社長の酒中日記 7月その2

7月某日
朝一番で羽田空港から米子へ。の筈だったが一便に乗り遅れる。二便は満席。結局3時過ぎの便で米子へ。米子では1時30分に安来市議の丸山議員に面談する予定だったが、結局、5時過ぎに丸山議員に会うことができた。丸山議員は現在2期目、私と同じく脳血管障害で身体が不自由。だが社会保障を始めとして地域課題の解決に向けて一生懸命取り組んでいる。米子から岡山へ、岡山から新幹線で新神戸へ。神戸泊。ホテル近くの焼鳥屋「蔵KURA」で一人で吞む。

7月某日
西宮北口でSCNの高本代表理事と待ち合わせ。関西学院大学の坂口教授を訪問。看取り、グリーフサポートについてアドバイスをいただく。午後、三ノ宮の特別養護老人ホーム「きらく苑」の土谷副理事長から特養における看取りの実際を聞く。三ノ宮で高本代表と別れ京都へ。烏丸三条の大垣書店で京大の阿曽沼理事と待ち合わせて京料理の「藤本」へ。京都は路地路地にしゃれた店がある。東京とは文化の「深さ」が違うような気がする。阿曽沼理事には当社の経営その他いろいろな話を聞いてもらう。京都市内で手ごろなホテルが予約できなかったので草津駅前の「ボストンプラザ草津」へ。ここには以前宿泊したことがあるが料金の割にはなかなかサービスがいいと思う。

7月某日
時代小説のいまや大家と言っていい佐藤雅美のデビュー作「大君の通貨-幕末『円ドル』戦争」(文春文庫)を読む。1本書は1984年に講談社より刊行、1991年に講談社インターナショナルから英訳刊行されたものを全面改稿し2000年に文芸春秋社から刊行された。幕末、日本が開港したとき小判が大量に欧米へ流出し物価が高騰した。物価の騰貴は庶民や下級武士の生活を直撃した。幕府が瓦解した遠因のひとつと言われている。小判が流出したのは日本と欧米では金と銀との交換比率が違い、相対的に日本は銀価格が高く金が割安だったためである。横浜や長崎の欧米人の商人、商人だけでなくハリスやオールコックといった外交官もメキシコ銀貨を元手に小判を買い漁った。幕臣、水野忠徳らの交渉によりやっと小判とドルの交換比率は正常化された。思うに通貨は通商の基礎である。英国のEU離脱や中国経済の不振などを背景に通貨とくにドルの不安定感が増し、円高ドル安の傾向が続いている。円安による輸出企業の収益改善がアベノミクスを支えていた。このところの円高はアベノミクスの「終わりの始まり」のような気がする。どうする黒田日銀!水野忠徳の気概が欲しい。
愛知県半田市の「名鉄イン半田」にチェックイン。社会保険出版社の高本社長と落ち合って児玉道子さんの迎えの車に同乗。「炭火焼鳥しゅっぽんめ」へ。NPO法人「地域福祉サポートセンターちた」の市野めぐみ事務局長、NPO法人「ゆめじろう」の小藤さん、常滑福祉事務所の渋木桂子さんと一緒に吞む。知多半島の女性は自立度が高いような気がする。何を話したかよく覚えていないが楽しく吞んでしゃべった記憶だけがある。

7月某日
羽田空港の書店で買った桐野夏生の「水の眠り灰の夢」(文春文庫)を読む。なかなか面白く名古屋から知多半田へ向かう名鉄のなかでも集中して読む。あまり集中したので財布を座席に忘れたのに気付かず下車、食事をしようとしたら財布のないのに気付いた。知多半田の駅員さんに話すと終点の河和に届いているという。良かった!実は知多半田から名古屋へ帰る電車の中ではSuicaを落としてしまう。これも駅員さんが終点の新鵜沼に電話して出てきた。私の間抜けさ加減に我ながらあきれるが名鉄の駅員さんの親切さ地元の人の正直さに感謝である。
さて「水の眠り灰の夢」だがタイトルの「水の夢」は、美少女に睡眠薬を飲ませて眠らせ男に添い寝させるという川端康成の「眠れる美女」を彷彿させるビジネスがストーリーの経糸としてあることに因む。「灰の夢」は主人公のトップ屋、村野とその同僚の後藤がポーランド映画の「灰とダイヤモンド」に魅せられていることによる。舞台は東京オリンピック前夜の昭和38年9月、草加次郎と名乗る爆弾魔により地下鉄銀座線に仕掛けられる。事件に遭遇した村野があぶりだすおぞましい真実。ストーリーの本筋とはあまり関係ないのだが村野の同僚後藤とその恋人早重との間に生まれた女の子の名前がミロ。この子がのちに村野の養子となって村野ミロとなる。桐野夏生の「顔に降りかかる雨」「ダーク」に登場する私立探偵村野ミロである。

7月某日
名古屋の書店で角田光代の「対岸の彼女」(文春文庫)を購入。2004年に単行本が刊行され翌年の直木賞を受賞している。主人公の専業主婦、小夜子は夫や姑、周囲の専業主婦に微妙な違和感を抱く。自分の狭い世界から脱出しようとベンチャー企業の女社長、葵の面接を経てハウスクリーニングの仕事を始める。実は葵には高校の同級生、ナナコと同性による心中未遂を起こした過去がある。男が生きるのも大変だが女が生きるのも大変である。現代は人間関係も仕事も多様化しているからね。だけどこの小説の終わり方は爽やか。

7月某日
社会保険出版社から頼まれて介護保険法の逐条解説本を制作することになった。社会保険労務士の鈴木さんが原稿をまとめてくれたが、社会保険出版社はしかるべき人に監修をお願いしてほしいという。元老健局長、社会保険庁長官で阪大教授もやった堤修三先生にお願いすることにした。渋る堤先生を拝み倒してやっと引き受けてもらう。引き受けてもらったところで会社近くの「跳人」で先生と、社労士の鈴木さん、社会保険出版社の近藤さん、当社の大山専務と吞む。