モリちゃんの酒中日記 3月その3

3月某日
「あのころ、早稲田で」(中野翠 文春文庫 2020年3月)を読む。中野翠は1965年に早稲田の政経学部に入学しているから、私が入学した68年には4年生だったわけだ。実は私は中野翠さんと麻雀をしたことがある。中野さんは卒業後、父君の勤める読売新聞でアルバイトをした後、主婦の友社に入社した。「給料も悪くなかった」とあるからその頃のことだと思う。本文にも登場し、巻末で対談している呉智英が「美人と麻雀をさせてやる」と誘ってくれたのだ。呉智英は文研で社研の中野さんとは同じ部室で親しかったのだ。そのときの面子は私、呉智英、中野さんと確か中野さんの主婦の友社の同僚だったと思う。呉智英と年上の美女2人と卓を囲んだわけだが、半チャンを2回ほどやって私は少し勝ってしまった。中野さんは負け分と麻雀代を悔しそうに払って去っていった。呉智英は私の出会いは、私が入っていたロシヤ語研究会に呉智英が入部してきたことに始まる。私が1年、呉智英が4年のときだが、それはまた別の話である。
「あのころ、早稲田で」へ戻ると私が入学したときは中野さんが政経学部の4年、呉智英が法学部の4年で、この年代の1年と4年の差は非常に大きかった。今ならば65歳と70歳なんてほとんど変わらないもんね。中野さんは社研だけあってその頃は左翼だった。だったけれど活動家にはなれきれなかった。浦和の自宅から通っていたし、非日常の学園闘争の現場から帰れば日常そのものの家庭があったのだ。この本では随所に中野さんのイラストが配されているが、第1次早大闘争の全共闘議長だった大口昭彦さんや東大全共闘の山本義隆代表、日大全共闘の明田明大議長もイラスト入りで紹介されている。文学部自治会の高島委員長は容貌魁偉な外観から「フランケン高島」と呼ばれていた。後に自殺してしまったが、中野さんは「その繊細さに胸が痛む」とこれもイラスト入りで記している。そうそう私がリクルートで一緒に仕事をした村瀬春樹さんと奥さんの「ゆみこ・むらせ・ながい」さんのことも吉祥寺でライブハウス「ぐゎらん堂」のことも含めて紹介されている。

3月某日
朝、目が覚めると温かいし晴天である。ふと思いついて常磐線で「いわき」に行くことにする。我孫子駅でいわきの2つ先の四ッ倉までの切符を買う。四ツ倉は漁港があり道の駅もあって海産物や野菜を売っているのだ。電車はいわき迄なので、いわきで下車、駅ビルの半田食堂で「肉丼」380円を食べて四ツ倉へ。駅から20分ほど歩いて道の駅へ。地物の野菜を買う。東日本大震災のとき、この道の駅も津波に襲われたが今は立派に再建されている。道の駅から海産物を扱っている大川商店によって「赤魚の煮付け」を買う。帰りの電車で酒のつまみにするつもり。四ツ倉から水戸行きに乗車、いわきで10数分待ち時間があったので日本酒とビールを買う。電車が空いてきたのでビールと日本酒を「赤魚の煮付け」で呑む。車内でつまむには「煮付け」より「焼き魚」か「てんぷら」の方がいいかもしれない。水戸で特急に乗り換え柏で下車、我孫子へ帰る。

3月某日
社保険ティラーレの吉高会長の家で「すき焼き」を呼ばれる。淡路町の交差点まで吉高さんが迎えに来てくれた。交差点から吉高さんのマンションまではすぐで、マンションに着くと社保険ティラーレの佐藤社長と早稲田大学を卒業した3人の若者が来ていた。4月から早稲田の法科大学院に行く人、三重で司法修習を受けている人、三井住友銀行に3年務めた後、4月から松下政経塾へ行く人だ。3人ともしっかりした考え方を持っていて話していて楽しかった。少し遅れて多摩の市会議員の先生も参加して座は一層盛り上がった。美味しい牛肉とビールと酒をたくさんご馳走になった。

3月某日
図書館で借りた「女性のいない民主主義」(前田健太郎 岩波新書 2019年9月)を読む。著者の前田は1980年生まれだから今年40歳、東大文学部卒業後、東大大学院法学政治学研究科博士課程修了、現在は東大大学院法学政治学研究科准教授とあるから新進気鋭の政治学者なんだろう。本書を一言で言い表すとすれば「ジェンダーの観点から論じた日本政治の現状」となろうか。「はじめに」で「日本では、政治家や高級官僚のほとんどが男性が占めており、女性で権力者と呼ばれるような人はほとんどいない」と書かれていて、私も「まぁそうだね」と読み進んだ。しかし著者の前田は「これは、実に不思議なことではないだろうか」と問いかける。そして「民主主義の国では男性と女性が共に政治に携わるはずであろう。ところが、日本では圧倒的に男性の手に圧倒的に政治権力が集中している。……このような国は、他にあまり見かけない。日本の民主主義は、いわば『女性のいない民主主義』なのである」と続ける。
私が「あーそうだったのか」と思ったのが第3章の「『政策』は誰のためのものなのか」だ。そこでは多くの先進国が到達した福祉国家についてジェンダーの視点から強力な批判が加えられたことが明らかにされる。「男性稼ぎ主モデルとしての日本の福祉国家」というタイトルの節では、日本は階級格差の小さな社会を実現したもの著しい男女の不平等が存在するとして、国民年金の第3号被保険者や女性が自らの就労を自発的に制限する「103万円の壁」や「130万円の壁」を挙げている。日本の社会保障政策について100点満点を与えるわけにはいかないにしろ、厳しい財政的な制約の中でそれなりの成果を上げてきたというのがこれまでの私の評価であったが、それはまったくジェンダー的な視点を欠いたものであったことが本書を読んで露呈してしまった。

3月某日
無抵抗の重度心身障害者の19の命を奪った津久井やまゆり事件。犯人の植松聖被告に横浜地裁は死刑判決を言い渡した。報道によると裁判長が閉廷を告げると被告は「すみません、最後に一つだけ」と発言を求めたが裁判長は認めずそのまま閉廷されたという。被告の犯した罪は許せないものであることを前提にして言うのだが、ここは被告の発言を許すべきだったのでは、と私は思う。判決に対してあるいは自分の犯した犯罪に対して、被告がどう思っているのかを話す権利と義務を被告は持っているのではないだろうか。またそれを知る権利を私たち国民は持っているのではないか。判決の後でそれを聞く必要はない、国民は知る必要がないと裁判官は判断したのだろうが、私には納得が行かない。裁判官の裁判を行う権利は立法、行政と同じく国民から負託されたものの筈。国民の知る権利に対してこの裁判官は無自覚ではないかと思うのだ。

3月某日
南桜田公園で大谷さんと待ち合わせ。ほころび始めた桜をちょい見した後、公園近くの「64 barrack st. 」というオーストラリア料理のレストランで食事。15時からのフェアネス法律事務所での打ち合わせには時間があるので郵政福祉琴平ビルの近くの「麺酎房赤まる虎ノ門店」でビールとハイボールを呑む。この店は前に石川はるえさんと昼飲みしたことがある。15時近くなったので私は虎ノ門日土地ビルのフェアネス法律事務所で渡邉弁護士と打ち合わせに、大谷さんは埼玉で会議。渡邉弁護士との打ち合わせは30分で済んだので千代田線の霞が関から大手町へ。17時15分にフィスメックの小出社長を訪ねることになっているが時間があるので銭湯の稲荷湯へ行く。ここは年友企画にいた頃、会社をサボって良く行っていた。稲荷湯を出るとちょうどいい時間になったのでフィスメックへ。近くの割烹に連れて行ってもらう。小出社長にすっかりご馳走になる。

モリちゃんの酒中日記 3月その2

3月某日
図書館で借りた「AI時代の新・ベーシックインカム論」(井上智洋 光文社新書 2018年4月)を読む。井上は駒澤大学経済学部の准教授でマクロ経済学、貨幣経済理論などが専門。私は2017年8月に井上の「ヘリコプターマネー」(日本経済新聞出版社)を読んでいる。そのときの酒中日記に「井上という経済学者は『国民にとっての経済』を考えている学者ではないか。AIに対する考え方にもそれは現れていると思う」と書いているが、その考えは新著を読んでも変わらなかった。著者はAIを「汎用AI」と「特化型AI」に分ける。現在のAIはすべて「特化型AI」で、一つ、あるいはいくつかの特化されたタスクしかこなすことができない。「アルファ碁」もそうだ。アルファ碁は囲碁についてはプロ棋士を任すほどの実力を持っているが、人間と話せるわけではないし自動運転をできるわけではない。人間は「汎用的な知性」を持っており、一人の人間が囲碁を打ったり、車を運転したり、事務作業をしたりする。著者は「分かりやすくいうと、汎用AIがロボットに組み込まれたら、鉄腕アトムやドラえもんのようになる」と説明する。なるほどね、人間の何倍もの能力を備えているわけだ。人間と同等の能力でも凄い話である。仮に鉄腕アトムやドラえもんが人間に代わって働くようになるとどうなるか。CMH以外の仕事はAIに代替されると著者は主張する。C、クリエイティブティ系(創造性)、M、マネジメント系(経営・管理)、H、ホスピタリティ系(もてなし)である。これで全人口の1割弱を占めるという。著者の考えは「AIが高度に発達した未来には、放っておくと失業と格差は著しく深刻になるので、再分配政策としてのBIが必要不可欠」となる。著者の考えは実はもっと深い。それは第5章の「政治経済思想とベーシックインカム」で展開されているが、それはまた別の機会に論じてみたい。

3月某日
図書館で何気なく手に取った「思い出コロッケ」(諸田玲子 新潮社 2010年6月)を読む。諸田玲子は時代小説作家としてはもはやベテランの部類に入るが、これは現代小説の短編集である。短編は「コロッケ」「黒豆」「パエリア」など料理にちなんだものが7編。「コロッケ」を読んで「何か文体も構成も向田邦子に似てるなぁ」と感じた。「あとがき」を読むと私の感想が極めて正統というか当たり前であることが分かる。2006年の小説新潮8月号で向田邦子没後25周年特集があり、諸田は担当から「トリビュート小説を書いてみませんか?」と声を掛けられた。「恥ずかしながらトリビュートと言われてもとっさにはわからなくて……そうか向田作品もどき(邦子さんはこの言葉、お好きでしたね)を書くのだと思いついたときは、少しパニックになりました」と諸田は正直に書く。あとがきにはまた「小説の舞台は邦子さんの没年の1981年前後。いずれもみな、私の身近で起こった話がヒントになっています」と述べられている。なるほど、だから離れに住む歳の離れた姉弟が実は過激派の夫婦だったり(黒豆)、女子大生と半同棲しているロッカーが、ジョン・レノンの暗殺を機会に水戸の和菓子屋を継ぐことを決断し、別れを覚悟する彼女に「冬休み、水戸へ来ないか」と囁いたりする(シチュー)のだ。向田とその時代に対するオマージュとして読んだ。

3月某日
図書館で借りた桐野夏生の「優しいおとな」(中公文庫 2013年8月)を読む。桐野の作品はだいたい読んできたつもりだが本作ははじめて。2009年2月から12月にかけて「読売新聞」の土曜朝刊に連載されたものを2010年9月に中央公論新社から単行本として刊行されたもの。近未来と思われる東京、渋谷が舞台。福祉システムが崩壊しホームレスが街にあふれている。この10月で15歳になるイオンもそうしたホームレスのひとりだ。物語はイオンが記憶のなかの兄弟、鉄と銅を探して東京の地下で集団で破壊と略奪を繰り返す「夜光部隊」と出会い、東京の地下を彷徨う様子が描かれる。冒険の中でイオンは成長していく。イオンを気遣う「ストリートチルドレンを助ける会」のモガミによってイオンの誕生と生育の秘密が明らかにされる。イオンは30人近いおとなと子供が共同生活するハウス「照葉」で生まれた。「照葉」は複数の親子、あるいは他人が一緒に暮らして、完全に共同で保育に当たると子供はどうなるかという実験を行っていたのだ。巻末の資料からすると桐野はヤマギシ会からヒントを得たようだが、私は「照葉」には過剰な共同性や個人に優越する共同性を感じてしまう。その意味ではむしろ連合赤軍やオウム真理教を連想してしまうのだ。「夜光部隊」の指導者は「大佐」と呼ばれているが、これはフランシス・コッポラ監督の映画「地獄の黙示録」でマーロンブランドが演じたカーツ大佐を連想させる。

3月某日
西村賢太の「苦役列車」(新潮社 2011年1月)を読む。本書には芥川賞を受賞した同名の短編ともう一編「落ちぶれて袖に涙の降りかかる」が収録されている。苦役列車は「新潮」の2012年12月号、もう一編は11月号に掲載されている。両方ともに北町貫太ものだが、苦役列車は貫太が18、19歳の頃、平和島でアルバイトをしていた頃の、「落ちぶれて袖に涙の降りかかる」は著者の執筆時とほぼ同じ頃の40代の貫太を描いている。苦役列車は20歳前後の学歴もなく(貫太は中卒)、金もなく、女にも相手にされず、おまけに実父が強制猥褻で刑務所に収監されているという貫太の青春が描かれる。まぁどうしようもない青春ではありますが。しかし、私は有名校から現役で東大に入学した人だって、「どうしようもない青春」の一断面を抱えていると思う。そこに西村賢太の私小説が支持される理由の一つがあるのではないか。「落ちぶれて袖に涙の降りかかる」は何とか作家の端くれとなった貫太のぎっくり腰に悩まされながらも、川端康成賞の最終選考に残った日常が描かれる。「銓衡会の当日、八割方回復した腰の状態で端座した貫太は、(池袋の古書店で入手した)川端の「みずうみ」と携帯電話を前にして、その着信を待った。が、夜半に至っても田端(編集者)からの連絡はやってこなかった」と、小説は終わる。切ないけれどもそれが西村の良さである。

3月某日
新型コロナウイルスの影響で不要不急の外出は避けるように言われている。年金生活者の私は存在自体が不要不急であり、この2週間ほど机を置かせてもらっているHCM社への出勤も控えている。本日は久しぶりに神田近辺をうろつくことにする。先ずは鎌倉河岸ビル地下1階の「跳人」へ寄ってランチ。顔馴染みの大谷君に「生姜焼き定食」を頼む。ランチの客はそこそこ入っていたが、「夜はさっぱりですよぉー」と大谷君がこぼす。食後のアイスコーヒーをサービスしてくれる。鎌倉河岸ビルの裏の「社保険ティラーレ」を訪問、吉高会長、佐藤社長と雑談。今週の日曜日に吉高さんのマンションで予定されている食事会は予定通り開催するそうだ。何しろ主体が感染しても治癒能力が高い20代だから、リスクの高いのは「ワシと森田さんだけだよ」と吉高さん。帰りに上野駅構内の書店に寄って「あのころ、早稲田で」(中野翠 文春文庫 2020年3月)を買う。

モリちゃんの酒中日記 3月その1

3月某日
町田康の「しらふで生きる」(幻冬舎 2019年11月)を上野駅構内の書店「BOOK EXPRESS」で購入。この店は品揃えもまぁまぁだし、何より駅構内という利便性に魅かれてちょいちょい利用する。といっても私に読む本の90%以上は図書館で借りたものだから、あまり大きな顔はできないが。町田康は割と好きな作家で作品も結構読んでいると思ったが、今まで読んだのは「パンク侍、斬られて候」と「ギケイキ 千年の流転」、「ギケイキ2 奈落への飛翔」であった。しかし「ギケイキ」は中世に創作された義経記を底本にしつつ時空を突き抜ける怪作であった。私は「ギケイキ」を読んだ後に図書館で日本古典文学全集の義経記を借りて調べたのだが、確かに底本にしていた。ということは古文を解読した上に、奔放なイメージでそれを膨らますという途轍もない才能に町田は恵まれていると言わざるを得ない。しかも私は私立では最難関とされている早稲田の政経学部の入試を突破し、ほぼ授業に出ることなく卒業したという輝かしい学歴を誇っているのだが、町田の経歴には大阪府立今宮高校在学中にロックバンドを結成しデビューしたとある。つまり町田の最終学歴は高卒である。私の気に入っている作家に西村賢太という人がいるが、この人に至っては中学校が最終学歴である。何が言いたいかというと「人間は学歴ではない」という当たり前のことである。学歴と才能はほぼ関係ないのである。「ほぼ」を付したのは、理系に限らず学問的才能は学歴に左右されることが多いと思うためだが、植物学者の牧野富太郎、言語学者の三浦つとむなどは大学へ行っていない。話を「しらふで生きる」に戻す。町田は30年間、1日も休むことなく酒を呑み続けていた。その町田が平成27年12月末日に酒を辞めようと思ってしまう。なぜそう思うに至ったかについても町田は書いているが、どうも私には判然としない。が、町田によれば、歴然と禁酒による利得があるという。それを記すと①ダイエット効果②睡眠の質の向上③経済的な利得、であるが町田はそれに加えて④脳髄のええ感じによる仕事の捗り、を挙げている。町田が酒を辞めようと思ったのは平成27年12月末日、実際に禁酒活動をスタートさせたのは平成28年、すなわち2016年の正月である。「ギケイキ千年の流転」の初版が2016年5月だから、「脳髄のええ感じによる仕事の捗り」が「ギケイキ」を生んだと言えなくもないのである。まぁ私は酒を辞めようとは思いませんが、今のところは。

3月某日
図書館で借りた「おいしいものと恋のはなし」(田辺聖子 文春文庫 2018年6月)を読む。「おいしい料理」と「恋」は表裏一体という観点から田辺の短編から9編を再編集したもので、単行本は2015年に世界文化社から出版されている。田辺ファンの私は9編すべてを読んでいる。田辺の小説だけではないが、同じ本を再読、三読して「あぁ、そういうことか」と思うことがある。この短編集では「ちさという女」がそれだ。27歳の私の同僚の32歳の秋本ちさは私のかの名物女で最古参である。洋裁店や喫茶店を人にやらせ、アパートを経営したりで、親の資産を引き継ぎ働かないでも食べていける身分である。ちさはしかし、会社を辞めることなく、ちまちまと小金をため続ける。同じ会社にいる私の恋人、工藤静夫のことを「工藤サンは、秋本さんが好きやって。尊敬するっていってたわよ」と告げる。1週間ほどたって静夫の誕生日にちさから静夫にバースデイケーキが贈られる。私のちょっといたずらにいった言葉にちさは心を動かしたのだ。この短編は次のように結ばれる。「静夫と結婚して、三歳の男の子がある今になっても、私は、ちさのバースデイケーキを思い出すと胸いたむ。ちさにしみじみした思いを持つようになった」。今回はこれですね。

3月某日
久しぶりに机を置かせてもらっているHCM社に顔を出す。弁当を食べた後、神田の社保険ティラーレで次回の「地方から考える社会保障フォーラム」の打ち合わせに参加する。「新型コロナウイルス騒動が納まるまで講師や日程の確定はできない」ことで一致。神田から虎ノ門の全国年金住宅融資法人協会(全住協)へ。ここの監事をやっているが新型コロナウイルスの影響で理事会が延期となり、持ち回りで議事録に署名するためだ。釜澤常務から説明を聞いて議事録に署名捺印する。虎ノ門から銀座線で新橋へ。ちょうど上野東京ラインの土浦行きが来たので乗車する。まだ15時台だったので車内もすいていた。

3月某日
図書館で借りた「西村賢太対話集」(新潮社 2012年)を読む。西村賢太は非常に正直で、自分を飾ることの少ない人だと思う。まぁそうでなければ私小説作家などやってられないだろうが。町田康との対談で西村が文芸誌の編集者から、原稿を書く前に「要らない」と言われた経験を話し、町田がそんな編集者は「殴っていい」と応じる。西村は我が意を得たりという感じで「殴っていいですよね。天にツバ吐くのを承知で言えば、それがまかり通るのが今のへなちょこサラリーマン、サラリーウーマンがやっている文芸誌なんですよ。やつら、よその世界じゃ通用しない特権意識と単純な好悪勘定だけですからね。まったく、サル並みですよ」とぶちまける。普通ここまで言わないでしょ、思っていても。芥川賞を西村と同時受賞した朝吹真理子との対談では芥川賞の賞金(100万円)の使い道を聞かれ「いやいや、100万円なんて目じゃなくなっちゃったんです。だって、その後の印税のほうが(笑)。幸い、ちょこちょこと出ていた本の方も、軒並み何回も重版がかかって、一気に3000万円くらい、ポンと通帳に入ったんですよ」と明かす。そして朝吹の「電子書籍も紙の本も共倒れするだけって感じがしますが」という発言に対して「おおっ、そうですね。そう共倒れ! それじゃあダメなんです。きっとそれぞれによさってものがあるんでしょうからね。よしっ、今日はみんなで共に倒れるまで、飲みにいくことにしましょうか!」と応じる。これに対して朝吹が「エッ?……ハ、ハイ」と答えたところで対談は終わる。西村は中卒で実父は性犯罪で実刑を受けている。対して朝吹は慶應大学前期博士課程修了で父は高名な詩人だし血族には文学者や政治家を輩出している。まぁバックグラウンドは対照的な二人だが互いにリスペクトしているのが感じられる。加えて言うと朝吹は美人の範疇、外見も対照的な二人である。

3月某日
コロナウイルス対策で「不要不急」の場合は外出を控えるようにとのお触れが出ているらしい。私は現在まさに「不要不急の人」であるから、外出を控えることにして、家にある田辺聖子の文庫本を読むことにする。以前読んだ「朝ごはんぬき?」(新潮文庫 昭和54年12月)を読むことにする。単行本は昭和51(1976)年に実業之日本社から刊行されているから半世紀近く前の作品である。主人公はハイミス(30過ぎの独身女性のことを当時はこう呼んだ)の明田マリ子。OLのときに失恋して今は大阪在住の人気女流作家、秋本えりか先生の家でお手伝い兼秘書兼イヌの散歩係をしている。月末の締め切り時の担当編集者とのドタバタを交えながら物語は進んでいく。田辺の作品の多くは基本は、ユーモアに包ませながら人生の真実を描いている。えりかの夫は既製服卸問屋の専務、ひとり娘は中学生という家族構成である。この家の家族の関係を田辺は「しかし、この家では朝食はほとんどない、といってよい」と表現する。えりか先生はミルクと半熟卵、夫の土井氏はコーヒーと半熟卵、娘のさゆりちゃんは何も食べずに登校する。つまりバラバラで希薄な家族関係が朝食を通して表される。しかし土井氏が救急車で病院に運ばれた(実は食べ過ぎだった)ときに家族は再結集する。マリ子も別れた恋人からのプロポーズを受けようと決意する。メデタシ、メデタシである。田辺聖子の場合はこれで読者も満足するのである。

モリちゃんの酒中日記 2月その4

2月某日
図書館で借りた「無敗の男-中村喜四郎全告白」(常井健一 文藝春秋 2019年12月)を読む。「無敗」の意味は中村が昭和54年の第34回総選挙で衆議院議員に当選して以来、栃木県黒羽刑務所に収賄罪で収監されていた第43回総選挙を除き、平成29年の第48回総選挙まで一度も落選したことがないことを示している。中村は平成6年にゼネコン汚職で逮捕されるまで政治家として2度の入閣を果たすなど、恵まれた経歴を誇っていた。それは若くして経世会(田中派)で頭角をあらわした中村の政治センスに依るが、それを支えたのは地元をオートバイで行脚し、ときには5000人規模の個人演説会を満席にするという日常の政治活動であることが本書によって明らかにされる。中村は逮捕後は自民党を離れ無所属となっているが、それでも選挙では圧倒的な強さを発揮する。選挙は選挙民の政治的な選択だが、中村の選挙は少し違うように思う。多くの中村支持者は立候補者の中から中村を選んでいるのではない。選挙の前から、10年も20年も30年も前から、投票用紙には中村と書くことに決めているのだ。中村は現在、自民党の一党支配を覆すために共産党を含めた野党の連携に邁進している。1949年生まれだから私より1歳下だが、この政治家の動きに期待したい。

2月某日
「未練-女刑事音道貴子」(乃南アサ 新潮文庫 平成17年2月)を読む。単行本が刊行されたのが平成13(2001)年だから20年前の作品。6編の短編が納められているが、「立川古物商殺人事件」では被害者の49歳の古物商が元学生運動家と設定されているのも時代を感じさせる。「学生運動家」なんて今では死語だよね。それはともかく私は「聖夜まで」を切なく読んだ。音道貴子の先輩の警察官、添田知世を巡ってストーリーは展開する。知世の娘が通っている保育園で幼女が砂場に埋められて殺害される。犯人は知世の小学生の息子なのだが、それで終わらないのが乃南アサの凄いところ。知世は実の子どもたちに虐待を繰り返していた。知世を訪ね知世を問い詰める音道。虐待を否定し続けていた知世も「どこで-失敗しちゃったのかなぁ」と認めはじめる。「ちょっと、頭が痛くなってきちゃった」と2階に休みに上がる知世。入れ違いに帰宅した知世の警察官の夫に対して、夫の家庭への無関心が事件を呼んだのではないかと指摘する。「知世」と叫んで2階に駆け上がる夫、夫が見たのは首吊りを図った妻の姿だった。野田で小学生の少女が虐待死したのは去年だったか。この事件を予見したような作品だが「切ない」ね。

2月某日
午前中、厚生労働省の受付で年友企画の酒井佳代さんと待ち合わせ、老健局振興課を介護職へのハラスメント対策を取材。三森さんという係長が取材に応じてくれた。厚労省も事業所への広報を推進する一方、相談窓口の設置など力を入れるとのことだった。取材後、年友企画に行ったら総務の石津さんから立て替えていた出張費が渡される。この出張費で「飲みに行こう」と誘ったら「いいよ」との返事。夜、神田駅の北口で待ち合わせ。酒井さんと石津さんの3人で東口の「BISTRO TARUYA」へ。石津さんはビール、私は白ワイン、酒井さんはウーロン茶で乾杯。コロッケやムール貝、牛肉の赤ワイン煮などを楽しむ。

2月某日
元厚生労働省の江利川さん、川邉さんを囲む会を神田の上海台所で開く。もともとこの会は厚生省の年金局資金課長だった江利川さん、川邉さんと当時の課長補佐、足利さんと岩野さん、当時の年金住宅福祉協会の企画部長だった竹下さん、それと私というメンバーで始まった。それに川邉さんの次の資金課長の吉武さんや医系技官の亀井さん、厚生省から衆議院法制局に出向していた茅野さん、それからSCNの高本さんなどが加わった。本日は足利さん、岩野さん、亀井さん、茅野さんが欠席。社会保険旬報の手塚さんも所用で欠席ということだったが、挨拶だけということで顔を出してくれた。本日は年友企画の酒井さん、滋慶学園の大谷さん、SCNの高本さん、社保険ティラーレの佐藤さんの7人の出席となった。飲み放題付で一人3000円はお得。

2月某日
図書館で借りた「5年目の魔女」(乃南アサ 新潮文庫 平成17年7月)を読む。物語は会社を辞めた景子が会社を辞めた解放感いっぱいに目覚めるシーンから始まる。しかし景子の解放感もかかってきた電話によってもろくもしぼんでしまう。電話はかつての同僚、貴世美からのものだった。景子が会社を辞めた理由は貴世美にある。それにも関わらず貴世美は自身の病気のことや、母親の不在を訴えてくる。「二度と電話してこないで」と恵子は電話を切る。5年後、恵子はインテリアデザイナーになっている。同僚の飯田と一緒に日本橋の老舗の若社長の自宅の建て替えの打ち合わせに向かう。若社長の後妻に収まっていたのは貴世美だった。この時点では魔女は完全に貴世美の方である。しかし最後に大どんでん返しが用意されている。うーん、乃南アサ恐るべしである。

モリちゃんの酒中日記 2月その3

2月某日
菊池京子さんと日暮里駅北口で待ち合わせ。駅近くの「手打ちそば 遠山」へ。菊池さんはフリーライターとして活躍していたが、しばらく交流が途絶えていた。先週、山手線で声を掛けられたのがきっかけで食事をすることになった。菊池さんは以前は酒豪と言ってもいいほどだったが、心臓を治療中とかで酒を控えているそうだ。菊池さんは福島県いわき市の出身で被災地支援をやっていることは知っていたが、菊池さんの家族も東京に避難していたことを初めて知った。菊池さんから大きな文旦を頂く。

2月某日
「がんになっても安心して暮らせる社会」を目指して日本サイコオンコロジー学会が厚労省から受託しているのが「がん総合相談に携わる者に対する研修事業」だ。この研修事業のテキスト作成を依頼されたが医療図書の出版社、青海社。昨年脳出血で倒れた同社の工藤社長を千駄木の日医大に見舞ったのをきっかけに、テキスト作成を手伝うようになった。といっても今年度は大きな改定もないので、私が手伝うこともほとんどない。研修事業の改訂委員会に出席すると青海社から日当が支払われるので「私が出なくてもいいんじゃない?」と工藤社長に言ったら「頭数として必要」と言われ出席することに。委員会は午前10時から東京駅八重洲口近くの貸会議場で行われる。前回30分遅刻したので今回は30分前に会場に行くとすでに工藤社長は来ていた。12時に会議が終わり工藤社長は山手線で西日暮里まで出て、西日暮里から千代田線で青海社のある根津まで帰るという。東京駅から神田までご一緒して私は内神田の社保険ティラーレを訪問、次回の「地方から考える社会保障フォーラム」の打ち合わせ。大手町から都営地下鉄で武蔵小杉へ。武蔵小杉では喫茶店でNPO法人楽理事長の柴田範子先生に面談。柴田先生の自宅は新百合ヶ丘だし、職場は川崎駅近く。武蔵小杉では会議があったとのこと。武蔵小杉は東横線とJRの横須賀線や南武線が交差する交通の要衝。ということもあって駅の周囲にはタワーマンションが林立、大都会である。なんだかよく分からないが帰りは埼京線で大崎まで出て、大崎から山手線で御徒町へ。御徒町では北海道料理の「マルハ酒場」で群馬医療福祉大学の白井幸久先生と滋慶学園の大谷源一さん、上智大学の吉武民樹先生と会食。帰りは上野からグリーン車で吉武先生と我孫子へ。吉武さんから缶チューハイをご馳走になる。

2月某日
図書館で借りた「戦争小説短編名作選」(講談社文芸文庫 2015年7月)を読む。遠藤周作からアイウエオ順に吉行淳之介まで10人の作家の短編が収録されているが、私は佐藤泰志の「青春の記憶」と目取真俊の「伝令兵」が心に残った。佐藤泰志も目取真俊も初めて読む作家だ。「青春の記憶」は作者が高校2年生のとき有島青少年文藝賞優秀賞を受賞した作品。舞台は日中戦争時の中国大陸、捕虜の疑いで捕らえられた16歳の中国人少年を22歳の私が、上官の命令により銃剣で刺殺する。私はその夜、処刑の行われた場所で拳銃をこめかみに当て、引き金を引いた。上官に「私はあなたほど臆病ではないのです。最後のものを捨てたのに、なおぎまんの仮面をかぶっていることは、私にとって許されないこいなのです」という言葉を残して。「伝令兵」は現代の沖縄が舞台。幼い娘を事故で亡くし妻に去られた友利は無気力に自身の経営するバーのカウンターに立つ毎日だ。ある日、常連客の金城がジョギング中に若い3人の米兵とトラブルになる。金城は小柄な日本人に自販機の陰に抑え込まれる。米兵が去った後、カーキー色の衣服を着て足にはゲートルをまいた少年兵は金城に敬礼をする。少年兵には首がなかった。また別の日、離婚届をポストに入れた友利は公園の手すりにベルトを掛けて自殺を図る。意識が遠のく中突然体が浮いてベルトが外される。四つん這いになって激しく咳き込む友利の眼に首のない少年兵の敬礼する姿が映る。2作ともある切実さが伝わってくるのである。

2月某日
青海社は根津の不忍通りに面したビルの一室にある。不忍通りを千駄木に向けて歩くと、八百屋、総菜屋、中華、イタリアン、蕎麦屋、焼き鳥屋など食品関連の個性的な店が並んでいる。本日は往来堂という書店に入る。新刊書店がどんどん少なくなっているが、往来堂はなかなか個性的な品揃えで頑張っている印象だ。私は絲山秋子の河出文庫、「忘れられたワルツ」を買う。亀のイラストが付いた洒落たカバーで文庫本を包んでくれる。「D坂文庫2018往来堂書店」と刷り込んである。D坂とは千駄木の団子坂のことと思われるが、もっと言えば江戸川乱歩の探偵小説「D坂の殺人事件」にちなんでいるに違いない。

2月某日
絲山秋子の「忘れられたワルツ」(河出文庫 2018年1月)を読む。7編の短編が収められているが、最初の短編を読み進むうちに「あれっ読んだことあるかも知れない」と思い始めた。2作目、3作目と読み進むうちに「あぁ読んだことある」と確信に変わる。奥付の前のページに「本書は2013年に新潮社より単行本として刊行された」とあるから、その頃図書館で借りたのであろう。解説は小説家の吉村萬壱で「この本に収められた短編は、全て2012年から2013年の間に発表されている」とし、2011年3月11日の東日本大震災から「まだ1、2年しか経過していない頃である。にもかかわらず、救いを、祈りを、斬って捨てるがごとき作品が書かれた」と解説している。また「読者を絶望に叩き落すのは、その小説の中にある真実面をした嘘である。(中略)しかし絲山作品はこの点、一点のまやかしもなく乾いている。絲山氏は事実しか信じない」とも書いている。なるほどな「一点のまやかしもなく乾いている」か。私が絲山作品に魅かれるのもそういうことかも知れない。

2月某日
図書館で借りた「大坂の陣と豊臣秀頼」(曽根勇二 吉川弘文館 2013年6月)を読む。吉川弘文館の「敗者の日本史シリーズ」の中の1冊である。歴史における敗者に魅かれる。明治維新期ならば彰義隊、白虎隊に五稜郭の戦い、明治に入って西南戦争の薩軍、秩父困民党に大逆事件という具合である。だが、本書は大阪の陣における大阪方の敗因を分析しているわけではない。豊臣秀吉の死後、関ヶ原の戦いを経て徳川家康が如何に権力を手中に納めていくか、その中で大坂の陣の果たした役割を冷静に分析している。関ヶ原の戦い後、秀頼は摂津・河内・和泉の65万石の一大名に転落したことになっているが、ことはそう単純でもないようだ。関ヶ原の戦い後、家康は征夷大将軍に任命され天下を統一したと日本史の教科書には書かれている。だが家康の本拠があった江戸、駿府以東、御三家を配した尾張、紀州はそうであったにしろ、豊臣恩顧の大名が多かった西国はそうでもなかったようだ。豊臣と徳川の二重権力というと大袈裟だが、必ずしも徳川の支配が貫徹していたわけでもない。徳川の支配を貫徹するためにこそ大坂の陣で豊臣氏を完全に滅ぼすことが必要だったのだ。

モリちゃんの酒中日記 2月その2

2月某日
図書館で借りた「変半身 KAWARIMI」(村田沙耶香 筑摩書房 2019年11月)を読む。村田沙耶香は1979年千葉県生まれとあるから私の子供世代である。奇妙に魅かれるものを感じて新刊が出るたびに図書館にリクエストする。「変半身」はKAWARIMIとローマ字で書かれている通り「かわりみ」と読んで表題作と「満潮」というタイトルの短編が収められている。私が読んだ村田沙耶香の小説の舞台は近未来の日本だ。日本かどうかも定かではないが登場人物の姓名が日本風であるというだけである。「変半身」は離島の中学校の美術室のシーンから始まる。陸と花蓮と高木君は美術部員で陸は高木君に魅かれている。と粗筋を紹介し始めると現代日本の青春物語と感じてしまうが、それが違うんだなー。物語上の真実は物語の最後に明らかにされるのだが、それは私の想像力の遥かに及ばないものだった。もうひとつの短編「満潮」は女性が射精し、男が「潮」を吹くというストーリーだが、いやらしさは全く感じない。私が思うに村田沙耶香は人間存在の真実を描く舞台として近未来を想定しているのではなかろうか。唐突ではあるが、マルクスが資本論を構想するにあたって、19世紀末のイギリス経済を原型とする、純粋資本主義社会を想定したように。

2月某日
図書館で借りた「聖なるズー」(濱野ちひろ 集英社 2019年11月)を読む。開高健ノンフィクション賞受賞作である。犬や馬など動物をパートナーとして性的な関係を結ぶ人間たちを描いたノンフィクションと一口で言うとそうなるのだが……。作者の濱野は大学生の頃から10数年間、同居し後には結婚する男性から日常的な性暴力を受けていた。離婚しえた頃の濱野は「私は愛もセックスも軽蔑し、そのようなものを求める世の中を、鼻で嗤うことで苦しみから距離を取ろうとしていた」(プロローグ)のだ。濱野は早大一文を卒業後、フリーライターになるのだが、30代の終わりに京大大学院に進学する。テーマは文化人類学におけるセクシュアリティ、なかでも「動物性愛」である。濱野は研究のためドイツにある世界唯一の動物性愛者の団体ZETA(ゼータ)のメンバーと連絡をとる。このノンフィクションはドイツでの彼ら、彼女らとの取材、交流の記録ということになる。ゼータのメンバーは寡黙で上品というのが私の印象だが、私が読後感として感じるのは作者の濱野がゼータのメンバーと交流することによって、過去の性暴力により受けた精神的な傷が徐々に癒されていったのではないかということである。動物性愛には最後まで共感することはできなかったが、ゼータへの深い共感を示す濱野の高い精神性には共感したい。

2月某日
地方議員を対象にした「地方から考える社会保障フォーラム」が無事に終了した。今回は1日目が鈴木俊彦事務次官、渡辺由美子子ども家庭局長、伊原和人政策統括官、2日目が八神敦夫審議官、それに菊池馨実早稲田大学教授という講師陣。やはり局長、審議官クラスの話は視野も広くためになる。地方議員の申し込みも70名を超えたし、講師との意見交換も活発に行われた。地方議員の満足度のバロメーターともいえるのが、意見交換後の名刺交換だが、今回はいつもより長い列ができたような気がする。

2月某日
絲山秋子の「御社のチャラ男」(講談社 2020年1月)を読む。絲山秋子は割と好きな作家で新作が出ると図書館にリクエストすることが多い。絲山秋子は1966年生まれ、早稲田大学政経学部を卒業後、住宅設備メーカーに就職(たぶん東陶)、営業職として福岡、名古屋、高崎等で勤務、2001年に退職して小説家を目指す。2003年に「イッツ・オンリー・トーク」で文学界新人賞を受賞して作家デビューを果たす。小説以外でも自身のうつ病体験を綴った「絲的ココロエ「気の持ちよう」では治せない」などのエッセーも面白い。本作は従来の絲山作品とはいささか趣を異にしていると私は感じる。ジョルジュ食品という食用油メーカーが舞台。社内でひそかにチャラ男と呼ばれる三芳部長を軸に物語は展開する。といって三芳部長は主人公というわけではなく、主人公はジョルジュ食品に勤める男女の社員だ。何人かの社員が語るジョルジュ食品とその周辺がストーリーの軸となっている。作者の絲山は本作で何を言いたかっただろうか。ジョルジュ食品は典型的な日本の中小企業、ソフトバンクや楽天などの新興IT企業とも違うし、トヨタ、新日鉄など巨大製造業とも違う。しかし日本の労働人口の大半はジョルジュ食品のような中小企業で働いている。絲山は現代日本を支えるカイシャと会社員を描くことによって日本社会の一断面を描こうとしたのだと私は思いたい。

2月某日
浜松町の基金連合会で足利聖治理事へ面談。その後、虎ノ門のフェアネス法律事務所で渡邉潤也弁護士と面談。銀座線で神田へ。社保険ティラーレの吉高会長、佐藤社長と面談。地方議員向けの「地方から考える社会保障フォーラム」の過分な謝金を頂く。謝金で一杯やろうかと心が動いたが、新型コロナウイルスの感染が広がっていることから諦め、我孫子へ帰る。

2月某日
図書館で借りた「某(ぼう)」(川上弘美 幻冬舎 2019年9月)を読む。このところ村田沙耶香、濱野ちひろ、絲山秋子と女性作家の作品を続けて読んでいる。私はもともと女性作家との親和性が高い。亡くなった田辺聖子は今でも好きな作家だし、現役の作家では林真理子、井上荒野、江國香織、川上未映子などをよく読んでいる。「某」は非常に面白く読んだのだが、ストーリーの要約は止めておこう。転生を繰り返す人類とは酷似しているが、人類ではない種の話とだけ記しておこう。川上がお茶の水女子大理学部生物学科の出身ということとも関係していると思う。

2月某日
居候させてもらっているHCM社の大橋社長を誘って呑みに行くことにする。HCM社は御徒町駅北口を出て、昭和通り側を渡って上野方面に数分歩いたところにある。韓国料理店が多く、何とも言えない雰囲気のある一帯だ。私は「アジアに開かれた庶民の街」と呼んでいる。今回はHCM社から上野方面へ歩き、上野下谷口近くの「かぶら屋」へ入る。「かぶら屋」へは以前、大谷源一さんと入ったことがあり、そのときは「焼き鳥」を食べたが。今回は「おでん」を頼む。ここは静岡おでんで鰹節の粉が振りかけてあるのが特徴だ。

モリちゃんの酒中日記 2月その1

2月某日
「キッドの運命」(中島京子 集英社 2019年12月)を読む。中島京子は割と好きで読む。戦前の日本の幸せな家族が戦争によって崩壊していく姿を描いた「小さなおうち」、コメディタッチの「妻が椎茸だったころ」、認知症の高齢者とその家族を描いた「長いお別れ」などだ。「キッドの運命」は「著者初の近未来小説」とあるように今まで読んだ中島京子とは一味違っていた。短編集で「種の名前」は、夏休みに母方の祖母に会いに行って、祖母が作る野菜を食べその新鮮な味に驚く少女の話。この未来では食糧生産は一企業に独占されており、個人が野菜を栽培することは禁止されているのだ。祖母は仲間の老婆たちと秘かに畑を開墾、味噌も自家製だ。中島の描く未来は決してバラ色ではない。AIやロボットで社会の生産性は上がったが、社会から自然や人間らしさは失われていく。しかしそんな社会に抗う少数の少女の祖母のような人間も存在する。中島は近未来小説を描くことによって現代社会への警告を発すると同時に、近未来の社会での「抵抗する精神」の崇高さをうたいあげていると感じた。

2月某日
図書館で借りた「失われた女の子 ナポリの物語4」(エレナ・フェッランテ 早川書房 2019年12月)を読んでいる。「リラと私」に始まる「ナポリの物語」の完結編である。ナポリに生まれたリラとエレナという2人の女の子の物語なのだが、小学校でのリラとエレナの出会いから始まるこのストリーはエレナは大学に進学し、大学教授と結婚して作家となり、リラは進学せず10代で結婚して稼業の靴屋を手伝う。リラは離婚後、コンピュータソフトの会社を立ち上げ成功する。作家のエレナ・フェッランテは1943年ナポリ生まれとあるから、物語のエレナとほぼ等身大と見ても良いのでないかと思う。この物語の背景には当時のイタリアの政情がある。第2次世界大戦に敗北したイタリアは、その後高度経済成長を謳歌した日独とは違って、低迷する経済からなかなか脱出することができなかった。北部と南部の経済格差や共産党や社会党が伝統的に強いこと、その反面でファシスト党の根強い地域性があることなどが原因と思われる。ナポリというと日本で言うと大阪かな。方言も結構きついらしい。そこで2人の女の子が恋愛や仕事を通して成長していく。私など日活映画の「キューポラのある街」を連想してしまうのだが、とにかく面白い。A5判で600ページ近くある大著でまだ200ページしか読んでいないがとりあえず中間報告である。

2月某日
「失われた女の子」を読み進む。「ナポリの物語4」のタイトルが「失われた女の子」となったわけが明らかになる。リラとエレナは相次いで女の子を出産する。リラの娘はティーナ、エレナの娘はインマと呼ばれすくすくと育つがある日、舞台は暗転する。ティーナが行方不明となるのだ。誘拐か交通事故に巻き込まれたのか。「キューポラのある街」どころではない、「ゴッドファーザー」の世界である。エレナは作家として成功しリラのコンピュータソフトの会社も順調に成長しているにもかかわらずだ。「ナポリの物語」はリラとエレナという2人の女の子の成長物語ではあるのだが、ナポリという町の光と闇の戦後史も綴っていく。450ページほど読み進んだ。あと150ページ、リラとエレナはどうなるのか「巻を置く能わず」である。

2月某日
重度重複障害者の施設を運営している社会福祉法人キャマラードを高本真佐子(SCN代表理事)さんと訪問。横浜線の中山駅まで送ってもらい、新横浜へ。新横浜から名古屋へ行く新幹線の中で「失われた女の子 ナポリの物語4」を読み進み、名古屋に着くまでに読了。「ナポリの物語」は確かにリラとエレナの2人の女の子の成長物語ではあるが、同時に作家としてのエレナ・フェッランテの苦悩の記録である。作家として成功し3人の女の子も伴侶を見付けて孫にも恵まれる。しかしエレナの心には虚しさが漂う。作中のエレナは、リラとのことを綴った「ある友情」で作家的な名声を不動のものとするが、それをきっかけにリナと交流は途絶える。ナポリからトリノへ引っ越したエレナのもとに、幼いリラとエレナがアパートの地下室に投げ入れた人形が2体届けられる。エレナは思う。「リラがここまではっきりと姿を見せたからには、彼女とは二度と会えぬものと諦めるしかないと」。「ナポリの物語4」は1970年代半ばから2000年代初頭までのおよそ30年間が描かれる。イタリアと日本では社会的政治的な状況が違うことはもちろん承知しているが、日本もイタリアも60年代、70年代には左翼、とくに新左翼の政治的な高揚があった。その一時の高揚も高度経済成長の中で沈静化してゆく。同時代を生きたものとして「ナポリの物語」には深く共感せざるを得ない。

2月某日
図書館で借りた「卍どもえ」(辻原登 中央公論新社 2020年1月)を読む。辻原登は好きな作家でこの数年、何冊も読んだ。ほとんどが図書館で借りたものですが。辻原の特徴は、その物語世界の緻密な構成とでも言おうか。本作品の主要なテーマは女同士のエロスとそれと絡み合う男と女のエロス。デザイナーの瓜生甫(うりゅう・はじめ)を軸に物語は展開する。妻のちづるはネイルサロンを主宰する加奈子とレズビアンの関係となり、二人は共謀して瓜生から加奈子の借金を返済される額を奪う。瓜生は美大を出て博報堂に就職後、独立した売れっ子デザイナーである。瓜生は陸上競技の世界的な大会のエンブレムのデザインコンペに勝ち残るが後にそれが盗作だったが明らかにされ、取り消される。東京オリンピックのエンブレムでも同じような話があったっけ。それにフィリピンやタイの話、戦前の満洲の話、大阪の売春地区、飛田の話までが入り組んでくる。まぁ辻原登ワールドですなぁ。

2月某日
午前中、芝の友愛会館で日本介護クラフトユニオンを介護職へのハラスメントについて取材。年友企画の酒井さんに同行。ユニオンは染川朗事務局長、村上久美子副事務局長、小林みゆき広報担当部長が対応してくれる。取材後、内幸町へ出て酒井さんと昼食。昼食後、会社へ帰る酒井さんと別れ、私は村田沙也加の短編小説に読み入る。14時30分から厚労省老健局高齢者支援課の中村光輝係長に高齢者施設での看取り部屋整備への補助金について取材。高本真佐子SCN代表理事、大谷源一さんに同行。取材後、飯野ビルの神戸屋カフェで3人で打ち合わせ。打ち合わせ後、事務所へ帰る高本さんと別れ、私と大谷さんは神田に新しくオープンした佐渡の立ち食い寿司屋「弁慶」へ。2人でつまみ3~4品とビールにお酒で5000円ちょっとだった。

モリちゃんの酒中日記 1月その5

1月某日
「生命式」(村田紗耶香 河出書房新社 2019年10月)を読む。村田紗耶香は1979年千葉県生まれというから私たち団塊の世代の子供の世代、団塊世代ジュニアということになる。団塊世代ジュニアは卒業時期に不景気が重なり、非正規雇用の割合が高いと言われている。村田沙也加は玉川大学卒業後、コンビニでバイトしながら作家修業をしたという。バイト経験が芥川賞受賞作の「コンビニ人間」に反映している。私は村田沙也加の「コンビニ人間」と「消滅世界」を読んだことがある。確か「消滅世界」だったと思うが、近未来を舞台に性行為抜きに人工授精で人類が繁殖していくという世界を描いていた。「生命式」は表題作を含む14編の短編集。「生命式」は亡くなった人の肉を料理して食べるという習慣が広がっている世界の話。この習慣のことを「生命式」と呼んでいる。村田沙也加は生命について考えたかったのだと思う。「素敵な素材」は故人の遺体を活用して、髪からセーター、歯のイヤリング、皮膚のランプシェイドなどを供給することが常態となっている世界を描く。これらに比べると中学生のときは委員長、高校生のときはアホカ、大学生のサークルでは姫、バイト先ではハルオ、就職先ではミステリアスタカハシと呼ばれている女性の結婚準備を描いた「孵化」はわかりやすいかもしれない。村田沙也加は人間の不可思議さにこそ興味があるのだろう。

1月某日
私が大学に入学したのが1968年だから今から52年前である。私が入学した早稲田の政経学部では第2外国語でクラスが分かれていて、私はロシア語クラスで1年28組だった。前年の1967年の10月8日、当時の佐藤首相の訪米阻止闘争が三派全学連を主体に羽田空港周辺で闘われ、京大生が一人亡くなっていた。そういう物情騒然とした雰囲気も一部にはあったが、私は大学には行ったものの授業にはほとんど出ることもなく、大隈講堂の裏にあった「ロシア語研究会」の部室や3号館の地下にあった政経学部の自治会室にもっぱら出入りしていた。それでもクラスには友達が出来るもので雨宮、内海、岡、吉原、島崎、女子では近藤さんや後に私の奥さんとなる小原さんなどがつるんでいた。私たちのクラスは民青が強かったが、これらの友達はクラス委員選挙のときいつも私に投票してくれた。投票結果は大差で民青の清君に負けていたけれど。2~3年前から今、弁護士をしている雨宮君を中心に何人かが集まるようになった。今日は雨宮君のほか内海君、それに今回初参加の吉原君、そして紅一点の関さんが御徒町の吉池の9階、「吉池食堂」に集まった。関さんはクラスは違ったが、私の奥さんと友達だった関係でこの呑み会に参加するようになった。6時からスタートしたが気が付くとほぼ満席だったのがお客さんもまばらに。再会を期して散会した。

1月某日
高本真佐子さんと大谷源一さんにHCM社に来てもらって打ち合わせ。5時に終わって「食事でも」という話があったが、高本さんは食事会があるそうだ。でも「1時間ほどなら」ということで、御徒町駅近くの「和楽庵はなれ」に行くことにする。「和楽庵」と「和楽庵はなれ」は2軒並んでいる。店員は「どちらも居酒屋兼蕎麦屋です」と言っていたが、つまみの盛り付けも器も凝った感じの店だった。高本さんが1万円を置いて先に帰ったので後日、お釣りを渡さなければ。

1月某日
図書館で借りた「日本経済30年史-バブルからアベノミクスまで」(山家悠紀夫 岩波新書 2019年10月)を読む。山家は「やんべ」と読むが1940年生まれ、1964年神戸大経済学部卒、第一銀行に入行、第一勧業銀行調査部長などを経て神戸大学大学院経済研究科教授を歴任している。この本の狙いは「はじめに」で明らかにされている。30年前の1990年、あるいは90年をはさんでの数年は、世界経済にとっても日本経済にとっても大きな節目であったとする。「ベルリンの壁」崩壊が89年、「統一ドイツ」の発足が90年、ソ連の消滅が91年である。山家は「こうした流れの中で経済面でとくに注目すべきは、旧資本主義国にあって、『新自由主義経済政策』が広まったことである」とする。その大きな背景には社会主義経済圏の崩壊により、欧州の各国政府が自国の社会主義化を恐れることなく、新自由主義経済政策(むき出しの「原始資本主義的政策」)を採用できるようになったという。著者に言わせると社会主義に勝利したのは、原始資本主義(むき出しの資本主義)ではなく、修正された資本主義、福祉国家型の資本主義なのだが。こうした観点から著者は最終章の「日本は世界一の金余り国」の中で、日本の財政健全化と社会保障制度拡充の両立は可能であると主張する。カギは日本の国民負担率(税+社会保険料)の低さである。日本の国民負担率は19年度で42.8%でありOECD加盟国では低いほうから八番目と低い。国民負担率の高いフランスは67.2%で、かりに日本の国民負担率をフランス並みに引き上げれば97兆円の税・社会保険料の収入増が見込まれるという。そして著者はこの負担は負担能力のある大企業や、資産家に求めるべきとし、消費増税に求めるべきではないと主張する。山本太郎の令和新選組とも似た主張ではないか。私は「正しい」と思うけど。

1月某日
昨年暮れに出版された中村秀一さんの「平成の社会保障」企画費が社会保険出版社から振り込まれたので、この前ご馳走になった年友企画の石津さんに「ご馳走します」とメール。御徒町の「吉池食堂」に来てもらう。吉池食堂を使うのは今年3度目、というか1月に入ってから堤さんとが1回目、大学時代の仲間とが2回目、そして今回が3回目だ。まぁ味もそこそこ、値段もリーズナブルだからね。遅れて年友企画の酒井さんも参加。石津さんはビール、私は日本酒。下戸の酒井さんはウーロン茶を頼む。酒井さんに社保険ティラーレの吉高会長と佐藤社長が「酒井さんのことを誉めていたよ」と伝える。酒井さんは「そんなことありません」と謙遜するがそこがまたいいところだ。新婚の酒井さんを先に帰して、私と石津さんはしばらく呑む。今度は吉池以外の東上野のディープな店で呑むことにしよう。

モリちゃんの酒中日記 1月その4

1月某日
図書館で借りた「あたしたち、海へ」(井上荒野 新潮社 2019年11月)を読む。井上荒野は新刊が出るとだいたい図書館に予約する。新聞や週刊誌の書評欄でおおまかな内容を把握しているケースもあるが、井上荒野の場合は内容よりも人。今まで読んでつまらなかったことがないからね。井上荒野のお父さんは井上光晴という小説家で私も30代から40代にかけてよく読んだ。作風は全然違うけれど、父は日本共産党を除名された左翼系の「硬派」の作家。対して娘は都会的で恋愛ものを得意とする。本作は女子中学生が主人公なので「珍しく学園ものか」と思いながら読み進むと、学園ものは学園ものなんだが、今回は虐めがテーマ。虐めと言ってしまうとすでに現代的な風俗や風景のなかに溶け込んでしまっていると私などは思ってしまうので、これは現代における「支配と被支配」の関係性を描いたと言ったほうがよい。3人の仲良しの女子中学生がいて、最初そのうちの一人が虐めの対象とされ転校を余儀なくされる。残った二人は転校した友達のところへ自転車で会いに行ったりするのだが、虐めの矛先はさらに残った二人へも向かう。転校した娘の母親は高齢者向けマンションの炊事係に転職するが、そこでも入居者による虐めを目撃する。虐められた上品な老女は姿を消すが、翌日、髪をピンク色にして現れる。「支配と被支配」の関係性を打破すべく「逆襲」が開始されたのである。女子中学生たちももちろん「逆襲」するのだが、それは「連帯」によって支えられる。ラスト、転校した娘を訪ねた二人と母親の四人が庭でバーベキューをするシーンが描かれる。連帯確認のバーベキューパーティである。

1月某日
昨年の暮れに出版された中村秀一さんの「平成の社会保障-ある厚生官僚の証言」(社会保険出版社)の企画を少し手伝った。中村さんが携わった編集者、デザイナー、出版社にお礼がしたいと有名レストランに招かれた。食事は6時から有楽町の「アピシウス」でということなので、私は社会保険出版社に寄って高本哲史社長とタクシーで会場に向かう。会場にはすでに中村さん、フリーの編集者の阿部さん、デザイナーの工藤さんが来ていたので早速、シャンパンで乾杯。「アピシウス」は30年ほど前に年住協の中村一成理事長と小形カメラマンの3人で来たことがある。当時、中村理事長が雑誌「年金と住宅」に「古地図を歩く」というエッセーを連載していた。奉行所跡や吉良上野介の屋敷跡などを訪ね、古地図での記載と現在の佇まいを写真とエッセーで紹介するという企画だった。連載は2年以上続いたと思うが、取材の後の食事が楽しみな連載だった。そんなことを思い出しながら食事とワイン、おしゃべりを楽しむ。「本日のメニュー」を紹介すると、前菜が「雲丹とキャビア カリフラワーのムース コンソメゼリー寄せ」、魚料理が「豊洲市場から届いたお魚料理 シェフのスタイルで」、肉料理が「シストロン産仔羊のロティとクレビネット包み焼」と「シャラン鴨のロティ サルミ風ソース」のチョイス。それに季節のデザートとコーヒーだ。料理やワインを説明するボーイさんが、部屋に掛けられている絵画についても丁寧に話してくれる。「アピシウス」ともなると料理だけでなく、部屋のインテリア、調度品、ボーイさんまで一流ということであろうか。

1月某日
「漂砂のうたう」(木内昇 集英社文庫 2013年11月)を読む。漂砂は「ひょうさ」と読んで海の底などでうごめく砂のことを言うらしい。舞台は明治10年の根津遊郭。幕臣から根津遊郭の客引きとなった定九郎が主人公。人気の花魁、小野菊や廓を守る龍蔵、噺家のポン太が根津遊郭で漂砂のようにうごめいているさまを描く。何とも救いのない小説だが、直木賞受賞作であり、木内昇の作家としての力量を示す作品。私は嫌いではない。ちなみに木内昇は「きうちのぼり」と読む、1967年生まれの女性である。

1月某日
本郷さん、角田さん、水田さんと町屋の「ときわ」で呑む。私も含めた4人の関係とは次のようなものだ。角田さんは群馬県の前橋高校出身。高校で私の早稲田大学政経学部の1年先輩の鈴木基司さんと一緒だった。角田さんは大学卒業後、石油連盟に就職しそこで同僚だったのが本郷さん。本郷さんは後に石油商社に転職した。最近本郷さんと知り合ったのが水田さんだ。水田さんが一番若く60歳代前半、あと3人は70歳代。この4人の共通点は学生運動崩れ。本郷さんは中大、角田さんは都立大、水田さんは北大、私は早稲田でそれぞれ学生運動を経験している。私たちが大学を卒業したころは高度経済成長期だったから、選びさえしなければ極端な話し、就職先には困らなかった。だけど「権力に歯向かった」活動家崩れとしては、一流企業に就職するのは何となくためらわれた。で、私は友人の親戚が経営する小さな印刷会社に写植のオペレータとして入社し、その後、業界紙の記者に転じた。本郷さんや角田さんが入社した石油連盟のような業界団体も業界紙と同様、学生運動経験者の受け皿となっていたのである。水田さんも大卒後、一部上場企業に就職したもののほどなく塾の講師に転職した。まぁいずれにしても半世紀前の話である。

1月某日
佐藤雅美の「縮尻鏡三郎」シリーズの「夢に見た娑婆」(文春文庫 2014年12月)を読む。佐藤雅美の時代小説は綿密な時代考証が特徴だが、今回の舞台は江戸時代の「鳥の業界」。江戸時代は仏教の教えに基づいて牛や豚など獣の肉を食べることは禁じられていたが、例外として鳥の肉は食べることを許されていた。では、その鳥肉の供給はどうなっていたかというと、そこで佐藤雅美の綿密な時代考証の腕が発揮されるわけである。江戸時代は徳川将軍家をはじめ、有力大名の間では鷹狩りが流行っていた。鷹狩りの鷹を養うにはエサが必要で鷹は一日にスズメ10羽、ハト3羽を食した。鷹は2組で100羽だから年にするとスズメ36万5000羽、ハト10万9500羽が必要となる。この捕獲を担当したのが御鷹餌鳥請負人で、彼らは専門の捕獲人「いさし」に鑑札を与え、スズメとハトを捕獲させた。いさしはスズメやハト以外にもウズラ、ホオジロ、メジロ、大きなものではガン、カモ、ツルなども捕獲したが、これらは市場で売却された。「鳥の業界」が形成されたわけである。佐藤雅美の小説にリアリティを与えているのはこのように綿密な時代考証であるのだが、私などは「浮世には何の役にも立たない」江戸時代の「鳥の業界」のことを知るだけで楽しくなってしまうのである。

モリちゃんの酒中日記 1月その3

1月某日
図書館で借りた「相模原事件とヘイトクライム」(保坂展人 岩波ブックレット 2016年11月)を読む。重度の知的障害者19人の命を奪った相模原市の事件が起こったのは2016年の7月だから、このブックレットが書かれたのは事件の直後と言ってもいい。この本を読んで私がここに書き記しておきたいと思ったことは2つある。ひとつはナチスドイツがホロコーストによりユダヤ人を大虐殺する前に20万人以上の障害者をガス室に送っているという事実。もうひとつは事件が起こった2016年は障害者差別解消法が施行された年であるということ。前者は障害者差別と民族差別が通底していることを意味している。そして個別の差別に反対するということは、あらゆる差別に反対することにつながっていかなければならないことを強く感じる。後者については法に依る差別の解消はもちろん必要だが、人々の(私も含めて)意識改革が求められているということだ。そのためには道路や住宅、施設のバリアフリー化にとどまらず「心のバリアフリー化」が必要ということであろう。

1月某日
図書館で借りた「瓦礫の死角」(西村賢太 講談社 2019年12月)を読む。西村賢太は4~5年前はよく読んだが最近はとんとご無沙汰。しかし読んでみるとやはり面白い。西村賢太の小説の基本は私小説。と言っても庄野潤三のような上品な家庭を描いた私小説ではない。西村賢太の私小説上の人格である「貫多」の実父は強姦と傷害で懲役8年の実刑を受け刑務所に。「貫多」は高校に進学せずに日払いの肉体労働などで日銭を稼いでいる。表題作は半年ほど勤めていた洋食屋を馘首された「貫多」が母親のアパートに転がり込む話だ。いつまで居続けるのかと露骨に嫌な顔をする母親だが、その母親も刑務所の元夫がいつ出てくるかという恐怖に晒されている。共通の恐怖の故にいっとき「貫多」と母親には共に生きる可能性も見えてくるのだが、「結句は何もしてやれぬ。自分が逃げるだけで精一杯である」となる。表題作と「病院裏に埋める」が「貫多」もの、「四冊目の『根津権現裏』」は西村が「没後の弟子」を自称する藤澤清造の著作「根津権現裏」を巡る貫多と古書店主の物語。最後の「崩折れるにはまだ早い」は凝った構成になっている。作者、西村賢太と思しき「渠」(かれと読む。普通は彼だけど渠を使うのがいかにも西村らしい)はあの『文藝春秋』からも『新潮』からも姑息で下らない〝人間関係″のみの齟齬をでもって締め出しを食らっている。「渠」はこの原稿依頼を次の原稿依頼に繋げようと期限の前日に仕上げる。「崩折れるには…」自体がこの原稿を仕上げるメイキングストーリーになっている。「渠」は原稿を書きながら、別れた女のことや自殺した友人のこと、そして面識はなかったが死んだ同業の人物のことを想う。この同業の人物は「他者に云わせると書くものの傾向に似通った部分もあるそうで、その点で渠としても密かに意識せぬこともなかった人物である」「何かの雑誌か新聞でその坊主頭の、苦行僧の陰影の中に飄逸味の同居する風貌を瞥見した」とあるから、この人物とは先年亡くなった車谷長吉であろう。私は義理の姉(兄の奥さん)が編集者をしていた関係で、車谷長吉さんと奥さんで詩人の高橋順子さん、それに義理の姉の四人で入谷の呑み屋で2~3回ご一緒したことがある。その折、車谷さんに西村賢太をどう思うか聞いたのだが、「しりませんねぇ」という答えだった。「崩折れるには…」では最後に「渠」は藤澤清造に、自殺した友人は芥川龍之介に、死んだ同業の人物は田山花袋に置き換えられる。この一瞬の転換こそが西村賢太の技、芸と言えるだろう。

1月某日
「小さき者の幸せが守られる経済へ」(浜矩子 新日本出版社 2019年8月)を読む。浜は以前からアベノミクスをアホノミクスと呼ぶ安倍政権批判の急先鋒のエコノミスト。本書は「アエラ」と「イミダス」に連載されたコラムをまとめたものだ。経済政策批判と並んで現政権の考え方やさらに広く現代社会の在り方についても批判的に論考しているのが特徴だ。浜は一橋大学で経済を学んだあとに三菱総研に入社、ロンドン駐在を務めるなどしてエコノミストとして頭角をあらわした。エコノミストとしてだけでなく和洋の幅広い教養を備えているのが強み。聖書やシェイクスピア、落語、映画などからの的確な引用が本書に限らず彼女の著作の特徴である。

1月某日
香川喜久恵さんからメール。福田博道さんが亡くなったという。福田さんはフリーライターで私より2~3歳下。去年の8月に自宅が火事になり、焼け跡から遺体が発見されたという。福田さんは早稲田の文学部の確か文芸学科を卒業後、調査会社や家具の業界紙に務めた後フリーライターに転身した。10年ほど前「名犬たちの履歴書」という単行本を出して、四谷の主婦会館で出版記念パーティを開いたことがある。お嬢さんがピアノの名手で一般の短大に進学したが、その後チェコに留学した。男の子は日通に勤めシンガポールへ赴任。海外の子供たちのところへ行って楽しんでいた。福田さんも私も酒好きで何度も一緒に呑んだ。我孫子の我が家にも遊びに来てもらったことがある。親友ではなかったが心の友、心友であった。

1月某日
年友企画で季刊誌「へるぱ!」の特集の打ち合わせ。編集会議で私の企画が通ったためだ。終って来週の高齢者住宅財団の仕事で行く静岡への出張費を仮払いしてもらう。年明けて2週間だが土日と祝日以外は毎日出勤している。といっても11時過ぎの出社、16時過ぎの退社というペースだが。今年72歳にしては働いているほうではないか。アンペイドワークが多いけれどそれにしても「当てにされている」わけだから「手抜き」はできない。年友企画での打ち合わせの後、神田の「鳥千」によって石津幸恵さんを待つ。太刀魚とカツオの刺身が美味しかった。石津さんにすっかりご馳走になる。

1月某日
図書館で借りた「家族シネマ」(柳美里 講談社文庫 1999年9月)を読む。「家族シネマ」は芥川賞受賞作で初出は「群像」の1996年12月号である。柳美里は1968年生まれだから、20代後半の作品となる。「家族シネマ」は崩壊した家族が映画出演を機に集まるが、バラバラになった家族の溝は埋まらないというストーリー。私は柳美里の小説は割と好きで何冊か読んでいる。「命」「8月の果て」「JR上野駅公園口」などである。が、「家族シネマ」は私には存外につまらなかった。テレビや新聞で「阪神淡路大震災から25年」という特集を繰り返し行っているが、現実がフィクションを乗り越えているような気がする。もっとも柳美里は原発被害にあった南相馬市に移住、書店を経営して「体を張って」被災地支援を続けている。柳美里自体は尊敬すべき存在である。