モリちゃんの酒中日記 8月その5

8月某日
「私の家は山の向こう-テレサ・テン10年目の真実」(有田芳生 文春文庫 2007年3月)を読む。テレサ・テンは台湾出身で日本では「ときの流れに身をまかせ」「空港」「愛人」などの演歌歌手として知られるが、台湾、香港、中国本土など中国語圏では「アジアの歌姫」として広く人気がある。テレサ・テンの誕生から台湾、日本でのデビューからタイ、チエンマイでの早すぎる死までを本人へのインタビューを含む関係者の証言や資料で綴っていく。なかでも天安門事件に前後する中国の民主化運動へのテレサ・テンへの共感と苦悩が本書の大きなウエイトを占める。書名となった「私の家は山の向こう」は中国の民主化運動支援のため香港で開催されたコンサートでテレサ・テンが歌った歌のタイトルである。元歌は日中戦争当時につくられ、その後、大陸から台湾に逃れてきた国民党軍の兵士たちが望郷の念を込めて歌ったという。香港のコンサートで歌われたテレサ・テンの「私の家は山の向こう」はユーチューブで聞くことができる。中国語なので意味は分からないが、哀感のあるいいメロディーである。歌い終わったテレサ・テンが「やった!」とでもいうように小さな叫び声を上げているのも収録されている。1989年の天安門事件から4半世紀が過ぎているのに中国の民主化は実現していない。

8月某日
「リラと私-ナポリの物語」(エレナ・フェランテェ 早川書房 2017年7月)を読む。日経新聞に好意的な書評が載り、図書館でリクエストしている人もいなかったので借りることにする。ナポリの町外れの団地に住むリラとエレナの二人の女の子が主人公。リラは靴職人、エレナは市役所の案内係の娘で、作者の分身のエレナの目を通して描かれる「ナポリの物語」は四巻からなっていて、この第一巻が「序章」「幼年期」「思春期」からなり、第二巻が「青年期」、第三巻が「壮年期」、が「成熟の時」「晩年」「終章」という構成になっている。第二巻以降はまだ刊行されていないが、第一巻はリラの結婚式で終わっている。リラは16歳で結婚しているから第一巻の舞台は1950年代。第2次世界大戦の敗戦国であるイタリアの1950年代は、同じ敗戦国の日本に負けず劣らず貧しかった。リラとエレナはともに学業優秀だったがリナは義務教育で学校教育は終了、図書館で小説を借り、独学で外国語を学ぶ。彼女が学ぶのは向学心というより好奇心で、興味が家業の靴づくりや恋人に向かうと図書館には見向きもしなくなる。エレナは教師の勧めるままに上級学校に進学するが、リナとの友情は変わらない。リナとエレナは1944年生まれという設定だから1948年生まれの私とほぼ同世代。イタリア南部と北海道では気候風土には共通点はないのだが、主人公たちの行動や心理には共感するものが多い。敗戦国や貧しさという環境が共通するためだろうか。

8月某日
「デンジャラス」(桐野夏生 中央公論新社 2017年6月)を読む。文豪谷崎潤一郎とその三番目の妻松子とその妹重子、松子の連れ子の清一とその妻千萬子、同じく松子の連れ子で谷崎家に同居する美恵子の物語で、「私」(重子)の目を通して谷崎をめぐる人間関係が語られる。「兄さんは、家族を再編し、構築するのが好きでした。身の回りを、好きな女性だけで(それも血縁のない)固めていく傾向があったのです」というように。ここで言う「兄さん」とは谷崎のことである。重子は「細雪」のヒロイン「雪子」のモデルでありそのことに誇りを持っている。しかし戦争が終わり「細雪」がベストセラーとなり、谷崎が文化勲章を受章したあたりから谷崎の関心は若く奔放な千萬子に向かう。千萬子をモデルに老人の「性」をテーマにした「鍵」や「瘋癲老人日記」が書き上げられる。谷崎にとって最も重要なのは作品であった。谷崎が好んだ女性や贅沢な料理や住居は作品の材料、舞台としても大きな意味を持っていたということなのだろう。それにしても谷崎は毎日のように速達で千萬子と文通していたという。ラインやメールで簡単に連絡をとれる現代と違って、手紙を書いて宛名を書いて切手を貼って郵便局へもっていかなければならない。谷崎の場合は郵便局へは女中が持っていくのだが、それにしても大変なエネルギーだ。

8月某日
社会福祉法人にんじんの会の石川はるえ理事長が主催する虐待予防推進事業勉強会に出席。一般社団法人にんしんSOS東京の中島さんと吉田さんから活動報告を受けた後、絵本作家の生川さんから絵本「あそぼ」の説明があった。厚労省出身で現在、内閣府の地方創生総括官の唐沢剛さん、大分大学の相澤先生、弁護士で社会福祉士の馬場さんらが参加、短期間でこれだけのメンバーを集める石川さんの「突破力」にはいつもながら驚嘆させられる。にんじんの会の事務局で働いている旧友の伊藤さんに会う。