2月某日
常磐線の亀有駅前の古本もエロ本も売っている小さな新刊書店で買った、「隅田川の向う側-私の昭和史」(半藤一利 ちくま文庫 2013年5月 単行本は2009年3月創元社)を読む。半藤は1930年、東京生まれ。東大文学部卒業後、文芸春秋社入社、「週刊文春」「文芸春秋」編集長、専務を歴任したエリートなのだが、現在は「歴史探偵」を名乗る作家、エッセイストとして知られる。本書は、半藤が文芸春秋の現役編集者のころ、旧暦の正月に豆本形式で知人に送り届けた年賀状がもとになっている。昭和57(1982)年、58年、59年の3か年で、それぞれが空襲下の東京向島を描く第1章「隅田川の向う側」、旧制長岡中学時代の第2章「わが雪国の春」、高校・大学でのボート部の青春を描く第3章「隅田川の上」となっている。随所に挿入されている著者のスケッチ、版画も楽しい。中味は読んでのお楽しみとしておくが、この本を買ったエロ本も古本も売っている小さな書店も「隅田川の向う側」であり、この本だけでなく地元を撮った写真集や郷土史の本を集めたコーナーがあった。店主の見識であろう。正確にいうと亀有は隅田川のもう一つ先の荒川の向う側であり、江戸川の手前なんだけどね。
2月某日
第一生命の営業ウーマンの本間民子さんが神田駅北口の嘉徳園でご馳走してくれるという。当社の石津さんとたまたま当社に来ていた健康生きがい財団の大谷常務とご馳走になる。火鍋がメインの中華料理の店で大変、美味しかった。しかし大谷さんがスパイスアレルギーであることを忘れていた。彼は辛い物を食べると汗が止めどもなく出てくるのである。「せっかくだから」と大谷さんにもすすめる。汗をかきかき食べていた。
2月某日
田辺聖子の「ジョゼと虎と魚たち」(角川文庫 昭和62年1月初版)を図書館で借りて読む。表題作を含め9作の短編が収められている。何年か前に読んだことがあるが、表題作以外内容はほとんど覚えていない。今回読んでわかったが、この短編集に通底するのは「性愛」である。山武羅紗の事務員、以和子はお茶の習い事で知り合った大庭と恋仲になる。濡れ場の描写が上品でエロティック。「男の手で、宿の浴衣の紐を解かれるときは、以和子はいつも(初めて!)の動悸を感ずる。自分でも何をしているかわからずに、大庭の手首を抑えて、その動きを押しとどめようとしている。それにはかまわず…」という感じである。
2月某日
「政治が危ない」(御厨貴 芹川洋一 日本経済新聞出版社 2016年11月)を図書館で借りて読む。御厨と芹川は東大法学部で同じゼミで鍛えられた仲という。御厨は東大法学部の教授となり現在は青山学院大学の特任教授。芹川は日本経済新聞の記者となり現在は論説主幹。対談集なので「深み」は求むべくもないが、随所に「なーるほどね」と思わせるところはある。第1章から3章の「菅官房長官は、官僚を知り尽くしている」「国をおかしくした鳩菅政権」「中堅は自民党より人材豊富な民進党」「公募候補は高学歴でイケメンだが、挨拶ができない」「憲法9条は日本の国体である」などだが、私が深く同感したのは、第4章の御厨の、政治はベルリンの壁の崩壊以前は、西か東か、親米か親ソかなど、他律的に規定されるものであったが、1990年代に入って宗教や民族などいろいろな問題が世界で生まれてきた。イデオロギー的他律性がなくなったら、訳の分からない自己主張がどんどんおもてにでてくるようになった、という主張である。これからは私の主張でもあるのだが、今求められているのは他律ではなく自律=自立である。そのうえで社会に対して緊張感をもって対峙していくということではなかろうか。まぁ私が実践できているというわけではないですが。