社長の酒中日記 8月その3

8月某日
「健康生きがい財団」の大谷常務と日暮里駅で待ち合わせ。日暮里駅前に騎馬の銅像があったので見ると太田道灌の像とあった。狩りの途中、雨にあった道灌が百姓家の娘に蓑を乞うと娘は黙って山吹の花を差し出した。道灌は訳が分からず立ち去って、後で知人に聞くとこれは「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだに無きぞ悲しき」という古歌に則ったもので「貧しくてお貸しする蓑はない」ことを「実の一つだに無きぞ悲しき」に込めたものだと知る。学問を軽んじていた道灌はそれ以降学問にも精進するようになった、というような説明文が書かれていた。たぶんこのエピソードは戦前の小学校の教科書にのっていたのだろう、戦前世代には広く知られた話だと思う。私は50年以上前、小学生向けの歴史の本かなんかで読んだ記憶がある。これは私には実話とは思えないのだが、そうだとしたらこのような「伝説」はいつ頃どのように形成されるのだろうか。というようなことを考えていると大谷さんが来た。大谷さんが前に行ったことがあるという「ただいま」という店に入る。値段もリーズナブルでつまみ類も充実していた。大谷さんには先日、偲ぶ会が開かれた新木正人さんのことをいろいろ聞いた。

8月某日

その新木正人の「天使の誘惑」(論創社 16年6月)を読む。40年以上前に「遠くまでいくんだ」誌に掲載されたものと書き下ろしなどから構成されている。それにしても「遠くまでいくんだ」に掲載されたものの原型は新木が埼玉県立浦和高校時代に構想されたものというからその早熟さに驚かされる。巻末の小田光雄による解説(「天使の誘惑」に寄せて)に依ると亀和田武が「保田與重郎全集」の月報に新木の文章を保田與重郎の文体に重ね合わせて「私の場合なら、この新木正人という当時もそしてその後もほとんどその名を知られることのなかった人物の書いたものこそ、まさにそうした美しさといかがわしさとあやしさとを兼ね備えた種類の文章であった」と書いているそうだ。「美しさといかがわしさとあやしさ」ね。うーん確かに。ただ私は書き下ろしの「ただの浪漫とただの理性がそこにころがっている」のなかの日本語論「日本語の本質は主語述語ではなく分泌性としての助詞助動詞」という断定に理解できたわけではないが感じ入った。それと新木の定時制高校の教師時代を回想した文章は文句なく素晴らしいと思う。いい先生だったんだろうな。こういう教師に出会った生徒は幸せである。

8月某日
元年住協の林弘之さんと我孫子の「七輪」で6時30分に待ち合わせ。林さんの自宅は新松戸だがわざわざ我孫子まで出向いてくれる。東海銀行で東京営業部の部長をしていた深谷さんのことが話題に出た。深谷さんは亡くなった大前さんとも仲が良く一緒にご馳走になったことがある。深谷さんは私より1~2歳上だと思うが早稲田の法学部出身で学生時代は革マルシンパだったらしい。たまたまその世代の法学部出身者を何人か知っているが、評論家の呉智英が全共闘で下関市会議員の田辺さんの旦那さんが民青で宮崎学をよく知っていると言っていた。多彩ですね。昔話をして吞みすぎた。

8月某日
ラシスコという発送業者に当社の在庫を預かっているが、確認のために倉庫を見せてもらうことになり当社の大山専務とラシスコの営業マン、江藤さんが運転する車でまず埼玉県三芳町の三芳業務センターを訪れる。昔、当社を担当していた大野さんに挨拶。ついで朝霞市根岸台の物流センターを見に行ったが、私の勉強不足もあるけれど機械化、情報化が進んでいるのに驚いた。江藤さんに朝霞台駅前の料理屋でご馳走になる。埼玉県は海なし県なのだがお刺身のおいしい店だった。

8月某日
地域包括ケアのパンフレットを制作中で、このところ神保町のデザイン会社に足を運ぶことが多い。デザイン会社の帰りに古本屋を覗いたら単行本が3冊500円とあったので、田辺聖子2冊、宮部みゆき1冊を買う。田辺聖子の「男の城」(講談社 昭和54年2月初版)を読む。初出は「女運長久」が文学界の昭和41年9月号で一番古く、一番新しいのは「花の記憶喪失」で問題小説昭和52年12月号であった。田辺聖子は昭和3年生まれだから30代後半から40代後半にかけての作品。小説家としてどのようなスタイルをとるべきか思い悩んでいた時期なのではないだろうか、「男の城」におさめられた短編には作者のそんな思いが私には感じられた。「ミルクと包丁」は田舎の食品スーパーの店員、吉平は窃盗の前科があるうえ妻を病気で亡くし借金で身動きが取れないという身の上。食品スーパーの主人と2人だけの忘年会の帰りにふと民家に忍び込む。民家には美人の後家と子供が寝ていた。吉平は美人の後家に身の上話をするうちにこの後家と再婚することを想像する。そのうちに寝込んでしまった吉平は、後家の機転で警官に踏み込まれてしまうのだが、私には田辺の同情心はさえない男、吉平に注がれているような気がする。「ミルクと包丁」の初出は昭和48年、高度経済成長の真っ只中である。高度経済成長から零れ落ちた男を描いた佳品である。