モリちゃんの酒中日記 5月その1

5月某日
昨日はメーデー。今は手賀沼公園の一部となって家族連れが敷物を敷いて憩っていたりするが、昔は確かグランドとして使われていた。メーデーのときも我孫子市内の労組が集会に使っていた記憶がある。労働組合の組織率も低下しているからね。図書館で借りた「幸福な遊戯」(角田光代 角川文庫 2003年11月)を読む。単行本は91年9月に福武書店から刊行されている。表題作の「幸福な遊戯」「無愁天使」「銭湯」の3編の中編小説が収録されている。私の角田光代の小説の印象は健全なリアリズムというもので決して暗くはない。90年に「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞してデビューとある。角田は67年生まれだから、早稲田大学第1文学部を卒業して間もなくのデビューである。恵まれていたデビューとも言えるが不安に満ちたデビューであったと想像する。私はこの3作にその「不安」を色濃く感じるのだ。

5月某日
「日ソ戦争-帝国日本最後の闘い」(麻田雅文 中公新書 2024年4月)を読む。ソ連は第2次世界大戦末期まで日ソ中立条約によって対日本との戦闘を控えてきた。しかし1945年5月、ドイツの無条件降伏を経て日本、とくに満洲、南樺太、千島列島への侵攻が具体化してくる。本書は45年8月9日にソ連軍が満洲へ侵攻し、さらに南樺太、千島列島を奪取した経緯を、当時の記録をもとに再現している。本書を読んで思うのはソ連という国家の膨張的、侵略的性格だ。それは現在のロシアのウクライナ侵攻にも受け継がれている。中ソ対立が顕著だったとき、中国共産党はソ連を社会帝国主義と形容したが、それは正しいと本書を読んで思う。もっとも戦前の日本は帝国主義そのもので東アジアを蹂躙した。著者は「おわりに」で日ソ戦争の特徴的な3点をあげている。①日ソ戦争では民間人の虐殺や性暴力など、現代では戦争犯罪に当たる行為が停戦後も多発した②住民の選別とソ連への強制連行③領土の奪取。①は日本軍の南京事件などが見られるし②は日本の朝鮮人や中国人の強制連行や強制労働が見られる。③は現にウクライナ戦争でロシアが、ガザ戦争でイスラエルがやっていることである。

5月某日
昨日は青空のもと気温も24度位まで上がったのだが、連休最終日の本日は一転、昨夜から冷たい雨が降っている。「溺レる」(川上弘美 文春文庫 2002年9月)を読む。単行本は1999年8月、川上は1958年生まれだから彼女が40歳前後の作品である。女流文学賞と伊藤整文学賞を受賞しているから文学作品としても高く評価されたのだろう。表題作を含む8つの短編が納められているが、いずれも男女のことを題材にしている。私は上品なエロティックを感じつつ読んだ。15時30分から立憲民主党の街頭演説会が我孫子駅南口のロータリーで。岡田克也、我孫子選出の衆議院議員の宮川伸、参議院副議長の長浜ひろゆきが登場。3人の演説を聞いて私が感じたのは「現場感」の希薄さ。生産や流通の現場、医療や介護の現場をもっと回るべきではないか。そこには切実な国民のニーズがあるはずだし、そのニーズに応えるのが立憲民主党の役割と思うのだが。

5月某日
バス停のアビスタ前から坂東バスに乗車。平日の午後のためか乗客が少ない。終点の東我孫子車庫のひとつ前の我孫子中学校では私ひとりに。終点で下車、左へ行くと天王台の駅、右へ行くと手賀沼だ。手賀沼へ出て遊歩道を歩くことにする。あやめ通りを手賀沼方面に下ると「手賀沼ふれあいライン」にぶつかる。この道をしばらく行くと「ジュリエッタ」というイタリア料理店がある。私は言ったことはないが☆4.3、「本日は満席です」の貼り紙が出ていた。「手賀沼ふれあいライン」から田んぼのあぜ道を横切って遊歩道へ。私のような高齢者歩行者に行きかう。ようやく前方に「水の館」が見えてくる。「水の館」1階の我孫子農産物直売所「アビコン」を訪問、我孫子高校前まで歩き坂東バスを待つ。バスをアビスタ前で下車、帰宅。1万3千歩ほど歩いていた。

5月某日
表参道の「ふーみん」で会食。「ふーみん」は中華の名店で吉武民樹さんが表参道にあった「こどもの城」の理事長をしていたときによく利用していたそうだ。3月に高本夫妻のマンションで開かれた花見の会の延長で、そのとき初参加の小堀鴎一郎先生も岩佐愛子さんと一緒に参加してくれた。高本夫妻の友人の市川美奈子さんにも久しぶりで会うことができた。私のテーブルは吉武さん、高本社長、大谷さんと一緒で、小堀先生のテーブルは岩佐さん、江利川さん、今は立憲民主党の議員秘書をしている佐藤さんが一緒。もう一つのテーブルは厚生省で江利川さんと入省同期の川邊さん、川邉さんが資金課長のときの課長補佐の岩野さん、高本夫人と市川さんだ。大変おいしい料理をいただいたが、おしゃべりに夢中で何を食べたかよく覚えていない。

モリちゃんの酒中日記 4月その4

4月某日
図書館で借りた「西洋の敗北-日本と世界に何が起きるのか」(エマニエル・トッド 文藝春秋 2024年11月)を読む。「この本は多くの人の予約が入っています。なるべく1週間くらいでお返しください」という赤い紙が貼ってあったので、3日間あまりで400ページ余りの本を読了。しかし中身を理解し得たかというと心もとない。ロシアのウクライナ侵攻が本書執筆の動機の一つだったようだ。序章でロシアを「ネオ・スターリン的な官僚制のロシアとはかけ離れた、技術的、経済的、社会的に極めて柔軟性に富む「近代的なロシア」-つまり侮ってはならない強敵-を見出すことができる」と表現する一方、アメリカについては「西洋の危機、とりわけアメリカの末期的な危機こそ地球の均衡を危うくしている」と指摘している。プーチン政権下2000年から2017年でアルコール中毒による死亡率は、人口10万人当たり25.6人から8.4人に、殺人率も28.2人から6.2人に減少、2020年には4.7人にまで低下している。2000年の乳幼児死亡率は1000人当たり19人だったが2020年には4.4人まで減少、アメリカの5.4人を下回った。西欧が課した経済制裁もロシアに一定の困難をもたらしたが、一方で代替物の生産などで経済成長ももたらしたという。

4月某日
「戦争と有事-ウクライナ戦争、ガザ戦争、台湾危機の深層」(佐藤優 GAKUKEN 2024年10月)を読む。私が感じたのは佐藤優の考えはウクライナ戦争に関してはロシア、プーチン寄り、ガザ戦争に関してはイスラエル寄りということだ。佐藤は同志社大学神学研究科修了、外務省入省、在ロシア連邦日本国大使館に勤務、その後、本省で対ロシア外交の最前線で活躍した。確かプロテスタントの信者でもあり、そうした経歴からもロシアやイスラエル寄りとなるのも、うなずけないことではない。まぁ私は佐藤とは対称的にウクライナ、アラブ寄りなのですが。

4月某日
千葉県地域型年金委員会の理事会に出席。会場は京葉線の千葉みなと駅近くの千葉年金事務所である。理事会開催の30分ほど前に駅に到着、駅構内の立ち食いソバ屋でカツ丼の小を食べる(450円)。スマホの地図を見ながら年金事務所を探すが難航。1カ月くらい前に立川の社会福祉法人の評議員会に結局たどり着けなかった記憶がよぎる。何とか探しあげて30分遅刻で出席。千葉県年金委員会の解散等を決議する。理事会終了後、近くの居酒屋で出席理事全員で懇親会。理事は社会保険OBが大半だが、会長の岩瀬さんは確か京葉銀行の出身で現在は趣味で油絵を描く。いつか自分の油絵を絵葉書にしたものをいただいたが巧みなものだった。懇親会の費用は幹事の佐々木満さんが委員会の残余金から払ってくれた。京葉線から武蔵野線を経由、新松戸から常磐線で我孫子へ。

4月某日
「男どき 女どき」(向田邦子 新潮文庫 昭和60年5月)を読む。向田邦子は1929(昭和4)年-生まれ、1981(昭和56)年に台湾上空の飛行機事故で死去。人気シナリオライターとして数々のドラマを手がけたが、80年に直木賞を受賞。ということは小説家として「これから」というときに亡くなったことになる。本書は「この作品集は昭和57年8月新潮社より刊行された」と巻末に付記されているから、作家の事故死を受けて急に編集されたものだろう。4編の短編といくつかのエッセーが収録されている。短編には彼女の才能を感じるしエッセーには彼女の気配りと優しさを感じる。

4月某日
「菜食主義者」(ハン・ガン クオン 2011年4月)を読む。昨年、韓国初のノーベル文学賞を受賞したハン・ガン。本書も受賞を受けて増刷されたらしく、奥付は「2024年12月第2版第8刷」となっていた。本書は「菜食主義者」「蒙古斑」「木の花火」というタイトルの中編小説の連作である。最初の「菜食職主義者」を読んだ段階ではさして感銘を受けなかったのだが、「蒙古斑」「木の花火」と読み進むうちにハン・ガンの人間洞察の深さに驚かされることとなった。主人公が植物となるイメージが出てくるが、これは人間に対する絶望を表現しているように私には読めた。

4月某日
「国際法からとらえるパレスチナQ&A-イスラエルの犯罪を止めるために」(ステファニー・クープ 岩波ブックレット 2024年12月)を読む。著者は青山学院大学法学部ヒューマンライツ学科准教授。本書によると国際法とは「国際社会に関する法で、基本的に、国際条約、そして慣習国際法と言われる確立した国際社会の慣習からなります」。そして「パレスチナ人という集団の全部または一部を破壊する意図をもってイスラエルがガザを攻撃しているという視点は、イスラエルによる1948年以来のパレスチナ人の追放、パレスチナの不法占拠の継続、平和的解決の妨害といった歴史的背景を、現在の状況とつなげて考えるためにも、重要」としている。著者の考えに私は全面的に賛成である。1947年、国連総会で、パレスチナ人とユダヤ人の間でパレスチナを分割する決議が採択された。この決議は人口の三分の一、土地の6%しか有していなかったユダヤ人に、パレスチナの領土の57%を与えるという不公平なものであった。さらにイスラエルは1967年の第三次中東戦争以後も、入植地を拡大し、パレスチナ人の住居や施設を爆撃、侵略している。本書はこれらのイスラエルの行為を、国際法から見ても犯罪と断罪している。

4月某日
「82年生まれ、キム・ジヨン」(チョ・ナムジュ ちくま文庫 2023年2月)を読む。昨年末、韓国の現職大統領が罷免された。罷免を要求する集会、デモ行進には多くの女性たちの姿があった。私はテレビのニュースなどでこの映像を見るにつけ「韓国では女性の地位は男性と同等」と思い込んでいたが、本書を読むとそうでもないようだ。同じ子供であっても男の子の進学が優先され、キム・ジヨンの母は、国民学校(日本の小学校)を出ると働かなければならなかった。兄は大学に進んだにも関わらずである。キム・ジヨンの親は私と同じ世代である。韓国は一人当たりのGNPは日本を追い抜いているが、少子化は日本を上回る勢いで進んでいる。私にとって韓国は「近くて遠い国」。韓国のことをもっともっと知りたいと思う。

4月某日
引き続きチョ・ナムジュの「ソヨンドン物語」(筑摩書房 2024年7月)を読む。目次裏に「書名の「ソヨンドン」はカタカナに、本文の町名は「ソヨン洞」とした」と注記がある。洞とは日本での○○市本町のように町に該当する地名の表記方法らしい。ソヨン町に住む人びとの日常を綴る小説である。韓国とくにソウルでは不動産価格の上昇が著しい。それを背景にした庶民の悲喜こもごもが描かれる。日本の文学界でも女性の作家の伸張が著しいが韓国でもその傾向はあるようだ。この小説では登場人物の名前はすべてカタカナで、ユジョン、セフン、ヨングンという具合だ。韓国では漢字はほぼ使われなくなっているようだ。韓国の現代小説はかなり面白いと思う。ハン・ガンのノーベル文学賞受賞も韓国の現代小説に光を当てるきっかけの一つになったのかもしれない。

モリちゃんの酒中日記 4月その3

4月某日
「彼女のこんだて帖」(角田光代 講談社文庫 2011年9月)を読む。いろんな人たち、独身だったり、恋人だったり、夫婦だったり…が料理を通して人生を語る。それも深刻にではなくさらっとね。その料理のレシピが巻末についている。角田光代って深刻な話しも面白いけれど、こうした軽い話もよい。帝国ホテルのPR誌に連載した短編をまとめたのも面白かった。角田の「あとがきにかえて」、井上荒野の解説「世界を味わう小さなスプーン」もよい。

4月某日
「東京抒情」(川本三郎 春秋社 2015年1月)を読む。東京を愛する川本は、旅を愛する人でもある。紀行文にも読ませるものがあるが、今回は東京モノ。私は高校を卒業した1966年に上京、町田市玉川学園の親戚の家で一年間、浪人生活送った後、早稲田大学に入学した。1年生は西武線下井草のアパートに入居した。2年の夏に学生運動で逮捕され、アパートにがさ入れが入ったこともあって居ずらくなり、友人の紹介で練馬区小竹町の力行会が運営する国際学寮に卒業するまでいた。卒業後に現在の妻と結婚、妻の親が建てた我孫子の家に入居、現在に至っている。千葉県民歴が50年以上に及ぶが勤め先は、浜松町、駒込、新橋、神田と変わったが、いずれも東京の個性的な街であった。したがってこの本にも共感するところが多かった。共感その1「東京は大都市とはいえ、よく見れば小さな町の集まりで作られている」。例えば駒込は山手線の外側が豊島区で内側は文京区、豊島区側には霜降り銀座などがあって下町だが、内側には六義園や東洋文庫などがあって山の手の雰囲気を残す。共感その2「東京の町の特色は電車の駅を中心に商店街が作られていくことだが、そこにはたいてい居酒屋がある」。私は浜松町では国道1号線沿いにあった居酒屋、駒込では駅前の姉妹がやっている居酒屋によく行っていた。新橋では居酒屋で一杯やった後、ニュー新橋ビルの2階にあったスナックに行くというのが定番であった。神田では日銀通りをちょっと入った葡萄屋などによく行っていた。2次会には湯島の「マルル」、根津の「フラココ」というスナックへ行った。どちらも個性的なママがいたが、両方ともいまはない。共感その3「ちなみに「金美館」は戦後も、下町に多くの映画館持ったチェーンで、現在も日暮里にはその名残で「金美館通り」という商店街がある」。私の義理の姉(兄の奥さん)の元職場は小学館で詩人の高橋順子さんと親しかった。順子さんの夫が作家の車谷長吉で、私はこの人の小説のファンであった。で、義理の姉が車谷夫妻と酉の市の帰りに金美館通りの小料理屋に行くのでそこに来ないか、と誘ってくれたのだ。「侘助」という小料理屋で今でも繁盛しているようだ。

4月某日
高校時代の同級生、山本君と増田君と春日部駅西口で16時に待ち合わせ。20分ほど目に行くと増田君がすでに来ていて駅前のベンチに座っていた。増田君の隣に座って山本君を待っていると、ほどなく山本君が改札から顔を出す。私と二人は確かに高校の同級生なのだが、増田君とは中学も一緒、山本君とはなんと小学校から一緒である。3人で駅近くの飯田屋へ入る。飯田屋といえば我孫子の飯田屋で元年住協の林さんと呑んだことがある。高齢者の間で飯田屋で呑むことが流行っているのかもしれない。生ビールで乾杯した後、三人は好きなものを呑む。私はハイボール。2時間ほど呑んだ後解散。私は春日部から柏、柏から我孫子へ。我孫子駅前の「しちりん」で軽く一杯。

4月某日
「あ・うん」(向田邦子 文春文庫 2003年8月)を読む。「あ・うん」はテレビドラマ化もされ、映画化もされた。テレビドラマはNHKとTBSで作られたが私が観たのはNHKの方。主人公の水田仙吉をフランキー堺、門倉修造を杉浦直樹、水田の奥さんで門倉が秘かに惚れている水田たみを吉村実子、門倉の奥さんを岸田今日子、水田の一人娘を岸本加世子が演じていた。映画では門倉を高倉健、水田が坂東英二、門倉の妻を富司純子、娘を富田靖子が演じていた(ウイキペディアによる)。小説では門倉と水田の容貌を「門倉は羽左衛門をもっとバタ臭くしたようなと言われる美男で、銀座を歩けば女は一人残らず振り返るといわれたが、仙吉のほうは、ただの一人も振り返らない男だった」と表現されているからテレビも映画もキャスティングは適切であった。文庫本の裏表紙に「太平洋戦争をひかえた世相を背景に男の熱い友情と親友の妻への密かな思慕が織りなす市井の家族の情景を鮮やかに描いた著者唯一の長編小説」と記載されている。向田は昭和4(1929)年生まれ、56(1981)年8月に航空機事故で死去。テレビドラマは81年5月から6月にかけて放映されている。

モリちゃんの酒中日記 4月その2

4月某日
HCM社の大橋さんから尾身茂さんの日本経済新聞に連載された「私の履歴書」の切り抜きが送られてきた。今朝、新聞を取りに行ったら大橋さんからの封書があったのだ。「私の履歴書」によると尾身さんは子どもの頃から外交官志望であった。高校生のときに米国に1年間留学し、帰国したとき東大は紛争で入試はなく、慶應大学法学部に通うことに。自治医科大学が一期生を募集していることを知り、入試を受け合格する。卒業後は東京都の離島の診療所や都立墨東病院で地域医療に携わる。WHOへの赴任を希望し、そのため厚生省に入省する。WHOではフィリピンにある西太平洋事務局に勤務、ポリオ撲滅などに貢献した。尾身さんはSARSの流行も半年で終息させた。後にコロナウイルスの闘いで中心的な役割を担うことになるが、感染症と向き合った人生とも言えようか。尾身さんは現在、結核予防会の理事長。6年ほど前に亡くなった竹下隆夫さんが専務理事を務めていた団体だ。竹下さんが元気だったころ、水道橋のビルにあった予防会の本部によく竹下さんを訪問したことを思いだす。

4月某日
図書館で借りた「鯨の岬」(河崎秋子 集英社文庫 2022年6月)と「村田兆治という生き方-マサカリ投法、永遠なれ」(三浦基裕 ベースボール・マガジン社 2024年11月)を読む。「鯨の岬」は表題作と「東陬(とうすう)遺事」がおさめられている。表題作は老年期に差し掛かろうとする主婦が幼年期を振り返るというストーリー。私にとっては可もなく不可もなしという読後感。「東陬遺事」は読み応えがあった。幕末、幕府の直轄地となった北海道東部のネモロ(根室)地方の物語。東陬とは東の僻地という意味らしい。河崎は北海学園大学出身の酪農家、「東陬遺事」で北海道新聞文学賞を受賞、その後、直木賞も受賞。文章もしっかりしているし時代考証もホンモノだ。「村田兆治」はマサカリ投法で名をはせた元ロッテライオンズの村田兆治の物語。作者の三浦基裕は日刊スポーツの社長を務めた後、佐渡市長を1期務めた。2期目は元市役所職員に敗れたが、この時の市長選には元厚労省職員で佐渡市の副市長を務めた私の友人も出馬した。それはさておき、村田はプロを引退した後、離島甲子園の開催など少年野球の振興に尽力した。自宅の火災で死亡したが、著者の哀惜の情が伝わってくる書である。

4月某日
「ピリオド」(乃南アサ 双葉文庫 2024年5月)を読む。巻末に「本書は2002年5月、小社より文庫判で刊行された同名作品の新装版です」との文章がある。乃南は1960年生まれだから40歳頃に構想、執筆された小説である。当時、話題になったという記憶もないが、私は面白く読んだ。主人公は40歳、×1のフリーカメラマンの葉子。冒頭、葉子が津軽の廃屋と化したアパートを訪ねるシーンから物語は始まる。去年、死刑になったという男の育った家だという。小説では死刑囚の名前は明らかにされないが、永山則夫のことであろう。物語では葉子の住む中野のマンション、葉子の兄一家が住む長野の家、それと葉子と兄が育った栃木の家、そして津軽の廃屋が重要な意味を持っている(と思う)。葉子と不倫関係にあった編集者の妻が殺害される。葉子のマンションには甥が受験のために滞在し、姪も春休み遊びにくるに。葉子の兄は末期がんで長野の病院に入院している。葉子の旧友でもある兄の妻は近くのガソリンスタンドの主人との不倫が疑われている。終章で葉子が撮影した栃木の実家の写真を見るシーンがある。そこで葉子は津軽の廃屋のことを思いだす。「あの長屋が残る限り、既に刑死している男の記憶は、人々から薄れることはないだろう。男は今も不名誉なまま、生き続けることになる」と記されている。

4月某日
アメリカのトランプ大統領が自国第一主義に基づいて高い関税障壁を設けようとしている。これについて今朝の朝日新聞(4月14日)に小野塚知二・東大特任教授(西洋社会経済史)が解説していた。19世紀、重商主義のもと自国の産業を保護するために高い関税がかけられていた。当時の英国では人口増加に伴う穀物価格の上昇が問題になっていた。そこで外国の食糧に関税をかけずに輸入することを主張したのがリカードで、その考え方は1846年の穀物法廃止につながり、輸入穀物の関税が撤廃された。しかし自由貿易の考え方がそのまま単線的に広がったと見るのは過ちで、第一次世界大戦の背景には英国やドイツ、イタリア、ロシアに広がった経済的なナショナリズムがある。戦間期の1932年、英国は自由貿易から保護主義に転換、オーストラリアやインドなどを自国の経済圏に囲い込み、それ以外の国には高い関税を課した。やがて世界は連合国側(米英中ソなど)と枢軸国(日独伊)に分かれ、第二次世界大戦を戦うことになる。戦後の国際通貨基金(IMF)や関税貿易一般協定(GATT)に通底するのは、経済的に相互依存が進めば戦争の可能性が低くなるという思想だ。小野塚教授は最後に次のように警告する。「米国が経済圏を囲い込み始めたりすれば、1930年代のブロック化に近づくかもしれない。関税をおもちゃのようにもてあそび続けるなら、これまで経験したことのない緊張と摩擦がもたらされる恐れがある」。何年か前にタモリが言っていた「新しい戦前が始まる」という言葉が思い出される。

モリちゃんの酒中日記 4月その1

4月某日
昨日、評議員をしている社会福祉法人の評議員会が立川で開催。7時から開催なので6時30分頃、立川に到着、楽勝で間に合うと思ったが会場がなかなか見つからない。何度も来ているのに見つからないとは…。老化の兆しか。霧雨が降り出し、寒さも募り悪寒も。体調を考えて立川駅に戻り、しばし休息。我孫子まで帰ることにする。我孫子駅でトイレによったらバスを乗り過ごす。次のバスまで20分以上あるのでタクシーに乗る。タクシー代900円也。本日はとことんついていない。にしても社会福祉法人の理事長、理事、評議員の皆さん、申し訳ありませんでした。

4月某日
昨年、週刊文春が報じたタレント中居某のフジテレビ女子アナウンサーへの性加害とそれを巡るフジテレビへの対応についての報告書が公表された。公表を報じた新聞やテレビの報道を通じてしかその内容を知ることはできないが、フジテレビの対応はひどすぎないか。たとえてみれば中居某は時代劇に出てくる悪代官で、フジテレビは悪代官を支える越後屋である。悪代官は村の娘に性的暴行を行うが越後屋を通じて事件の隠ぺいを図る。「おぬしも悪よのー」である。悪代官の舞台は江戸時代であり、しかも当時、悪代官が普遍的に存在したわけでもない。中居某とフジテレビの件は現代に現実に起きた事件である。我々はテレビ局の記者に性的暴行を受けた伊藤沙織さんの事件も知っている。権力や権威、不平等を背景にした性的な取引を含む不正な取引は許されない。

4月某日
千代田線で霞が関へ。虎ノ門の渡邉弁護士を訪問、渡邊先生は昨年、フェアネス法律事務所から独立、高田馬場の社会福祉法人の件は引き続き担当しているとのこと。社福を巡る訴訟は敗訴したとのこと。訴えた地主とも電話で話したが意気軒高であった。私はこの件に関わって10年近くになるが、応援する気持ちは変わらない。裁判所も間違うことがある(袴田さんの事件をみよ)のだ。正義は何回負けても、最後に勝てばいいのだ。弁護士事務所を出て、大学の同級生で弁護士の雨宮先生の待ち合わせ場所、「さかなさま」へ。最初から日本酒を頼む。刺身の盛り合わせ、栃尾の油揚げなどをいただいた後、鍋を頼み、最後は雑炊、おいしゅうございました。雨宮先生にすっかりご馳走になる。

4月某日
「アナキズムを読む-〈自由〉を生きるためのブックガイド」(田中ひかる編 皓星社 2021年11月)を読む。私は若年から何度か思想の変遷(それほど大袈裟なものではないが)を繰り返してきたが、最後に行きついたのはアナキズムのようだ。半世紀前の全共闘運動も根底にはアナキズムがあったように思うし、地球環境保護やフェミニズムの運動もアナキズムに通底しているように思う。本書では「チッソは私であった-水俣病の思想」(緒方正人)や「明けの星を見上げて-大道寺将司獄中書簡集」などが紹介されている。私は1870年代のスイスの時計工たちの主張「平等で自由な社会が、権威主義的な組織から生み出されることなどどうして望みえようか」に限りなく共感する。

4月某日
「皇后は闘うことにした」(林真理子 文藝春秋 2024年12月)を読む。林真理子は皇室や華族に大いに興味を抱く。そのこと自体は一般の国民の関心事と同じであり、私も同類である。しかし林は膨大な資料を読みこなし、関係者への取材を行った後に作品を仕上げている。林の興味、関心はミーハーを基礎にしていると思われる。しかしそれを基礎にして立派な文学作品に仕立て上げている。現在、日大の理事長を務め文学活動は控えざるを得ない。将来の文化功労者候補である。宮尾登美子のようにね。

モリちゃんの酒中日記 3月その2

3月某日
「昭和天皇の敗北-日本国憲法第一条をめぐる闘い」(小宮京 中央公論新社 2025年1月)を読む。1945年8月に大日本帝国は米国を主体とする連合国に敗北した。これは歴史的な事実であるが、敗北を境として天皇制国家が民主的国家に転換した、と私などは思っていたのだが、本書を読む限りはそれは誤りであったようだ。8月の敗戦は軍事的な敗北であって、昭和天皇はじめ支配者層は天皇制が敗北したとは考えていなかった。それが米軍を主体とする進駐軍との折衝を経ながら、日本型ファシズムとしての天皇制が敗北したことを支配者層が骨身にしみて感じるようになる。私は少し猫背で、国民に帽子を振る昭和天皇しか記憶にないのだが、戦前戦中は天皇は大元帥陛下でもあったのだ。敗戦後、新憲法の公布とその定着まで、天皇の地位は結構、不安定だったのではないか。

3月某日
「宮尾登美子全集 第四巻(岩伍覚書 寒椿)」(朝日新聞社 1993年2月)を読む。「岩伍覚書」は「櫂」「春燈」「朱夏」で岩伍と妻の喜和、娘の綾子の生涯を描いたシリーズのいわば外伝。三作は喜和や綾子の視点で描かれているが、「岩伍覚書」はタイトルのとおり岩伍の視点で描かれている。作者の宮尾登美子は父の死後、父の日記を読むことになるが、「岩伍覚書」の一部もその日記に基づいていると思われる。「寒椿」は高知の芸者子方屋の松崎に売られてきた澄子、民江、貞子、妙子の物語。芸者子方屋で三味線や踊りなどの芸を仕込まれた少女たちはやがて芸者や娼婦として売られていく。少女たちは親の借金のために芸者子方屋に売られ、さらに膨らんだ親の借金のために売られていく。戦前は日本が進出した中国大陸へ渡った女性も多かった。戦前は人身売買も普通に行われていたのである。岩伍はその人身売買で財を築くわけだが、岩伍自身は貧しい人のためと思っている。宮尾登美子はこのような人身売買を必ずしも「悪」とは描いていない。物語の前提として、時代小説が身分制度を前提として描くように描いているのである。

3月某日
中央区新川の高本夫妻のマンションの集会室で花見の会。八丁堀駅からマンションを目指すがスマホの地図がうまく読み取れず、高本(夫)さんに迎えに来てもらう。部屋に着くと全員が揃っていた。元民介協専務の扇田さんとは久しぶりに会うことができた。元厚生労働省の江利川、吉武さん、社保研ティラーレ社長の佐藤さん(現在は立憲民主党の衆議院議員秘書)、元滋慶学園の大谷さんらと歓談。年友企画の岩佐さんが医師の小堀鴎一郎先生を連れてくる。先生は1938年生まれだから私の10歳年上だが、とてもお元気で現在も自分で車を運転して訪問診療を行っているという。先生は文豪森鴎外の孫ということで、私も上野の池之端にあったホテル、鴎外荘の話などをする。先生は外科医で江利川さんの実父の手術も執刀したそうだ。帰りは吉武さん、大谷さんと茅場町駅から日比谷線で上野へ。私と吉武さんはそのまま北千住で常磐線に乗り換えて我孫子まで。

3月某日
昨年、ノーベル文学賞を受賞したハン・ガンの「少年が来る 新しい韓国の文学15」(クオン 2016年10月)を読む。2024年12月に第2班第4刷が発行されている。作者のノーベル賞受賞で売れ行きに弾みがついたのである。1980年の光州事件を舞台としつつ、事件の死者の魂が時空を超えて語る。リアルかつファンタジックな不思議な作品。繰り返し読みたいが「この本は、次の人が予約してまっています」という黄色い札が貼ってあるので、これから図書館に返却します。

3月某日
「ダーク」(桐野夏生 講談社 2002年10月)を読む。パソコンで光州事件を検索したら、ハン・ガンの「少年が来る」などと一緒に桐野の「ダーク」が示されたので、我孫子市民図書館にリクエストした。02年の発行なので通常の書棚ではなく書庫に在庫されていて、図書館員が書庫から出してくれた。私立探偵の村野ミロを主人公としたシリーズの最終作。私は「ダーク」を除いてすべて読んでいる。第一作の「頬に降りかかる雨」が93年で02年の「ダーク」までシリーズは5作である。この頃の桐野はハードボイルド作家に分類されていたし、本作においても暴力とセックスの場面の描写はさすがである。ミロはソウルで日本人に強姦され、その子を身ごもる。ミロは中絶はせず出産することを決意する。ラストシーンは赤ん坊のハルオと訪れた那覇市である。光州事件に釜山から光州を訪れた少年が、後にミロと結ばれる徐である。「ダーク」はミロシリーズのなかでも時間的、空間的な広がりと内容的な深さで際立っているように思う。

3月某日
床屋「カットクラブパパ」に散髪に行ったら2人待ち、近くのレストラン「コビアン」で生ビール中と「エビとキノコのアヒージョ」を頼んで時間をつぶす。コビアンに小1時間ほどいて再び床屋へ。10分ほど待って散髪、今年から料金が500円上がって4000円に。以前行っていた若松の床屋は2500円で、こちらは25日に1回のペースで行っていた。カットクラブパパは35日~40日に1回で行こう。こちらの床屋さんは腕がいいというか、センスがいいんだよな。

3月某日
「男の愛-俺たちの家」(町田康 左右社 2025年1月)を読む。「男の愛-たびだちの詩」の続編。ヤクザとしてデビューした清水次郎長がヤクザとして世の中に認められていく過程を描く。町田はヤクザとしての次郎長を肯定も否定もしない。その破天荒な人生を率直に描く。人間としての次郎長は肯定していると言ってよい。「ギケイキ」もそうだったけれど、町田は「人生を外れた」人が好きなんだ。本書の最後で次郎長は恋女房お蝶と結婚する。次郎長には過ぎた女房なのだが、町田はその次郎長を「その後ろ影には華やかな孤独の香りが漂っていた」と形容する。「華やかな孤独」だよ。

モリちゃんの酒中日記 3月その1

3月某日
宮尾登美子の「櫂」(新潮文庫 平成8年11月)と「春燈」(朝日新聞社 宮尾登美子全集第2巻)を読む。15歳で渡世人・岩伍に嫁いだ喜和と岩伍が娘義太夫との間に儲けた綾子の物語。芸妓娼妓紹介業を始めた岩伍は商売に集中するあまり家庭を顧みない。喜和は家を出て小商いを始める。綾子は喜和になつき岩伍の家には寄り付かない。しかし綾子の高女受験を機に綾子は岩伍の家に帰ることにする。岩伍と喜和の離婚は成立し、岩伍はすでに使用人だったお照と事実上の夫婦となり、お照の連れ子二人も同居する。喜和と別れ、岩伍の家へひとり自動車で向かう綾子。「櫂」は喜和の視点から大正、昭和の高知の街と芸妓娼妓紹介業という現在では特別な世界を描く。「春燈」では今度は綾子の視点で昭和戦前期の高知の街と綾子の県立高女の受験失敗と、高坂高女への進学と卒業後の研究科での勉学、そして高知の山村での綾子の代用教員生活を描く。綾子が赴任した山村は高女時代の親友で夭折した規子の故郷でもあった。山村の自然の描写が美しく、高知の街中で育った綾子、そして作者の感激が伝わってくる。
「春燈」の最後で綾子は小学校教員の同僚と結婚する。綾子は岩伍の経営する芸妓娼妓紹介業という仕事が若い女性の生き血を仕事に見えて嫌でたまらない。そういう価値観は喜和とは共有されるが岩伍には通じない。岩伍にとっては女性の貧困からの脱出に手を貸している感覚である。NHKBSのドラマでは岩伍は仲村トオルが演じていた。喜和を演じていたのが松たか子だからバランス的には仲村トオルでいいのかもしれない。しかし岩伍の複雑な性格を演じるにはもう少しベテランがいいのではないか。イメージでいうと三船敏郎とか萬屋錦之助、青年期は仲村トオルでいいが、中年以降はかえてもらいたい。ところで芸妓娼妓紹介業は戦後の売春防止法により、少なくとも娼妓紹介業は違法とされる。

3月某日
監事をしている一般社団法人の理事会に出席。会場は八重洲の貸会議室。会長(代表理事)の挨拶がいつも聞かせる。今回は東日本大震災から14年ということもあって震災がらみのお話。死者は15900人にのぼるが、うち70-79歳が23.8%、80歳以上が20%だったとか、高齢者の比率が高い。あの日は確か金曜日、地震の発生は午後2時46分。高齢者は自宅にいて津波に襲われたということだろう。この日は根津で呑み会があるので八重洲から丸の内口に出て、千代田線の大手町から根津へ。駅近くの喫茶店で遅いランチのサンドイッチをいただく。喫茶店を出て言問通りを5分ほど行ったところで「森田さん!」と声を掛けられる。本日の呑み会のメンバー、大橋さんに土方さん、石津さんだった。4人で本日の会場「たけむら」へ。上品な割烹で日本酒も揃っている。土方さんにすっかりご馳走になる。大橋さんからはお土産をいただく。

3月某日
「仁淀川」(宮尾登美子 新潮文庫 平成15年9月)を読む。「櫂」「春燈」「朱夏」と続く岩伍と喜和、そして綾子の物語の最終版。満洲から体一つで引き揚げてきた綾子と夫の要、娘の美耶は故郷高知の仁淀川のほとりにある夫の生家に身を落ち着ける。貧しい農家を手伝いながら綾子は満洲からの帰還やここでの暮らしを娘のために書き残そうと決意する。後に綾子は要と離婚し夫の生家も出ることになる。綾子は作者の宮尾登美子その人がモデルであるが、宮尾は高知市で再婚後、上京して遅咲きの作家デビューを果たすことになる。

モリちゃんの酒中日記 2月その3

2月某日
水曜日の夜はNHKBSのドラマを見る。7時からは特選ドラマ「櫂」。原作は宮尾登美子の同名の自伝的小説。遊郭への女郎紹介業を営む岩伍(仲村トオル)に嫁いだ喜和(松たか子)が主人公。夫の稼業に反発する喜和。しかし満州事変当時の時代の雰囲気はそれを許さない。20代前半と思われる松たか子の初々しさが光る。櫂が終わると同じNHKBSで「ハルとナツ-届かなかった手紙」。脚本は橋田須賀子。戦前、北海道から南米に渡った姉妹、ハルとナツの物語。実はナツは渡航直前にトラホームに罹患、独り北海道の親戚の家に預けられる。親戚の家では叔母に苛め抜かれるナツ。ここらへんはさすがに「おしん」を手がけた橋田須賀子。70年後、日本に里帰りしたハル(森光子)に日本で成功したナツ(野際陽子)はあおうともしない…。森光子も野際陽子もすでに物故しているが、二人とも達者な演技で。「ハルとナツ」が終わると10時、ウイスキーを飲み始める時間である。

2月某日
図書館で借りた「おらおらでひとりいぐも」(若竹千佐子 河出書房新社 2017年11月)を読む。実は宮沢賢治の詩「永訣の朝」に同じ一節があることを朝日新聞の天声人語で知った。若竹の小説は高卒後、上京した私が夫と出会い、そして死に別れる。悲しみのなかで私は自立の道を選ぶ。「ひとりでいぐも」である。宮沢賢治の詩では「いぐも」は病床の妹が「ひとりで逝くも」とつぶやいたことを描写している。若竹の「いぐも」は「行くぞ!」という意味ね。

2月某日
手賀沼健康歯科で3カ月健診、奥歯に磨き残しがあると指摘される。頑張って歯磨きしてきたのに残念である。歯医者の帰りにスーパーに寄って歯ブラシと歯間ブラシを購入、さらに丁寧な口腔ケアを目指す。

2月某日
我孫子駅前の千葉県福祉ふれあいプラザ2階の「ふれあいホール」に「我孫子市ふるさとお笑いLIVE!」を観に行く。全席指定で前売券は4000円、即日完売という。我孫子市出身の塙が属するナイツが出演するのが目玉。14時30分の開場に合わせて行くと、ホールにはすでに人が詰めかけていた。ナイツ他、10組ほどの芸人が出演、ライブとテレビでは演目の内容が微妙に違うことを発見、テレビでは他人のプライバシーや差別発言と捉えられることを気にするのが一般的。しかし誤解を恐れずに言えば、プライバシーの暴露や差別は芸能の重要な要素だったはずだ。例えば歌舞伎や文楽の心中ものは実際の事件に題材をとったものがあるし、落語では与太郎は知恵遅れを主人公にしているといえなくもない。現代でもビートたけしや爆笑問題はテレビでもぎりぎり切り込んでいるように思う。

2月某日
日曜午後1時からはBSNHKで映画が放映されている。今日はデビットリーン監督の「ドクトルジバゴ」が放映されるので観ることにした。この映画が日本で公開されたのは私が高校生のとき。同級生の山本君と観に行った。観た後に山本君が「社会主義も嫌に感じるな」といったのに対し、私が「そんなことはない」と反論したのを覚えている。今にしてみると山本君が正しかった。

2月某日
「孤独な夜のココア」(田辺聖子 新潮文庫 昭和58年3月)を読む。何度目かな、少なくとも2回は読んでいるはず。12の短編小説がおさめられている。惹句に曰く「田辺聖子の恋愛小説。そのエッセンスが詰まった、珠玉の作品集」。失恋もめでたく成就する恋愛も描かれるが、私はどちらかというと悲恋ものが好き。なかでもお薦めは「春つげ鳥」と「ひなげしの家」。「春つげ鳥」は22歳のわたしとちょうど倍、年上の笹原サンの物語。笹原サンには妻子がいるが、子どもの進学を機会に離婚する心を固める。笹原サンは二人のために山の上に家を買い、家財道具もそろえ始める。「毎夜、笹原サンは正確に七時ごろ帰る。…でも、その夜、笹原サンは、いつまで待っても帰らなかった」。会社で倒れて病院で死んだのだ。山の上の家には毎朝、春告鳥が姿を見せていた。「もしかしたら笹原サンは、わたしに、あの春つげ鳥を見せるために、わたしにめぐりあったのではないかと思われる」。「ひなげしの家」は、神戸の都心をはずれた西の盛り場でバーをやっているわたしの叔母さんには長年連れ添っている画家の叔父さんがいる。叔父さんには別に家族がいるが別居している。「ひなげしの咲く前に、叔父さんは入院した」「たった七十日の入院で、叔父さんは死んだ」「ガンである」。病室から叔母さんが出て行った。「いつまでたっても、叔母さんは帰らなかった。叔母さんはひなげしの家で、首を吊って死んでいた」。「遺書もなかった。叔母さんはいさぎよかった」「ひなげしの家は、いまは人手に渡った」。

2月某日
虎ノ門の社会保険福祉協会で「保健福祉委員会」。協会の保健福祉活動の報告を受け、必要に応じて助言する。今回で委員会は役割を終えるということで近くのフレンチレストランで昼食をご馳走になる。昼食後、15時に人と会うことになっているので新橋界隈をしばし散策。15時に烏森口で厚労省OBの堤修三さんと待ち合わせ。近くの昼飲みできる店に入る。もともと厚労省の医系技官だった高原亮治さんと3人の呑み会だったが高原さんが赴任先の高知で亡くなったので2人の呑み会に。3人は堤さんが東大法学部、高原さんが岡山大学医学部、私が早稲田の政経と出身大学も別々だが、それぞれの大学の全共闘崩れという共通項がある。

2月某日
図書館で借りた「ゲーテはすべてを言った」(鈴木結生 朝日新聞出版 2025年1月)を読む。芥川賞受賞作である。高名なゲーテ学者の博把統一(ひろば・とういち)の一家を描く。惹句に曰く「若き才能が描くアカデミック冒険譚!」。まぁそういうことである。

モリちゃんの酒中日記 2月その2

2月某日
「力道山-『プロレス神話』と戦後日本」(斎藤文彦 岩波新書 2024年12月)を読む。力道山は私の子どものころのヒーロー。著者は力道山を描くことによって戦前から戦後日本の一断面を描きたかったようだ。「いまここにいるぼくたちにとって、力道山の歩んだ道こそは、戦前・戦中から戦後の復興、高度経済成長期までの昭和そのものであり、戦争を体験した世代の日本人の物語であり、いままでとこれからの日本の物語、アジアの物語なのである」(あとがき)。「日本とアジアの物語」であることに共感する。力道山は戦前、日本の植民地であった朝鮮半島に生まれた。生年は1920年、22年、23年、24年など諸説ある。力道山は現在の北朝鮮、韓国でも人気があるようだ。金日成主席に自動車を贈ったという話も紹介されている。プロレスラーとして成功しただけでなくプロモーター、実業家としても成功した。頭が良かっただけでなく、勝負勘にも優れていたのだろう。

2月某日
「イスラーム 生と死と聖戦」(中田考 集英社新書 2015年2月)を読む。パレスチナでは今もイスラエルとアラブ国家に支援されたアラブゲリラが戦闘を続けている。アラブの人びとが信仰しているのがイスラム教で、仏教やキリスト教と並んで世界三大宗教とも言われる。しかしその割にはイスラム教の何たるかを知らないことから図書館で本書を借りた。聖戦とはジハードのことで私の考えではアラブの人は自爆ゲリラも聖戦と考えているように思う。ジハードについて著者は「ジハードは死ぬことを目的にした自殺ではなく、あくまでも戦いであって、死ぬまで戦うのが基本」(序章)と言い切っている。そういえば半世紀ほど前、イスラエルの空港で銃を乱射して自爆した日本赤軍がいた。彼らがイスラム教徒であったかどうか知らないが、恐らくジハードを意識していたと思われる。

2月某日
アビスタにある我孫子市民図書館へ「イスラーム 生と死と聖戦」を返却に行く。良い天気なのでアビスタ前から「天王台経由湖北行き」のバスに乗る。天王台で下車、北口の泰山逸品という中華料理屋でランチ。店員の言葉使いからすると、中国人の経営かと推定される。泰山一品という店名からして中国っぽい。五目チャーハンを注文する。私好みにパラパラに仕上がっている。満足して代金、880円を支払う。帰りは天王台から一駅の我孫子へ。我孫子からバスに乗車、手賀沼公園前で下車。市民図書館に寄って帰宅。

2月某日
今日は月曜日で図書館の休館日。遅い朝食をとったあと、徒歩で駅前の我孫子県民プラザへ。ここは県の施設で学習室や会議室などが充実している。私はだいたいが1階のホールのベンチに座って読書。私のような高齢者が待ち合わせ場所として使っている。15時になったので駅前の「しちりん」がオープンする時間。マスターが暖簾を出すと同時に入店、ホッピーと国産ニンニクオイル揚げをいただく。我孫子駅前からバスでアビスタ前へ。そして帰宅。

2月某日
「力道山未亡人」(細田昌志 小学館 2024年6月)を読む。日本航空の客室乗務員だった田中敬子は21歳で当時、人気も実力も絶頂期にあった力道山と結婚する。しかし盛大な結婚式を挙げて1年も経たないうちに力道山はヤクザとの諍いの末に死ぬ。敬子は小学生のとき神奈川県の健康優良児に選ばれ、高校生のときは神奈川新聞主催の英語論文コンクールで特等賞をとるなど健康にして学業優秀な少女だった。彼女の夢は外交官となることで、大学は国際基督教大学を志望する。入試に落ちて予備校の通学途中の電車で「日本航空客室乗務員・臨時募集」のポスターに魅かれ、試験を受けて見事、合格する。ポスターと出会わなければ客室乗務員になることもなく、力道山との結婚もなかったであろう。力道山は粗暴で酒癖が悪いとの風評があるが、敬子には優しかったようだ。しかも企業家としても鋭いセンスを持っていたといってよい。力道山と敬子は娘に恵まれたが、その娘の子が慶応高校で甲子園に出場したことも明かされている。彼は慶応高校から慶應大学に進み、三菱商事に就職したという。そういえばプロレス中継は三菱電機の提供であった。

モリちゃんの酒中日記 2月その1

2月某日
久しぶりに我孫子から上野経由で神田へ。社保研ティラーレの吉高会長を訪問。佐藤社長は新人議員の秘書仕事に多忙を極めているようだ。吉高会長と雑談しながら缶ビールをいただく。地下鉄の大手町から銀座へ。銀座風月堂ビルでセルフケアネットワークの高本代表を訪ね3月22日の花見の会の概要を聞く。風月堂ビルから歩いて有楽町の東京交通会館へ。ふるさと回帰支援センターの高橋ハム代表を訪問。ほどなく大谷源一さんが登場。3人で銀座のフランス料理店へ。元厚生労働省の中村秀一さん、元読売新聞記者で現在は「子どもと家族のための政策提言プロジェクト」の共同代表を務める榊原智子さんが待っていた。高級フランス料理を堪能。大谷さんと有楽町から上野まで山手線で帰る。上野で大谷さんと別れ、私は上野から我孫子へ。運よく座れた。豪華フランス料理は中村さんと高橋さんにご馳走になる。

2月某日
北海道室蘭市で小中高が一緒だった佐藤正輝君が東京に来るというので新橋駅の機関車前で4時50分に待ち合わせ。私が行くとすでに佐藤君、山本良則君、上野英雄君、大郷君それに山本君の前の奥さんの新谷真理さん、高校から一緒だった中田(旧姓)志賀子さんが揃っていた。大郷君が別に用事があるというので機関車前で記念撮影。客引きをしていた青年にシャッターを頼むと機嫌よく引き受けてくれた。私が予約を入れておいた、ニュー新橋ビル2階の初藤へ。佐藤君、山本君、上野君は小学校からの付き合いだから、およそ70年くらいか、新谷さん、中田さんは高校からだが、それでも60年くらいの付き合いだ。楽しく歓談してひとり3000円ほどの勘定になったが、佐藤君が全部払ってくれた。佐藤君は全員にお土産までくれた。新橋で解散。私は新橋から山本君と上野東京ラインに乗り、山本君は北千住で春日部へ。私はそのまま我孫子へ。

2月某日
「代替伴侶」(白石一文 筑摩書房 2024年10月)を読む。「国連が『世界人口爆発宣言』を行ったのがいまからほぼ半世紀前」という近未来が舞台。伴侶を失い精神的に打撃を被った人間に対し、最大10年という期限つきで、かつての伴侶と同じ記憶や内面を持った「代替伴侶」が貸与されることになった…。というストリー。私はマンガの「鉄腕アトム」を思い出した。最愛の息子を失った天馬博士が息子にそっくりなロボット「アトム」を開発する。
子どもの頃は「鉄腕アトム」に夢中になったが、この小説には夢中になれなかった。舞台が近未来でも小説にはリアリティが必要と思うが、それが希薄なのだ。

2月某日
「別れを告げない」(ハン・ガン 斎藤真理子訳 白水社 2024年4月)を読む。昨年、ノーベル文学賞を受賞した韓国の文学者の作品。韓国の済州島(チェジュド)事件を生き残った母親と、いまを生きる力を取り戻そうとする二人の若い女性が主要な登場人物。済州島4.3事件は1948年に南半分だけの「単独選挙」に反対して済州島民が起こした武装蜂起を契機とする、朝鮮半島の現代史上最大のトラウマともいうべき凄惨な事件である。現代の韓国もユン大統領の戒厳令や大統領の解任など、政治的な混乱が続いている。私はそこに韓国の民主主義の成熟を感じるのだが、逆に未成熟を指摘する識者もいる。私は本書を読んで済州島事件や光州事件を通して韓国民は民主主義を「戦いとった」と思う。本書はもう一度読みたいし、ハン・ガンの他の作品も読んでみたい。