5月某日
図書館で借りた「ヌエのいた家」(文芸春秋 小谷野敦 15年5月)を読む。以前母を看取った「母子寮前」を読んで母恋小説として面白いと思ったのだが、今度は父を看取る話である。小谷野は高校生の頃から徐々に父との折り合いが悪くなる。母が重篤になった時の父の仕打ちにも許せないと感じる。で、結局父はだんだんと衰えていき、最期は施設で亡くなる。肉親を愛せないってつらい。小谷野の場合、「権力を持つ」父との葛藤とはちょいと違うような気がする。むしろ蔑むという感覚が近いのかもしれない。それが私には理解できない。
5月某日
前にもこの欄に書いたことがあると思うけれど、荻島国男さんという厚生官僚がいた。今から20年以上前にガンで亡くなったのだが、大変すごい人であった。どういうふうにすごいかというと一言でいうと「政策の要」を実によく理解し、今、厚生省がやらなければならないこと、自分がやらなければならないことを戦略的に考えた人であったと思う。その奥さんの道子さんが入院していたのだが、花小金井の有料老人ホームに転居したというので会いに行ってきた。お会いしたらとても元気そうでリハビリと食事療法の効果か、健康的に痩せて見えた。私も脳出血の後遺症があるのでリハビリの話で盛り上がった。
5月某日
「介護職の看取り及びグリーフケアのあり方」について一般財団法人医療経済研究・社会保険福祉協会から委託を受け、一般社団法人のセルフ・ケア・ネットワーク(SCN)が調査し、その結果がまとまった。一般紙には厚労省の記者クラブで専門紙には民介協の事務所で記者発表した。調査に協力したので高本代表理事、市川理事、社福協の本田常務、内田次長とともに私も同席した。日本経済新聞社、朝日新聞社などが取り上げてくれた。
5月某日
神楽坂の「ランタン」というイタリアンの店へ行く。オリンピック・パラリンピック委員会に厚労省から出向している石川さんが慶応大学病院の眼球銀行のエグゼクティブ・ディレクターをやっている篠崎さんを紹介してくれるという。SCNの高本代表理事と市川理事が同席。篠崎さんは恐ろしいほどに見分が広い人で実に勉強になった。ワインも料理もおいしかった。
5月某日
名古屋出張。快晴。新幹線から富士山がくっきり見える。名古屋では「わが家ネットワーク」の児玉代表理事と「住宅改修」と「福祉用具」パンフレットの打ち合わせ。名古屋名物の「豆福」を土産に頂く。児玉さんは地震による「家具の転倒防止」に取り組んでおり、熊本地震以降テレビ取材が相次いでいるそうだ。帰りの新幹線でも美しい富士山を見ることができた。早めに帰ったのはいいが、我孫子駅前の「愛花」でじっくり吞んでしまった。
5月某日
「介護職の看取り及びグリーフケアのあり方」について毎日新聞の医療福祉部の有田浩子記者から取材を受ける。高本代表理事、市川理事に同席。最近のマスコミの記者は女性が多い。そのうえ優秀。
5月某日
米原万理というエッセイストがいた。ロシア語の同時通訳者だったがのちにエッセイスト、小説家としても世に知られる存在となった。没後10年ということから佐藤優編で文春文庫から「偉くない『私』が一番自由」というアンソロジーが出版されたので早速購入。このアンソロジーの目玉は彼女の東京外語大学の卒業論文「ニコライ・アレクセーヴィッチ・ネクラーソフの生涯‐作品と時代背景」なのだが、ネクラーソフという詩人の生涯には興味を持てないのでパス。エッセーはそれぞれ彼女流のひねりの効いたものだったが、私には佐藤優の追悼エッセー「米原万理さんの上からの介入」が面白かった。外務官僚だった佐藤は2002年5月東京地検特捜部に逮捕された。逮捕される前日、米原から佐藤に身を案じる電話が入る。「外務省にこれ以上いると危ない」そして食事に誘われる。二人の信頼関係と交情の一端が明かされるのだが、二人のマルクス主義理解の違いについての佐藤の言説が興味深い。佐藤にとっては労農派マルクス主義が基本(佐藤は浦和高校時代、社会主義協会の資本論の勉強会に参加していたがそこで宇野理論を学ぶ)、米原は日本共産党の正統的な講座派が施行の鋳型になっている〈米原の父は共産党幹部の米原昶で米原も党員だった可能性がある〉。ふーん、なるほどね。思想を深く学ぶとその鋳型にとらわれるということはあるかもしれない。思想を深く学んだことない私などむしろ自由なのかも。
5月某日
図書館から借りた「日曜日たち」(吉田修一 03年8月 講談社)を読む。「日曜日のエレベーター」「日曜日の被害者」「日曜日の新郎たち」「日曜日の運勢」「日曜日たち」という5作の連作で、それぞれ別の主人公のそれぞれの日曜日が描かれる。実はそれぞれの連作に親から捨てられた幼い兄弟が登場する。実は本当の主人公はこの兄弟二人かもしれない。吉田は過酷な現実を描きながら、それに抵抗する庶民を描かせると抜群に読ませると私は思う。
5月某日
民介協の総会。総会後の厚労省老健局の辺見振興課長の講演の後、懇親会。振興課の井樋課長補佐にあいさつ。井樋さんは10年ほど前古都振興課長のとき振興課にいたという。そういえば思い出した。係長でさわやかな青年がいたけどその人ね。阿曽沼さんが上京した時には「声をかけますよ」と約束。懇親会の後、佐藤理事長や扇田専務など20人くらいで浅草の「むぎとろ」へ。