モリちゃんの酒中日記 8月その3

8月某日
我孫子の駅前の本屋で見た「すき焼きを浅草で」(平松洋子 文春文庫 2020年5月)を購入、早速読む。我孫子駅前の本屋はもともと平賀書店といって地元資本のお店だったのが、何年か前に東武鉄道系の書店に代わり今では1階がコンビニ、2階が漫画と雑誌、文庫本主体の本屋となっている。2階には店員は不在で、1階のコンビニで決済する。地方都市の本屋の生き残ることの難しさがこんなところにも表れている。「すき焼きを浅草で」は週刊文春で連載中のコラム「この味」を文庫化したもので、すでに6冊が文庫化されていることを初めて知った。作者の平松洋子さんという人のことを30~40代の独身女性というように漠然と想像していたが、実は1958年生まれの現在62歳、結婚していて成人した子供もいることを知ってちょいとびっくり。基本的には食にまつわるエッセーなのだが、ときに現代日本社会に対する鋭い批評もあって、「平松洋子侮りがたし」である。このところ本はもっぱら図書館だが、平松洋子のこのシリーズは書店で、しかも我孫子駅前のコンビニの2階の本屋で買おうかな!

8月某日
朝、家の周りを散歩する。6時に家を出て、家の前の手賀沼遊歩道へ出てそのまま沼に出る。もう釣りをしている人が何人かいる。竿を固定して近くの人と大声で話している人がいる。あんな声を出していては魚が寄ってこないのではないか。犬の散歩をしている人どうしが何人か集まって会話をしている。ジョギングしている人とも何人かすれ違ったり追い越されたりする。7割程度は私と同じ年恰好かそれ以上の高齢者である。グランドでは多少は若いご婦人のグループが敷物を敷いて体操をしている。手賀沼の近くに住んで半世紀近くになるが、手賀沼の魅力を感じるようになったのはこの1~2年、仕事を辞めてからだ。1時間ほど散歩して家に帰る。明日はもう少し早く家を出よう。
図書館で借りた加賀乙彦の「風と死者」(筑摩書房 1975年2月)を読む。奥付が新装版第2刷となっている。1966年から69年にかけて雑誌に掲載された4編の短編が収められている。加賀乙彦の短編を読むのは初めてだが、私には4編がそれぞれに面白かった。「くさびら譚」は、「私」の大学時代の恩師で世界的な神経病理学者、朝比奈教授の話である。教授はあるときから神経病理学に興味を失い、キノコの採取、分類にとりつかれる。そして自ら「私」の勤務する精神病院への入院を希望する。加賀は異常と正常を超えて「精神の高み」があることを示したかったのではなかろうか。「車の精」は、フランス人の老神父から譲られた愛車の話。優れたユーモア小説として私は読んだ。「ゼロ番区の囚人」は東京拘置所で精神科医を務めた作者の経験に基づいている。「風と死者」は精神病院での火災がテーマ。火災で死んだ患者、その家族、看護人、精神科医などの「語り」が見事である。そういえば加賀の「湿原」でも「宣告」でも、登場人物の会話が結構、効果的なんだよね。

8月某日
図書館で借りた「孤独な夜のココア」(田辺聖子 新潮文庫 昭和58年3月)を読む。単行本は昭和53(1978)年だから半世紀近く前の作品なんだけれど、全然色褪せていない。この本を読むのは確か2回目だがそれでも面白い。12の短編が収められているがそのどれもが面白い。「春つげ鳥」は22歳の「わたし」と倍の年齢の笠原サンの物語。二人は愛し合っていて丘の上の一軒家で暮らし始める。笠原サンは毎朝8時半に家を出て7時頃に帰る。「でも、その夜、笠原サンは、いつまで待っても帰らなかった」。「、」の打ち方が絶妙。読者の不安を煽る打ち方。笠原サンは会社で倒れ、病院に運ばれ死んだのだ。悲しい物語ではある。だけどかけがえのない「愛の物語」なんだよね。

8月某日
図書館で借りた「スミス・マルクス・ケインズ―よみがえる危機の処方箋」(ウルリケ・ヘルマン みすず書房 2020年2月)を読み始める。著者はドイツの経済ジャーナリスト、1964年生まれ。ベルリン自由大学で歴史学と哲学を専攻。2006年より日刊紙「taz」で経済部門担当と著者略歴にあった。今日の夕刊1面トップで「GDP年27.8%減、戦後最悪」と報じられていた。新聞は「コロナ危機が国内経済に与えた打撃の大きさが浮き彫りとなった」と述べている。本書の副題「よみがえる危機の処方箋」ではないが、過去の経済学の巨人がどのように考えて来たのか、知ることも悪くはないだろう。「国富論」の著者は「第2章 経済を発見した哲学者―アダム・スミス」と「第3章 パン屋から自由貿易まで―『国富論』(1776)」で取り上げられている。アダム・スミスは「神の見えざる手」という言葉からも自由経済の信奉者と見られがちだが、著者の見方はまったく違う。「スミスはむしろ富裕層の特権と闘った社会改革者だった。たしかに競争と自由市場は擁護したが、それは自己目的ではなく、あくまで地主や裕福な商人の特権を切り崩すための手段だった。スミスは、現代に生きていればおそらく社会民主主義者になっていただろう」と言うのである。

8月某日
「スミス・マルクス・ケインズ」は一休みして、重松清の「星に願いを―さつき断章」(新潮文庫 平成20年12月)を読む。1995年から2000年までの6年間、互いに関係のない3人の5月の一コマを綴ったものだ。1995年というと今から25年前、1月に阪神淡路大震災があり、3月にはオウム真理教による地下鉄サリン事件があり、5月には麻原彰晃以下の教団の主要幹部が逮捕された。私は47歳で仕事に遊びに飛び歩いていた頃である。私は3人の主人公のなかではタカユキに共感を覚えた。神戸で震災ボランティアに参加したタカユキは東京の実家に戻ると共に怠惰な高校生に戻っていた。怠惰な高校生にもガールフレンドができる。1学年下の彼女は優秀で現役で北大に入学、2浪して都内の私立の教育学部に入ったタカユキは彼女に会いに札幌へ行き、学校の先生を志望している旨を伝える。私も怠惰な高校、大学生活を送ったからね、わかるんだよね、タカユキの気持ちが。

8月某日
企画を手伝っている地方議員向けのセミナー、「地方から考える社会保障フォーラムの開催日。今回から会場を日本生命丸の内ガーデンタワーに移し、従来2日間にわたっていたものを1日に短縮した。講師は厚労省から鈴木俊彦事務次官、伊原和人江利川毅医療科学研究所理事長、伊原和人政策統括官、栗原正明企画官、それに江利川毅医療科学研究所理事長だ。今回からオンライン中継も導入したがさほどの混乱もなく終わることができた。終了後、大谷源一さんに会場まで来てもらい飲みに行くことにする。千代田線の大手町から町屋へ。何度か行ったことのあるトキワ食堂へ行く。ここは居酒屋ではあるのだが、本来は名前の通り食堂である。私たちの隣のバーさんも「鯖の味噌煮定食」を食べていた。想像するに夫は既に亡くなり子供たちも独立して、バーさんは一人暮らし。「一人分の晩御飯を作るのも面倒臭いから」とトキワ食堂へ。私と大谷さんも1時間ほどで解散、お勘定は一人当たり2230円でした。

モリちゃんの酒中日記 8月その2

8月某日
図書館で借りた「ドキュメント強権の経済政策―官僚たちのアベノミクス2」(軽部謙介 岩波新書 2020年6月)を読む。著者の軽部謙介は1955年生まれ、早大卒後、時事通信社入社、ワシントン支局長、解説委員長などを経て、現在はフリーのジャーナリストで帝京大学経済学部教授だ。延べ150人を超える関係者へのインタビュー、公文書、議事録、メモなどをソースにしたドキュメントは十分、読み応えのあるものだった。安倍一強が進む中で官邸の機能、権限が強化され、相対的に政権の中で財務省のウエイトが低下し経済産業省の影響力が大きくなっていく過程がよく理解できた。黒田日銀や内閣人事局の実像についても突っ込んだ取材がされている。私としても安倍政権の功罪を考えるいい機会となった。もちろん私の考えでは功の部分はほとんどなく、罪ばかりが目立つのだが。

8月某日
図書館で借りた「ノモンハン戦争-モンゴルと満洲国」(田中克彦 岩波新書 2009年6月)を読む。1939(昭和14)年の5月11日から9月15日まで満洲国とモンゴル人民共和国の国境地帯で日本・満洲国軍とソ連・モンゴル人民共和国軍との間で闘われた戦闘を、日本では「ノモンハン事件」と呼び、ソ連(ロシア)では「ハルハ河の勝利」あるいは「ハルハ河の会戦」と呼んでいるが、モンゴル人は「ハルハ河の戦争」と呼んでいる。「大量の戦車と航空機を出動させ、双方の正規軍にそれぞれ2万人前後の死傷者、行方不明者を出したこの軍事衝突は単なる事件を越えた、明らかに戦争であるのにそう呼ばないのは」、この戦争が宣戦布告なしに戦われた非公式の戦争であるからである。戦争を仕掛けた当事者、つまり関東軍と日本政府は、あくまでも「事件」という、内輪の話にとどめておきたかったと田中は、第1章で述べている。ところで著者の田中は歴史の専門家ではなく、言語学やモンゴル学を専攻している。モンゴル民族の側からこの戦争を観ているところに本書の最大の特徴があると思う。
モンゴル人と一口に言っても、ノモンハン当時はモンゴル人民共和国の外モンゴル、満洲国に包摂された内モンゴル、人民共和国にも満洲国にも属さないが、両国やソ連、中国の影響下にあったブリヤードやバルガなどのモンゴル人がいたのである。モンゴル人はもともと遊牧民であり版図や領土という概念に馴染まない。が、私の高校世界史のレベルというと、明に代わって中国大陸を支配した女真族は清を建国し、モンゴル人も漢人もおそらくチベットもその支配を受け入れてきた。しかし19世紀にロシアが南下政策によって中国に進出、ロシア革命によって共産政権となっても外モンゴルに進出し、傀儡政権としてのモンゴル人民共和国を成立させた。一方、遅れた帝国主義国としての日本も日清・日露戦争、第一次世界大戦を経て中国大陸進出の野望を剥き出しにして、満州事変を引き起こす。結果生まれたのがこちらも傀儡政権としての満洲国である。モンゴル人は傀儡政権としての人民共和国と満洲国に引き裂かれることになる。とくに人民共和国ではスターリンによる粛清が、ノモンハン戦争前後に繰り返され、その数は2万人を超えるという。ちなみにノモンハン戦争におけるモンゴル人民革命軍の死者は237人に過ぎない。モンゴル側の死者の大半はソ連軍のものだったのだ。

8月某日
岩波新書の「ノモンハン戦争」を読んでいわゆるノモンハン事件が、従来言われているたんなる、満洲国とモンゴル人民共和国との国境紛争に止まらず、日本やソ連さらに中国をも巻き込んだ国際的な紛争の一つの表れであることが理解できた。さらに、その底流には民族問題がある。民族問題は20世紀に解決を迫られ21世紀に持ち越された大きな課題である。例えばモンゴル民族は現代でもモンゴル人民共和国、中国、旧ソ連などに分断されている。その責任は帝国主義国としてのロシア帝国や日本帝国、そして旧宗主国としての清、中華民国にある。さらにソ連の利害をモンゴル民族の利害に優先させたソ連共産党、中国共産党の責任も大きい。民族問題は宗教と密接な関係がある。モンゴル族の宗教は仏教だったが、ソ連共産党はこれを弾圧した。現代では仏教を国教とするミャンマーでは少数のイスラム教徒、ロヒンギャが迫害されている。キリスト教が主体のフィリピンでもイスラム教徒が迫害されている。人種差別に対する抵抗では白人警官が黒人容疑者を虐待、殺害した「ジョージ・フロイト事件」から始まった#BlackLivesMatter運動は記憶に新しい。民族問題、宗教問題、人種問題、さらにあらゆる差別問題は21世紀の人類共通の課題である。

8月某日
図書館で借りた「岩井克人『欲望の貨幣論』を語る」(丸山俊一+NHK「欲望の資本主義」制作班 東洋経済新報社 2020年3月)を読む。岩井克人は「会社はだれのものか」を読んだことがある。内容は例によって覚えていないが、株主のものでも経営者のものでもなく、従業員のものでもなく……といったような内容で「法人」という概念について独自の見解を述べていたような気がする。今回の本は貨幣について仮想通貨のビットコインからアリストテレス、ケインズ、ハイエクなどの思想に触れつつ、岩井の見解を吐露している。岩井は日本に現存する経済学者としては巨人の地位を築いているが、それは単に経済学だけではなく、文学、芸術、歴史などの幅広い知見に支えられたものであることがよく分かる。ちなみに奥さんは小説家の水島美苗。

8月某日
ほぼ1週間ぶりで東京へ。虎ノ門のフェアネス法律事務所で渡邉弁護士と遠藤弁護士と打ち合わせ。社会福祉法人に関する案件なので、私が「全国社会福祉協議会(全社協)と話したほうがいいかも知れない。副会長の古都さんは知り合いなので」と言って、全社協のことを少し説明する。会長は慶應大学の塾長をやった清家篤さんと伝えると、遠藤弁護士は「えっ清家さん、そんなことやっているの」という。古くからの知り合いだそうだ。フェアネス法律事務所は明日から夏休みということだ。千代田線で大手町に出て社保研ティラーレで佐藤社長と吉高会長と次回の「地方から考える社会保障フォーラム」の打ち合わせ。会場参加とリモート参加がほぼ半分くらいだそうだ。

8月某日
図書館で借りた「乳房」(伊集院静 文春文庫 2007年9月)を読む。巻末の小池真理子の解説によると、収録された5作の短編はすべて「小説現代」(講談社)に短期連載されたという。伊集院はこの作品によって平成3(19991)年の吉川英治文学新人賞を受賞した。単行本は講談社から発行され文庫本も講談社からであった。講談社文庫の解説は久世光彦が書いていて、この解説は文春文庫にも再録されている。久世は伊集院の作品の「色っぽさ」に着目し、さらに「愚昧なほど古典的な作家だと思う」「無頼の生活を傍らに置いておかないと安心できない不良の性情である」とも。伊集院は1950年の確か早生まれ、立教大学に入学し野球部に入ったのが1968年だと思う。私が1年浪人して早稲田に入ったのが同じ1968年。グラウンドで白球を追っていた伊集院に対して、私は街角で学園で機動隊に石ころを投げていました。

8月某日
「ある死刑囚との対話」(加賀乙彦 弘文堂 1990年3月)を読む。死刑囚Aと加賀との実際の手紙のやりとり公開したものである。1967年8月15日から69年12月7日、Aが処刑される前日までの2年4カ月間の文通の記録である。Aをはじめ死刑囚は未決囚を勾留する東京拘置所に収容される。この酒中日記にも何度か書いたが、私は69年の9月3日の早稲田大学第2学生会館屋上で公務執行妨害、現住建造物放火、傷害その他の容疑で現行犯逮捕され大森警察署に留置された。起訴猶予になるかという淡い期待も外れ、起訴された私は東京、北池袋にあった東京拘置所に移管された。私は統一公判組には入らず、反省組として分離公判を希望したので11月末か12月には東京拘置所を出ている。が、私は1カ月か2カ月、東京拘置所でAとすれ違ったかもしれないのだ。Aが犯した犯罪は強盗殺人事件で事件当時は典型的なアプレゲール(戦後派)の事件としてマスコミに取り上げられた。しかし死刑判決後、Aはカトリックの神父と出会いカトリックに入信する。加賀への手紙でもカトリックに対する深い信仰が伺える。加賀はAの処刑時は未だ信者ではなかったが、Aの死後、ほぼ20年の後、1988年のクリスマスに洗礼を受ける。本書は死刑囚と小説家にして精神医学者との往復書簡ではあるけれど、私には信仰について考えさせるきっかけを与えてくれた本である。

モリちゃんの酒中日記 8月その1

8月某日
図書館で借りた桐野夏生の「水の眠り 灰の夢」(文春文庫 1998年10月 単行本は95年10月)を読む。舞台はオリンピックを1年後に控える1963年9月の東京、主人公は週刊誌のトップ屋、村善こと村野善一。桐野は女探偵、桐野ミロを主人公とする連作小説を執筆している(93年「顔に降りかかる雨」、94年「天使に見捨てられた夜」、00年「ローズガーデン」、02年「ダーク」)が、本作はミロの父親善一が主人公である。オリンピックを控えて東京の街は大改造の真っ最中に加えて、景気は高度成長を続けている。だが光があれば闇がある。作家、桐野はその闇の部分にしっかりと目を向ける。闇とは女子高校生の売春や薬中毒であり、その女子高校生に群がる大人たちである。村野は女子高校生の殺人、死体遺棄事件それに草加次郎を名乗る爆弾事件に巻き込まれていく。作中で村野と友人で同業の後藤が1958年に日本で公開されたポーランド映画「灰とダイヤモンド」について語り合うシーンがあるが、「水の眠り 灰の夢」というタイトルにも「灰とダイヤモンド」の反時代的な気分が反映されている。

8月某日
何気なく本棚に目をやると桐野夏生の「水の眠り 灰の夢」(文春文庫 2016年4月新装版第1刷)があるではないか。4年前に買って読んでいたのをすっかり忘れていたのだ。新装版ということで表紙も一新されていたし、解説も旧版の井家上隆幸(書評家)からライターの武田砂鉄に代わっていたけれど。読んでいるときはまったく気付かなかった。人間の記憶なんて当てにならないと思ったが、人間一般ではなく、当てにならないのは「私の」記憶だ。

8月某日
図書館で借りた「明日香さんの霊異記」(高城のぶ子 潮文庫 2020年4月)を読む。奈良の薬師寺の非正規職員として売店などで働く明日香が主人公。明日香は短大卒のまだあどけなさが残る女性だが愛読書が日本霊異記で、おまけに各地の地名の由来を調べるのが趣味。野生のカラスの「ケーカイ」と仲がいい。ちなみにケーカイは日本霊異記の作者の景戒にちなんでいる。それなりに面白かったんだけれど、現代の若い女性を主人公にしたのは疑問。高城にはむしろ日本霊異記を題材にしたファンタジーを期待したい。

8月某日
図書館で借りた「チーム・オベリべリ」(乃南アサ 講談社 2020年6月)を読む。乃南アサは「女刑事・音道貴子シリーズ」や「前持ち女二人組」シリーズなどで知られるミステリーと人情ものを併せ持つ作風で、私は割と好きな作家である。だが本作は北海道開拓の実録ものである。主人公は渡辺カツという女性。依田勉三とともに晩成社を興し北海道十勝の開拓を行った渡辺勝の妻である。依田勉三といっても北海道出身者以外にはあまり知られていないと思うが、高校卒業まで北海道室蘭市で育った私には郷土の偉人として胸に刻まれた名前である。チーム・オベリべリというタイトルは現在の帯広市周辺のアイヌ語の地名、オベリべリの開拓者チームという意味である。A5判600ページを超える大著だが2日半で読み通してしまった。年金生活者で他にすることもないこともあるが、故郷北海道の草創期の物語として興味深く読んだ。晩成社を興した3人(依田勉三、渡辺勝、カツの実兄の鈴木銃太郎)はスコットランド出身の宣教師で医師のワデルの英語塾で学び、北海道開拓を志す。今からおよそ140年前である。その頃の北海道十勝は厳しい自然の大地があるのみで人工物は何もない土地だった。家も畑も自分たちで建て、開墾するしかなかった。カツは横浜の共立女子校で英語を学んだ才媛でかつ敬虔なキリスト教徒であった。私の父方の祖父も、カツや依田勉三より遅れること20年で滋賀県の彦根から北海道に渡っている。もっとも私の祖父は開拓者ではなく、開拓者相手の古着を扱っていたようだ。浄土真宗の信徒でもあった。西部邁の父も札幌郊外の真宗の信徒であったように記憶しているが、北海道の厳しい自然と立ち向かっていくには何らかの信仰が必要だったのかも知れない。

8月某日
コロナ感染者の拡大が進む中、ほぼ1週間ぶりで東京へ。社保研ティラーレで佐藤社長、吉高会長と次回の社会保障フォーラムの打ち合わせ。次回からリモートでの参加もできるようにしたが、今のところリモートと会場の割合が4対6というところ。講演をお願いしている伊原和人政策統括官とリモートで打ち合わせ。折角、東京に来たのだから誰かと呑みに行こうかと思ったが、コロナのことを考えて真直ぐ帰ることに。我孫子へ帰って家呑みのウイスキーが切れていることを思い出して、駅前の関口酒店へ。今回はギルビージンを購入。
店番のお母さんが「明日は熱中症注意報が出るそうですよ」というので、キンミヤ焼酎の「シャリキン」を2つ購入。シャリキンとはパックされたキンミヤ焼酎を冷凍庫でシャリシャリにシャーベット状にすること。ちょいと楽しみ。

8月某日
新型コロナに対する安倍政権の対応がチグハグさを増していると感じるのは私だけだろうか。例えばgo toキャンペーン。知事たちが県をまたぐ移動は自粛してもらいたいと言っているのに観光需要を刺激する施策ではないか。今週発売の週刊文春では政権を支える自民党の二階幹事長と旅行業界の親密さが指摘されていたが、どうもこの政権は身内に甘すぎる。安倍首相は来年の東京オリンピックの終了を政権の花道としたいと考えているらしい。だが、最近の世論調査によると安倍政権の不支持率が支持率を大幅に上回っているし、このところの安倍首相の顔色も心なしか優れない。早ければ年内の政権投げだしもあり得るかも。

モリちゃんの酒中日記 7月その5

7月某日
浅田次郎の「マンチュリアン・レポート」が面白かったので、同じ著者の「清朝末期もの」を読むことにする。手始めに「珍妃の井戸」(講談社文庫 2005年4月)を読む。義和団事件から2年後の北京が舞台。北京から西安に事件を避けようとする西太后と光緒帝一家、光緒帝の愛妾、珍妃は同行を許されず紫禁城内で死ぬ。珍妃の死の真相を探ろうとする英、独、日、露の北京駐在員。英国はエドモンド・ソールズベリー伯爵、英国海軍の提督。ドイツはヘルベルト・フォン・シュミット男爵、ドイツ帝国の陸軍大佐、ロシアはセルゲイ・ペトロヴィッチ公爵、露清銀行総裁、日本は松平忠永子爵、東京帝大教授の4人である。それにしても、浅田の歴史的事実をもとに壮大なフィクションを形づくっていく力量には舌を巻かざるを得ない。珍妃自体が実在の人物で、史実では西太后に西安行きの直前に死を賜ったことになっているという。清末の宮廷、宦官、袁世凱らの軍人、北京の外交団が織りなす華麗な人間関係、その奥にある王朝末期の華美にして不穏な雰囲気、そこら辺が実に巧みに描かれている。

7月某日
図書館で借りた「恋愛未満」(篠田節子 光文社 2020年4月)を読む。篠田節子ってほとんど読んだことないのだけれど、巻末の著者略歴によると1955年東京生まれ、90年に「絹の変容」で小説すばる新人賞新人賞受賞、デビューとある。今年65歳ということか。本作には5編の短編が納められている。どれも嫌味のない爽やかな読後感の小説だが、私的には最後の「夜の森の騎士」がお薦めかな。13年連れ添った夫と円満に協議離婚した亜希子は実家へ戻る。実家の父はすでに亡くなり母には認知症の兆候が。入院先でMRI検査を担当した不愛想な検査技師は、しかし認知症の母親への対応はナイト=騎士を思わせるものだった。母親の付き添いで深夜の病院で目覚めた亜希子はのどの渇きを覚え自販機を探す。病棟で迷った亜希子に手を差し伸べてくれたのは検査技師だった。技師は自販機用の小銭を貸してくれた上、亜希子を病室へ導いてくれる。母親の死後、病院の清算を済ました亜希子は検査技師に小銭を返し、今朝ほど自分で揚げたドーナッツを差し出す。「恋愛未満」というタイトルは恋愛に至る前の男女の触れ合いを表現している。「夜の森の騎士」における亜希子と検査技師の交情がまさにそれに当たる。そういえば篠田には認知症の母と自分のがん体験を綴ったエッセーがあった筈。ネットで検索すると「介護のうしろから『がん』が来た」だった。今度読んでみよう。

7月某日
テレビで映画「グラン・トリノ」を観る。クリントイーストウッド主演・監督のこの映画を観るのは2回目。イーストウッドが演じるのは自動車工場を退職し、妻にも先立たれたやもめの頑固な爺さん。隣に越してきたインドシナ半島の少数民族、モン族の一家と親しくなる。モン族はベトナム戦争のときに米軍側に味方したことから革命政権に迫害され、アメリカに逃れてきたらしい。モン族一家の息子はモン族の不良たちに虐められるが、イーストウッドに助けられる。不良たちは報復に息子の姉を凌辱する。イーストウッドは単身で不良たちのアジトに乗り込む。懐から銃を取り出す仕草を見せたイーストウッドに不良たちは銃を乱射する。実はイーストウッドは丸腰で不良たちに銃を撃たせるために仕組んだのだ。「グラン・トリノ」はイーストウッドの演じる元自動車工の愛車。大型で燃費が悪く小回りが効かないところが元自動車工と似ている。私は「居酒屋兆次」や「幸福の黄色いハンカチ」の高倉健を思い出した。ちなみにイーストウッドは1930年生まれ、健さんは1931年生まれだ。

7月某日
図書館で借りた「宣告」(加賀乙彦 新潮社 1993年8月)を読む。A5判上製、本文796ページでしかも上下2段組だから、読み通すのに5日もかかったが面白かった。加賀乙彦は1929年生まれ、府立6中(現新宿高校)から陸軍幼年学校、終戦により6中に復学し旧制の都立高校理科(現都立大学)から東大医学部に進学した。精神医学者として東京拘置所の医務部技官を務めたことがある。「宣告」にはこのときの経験が下敷きになっている。主人公は死刑囚の楠本他家雄、モデルはメッカ殺人事件の犯人で1969年12月に死刑が執行された正田昭である。楠本を診察する精神科医、近木は加賀がモデル。主な舞台は東京拘置所の死刑囚が収容されている獄舎と医務部。死刑囚というのは死刑が執行されるまでは未決囚なので、刑務所ではなく拘置所に収容される。死刑囚の死刑が執行されるまでの心理を描いた類い稀な小説である。小説全体の空気は明るくはないけれども真っ暗というわけではない。楠本と文通するJ大学心理学科の大学生、玉置恵津子とのエピソードは微笑ましくもある。ここでも上智大学で心理学の教授だったこともある加賀の経験が生かされている。東京拘置所には死刑確定囚が収容されている一角があるが、そこでの死刑囚同士の交流も興味深く描かれる。中卒で獄中でマルクス主義の文献を学習する河野は、連続射殺事件の永山則夫を彷彿させるし、河野に影響を与え後に自殺する学生運動家の唐沢は、連合赤軍事件の東京拘置所で自殺した森恒夫のことを思い出させる。死刑執行は執行の前日に本人に言い渡される。この小説も読み進んでページが残り少なくなってくると「あぁ楠本も間もなく処刑されるのか」と切なくなってくる。

7月某日
図書館にリクエストしていた「最高のオバハン―中島ハルコはまだ懲りていない!」(林真理子 文春文庫 2019年8月)を読む。「この本は、次の人が予約して待っています」という黄色い紙が裏表紙に貼られていたので急いで読むことにする。NHKBSプレミアムで「アラビアのロレンス」を放映するが、それも観ないで「最高のオバハン」に集中することにする。そしたら2時間30分ほどで読み終わってしまった。「宣告」に比べるとこちらは文庫本で236ページ、内容も軽いからね。中島ハルコという女社長と、独身のフードライター、菊池いづみの織りなす軽妙な物語。毎回、いろんな美味しいものを食べ歩くのも物語に彩りを添えている。

7月某日
「地方から考える社会保障フォーラム」の打ち合わせで神田の「社保研ティラーレ」で吉高会長と佐藤社長と面談。その後、地下鉄銀座線で神田から虎ノ門へ。「フェアネス法律事務所」で打ち合わせ。虎ノ門から銀座へ出て有楽町の交通会館へ。交通会館の「ふるさと回帰支援センター」を訪問する。高橋公理事長と最近、高橋理事長から総務部長の代役を仰せつかった大谷源一さんに挨拶。高橋理事長に来客があるので、大谷さんと先に交通会館地下1階の「博多うどん・よかよか」へ行く。ここは「博多うどん」はもちろん提供するが、日本酒を揃えていることで、高橋理事長が贔屓にしている店だ。店長は日本酒にももちろん詳しいが、依然聞いたことによるとネパールだったかミャンマーだったかの出身。だが顔は日本人にしか見えないし日本語も日本人以上に上手だ。高橋さんが来たので日本酒で乾杯。高橋さんにすっかりご馳走になる。

モリちゃんの酒中日記 7月その4

7月某日
図書館で借りた「マンチュリアン・レポート」(浅田次郎 講談社文庫 2013年4月)を読む。浅田には清朝末期からの中国を舞台にした「蒼穹の昴」「珍妃の井戸」「中原の虹」があり、本書もその一環ということらしい。解説(渋谷由里・中国近代史研究者)でも、これらの近代中国シリーズを「最初から読んでいただければと思う」と記している。本書の主人公は志津邦陽陸軍中尉、そしてイギリスの鉄道車両工場で造られ、李鴻章から西太后に贈られた機関車、「鋼鉄の公爵(アイアン・デューク)」である。その他の主な登場人物は張作霖、昭和天皇である。志津中尉は治安維持法改悪に関する意見書を公表したことにより陸軍刑務所に捕らわれの身となるが、昭和天皇の密命により釈放される。戦争に傾斜する陸軍を懸念する昭和天皇から満洲の現況をレポートするよう命じられるのだ。イギリスで製造された鉄道車両を西太后の御料車となり、後に張作霖の所有となったとこの物語ではされている。張作霖はこの車両に乗車して満洲へ帰る途中で爆殺されるのだ。どこまでが史実でどこまでがフィクションなのか、読んでいる途中、まさに「巻を置く能わず」であった。

7月某日
1日間違えた高原亮治さんの命日、四谷の上智大学隣の聖イグナチオ教会で16時に堤修三さんと木村陽子さんと待ち合わせ。地下の納骨堂にお参り。木村さんに「森田さん、2日連続で来てくれるなんて高原さんも喜んでいるよ」と言われる。堤さんが禁酒中なので四ツ谷駅のショッピングモール2階のカフェアントニオへ。私はバランラインのハイボールを頼む。いつもより旨いと感じたのは炭酸水の違いか。木村さんは「糠床」で茄子やニンジンの糠漬けを作ったり、マンションのベランダを利用して園芸に精を出す日常だそうだ。この3人は年に一度、高原さんの命日に会う関係だ。なんか面白いね。

7月某日
図書館で借りた「香港デモ戦記」(小川善昭 集英社新書 2020年5月)を読む。新型コロナウイルスの影響もあって現在は香港の街角は平静さを取り戻しているようだが、昨年の春から暮れにかけて香港は「逃亡犯条例」の改正を巡って学生、市民の大規模なデモに見舞われていた。本書はデモに明け暮れた香港を現地取材したルポルタージュだ。日本の全共闘世代である私は2019年の香港を、1968~70年の東京と二重写しに見てしまいがちだ。学生が主体となって機動隊と激突し、一部の市民、野次馬が学生を支援するという構造は、1968年の王子野戦病院反対闘争、同じく10月21日の国際反戦デーの新宿騒乱事件、翌年1月の東大安田講堂の攻防戦に呼応したお茶の水カルチェラタン闘争などと似たような構造を持っている。しかし大きな違いは、当時の日本の学生は「世界革命」を目標とする反日本共産党の共産同や革共同の革命党派の指示で動員されていたことだ。対して香港の学生には統一した司令部は存在せず、各自が自発的にネットで連絡を取り合いながら集会やデモを行っている。私はここに香港の新しさと可能性を見出す。インターネットはそれ以前と比較すると情報量を圧倒的に増加させ、人間と人間の繋がりをフラットにさせた。それが香港の学生たちが主張するように「一国二制度」の堅持に向かうのか、中国政府の介入を強め、「一国二制度」の崩壊へと向かうかは不明であるが。私としては香港の学生、市民を支援したい気持ちで一杯なのだけれど。

7月某日
図書館で借りた「私はスカーレットⅡ」(林真理子 小学館文庫 2020年4月)を読む。マーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」のリメイク版。私は原作の「風と共に去りぬ」は読んでません。ヒロインのスカーレットをヴィヴィアン・リー、相手役のレット・バトラーをクラーク・ゲーブルが演じた映画は観ているけれど。文庫本の惹句に曰く「名作『風と共に去りぬ』を林真理子がヒロイン視点でポップに甦らせる一人称小説。血湧き肉躍る展開の第二巻!」とある。スカーレットは南部の大農園の主の娘として生まれ、自他ともに認める美貌の持ち主。しかし恋するアシュレはメラニーと結婚、当てつけにスカーレットが結婚した相手は南北戦争で戦死。16歳で未亡人、17歳で母親になったスカーレットは大都会のアトランタへ。「風と共に去りぬ」は黒人差別の表現があるなどして批判されている。どのような名作も時代的な制約からは免れえない。それを踏まえたうえで名作を楽しむ機会を奪ってはならないというのが私の立場。「スカーレットⅡ」では南軍が北軍に圧倒されて、アトランタでも食料や衣類が欠乏していく状況が描かれる。レットは戦争のさ中、北軍の港湾封鎖をかいくぐって大儲けする。が「どんな崇高なことを言っても、戦争をする理由はひとつしかない。金ですよ」と公言するリアリストでもある。南北戦争は1861~65年で「風と共に去りぬ」の刊行は1936(昭和11)年、その当時の日本で、こんなことを発言する人がいたろうか?いたとしても治安維持法で検挙されたに違いない。アメリカの懐の深さを感じてしまう。

7月某日
社保研ティラーレで次回の社会保障フォーラムの応募状況を聞く。新型コロナウイルスの感染拡大が続くなか、集客はいまひとつ。だがリモートでの応募が幾つか出てきているのは朗報と思う。落語をリモートでやったという噺家もいるらしい。新型コロナウイルスは確かに人類にとっての厄災である。でも厄災を厄災で終わらせてしまっては情けない。「転んでも只では起きない」精神が大事です。

7月某日
図書館で借りた「狼の義―新犬養木堂伝」(林新・堀川恵子 角川書店 2019年3月)を読む。著者の林新(はやし・あらた)はNHKのプロデューサーで2017年に亡くなっている。堀川恵子は林の奥さんでノンフィクション作家、亡夫の志を継いで本書を完成させた。犬養木堂、犬養毅は昭和7(1932)年5月15日、首相官邸で海軍軍人らに殺害された(5.15事件)。本書は犬養が慶應義塾在学中に西南戦争の従軍記者を務めたから頃から、その死までを綴ったドキュメントである。「狼の義」というタイトルは尾崎が狼面をしていたことによる。小柄だが眼光が鋭かったということである。戦前というと軍部が言論統制を敷いて民主主義を弾圧した時代と単純に捉えがちだが、明治から大正、昭和、日中戦争、太平洋戦争を経て敗戦に至る歴史は、そう簡単ではない。本書を読んでもそのことはよく分かる。尾崎が若い時から自由民権運動に身を投じたように、戦前の日本には軍国主義、対外膨張の流れとは別に民権拡張、対外協調の流れが確かにあった。本書は尾崎に寄り添った古島一男という人物を配して対外協調(とくに中国との)路線を貫いた尾崎の一生を描いている。

モリちゃんの酒中日記 7月その3

7月某日
図書館で借りた「恋にあっぷあっぷ」(田辺聖子 集英社文庫 2012年1月)を読む。巻末に「この作品は1988年4月に集英社文庫として刊行され、再文庫化に当たり、加筆修正されました」と付記されている。単行本された年月が明らかにされていないのは残念。というのは田辺の現代小説、とくに若い女性を主人公にした小説ではその時代の風俗(ファッション、食事、遊びなど)が特徴的に描かれ、「あーそうだったなぁ」とうなずかされることが多いのでね。それはともかく本作の主人公はアキラと呼ばれる夫と結婚して5年の31歳の人妻。大阪の郊外の文化住宅に住み、夫はサラリーマン、アキラは近所のスーパーで経理のバイトをしている。文化住宅とは作品中で「いわば西洋風棟割り長屋である。……5軒あるどの家も、それぞれ、入り口とそれに続く3、4段の階段を持っている」とされている。結論から先に言ってしまうと、この作品は大阪郊外の文化住宅で夫に庇護され、それなりに満足していたアキラが、R市の高級住宅地のブティックに勤め始めたことをきっかけに自立していく物語である。裏表紙の惹句に「夫がいて恋人がいてパトロンを持つという贅沢を知った女の心の成長を描く大人の恋愛小説」とうたわれているが、ことはそう単純ではない。
「恋人」とは隣家に越してきた一家の主人のジツである。アキラにはジツの3人家族が「三片がどこかデコボコしておさまりきれぬパズル」だったが、ジツの急病によって「いまやっとうまく嵌まり……しごくなめらかにおちついておさまっていると思わせられた」となる。ジツのアキラに対する魅力はそれまでしかなかったと言ってよい。「パトロン」とはアキラの勤めるブティックを訪れた海亀のような容姿のお金持ち「鷹野さん」で、アキラと鷹野さんは深く愛し合うようになる。アキラの夫の博多への転勤が決まり夫は当然、アキラもついてくるものと思うが、アキラは「あたし、好きなひと、できたの、そのひとと暮らしたいの」と拒否する。夫との協議離婚が成立し、離婚が成立するまで控えていた鷹野さんへ連絡すると待っていたのは鷹野さんの訃報であった。アキラは夫と恋人とパトロンを失ったのだ。鷹野さんを失った深い悲しみのなか、アキラはまた夫と別れてからの「演技のいらない人生の快適さをたっぷり楽しんでいる」のである。本作は恋愛小説というよりも、一人の既婚女性の自立への道のりを描くビルディングロマン=教養小説である。

7月某日
図書館で借りた「愛の夢とか」(川上未映子 講談社文庫 2016年4月)を読む。著者初の短編集で谷崎潤一郎賞受賞作。単行本として出版されたのは13年3月、雑誌の初出は1作のみが07年で、他の7作は11年と12年である。表題作の「愛の夢とか」と最後に収められている「十三月怪談」には東日本大震災のことがさりげなく触れられている。「愛の夢とか」では「川の近くに家を買って、二カ月したらとても大きな地震が来て」「「たまに原発関連のニュースなんかをみているときに」というふうに、「十三カ月怪談」では「それはもちろん時子が亡くなる二年前に起きた巨大地震が原因で、彼らは地震のほんの数カ月前、海にほど近いその高層マンションを購入したばかりであった」というふうに。東日本大震災に私の感性は少なからぬ影響を受けた。具体的に言ってみろと言われると困ってしまうが。川上未映子の心にも何らかの痕跡を残したと思われる。いずれにしても良質な短編集である。

7月某日
図書館で借りた「よその島」(井上荒野 中央公論新社 2020年3月)を読む。主人公の碇谷蕗子は70歳、夫の碇谷芳朗は76歳、夫妻とともに島に移り住んできた元作家の野呂晴夫は蕗子と同じ70歳である。市場経済の中にシルバーマーケットというのは確かに存在し、高齢化の進展とともに、その規模を拡大させているのは承知している。しかし老人を主人公にしたからと言って老人文学というジャンルが存在するかといえば、私は否定する。谷崎の「瘋癲老人日記」や深沢七郎の「楢山節考」など老人を描いた優れた作品は多いが、それは老人という存在を通して人間という普遍的な存在を描いているからなのだ。「よその島」はその観点からすると優れた文学作品だし、エンターテイメント文学としても読みごたえがあった。碇谷夫妻には殺人を犯したという思い込みがある。野呂には別れた妻の間に生まれた子供が28歳で死んだときに葬式にもいかなかった自分を責める。過去とどう向き合いどう清算するか、が作品のテーマになっていると思う。物語の終盤で芳朗は認知症を発症し、蕗子のことも蕗子と認識できない。蕗子と認知症になった芳朗の会話が感動的である。
「奥様をお好きでした?」(と蕗子が芳朗に聞く)
「どうしてそんなことを聞くんです?」
「ごめんなさい……。碇谷さんは少し、私の夫に似ているんです」
蕗子は急いで答えを拵えた。
「夫が私のことをどう思っていたのか、碇谷さんのお答えに賭けてみたくて」
「ご主人は……」
「今はここにいないんです」
「どちらに?」
「今は、よその島におります」
「ああ、そうなんですね」
芳朗はほっとしたように頷いた。
「もちろん、好きでしたよ、妻を。とても好きでした」
「本当に?」
「ええ。あなたのご主人も、きっとあなたのことを好きですよ」
その言葉を保証するように、芳朗はにっこりと笑った。

7月某日
厚労省の医系技官で健康局長を務めた高原亮治さんが亡くなってから何年になるのだろうか。毎年命日に堤修三さんと高原さんの遺骨が納骨されている四谷の聖イグナチオ教会にお参りしている。教会の前のベンチに座って堤さんを待ったが約束の16時になっても来ない。「待っても来ないので先にお参りして帰ります」とメール、折角なので聖イグナチオ教会を覘く。会堂には数人の信者と思しき人が座っていた。曇天にも関わらずステンドグラスから射す柔らかな光、荘厳なパイプオルガンの調べに誘われて、信者ではない私も思わず正面のイエス像に向かって高原さんの魂の平安を祈る。四谷から地下鉄丸ノ内線で淡路町へ。大谷源一さんと「花乃碗」で待ち合わせているのだ。17時過ぎに着席、大谷さんに「着きました」とメールすると「今、有楽町、6時過ぎになります」と返信がある。ジントニックを頼み、2杯目のウオッカトニックを呑み終わる頃に大谷さんが来る。堤さんから返信があり高原さんの命日は明日ということ。私が日にちを間違っていたわけだ。「花乃碗」は、社保研ティラーレの吉高会長と佐藤社長に連れて来てもらったのが最初で、今回は2度目。なかなかしっかりした料理を出す店だ。

モリちゃんの酒中日記 7月その2

7月某日
「湿原(上)」(加賀乙彦 岩波現代文庫 2010年6月)を読む。本書は朝日新聞社より1985年に刊行され、新潮文庫として1988年に刊行されたと巻末に記されている。上巻での小説の舞台は1968年から1969年にかけての東京と北海道根室の原野だ。根室から釧路にかけての根釧原野は開拓の斧も立ち入ることが許されなかった一大湿原である。小説のタイトルもここから考えられたものだろう。上巻だけで630ページだが一気に読んでしまった。1968~69年は学生反乱が日本だけでなく全世界的に燃え盛った時代だ。この小説でも学生のからんだとされる公安事件が、重要な背景をなしている。主人公の神保町の小さな自動車整備工場の工場長、雪森厚夫は複雑な過去を持つ50代。中国戦線の従軍経験があり、戦後も窃盗や詐欺により刑務所暮らしが長かった。だが刑務所で習得した自動車整備技術を活かして自動車整備工場では工場長として尊敬されている。ヒロインとして描かれるのが美貌の女子大生、池端和香子24歳、四谷のR大学の理工学部の学生、父は紛争が激化しているT大の刑法学の教授である。親子ほど年の違う雪森と和香子は恋に落ちて、雪森の故郷の湿原を旅する。が帰京した次の朝、雪森は新幹線爆破事件の容疑者として逮捕される。上巻は雪森の死刑、和香子に無期の1審判決が下されたところで終わる。
68年から69年は私が早大に入学して学生運動に加わり、69年9月には早大第2学館で逮捕起訴され、留置されていた大森警察署から池袋にあった東京拘置所に移送された。小説では68年の10.21に雪森と和香子が新宿でデモと遭遇し、和香子の行きつけのゴールデン街のバーに避難する情景が描かれている。私はこの頃はまだ反帝学評(社青同解放派)の青ヘルメットを被っていた。午後3時頃、早大の本部前に集結し、全体のデモ指揮は当時3年生のKさんが執り、国会議事堂への突入を図るが敢え無く機動隊に蹴散らされてしまった。あの時は、反帝学評は国会、社学同は防衛庁、中核派は新宿と各派ごとに行動地域が分かれていた。私は機動隊に蹴散らされた後、新宿が面白そうと思って新宿駅に向かった。多分、電車で向かったと思うが直後に電車は動かなくなった。あの頃、学生のヘルメット部隊とは別に群衆が戦闘的で、私も新宿駅構内では群衆の一人として機動隊に投石した。ひと暴れしてそろそろやばくなってきたので、高田馬場方面へ帰ろうとしたが、日付の変わる頃には新宿の街角は機動隊にほぼ制圧されていた。「どうしようか」と思っていたとき、早稲田の解放派の文学部の女子大生と出会い、恋人同士を装って新宿から新大久保、高田馬場、早稲田まで腕を組んで歩いて帰った。新大久保のラブホテル街を通ったときは「入ろう!」と言われたらどうしようかとドキドキしたが、そのようなことは微塵も起きなかった。早稲田に着いたらその女子大生は仲間を見つけたようで「じゃあね」とあっさりと行ってしまった。「湿原」とは関係ありませんが私の「青春」の一コマである。

7月某日
引き続き「湿原(下)」を読み進む。下巻では第2審から厚夫の弁護士に選任された阿久津弁護士が、厚夫の新幹線爆破当日のアリバイを証明して行くところから始まる。解説でロシア文学者の亀井郁夫が加賀乙彦をドストエフスキーと比較して論じている。ドエストエフスキーの「罪と罰」「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」などは優れた思想小説と言えるが、これらの作品群は同時に優れた犯罪小説としても読める。「湿原」にも同様のことが言えると思う。阿久津弁護士の活躍によって厚夫と和香子の犯行当日のアリバイは証明され、厚夫と和香子、厚夫の甥の陣内勇吉、共謀共同正犯とされた革命党派R派の3人は2審では無罪となる。検察側は最高裁への上告を断念し、厚夫たちの無罪は確定する。獄中で厚夫は自身の少年期から盗みを常習としてきたこと、重機関銃隊として中国戦線に従軍、戦争とは言え多数の中国兵を殺戮したこと、また、戦後も掏摸、横領、強盗などを繰り返し、人生の大半を軍隊と刑務所で過ごしてきたことを手記にまとめる。和香子に真実の自分を知ってもらいたいためだ。この手記が「湿原」に厚みをもたらしているが、同時に作品に劇場的な効果も与えている。獄中で拘禁ノイローゼを発症した陣内勇吉は精神病院で首吊り自殺し、R派の3人も対立するK派に殺害される。ここら辺はドストエフスキーの「悪霊」的悲劇だ。
R派の指導者だった殺害された守屋牧彦は和香子に、自分が書いた「国家と自由」という論文を残す。和香子は厚夫にこの論文の「開発不能の湿原と石油の出ない砂漠をまず、国家の領土から切りはなして、地球連邦の共有地にせよという意見が、とくに面白かった」と語る。私はそこに無政府主義的ユートピア思想を感じてしまった。ところで厚夫は大正8年生まれ、和香子は昭和20年生まれに設定されているから、年齢差はおよそ27歳。生まれ育った環境もまったく違う。しかし二人は深く愛し合っている。湿原を観ながら厚夫が和香子を力一杯に抱きしめ「ねえ、この土地で二人で生きよう。もろともに、風蓮仙人となって暮らそう」と語るところで小説は終わる。風蓮仙人とは湿原に暮らす不思議な老人のことだ。

7月某日
林弘幸さんと我孫子駅前の「七輪」で16時に待ち合わせ。5分ほど前に店に行きカウンターで呑み始めたが、林さんはなかなか来ない。「おかしいな」と思っていると林さんが置くから「こっちにいるよ!」と声を掛ける。10分前から来てるんだって。2時間ほど呑みかつ食べる。林さんとは30年来の付き合いだがなぜか気が合う。林さんは永大産業出身で永大でも年住協でも「営業一筋」というか、営業という仕事に誇りを持っている。私は編集制作出身だが、サラリーマン生活の後半は営業が面白くなった。そんなところが気が合うのかも知れない。

7月某日
雨で外出するのが億劫なので家にある本を読むことにする。目に付いた藤沢周平の「静かな木」(新潮文庫 平成12年9月)を読む。藤沢周平はデビュー当時は作風が暗かった印象があるけれど、売れ出すにつれて「ユーモア時代小説」と言ってもいいような作品も書くようになった。私はどっちも好きですけどね。藤沢は山形の師範学校を出て県内で小学校の教師をしていたが結核を発病、上京して5年間の闘病生活を送る。教師への復帰はかなわず食品関係の業界紙に就職、編集長と作家を兼ねていたときに直木賞を受賞、作家に専念する。業界紙の記者って公務員や一流企業からこぼれた人の受け皿でもあったわけね。私も学生運動経験者で前科持ち、出版社への就職はできず住宅建材関係の業界紙に就職したからね。そんなわけで藤沢周平はよく読んだ。「静かな木」は表題作含めて3作の短編が収録されている。2作はユーモアが勝ち、表題作は不正を働いて出世したもと上司との対決を描いた情念もの。藤沢は1927年に生まれて1997年に死んでいる。享年70歳。今の私より年下だよ!

7月某日
図書館で借りた「あなた上下」(乃南アサ 新潮文庫 平成19年2月)を読む。乃南アサは結構好きで何冊も読んでいるのだけれど、この本は上巻を少し読んで「外れかな?」と思ってしまった。主人公がどうもいけ好かない。作品中では「ちゃらんぽらんで、何ごとに関しても真剣味がなくて、軽薄。単純。意外に小心、しかも計算高い。女好き。助平。浮気者。格好だけ」と表現されていて、この文章はそのまま解説(重里徹也毎日新聞編集委員)で引用されている。解説によると、この小説は2002年の1月から12月まで、新潮ケータイ文庫に連載されたという。小説の発表携帯としてとても今日的、想定される読者としても20代が中心だったのではなかろうか。だとすれば造形された主人公は、ほぼ読者と等身大かそうでなくとも多くの読者は「いるいる、こういう奴」と思ったはず。つまり乃南アサはそれらを織り込んだうえで主人公を造形したのだ。小説の前半は主人公の恋愛模様が描かれ、後半はその過程で主人公とその恋人、友人がホラー現象に巻き込まれていく様を描く。ホラー現象自体、現代科学では照明できていないと思うのだが、それをリアルに描くのがまさに乃南アサの筆力だと感じ入った。

モリちゃんの酒中日記 7月その1

7月某日
図書館で借りた「半次捕物控え―御当家七代お祟り申す」(佐藤雅美 講談社文庫 2013年7月)を読む。佐藤雅美には江戸時代を題材にした幾つかのシリーズがある。今、思い出すのだけでも「町医北村宗哲」「八州廻り桑山十兵衛」「縮尻鏡三郎」「居眠り紋蔵」そして「半次捕物控え」である。町医北村宗哲以外は今で言う「法曹・刑事もの」である。もっとも北村宗哲の前身と言える啓順シリーズは、御典医の妾腹に生まれた啓順が官許の医学校を中退、無頼と交わるうちに人を殺め、追手から逃亡を続ける姿を描く「犯罪・逃亡もの」である。本作は「第1話 恨みを晴らす周到な追い込み」から「第8話 命がけの仲裁」までの8つの短編で構成されている。8つの短編はそれぞれが独立しているのだが、全編を通すと大和郡山の柳沢家にまつわるお家騒動とその復讐劇という形式になっている。おそらく最初は雑誌に連載されたものと思われるが、連載当初からこのような形式を考えていたに違いない。佐藤雅美の優れた構成力というしかない。で、「半次捕物控え」の時代設定は、本文中に「およそ40年前の寛政元年、幕府は棄捐令を発した」という記述がある。寛政元年=1789年だから、それから40年後、1829年(文政12年)ごろになる。ということは「居眠り紋蔵」とほぼ同時代ということになる。

7月某日
図書館で借りた「加賀乙彦 自伝」(ホーム社 発売・集英社 2013年3月)を読む。300ページ近い本だが面白くて1日で読んでしまった。といっても年金生活者の身だから時間だけはあるからね。それと自伝と言っても書下ろしではなく、雑誌「すばる」2011年8月号・11月号、2012年7月号に掲載した「加賀乙彦インタビュー」を基にした語り下ろしだからかもしれない。加賀は1929年生まれ、東京山の手の比較的裕福な家に育った。42年に府立6中(現新宿高校)に入学、翌年に名古屋陸軍幼年学校に47期生として入学。45年敗戦により6中に復学、9月に都立高等学校(現首都大学東京)理科に入学、49年東大医学部に入学というのが主な学歴。陸軍幼年学校は敗戦により、都立高校(旧制)は学制改革により消滅している。53年に医師国家試験に合格、55年には東京拘置所に医系技官として採用、1年半の間死刑囚や無期囚に数多く面接する。57年、28歳のとき精神医学及び犯罪学研究のためフランス留学、60年に帰国、「日本に於ける死刑並びに無期受刑者の犯罪学的精神病理学的研究」により医学博士号を取得。この辺まで作家というよりは精神科医の印象が圧倒的に強い。作家として知られるようになるのは「フランドルの冬」が芸術選奨文部大臣賞を受賞してからだろうか。私がこの作家に親しんだのは朝日新聞に連載されていた「湿原」を読んでから。「宣告」「高山右近」も読んだとは思うが、例によって内容は覚えていない。加賀は87年、58歳のときに妻とともにカトリックの洗礼を受けている。私は10年ほど前に亡くなった社会保険庁のOBの福間基さんのことを思い出した。福間さんも陸軍幼年学校出身で奥さんとカトリックに入信していた。陸軍幼年学校とカトリック以外に共通点を見出すことはできないが。

7月某日
「女帝 小池百合子」が面白かったので同じ作家の「日本の天井―時代を変えた『第1号』の女たち」(石井妙子 角川書店 2019年6月)を図書館から借りて読む。「天井」とはガラスの天井のことで、米大統領選挙でクリントンがトランプに負けたときに使われたのが私が新聞記事の中で目にした最初だと思う。著者は、日本にももちろん「ガラスの天井」は存在し、それは「ガラスではなく鉄や鉛でできており、見上げても青空を見ることさえできない。それが少なくとも近年までの日本社会であったと思う」(まえがき)と述べる。「女帝小池百合子」を読んで石井妙子は優れたノンフィクション作家だと思ったが、本作を読んで彼女はインタビュアーとしても卓越した能力を持っていると感じた。優れたインタビュアーの条件とは何か?私が思うに、第一は問題意識、時代認識である。第二にインタビュー対象者への事前の資料調べである。石井は日本の女性にとっては鉛や鉄でできた個人の意識(男だけでなく女も)や社会の意識、制度の壁などに対する問題意識、時代認識は非常に鋭いし高いと思う。それとインタビュー対象者に対する共感力の高さね。本書では上場企業初の取締役となった石原一子、女性プロ囲碁棋士第1号の杉内壽子、中央官庁の女性局長第1号の赤松良子、エベレスト登山の田部井淳子、漫画家の池田理代子、アナウンサーの山根基世、落語家の三遊亭歌る多が紹介されている。個人的には赤松が一番面白かったかな。「『…私は気が強かったからね。仕事で男に引けを取ることはなかったわよ』/そう言い終わると、『さあ、約束の時間が過ぎたから失礼するわね』とインタビューを自ら締めくくり、かたわらの杖を取ると出口に向かって颯爽と去っていった」。格好いいね。

7月某日
NHKのBSプレミアムで「シェナンドー河」を観る。日本公開は1965年、主演はジェームズ・スチュアート、舞台は南北戦争の末期で南軍の劣勢が明らかになった頃のバージニア州。ジェームズ・スチュアートが演じる農場主はシェナンドー河のほとりで広大な牧場を経営しつつ、妻亡き後7人の子どもを育て上げた。ある日末子の「ボーイ」が北軍に捕らえられる。河で拾った南軍の帽子を被っていたためだ。農場を長男一家に預け、農場主は残りの兄弟とともに「ボーイ」を探しに旅に出る。「ボーイ」は見つからず、一家は家路を急ぐが兄弟の1人が北軍の少年兵に誤って殺される。長男夫妻も暴漢に殺害され、赤ん坊1人が残された。ラストシーンは日曜日の教会。赤ん坊の機嫌が悪く、乳母の黒人の腕の中で泣き叫ぶ。そこに行方不明だった「ボーイ」が帰ってきて農場主と抱き合う。ジェームズ・スチュアートが頑固な農場主を好演。反戦映画として私は観ました。

7月某日
「新版昭和16年夏の敗戦」(猪瀬直樹 中公文庫 2020年6月)を大変面白く読んだ。猪瀬は石原都知事に乞われて副知事に就任、石原の後任の都知事にもなったのだが、確か徳洲会グループからの政治献金がらみの疑惑で辞任を余儀なくされた。しかし猪瀬はもともとは優れたジャーナリストだったんだよね。「天皇の影法師」「ミカドの肖像」「ペルソナ・三島由紀夫伝」などは率直に言って優れたドキュメンタリーだと思う。さて本書はもともと世界文化社の「BIGMAN」に6回にわたって連載されたものに大幅加筆されたもので、最初の単行本は1983年に世界文化社から刊行され、文庫は86年に文春文庫、2010年に中公文庫として上梓されている。今回「新版」とされているのは巻末に政治家の石破茂との対談が掲載され、さらに新型コロナウイルスに触れた「我われの歴史意識が試されている―新版あとがきにかえて」が収録されているためであろう。で本書はタイトルだけでは内容は皆目わからない。石破との対談で猪瀬本人が語っていることをもとに本書の内容を紹介しよう。昭和16(1941)年4月に政府は「総力戦研究所」を立ち上げ、当時の大蔵省、商工省、内務省、司法省らの若手官僚、さらに陸海軍の少佐、中佐クラスの将校、民間からは日本製鐵、日本郵船、日銀、同盟通信(後の共同通信)の記者が集められた。彼らの任務は「もしアメリカと戦争したら、日本は勝てるのか、そのシミュレーションを」することであった。大蔵官僚は大蔵官僚、日銀の行員は日銀総裁、記者は情報局総裁に就任し「模擬内閣」をつくり、出身の省庁や会社から資料、データを持ち寄って検討していった。彼らの結論は「緒戦は優勢ながら、徐々に米国との産業力、物量の差が顕在化し、やがてソ連が参戦して、開戦から3~4年で日本が敗れる」というものだった。開戦に至る過程で昭和天皇には戦争を回避する気持ちが強く、海軍も開戦には否定的であった。陸軍では主戦論が勝っていたが、主戦論者であった東篠陸相も昭和16年10月に首相に就任するやその意志は揺らぐ。私は結局、当時の政治家にも軍部にも「責任を持って決断する」人材がいなかったのではと思わざるを得ない。「昭和16年夏の敗戦」は80年後の「令和2年夏の敗戦」につながらないとは言えない。令和2年の敗戦は新型コロナウイルスに対する敗北だけどね。

モリちゃんの酒中日記 6月その4

6月某日
厚生労働省の1階で社保研ティラーレの佐藤社長と待ち合わせ、老健局の栗原正明企画官を訪問する。「地方から考える社会保障フォーラム」の打ち合わせ。厚生官僚で若くして亡くなった荻島國男さんに初めて会ったのは、彼が老人保健部の企画官になった頃だ。彼は優秀かつやや強引な行政マンで、企画官ながら老人保健部全体を仕切っていたような印象がある(あくまで個人の印象です)。栗原企画官にも優秀さが感じられたが強引さは微塵も感じられなかった(あくまで個人の感想です)。厚生労働省から社保研ティラーレに戻り、佐藤社長、吉高会長と打ち合わせ。7月30日の「例の会」の会場に神田のイタリアンの店を紹介してもらう。虎ノ門の日土地ビルで打ち合わせがあるので虎ノ門へ。打ち合わせまで時間があるので日土地ビル地下の蕎麦屋へ。山形出汁おろしそばを食べる。山形出汁というのは山形県の郷土料理で「夏野菜と香味野菜を細かくきざみ、醤油などであえたもの」である。私は20年ほど前、阿部正俊さんが参議院選挙に立候補したとき、選挙事務所で食べた記憶がある。

6月某日
図書館で借りた「へこたれない人 物書同心居眠り紋蔵」(佐藤雅美 講談社文庫 2016年3月)を読む。佐藤雅美は昨年7月、78歳で死んでいる。佐藤の訃報の新聞記事の扱いが小さいことに腹を立てた覚えがある。「物書同心居眠り紋蔵シリーズ」は物書同心という今で言えば検察官の書記のような役目の奉行所の同心、紋蔵が遭遇する市井の事件を解決していくというシリーズ。紋蔵にはナルコレプシーのように突如居眠りをしてしまう奇癖があることから「居眠り紋蔵」と言われている。舞台は幕末にはちょいと間のある頃、本作の「帰ってきた都かへり」では「(現在から)70年ほど前の宝暦11年のこと」とある。ウイキペディアで調べると宝暦は「1751年から1764年までの期間」とあるから宝暦11年は1762年、それから70年ほど後の小説の舞台上の現代は1832年で天保3年である。天保の改革が行われ「天保六歌撰」の舞台ともなった時代で江戸文化の爛熟期の頃か。同心というのは与力の下役で、幕臣ではあるが「お目見え」以下、つまり将軍には目通りを許されない。現在で言えばノンキャリア、たたき上げの巡査部長か警部補といったところか。現代の刑事小説などでもそのクラスが主人公になることが多いでしょ。事件の現場に一番接するのが彼らということなのだろう。

6月某日
「へるぱ!」の編集会議をZOOMでやるという。年友企画の酒井さんの指示に従いつつ、奥さんの援けを借りながら何とかスマホで参加することができた。リアルな編集会議では割と発言するのだが、ZOOMではほとんど発言する機会はなかった。「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」というマッカーサー元帥の言葉が頭をよぎる。ZOOMでの会議もそうだが新型コロナウイルスでずいぶん世の中は変わったし、今後も変わっていくと思う。リーマンショックを上回る経済的な打撃などコロナのマイナス面を捉えるだけでなく、日本社会の構造転換を図る好機と見ることも重要と思う。

6月某日
図書館で借りた「物語の向こうに時代が見える」(川本三郎 春秋社 2016年10月)を読む。川本三郎が文庫本の解説や各種媒体に発表した書評を1冊にまとめたもの。川本三郎ってすきなんだよねぇ。文体に嫌味がないし文章に「優しさ」を感じる。川本は1944年生まれ。確か麻布高校から東大法学部、朝日新聞というエリートコースを歩んでいたが、「朝日ジャーナル」の記者をしていた1971年、朝霞の自衛官殺害事件にからんで犯人隠避、証拠隠滅で逮捕され、朝日新聞を解雇される。川本の文章に「優しさ」を感じるのはこの経歴とも無縁でないように思う。この本で川本が解説や書評で取り上げた本は、私には未読のものが大半。だが、川本の筆にかかると私に強く「読んでみようかな」という気を起こさせる。川本は作品と作家と土地にこだわる。徴兵忌避で偽名を名乗りながら日本各地を逃走する「笹まくら」(丸谷才一)、東日本大震災で被災した出稼ぎ労働者の生と死を描く「JR上野駅公園口」(柳美里)、生まれ育った北海道の寂れた風景を背景に庶民の暮らしと愛を綴る桜木紫乃、他所者として「諫早の町にあっていつもアウトサイダーの位置に自分を置いた」野呂邦暢、夫亡き後の一人暮らしの老いの準備の日常を描く「故郷のわが家」(村田喜代子)などである。この中では野呂邦暢はまだ1冊も読んでいない。私が死ぬ前に1冊くらいは読むべきでしょうね。

6月某日
桐野夏生の「デンジャラス」(中公文庫 2020年6月)を読む。新聞広告で文庫化されたのを知って、すぐに上野駅構内の書店で購入した。文豪、谷崎潤一郎を巡る女たちの物語である。そう言えば「文豪」という言葉も使われなくなった。私が小説を読み始めた頃は文豪と呼ばれたのは夏目漱石、森鴎外そして谷崎である。志賀直哉は「小説の神様」であっても「文豪」ではない。永井荷風は文化勲章は受賞しても文豪とは呼ばれなかった。純文学でなおかつベストセラーを出す、そして「一家を構える」というイメージが必要なんだと思う、「文豪」には。「デンジャラス」は谷崎の三番目の妻、松子の妹で谷崎の長編小説「細雪」の主人公雪子のモデルとなった田邉重子が語り手となって進行する。谷崎の関心が義理の妹の重子から松子の連れ子の嫁の千萬子へ移っていく、そのことに対する重子や松子の嫉妬と葛藤が小気味の良いほど描かれている。物語は戦争末期から終戦、谷崎が亡くなる昭和40年まで続く。谷崎は晩年、「瘋癲老人日記」や「鍵」といった「老人と性」にまつわる傑作を書いているが、その女主人公のモデルとなったのが千萬子である。作家にとって最も大切なのは作品であって、谷崎にとって「細雪」の執筆当時は重子の行動や考えにこそ関心があったが、戦後はその関心が千萬子へ移ってゆく。小説家の業ですかね。桐野夏生は1951年生まれだから今年、69歳、今もっとも注目すべき女流作家の一人である。

モリちゃんの酒中日記 6月その3

6月某日
6月22日の朝日新聞朝刊に「在日米軍と国内法」という解説記事が載っていた。在日米軍への国内法の適用は国際法によって制限される、というのが半世紀近く続く日本政府の見解。しかし、その一般国際法とは具体的に何かと問われても日本政府は、説明を避けてきた。この解説を執筆した藤田直央という記者が、一般国際法に言及してきた根拠について、情報公開法で文書開示を求めたところ、外務省は「探索したが確認できなかった」と回答。米国は、駐留外国軍に関する国際法はなく個別の地位協定で権利確保の姿勢という。「嘉手納爆音訴訟」ではこうした国際法の有無が問われていて、解説は「最高裁が原告の上告を受け入れて実質審理に入るかどうかが注目される」と結んでいる。民主主義は権力者の高度な情報公開が原則と思われるが、わが国の現状はそうでもなさそうだ。
年友企画の迫田さんと神田のベルギー料理店でランチ。2月と3月に迫田さんの仕事を手伝ったギャラが先日振り込まれたため、お礼の意味でのご馳走である。その足で社保研ティラーレの佐藤社長と吉高会長に面談。新型コロナウイルスの影響で次回の社会保障フォーラムの厚労省の講師が決まらないための相談。吉高会長が「江利川さんに頼んだらどうやろう」というので医療科学研究所に電話、江利川毅理事長は出勤してきているということなので赤坂の事務所へ佐藤社長と向かう。江利川さんは快諾してくれたので一安心である。

6月某日
「行政学講義-日本官僚制を解剖する」(金井利之 ちくま新書 2018年2月)を読む。著者の金井は1967年生まれ、東大法学部卒、同助手、都立大法学部助教授を経て、現在、東大大学院法学政治学研究科教授と略歴にある。東大法学部を卒業して学者の道を希望する人の中でも、優秀な人は大学院に進学せずに学部の助手に採用されるという噂があるが、金井はまさにそれに当てはまる。政治学者の御厨貴や確か丸山眞男を同じ道をたどっているから意外と真実かも知れない。それはともかく私は厚生行政を外から30年以上にわたって眺めてきているので金井の分析や主張には「なるほど」と思わせるものが多かった。日米関係をどうとらえるかは、戦後の政治史の要となるものと思われるが、それに対する金井の見解は次のようなものである。サンフランシスコ講和条約の本質は、支配された「被占領地(植民地・自治領土)」の日本側「自治」政府にできたことは、「本国」=米国側の了解の範囲内で、独立または高度な自治を獲得することだった。「本国」にとっては日本支配の最大かつ究極の価値は、「自治領土」日本内に軍事基地を置き自由に使用することだ。こうしてサンフランシスコ講和条約と同時に、日米安保条約が締結された。なるほどねー、戦後の自民党政権は吉田茂から現在の安倍晋三に至るまで、基本的には対米従属路線を歩んできた背景がよく分かる。
もうひとつは権力と行政の関係である。最近、黒川東京高検検事長の定年延長問題や河井前法相と妻の参議院議員の逮捕によって権力と検察の関係に注目が集まっている。本書はこれらの事件の2年も前に刊行されているにも関わらず、権力と検察の関係の問題点を正確に指摘している。戦後日本の政治・検察関係を決定づけたのは1954年の「指揮権発動」である、と金井は指摘する。これは造船疑獄の捜査で東京地検特捜部は与党自由党幹事長の佐藤栄作を逮捕する方針を決定したが、犬養健法相が指揮権を発動し逮捕中止を検事総長に指示した事件である。金井は「この事件を契機に、政治は指揮権発動をしない、検察は指揮権発動させるほどの強引な捜査をしない、という微妙な間合いを忖度し合う関係に」なったとする。金井はまた「政治指導は政治の暴走とも紙一重」とも書いている。政治指導=政治主導によって黒川検事長の定年を延長しようとした安倍政権に通じるものがあるのではないか。ちなみに造船疑獄で指揮権発動によって逮捕を免れた佐藤栄作は安倍首相の大叔父に当たる(安倍首相の祖父が岸元首相で岸は佐藤の実兄)。なにか因縁を感じてしまう。

6月某日
図書館で借りた「皇国史観」(片山杜秀 文春新書 2020年4月)を読む。片山の本は難しいテーマでもわかりやすく解き明かしてくれるのが特徴。大学院時代から「週刊SPA!」のライターをしていたことと関係があるのかもしれない。片山は音楽評論家としての顔もあって伊福部昭(ゴジラの映画音楽を作曲した)を評価している。思想史研究家としては左右のイデオロギーに捕らわれることなく時代と思想(家)の関係を探ろうとしているところに私は好感を持つ。本書もまさにそうで「皇国史観」というタイトルそのものが「ヤバイ」でしょ。皇国史観という言葉自体が肯定するにしろ否定するにしろイデオロギーにまみれちゃっているからね。しかし「さすが片山先生」である、読後感はむしろ爽快であった。皇国史観をどうとらえるべきか、片山は「水戸学」「五箇条の御誓文」「大日本帝国憲法」「南北正閏問題」「天皇機関説事件」「平泉澄」「柳田国男と折口信夫」「網野善彦」「平成から令和へ」というキーワードから解き明かす。皇国史観は江戸時代初期に水戸学から発生した。将軍よりも天皇を上位とする価値観は幕末に至って尊王攘夷思想に発展する。尊王攘夷の本家は水戸徳川藩だが、天狗党が攘夷を唱えて筑波山で蜂起、それ以降凄惨な内ゲバを繰り返し、明治維新の頃には人材は払底してしまったらしい。五箇条の御誓文の「万機公論に決すべし」には民主主義の萌芽が認められるものの、明治憲法はプロシアに学ぶ反動的なものであった、というのが通俗的な理解で実態はそれほど単純なものではなかった。現在の天皇も明治天皇も北朝であるが、明治政府は南朝を正統とした。そうしないと楠木正成が逆臣となってしまい、当時の庶民感情を納得させられなかったのである。天皇機関説も学会の主流は機関説であったが、昭和の軍部が「天皇を機関車や機関銃と一緒にするのか」という庶民感情に乗じて美濃部達吉を非難、美濃部は貴族院議員を辞職する。大変読みやすい本なので、歴史好きには一読をお勧めする。

6月某日
図書館で借りた「仁淀川」(宮尾登美子 新潮文庫)を読む。巻末に「この作品は2000年10月、新潮社より刊行された」とある。宮尾登美子は1926(昭和元)年の生まれだから著者が70年代前半の作品ということになる。宮尾が中央の文壇にデビューしたのは1972年に太宰治賞を受賞した「櫂」で、以下、「春灯」「朱夏」と高知の女衒、岩伍に嫁いだ喜和、娘の綾子を主人公とした自伝的な連作を発表している。「仁淀川」は喜和と岩伍の死と、綾子が後に「家の職業についても、自分の手で描いてみようと決心した」までを綴った「綾子自立へ」の章で終わっている。宮尾は40代の半ばから自伝的な連作小説を書き始め、70代半ばの本作で主人公、綾子が作家を目指す方向を示すことで完結するのである。といっても本作では20歳の綾子が夫と生まれたばかりの娘と3人で満洲から着の身着のままで高知の夫の生家に帰り、農作業に駆り出されていく様が描かれる。綾子は女衒の娘である。女衒とは若い女性を遊郭などに売る一種の仲介業であり、遊郭は都市でなければ成立しない商売であり、女衒もまた極めて都市的なビジネスであった。綾子の嫁ぎ先における苦労とある種の戸惑いは農村と都市の対立であり、それは生産者(農村)と消費者(都市)との対立でもある。綾子は遂に農村に馴染むことはできず、嫁ぎ先の姑にとっては綾子は労働力以上のものではなかった。しかし、だからこそ綾子は自立の道を目指したのだし、作家、宮尾登美子も誕生したのだとも言える。年代がほぼ同じの宮尾、瀬戸内寂聴、田辺聖子を比較すると、寂聴は徳島市内の仏壇屋に生まれ東京女子大に進学、結婚離婚して作家デビューを果たしている。田辺は大阪の大きな写真館の娘に生まれ、樟蔭女子専門学校に学び同人誌に掲載された「センチメンタル・ジャーニー」で芥川賞を受賞、後に開業医の川野氏と結婚している。三者三様ではあるが、宮尾の満洲の荒野、高知の農村の経験が、常套句ではあるが「作家の肥し」となったのは間違いのないところだ。