モリちゃんの酒中日記 11月その3

11月某日
本日は10時30分からマッサージ、30分で終えて11時15分から石戸歯科クリニックへ。前回は50%以上あった歯磨きの磨き残しが25%になっていた。13時30分から社保研ティラーレで打ち合わせだったが20分以上遅刻してしまった。次回の「地方から考える社会保障」フォーラムの検討をしたが、吉高会長は新しいビジネスを構想しているようで、フォーラムは12月になったらまた検討することにする。16時から日暮里の「ばんだい」で大谷さん神山さんとの会食。神山さんにはいつも石巻の銘酒などを貰っているので、御徒町の松坂屋で日光カナ屋ホテルのバームクーヘンを購入。16時に「ばんだい」に入ると二人はもう来ていた。「ばんだい」にはベトナム人の美人バイトがいた。マスクをしているからか、女の人がみんな美人に見えてしまう。

11月某日
春日部駅で13時に小中高と一緒だった山本良則君と待ち合わせ。山本君の車で駅からちょっと離れたコメダ珈琲店へ。山本君はコーヒーとハンバーガー、私はポテトサラダサンドとコーヒーを頼む。ポテトサラダサンドは私にはちょっと量が多かった。コメダ珈琲には1時間以上いた。話すこともあまりないのだが、幼馴染というのはそこにいるだけでいいものだ(個人の感想です)。山本君から自分で作った里芋を渡される。山本君に東武伊勢崎線の「せんげん台駅」まで送って貰う。北千住で常磐線に乗り換えて上野駅へ。神田駅北口で17時30分に石津さんと待ち合わせだがまだ時間があるので神田駅近くの喫茶店で時間をつぶす。
17時30分に石津さん登場。神田駅界隈で前に行ったビストロを捜すが見当たらないので近くの「神田新八本店」へ。私は最初から日本酒、石津さんは生ビール。呑んだり食べたり喋ったりであっという間に時間は過ぎてお開きに。

11月某日
「未来」(湊かなえ 双葉文庫 2021年8月)を読む。湊かなえの小説を読むのは初めて。帯に「万感胸に迫るラスト、渾身の長編ミステリー」と刷り込まれていた。確かに読ませることは読ませるのだが。どうもリアリティに欠ける印象が。特に後半ね。複数のストーリーが交錯するのだが、私の頭が悪いのか関連付けるのが困難だった。

11月某日
山本良則君が貸してくれた「長男の出家」(三浦清宏 1988年2月 福武書店)を読む。三浦清宏は室蘭出身の小説家で1988年上期の芥川賞を本作で受賞している。「私」、妻、長男、長女という家族構成の一家が長男の中学生が出家を決意し、実際に禅寺に出家することによる家族の動揺、変容を描いている。この小説はおそらく三浦の実体験にもとづいている。この長男はどうなったのだろうか?三浦には「海洞」という室蘭を舞台にした長編小説がある。もう一度読んでみようと思う。フジテレビの「ザ・ノンフィクション」を観る。今回は立川談志の晩年の姿を談志自身や息子や娘の撮影で映し出す。談志は「落語は業の肯定である」と書いているが談志の人生そのものが業の追求であったと思う。咽頭がんが進行し死の直前までカメラを拒むことはなかったという。生前の西部邁と親交があったが、二人とも業が強そうだ。

11月某日
週に2回、近所の鍼灸マッサージに通っている。家を出て2~30メートル歩くと後ろから「おじいちゃん」と声を掛けられる。ふり向くと私よりも年上そうな女性が「おじいちゃん、大丈夫ですか?」と、気遣ってくれる。確かに私は脳出血の後遺症で右半身にマヒが残り、足を引きずって歩く。だけれど日常生活で他人の介助を受けたことはない。「ありがとうございます。すぐそこのマッサージ屋さんですから大丈夫です」と答えると、女性はさらに「ついて行きましょうか?」と聞くではないか。これも丁寧にお断わりしたが、傍から見ると私の歩行姿は介助が必要なんだといささかショックであった。

モリちゃんの酒中日記 11月その2

11月某日
社会保険福祉協会の「保健福祉活動支援事業」運営委員会に参加。社福協が実施している「福祉活動」について報告を受け、意見を言うことになっている。私以外は「ひつじ雲」の柴田理事長など介護事業の専門家であり、私などの出る幕はないと思うのだがあと2年、委員の任期が残っているのでそれまでは続けようと思う。新しく医院となった宮川路子さんを紹介される。宮川さんは慶應大学出身の医学博士で現在、法政大学人間環境学部の教授。社福協からの帰り、虎ノ門まで少し話すことができたが、とても気さくでそれでいて教育には熱意を持っているようである。虎ノ門で宮川さんと別れ私は日土地ビルのフェアネス法律事務所へ。渡邉先生から経過報告を受ける。遠藤代表弁護士からは今度出す本のゲラ刷を見せられる。年友企画の迫田さんとその後、呑む予定だったが迫田さんの都合がつかず延期。今日の晩御飯はいりませんと言ってあるので我孫子の北口の居酒屋で一人酒。

11月某日
昨日に引き続き東京へ。本日は社保研ティラーレで「地方から考える社会保障フォーラム」の会議。吉高会長、佐藤社長、社会保険研究所の総務部長と水野氏が参加。フォーラムはおおむね年間3回、3コマで実施することで合意。次回のだいたいの構想について私がまとめてくることになった。社保研ティラーレを出て神田駅に向かうと「森田さん」と声を掛けられる。HCM社の大橋会長である。事務所へ帰る大橋さんと上野駅までご一緒する。土方さんを入れて忘年会をやることで一致した。上野駅からはちょうど来た特別快速に乗車。日暮里の後は北千住まで止まらない。我孫子にも止まらないので柏で下車。高島屋の地下2回の酒売り場によって国産のジンを買う。柏駅北口の「庄屋」で一杯。

11月某日
「しごと放浪記-自分の仕事を見つけたい人のために」(森まゆみ インターナショナル新書 2021年8月)を読む。森まゆみは1954年生まれ、73年に早稲田大学政経学部政治学科に入学。私は72年に卒業だからキャンパスですれ違ったこともない。私は森まゆみの良い読者とは言えないが「彰義隊遺聞」などを楽しく読んだ記憶があるし、彼女たちが発行していた地域雑誌「谷根千」は何冊か買った記憶がある。30年以上前だが「年金と住宅」という雑誌の編集をしていたとき「古地図を歩く」という連載の取材で谷中の大円寺を訪れた。菊人形が展示されていたがその傍らで「谷根千」が売られていた。売っていたのは本文中に出てくる山崎範子だった。森は大学を卒業後、PR会社と出版社に2年務めた後フリーに。地域活動や景観保存活動、反原発の活動にも取り組む。離婚も経験した。この本を読むと、森まゆみは自立した市民の先駆けであると思う。岩波文庫の「伊藤野枝集」は森まゆみの編集である。あまりお金になりそうもない地味な仕事もきちんとやっているのである。

11月某日
「ハコブネ」(村田沙耶香 集英社文庫 2016年11月)を読む。初出は「すばる」2010年10月号、単行本化されるのは2011年11月である。村田は1979年生まれ、2016年に芥川賞を受賞しているが、その前に03年に野間文芸新人賞、13年に三島由紀夫賞を受賞している。ファミレスでバイトする19歳の里帆は異性とのセックスが辛い。自分の本当の性は男ではないかと疑う彼女は、乳房の存在を極端に抑えた服装で自習室に通い始める。そこで出会うのは女であることに固執する31歳の椿とその友人で生身の男性と寝ても実感が持てない知佳子だった。LGBTQなど性的な多様性に関心が集まったのはこの5年ほどのことではないか?村田が本書で描きたかったのは性の多様性、不可思議性なのではないかと思う(自信はないけれど)。村田の小説を読むといつも「ちょいと理解できないな」感が付きまとう。でもまた読んでしまうんだよなぁ。

11月某日
瀬戸内寂聴さんが亡くなった。99歳だった。私は昨年、村山由佳が伊藤野枝の生涯を描いた「風よ、嵐よ」を読んで以来、明治大正期のアナキストに興味を抱き、瀬戸内寂聴の「美は乱調にあり」「諧調は偽りなり」(伊藤野枝と大杉栄)、「遠い声」(菅野須賀子)、「余白の春」(金子文子)を読んだ。菅野須賀子は大逆事件に巻き込まれて刑死、伊藤野枝は大杉とともに憲兵隊に虐殺され、金子文子は刑務所で自死した。まぁ三人とも非業の死である。瀬戸内は天寿を全うしたと言える。瀬戸内は出家する前、作家の井上光晴と不倫関係にあった。それを赤裸々に描いたのが井上の娘、井上荒野の「あちらにいる鬼」である。「あちらにいる鬼」を巡って瀬戸内と井上荒野が楽しそうに対談していた。こだわらない人であり、誰とでも対等に話をできる人だったと思う。

モリちゃんの酒中日記 11月その1

11月某日
図書館で借りた「やさしい猫」(中島京子 中央公論新社 2021年8月)を読む。家族の話である。シングルマザーとその一人娘、そしてのちにシングルマザーの夫となる男の物語。まぁ今どきどこにでも転がっているはなしではある。フツーと少し違うのはシングルマザーの夫となる男がスリランカ出身の外国人であることだ。中島京子の作品には戦時下と戦後のある家族の変遷を描いた「小さいおうち」、認知症の家族を描いた「長いお別れ」などがある。家族が家族であるということの幸せと困難性がテーマ。「やさしい猫」で描かれる幸せは、東日本大震災のボランティアを通して知り合ったシングルマザーと男が東京で再開し、魅かれあっていく。シングルマザーの娘(物語の語り手)とも深く結びついていく。
困難性とはこの作品の場合、夫となる男が外国籍であることに起因する。日本は、日本人は外国人、それも非欧米系の外国人に冷たい。「やさしい猫」でも日本の厳しい入国管理局体制が描かれている。外国人であるが故に基本的な人権さえ奪われている現実がある。そういえばこの3月、入管施設でスリランカ人女性が医療につないでもらえず亡くなった。この本には「多くの人の予約が入ってます」という赤い紙が貼ってあった。私もたくさんの人に読んでもらいたい本と思うから、これから図書館に返してきます。

11月某日
地方議員向けの第25回の「地方から考える社会保障フォーラム」に参加。会場の日本生命丸の内ガーデンタワーに10時過ぎに到着。いつもは10時過ぎまで寝ているが、今日は7時頃起きるつもりが8時の起床となってしまい、朝食をとらずに電車へ。今回のスピーカーは樽見前厚労次官、医療的ケア児支援法の成立と今後の課題について厚労省障害福祉課の河村のり子室長、行政のデジタル化と厚労行政について情報化担当参事官の山内孝一郎。樽見さんは「新型コロナ対応は『行政機能の試金石』だったのではないか」としたうえで、「ワクチン接種では地方自治体の底力を見た」と語っていた。河村さんは医療的ケア児とその家族が置かれている現状について丁寧に説明してくれた。資料には「当事者の想い」も掲載されていたが河村さんは「読むと泣いてしまうので今日は読みません」。きっとやさしい人なのだろう。山内さんはデジタル化についてわかりやすく説明してくれたうえに議員の質問にも誠実に答えていた。今回のフォーラムはスピーカーの人柄があらわれて、なかなか良かったと思います。
フォーラム終了後、元厚労省の堤修三さんと会うことになっているので霞が関へ。待ち合わせ場所の飯野ビルの蕎麦屋へ行くと堤さんはすでに来ていた。遅れて大谷源一さんも参加。堤さんは外で呑むときはノンアルコールビール。私は生ビールから日本酒、大谷さんは生ビールから焼酎。2時間ほどおしゃべりして大谷さんは東京駅まで歩き、私は霞が関から千代田線、堤さんは同じく霞が関から日比谷線で帰る。

11月某日
「官邸の暴走」(古賀茂明 角川新書 2021年6月)を読む。古賀は元経産官僚ながら安倍菅政権に対して批判的な発言を繰り返している。古賀は安倍や菅の統治能力自体は低いとみている。そのうえで官邸官僚(首相補佐官など)が政策決定で力を持ち、各省庁の官僚の力が低下したと見ている。それはそうだと思うのだが、私は安倍菅政権の最大の問題は国会の軽視だと思っている。安倍は首相のとき、野党議員の質問に野次っていた。品位にかけるし国会議員は野党と言えども国民の代表である。国会に対して謙虚な対応が望まれる。

11月某日
図書館から借りた「安藤昇-侠気と弾丸の全生涯」(大下英治 さくら舎 2021年8月)を読む。安藤昇は1926年、東京新宿生まれ。子供のころから素行が悪く少年院に収監されるも予科練を志願、伏龍特攻隊に配属され、2カ月後に終戦。46年に法政大学予科に入学するが翌年除籍、周囲の不良少年たちのリーダーとなり、後の安藤組に発展する。安藤組や安藤昇については本田靖春の「疵・花形敬とその時代」で読んだことがあるが、安藤組解散後についての安藤昇について読んだのは初めて。ヤクザを演じさせると独特の迫力があったと言われているが、本物だったのだから当たり前と言えば当たり前だ。奥さん以外にいつも何人かの愛人がいた。とにかく女性に持てた。それも自分からアプローチするのではなく女性に惚れられたそうである。

モリちゃんの酒中日記 10月その3

10月某日
「何が私をこうさせたか-獄中手記」(金子文子 岩波文庫 2017年12月)を読む。金子文子は大正時代のテロリスト。金子文子は大正時代のアナキストで関東大震災直後、同棲相手の朴烈とともに拘束される。当時摂政だった昭和天皇の暗殺を企てたとして大逆罪で起訴され死刑判決を受けるが無期懲役に減刑されるが文子は、収監されていた宇都宮刑務所栃木支所で自殺する。23歳であった。本書は文子の生い立ちから朴烈との出会いまでの文子自身の手によるドキュメントである。金子文子の生涯は瀬戸内寂聴が「余白の春」で描いているが、史実の多くは「何が私を…」に拠っている。巻末に金子文子年譜が掲載されているが、それによると文子は1903(明治36)年1月25日に生まれるが、両親は婚姻届を出しておらず文子の出生届も出されなかった。父と母の妹が関係を持ち両親の仲は破綻する。文子が8歳のとき母とともに山梨の母の実家、金子家に戻るが、9歳の秋に朝鮮の父方の祖母に引き取られる。実子として学校教育も十分に受けられる約束だったが実態は使用人扱いされる。食事も十分に与えられなかったり、祖母から日常的に暴力を受けるなど、現代では立派な児童虐待である。16歳のとき追い出されるように山梨の実家に帰され、次に浜松の父のもとに引き取られる。浜松から家出するように上京し職を転々としながら研数学館や正則学園で勉学を続ける。有楽町のアナキストやジャーナリストの集まる酒場で働いていたとき、友人の紹介で朝鮮人のアナキストでありニヒリストである朴烈と出会う。朴烈と意気投合し同棲を始めたところで手記は終わる。金子文子は大逆罪で起訴され、死刑を宣告されるが天皇の恩赦により終身刑に減刑されるが。しかし文子は収容されていた宇都宮刑務所栃木支所で自死する。23歳であった。

10月某日
我孫子駅の改札で大谷源一さんと神山弓子さんと待ち合わせ。神山さんは成田在住だが本日は実家の石巻からの帰りだそうだ。私の行きつけの「しちりん」に行くことにする。神山さんの息子さんが学生時代「しちりん」でバイトしていたそうで、神山さんに店の人が挨拶していた。神山さんから石巻土産に日本酒と「いぶりがっこ」などを頂く。そのうえ「しちりん」の勘定まで払ってもらう。申し訳なし。

10月某日
昨日から洟が止まらない。週に2回行っているマッサージの日、俯きに寝て施術を受けるので苦しい。マッサージの人が「今年は結構、花粉が大変みたいですよ」と。そう言えばこの2年ほど花粉は下火だったうえにコロナ禍でマスクが必須だったためか、花粉アレルギーで医者に行くことはなかった。我孫子・耳鼻科で検索すると我孫子駅前の新田医院がヒット、土曜日もやっているということなので向かうことにする。私と同じくらいの先生が診てくれる。花粉症と診断され薬を処方してくれる。同じビルの1階が調剤薬局なのでそこで薬を貰う。

10月某日
「女たちのテロル」(ブレイディみかこ 岩波書店 2019年5月)を読む。この本を読むのは2回目。3人の女テロリストが描かれる。一人は英国の女性参政権運動家、サフラジェット過激派のエミリー・デイヴィソン、一人はアイルランドの独立のための戦闘をスナイパーとして戦ったマーガレット・スキニダー。そして最後の一人は日本の金子文子である。ブレイディみかこは文子の獄中手記や公判で明らかになった文書、瀬戸内寂聴の「余白の春」などから文子の人間像を造形していく。文子が公判で朗読した文書に「…つまり『自分は今こうやりたいからこうやる』これが私にとって自分の行為を律すべく唯一つの法則であり、命令です。…私が私自身のことを考え、私自身の道を歩むために、私自身の頭と足を持っているように、他人もまた自分の頭と足とを持っているはずだ」「そこで私は他から見た何主義だか、何思想だか私は知らない。私が知っていることは『自分はこう思っている』というだけだ」というのがある。21歳か22歳の若い女性の言葉とも思えない、自信と自我に満ちた言葉である。今から百年前にこの女性は確かに実在したのである。

10月某日
午後、神田の社保研ティラーレを訪問。吉高会長と雑談しながら缶ビールをご馳走になる。社保研ティラーレを失礼して銀座の風月堂ビルへ。セルフケアネットワークの高本代表に電話したら自宅で仕事をしているとのことだったので、オフィスに我孫子のコーヒーを届ける。銀座から地下鉄で虎ノ門へ向かう。弁護士ビルに雨宮英明先生を訪ねる。雨宮先生は大学のとき同じクラス。私の入った政経学部は確か第2外国語でクラス分けがされていて、私の選択したのはロシア語。ドイツ語、フランス語、中国語、ロシア語にスペイン語も選択できたかもしれない。1学年30クラスくらいクラスがあったがロシア語クラスは2つしかなかった。ユニークな友達が多かったが、雨宮先生や内海君、岡君とはたまに酒を呑む。雨宮先生の秘書の女性が酒とつまみの用意をしてくれる。本日は外に出ず事務所呑み。日本酒をかなりご馳走になる。

10月某日
テレビ番組の製作スタッフから携帯に電話があり、早大闘争時代の話を聞きたいという。東大闘争や日大闘争に比べると話題になることもない早大闘争だから「いいですよ」と返事をした。製作スタッフから送られたメールを見るとBSの「アナザーストーリー」という番組で村上春樹の「ノルウェイの森」を取り上げる、ついては当時の早稲田の雰囲気などを語って欲しいということだった。私は村上春樹の本は、オウム真理教の地下鉄サリン事件のドキュメント「アンダーグランド」、小説では船橋リハビリテーションに入院しているときに見舞客に買ってもらった「1Q84」しか読んだことがない。で、早速、図書館に行って「村上春樹作品集⑥ ノルウェイの森」(講談社 1991年3月)を借りて読むことにする。400ページを超す長編だったが私には大変面白かった。
時代設定は1969年から70年にかけて、毎朝、国旗を掲揚する学生寮に住む早大文学部の学生「僕」が主人公だ。私は1968年政経学部入学だからほぼ同時代である。同時代であるがこの小説には死とセックスの影が色濃く漂っている。小説では「僕」の高校生時代の親友の自殺に始まり、その親友の恋人で後に僕の恋人になる直子の姉の自殺、そして直子本人の自殺である。直子の療養中に「僕」と恋愛関係に陥る緑の両親も死ぬ。こちらは病死だけれどね。あと寮で「僕」の唯一の理解者だった水沢さんの恋人も、水沢さんと別の人と結婚した後に自殺する。セックスに関しては「僕」とさまざまな女性の性交が描かれる。そのなかには水沢さんと一緒に、若い女性と一夜限りのセックスを繰り返す姿も描かれる。まぁ当時の私の周りにはそんな奴はいませんでしたが。水沢さんの恋人ハツミさんは金持ちの娘たちが通う女子大に通っている。ハツミさんは女子大の後輩を紹介すると「…お昼には250円のランチ食べて―」と「僕」を誘う。「僕」は「僕の学食のランチは、A、B、CとあってAが120円でBが100円でCが80円なんです。それでたまに僕がAランチを食べるとみんな嫌な目で見るんです…話があうと思いますか?」と返す。そうね、確かそれぐらいだった。学食ではないけれど「メルシー」のラーメンが60円だったからね。

10月某日
テレビ番組の製作スタッフに早大闘争時代の話をする。15時に青山の製作会社に向かう。土曜日なのでビルの下からスタッフの携帯に電話して迎えに来てもらう。スタッフは90年代に早稲田の教育学部を卒業したという女性である。スタッフの質問に私が答えるという形で話は進んだが、2時間以上も話してしまった。大学時代のことをこんなに話したことはなかったので意外と新鮮だった。村上春樹の「ノルウェイの森」とどう結びつけるのか?あまり結びつかない気がするが。

10月某日
「村上春樹は、むずかしい」(加藤典洋 岩波新書 2015年12月)を読む。加藤典洋は1948年生まれだから村上や私と同世代、2019年の5月に亡くなっている。私は加藤の「敗戦後論」や「戦後入門」を読んで、日本の戦後に及ぼしたアメリカの影響について改めて考えさせられた。今回、初めて知ったのだが加藤は村上の小説やエッセーをほぼ全部読んでいて、村上に関する著作も幾つかある。私は村上の著作は、地下鉄サリン事件の被害者と村上との対話「アンダーグラウンド」、そして「1Q84」、今回の「ノルウェイの森」だけなので、加藤が村上の代表作について分析しているのを読んでも、何とも言いようがない。ないのだが、加藤のこの本を読んで村上の本を少し読んでみようという気になった。とくに「終わりに 『大きな主題』と『小さな主題』-3.11以後の展開」という終章では、原発事故に対する村上の態度とそれを分析する加藤の姿勢に対しては好感を持てた。「小さな主題」と「大きな主題」という視点で加藤は、3.11以降の村上の原発や文学に対するかかわり方を分析する。私の考えでは原子力や環境の問題は「大きな主題」であり、恋愛や家族の問題は「小さな主題」である。「ノルウェイの森」あたりの村上はもっぱら「小さな主題」を取り上げてきたが、その後「大きな主題」にも関心を寄せるようになり、3.11以降は積極的に原発事故についても発言しているということだろう。
今日は衆議院選挙である。国政選挙は「大きな主題」だが、私たちの暮らしと選挙をつなげる投票行動には「小さな主題」の側面もある、と感じた。

モリちゃんの酒中日記 10月その2

10月某日
思い立って福島県のいわきに行く。起床が遅かったのでお昼過ぎの勝田行きの常磐線に乗車、水戸で特急に乗り換える。途中で緊急連絡が入ったとかで20分ほど遅れ16時近くにいわきに到着。いわきから2つ先の四ツ倉まで行きたかったのだが、列車遅れのため接続列車に乗れず、四ツ倉行は断念。北海道の弟からジャガイモを送ってきたので駅前のスーパーで福島の桃と梨を購入、弟宅に送って貰う。品川行きの特急に乗車。水戸から先は上野まで停車しないので水戸で後続の特急に乗り換え柏で下車、我孫子まで戻る。

10月某日
「宗教と過激思想-現代の信仰と社会に何が起きているか」(藤原聖子 中公新書 2021年5月)を読む。過激な宗教とはイスラムのIS(イスラム国)やアフガニスタンのタリバンが思い浮かぶ。日本のオウム真理教も過激思想と言えるだろう。何を以て過激とするかだが、信仰する宗教のためには暴力や殺人も辞さず、場合によっては軍事行動に踏み切るということだろう。イスラム系過激思想を紹介する章では、アルカイダやISの源流とされる思想家、サイイド・クトゥプが注目される。クトゥプはエジプトで王制を倒したナセル-彼は非イスラム的独裁者だった-を真っ向から批判し、国家転覆容疑で処刑されている。イスラムやキリスト教、仏教は世界宗教だが、民族宗教の過激思想も紹介され、その一つとして日本の神道の過激思想も取り上げられている。代表的な思想家は「自然真営道」を著した安藤昌益である。この書は「開けてみると目がつぶれる謀反の書」と言われていたそうだ。「宗教と過激思想」というのは面白そうなテーマではあるが私にとっては荷が重い。

10月某日
衆議院選挙の千葉県第8区(柏市、我孫子市)に立候補している本庄さとし(立憲民主党)が「あおぞらトーク@マーク手賀沼」というのを11時から手賀沼公園でやるというので聴きに行くことにする。あおぞらトークということだったが、土砂降りの雨だったために会場をアビスタの大会議室に移しての開催だった。候補者は東大法学部出身で岡田克也の秘書を務め、立憲民主党の公募を経て候補者となった。大会議室は満席で立ち見も何人かいた。本庄さんの政策について30分ほど話した後に質疑応答となったが、語り口は丁寧かつフランクで私は好感を持った。子ども食堂や障害者施設を運営している人、介護士からの質問もあり、質問もバラエティに富んでいた。我孫子市民もなかなかのものである。しかし聴衆の多くは私と同年代と思われる男女で高齢化が難点と思われる。

10月某日
ほぼ月一で内科のクリニックを受診する。我孫子駅前の中山クリニックで院長の中山先生は東大医学部卒でまだ40代である。高血圧症のための受診なのだが、このところ血圧高めで先生が計っても150を超えていた。先生は「このところ寒いですからね」と言いつつ薬の成分量を変えてくれた。近くの調剤薬局に寄って手賀沼公園で一休み。天気が良くて空気が澄んでいるせいか東京スカイツリーがよく見える。手賀沼公園には犬の散歩に訪れる人が多いようだ。釣り人も何人かいる。ベンチに座ってそんな光景をぼんやりと眺める。平和だね。

10月某日
「武士論-古代中世史から見直す」(五味文彦 講談社選書メチエ 2021年5月)を読む。著者の五味は1946年、山梨県生まれ。東大国史学科卒、大学院人文科学研究科博士課程中退で現在は東大名誉教授である。この本では「武士とは朝廷に武芸を奉仕する下級武官で、文人と対をなす諸道の一つである」と定義している。下級の官人であった武家が保元、平治の乱を経て平氏が政権を掌握するも、源平の争乱によって平氏は壇ノ浦に滅ぶ。この時入水した安徳天皇とともに三種の神器も瀬戸内海に沈んだはずだけど、どうなったのか。鎌倉に幕府を開いた源氏はしかし、頼朝から三代しか続かなかった。将軍は京都の貴族や皇族から迎えるのだが実権は北条家が握ることになる。北条氏が新田義貞や足利尊氏に滅ぼされるのが西暦1333年。大学受験のとき1333年を「一味さんざん北条氏」と覚えたっけ。南北朝の動乱を経て足利政権が成立する。10世紀から15世紀までの武家の歴史を振り返ったのが本書である。

モリちゃんの酒中日記 10月その1

10月某日
「他者の靴を履く-アナ―キック・エンパシーのすすめ」(ブレイディみかこ 文藝春秋 2021年6月)を読む。「はじめに」に次のようにある。「2019年に『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』という本を出した。(中略)本の中の一つの章に、たった4ページだけ登場する言葉が独り歩きを始め、多くの人々がそれについて語り合うようになったのだ」。その言葉がエンパシーだ。「ぼくはイエローで」の目次を開いてみると、5章のタイトルが「誰かの靴を履いてみること」となっている。中学生の息子の期末試験に「エンパシーとは何か」という問題が出て、息子は「自分で誰かの靴を履いてみること」と書いて、「余裕で満点とれた」そうである。著者が英英辞典で確認すると「エンパシー…他者の感情や経験を理解する能力」「シンパシー…1.誰かをかわいそうだと思う感情、誰かの問題を理解して気にかけていることを示すこと2.3.(略)」とあった。エンパシーは能力なのに対してシンパシーは感情である。関東大震災の後、大逆罪の容疑で逮捕起訴され死刑の判決を受け、後に無期懲役に減刑されたが、獄中で縊死した金子文子というアナキストがいた。彼女の獄中で書いた短歌に「塩からきめざしあぶるよ 女看守のくらしもさして 楽にはあらまじ」というのがある。反天皇制を唱えていた文子にとって看守は敵側の人間だ。しかし文子はめざしの匂いをかいで、女看守の質素な暮らしぶりを想像してしまう。「ああ、あの人の生活もきっとそんなに楽ではないんだろうと」。これがエンパシーである。獄中において懲役人は看守に対してシンパシーを感じることはない。しかし文子はエンパシーを感じるのである。文子は母や祖母から虐待され満足な教育も受けていない。しかし独学で文字を学び、獄中で自叙伝も著している。

10月某日
社保研ティラーレで吉高会長、佐藤社長と歓談。吉高会長とは岸田新総理に「消極的期待感」を持つことで一致した。私の考えでは岸田の抱くイデオロギーは宏池会の直系らしく修正資本主義だと思う。極端な富の集中を防ぎ、所得の再分配を重視するいわばケインズ主義だ。安倍や菅が抱いている新自由主義とは一線を画する。とは言え安倍の属する細田派の支援もあって自民党総裁の座を手に入れたのだから露骨な政策の舵切りも出来ない。政調会長に安倍と価値観を共有する高市早苗を選んだのも、安倍の意向を無視できない岸田の思惑だろう。社保研ティラーレを出て、居酒屋「鳥千」へ。年友企画の石津さんを呼んで一緒に呑む。

10月某日
「主権者のいない国」(白井聡 講談社 2021年3月)を読む。過激な政権批判で知られる白井だが研究者としての出発はレーニンの思想だ。世に知られるきっかけとなった著作も「未完のレーニンー〈力〉の思想を読む」だ。「主権者のいない国」も政権批判論が並んでいるが、私は白井が現在の上皇が退位の意向を表明するためにビデオ出演して発出した「おことば」を評価していることに注目したい。白井によると「おことば」は「天皇たるもの、ただ生きて存在しているだけでは不十分であり、『動き』、国民との交流を深め、それに基づいた『祈り』を実行することによってのみ、『国民統合の象徴』たりえるとの認識を強く示した」という。右派さらに言えば「ネトウヨ」から毛嫌いされている白井だが、現上皇の思想と行動を一貫して支持している。本書には西部邁や廣松渉に関する小文も掲載されている。両者とも晩年に西部は「反米保守」を自認し、廣松は「日中を軸に『東亜』の新体制」を唱えた。両者には60年安保ブントの指導者だったという共通点がある。白井にも言えることだが、単純な右派左派論ではわかりえない人物に優れモノが多いということか。

10月某日
北千住で小学校以来の友人の山本クンと待ち合わせ。5時の待ち合わせ時間よりだいぶ早く着いたので駅ビルに併設されているルミネに入る。9階の書店「BOOK1ST.」へ入る。桐野夏生の新刊本があったので購入する。新聞の書評にも広告にも見かけたことがなかったので多分、印刷されたばかりなのだろう。奥付を見ると「2021年10月30日 第一刷発行」となっていた。エレベーターホールの椅子に座って読み始める。待ち合わせの時間が近づいたのでエレベーターで駅改札へ。山本クンはすでに待っていた。今日の目当ての店は「室蘭焼き鳥の店 くに宏」。開店直後だったので客は私たち2人だけ。生ビールで乾杯の後、室蘭焼き鳥と卵焼きを頼む。室蘭焼き鳥は豚肉が主で、肉と肉の間に玉ねぎがはさんであるのが特徴。山本クンとは考えてみると70年近い付き合いだ。

10月某日
「砂に埋もれる犬」(桐野夏生 朝日新聞出版 2021年10月)を読む。タイトルの「砂に埋もれる犬」とは何を指すか? 私の考えではこれはこの小説の主人公である優真のことである。優真は母親の育児放棄によりろくに食事も与えられず、母親と母親の同居人から暴力を日常的に加えられる。児童養護施設に入った優真はコンビニの経営者夫妻から養子縁組を希望される。生まれて初めて満足な食事と環境を与えられた優真は満足しながらも戸惑いも覚える。中学に進んだ優真はクラスに馴染めないままクラスメートの熊沢花梨に幼い恋心を抱く。しかし花梨に拒絶された優真は花梨に害意を抱きナイフを購入する…。いつもながらの桐野ワールドで500ページほどの大著を1日半で読み終えてしまった。桐野の小説を現代のプロレタリア文学と称したのは白井聡だが、この構造は「砂に埋もれる犬」にこそ当てはまる。プロレタリアは優真でありブルジョアの代表が熊沢家である。優真の蜂起は未遂に終わる。そこでこの小説も終わるのだが、優真の「階級闘争」はこれからも続くのか?

モリちゃんの酒中日記 9月その4

9月某日
我孫子市民図書館は図書館単独の施設ではなく、集会室や学習室、喫茶店なども含んだ複合施設で全体をアビスタと称している。アビコとスタディを組み合わせたらしい。選挙の投票所にも使われるホールで「大逆事件針文字文書の発見」という講演会があるので聴きに行くことにする。針文字書簡というのは大逆事件で死刑になった菅野須賀子が獄中から、当時朝日新新聞の記者であった杉村楚人冠宛に弁護士の紹介を依頼し併せて幸徳秋水の無罪を訴えたものだ。紙に針で突いて文字を書き、一見すると白紙のように見えるらしい。講師は元我孫子市史編集委員の小林康達氏。小林先生は宇都宮生まれ、東京教育大学」(現筑波大学)を卒業後、千葉県で高校の教師となり我孫子高校に赴任した際に杉村楚人冠の旧居の整理をして針文字書簡を発見した。菅野須賀子は和歌山の新宮で地方紙の記者をしていたことがあって、そのとき楚人冠は東京から記事を送っていたというつながりらしい。ブレイディみかこ、栗原康の著作を読んで無政府主義に興味を持ち、大杉栄とその甥とともに関東大震災時に殺害された伊藤野枝の生涯を描いた「風よ 嵐よ」(村山由佳)を読んで、さらに無政府主義者に共感を抱くようになった。針文字書簡の現物が楚人冠の旧居に展示されているということなので早速、見に行こうと思う。

9月某日
社保研ティラーレの吉高会長からスマホに電話。11月に予定している地方議員向けの「地方から考える社会保障フォーラム」の集客がいま一つらしい。コロナ禍では致し方ないとすべきか。3時頃に伺いますと言って電話を切る。東京に出かけるのは10日ぶりである。吉高さんは地元、山口県の高校を卒業後、武田薬品に入社し労働組合の専従を経て、産別の副会長に就任。中医協の委員も務めた労働界の大物である。話題が豊富で自分の意見をきちんと言う人なので話していて楽しい。この日も1時間ほど話して帰る。帰りの電車の中で「そのへんをどのように受け止めてらっしゃるか」(能町みね子 文春文庫 2020年9月)を読む。巻末に「本書は『週刊文春』の連載『言葉尻とらえ隊』(2018年6月21日号~2020年4月16日号)を選抜・改稿し、まとめてものです」とある。週刊文春は毎号読んでいるのだが、「言葉尻とらえ隊」はほとんど読んだことがなかった。今回読んでみて能町みね子は極めて真っ当なことを書いていると思った。幻冬舎の見城社長や三浦瑠偉に対する(好意的ではない)評価には共感するし、あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」の一連の「騒動」に対する見解にも同意する。ウイキペディアで能町みね子を検索したら北海道生まれで茨城県育ち、土浦一高を卒業後、東大文Ⅲに入学とあった。秀才なんだ。もともとは男性で性転換手術を受けたんだって。知らなかったなー。

9月某日
杉村楚人冠記念館を訪問。家から歩いて8分くらい。杉村楚人冠の家と庭園を保存して一般に公開している。入館料は300円だが私は障害者手帳を見せ無料。現在は企画展「弱者へのまなざし-幸徳秋水・堺利彦・杉村楚人冠の交流」を開催中だ。大逆事件の被告だった菅野須賀子が楚人冠に送った「針文字文書」も展示されていた。針で突いたような文字がかすかに窺える。今から110年ほど前菅野須賀子が実際に書いたのかと思うと感慨深い。旧居を出て庭園を散策する。往時はここから手賀沼が見えたそうだ。我孫子が文人の街とか北の鎌倉と呼ばれたことも「さもありなん」と思う。楚人冠はここから蒸気機関車に曳かれた客車に乗って東京の朝日新聞社まで通ったのだろうか。

9月某日
昨日の自民党総裁選挙では決選投票で岸田が圧勝した。河野は予想よりもかなり票を減らしたが、安倍元首相が電話で多くの議員に圧力をかけたらしい。河野に石破が付いたことが気に入らないらしい。なんか自民党の総裁選挙もスケールが小さくなったという感じ。昔のように札束が乱れ飛ぶ総裁選はいただけないが、ポスト佐藤の田中VS福田の戦いは見どころがあった。高度経済施長路線の田中に対して福田は安定経済成長を主張した。総裁選では田中が勝利したが、オイルショックにより日本は狂乱物価に見舞われ、田中自身も金脈を追求され、退陣を余儀なくされた。今から思うと福田の安定成長路線が正しかったわけで、福田は「政策で勝って、政争で負けた」と言われた(評伝・福田赳夫に詳しい)。安倍元首相の属する細田派はもとをただせば福田派である。福田派の源流は岸派だからタカ派のイメージがあるけれども、福田赳夫の考え方自体はもっとリベラルであったようだ。「評伝・福田赳夫」を読んで以来、宏池会(現在の岸田派)=ハト派、清話会(細田派)=タカ派というイメージが揺らぎつつある。しかし岸田の所得の再分配を重視するというのは歓迎できる。清話会も安倍のようなタカ派路線ではなく、福田赳夫の路線を継承すべきだ。今回、総務会長に就任する福田赳夫の孫に頑張ってもらいたい。

モリちゃんの酒中日記 9月その3

9月某日
「我が産声を聞きに」(白石一文 講談社 2021年3月)を読む。英語学校の非常勤講師と自宅での英会話の個人レッスンを続けている名香子は47歳、夫の良治は54歳、大手家電メーカーの研究職、一人娘の真理恵は早稲田大学の建築学科の2年生で大学進学を契機に一人暮らし。名香子は良治とともに良治のがん検診の結果を聞きにがんセンターへ向かう。初期の肺がんとの結果を聞いた後、二人で食事へ。食事の席で良治から聞かされたのは、好きな人がいる、その人と暮らしたいので家を出るという衝撃の告白。困惑する名香子の心理と行動を描くというのが、この小説のストーリーだ。小学生の名香子は捨てられた子猫と出会いミーコと名付けて飼い猫とするが、母の貴和子に猫の毛アレルギーが出て、ミーコは貰われていった。良治と結婚してしばらく経って庭に幼い猫が迷い込んできた。この猫もミーコと名付け一家で可愛がるのだが、良治の不手際から失踪してしまう。良治が家を出てからしばらくしての朝、庭で子猫の鳴き声がする。この小説は「『ミーコ、お帰り』/そう呟いて、彼女は一歩一歩、猫の鳴き声のする草むらへと近づいていく。」という文章で終わる。子猫が名香子の再生の象徴となっていると私は読みました。そしてもう一つ。実家の貴和子から手渡された句集の一句に小さな丸い印が付いていた。その句は「初みくじ凶なり戦い甲斐ある年だ」。これは母親から名香子へのメッセージなのだが、作者から読者へのメッセージでもあるように私には思えた。

9月某日
近所の鍼灸接骨院へ通っている。週2回、週1回は電気とマッサージ、あと1回はこれに鍼が加わる。鍼は昔、週1回ほど中国鍼に通っていたことがある。目黒の王先生のところだ。王先生は中国出身だが、文化大革命で迫害されて日本に来たそうだ。いつだったか尖閣列島問題についてどう思うか聞かれ、私が口よどんでいると「日本人はもっと毅然としなければダメよ」とそれこそ毅然と言われてしまった。中国共産党嫌いは徹底していると思ったものだが、現在の習近平指導部を見ると王先生の見方は正しかったという他ない。ネットで調べると目黒の店は閉店したようで、立川と国立で「こらんこらん」という鍼灸マッサージ院を経営しているみたいだ。

9月某日
ご近所シリーズ。床屋は近所の「髪工房」を利用している。11時頃、店を覗いたら平日にもかかわらず4人ほどが待っていた。我孫子の農産物を売っている「アビコン」が近くなので寄ってみると今日は休み。「髪工房」まで戻ると待ち客は二人に減っていたので待つことにする。平日なので空いていると思ったのが間違いのようで、本日の利用者は私も含めて全員が老人。年金受給者にとっては毎日が日曜日なのである。「髪工房」は私より少し年上のご主人とその娘さんの二人でやっている。店を出るときのお二人の「ありがとうございました」の声が心地よい。今日は「アビコン」まで足を延ばしたので万歩計は9000歩を超えていた。

9月某日
「武器としての『資本論』」(白井聡 東洋経済新報社 2020年4月)を読む。昨年の4月に初刷りが出て7月に第7刷が発行されているから、この種の本というかマルクス関係の本としては異例の売れ行きではなかろうか。斎藤幸平の「人新世の『資本論』」(2020年9月)も増刷を重ねているから、マルクスは再び注目を集められているのかも知れない。私たちが学生の頃は初期マルクスの「経済学哲学草稿」や「ドイツイデオロギー」がよく読まれていた。内容をよく理解したとは思えないが、前者では「資本制社会では人間が自らが産み出したものから敵対(疎外)される」こと後者からは「将来の共産主義社会の自由なイメージ」を読み取ったような記憶がある。さて今、なぜ資本論なのだろうか?私が白井の著作を読んで感じたことは資本制社会(現代社会)の有限性ということだ。資本制社会に先行する社会、ヨーロッパや中国、日本の封建社会も有限だったし、中央集権的な封建国家も部族的な封建国家がもとになっている。資本制社会にも理屈としては「次の社会」が待っているのだろう。マルクスはその社会を共産主義社会と予見した。今の資本制社会を永続的な社会として見るのではなく、「次の社会」はどうあるべきなのかという視点を持つことは重要なことだと思う。

9月某日
「めだか、太平洋を往け」(重松清 幻冬舎文庫 2021年8月)を読む。重松が得意とする教師もの。今回の主人公はアンミツ先生、22歳で教師となり60歳の定年まで勤めあげ、定年後はさらに一年、再雇用で教師を続けた。同僚だった夫は五年前にすい臓がんで世を去り、娘はカナダで働いている。息子の健夫は妻の薫とともに自動車事故で死亡、遺された孫の翔也を引き取ることになる。翔也は薫の連れ子で健夫と血縁関係はない。アンミツ先生は63歳にして血縁関係のない孫と二人の生活を東京郊外で始めることになる。ここを主舞台とすると副舞台は東日本大震災の被災地、北三陸市。アンミツ先生の教え子のキックがボランティアで復興に取り組んでいる。タイトルはアンミツ先生が6年生を担任したとき、卒業式の日に「太平洋を泳ぐめだかになりなさい」とスピーチしたことから。この小説は2012年12月から2014年4月まで十勝毎日新聞、神奈川新聞など地方紙16紙で連載された。小説で描かれる時期も震災の翌年だからほぼリアルタイムで震災後が舞台となっている。この小説に底流として流れているのは死と再生の物語である。

モリちゃんの酒中日記 9月その2

9月某日
「偉い人ほどすぐ逃げる」(武田砂鉄 文藝春秋 2021年5月)を読む。著者の武田は1982年生まれ、ということは今年39歳か。私の息子の年代である。河出書房新社を経て2014年からフリーライター。かなり人気があるようで、この本にも「この本は、次の人が予約してまってます。読みおわったらなるべく早くお返しください」という図書館からのメッセージが貼られていたし、奥付を見ると初刷が5月23日で早くも8月20日には3刷となっている。2016年から純文学の雑誌とされている「文学界」に「時事殺し」として連載されたものから選び抜いて一冊にして出版したものだ。保守かリベラルかという範疇からすると武田は間違いなくリベラルである。本書にも保守派との論争がいくつか出てくるが、相手の論理が破綻していることを指摘するのに容赦がない。武田が相手にしたのは保守派を自称する非論理的な右派に過ぎないということももちろんある。武田は東京オリンピックの開催に反対し本書でも第3章のタイトルは「五輪を止める」となっている。そのなかで新国立競技場建設のために国立競技場に隣接していた都営霞ヶ丘アパートが解体され住民が追い出されたことが記されている。私はオリパラに関してさしたる興味もなかったが、競技のテレビ画像を漫然と追っていた。当初は既存の施設の活用により安上がりな五輪を目指していたのにいつの間にかオオゴトになってしまった。民主的な手続きを経ているとは思えない。そしてそれを見過ごしている私たち。本書はコロナ禍の市民、国民にも問うている。

9月某日
先日、頂いた商品券で柏の高島屋でウイスキーを買うことにする。地下2階の酒売り場に行く。ウイスキーのコーナーで品定め。いつもは千円~二千円のウイスキーを買っているのだが、今回は奮発してHIGHLAND PARKの12年物、4620円(税込み)を買うことにする。家へ帰ってネットで調べるとスコットランド最北端の蒸留所で、評価も高かった。さらにネットで調べると、その蒸留所はオークニー諸島にあり、この島々は古くはバイキングの支配下にあったという。それでこのウイスキーの箱には「THE ORKNEY SINGLE MALT WITH VIKING SOUL」と記されているわけだ。きっとオークニー諸島の住民は誇り高きバイキングの末裔なのだろう。

9月某日
「尊王攘夷-水戸学の四百年」(片山杜秀 新潮選書 2021年5月)を読む。片山杜秀は慶應大学法学部教授で日本政治思想史の研究者であると同時に音楽評論家としても活躍している。学部は慶應大学法学部だが大学院は橋川文三のいた明治大学大学院に進んでいる。本書は雑誌連載(新潮45、新潮)をもとにしていることもあって、尊王攘夷や水戸学にまつわる幅広いテーマに着目しており、普通の歴史書にはない楽しさがあった。明治維新の捉え方にしても「薩長土肥が連合して幕府を倒した」という従来の見方に対して「天皇が政治に前面化する不可逆的なきっかけを作って、維新への流れを動かしがたいものにしたのは、徳川斉昭に感化された阿部正弘で、その不可逆性を可逆性と思って引き戻そうとし、失敗したのが井伊直弼で、不可逆的な流れを最終到達点まで導いたのは、これもまた斉昭が徹底教育した息子の徳川慶喜だった」という見解が示される。また三島由紀夫(本名・平岡公毅)は祖母に溺愛されて育てられたことは知られているが、その祖母、平岡なつの母は永井高で、水戸藩の支藩、宍戸藩のお姫様であった。永井高の兄、宍戸藩主の徳川頼徳は水戸藩の内紛の鎮撫を命ぜられるが果たせず、切腹させられる。菅義偉の敬愛する政治家、梶山清六は祖父の静から静の父の弟、梶山敬介が天狗党に参加し各地を転戦の後、越前敦賀で武田耕運斎や藤田小四郎らと処刑されていると聞かされた。現在放映されているNHKの大河ドラマ「青天を衝け」の主人公、渋沢栄一も熊谷の豪農出身だが尊王攘夷に目覚め高崎城を襲って銃を奪い、横浜の外人居留地を襲う計画を立てたが従弟に説得され未遂に終わる。幕末、維新期は小説、映画、テレビドラマの舞台となることも多いが、それだけ血なまぐさい時代だったとも言える。

9月某日
銀座の弁護士事務所で打ち合わせ。その後、大谷さんと呑みに行くことになっている。弁護士事務所を出た後で大谷さんから電話、近くにいるらしい。山形県のアンテナショップ前で待ち合わせて有楽町のガード下へ向かう。オープンしたてらしい「アジェ有楽町」という焼肉屋へ入る。店の女の子によると京都が本店で大阪、金沢にも店があるという。なかなか美味しかったし値段もリーズナブルであった。久しぶりの外呑みであった。

9月某日
図書館で借りた「評伝 福田赳夫 五百旗頭真監修 井上正也 上西朗夫 長瀬要石 岩波書店 2021年6月」を読む。田中角栄や大平正芳に比べて福田を論じた書物は少ないそうだ。田中は庶民宰相として圧倒的な人気を図りながらロッキード事件で退陣を余儀なくされた後も闇将軍として権力の座にこだわった。大平は田中の盟友として田中の積極財政を引き継ぎ、総選挙の最中に急死する。福田は三木から政権を引き継いだ後、2年で大平・田中連合に総裁選に敗れ退陣する。福田は岸信介の直系ということもあって、私の頭の中では長く自民党右派の位置づけであった。事実、福田派を引き継ぐ清話会は安倍晋三の長期政権を支え、今回の総裁選挙でも安倍はタカ派の高市早苗の支持をいち早く打ち出している。しかし「評伝 福田赳夫」を読むと今まで私が描いていた福田赳夫像とは異なるイメージが浮かんでくる。福田は大蔵官僚として主計局長まで務め日本の財政について、責任ある見解を抱いていたし、その背景には後にOBサミットに結実する地球の未来、有限な環境資源に対する深い洞察があった。本書に「第一次オイルショックからの勃発から約五年、福田は一貫して日本の経済政策を主導した。それは日本経済が高度成長から安定成長へと移行する過渡期であった」という文章がある。福田亡き後、日本経済は安定成長からゼロ成長、マイナス成長へと陥る。米国に次いで世界第二位の経済大国という座を滑り落ちても久しい。日本はどこへ行くのか。福田を評する言葉に「政策の勝者、政争の敗者」がある。裏返すと政策の敗者が政争で勝利してきたわけである。少子化が進む現在、日本には後がないと思うのだが。

モリちゃんの酒中日記 9月その1

9月某日
「太平洋戦争への道 1931-1941」(NHK出版新書 半藤一利 加藤陽子 保阪正康 2021年7月)を読む。半藤一利は今年1月に亡くなった、昭和史を中心に多くの作品を残した作家で元文藝春秋社の編集者。加藤陽子は日本近代史を専攻する学者で東大教授。保阪正康は日本帝国主義の勃興と没落を追うジャーナリスト。半藤は1930年生まれ、保阪は1939年生まれ、加藤は1960年生まれだ。保阪は蒋介石の次男の蔣緯国の話として「日本の軍人は単純に言えば歴史観がないのだろう」という言葉を紹介している。加藤は1940(昭和15)年に締結された日独伊三国軍事同盟と太平洋戦争について次のように言う。1940年6月にフランスがドイツに降伏し、ドイツと戦争をしているのはイギリスだけとなった(ドイツがソ連に侵攻するのは翌年の6月、アメリカが参戦するのは日本の真珠湾攻撃以降である)。イギリスがドイツに負けると東南アジアのイギリスの植民地はドイツに奪われてしまう(仏領インドシナ、蘭領インドネシアも)。それを回避するためにも軍事同盟を締結したという見方である。東アジアを西欧の帝国主義から解放するというのが大東亜戦争のイデオロギーだったはずだが、この見方からすると日本は何ともみみっちい。半藤は「学ぶべき教訓」として、不勉強な人たちが指導者になって、自分たちの勢いに任せた判断をやってきたとし「判断の間違いが積み重なって、どうにもならないところまできて、戦争になってしまった」と書いている。何やら後追いを繰り返す現代のコロナ対策を見ているようである。

9月某日
菅首相が自民党の総裁選挙に出ないことを表明。すでに出馬を宣言している岸田文雄に勝ち目がないと判断したのか。菅の不出馬を受けて河野太郎、野田聖子も立候補の意向を発している。石破、下村も立候補を検討しているという。菅の不出馬表明により自民党の総裁選挙が一気に注目度を集めている。総裁選挙には自民党員以外には投票権はない。しかしながら自民党の総裁に選ばれると、国会で自民党と公明党の議員により総理大臣に選出される。現状では自民党の総裁選挙は次期首相の選出と同じ意味なのだ。菅政権は安倍政権を引き継いだ。閣僚も引き継いだしイデオロギーも引き継いだ。安倍前首相はイデオロギー的に近い高市早苗を支援するという。自民党は政策的にもイデオロギー的にも幅広い民意を代表している。改憲派もいるし護憲派もいる。改憲派のなかにも自主防衛派もいれば国連中心主義者もいる。社会保障についても自助努力を重視する人もいれば所得の再分配を重視する人もいる。今度の総裁選ではそこいら辺のことを自由闊達に議論してほしい。

9月某日
「岩倉具視-言葉の皮を剥きながら」(永井路子 文藝春秋 2008年3月)を読む。岩倉具視はNHKの大河ドラマでは「青天を衝け」では山内圭哉が、「西郷どん」では笑福亭鶴瓶が演じている。演じている役者にもよるのだろうが、どちらかというと「怪物」のイメージがある。ドラマでも主役にはなりえない。お札でも「五百円札」だからね。平安時代の昔から公家には家格があり昇進できる位が決まっていた。岩倉具視の家格は低く下級公家、永井によると「村上源氏系の久我(こが)家の庶流で家禄百五十石、下級の小公家にすぎない」という。その下級の小公家が幕末、明治維新という革命期に活躍した。いくつかの偶然が作用した。具視の妹が孝明天皇の側に上がり、具視も侍従として天皇の側近となった。禍福は糾える縄の如し、やがて具視は任を解かれ京都郊外の岩倉村に蟄居させられる。ここで具視は倒幕の構想を練ることになる。尊王攘夷というが幕末も押し迫ってくると攘夷派の影は薄くなる。こてこての攘夷主義者とされる孝明天皇も晩年には開国やむなしに至っていたようだ。具視は尊王倒幕を掲げる原理主義者、理想主義者であったわけだが、政治的には徹底した現実主義者だったのだ。この頃の自民党政治を見ると、理想は一向に語られず一方で現実からも目を背けているような気がするのだが。

9月某日
「ラーメン煮えたもご存じない」(田辺聖子 新潮文庫 昭和55年4月)を読む。巻末に「この作品は昭和52年2月新潮社より刊行された」とある。120編余りのエッセーが収録されていて文中で「夕刊フジ」に連載されていたことが分かる。ということは昭和50(1975)年頃、連載されていたのだろうか。今から50年近く前に連載されていたものだが、まったくと言っていいほど「古さ」を感じさせない。私はその頃、学校を卒業して初めての職場だった写植屋を辞めて、駒込の日本木工新聞社という業界紙の記者をしていた。「田辺聖子」という名前くらいは知っていたかもしれないが、まったく興味はなかった。田辺先生を読み始めるのは年友企画に入社して以降で、山本周五郎や藤沢周平、司馬遼太郎などと並行して読んでいたように思う。当時、山本はすでに物故しており藤沢も司馬も21世紀になる前に亡くなっている。田辺先生は1928年生まれで2019年6月に亡くなっている。91歳と長命である。「夕刊フジ」はサラリーマン相手のタブロイド判の夕刊紙である。田辺先生も読者を意識してサラリーマンが帰りの電車で読んでも肩の凝らないような話題を選んでいる。しかし、時として田辺先生の硬派の顔が覗くときがある。台湾選手がオリンピックに出場できなかった(そんなこともあったのか)話題に触れて、「せっかく出ようといってるものを、帰すことはないと思うのだ」と率直である。その一方で中国革命を「人類のなしとげた仕事の中では、たいへんすばらしいものの一つだと思う」と評価する。公平なんだよね。「人、サムライたらんと欲せば」というエッセーでは「私は、男も女も、大丈夫、つまりサムライたるべきこと、とかたく信じている」と宣言し、「いや、サムライというのは、昔も今も、生きにくいのだ」と嘆じる。結論は「愛のために生き、愛のために死ぬ人は、サムライが義のために生き、義のために死ぬのと同じで、愛と義とは、人間にとって同義であるのだ」と格調高い。私は田辺先生と同時代を生きたことを幸せに思うものです。