モリちゃんの酒中日記 10月その4

10月某日
吉田修一と並んで最近よく読むのが白石一文。吉田修一が1968年長崎生まれ、白石一文が1958年福岡生まれ、私が1948年北海道生まれとちょうど10年刻み。まぁどうでもいいけどね。で今回読んだのが白石の「快挙」(新潮社 2013年4月)だ。カメラマン志望の主人公「私」が「みすみ」と出会って結婚したのが1992年、私が25歳、みすみが27歳のとき。みすみは月島で一人で居酒屋をやっていた。居酒屋の2階に転がり込んだ私はアルバイトとカメラマン修業に明け暮れていた。カメラマンから作家志望に切り替えた私をみすみは変わらず支援してくれた。これで立派に作家となりましたならば、実人生ならばメデタシメデタシなのだがそこは小説、私が結核になったり、みすみが他の男性に心を寄せたりといくつもの起伏が用意されている。「みすみに男がいるようなんです」。私は義理の父(つまりみすみの父)に打ち明ける。義理の父の答え。「きみも、物書きの端くれならよう知ってるはずや。人間の心の中には魔物が棲んどる。いまのみすみもそうなんやろ。きみの心にかて魔物はおるんや。わしにはきみたち夫婦のことはちっとも分からへん。分からへんが、要はその魔物に負けんようにしてほしい。わしに言えるんは、たった一つ、それきりや」。うーん、小説とは言えなかなかいいセリフだ。

10月某日
18時に川崎で小規模多機能施設をやっている柴田範子先生を訪問。1時間ほど話した後、「この後、何にもないのでしょ。晩御飯食べていきましょう」と誘われる。柴田先生行きつけの蕎麦屋さんに行ったら満員だったので、川崎駅構内の「食べ物屋さん」がたくさん入っているゾーンでうどんをご馳走になる。私はウイスキーのソーダ割を2杯頂く。川崎から先生は南武線で私は東海道線で帰る。私は品川駅で常磐線の上野東京ラインに乗り換え、グリーン車を奮発する。

10月某日
5時過ぎに我孫子に着いたので駅前の七輪に寄る。七輪を出てバス乗り場に行こうとすると「モリちゃん」と声を掛けられる。「愛花」の常連で目白大学看護学科の助教をやっている佳代ちゃんだった。じゃと「愛花」に向かうが休みだったので焼き鳥屋の「仲間」へ。佳代ちゃんとは去年、やはり常連のソノちゃんと3人で新潟に一泊旅行をした。今年は北茨城行きを去年の3人組に加えて今年は車を出してくれる人を加えて4人で計画しているという。「仲間」を出て佳代ちゃんと別れ奥さんに電話して車で迎えに来てもらう。

10月某日
図書館で借りた「日本のマクロ経済政策-未熟な民主政治の帰結」(熊倉正修 岩波新書 2019年6月)を読む。まだ販売されてから半年も経っていない新書だが、新聞の書評欄で取り上げられた記憶もないし、図書館でもそれほど読まれた形跡もない。アベノミクス批判の書なのだが、かなり徹底した批判であるとともに副題に「未熟な民主政治の帰結」とあるように現代日本の政治批判の書でもある。著者は第2次安倍政権発足以来のマクロ経済政策(アベノミクス)について、その通貨政策、金融政策、財政政策を批判するのだが、私にとってはややハードル高し。「ふーん、そうなんだ」という程度の浅い理解しかできなかった。しかし最終章「マクロ経済政策と民主主義-日本が生まれ変わることは可能か」は理解できたし著者の熊倉の見識には感心させられた。異次元金融政策によって実質金利はゼロまいしマイナスとなっているが、これは著者によると「実質的な利益を全く生まない企業でも資金を借り入れて操業を続けられることを意味」し、こうした状態が続くと「非効率な企業が市場から淘汰されなくなり、資源配分の効率性が損なわれる」とする。また「極端な低金利によって企業の設備投資を煽ることを続けていると、せっかく生みだした付加価値の中で設備の建設や更新に回る分が増加し、私たちの暮らしは一向に楽にならないということになりかねない」とも言っている。
私が最も感心したのは最終章の4「日本は変わることができるか」である。著者が求める社会とは、個人の自律を基礎とし、各人が自らの力で自分の人生を切り開いてゆく覚悟と、広い社会に積極的に関与してゆく姿勢が求められる社会である。今の日本はそうなっていないし、自民党政治は全体合理的な政策より近視眼的で現状維持志向の強い政策が選択されやすい社会を生んでいるという。著者の思想には社会的共通資本を重視する宇沢弘文に近いものを感じる。著者は1967年生まれ、東大文学部卒業後、ケンブリッジ大学政治経済学部博士課程を修了している。この本の前半の鋭い経済分析と最終章の政治哲学的な社会分析は政治経済学部博士課程修了という経歴も一部影響しているのかも知れない。大学で学ぶ経済学には2系統あって、アメリカ(ドイツもそうだったかもしれない)の経済学部、イギリスの政治経済学部というのを聞いたことがある。日本の大学の多くは経済学部だが、一部の私学、早稲田や明治は政治経済学部である。私がこの本の最終章に「政治哲学的な社会分析」を感じたのは政治経済学部的な政治と経済を見据えた複眼的な思考を感じたのかもしれない。もう少し調べてみると経済学はもともとはポリティカル・エコノミーと呼ばれていたらしい。それをマーシャル(マーシャルの曲線のマーシャルか?)が経済学として独立させたんだってさ。

10月某日
図書館で借りた「つみびと」(山田詠美 中央公論新社 2019年5月)を読む。家庭崩壊、それも三代にわたる家庭崩壊の物語である。父の母に対する常軌を逸した暴力に小学生の琴音はただ耐えることしかできなかった。ある日、父が仕事から帰ってくると胸を押さえて苦しみだす。琴音は敢えて救急車を呼ばない。父の死が確認されてから救急車を呼ぶ。間接的な「父殺し」である。何年か経って母は材木商の伸夫を家に入れる。正式な結婚をしなかったのは伸夫の妻が離婚に承知しなかったためである。琴音は信夫になつき、信夫も琴音に個室やベッドを与えて関心を買う。個室やベッドは信夫の琴音に対する性的虐待の舞台となる。もうこれだけで読むのが嫌になってくる。嫌になってくるのだが読むのを止められない。山田詠美の筆力によるものだろうと思う。琴音は成人して地域の少年野球の指導者として人望の厚い笹谷隆史と結婚、三児を設ける。長女の蓮音は高校生時代から性的にも乱れた生活を送るがアルバイト先のファミレスで知り合った地域の素封家の息子、音吉と出会って恋に落ち結婚する。音吉の間に生まれたのが年子の桃太と萌音(もね)である。だが二人の結婚生活は長続きしなかった。蓮音は育児疲れから逃れる意味もあってかつての仲間たちと夜遊びを再開する。
離婚した蓮音は二人の子供連れて上京、自身のブログには「銀座の高級クラブのホステスにスカウトされる」と綴るが、手に職も学歴もないしかも子連れの若い女が働ける場所は風俗店しかなかった。蓮音はしかし精いっぱい桃太と萌音を愛し育てようとする。だが蓮音は風俗店の同僚に誘われてホストクラブに通いだす。行く着くところは育児放棄である。〈小さき者たち〉として桃太の視点から語られる一節が「痛い」。子供は母親を慕い、その帰りをひたすら待つのみである。真夏にアパートの一室に放棄された二人の幼児は飢えて死ぬ。蓮音は逮捕され懲役30年が確定し栃木の女子刑務所に収監される。蓮音の母の琴音は性的虐待を受けた影響か精神が不安定で精神病院への入退院を繰り返し夫とは離婚する。離婚後の琴音の人生にこの物語の「救い」があり、すべて「再生」の物語として読める。琴音は精神病院から兄の勝から「もう飽きたろ、琴音。ここ出よう」と連れ出される。琴音は子供のころから慕っていた信次郎と再会、共に暮らすようになり心の平安が訪れる。「エピローグ」は刑務所に面会に訪れた琴音と蓮音の会話で終わる。面会時間が終わって立ち去る蓮根に「叫ぶようにして娘の名を呼ぶ」琴音。蓮音は笑って母に言う。何と言ったかはここに書かないほうがいいだろう。この4行に「再生」が凝縮されている。

10月某日
私は読みかけた本を途中で止めることはほとんどないのだけれど、今回「あとは切手を、一枚貼るだけ」(小川洋子・堀江敏幸 中央公論新社 2019年6月)は半分も読まないうちに止めることにした。「つみびと」を読んだ後ではあまりに牧歌的な感じがしたし、図書館でリクエストしている人が10数人いるので早めに返すことにした。ちょうど図書館でリクエストしていた「女たちのテロル」(ブレイディみかこ 岩波書店 2019年5月)の準備ができたということなのでちょうどいい。図書館で本を返し「女たちのテロル」を読み始めるとこれがめっぽう面白い。結果的に「あとは切手を、一枚貼るだけ」を早く返して良かった。

10月某日
図書館で借りた「女たちのテロル」(ブレイディみかこ 岩波書店 2019年5月)を読む。日本とイギリス、アイルランドの3人の女性についてのエッセーである。この3人がそれぞれに大変個性的なのだが、書名の如く「テロリスト」であることが共通している。日本は内縁の夫、朴烈とともに摂政の宮(昭和天皇のこと)暗殺を企てたことで1923年に逮捕され、死刑判決を受け無期懲役に減刑されるも刑務所内で縊死した金子文子である。イギリスは戦闘的な女性参政権運動家で1913年、エプソン競馬場のダービーで国王の馬の前に飛び出して命を落としたエミリー・デイヴィソン、アイルランドは1916年のイースター蜂起で女スナイパーとして活躍した数学教師のマーガレット・スキニダーである。著者のプレイディみかこについては何も知らないが1965年生まれで福岡修猷館高校卒業である。私は私の母校、室蘭東高校を除くともっとも知り合いの多いのが修猷館高校である。吉武民樹先生と修猷館で吉武先生と同期だった弁護士の羽根田先生、そして東急住生活研究所の所長をやった望月久美子さんである。皆さん頭もいいが性格もいい、何よりもインデペンデントなのが共通している。プレイディみかこもそんな感じだね。文体がポップでアナキズム研究家の栗原康を彷彿とさせると思ったら「参考文献」に栗原編の「狂い咲け、フリーダム-アナキズム・アンソロジー」があったからあるいは知り合いかも知れない。昨年来、栗原の著作を読んだり、今年になってからも昭和初期のアナキストを主人公とした高見順の「嫌な感じ」を読んだりしてアナキズムにハマっている私である。共産主義はどうしてもレーニン主義に行っちゃうんだよね。そこから党の無謬性とか中央集権制はすごく近いと思う。1960年代末から70年代の全共闘運動は今にして思うとアナキズムだね。

モリちゃんの酒中日記 10月その3

10月某日
「いつか陽のあたる場所で-マエ持ち女二人組」(乃南アサ 新潮文庫 平成22年2月)を図書館で借りる。「マエ持ち」というのは「前科持ち」の隠語だ。小森谷芭子29歳はホスト貢ぐために伝言ダイヤルで適当な相手を見つけては、ホテルに連れ込んで金を奪うという手口を繰り返したうえで逮捕された。昏睡強盗罪で起訴され懲役7年の判決を受けて刑務所へ収監された。二人組のもう一人、江口綾香41歳は長年の夫の暴力に耐えかねて夫を殺害、殺人罪で懲役5年である。要するに二人は同じ刑務所仲間である。出所した芭子は死んだ祖母が住んでいた千駄木の一軒家に越してくる。綾香も近くのアパートに住んで見習のパン職人として働く。芭子はお嬢さん育ちだが、実家からは祖母の家と三千万円の通帳を渡されて縁切りされている。二人とも刑務所のことは周囲には絶対の秘密。芭子は7年間、海外に留学していたことになっている。生まれも育ちも違う二人が刑務所で出会い親友となる。こうした物語の背景づくりが巧みと思う。舞台となる谷中、根津、千駄木あたりは私が現在、たまにバイトで顔を出す青海社の近く。ヨミセ通りとか谷中の商店街などがこの小説の絶好の舞台となっている。

10月某日
社会保険出版社の高本哲史社長とフィスメックの小出建社長と3人でささやかに去年の10月に亡くなった竹下隆夫さんの「偲ぶ会」をやることに。会場は鎌倉橋1階の洋食店「石川亭」。ここは以前「ビアレストランかまくら橋」と言っていたのだが、10月から「石川亭」に名前が変わった。予約を受け付けてくれた女性が「あら森田さん!」と言ってくれたから従業員はそのままということか。「石川亭」はネットで調べると春日部が創業の地で都内や近郊に何店舗か展開している。「ビアレストランかまくら橋」が「石川亭」の傘下になったということかも知れない。ワインを相当飲んで「葡萄舎」へ行ったようだがあまり覚えていない。森田茂生、今年71歳。お酒はほどほどにしましょう。

10月某日
図書館でたまたま目にした「近代日本150年-科学技術総力戦体制の破綻」(山本義隆 岩波新書 2018年1月)を読む。山本は1960年代後半に闘われた東大闘争のリーダーで当時、理学部物理学科を卒業して大学院博士課程に在籍中であった。東大全共闘の代表を務め全国全共闘でも議長に押された。1941年生まれだから1969年当時は28歳である。封鎖中の安田講堂でも見かけたしアジ演説も何度か聞いたが、あごひげをはやした物静かな、当時20歳の私から見れば「オッサン」であった。安田講堂の防衛隊長を務め、のちに衆議院議員となったのが今井澄で、今井はML同盟だった。今井の秘書をやった後、社会保険研究所の関連会社のメディカル・データの経営を担ったのが何年か前に亡くなった豊浦清さんである。豊浦さんは日比谷高校から東大理学部に進学した秀才で、そう言えば豊浦さんを偲ぶ会にも山本義隆が来ていた。山本は闘争後、東大には戻らず駿台予備校の講師を勤めながら科学史を研究、何冊も著書を出している。
「近代日本150年」に話を戻すと、近代日本は科学技術とどう向き合ってきたかを厳しく検証したということができる。明治以降の日本は富国強兵、殖産興業の旗印のもとひたすら生産力の増強に努める一方、朝鮮半島や中国大陸、東南アジア各地に兵を進め植民地化を図る。高等教育を担った理学部、工学部の教授たちは率先してそれに協力してきた。国策に対して無批判に協力するという学者の姿勢は、戦後も引き継がれているというのが山本の考えで、副題の「科学技術総力戦体制の破綻」はそれを表している。朝鮮戦争やベトナム戦争の特需が日本経済の高度成長を準備し支えた。高度成長はまた水俣はじめ日本各地に公害をもたらす。そして安倍政権に至って「武器輸出が事実上全面解禁」される。山本がさらに問題視するのが原子力発電である。原発がその根本において安全性が確認されていないのは福島の原発事故を見ても明らかだし、すでに日本は6000発のプルトニウム爆弾を作り得る材料を保有しているという。関西電力の会長社長以下の幹部が、原発を立地する福井県高浜町の元助役(故人)から巨額の金品が渡っていたことが報道されている。原発の安全性が確認されていないにもかかわらず原発を建設するのはどう考えても無理筋である。無理を通せば道理が引っ込む。道理が引っ込むから巨額の金品が動いたのだ。

10月某日
日本オンコロジー学会のがん患者とその家族向けのパンフレットづくりを、出版社の青海社が手伝っている。大阪で編集会議があるというので青海社の工藤社長と参加する。工藤社長は今年3月、脳出血で倒れ現在リハビリ中ということで、私は付き添いを兼ねている。と言っても私も2010年に脳出血で倒れ障害者手帳を交付されている。障害者二人組である。4時間ほどの会議で方向性と原稿の締切が決まり工藤社長も一安心である。ちょうど観光シーズンで同じホテルを予約することが出来ず、工藤社長は新大阪駅近くのホテル、私は地下鉄で2駅目の江坂のホテルである。会議の会場からまず工藤社長のホテルを目指すが、なかなか見つからない。私の万歩計は18000歩を超えた。タクシーを呼んでホテルに向かうがどうやら私たちは駅の反対側を探していたようだ。ホテルの近くの「粋采たつみ屋」という店で夕食を兼ねた呑み会。佐渡の地酒があったのでそれを頂く。工藤社長にすっかりご馳走になる。ホテルに戻って私は江坂のホテルへタクシーで向かう。風呂に入って爆睡。爆睡はいいけれど4時頃目が覚めてしまった。日曜日の朝のNHKはインカの人と暮らしを描いた番組や札幌市円山のエゾシマリスの画像を流すなど、なかなか見ごたえがあった。

10月某日
今日は京大病院に入院中の友人を見舞うために京都へ。地下鉄で新大阪へ向かい在来線でゆっくりと京都へ。面会時間が14時からなのでそれくらいがいいのだ。京都駅から地下鉄で丸太町へ。京都御所の壁沿いに歩いて鴨川を渡ってしばらく行くと京大病院である。京大病院の近くの教育会館のレストランで食事。友人が入院している京大病院の積貞棟という病棟に向かう。変わった名前だが任天堂の山内相談役の寄付により建設されたということだ。友人は栄養剤を点滴していたが、思ったよりも元気だった。京都駅の書店で買った岩波新書の「独ソ戦」を渡す。「これ読みたかったんだ」と友人。久しぶりなので一時間近く話してしまい、指定券を買っていた帰りの新幹線を逃す。京阪本線の神宮丸太町から清水五条へ。清水五条からバスで京都駅。観光シーズンなので外国人で一杯だった。現役時代は京都市内の移動はタクシーが主だったが、今は徒歩と公共交通機関である。健康にいいことと市内の地理がよくわかる。ちょうど来た「のぞみ」の自由席へ。運良く座れて車内販売のビールと日本酒を頂く。つまみは昨日、工藤社長が買ってくれた「かまぼこ」2本である。

モリちゃんの酒中日記 10月その2

10月某日
図書館で借りた「買春する帝国-日本軍『慰安婦』問題の基底」(吉見義明 岩波書店 2019年6月)を読む。「プロローグ」で吉見は「江戸時代以前から続く日本の性買売(売買春)は長い歴史を持っている。当時の社会では性買売はとくに不道徳ではなく、あたりまえのこととして受け入れられていた」と記す。私が最近読んだ高見順の「いやな感じ」でも、主人公のアナーキストの青年は私娼窟の若い売春婦に恋心を抱いたりする。確かドストエフスキーの「罪と罰」でも主人公のラスコーリニコフが売春婦のソーニャに罪を告白する。しかし日本でも売春防止法が施行される以前は売春が女性の人権を著しく踏みにじるものであったのは間違いない。兵士が性病に罹患するのを防ぎ併せて戦場での強姦を防止する目的から日本陸海軍主導で「慰安所」が各地に設けられた。朝鮮半島や中国大陸、台湾、日本軍が進出したアジア太平洋地域の多くの女性が慰安婦として兵、将校に供出された。売春防止法成立以前の日本について言えば、公娼や私娼の存在の背景には間違いなく貧困があった。疲弊した農村から都市の貧民街から若い女性たちが借金のかたに集められた。女性たちを集めてくるのを仕事としていたのが女衒である。小説家の宮尾登美子は高知で女衒を営む男と愛人の間で生まれているが、このことは宮尾の小説「櫂」に描かれている。宮尾は女衒をもちろん肯定的に描いてはいない。そういう家に生まれてしまった哀しみと苦しみも小説の主題の一つだったと思う。「買春する帝国」では売春防止法成立以降についてはほとんど触れられていない。現在でもソープランド(トルコ風呂)で売春が行われているのは公然たる事実だが、そこが売春防止法で摘発されたということも聞かない。豊かな社会の隠花としてソープは咲き続けるのだろうか。

10月某日
「犯罪小説集」(吉田修一 角川文庫 平成30年11月)を読む。2016年に単行本化されたものが文庫に収められた。「楽園」というタイトルで映画化されこの10月にも公開される。5編の短編が収められているが「あっこれはあの事件を参考にしたな」と思われるのがあった。もちろん作者は作家の想像力で「事件」を「文学」の高見まで昇華させているのだが。この5編に共通しているものがあるとすれば、「現代社会における孤立、孤独」ではないだろうか。舞台は田園地帯(青田Y字路、万屋善次郎)であったり地方都市(曼珠姫午睡)であったり、首都圏(白球白蛇伝)であったりワールドワイド(百家楽餓鬼)であったりするし主人公の職業も、青年実業家や養蜂家、プロ野球選手と様々なのだが、いずれも現代社会のなかで孤立を強いられる、あるいは自ら孤立に向かっていく姿が描かれる。吉田修一は小説に事件や犯罪を描くことが多いように思う。私の月並みな感想を述べれば事件や犯罪にこそ現代が色濃く表現されているからであろう。

10月某日
帰郷(浅田次郎 集英社文庫 2019年6月)を読む。本書は単行本が刊行された2016年に大佛次郎賞を受賞している。文庫本の帯に「戦争に運命を引き裂かれた名もなき人々。いまこそよんでほしい反戦小説集」と印刷されている。浅田は高卒後、自衛隊に入隊し除隊後様々な職に就きながら小説家志望をあきらめなかった人である。自衛隊出身者が反戦の志を高く持っていたとしても何の不思議もないが、とにかく浅田は強い反戦の意志を持ち、それを表現した作品も幾つか残している。先月読んだ「獅子吼」は戦争末期の動物園のライオンを射殺せざるを得なくなる農林学校畜産科出身の古兵と新兵の話だった。で今月読んだ「買春する帝国」に話は戻るのだが戦争と売春はつきものと言ってもよい。この短編集でも冒頭作の「帰郷」は復員兵と娼婦の話だし、「無言歌」は特殊潜航艇の学徒出陣の将校と娼婦の交情が描かれる。私は作家にとって「娼婦」とはと考える。一つ考えられるのは物語を「浄化」するための登場人物として造形される場合が多いのではないかということ。「人生劇場」といっても高倉健主演の映画のほうだが、健さん演じる宮川と藤純子演じる娼婦(確かオトヨと言ったのではなかったか)の濡れ場が重要なシーンを構成していた。穢れた存在としての娼婦こそが純潔=天使のような存在に置き換わるのだ。

10月某日
「社会保障再考-〈地域〉で支える」(菊池馨実 岩波新書 2019年9月)を読む。書名に再考とあるが、読了してなるほどと思った。格別に新しい説が展開されているわけではないが、少子化が進み財政的にも厳しくなる一方の日本社会にとって必要とされている「社会保障」とは何かを「再考」した本なのだ。「はじめに」では「この本は、持続可能性という概念をひとつの切り口として、日本の社会保障制度のあり方を、さまざまな角度から再考することを目的として」いると述べられている。さらに制度の中で等閑視されていた「相談支援」を正面から論ずる新たな局面にもあることが明らかにされている。サブタイトルの「〈地域〉で支える」にも著者の想いが込められていると言ってよいだろう。社会保障政策を立案するのは厚労省で最終的に決めるのは国会であっても、実践するのは地方自治体であり地域である。著者は第6章の「地域再構築」で「もっと年金委員や年金事務所の役割に注目してもよいのではないか」と書いている。実は私も千葉県の地域型年金委員ではあるのだが、ほとんど何もしていない。地域の再構築という視点で年金委員を考えて来なかったためでもある。ちょいと恥ずかしいね。

10月某日
「アンジュと頭獅王」(吉田修一 小学館 2019年10月)を読む。現代日本の小説家のなかで私が最も注目している作家の一人が吉田修一である。ウイキペディアで検索すると「安寿と厨子王丸」が出てきて「中世に成立した説教節『さんせい太夫』を原作として浄瑠璃などの演目で演じられたきたものを子供向けに改編したもの」とある。私たちが知っているのは森鴎外の「山椒大夫」だが、吉田修一の「アンジュと頭獅王」は「説教集」(新潮社)と「説話節 山椒大夫・小栗判官他」(東洋文庫)を底本としたとあるから、むしろ説教節の原型に近い。しかしそこは吉田修一、なかなか洒落た改変を施している。山椒大夫から逃れた頭獅王は聖に助けられるが、時空を超えて現代の新宿に登場する。阿闍梨サーカスの団長に救われた頭獅王はサーカスの大獅子の飼育係となり、さらに大富豪、六条院の養子となる。さらにアンジュや母親とも再会し、「上古も今も末代も」「富貴の家と栄えたとあり」とメデタシメデタシで終わる。町田康が「義経記」を翻案した「ギケイキ」を書いているが、「アンジュと頭獅王」もそれに勝るとも劣らない傑作である。吉田修一の作風の深さと広さに脱帽である。

モリちゃんの酒中日記 10月その1

10月某日
フリーライターの香川喜久恵さんと神田駅西口で待ち合わせる。その前にHCM社の大橋進社長から「今晩一杯どうですか?」といわれていたので、「香川さんと約束があるので一緒にどうですか?」と誘う。大橋さんには店が決まったら連絡することにして香川さんとは神田の葡萄舎に行くことにする。久しぶりに行く葡萄舎は結構混んでいてカウンターに座る。香川さんは病気をしてから酒を呑めなくなったのでコンビニであらかじめお茶を買っていた。私はお刺身を肴に日本酒を頂く。ほどなくして大橋さんが登場。私は調子に乗って日本酒を呑み過ぎる。

10月某日
虎ノ門の日土地ビル地下1階の蕎麦屋「福禄寿」で呑み会。18時30分スタートだが18時過ぎには店に着いてお茶を頂く。少し経って厚労省OBで今は頼まれて大きな社会福祉法人の理事長をやっている堤修三さんがやってくる。「すい臓がんで死ぬのが願望なんだ」と堤さん。「見つかったときはもう手遅れって奴」「そうそう」とまぁ老人の会話ですね。ほどなくして同じく厚労省OBで上智大の特任教授をやっている吉武民樹さん、滋慶学園教育顧問の大谷源一さんが来て「乾杯」。遅れてNHKの堀家春野解説委員、上智大学の栃本一三郎教授が来る。栃本さんがマメに日本酒を頼んでくれる。我孫子へ帰って久しぶりに「愛花」に顔を出す。「愛花」はここしばらく店を閉めていた。常連の福田さんと「俺のボトルはどうなっちゃうのかと心配してたんだよ」「せこいね」と軽口を交わす。

10月某日
図書館で借りた「万波を翔ける」(木内昇 日本経済新聞出版社 2019年8月)を読む。日本経済新聞の夕刊に連載されていたことからその魅力的な挿絵とともに楽しみにしていた。舞台は幕末の江戸。長崎の海軍伝習所で航海術を学んだ幕臣の次男、田辺太一は新設された外国局への出仕を命ぜられる。開国後数年の日本、その中で必死に国益を守ろうとして奮闘する幕臣の姿が描かれる。登場するのは外国奉行の水野忠徳、岩瀬忠震、小栗忠順、それに幕府の幕引きを図る勝海舟、テロリストから一橋家の家臣に変身した渋沢栄一。幕末を幕府の側からそれもあまり有名でもない青年幕吏の視点で描いたのはユニーク。維新後、徳川慶喜に従って静岡に引き込み、沼津の幕臣の子弟のための兵学校で教える太一は、渋沢栄一の勧めで新政府の外務省に出仕することを決意したところで物語は終わる。青年の成長物語であると同時に日本の外交事始めを描いているわけだ。ユニークな挿絵は表紙カバーのイラストにも使用されているが、イラストを描いたのは原田俊二という人だった。

10月某日
図書館で借りた「華族誕生―名誉と体面の明治」(浅見雅男 講談社学術文庫 2015年1月)を読む。浅見という人の本は「公爵の娘」という本を読んだことがある。これは岩倉具視の曾孫が日本女子大学に進学、社会主義思想に触れて治安維持法で逮捕され釈放後自殺するという悲劇を描いたドキュメントだった。巻末の原本あとがきで著者は「世襲の特権階級などないほうがいいに決まっているが、だからといって歴史的存在としての華族(制度)を無視するのは間違いだろう」と書いている。その通りと思うが、「なぜ自分が、なぜわが家がこの爵位なのか、もっと上位でもいいのではないか」という華族の想いが日記などからあぶりだされており、その人間味が何ともおかしい。

10月某日
「姥うかれ」(田辺聖子 新潮文庫 平成2年12月)を図書館で借りて読む。読みながら思い出したのだがこれは78歳で一人暮らしの歌子さんを主人公とするシリーズものの第3作であった。歌子さんは船場の商家に嫁ぎ嫁姑問題で苦労し、商才のない夫に代わって会社に夜も眠られぬ日々を過ごしたりしたのだが、今は旦那も送り、会社も長男に譲って悠々自適の日々である。歌子さんの目を通して現代社会への批評が語られるのだが、単行本が発行されたのは昭和62年とある。西暦で言えば1977年だから今から40年前だが、その批評が色褪せていないことに驚く。しかしここでは歌子さんの現代批評よりも歌子さんその人に焦点を当ててみたい。1970年代に70代ということは1900年前後の生まれだから歌子さんは田辺聖子というよりも彼女の母の世代である。田辺は昭和3年、大阪の写真館の娘に生まれているから本作を書いたころは50代後半、おそらく母の目を通しての現代批評を試みたものと思われる。田辺が描く女性、歌子さんもその一人であるが、その魅力の最大のモノは自立だと思う。戦後日本社会が獲得し、しかし完全に獲得しえていないのが自立であり、それを描こうとする田辺文学は戦後文学の金字塔と私は確信しているのですが。

10月某日
元年住協の林弘幸さんと上野駅で待ち合わせ。私は我孫子、林さんは新松戸なので松戸で呑むことにする。前に行った北口の焼き鳥屋に行く。18時前だったがほぼ満席。焼き鳥屋で閑散としてる店はちょいとヤバイ。そういうことからするとこの店は合格。ハツ、砂肝、ナンコツなどを頼み、ビールと酎ハイを呑む。2時間ほど呑んでお開きに。松戸から各駅停車に乗って林さんは新松戸で下車。私は終点の我孫子まで。

10月某日
社保険ティラーレで打ち合わせ。夕方だったので缶酎ハイを2本頂く。佐藤社長が乾きものを出してくれたのでそれも頂く。打ち合わせが終わって神田駅に向かうと雨が降ってきたので久しぶりに北口の「鳥千」に顔を出す。鰺のナメロウを肴に日本酒を呑んで時間をつぶす。雨が上がったようなので店を出て帰路に。我孫子へ着くとちょうどバスが出た後だったので「七輪」に寄る。「七輪」には焼酎のボトルが置いてあるので白ホッピーと「サービス品」のつまみを頼み、30分ほどで勘定を頼むと千円でお釣りが来た。

10月某日
虎ノ門の医療介護福祉政策研究フォーラムに編集者の阿部孝嗣さんと訪問。3人で中村さんの新刊本についての打ち合わせ。中村さんが研究者のインタビューに答えた「オーラルヒストリー」を軸に専門雑誌などに寄稿した文章をまとめた。「オーラルヒストリー」は平成時代の社会保障政策に関する忌憚のない証言となっていて阿部さんと私の感想も「大変面白い」で一致。私は平成の30年間で官僚の立ち位置とか政治家と官僚の役割とか、かなり変わったなぁという想いを新たにした。台風が迫っているが阿部さんとは久しぶりなので飯野ビルの地下で呑むことにする。阿部さんは若いころ苦労して集めた荒畑寒村などの書籍が二束三文で売られていると嘆く。古書の値が下がったことだけでなく荒畑寒村等の思想が顧みられなくなったことが嘆かわしいのだろう。

モリちゃんの酒中日記 9月その4

9月某日
図書館で借りた「資本主義と闘った男-宇沢弘文と経済学の世界」(佐々木実 講談社 2019年3月)を読む。四六判で600ページを超える大著だが、宇沢弘文という人物の思想と行動が本人や同僚のインタビューや著作、論文を通じて浮かび上がらせた作品である。本書が成功しているのは著者の佐々木実の宇沢弘文への尊敬の念が、著述の底流に流れているためと思われる。私が宇沢の名前を知ったのは彼の社会的共通資本という考え方に出会ってからである。従って彼が世界的な数理経済学者であったこともノーベル経済学賞の候補であったことも知らないし、晩年、水俣病や成田空港問題に深く関わっていたことも本書を読んで知った。本書の前半は生い立ちから東大の数学科を出て大学院まで進むが、途中でその数学の才能を生かして理論経済学に転身し、アメリカのスタンフォード大学、シカゴ大学で国際的にも認められる数理経済学者に成長、ケネス・アロー、ジョセフ・スティグリッツ、ポール・サミュエルソン、ミルトン・フリードマンら著名な経済学者と交流してゆくまでが描かれる。東大時代にマルクス経済学の勉強会にも顔を出し、日本共産党の不破哲三らとも親交があったことが明かされる。またシカゴ大学ではベトナム反戦運動にも関わっていたことにも触れられている。前半は近代経済学説史外伝の様相を示すと同時に、世の中の矛盾と闘う経済学者としての宇沢の横顔を伝える。
後半は日本に帰国して東大経済学部に席を置き、水俣病や成田空港問題、地球温暖化対策に深く関わる一方、社会的共通資本の理論を深めていく宇沢の姿を描く。宇沢が東大に着任したのは1968年の4月で、前年の67年10月8日には羽田空港周辺で三派全学連がヘルメットとゲバ棒で武装し佐藤訪米阻止闘争を闘い、68年には東大、日大から始まった大学闘争が全国に波及していく。宇沢は学園闘争とは距離を置く一方、環境問題、公害問題に深く関わり始める。水俣の現場に足繁く通いながら東大工学部助手の宇井純、熊本大医学部の原田正純と交流らと交流を深める。宇沢が社会的共通資本について解説している文章を引用しよう。「社会的共通資本は、土地を始めとする、大気、土壌、水、森林、河川、海岸などの自然資本だけでなく、道路、上・下水道、公共的な交通機関、電力、通信施設、司法、教育、医療などの文化的制度、さらに金融・財政制度を含む」。社会資本や社会インフラという言葉よりも広く、概念的には「深い」。私の考えでは人間も含まれる「生きもの」が地球上で「快適に」過ごすための「社会的な」条件とでもいえる。様々な社会的な運動に関わった宇沢だが晩年は孤独だった。後継者を尋ねる著者に「日本にはいないし、海外にもいないんだよ」と語った宇沢の言葉が紹介されている。また浩子夫人は「宇沢は、ひとりぼっちでした」と証言している。「孤独」はしかし、宇沢の到達した地点の「高さ」を表しているようにも思われる。

9月某日
夜半に猛烈な吐き気に襲われ目を覚ます。ウゲーウゲーと胃の内容物をすべて吐き出す。リビングで起きていた奥さんが「大丈夫?救急車呼ぼうか?」と声を掛ける。私は前夜、北千住の居酒屋で食べた刺身に当たったと思い、「吐いてしまえばどうということはない」と答える。だが、吐き気は治まらず胃液のようなものが込み上げてくる。便意にも何度か襲われトイレに行くと水のような便が出る。2階の長男も心配して起きて来て「救急車を呼んだほうがいいよ」と言うが、これにも「病院が開いたら行くから」と断る。夜中の3時頃から2時間ほど七転八倒し、上と下から出すものはすべて出したうえで何とか眠りに着く。10時過ぎに目を覚ます。不快感は残るが吐き気と便意は去る。食欲は全くなし。入浴後、体重を図ると2キロ以上減っていた。青海社の工藤社長から「今日の角田さんの送別ランチ会は12時半から根津の『はん亭』です」というメールが来る。「真直ぐ会場に行きます」とメールを返す。車で駅まで送ってもらい千代田線で我孫子から根津へ。「はん亭」に行くと工藤社長と奥さんがすでに来ていた。「はん亭」は有名な串揚げ屋だが食欲がないので私だけ「お茶漬け」にしてもらう。お茶を飲みながら軽口を叩いていると気分がだんだん戻ってくる。工藤社長から角田さんへ花束とワインが送られ出席者全員で写真を撮って送別会は終了。私は根津から霞が関へ。HCM社に着くと大橋社長が「大丈夫ですか?」と声を掛けてくれる。16時に三井住友あいおい生命の営業の人がHCM社に来る。生保商品の説明を受けた後、「今日は体調がすぐれませんから」と17時前にHCM社を出て家路に。

9月某日
気分は良好。お昼頃HCM社に出社、某氏から頼まれていた作業を2時間ほど。16時過ぎに社保険ティラーレへ。吉高会長と雑談。吉高さんは「この時間だからお茶よりこっちがいいでしょう」と缶酎ハイを出してくれる。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の例え通り缶酎ハイを2本頂く。社会保険出版社の戸田さんと17時50分に虎ノ門の郵政互助会館で待ち合わせているのでタクシーで郵政互助会館へ。戸田さんと一緒に医療介護福祉政策研究フォーラム理事長の中村秀一さんに面談。終わって戸田さんが「少し呑みましょうか」と言ってくれたので飯野ビル地下の信州のお酒が置いてある店へ。「真澄」を3杯程頂く。まさに「喉元過ぎれば熱さを忘れる」である。霞が関から我孫子へ。

9月某日
「獅子吼」(浅田次郎 文春文庫 2018年12月)を読む。浅田次郎は1951(昭和26)年生まれだから私より3歳年少。高卒後、陸上自衛隊に入隊するが「大学受験に失敗して」説と「三島由紀夫事件に刺激されて」説があるようだ。浅田は自衛隊出身であるが反戦平和主義者でもある。「獅子吼」は6編の短編小説が納められていて、表題作の「獅子吼」は優れた反戦小説であると同時に私には近頃稀な動物愛護小説としても読めた。舞台は太平洋戦争末期の東北地方のある県の動物園。「農業と畜産で立っている県」で「沿岸の重工業地帯」は空爆と艦砲射撃によって連日のように叩かれていたというから岩手県であろう。小説中で話されている方言は浅田の「壬生義士伝」の南部藩出身の新選組隊士の話す言葉に似ている。おそらく動物園のある都市は盛岡で沿岸の重工業地帯とは釜石である。前置きが長くなったが一方の主人公は動物園のライオンであり、もう一方の主人公は農学校畜産科出身の騎兵連隊の新兵である。戦争末期に上野動物園の動物たちの悲劇は語り継がれているが、同じような話はどこの動物園でもあったらしい。盛岡の農学校に進学した貧しい学生たちには奨学金が支給された。奨学生には課外労働が義務付けられ畜産科の奨学生は動物園に通わされる。主人公のライオンと新兵は顔なじみであったのだ。空爆が盛岡にも及び動物園が破壊されることを恐れた当局は、ライオンの射殺を新兵に命じる。動物たちに喰わせよと残飯を新兵に与える食事担当の軍曹のセリフが泣かせる。「人間と人間の戦争なら、人間がいくら死んだって文句は言えめえが、なしてけだものが飢えて死なねばならねんだ。まして動物園さなぐなったら、子供らはどこさ遠足行くの」。

9月某日
10月1日から消費税が10%に引き上げられる。少子高齢化が続き労働力人口が減る一方で高齢者の人口は増えていく。引き上げは仕方ないし今後、低所得者対策をしっかりやったうえで15%までの引き上げはもとよりヨーロッパ並みの30%以上への引き上げも仕方がないのかなと思っていた、令和新選組の山本太郎の主張を知るまでは。山本太郎は消費税の廃止を訴える。いきなりの消費税の廃止は無理だとしても「所得の再分配」の観点から日本の税制全般を考え直すことは必要と思う。消費税は大衆課税であり所得の低い層に負担が重くなる「逆進性」も指摘されている。所得の高い層への所得税の強化、法人の内部留保への課税強化、相続税の課税範囲の拡大などがもっと考えられていい。そうすると高額所得者や企業は海外に逃げ出すという声も聞かれるが、そうならないように魅力的な情報・生活インフラ、芸術文化観光インフラを整備していくということではないのだろうか?

モリちゃんの酒中日記 9月その3

9月某日
図書館で借りた「レヴィナス入門」(熊野純彦 ちくま新書 1999年5月)を読む。熊野純彦という人の本を読むのは「資本論の哲学」に続いて2冊目。レヴィナス入門を書いたころは東北大学の助教授だったが、その後東大に移って確か文学部長もやっている筈。本書の「あとがき」で「私はもとよりレヴィナス研究者ではなく、フランス現代哲学研究者ですらない」と書いている。「じゃぁ何が専門なの?」と突っ込みたくなるが、昨年「本居宣長」(作品社)も上梓しており、マルクスからカント、ヘーゲル、本居宣長から和辻哲郎、埴谷雄高までととにかくフィールドの広い学者先生なのだ。本書は「入門」と銘打たれてはいるが、レヴィナスを齧ったこともない私には難解だった。レヴィナスの人物紹介による入門ではなく思想そのものに分け入っていく入門故なのだろう。しかし私はレヴィナスの人物紹介によって熊野純彦の「レヴィナス入門」を読んだ痕跡を残したいと思う。エマニュエル・レヴィナスは1905年にリトアニアのカナウスにユダヤ人の家庭に生まれた。第一次世界大戦によって一家はウクライナのハリコフに逃れる。やがてロシア革命。両親がユダヤ人でありブルジョアであったことから「革命が意味しているものが両親を脅えさせた」という。レヴィナスは1928年、ドイツのフライブルグに遊学、フッサールとハイデガーに学び、とくにハイデガーに強い影響を受けたようである。30年パリに移住し最初の著作を刊行、翌年フランスに帰化、40年ナチスのパリ侵攻のさい捕虜となり45年のパリ解放まで捕虜収容所に捕らわれる。61年国家博士号を取得し、ポワティエ大学助教授になり67年パリ第10大学、73年パリ第4大学の哲学科教授となる。76年退官し1995年に死去。熊野教授はレヴィナスの思想を丁寧に解説してくれるのだが、私には正直歯が立たない。しかし分からないなりにレヴィナスの性愛論や存在論には魅かれるものがあった。レヴィナスには再挑戦したいと思う。

9月某日
「火影に咲く」(木内昇 集英社 2018年6月)を読む。幕末の京都を舞台にした6編の短編が収められている。共通するのは「火影」。「灯火に照らされてできる影」のことだ。冒頭作の「紅蘭」は詩人梁川星厳の妻、紅蘭を主人公とし、「薄ら日」は池田屋事件で新選組の襲撃により重傷を負い、長州屋敷の門前までは逃れるもののそこで果てる吉田稔麿の生き方を綴る。「呑龍」は沖田総司と会津藩士の青年、労咳を病む総司と同病の老婆との交流が描かれる。「春疾風」は祇園の芸子、君尾を巡る長州の高杉晋作、品川弥二郎、井上聞多らの物語、「徒花」は坂本龍馬の身辺警護の任に着いた岡本健三郎と止宿先の美貌の娘の恋物語である。最後の「光華」は薩摩の中村半次郎と煙管店の娘との結ばれぬ恋を描く。京都の人は京ことばを話し、江戸、会津、長州、土佐、薩摩から京に上った侍たちはそれぞれの奥に言葉を話す。それがこの短編集に魅力を添えている。

9月某日
社会保険出版社の高本哲史社長と戸田秀徳さんがHCM社に来社、勉強会の講師選定に協力を依頼される。その後、神田のベルギー料理店「シャン・ドゥ・ソレイユ」でフィスメックの小出建社長とセルフケアネットワークの高本真佐子代表と食事の約束があるというので合流することにする。料理とベルギービールを堪能。小出社長にご馳走になる。

9月某日
社会保険出版社の戸田さんと勉強会の講師の件で厚労省の横幕章人審議官を訪問。日程的にちょっと無理ということだった。折角なので雑談を少々。社会保険出版社に行って高本社長と現代社会保険から出版社に移った佐藤さんを交え相談。連休明けに私が知り合いに当たってみることにする。18時近くなったので高本社長に「飲みに行きましょう」と誘われる。出版社近くのイタリア料理店に行く。地ビールとワインを頂く。経営者もシェフも若い人がやっているらしいがしっかりした料理を出していた。高本社長にご馳走になり佐藤さんには新御茶ノ水駅まで送ってもらった。

9月某日
「孤独な夜のココア」(田辺聖子 新潮文庫 昭和58年10月)を図書館で借りて読む。文庫本の初版は昭和58年だが、一度改版されていて、この本の奥付は平成23年6月43刷となっている。解説は小説家の綿矢りさ。綿矢りさは1984(昭和59)年生まれなので、文庫本の改版時に解説者も変えたのだろう。綿矢は解説で「私は子どものころから田辺作品を読んでいて」と書いているが、田辺聖子は女流作家にも大変人気がある作家だ。フェミニストにも評価は高く、確か全集に上野千鶴子が執筆か対談をしているはず。田辺作品は女性の自立を声高に叫んだりはしないが、女性の登場人物の生き方がそれぞれオノレの足で立っているのである。田辺聖子の短編は随分と読んだ記憶があるのだが本書は未読。12編収められているが、いずれもテーマは恋愛だ。田辺の恋愛小説は必ずしもハッピーエンドでは終わらない。というか恋の成就が必ずしも幸福とは言えないことを示唆する作品もある。「愛の罐詰」という作品は、高校の図書館司書をしている遠田が国語教師のジャガイモこと越後先生に片思いする話である。遠田は学校事務の富永ミキに思いを告白するが、いつの間にかミキは越後先生に接近、二人は結婚する。何年か後、遠田は映画館で二人に再開する。先生は私に話しかけたそうであったがミキに前の席に「引き立てられていった」。遠田は「それをみるとどうも、あんまり幸福ではない、先生の結婚生活」を思ってしまう。「あの恋は、私の心の中では、愛の罐詰にされていた」のだ。
「ひなげしの家」は、「わたし」と叔母さん、叔母さんの連れ合いの叔父さんの物語である。二人は結婚していない。けれども深く愛し合っていることは「わたし」にもわかる。叔父さんは妻と子のいる家を出て叔母さんと暮らしているのである。「わたし」はしかし二人を見ていると「いい年をしていやらしいな」とも感じるのである。叔父さんにガンが発見され70日の入院で死ぬ。病室で叔母さんは「叔父さんにとりすがり、その頬をやさしく撫でて泣いていた」。叔父さんの妻と子供たちがかけつけたとき、叔母さんは「あの、あたしちょっと家へ帰ってきます。持ってくるものもありますし‥‥」と病室を出て行った。「いつまでたっても、叔母さんは帰らなかった。叔母さんはひなげしの家で、首を吊って死んでいた」。ラストがかっこいい。「遺書もなかった。叔母さんは、いさぎよかった。/ひなげしの家は、いまは人手に渡った」。叔父さんは売れない絵描きで叔母さんは小さなバーを経営していた。叔父さんの一族からすれば家族を放り出して水商売の人と一緒になってヒモ同然の暮らしを送っていた叔父さんは人生の落後者でしかない。しかし二人深く愛し合っていた。人生を測る尺度とは何かを、考えさせられる作品である。

モリちゃんの酒中日記 9月その2

9月某日
図書館で借りた「いやな感じ」(高見順 共和国 2019年6月)を読む。高見順は1907年生まれ1965年に58歳で没している。「いやな感じ」は雑誌「文学界」の1960年1月号から63年5月号まで連載された。今からおよそ60年前の作品ということになるが、全く古さを感じさせない。舞台は関東大震災後の東京、主人公はアナキストの青年、加柴四郎。四郎の様々な階層の人々との交流を通して軍国主義に傾斜していく戦前の日本の社会を描く、と通り一遍な紹介では、この魅力的な小説は語れない。様々な階層とはアナキスト仲間もいれば、仲間と通った淫売窟の女たち、下層社会にうごめくアウトローもいる。その人物造形がいずれも個性的なのだ。アナキズムとテロリズム、ニヒリズム、デカダン。さらに国家主義や大陸侵略、2.26事件までが小説の舞台となる。今年読んだ小説の中でも面白さでは抜群であった。

9月某日
図書館で借りた「まなざしの地獄-尽きなく生きることの社会学」(見田宗介 河出書房新社 2008年11月)を読む。図書館で永山則夫を検索したら、彼の著作以外にも彼を題材にした評論がいくつかヒットした。そのうちの一つである。2008年というと今から11年前の刊行だが初出はもっと前で雑誌「展望」の1973年5月号である。永山則夫と言っても今の人は知ることもないだろうが、今からほぼ50年前の1968年から翌年にかけて米軍宿舎から盗んだ拳銃でタクシー運転手など4人を殺害、1969年4月に逮捕された。私は同年9月に早大第2学生会館屋上で現住建造物放火、公務執行妨害、凶器準備集合、傷害その他の容疑で現行犯逮捕、10月には起訴のうえ池袋の東京拘置所に移送された。東京拘置所は現在、足立区の小菅に移され池袋の跡地には高層ビルのサンシャインシティが建っている。私は何か月か東京拘置所で永山と一緒だったことになる。と言っても池袋の東京拘置所でも確か1舎から5舎まで3階建ての建物が5つほどあり、永山則夫とは顔を合わせたことはない。拘置所は裁判が確定するまでの未決囚を収容する施設で、原則として未決囚同士の会話は禁じられていた。永山などの殺人犯やわれわれ学生は独居房に入れられ、私の隣の房には安田講堂で逮捕された学生がいて壁越しに話した記憶がある。
永山は1949年6月、北海道網走で生まれ、私は前年に同じ北海道の苫小牧に生を受けた。永山は小学生の時に青森市に転居、中学校卒業と同時に渋谷の西村フルーツパーラーに就職している。1965年である。私は64年4月に北海道室蘭市の高校に入学、67年3月に卒業、1年間の浪人を経て68年4月に早大に入学した。高校の同級生だった川崎君は現役で明治に入っていて京王線の明大前に下宿していた。川崎君と川崎君の友人と新宿で終電過ぎまで吞んで、タクシーを捕まえたら運転手から「タクシー運転手の強盗殺人事件が続いているので、若い人一人だったら絶対に乗せないね」と言われたことを記憶している。おそらく68年の暮れのことだろうと思う。私と永山の生は東京拘置所で、あるいは新宿で、もしかたしたら北海道で交錯しているのだ。
「まなざしの地獄」において永山則夫はN・Nと記述される。記号化することによって永山則夫の抱えた問題、永山が起こした事件、永山の環境、風景総体が永山個人に還元されてしまうことを避けたためと私は理解する。「〈上京〉はN・Nにとって、その存在を賭けた解放の投企であった」。何からの「解放」か? 見田によるとそれは「家郷」ということになる。しかもその家郷とは「共同体としての家郷の原像ではなく」「近代資本制の原理によって風化され解体させられた家郷」なのだ。家郷からの解放はまた家郷の「斥力」とも表現される。斥力とは私にとって初めてお目にかかる言葉だが、引力に対して「互いに遠ざけようとする力」のことらしい。なるほどN・Nと家郷の関係をあらわすのにふさわしい言葉ではある。N・Nら「家郷を後にする青少年」に対して旺盛な「引力」を働かせるのは都市、具体的には東京である。しかも都市の事業主が要求するのは抽象的な「青少年」ではなく具体的な「新鮮な労働力」である。「家郷からの解放」を望むN・Nら青少年と「新鮮な労働力」を期待する都市の事業主の間には明らかな落差が存在する。私はここで唐突にNHKの朝の連続ドラマを連想する。たとえば有村架純が主演した「ひよっこ」は茨城県の農村で生まれ育ったヒロイン、谷田部みね子が東京に出稼ぎに出ていた父の失踪をきっかけに集団就職で上京、仲間や雇い主に恵まれて東京にしっかりと根を下ろしていく話だ。みね子は茨城県の自作農の娘で、父が失踪してもなんとかやってこれた。しかしこれが貧農の娘だったらどうか?実家は借金を重ね、挙句の果てに娘は借金のかたにソープランドに売られたかもしれないのだ。まぁNHKだからそうなるわけはないのだが。東京にしっかりと根を下ろした無数のみね子の背後にはN・Nがいたことを忘れてはならない。
N・Nが罪を犯した50年前と現在はどう変わり、どう変わっていないのか?農村の解体は進み平均的な所得は上昇した。高校への進学率はほぼ100%となり、大学、専門学校への進学率も向上した。N・Nのように中卒で集団就職などということもなくなった。だが貧困層は確実に存在するし、経済的な格差は拡大しているという指摘もある。本書のいう「履歴書のいる職業」と「履歴書のいらない職業」の差別も存在する。「履歴書のいる職業」とは普通の仕事で「履歴書のいらない職業」とは売春、ヤクザなどの闇のお仕事である。何より京都アニメーションの事件や川崎市登戸駅での無差別殺人事件は記憶に新しい。そして児童虐待事件は確実に増加している。50年前より確実に状況は悪化していると言えるのではないか? 「家郷からの解放」は半面で「家郷の喪失」も意味している。ここで「新しい家郷の創造」を言うことは易しいのだが、それを可能にする条件とは何なんだろう。

9月某日
霞が関ビル35階の東海大学校友会館で「月見の会」。前日、安倍内閣の改造があり厚生労働大臣が交代したため、厚労省からの出席予定者が何人か来られなくなったが、それでも鳥居陽一さんが参加してくれた。今回から会費を1000円上げて9000円としたので何とか赤字は免れることができた。グッドバンカーの筑紫みずえ社長の紹介でSBI証券の加藤由紀子部長とキャピタル アセットマネジメントのフランクリン・クスマン部長が新しく参加、クスマンさんはジャカルタの高校を卒業後、1年間東京外大で日本語を学び、その後筑波大学で金融工学その他を学んだという。平成と同時に来日したというから滞日歴30年、ほぼ完璧な日本語を話し、メールでもやり取りしたが、文章もしっかりしていた。20時30分に会は予定通り終了、吉武民樹上智大学客員教授が「オレ何にも食べてない!」というので虎ノ門の「ハングリータイガー」へ。途中、ビルの谷間に満月を観ることができた。

モリちゃんの酒中日記 9月その1

9月某日
「日米地位協定―在日米軍と『同盟』の70年」(山本章子 中公新書 2019年5月)を読む。首都圏の我孫子という田舎に住み都心の千代田区、港区あたりをフラフラしているわが身にとっては日米安保条約などすでに遠い存在とはなっているし、ましてや日米地位協定となると、「そんな協定あったけ?」ということなのだが、本書が朝日新聞の書評で好意的に取り上げられているのを目にして我孫子市民図書館にリクエストした。本書を読んで一番感じたのは構成の巧みさ。副題に「在日米軍と『同盟』の70年」となっているように、終戦から戦後史をたどりながら安保条約と日米地位協定の在り様と問題点を提示している。
日本共産党が占領当初、占領軍を解放軍と規定したが、日本国民の多くは不安を抱きながらも米軍=占領軍に対して徐々に好意的な感情を抱くようになる。アメリカの物量に圧倒されて「ギブミーチョコレート」的な対米感情が支配的になってきたのではないか。日本国民の多くが日常的に米軍と顔を突き合わせていたわけではないしね。しかし本書によるとマッカーサーが上陸したその日に横須賀に上陸した米海兵隊員2人による36歳の母親と17歳の娘に対する強姦事件が起きている。占領軍による報道規制もあって占領下においてはこのような米兵の犯罪は隠蔽されたようだが、独立後は日本のマスコミも米軍による事件や事故を堂々と報道するようになる。
本書の「はじめに」では2004年の、訓練中の米軍ヘリが米海兵隊普天間基地に着陸しようとして隣接する沖縄国際大学に墜落した事故が紹介されている。米軍は直ちに道路も含めた事故現場一帯を封鎖、大学の教職員、事故を把握すべき自治体の責任者、現場検証や事故処理を担当する沖縄県警、外務省の担当者の誰もが1週間もの間、現場への立ち入りを禁止された。例外は米兵から注文を受けたピザ屋の配達員だけだった。訓練から事故対応までの米軍の行動はすべて日米地位協定にもとづいている。協定は、米軍が日本に駐留できるように①基地の使用②米軍の演習や行動範囲③経費負担④米軍関係者の身体の保護⑤税制・通関上の優遇措置⑥生活などの諸権利を保障するものとなっている。
本書は内容的にも面白く、新書としても水準を大きく超えたものになっていると思う。著者の山本章子は1979年、北海道生まれ。一橋大学に進学するが親の理解を得られず、学部から博士課程まで働きながら学生生活を送る。編集者として働いていたとき沖縄県公文書館に米政府資料が集積されていることを知り、そこに通い始める。年に2回は公文書館に通い続けたころ夫(野添文彬沖縄国際大学准教授)の沖縄赴任にともなって住まいも沖縄に移した。ふーん人間としても面白そうである。

9月某日
久しぶりに大谷源一さんと高齢者住宅財団の落合明美さんと食事することに。神田司町の上海台所をネットで予約する。ここは「2時間呑み放題食べ放題」コースのコストパフォーマンスが高いのが特徴。つい食べ過ぎ呑み過ぎになってしまうのが難点。それと大谷さんは香辛料アレルギーなので食べられないメニューが何点かあった。それでも割り勘!2時間を少しオーバーしたが満足のうちに終了。神田駅から帰る落合さん、大谷さんと別れ、私は千代田線の新御茶ノ水から我孫子へ帰る。

9月某日
佐藤雅美の「美女2万両強奪のからくり 縮尻鏡三郎」(文春文庫 2019年9月)の広告が新聞に出ていたので内幸町のプレスセンター1階にあるジュンク堂書店で早速購入する。読み始めた次の日の朝刊に佐藤雅美の訃報が掲載されていた。でも一段のベタ記事扱い。ファンの私としては少々不満である。それでウイキペディアを参考にしながら佐藤雅美の経歴をたどりたい。佐藤は1941(昭和16)年1月兵庫県生まれだから78歳で死んだことになる。早稲田大学法学部出身で企業に就職するも新人研修が馬鹿馬鹿しく3日で退職、1968(昭和43)年に「ヤングレディ」にフリーライターとして採用されるが、3カ月で退社。「週刊ポスト」「週刊サンケイ」の記者を経て小説家となる。処女作の「大君の通貨」は幕末の通貨戦争を描いた傑作。長い間鎖国を続けていた日本と欧米では金貨と銀貨の交換比率が異なっていた。日本は欧米よりも銀の価値が高かったことに着目した欧米の貿易商は、当時流通していたメキシコ銀貨で日本の小判を買い漁った。相当量の小判が国外に流出した筈である。歴史を丁寧に掘り返すという作法は、処女作以降の佐藤の作品にも受け継がれる。私は未読だが1984(昭和59)年に「恵比寿屋喜兵衛手控え」で直木賞を受賞している。シリーズものが得意で、物書同心居眠り紋蔵シリーズ、八州廻り桑山十兵衛シリーズ、医者崩れの啓順シリーズ、その続編ともいうべき町医北村宗哲シリーズ、半次捕り物控えシリーズそれに今読んでいる縮尻鏡三郎シリーズである。佐藤は静岡県伊東市に住んでいたとウイキペディアに載っていたが、私の想像では作家同士の付き合いも少なかったのではと思う。これだけ歴史考証がしっかりしたものを書くには資料調べに相当時間を掛けたはずだ。酒を呑む時間も惜しかったのでは。佐藤雅美先生の冥福を祈ります。

9月某日
「美女2万両強奪のからくり」は縮尻鏡三郎シリーズでシリーズ5作目。舞台は天保4年の江戸。この年は飢饉のため百文で1升1合買えた米が5、6合しか買えなくなった。こういうときに備えて幕府は寛政4年向柳原に町会所という民営の救恤機関を設けさせた。天保4年の米の価格や当時の救恤機関について調べ上げたうえで、佐藤は小説を執筆している。こういう時代小説作家を私は知らない。鏡三郎は捕縛したものを取り調べる仮牢兼調所「大番屋」の元締めを勤めている。ただ今回は鏡三郎の出番はそれほど多くはない。もっぱら足と頭を使って捜査と推理に活躍するのが江戸北町奉行所の同心、梶川三郎兵衛である。町会所には米だけでなく金も備蓄されている。町会所から2万両という大金が強奪されたのが事件の発端。今回も楽しませてもらいました。

9月某日
「ラーメンと愛国」(速水健朗 講談社現代新書 2011年11月)を読む。我孫子市民図書館の「衣食住」のコーナーにひっそりと埋もれていた。手にとってパラパラと内容を辿るとどうも歴史的に社会学的にラーメンを論じているらしい。早速借りて家に帰って読むとこれが実に面白い。まず「まえがき」から本書が書かれた目的を紹介しよう。著者の速水は「戦後の日本の社会の変化を捉えるに、ラーメンほどふさわしい材料はない」とし、さらに著者のラーメンへの興味はグローバリゼーションとナショナリズムの2つに集約されると述べる。たかがラーメンにグローバリゼーションとナショナリズムを持ってくる一種の強引さに魅かれるが、これは著者によると次のようなことである。幕末の開国後の日本に、つまりグローバリゼーションのとば口にあった明治時代に中国から伝わったラーメンは日本で独自の進化を遂げ国民食と呼ばれるようになった。これを著者は「かつての稲作技術、火縄銃、近代化以降は自動車や半導体、文化産業ではアニメやゲーム、和製ヒップホップやジャパレゲなんかもそうだ」とし「こうしたケースの中に、ラーメンも加えることができる」という。つまり外来の技術や文化を巧みに日本化してきた、この国の歴史の中にラーメンを位置づけているのである。速水健朗という著者の本を読むのは初めてだが、なかなかの力量である。

モリちゃんの酒中日記 8月その4

8月某日
大木毅という人の書いた「独ソ戦-絶滅戦争の惨禍」(岩波新書 2019年7月)を読む。これがなかなか面白かった。独ソ戦とは1941年6月から45年5月まで4年にわたって戦われたドイツとソ連との文字通りの死闘のことである。著者の大木は膨大な資料を読みこなしてその実情に迫る。巻末の「文献解題」に参照、引用した資料が紹介されているが、邦訳されているものだけでなく、英語、ドイツ語、ロシア語の文献にまで及んでいる。独ソ戦は戦いの当初こそドイツ軍がその機動力にものを言わせてソ連軍を圧倒するが、やがてソ連軍の物量と極めて戦略的な作戦そして「大祖国防衛戦争」というイデオロギーによる国民総動員によってドイツ軍を追い詰めていく。そこらへんの描写がたいへん巧みで読者を飽きさせない。
本書によると1937年から38年のスターリンの大粛清によりソ連軍の34301名の将校が逮捕、もしくは追放され、そのうち22705名は銃殺されるか行方不明になっている。このため一時期、ソ連軍は弱体化していたともみられるが、それを補ったひとつがソ連軍の「用兵思想」である。この思想を完成させたのがトゥハチェフスキー元帥で、彼は「現代の戦争は規模と激烈さにおいて第1次世界大戦を上回る消耗戦になると解釈し、それに勝利するためには、無停止の連続攻勢を行い、戦略的な広域レベルで突破が必要不可欠であると考えた」。そのためには空軍、戦車、機械化部隊、空挺部隊といった新しい時代の軍備が必要と説いたという。彼の思想を概念化・言語化したのが1936年の「赤軍野戦教令」で大木によるとまず、戦争目的を定め、国家のリソースを戦略化するのが「戦略」で、作戦術はその目的を達成すべく、戦線各方面に「作戦」を、相互に連関するように配するということになる。
なるほどねー。1939年の満蒙国境のノモンハン事件で日本陸軍がソ連軍にかなわなかったのもうなづけるものがある。
著者の大木毅(たけし)という人は巻末の著者紹介によると1969年生まれ。立教大学大学院後期課程単位取得退学(専門はドイツ現代史、国際政治史)。千葉大学ほかの非常勤講師、防衛省防衛研究所講師、陸上自衛隊幹部学校講師などを経て、現在著述業となっている。ウィキペディアで大木毅を検索すると赤城毅(つよし)が出てきて「日本の小説家、軍事史研究者、翻訳家、本名は大木毅」とあった。帝都探偵物語、ノルマルク戦史などの小説も書いているそうだ。文章に迫力が感じられるもんなぁ。

8月某日
上野駅の公園口でフリーライターの香川さんと待ち合わせて西洋美術館に「松方コレクション展」を観に行く。もともと西洋美術館の収蔵美術品は松方コレクションがもとになっている。ロダンの「考える人」や「地獄門」が名高い。松方という人は名門の家に生まれ若くして造船会社を興し、第1次世界大戦で巨万の富を得、それを元手にヨーロッパで多数の美術品を購入した。クロード・モネの「睡蓮」はじめ名画をたくさん鑑賞できたが、どうも蒐集にあまり一貫性が感じられず私など素人にはちょいとつらかった。見終わって御徒町まで歩き、「吉池食堂」で食事。

8月某日
「茗荷谷の猫」(木内昇 平凡社 2008年9月)を読む。木内昇は「きうち・のぼり」と読んで女性である。日経新聞に「万波を翔ける」という幕末を舞台にした小説を何年か前に連載していたが、しっかりとした時代考証とストーリーの展開が面白く愛読していた。「茗荷谷の猫」は9編の短編が収められているが、9つの短編が幕末から昭和にかけての江戸・東京を舞台にしていて、各短編が舞台=住居を軸に連関しているという凝った構成になっている。うーん、「凝った構成」という自覚がなく読み始めたものだから最初は「何が面白いのか?」と思ったが、読み進むうちに「これは!」と感動に代わっていく。木内昇は1969年生まれだから今年50歳、これからが楽しみな作家である。

8月某日
橋本治の遺作となった「黄金夜界」(中央公論新社 2019年7月)を読む。尾崎紅葉の「金色夜叉」の現代版で主人公名前の間寛一はそのままだが、ヒロインの宮は同音の美弥に改められている。さすがにヒロインが宮では古すぎる。両親が亡くなった寛一は、父親同士が親友だった美弥の家に引き取られる。美弥の父、鴫沢隆三は高輪で老舗のレストランを経営しているがバブルがはじけて以来客足は減ってきている。東大に進学した寛一と美弥は愛し合うようになり、鴫沢はレストランの後継者に寛一を据えようと思う。そこに登場するのがIT経営者の富山で、美弥の美貌に心を奪われた富山は美弥に求婚する。「金色夜叉」での富山の職業は高利貸しだが、現代版ではIT長者なのだ。美弥は富山の求婚に応じるがその時点で、寛一は愛と同時に居場所さえも失う。寛一は川口に本店のある居酒屋チェーン店に就職し、「東大中退」のイケメン店長として居酒屋チェーンの拡大に貢献する。桐野夏生の小説を「現代のプロレタリア文学」と評したのは政治思想家の白井聡だが、私は「黄金夜界」にも現代のプロレタリア文学を感じた。寛一を引き取った鴫沢家は高輪でレストランを経営するプチブルジョアジーである。そこに居場所を失った寛一は「失うべきものを持たない」プロレタリアートに転落する。一方の美弥はIT長者と結婚、新興ブルジョアジーの仲間入りを果たす。現代の富と貧困を描いて橋本の筆は冴えまくる。橋本は確か私と同じ昭和23年生まれ、今年5月に亡くなった文芸評論家の加藤典洋も同年。昨年亡くなった竹下隆夫さんも昭和23年生まれで70歳だった。

8月某日
医療介護福祉政策研究フォーラムの中村秀一理事長と単行本の打ち合わせ。終った後晩ごはんをご馳走してくれるというので、蕎麦を希望。近くの「砂場」に連れて行ってもらう。中村さんは夏休みに奥さんとオーストリアに行ったそうだ。人口は890万人ほどで日本の10分の1以下だが、かつてはヨーロッパの強国でナポレオン失脚後のヨーロッパの新秩序を議題に「ウィーン会議」が開かれたのは首都のウィーン。経済学のハイエク等のウィーン学派、精神分析ではフロイトなどが、音楽ではハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン等をウィーン楽派と呼ぶらしい。映画「サウンドオブミュージック」はナチスドイツに併合されたオーストリアからスイス経由でアメリカへ逃れる音楽家一家の話だった(多分?)。

8月某日
(社福)にんじんの会の石川はるえ理事長に荻窪でご馳走になることに。吉武民樹さんに「石川さんにご馳走になる」と言ったら「俺も行く」と。荻窪駅前の「源氏」というお店で待ち合わせ。カツオのタタキや刺身の盛り合わせを肴に日本酒を頂く。美味しい日本酒を何種類か頼んだのだが銘柄名を忘れてしまった。楽しく呑めればそれでいいのだが、折角だから銘柄名くらいメモしなさいよ。

8月某日
「資本主義と民主主義の終焉-平成の政治と経済を読み解く」(水野和夫・山口二郎 祥伝社 2019年5月)を読む。2人とも現在は法政大学法学部教授で水野は民主党政権下で内閣府の審議官を務めたし、山口は旧民主党のブレーンにして応援団。したがってアベノミクスには極めて批判的。安倍首相がアベノミクスの成果として失業率の低下と有効求人倍率の上昇を挙げるのに対して水野は、「単純計算ですが、各学年で200万人もいる団塊の人たちが引退して、120万人しかいない新卒者が就職するのですから、どう考えたって有効求人倍率は上がっていきます」とバッサリ。消費税についても水野は増税の先送りはナンセンスとしつつも「消費税で財政赤字の全部を埋めるというのは、実に安直」「消費税は若年層にも所得の少ない人にも税率は一律ですから、消費税を上げるなら、高額所得者への累進課税と同時に行わなければ、不公平感は募るでしょう」と言う。山口は平成という時代を総括して「理想が終わった時代」「戦後が終わった時代」「発展が終わった時代」の3つの側面を挙げる。平成のスタートした年はベルリンの壁が崩壊した年で、明るい希望を持たせたのだが、湾岸戦争やユーゴ紛争など地域紛争が続発、国内政治では政治改革や民主党政権が登場したものの結局は元の木阿弥、前よりも悪くなったと見る。「戦後が終わった」では野中広務らの戦争経験者の政界引退により、自民党の歴史修正主義に対する歯止めが利かなくなったとする。「発展が終わった」では経済の衰退に「呼応するかのように、自民党だけでなく、社会全体にみずからを慰めるようなナショナリズムが頭をもたげてきました」と述べる。2人の話はなるほどと思わざるを得ないではないか。

モリちゃんの酒中日記 8月その3

8月某日
図書館で借りた絲山秋子の「絲的ココロエ―『気の持ちよう』では治せない」(日本評論社 2019年3月)を読む。知らなかったけれど、絲山秋子って双極性障害(躁うつ病のことを最近はこう呼ぶらしい)だったんだ。自殺未遂の経験も5カ月間の入院生活を送ったことも初めて知った。30代前半にはじめの発病をしたというから双極性障害は20年に及ぶわけだ。私も30代後半から50代前半にかけて何度かうつ病に苦しめられた。「苦しめられた」と書くと一方的に被害者のようだが、この本を読んで「あぁ、家族や同僚、友人に迷惑をかけていたんだ」と思った。文中にリーマスや炭酸リチウムといった薬の名前が出てくるが、私も同じような名前のくすりを服薬した記憶がある。私が最後に発病したのが40代半ばだと思うが、確か湯島の心療内科の女医さんに診てもらった。処方された薬も全く効かず、私の奥さんがネットで赤坂クリニックを見つけ、そこを受診することにした。そこで処方された薬を2~3週間飲んだら「霧が晴れるように」気分が良くなったことを記憶している。それでも5年くらい赤坂クリニックに通ったのかもしれない。佐々木先生という東大の精神科の医者が主治医だったが、毎回、「お酒の飲み過ぎはダメですよ」と注意されたことを思い出す。後半は仕事の息抜きに受診していたかも。赤坂クリニックには自然と足が遠のいてしまったが、その後全く「うつ」の症状は現れない。ということを懐かしく思い出させてくれた「絲的ココロエ」であった。

8月某日
我孫子市民図書館にはお世話になりっ放し。何しろわが家から徒歩5分という立地条件!さらに冷暖房完備!涼みに図書館を利用するという手もありなのだ。さらに「リサイクル本」といって図書館は「不要」と判断した本は図書館の入り口付近の棚に置かれ、必要な人が持って行っていいことになっているのだ。先日、涼みがてら市民図書館に行ったら井上荒野の「切羽へ」(新潮社 2008年5月)がリサイクル本になっていたのでありがたく頂戴することに。帯に「直木賞受賞」と大きな活字で印刷され、さらに「「切羽」とはそれ以上先へは進めない場所。宿命の出会いに揺れる女と男を、緻密な筆に描ききった哀感あふれる恋愛小説」というコピーが。「切羽」は「きりは」と読むがネットで調べると「坑道の先端」の意味という。井上荒野の父親は小説家の井上光晴で彼は確か炭鉱夫の経験があるから、こんなところに父親の影響が出ているのかもしれない。「切羽」また「せっぱ」という読み方もできる。こちらもネットで調べると「日本刀の鍔(つば)の両面に添える薄い楕円形の金物のことで、これが詰まると刀が抜けなくなる」と解説、さらに「これが詰まると刀が抜けなくなる。窮地に追い詰められた時に切羽が詰まると、逃げることも刀を抜くことも出来なる」として「切羽詰まる」の意味を「為す術が無くなる意味となった」と説明している。ところで小説の「切羽」は南の離島の児童数9人の小学校の養護教員の「私」が主人公。長崎弁に似た方言を使っているので五島列島当たりが舞台か。画家の夫、小学校の同僚の「月江」、「月江」の不倫相手の「本土さん」(本土に住んでいるから島の人から本土さんと呼ばれている)、さらに新任の音楽教師などが織りなす濃厚で、それでいてどこか牧歌的(南方的?)な人間関係が読みどころである。

8月某日 
毎年、終戦記念日前後には70数年前の太平洋戦争を巡るドキュメントがテレビで放映される。今年はインパール作戦を描いたNHKBSテレビのドキュメントが良かった。90歳を超える当時の兵隊さんが口ごもりながら戦争の悲惨さを訴えていたのが印象的であった。現場で指揮した第31師団長の佐藤幸徳中将は、現状を正確に認識して、「作戦継続は困難」と判断してたびたび進言するが、第15軍の牟田口廉也中将に拒絶される。佐藤中将は日記に大本営、参謀本部、南方方面軍、第15軍を一括して「馬鹿の四乗」と記している。私はここに戦場のなかにあっても冷静さを失わない佐藤中将のユーモアを感じるのだけれど。それとBS日本テレビでは「ラストエンペラー」を放映していた。1987年公開だから今から30年以上前である。どうりで満映理事長の甘粕を演じた坂本龍一の若いこと。この映画は清朝最後の皇帝にして満州国の最初で最後の皇帝となった愛新覚羅溥儀の誕生から文化大革命さなかの死までが描かれる。溥儀は日本の敗戦とともに中国共産党軍に身柄を拘束され思想改造を命じられる。溥儀と刑務所長の友情も後半の主要なテーマになっていて、文革のデモの渦中に糾弾される刑務所長に駆け寄り「この人はいい人なんです!」と叫ぶ溥儀が描かれる。「お前は誰だ!」とデモ隊のリーダーに問われ、「ガードナー(庭師)」と答える溥儀がいい。

8月某日
半藤一利の「『昭和天皇実録』にみる開戦と終戦」(岩波ブックレット 2015年8月)を読む。半藤は文藝春秋や週刊文春の編集長を務め、文芸春秋社の専務で退社、「歴史探偵」を名乗り日本の近現代史に関する著作が多い。歴史的事実に立脚しつつ文献のみでは分からない登場人物の心理を読み取るのが巧みである、と私は思っている。純粋な歴史学とは距離をおきつつ歴史ドキュメントを志向していると言ってよいのではないか。ただ東大の加藤陽子との共著もあり、半藤の学識や直感には加藤教授も一目置いているのである。本書は「昭和天皇実録」から開戦時と終戦時の昭和天皇とその周辺の言動を明らかにしつつ、開戦と終戦はどのような過程を経て決断されたかをたどったものである。戦前の天皇は絶対的な権力を握っていたように思われるが実態は違っていた。昭和天皇は戦後になって「国務各大臣の責任の範囲内には、天皇はその意思によって勝手に容喙し干渉し、これを掣肘することは許されない」と語っている。だから御前会議においても天皇は原則として発言しない。ポツダム宣言の受諾を決めた御前会議は例外であった。「実録」では天皇は「防備並びに兵器の不足の現状に鑑みれば、機械力を誇る米英軍に対する勝利の見込みはないことを挙げられる。ついで、股肱の軍人から武器を取り上げ、臣下を戦争責任者として引き渡すことは忍びなきも、大局上三国干渉時の明治天皇の御決断の例に倣い、人民を破局より救い、世界人類の幸福のために外務大臣案にてポツダム宣言を受諾することを決心した旨を仰せになる」と記されている。天皇以外の御前会議のメンバーには終戦の決断は出来なかったのである。

8月某日
夏休みを1週間取ったので久しぶりに西新橋のHCM社に出社。午後、大谷源一さんが来社。今日10時に全国社会福祉協議会の古都賢一副会長を一緒に訪問することになっていたのをすっかり忘れていました。「月見の会」の案内を全然、出していないので近所を一緒に回ることにする。先ずHCM社から徒歩数分の長寿社会開発センターへ。理事長の高井康行さんが打合せ中だったので大谷さんと旧知の薬師寺部長に案内の紙を渡す。次いで御成門のシルバーサービス振興会に久留善武さん、住宅保証機構に小川冨由さんを訪ねるが、いずれも外出中。芝公園の基金連合会の足利聖治さんにメールすると「どうぞお出で下さい」と返信があったので大谷さんと伺う。30分ほど話しをしていたら5時近くなったので帰ることにする。浜松町からJRで神田へ。「鳥千」に寄る。