を務めるケアセンターやわらぎが開発した認知症予防ダンス「だんだんダンス」の普及にわれわれが協力できることがないか、話し合うためだ。高本社長が企画書を書いてくることになった。西国分寺の駅前で石川さんがご馳走してくれることになり、にんじんホームを出ようとしたとき、高本社長が「あれ、靴がない」と言う。石川さんの指示の元、職員の方が方々に連絡してくれて利用者の家族が間違って履いて行ってしまったことが判明。車でそのお宅を回って無事に回収することができた。奥さんにプレゼントされたフェラガモの靴だそうで、めでたしめでたしである。西国分寺の駅前の「いわし屋」というお店でお魚を中心とした料理と美味しいお酒をたっぷり御馳走になった。
10月某日
社会保険庁長官や支払基金の理事長、全社協の副会長を歴任した末次さんと「レストランかまくら橋」で食事。末次さんが退官して年住協の理事長に就任してからしばらくたったとき、当時年住協の企画部長だった竹下さんと茨城の常陽カントリーにゴルフに行ったことがある。お昼休みのとき、クラブハウスの前で「竹下君!」と末次さんに声を掛けられた。末次さんも私も常陽カントリーのメンバーだったので、それから何度か末次さんにゴルフを誘われるようになった。今日は同じゴルフ仲間で援護局出身の高根さん、それに末次さんと一緒にヨーロッパの研修旅行に行った当社の大山さんも一緒だ。高根さんはお酒を呑まないのでウーロン茶、ほかはビールで乾杯。末次さんは厚生省の高官を歴任したが偉ぶったところが全然ない人だ。にこにこ人の話を聞き、ときに鋭い質問をする。これからも長く続けたい呑み会だ。