モリちゃんの酒中日記 5月その3

5月某日
年友企画の石津さんとJR御徒町駅の改札で待ち合わせ。アルバイトをしている青海社のある根津から地下鉄千代田線で一駅の湯島へ。湯島から歩いて5~6分で御徒町だ。待つこと5分で改札から石津さんが顔を出す。編集の酒井さんも一緒だ。当初は吉池食堂に行くつもりだったが御徒町駅から少し秋葉原よりに寄った居酒屋のアンちゃんの呼び込みに誘われて「御徒町こがね屋」へ。ビールの後私は日本酒。石津さんはずっとビール、酒井さんはウーロン茶。若干飲み足りなかったので近くの韓国居酒屋「名家」へ。マッコリを呑む。酒井さんは茨城へ出張したそうでお土産に日本酒を頂く。

5月某日
図書館で借りた山本周五郎の「安政三天狗」(河出文庫 2018年10月)を読む。巻末の解説(末国善己)によると初出は雑誌「新少年」の1939年1~8月号である。1939年は昭和14年、日中戦争が泥沼化し出した時期であろう。少年向けに優しく書かれているが、ときは幕末、主人公は鵜殿甲太郎という長州藩の青年。師の吉田松陰の密命を帯び、江戸から磐城の平、仙台、天童を経て陸奥に向かう。一種のロードノベルだが、そこに仇討や宝探しのエピソードなどを盛り沢山に織り込んでいる。解説では「時局にささやかな抵抗を示した」とされるが、鵜殿はあくまでも勤王の志士であり、攘夷の気概を持つ青年剣士として描かれている。私にはむしろ時局に迎合していると読めたのだが。当時は小説家に限らず知識人の多くは時局に迎合した。それが普通だったことを認めたほうがいいと思う。

5月某日
昨年(2018年)の7月にオウム真理教の教祖、麻原彰晃と教団幹部の死刑囚13人の処刑が行われた。平成から令和への改元や天皇の退位と新天皇の即位に目を奪われて、大量処刑の事実も忘れ去られようとしているようだ。というか私自身、「ああそういえばそんなこともあったなぁ」という感じなのだ。この本を読むまでは。図書館で思想、宗教関連の本棚を眺めていたら「オウムと死刑」(河出書房新社 2018年11月)が目についた。青木理、田口ランディ、森達也、片山杜秀ら14人が執筆したりインタビューに答えたりしている。いずれも麻原彰晃以外の死刑囚は麻原のマインドコントロールによって殺人などの罪を犯したもので、事件の真相解明がなされていない時点での処刑には反対との論調だ。私もそう思う。「平成に起きた事件は平成のうちに処理を終えたい」というのは論外。改元と犯罪は本来無関係の筈。

5月某日
社会福祉法人サン・ビジョンは愛知県や長野県で老人福祉施設を展開している一方で長野県塩尻市ではサン・サンワイナリーというワインの醸造所を運営している。サン・ビジョンの理事長をやっている堤修三さんから銀座・三越の地下3階の食品売り場で試飲即売会をやるので吉武君と来てよと誘われる。有楽町から三越に向かうと、三越の入口に堤さんが待っていた。お酒の売り場に行くとサン・サンワイナリーの武藤さんがワインの説明をしながら試飲をさせてくれた。上智大学の吉武さんの同僚、栃本一三郎さん、遅れて吉武民樹さんが来る。栃本さんも吉武さんもワインを買っていたが、私は後日買いに来ることにする。三越から歩いて交通会館地下の「よかよか」へ。先日、高橋ハムさんにご馳走になった店だ。日本酒の4合瓶を石巻の「日高見」から始まって4人で4本呑む。1人1本である。お酒にうるさい栃本先生も満足したようだ。我孫子へ帰って久しぶりに「愛花」に寄る。

5月某日
村田喜代子の「飛族(ひぞく)」(文藝春秋 2019年3月)を読む。九州の南の島、もしかしたら奄美諸島か琉球諸島か。養生島という島が小説の舞台だ。かつて漁業で栄えたこの島に住むのは老女が二人。イオさん92歳、ソメ子さん88歳。イオさんの娘のウミ子は大分の山奥に嫁ぎ川魚料理屋をやっているがイオさんを大分に引き取ろうと養生島にやってくる。娘と言ってもウミ子も65歳だ。3人の老女と、ときどき島にやってくる役場の鴫君がこの小説の主な登場人物である。島での日常が淡々と描かれるが、こんな老後も悪くはないな、と思わせる小説である。裏表紙に村田喜代子の略歴が載っている、村田は1945年生まれ、今年74歳。主な著作も列記されているが、わたしは「龍飛御天歌」「ゆうじょこう」「八幡炎炎記」「エリザベスの友達」を読んだことがある。いずれもなかなかに面白かった。

5月某日
西葛西にある東京福祉専門学校に白井孝子先生を訪問。この学校は地域の高齢者や子どもたちに学校のスペースを提供、居場所づくりに貢献している。私も利用者と勘違いされアイスコーヒーとお菓子が出される。ありがたくいただいていると待ち合わせていた大谷源一さんが登場、ふたりで白井先生に面談。大谷さんと西葛西の駅前で呑もうかと思ったが、大谷さんが武蔵野線で帰ってもいいというので、西葛西から東西線で西船橋へ。西船橋から武蔵野線で新松戸。新松戸駅前の赤提灯「ぐい呑み」へ。ここは林弘幸さんと何度か来た店。美味しいお刺身を肴に日本酒を呑む。新松戸から大谷さんは川口へ。私は我孫子へ。我孫子で久しぶりにバーに寄ってジントニックとウォッカトニックを頂く。いささか呑み過ぎ。

モリちゃんの酒中日記 5月その2

5月某日
「おもかげ」(浅田次郎 毎日新聞出版 2017年12月)を読む。長年勤めた商社を退職した竹脇は、後輩が開いてくれた慰労会の帰途、地下鉄丸ノ内線の車内で倒れ近くの病院に救急搬送される。竹脇を見舞いに来る同期入社で現社長の堀田、幼馴染のトオル、集中治療室の隣のベッドのカッちゃんなど通して竹脇の半生が明らかにされる。竹脇は1951年生まれだから作者の浅田と同年である。竹脇は孤児として施設で育つ。その仲間がトオルで、竹脇の一人娘の夫はトオルが社長を務める土建屋の少年院帰りの若い衆である。竹脇は新聞販売店に住み込みで働き、難関の国立大学に入学、商社に入りニューヨークや中国駐在員を務める。社長にはなれなかったが定年時は関連会社の役員だったから、商社員としてはまぁまぁの出世である。孤児から一流商社員とならば「まぁまぁ」どころか「たいした」出世かもしれない。私からすれば浅田の現代を舞台にした小説は現代の「おとぎ話」である。だがそのおとぎ話には浅田の様々な体験が埋め込まれている。浅田の実人生は親の事業失敗で一家離散も経験している。その後、一家は再び一緒になることはなかったという。孤児の孤独や世間の温かさと冷たさを描くとき、浅田の実人生が反映されていない筈がない、と私は思う。

5月某日
10連休が終わって7日の火曜日である。世間は仕事にスイッチが入ったが私はまだ。厚労省OBの高根和子さんに誘われてゴルフ。ゴルフ場は成田のPGM総成ゴルフクラブ、7時に我が家まで社保庁OBの中西さんに迎えに来てもらう。我孫子からゴルフ場まで車でほぼ1時間。上りは連休明けということもあって結構混んでいたが、下りはスムーズに行けた。少し遅れて高根さんと末次さんが到着。総成ゴルフクラブは植栽や樹木の手入れも行き届いてきれいなコースだ。天気も曇天だが暑くも寒くもなくちょうど良し。スコアは数えないことにしています。料金は「セルフ昼食付パック」8449円。割安感強し。ゴルフは行く前は多少億劫に感じるのだが、実際にやってみるとスコアは別にして「やってよかった」となるのが最近の傾向。今回も高根さんに「誘ってくれてありがとう」だ。

5月某日
大学時代の同級生、岡君、雨宮君、内海君それと同じクラスではなかったが女子の関さんと早稲田の「志乃ぶ」で会食。「志乃ぶ」は4月に「早大闘争を振り返る会」の2次会で行った店で私が予約しておいた。根津駅前から都バスに乗って本駒込、千石、護国寺経由で早稲田へ。店に着くと全員が揃っていた。内海君はイタリヤで現地の自動車関連企業のアドバイサーをやっており、里帰り中。昔からコスモポリタン的な雰囲気のある男だったが、そこらへんは50年たっても変わらない。早稲田から都電で町屋へ、町屋から千代田線で我孫子へ。

5月某日
机を借りているHCM社の大橋社長と新橋烏森神社すぐのちょいと洒落た居酒屋へ。最近の小洒落た居酒屋の特徴は店主ならびに店員が若くて愛想がいいこと、料理にも工夫がされていることではなかろうか。この店も突き出し、料理が美味しかったが何を食べたか忘れてしまった。お店の名前も覚えていない。大橋社長にすっかりご馳走になってしまったが、店名を忘れては申し訳ないじゃないか!喝!ですね。我孫子へ帰って「愛花」に寄る。

5月某日
「インサイド 財務省」(読売新聞経済部 中央公論新社 2019年3月)を読む。旧大蔵省は役所の中の役所と呼ばれ、他の省庁とは別格の存在だった。その力の源泉は各省庁から出せる予算要求を査定し、政府予算案として国会に提出する権限を事実上握っていたからであろう。しかし安倍政権になってその力は幾分、陰ってきたように思われる。財政再建という至上命題から予算のバラマキは許されなくなっている。各省庁の予算は社会保障関係を除くとこの10年ほどほとんど伸びていない。各省庁の新規事業の概算要求を査定するという旧大蔵省主計官の存在意義はだいぶ薄れてきたのではないだろうか。それに加えて森友学園に関わる文書の改ざん問題、さらには福田元次官によるセクハラ疑惑も財務省の威信低下に拍車をかけている。「あとがき」を読売新聞東京本社の矢田俊彦経済部長が書いている。矢田の亡父はNHKの経済部長を務めた人で、亡父の遺稿を「あとがき」で紹介している。「国民の信頼を得るためには、たとえ困難であっても、国民に真意を理解させることが不可欠なのだ。官僚はこの作業を怠ってはならない」「官僚の道を選んだのは、権力欲のためではないはずだ。日本という国をよりよい国にしたい、日本国民に幸福になってもらいたい。そのために、己の能力を国家官僚として十分に発揮したい。そう考えてのことであろう。その官僚としての初心を貫いて欲しい」。

5月某日
ネオユニットの土方さんがHCM社に来社、HCM社の大橋社長と3人で「胃ろう・吸引シミュレーター」の販売について話す。私としてはこの商品はまだまだ「商品力」があると思っているのだが、そのためにも「ひと工夫」が必要ではないか、というのが土方さんの意見。その通りと思う。終って新橋の青森料理のお店「おんじき」へ。6時前から9時過ぎまで3人で呑む。大橋社長と土方さんにすっかりご馳走になる。

5月某日
「風花」(川上弘美 集英社文庫 20011年4月)を読む。主人公の「のゆり」は夫の卓哉との2人暮らし。卓哉の浮気が発覚、2人の関係は微妙に。そのさなか卓哉の転勤で2人は関西へ。のゆりは医療事務の資格をとり歯科医院でアルバイトし自活の道を探り、卓哉とは別居する。恋愛小説なんだろうけれど川上弘美の小説らしくストーリーは淡々と流れる。「淡々」「あっさり」が川上の魅力と私は思う。これは川上の理科系(お茶の水女子大学理学部卒、確か高校で教師をしていた)という出身から来ているのかも。

モリちゃんの酒中日記 5月その1

5月某日
「遊動論-柳田国男と山人」(柄谷行人 文春新書 2014年1月)を読む。柄谷の本は「世界史の実験」「憲法の無意識」に続いて3冊連続。世間は平成から令和への代替わりで大騒ぎだが、柄谷の本には天皇制の基層に触れるものが少なくない。本書も直接的に天皇制を論じたものではないが、柳田の論稿を通して日本人の起源や定住民、遊牧民について述べており、私はテレビで上皇や天皇の姿を見るにつけ、彼らの先祖たる大陸の遊牧民に想いを馳せたくなる。そもそも日本人の祖先にはいくつかのルーツが考えられる。南太平洋、中部太平洋の島々からフィリピンあるいは台湾を経由して沖縄、日本に至るコース、北方騎馬民族が中国大陸、朝鮮半島を経由して日本に上陸したケース、中国大陸南部、現在の福建省あたりから日本にたどり着いた人々などである。シベリヤやベーリング海峡あたりから千島列島経由で南下したのが現在のアイヌ民族の先祖であろうと思われる。天皇家の先祖は北方騎馬民族らしいが、その末裔たちが3世紀に大和地方の有力豪族として政治連合を形成し、大和王権が成立した。その政治連合のトップが天皇家の先祖なんだろう。先祖は北方騎馬民族だから遊牧民なんだが、宮中祭祀は完全に定住民の農業、とくに稲作を意識したものとなっている。毎年秋の新嘗祭は五穀豊穣を神に感謝するもので、これと同じようなものが村の鎮守様の秋祭りであり、天皇の代替わりに際して執り行われるのが大嘗祭だ。日本の保守派は天皇の男系男子に固執しているが、日本はもともと男系でも女系でもなく双系制だったことからすると、男系男子の根拠は曖昧となってくる。柄谷によると双系制は出自・血縁よりも「家」、言い換えれば「人」よりも法人を優位に置く考えだという。「天皇家」を一種の法人と考えれば、この考えもうなづける。
「あとがき」によると、そもそも柄谷と柳田のかかわりは40年前に遡り、その頃柄谷は雑誌に「柳田国男論」を連載していたという。単行本にもせずにいたが、東日本大震災をきっかけに柳田のことを再び考えるようになったという。柳田によると、日本では、人が死んだら魂は裏山の上空に昇って、祖霊(氏神)となって子孫を見守ることになっている。柳田は終戦目前に書いた「先祖の話」で「外地で戦死した若者らの霊をどうするのか」という問いを発している。柳田は若い戦死者に養子をとり戦死者を「初祖」とする「家」を創始することを主張している。柳田にとって死者の帰るべき場所は国家、及び国家の主宰する靖国神社などではなく死者の生まれ育った村の裏山と社なのであった。柳田には国家を超える思想があったし、侵略戦争には否定的であった。天皇の代替わりに天皇制を考えるうえで柳田の思想は有効かもしれない。

5月某日
「エリザベスの友達」(村田喜代子 新潮社 2018年10月)を読む。村田の小説は、結構深刻な問題を違った視点でとらえることによって人間存在を肯定的に捉えるという特徴がある。とこう書いてしまうと優れた小説ってみんなそういう感じがあるのかもしれない。村田の「ゆうじょこう」は遊郭に売られた少女の話だけれど、ことの本質は貧困にあり、売春などは告発されるべきことなのだが、村田はそこにはあえて踏み込まない。田舎の貧しく無知な少女が遊女になることで美しく成長していく姿を描く。さて「エリザベスの友達」のテーマは認知症である。千里の母親の初音は97歳、有料老人ホーム「ひかりの里」で暮らす。初音は戦前の天津租界の裕福な日本人に嫁ぎ、当時の内地では考えられないようなハイカラな生活を送る。租界の若奥さんたちは互いをエヴァ、ヴィヴィアン、サラ、キャシーなどと呼び合っていたほどである。初音はホームの裏口の戸を開けて外へ出て行こうとする。所謂徘徊である。しかし著者の村田及び千里はそうは受け取らない。初音は意識の上では20代、裏口の戸を開けて天津租界に帰ろうとしているのだ。ホームの大橋看護師は認知症の人の言動を否定しない。入居者が幻覚の蛇に怯えれば「あらほんと。あたくしにまかせて」と追い払う。「そんなもの、いないと言ってはいけないのよ。目に見えてるものはいるのよ」という大橋看護師の言葉は認知症介護の本質を突いている。ホームにおける音楽、歌が認知症の進行を緩和させることも描いており、このフィクションがかなりの取材に基づいていることを伺わせる。

5月某日
「ナポリの物語3 逃れる者と留まる者」(エレナ・フェッランテ 早川書房 2019年3月)を読む。「ナポリの物語」は「リラと私」「新しい名字」と本書、それにまだ翻訳されていない4作目で完結する(と思われる)シリーズ。主人公は作者の分身と思われるエレコ・グレーコ(レヌー)とラッファエッラ・チェルッロ(リラ)の2人。レヌーの父は市役所の案内係、リラの父は靴職人、2人はナポリの下町のアパートで育ち幼い頃から親友となる。シリーズは第2次世界大戦のイタリア敗北後のからナポリが舞台である。2人とも1944年8月生まれ。作者のフェッランテは1943年ナポリ生まれだから、物語は作者の体験が下敷きになっている(と思われる)。第1作はナポリの戦後復興期が第2作では1950年代の高度経済成長期が描かれ、リラは靴職人の道を選びレヌーは高校、大学と進学するのだが2人の関係は変わらない。第3作は60年代後半から70年代のナポリや結婚したレヌーの暮らすフィレンツェが舞台。第3作の舞台となった時代は先進国で日本も含めて学生反乱が荒れ狂った。イタリアでは左翼とファシストとの激しい戦いがあったがこれは日本で言えば全共闘と体育会系の学生、あるいは右翼学生との対決であった。またイタリアでは赤い旅団、西ドイツではドイツ赤軍派などの軍事路線も生まれたが、日本ではブントの赤軍派や連合赤軍、東アジア反日武装戦線がそれに該当する。「ナポリの物語3」でもファシストの抗争やテロ、爆弾事件などが物語の背景として描かれている。レヌーは作家デビューしリラも通信教育でコンピュータを学び、コンピュータ技術者として高給を得るようになる。レヌーは大学教授と結婚し2人の女の子の母親となるのだが幼馴染と再会し恋に落ちてしまう。レヌーの駆落ちで「ナポリの物語3」は終わるのだが、第4作が待ち遠しい。

モリちゃんの酒中日記 4月その4

4月某日
友人の関友子さんが浅草公会堂で三味線を弾くというので、弁護士の雨宮英明先生、元伊勢丹の岡超一さんと行くことにする。3人とも早稲田の政経学部の出身(関さんは卒業していないかも知れない)。関さんは在学中から私の奥さんと親しかった。岡さんと雨宮先生、私と奥さんは語学が同じクラスだった。関さんはエレクトーン奏者をやった後、新宿や赤坂でクラブを開業、そこのママ稼業を頑張っていたが数年前に引退、いまや悠々自適の身である。雨宮先生は内定していた就職先を辞退、司法試験に挑戦し見事合格、検事に任官の後、弁護士に転身した。岡さんは就職先を百貨店に絞り、念願の伊勢丹に入社、親の介護で60歳で定年退職した。私は過激な学生運動に参加、逮捕起訴されたこともあって彼らとは違った人生を歩むことになるのだが、このところ彼らと呑むことが多い。
西新橋の弁護士ビルの雨宮先生の事務所からタクシーで浅草公会堂へ。タクシー代は雨宮先生持ち。公会堂はすでに和服で着飾ったご婦人や恰幅のいい紳士たちでにぎわっていた。ほどなくして岡さんも到着、1階席はほぼ満席だったので2階席に向かう。第2回浅草会ということで、浅草、向島、八王子の芸者衆の踊りがメインで、関さんの三味線はその伴奏というわけだ。料亭に芸者を呼んで酒を呑んだら一人何万円も請求されるところだろうが、この会のチケットは1枚5000円。これで芸者衆の踊りと浅草の幇間芸を楽しめるのだからまぁリーゾナブルというべきか。終って雷門そばの蕎麦屋「満留賀」で一杯。私と岡さんは銀座線で上野へ。銀座線ではなぜか映画の「ゴジラ」の話になって、岡さんは「ゴジラの第1作は反核の映画だったんだ」といろいろ解説してくれた。

4月某日
「プラスチックの祈り」(白石一文 朝日新聞出版 2019年2月)を図書館で借りて読む。ハードカバー本文643ページの大著。通勤の時間と朝1時間の読書で3日で読了。内容が「謎解き」めいていて面白かったことにもよる。主人公は作家の姫野伸昌、福岡の海洋時代小説家の息子で、早稲田大学卒業後大手の出版社に勤務、その後作家デビュー。こうなると姫野は作者、白石の分身と思わせれる。白石の父は海洋時代小説家で直木賞作家の白石一郎。白石は早稲田大学政経学部卒業後、文藝春秋社に入社している。だからこの小説が私小説かというとそれは全く違う。主人公の作家の肉体の一部がプラスチック化するという破天荒な話からストーリーは始まる。荒唐無稽な話ではあっても読者をひきつけるのは白石の作家としての力量のなせる技だと思う。姫野は愛する妻、小雪を失ってから酒浸りの生活を送っているのだが…。この小説のテーマのひとつは人間の記憶だ。それから人間の存在の危うさ、儚さといったところか。飯田橋の居酒屋「てっちゃん」で知り合った村正は、ぼんちりの串を一本取り上げ「このぼんちりの串が本当にあるかどうかだってわからない。僕や姫野さんがあると思い込んでるだけなのかもしれない。物事なんてのは、結局、全部そうなんだと僕は思うんです。全部思っているだけでね」と語る。「我思う故に我あり」(デカルト)の世界ですね。小説の最後では、東京の街全体がプラスチック化され、「『私』はその荘厳な景色に見とれながら、小さな声で祈りをささげる。物語よ、終われ。そして始まれ」で終わる。物語全体が「死と再生の物語」と読めなくもないのである。

4月某日
明日から10連休。「竹下さんを偲ぶ会」で受付をやってくれた香川さん、司会をやってくれた落合さん、カメラマンをやってくれた浜尾さんと夕食を一緒にすることに。お店はこのところ大谷さんとよく行っている千代田線町屋駅から直通の「ときわ食堂」。17時30分スタートなので5分ほど前に町屋駅に着くと、香川さんがいた。同じ電車だったらしい。生ビールとウーロン茶で乾杯。少し遅れて浜尾さんが到着。香川さんがフリーライター、浜尾さんはフリーの編集者だが、落合さんは高齢者住宅財団の企画部長。財団の仕事の関係で18時過ぎに到着。改めて乾杯。私だけが男子(といってもジジイですが)で、残り3人は女子。女子会にジジイが参加したようなものだが、違和感なし!終わって落合さんは都電で王子経由、香川さんと浜尾さんは千代田線で表参道方面、私は我孫子へとそれぞれの家路へ。

4月某日
「世界史の実験」(柄谷行人 岩波新書 2019年2月)を読む。柄谷行人の書物は難解なんだよねぇ。柄谷は東大の学部では経済学を専攻し大学院は英文科に進んだ。夏目漱石論で群像新人文学賞(評論部門)を受賞した後、文芸批評家として世に出た。しかし文学評論では物足りなくなった柄谷は「マルクスその可能性の中心」と「柳田国男論」の雑誌連載をほぼ同時に行う。マルクスの足跡は革命家としてのそれを別にしても、経済学、哲学を幅広く覆っている。柳田国男だって農商務官僚から内閣書記官長という官僚のトップにのぼりつめる一方で、日本の民俗学の草分けともなる。マルクスと柳田を同時にほぼ論及するというのはかなりの力量が無ければできないことだし、知識のストックが無ければできないことだ。柄谷の文章が難解であるのはそうしたことに依るのかもしれない。だけど本書は比較的平易、文体も「ですます調」で読みやすかった。本書は主として柳田国男について書かれているのだが、柳田に付随するかたちで島崎藤村にも触れられている。柳田も島崎も父は平田篤胤の流れを汲む国学者であり神官であった。島崎の父は「夜明け前」の主人公、青山半蔵のモデルであることは知られている。童謡の「椰子の実」の作詞は島崎だが、「名も知らぬ遠き島より流れ来る椰子の実」の着想は柳田である。私は本書の本筋とはやや外れる叙述に心が魅かれた。第一次世界大戦後、二つの社会を変革する実験が行われた。ロシヤ革命と国際連盟の創設で前者はマルクスの、後者はカントの理念に基づいてのものである。マルクスは来るべき革命は一国で開始されるにしても世界革命として波及していくだろうと予想した。それはレーニンらのボルシェビキも同様で、ソ連の正式名称、ソビエト社会主義共和国連邦に「ロシヤ」という地名がないことからも明らかだ。連邦のロシヤ語のサユーズは「同盟」の意味で「ソビエトに基礎を置く社会主義共和国の同盟」ということだ。革命の進展に応じてドイツ、フランス、英国が社会主義共和国の同盟に加盟するというイメージだったのだろう。ドイツ革命が敗北し、さらにレーニン死後、スターリンはソ連一国社会主義の建設に傾斜していくのだが。それはまた別の話であった。

4月某日
「憲法の無意識」(柄谷行人 岩波新書 2016年4月)を読む。非常に面白く読んだのだけれど、内容を要約するのはかなり難しい。私なりに乱暴に要約してしまうと、憲法が戦後守られてきたのは国民が意識的に守ってきたものではなく、「無意識」のレベルで守られてきたということになる。憲法は明らかに占領軍によって起草されたが、その事実は占領軍の民間検閲局(CCD)の「検閲」により隠蔽される(江藤淳)。柄谷は「検閲」をフロイトの理論により掘り下げる。憲法9条には「戦争を忌避する強い倫理的な意志がある」が、しかし9条は日本国民の自発的な意志ではなく占領軍に押しつけられたものだ。柄谷はこれをフロイトを引用しつつ、先ず、外部の力(占領軍)による戦争(攻撃性)の断念があり、それが国民の良心(超自我)を生みだし、さらにそれが戦争の断念をいっそう求めることになったという構図だ。柄谷は「憲法9条は、日本人の集団的自我であり、『文化』です。(中略)それは意識的に伝えることができないとの同様に、意識的に取り除くこともできません」と述べる。つまり「憲法の無意識」である。
今日で「平成」が終わり明日から「令和」がはじまる。テレビは2、3日前から平静を振り返る特番を流している。皇太子時代も含めて天皇と皇后には「お疲れさんでした」とねぎらいたい。

モリちゃんの酒中日記 4月その3

4月某日
「1969年早大闘争を振り返る会」に高橋ハムさんが亡くなった山口俊さんの第三歌集「総括」を持ってきたので1冊もらう。山口俊は当時から私にとっては得体の知れない存在だった。奥州寄居一家というヤクザの構成員という噂も聞いていたように思う。痩身でかぶっていたヘルメットもオートバイ用ので私たちの工事現場用の普通のヘルメットとは違っていた。全共闘運動が下火になったとき高橋ハムさんとともに革マルに拉致され、リンチされたうえ秩父かどこかの山中に捨てられたということも後に聞いた。その山口さんも数年前に死んだということをハムさんから聞いていた。歌を創っていたことは知らなかったが、今回初めて読んでなかなか良い歌があるのに少し驚く。「ややひきずりし足の痛みよ、青春の記憶すでに定かではない」という歌があるが、革マルのリンチによる後遺症で足を引きずっていたのだろう。解放派の内ゲバ死亡した永井啓之のことを歌った「波は寄せまた波は寄せ青い季節であるかと」は解放派のヘルメットの色が青だったことを思い出させる。もう少し山口俊さんの歌を知りたい思う。

4月某日
「人工知能」(幸田真音 PHP 2019年3月)を読む。人工知能の本は何冊か読んだが、人工知能を題材にした小説を読むのは初めて。本作は「しぶといやつ」というタイトルで月刊「Voice」に連載されたものを改題し、加筆・修正したものというが、幸田は当初、主人公凱の人工知能にからんだ青春物語を書きたかったのではないだろうか。それが人工知能の専門家を取材するうちに人工知能そのものに興味が移っていったように思う。ストーリーは人工知能を使った自動運転の車の開発を巡って安全である自動運転車が、経産省のエリートに襲い掛かるという謎解きが中心。自動運転のプログラムが書き替えられたのだが、私はストーリーよりも人工知能の可能性や、人工知能開発を手掛ける凱が入社したAMIという会社の社長、組織、社員に興味がある。個人の能力を最大限に引き出す自由な組織でなければ、AIの本当の開発は無理であるというようなことが示唆されているように感じたのだけれど。

4月某日
4月から上智大学で教えることになった吉武民樹さんの研究室を大谷源一さんと訪問。社会福祉学科の教授の部屋は2号館の15階にある。亡くなった高原亮治さんが上智大学で教えていたとき、何回か来たことがある。吉武さんの部屋に行く前に資料室の前を通ると、栃本一三郎さんがいたので声を掛ける。吉武さんの部屋へ行くとさすが15階、四ツ谷駅前から市ヶ谷当たりの眺望が広がっていた。四ツ谷駅前の新道通りでも飲もうかと思ったが、大谷さんが19時半から鶯谷の「あじとよ屋」で滋慶学園の人たちとの約束があるというので、そこに行くことにする。上智大学の隣の聖イグナチオ教会の納骨堂には高原さんのお骨が収められているので寄ってみるが行事があるとかで「5時前に来てください」と言われてしまった。「あじとよ屋」の予約を18時半に変更してもらって鶯谷へ。南口から階段を下りて言問い通りへ。酒・食品の業務用スーパー「河内屋」(一般の人も購入できる)の近くに「あじとよ屋」はあった。居酒屋というよりはイタリアン風の内装、料理もフォアグラなどこじゃれている。滋慶学園の2人もそろって乾杯、吉武さんにすっかりご馳走になる。吉武さんと私は上野からグリーン車で我孫子へ。上野でもう少し呑むという3人と別れる。

4月某日
図書館で借りた「大坂の陣 近代文学名作選」(日高昭二編 岩波書店 2016年11月)を読む。大坂の陣を描いた明治以降の文学作品のアンソロジー。大坂の陣は豊臣方の敗北を以て終わるが、解説で言うように明治維新で徳川政権が崩壊したため「家康に代わって、秀吉が明治の世に召喚されはじめる」。江戸時代、徳川政権に歯向かった豊臣について文学作品とは言え触れることにははばかりがあったということであろう。坂口安吾、岡本綺堂、坪内逍遥、吉川英治、菊池寛らの描く太閤秀吉や真田幸村、そして大坂の陣はそれなりに面白かった。何年か前のNHK大河ドラマで堺雅人が真田幸村を演じた「真田丸」を楽しく見た記憶があるかもしれない。それにしても日本における軍事衝突にはいろいろな呼び方がある。天下分け目の「関ヶ原の戦い」、何年かにわたって内戦が続いた「応仁の乱」、源義家の「前九年の役後三年の役」、軍事衝突を「乱」「変」「役」などと表現した。幕末になると「薩英戦争」「下関戦争」「戊辰戦争」と戦争という呼称が普遍化し明治に受け継がれていく。もっとも「薩英戦争」「下関戦争」は明治期につけられたのかも知れない。明治10年の「西南戦争」も「西南の役」とも呼ばれた。日中戦争は戦争中は「支那事変」と呼んだ。宣戦布告をしていないので、日本としては「事変」として主張する必要があったのだ。「大坂の陣」は大阪城を巡る攻防であったことと、徳川方が大阪城に対して包囲の陣立てで臨んだことに由来するのかも。

4月某日
一般社団法人LeLien(ルリアン)代表理事の神山弓子さんの実家は宮城県の石巻市。3.11の当日はJR石巻線の乗客だったそうで、乗客たちの機転とチームワークで辛くも津波の被害を免れたという。神山さんの前職は日本航空の国際線の客室乗務員。9.11は米国上空を航行中だったということで、神山さんは3.11と9.11の2つ、津波とテロの惨事を現地で体験したということになる。その神山さんが石巻に里帰りしてお土産に日本酒とメヒカリを買ってきてくれたというので、上野の大谷源一さんと神山さんが待つ居酒屋へ。ありがたくお土産を頂く。

モリちゃんの酒中日記 4月その2

4月某日
「1969年早大闘争を振り返る集い」の打ち合わせを東京交通会館の「ふるさと回帰支援センター」で高橋ハムさん竹石さん、大谷さんと。終って大谷さんと神田へ。このところよく行く「鳥千」の手前に気になる店があるのでそこに行くことにする。店の名は「からつ」。長崎県は五島列島出身の川口とし江さんという女将が一人で切り盛りしている店。出汁の効いたおでんと水に馴染ませた焼酎を「黒じょか」で呑む。

4月某日
早稲田のリーガロイヤルホテルで「早大闘争を振り返る集い」の打ち合わせを宴会予約係の柳川勉チーフと大谷さんと。45人の申し込みがあったがドタキャンを1割程度見込んで料理とお酒は40人前にする。終って都電荒川線で早稲田から町屋へ。面影橋から鬼子母神、巣鴨、王子を過ぎて町屋までおよそ30分、ちょっとした小旅行を楽しむ。町屋では迷わず千代田線町屋駅直結の「ときわ」へ。生ビールとお酒、鰺のたたき、卵焼き、ポテトサラダ、焼き物はイワシを頼む。今度、香川さん、浜尾さんと食事をすることになっているので予約を入れておく。

4月某日
「生産性とは何か―日本経済の活力を問い直す」(宮川努 ちくま新書 2018年11月)を読む。日本経済の長期低迷が言われて久しい。私の拙い経済学の常識では、経済成長は労働力人口の増大と生産性の向上によってもたらせる。日本の高度成長もまさにこの二つによって実現したと言える。少子化によって日本人による労働力人口の増加は望みえない。とするなら生産性の向上によってしか日本の経済成長は果たせないのだが。宮川は日本経済の現状について必ずしも楽観していないが、スポーツと観光に日本経済の活路を見出しているのが特徴的だ。「スポーツにおけるメダル数や観光客数は、ある種の産出物であり、これらの増加は生産性の増加を窺わせる」(第6章 日本経済が長期低迷を脱するには-アベノミクスを超えて)。宮川はまた市場経済とサッカーの類似性をあげる。ふたつとも基本ルールが少ないために世界に広がったが、サッカーのスタイルはチームによってそれぞれのスタイルがある。スタイルは個性であり、日本経済にも競争性、合理性、多様性などに基づく個性が必要ということである。

4月某日
図書館で借りた「不意打ち」(辻原登 河出書房新社 2018年11月)を読む。5編の短編が収められている短編集。辻原は長編も読ませるが短編も巧みである。冒頭の「渡鹿野」は風俗嬢と風俗嬢を客のもとにデリバリーするドライバーの物語。なのだがこの話を読み進むうちに「この話、読んだことがある」と気が付く。以前に読んだ辻原の短編集に収録されていたのかもしれないと読み進む。次の「仮面」は阪神淡路大震災で活躍した神戸のボランティアが東日本大震災に際してもいち早く活動を開始、被災地の子供たちとともに東京で募金活動に励む。主人公の男女は募金の横領を図るのだが、このストーリーも前に読んだ気がする。次の「いかなる因果にて」「Delusion」「月も隈なきは」も読んだことがある。本の奥付を何度も見るが2018年の11月である。辻原の単行本としては最新刊である。4作目の表題「Delusion」は「妄想」の意味らしいが、大学病院の精神科医を訪ねる女性の宇宙飛行士の話。その宇宙飛行士は「幻覚が現実に再現されることが続く」ので、その意味を精神科医に尋ねに来るのだが。私も「不意打ち」に収められた5作はすべて読んだ記憶がある。そんなことはありえないはずだが。

4月某日
杉の花粉の最盛期が過ぎて今はヒノキの花粉だそうである。私は両方ともダメ。しかしマスクをすることは止めることにした。鬱陶しいしメガネが曇るからね。朝、起きると鼻がぐずぐずし鼻水が出る。これは私の鼻が花粉に反応し体外に異物を出そうとしているからで「生きている証拠」と思うことにした。図書館で借りた田辺聖子の「おいしいものと恋の話」(文春文庫 2018年6月)。単行本は2015年7月に世界文化社から出版されている。田辺の「恋愛もの」は定評があるが「おいしいもの」の描写もなかなか巧み。いつだったか読んだ田辺の小説に、恋人と2人で美々卯の「うどんすき」を食べるシーンがあり、そのスープの黄金色の旨そうな描写に感心したことがある。本書には9作の短編が収められている。「百合と腹巻」は夏でも細毛糸の腹巻をしている三杉と牡丹(通称ボタ)との恋の物語。ボタが職場の青年瀬川くんに恋を告白され、三杉が嫉妬するというたわいのない話。「大阪名物は阪神・吉本・たこ焼きや」と信じて疑わないこてこての大阪人の三杉と、西宮のいいうちのぼんぼんで阪神間の坊ちゃん大学を出たという瀬川くんの対比がおかしい。瀬川くんとのデートは高級ホテルのレストランにふかふか絨毯の高級バーだが、三杉が好むのは大阪でネギ屋と呼ぶ「お好み焼き屋」で、最後に三杉が「ボタ。一緒に暮らそか」と愛を告白するのもネギ屋であった。

4月某日
「1969年早大闘争を振り返る集い」を早稲田のリーガロイヤルホテルで開催。裏方なので18時開場、18時30分開演だが16時30分には受付へ。17時頃から人が集まりだす。当初は地方からの出席者もいるから開始時間を早めたほうがいいと17時受付開始で案内したためだ。17時30分には司会の鈴木基司さんが、少し遅れて高橋ハムさんが来る。45人の予定だったが当日は取材を含めて50人近くが参加。私が知っているのはそのうち10人程度で政経学部の村瀬春樹先輩と奥さんの由美子さん、倉垣光孝君、政経学部を中退して群馬大学の医学部を卒業して医者になった辻さんなどだ。早大の前総長鎌田さんも法学部の学生大会の議長をやったということで参加してくれた。辻さんは現在、埼玉で内科医をする傍ら沖縄の反基地闘争にも関わっている。「森田も今度、沖縄に行こうよ」と誘われる。2次会は都電の早稲田近くの居酒屋で。20人くらい参加したので2か所に分散、私の隣には鎌田前総長が座っていた。

モリちゃんの酒中日記 4月その1

4月某日
新元号が決まる。「令和」。出典は万葉集からで日本の文献に依ったのは初。官房長官が発表し首相が決定に至る経緯を説明する。今回の天皇の生前譲位と改元は、時の政権にとってプラスの効果をもたらすのは間違いのないところだろう。図書館から借りた「愉楽にて」(林真理子 日本経済出版社 2018年11月)を読む。日経の朝刊に2017年9月から2018年9月まで連載されたもので、前半は連載中に新聞で読んでいたが、途中で購読紙を朝日に替えたため後半は未読。現代の大金持ち2人が主人公。一人は大手製薬メーカーの9代目、会社経営に関心がなく父親から副会長のポストを与えられ、本拠を置くシンガポールと東京を往復しながら人妻や客室乗務員と情事を繰り返す。もう一人は老舗精糖会社の三男、子会社の社長という飼い殺しの身が急逝した妻の莫大な遺産により一変する。京都で芸者を囲うことになるがなぜかなじまない。中国の名門出身で自身も大富豪である人妻と恋におちる。林真理子の小説らしくセックスシーンは濃厚に描かれるが、今回私が感心したのは現代の大金持ちの生活がリアルに描かれているところ。宿泊するホテルや食事をするレストランや和食の店、京都での芸者遊びなどがリアルに描かれる。相当な取材費がかかっていると思われるが、林真理子ならではであろう。物語の主人公が現代の大金持ちなら林真理子は現代の「文豪」というべきだろう。改元を審議する有識者会議の一人にノーベル賞の山中博士などと一緒に選ばれているし。

4月某日
神田の「鳥千」で年友企画の石津さんと酒井さんと呑む。「鳥千」は20年ほど前に何度か行ったことがあるが、今年になってから大谷源一さんと2度ほど呑んだ。刺身が美味しいのである。「鳥千」という屋号から焼き鳥屋を想像しがちだが、むしろ日本の正しい居酒屋と言ってよい。シラスと生のりのお通しもおいしかった。今日は団体客は私たち3人だけだった。神田駅で2人と別れ我孫子へ帰る。我孫子駅前の「愛花」へ。元介護士の常連さんとその友人は私の息子と同じくらいの年頃だが、楽しく会話できた。

4月某日
我孫子に着いたのが6時台だったので、駅前の「しちりん」に寄る。我孫子でボトルを置いている店は2軒。「愛花」と「しちりん」だ。「愛花」は5~6人が座れるカウンターとテーブル席が一つ、ママが一人で切り盛りする居酒屋。「しちりん」は主に常磐線沿線に展開するチエーン店、1階は10人ほどが座れるカウンターとテーブル席がいくつかある。2階は行ったことがないが、おそらくテーブル席だろう。「愛花」では常連どうしで話すことが多いが、「しちりん」ではカウンターで独り飲みがほとんど。しかし今回は私が一人で呑んでいると「愛花」の常連の市橋さんが隣に座る。市橋さんは我孫子中学(地元の人はアビ中という)出身で内装業を営んでいるが、もともとは会津若松。実家は漆器の塗師だったらしい。

4月某日
厚生労働省の事務次官を務め、退官後はJPIFや医療経済研究・社会保険福祉協会(社福協)の理事長をやった近藤純五郎さんの「偲ぶ会」が竹橋のKKRで開催されたので参加する。開会前に会場に着くとすでに多くの人たちが会場前のロビーで待っていた。社福協の前常務で私の中学校と高校の同級生だった中沢優一さんがいたので世間話。時間が来て、全員で近藤さんの遺影に献花の後、厚生省入省が近藤さんと同期だった方がスピーチ、「私心がなく自分に厳しいが、友人を大切にする人だった」と語る。私は近藤さんと話したのは2~3回しかないが、温かくて秘かなユーモアを感じさせる人だった。竹橋から根津の青海社へ。校正を手伝う。根津から虎ノ門のフェアネス法律事務所。18時30分過ぎに西新橋の「花半」へ。堤修三さん、大谷源一さん、神山弓子さん、谷野浩太郎さん、落合明美さんと呑み会。堤さんは元厚労省の官僚、大谷さんは元滋慶学園、神山さんは元JALの客室乗務員、谷野さんは社会保険旬報の編集長、落合さんは高齢者住宅財団の部長。一種の異業種交流である。

4月某日
土曜日だけど「ふるさと回帰支援センター」で高橋ハムさん、竹石さん、大谷さんと4月17日の「1969年早大闘争を振り返る会」の打ち合わせ。現在のところ参加申し込みは37人、40人参加が目標なので「あと少しなので頑張ろう」とハムさんに発破をかけられる。司会進行が鈴木基司さん、発起人代表挨拶がハムさん、乾杯の音頭を村瀬春樹さん由美子さん夫妻にお願いすることが決まる。この日は呑み会はなしなので大谷さんと二人で呑みに行くことにする。北千住に行こうと上野から常磐線に乗ったが途中で気が変わって南千住へ。回向院近くの「エビス南千住店」へ行くが開店前だった。回向院を覘くと「小塚原の刑場で処刑された吉田松陰や頼三樹三郎の墓がある」との案内板があった。空いている呑み屋を探して南千住駅前を一回り。開店時間の5時を過ぎたので「エビス南千住店」へ。1時間ほど呑んで大谷さんは日比谷線、私は常磐線の南千住へ。

4月某日
「王朝懶夢譚」(田辺聖子 文春文庫 2019年2月新装版第1版)を読む。初出は「別冊文藝春秋」1992年200号~1994年208号。田辺聖子は1928年生まれだから作者が60代初めから半ばの頃の作品。田辺聖子は樟蔭女子専門学校国文科卒だからといってしまえばそれまでだが、彼女の国文学の素養は半端ではないことがこの作品を読んでもよくわかる。解説は漫画家の木原敏江で、それによるとこの作品の時代設定は「醍醐天皇のころ、平安中期より少し前のころ」という。その頃は平安京といっても町中でも夜は漆黒の闇が支配していた。というか、夜がこんなに明るくなったのは明治維新以降、ガス灯に続いて電気灯が出てきて以来であろう。漆黒の闇はさまざまな妖怪を呼び寄せる。本書の主人公は摂関家に連なる月冴姫。彼女は小天狗の外道丸と知り会いになり、続いて医師の麻刈や女狐の紫々、鮫と人間の間に生まれた鮫児に出会う。そして悪来丸という盗賊、実はやんごとなき王族、康尊親王にさらわれるが常陸の国は真壁出身の武士、晴季に救われ結ばれるというハッピーエンドのストーリー。田辺聖子の王朝ものは源氏物語やその他の古典に題材をとったものなど数多くあるのだが、もう少し暇になるまで読むのはとっておこう。

吉武民樹さんがこの4月から上智大学で教え始めたという。結構広い研究室もあるらしい。今度遊びに行こう。

モリちゃんの酒中日記 3月その4

3月某日
春分の日。日本医大病院に。「愛花」の常連の福田一三さんが入院している。偶然だけれど「青海社」の工藤良治社長も入院しているので、休日だし両方まとめて見舞いに行くことにする。2人ともこれまた偶然に東館の2階に入院していた。福田さんは昔、足の手術をしたとき入れた金属を取り換えることになったそうで1月に入院、4月の初めには退院できるそうだ。幾分ほっそりして元気そうだった。工藤さんは3月に脳出血で倒れ日医大病院に入院した。私の経験から「障害者」の認定と「要介護認定」を受けられることを説明。本人によると社員が辞めたりしてすごく忙しかったのが原因という。「私は基本的に年金生活者だから手伝えることは手伝うよ」と声を掛ける。日医大病院は千代田線の根津駅と千駄木駅のちょうど中間にある。行きは根津駅から来たが、帰りは千駄木の「よみせ通り」商店街から「夕焼けだんだん」に抜け、日暮里から常磐線で帰った。

3月某日
浜矩子の「『通貨』の正体」(集英社新書 2019年1月)を読む。著者は基本的には経済学の人で、一橋大を卒業後、三菱総合研究所に入所、ロンドン駐在員事務所長を経て現在、同志社大学大学院ビジネス研究科の教授だ。だから経済学の人であるの間違いないのだが、この人の本を読むとその半端ではない教養に驚かされる。本書でも「不思議の国のアリス」やシェイクスピアからの引用(それも著者の訳で!)やオペラ「トスカ」を日本通貨の「円」になぞらえたりしている。著者は英国駐在の商社マンの父について、小学校はロンドンだったらしい(この辺の私の記憶は曖昧)。そのせいか広い視野ととらわれないフラットな視点が魅力だ。本書のテーマである通貨については「通貨は、人がそれを通貨だと認定しなければ、通貨にならない」「金(きん)という金属もそうだ。金は金だったから通貨になったわけではない。人がそれを通貨扱いするようになったから通貨になったのである」(いずれも第1章)といきなり本質論から始まる。EUの共通通貨である「ユーロ」の先行きや、「仮想通貨」の問題点、IMFの「SDR」の本質などについて著者の筆は鋭く迫るのである。

3月某日 
TKP新宿カンファレンスセンターで「介護×音楽療法研究会」。今年度最後なので時間は3時間を予定。この場所はいつも迷うので時間に余裕をもって10分前に会場へ。会場に着くと座長で医師の川内基裕先生、事務局の宇野裕さんが来ていた。定刻前に委員5人が揃う。ホームヘルパー協会東京支部の副会長の黒澤加代子さんから訪問介護における音楽を取り入れたケアの実証実験の報告がされた。スマホを使った音楽検索が利用者にたいへん好評だったという話が印象的だった。要介護度の改善までの効果は見られなかったものの「笑顔が見られた」「会話がスムーズになった」などの効果があったとの報告がされた。特別養護老人ホームの苑長の依田明子さんからは特養入居者に対する実証実験の結果が報告された。特養の入居者は在宅に比べると重度化が進んでいる印象。それでも音楽を聴くと手拍子をとったり口ずさんだり表情が変化したりと、入居者の「気分」がよくなっていることが分かった。私はこの研究会に参加して2年になるが、高齢者というか人にとって音楽とのかかわりの奥深さを感じないではいられない。弁当を挟んで研究会は3時間に及んだが結論は出ず、場所を四川料理の店に移して1時間ほど議論。
実はこの研究会に参加する直前、我孫子市民図書館で借りた「音楽療法はどれだけ有効か-科学的根拠を検証する」(佐藤正之 化学同人社 2017年6月)を読んでいた。著者は音楽学部の器楽科を卒業した後、音楽教師を経て医学部に入学、三重大学大学院医学系研究科博士課程修了という経歴を持つ変わり種。現在は同大学院の認知症医療学講座准教授で付属病院の音楽療法室室長で神経内科医である。著者は音楽療法を含む認知症の非薬物療法の長所として①日常生活での活動がそのまま治療になりうる ②患者や介護者の社会生活の改善につながる ③医療職でなくとも施行可能で施設や自宅でも活用できる、としている。本書を読んで初めて知ったがEBMの情報インフラに「コクランライブラリー」というのがあって認知症に対する音楽療法の効果がレビューされていて、報告数は多くないが、認知症の中核症状に対する音楽療法の有効性を示す報告がされているという。著者は、音楽には汲めども尽きぬ力がある。医学と音楽の境界がなくなり、両者が一体となって患者に提供されるようになったとき、音楽療法は本当の意味で現場に根ざすと言っている。

3月某日
東海大学校友会館で「平成最後の桜を見る会」の打ち合わせ。大谷源一さんにHCMに来てもらう。2人で有楽町の交通会館にある「ふるさと回帰支援センター」の高橋ハムさんを訪問、「早大闘争50周年の集い」の打ち合わせ。大谷さんと別れ私は上野へ。不忍口で元年住協の林弘幸さんと待ち合わせ。松戸で呑むことを提案し松戸へ。林さん推奨の「日本海」へ行くが予約でいっぱい。西口の焼き鳥屋へ入る。昭和の香りがする店で常連客が大半。満足して帰る。

3月某日
社会福祉法人にんじんの会(石川はるえ理事長)の評議員会が19時から立川であるので虎ノ門から銀座線に乗り、赤坂見附で丸ノ内線に四谷で中央線に乗り換える。四ツ谷駅で同じ評議員の中村秀一さんに会う。東京駅で何かトラブルがあったらしく中央線に遅れが出て、四ツ谷駅のホームも大混雑。やっとホームに着いた電車に中村さんは何とか乗車できたが、私は乗れず仕舞い。次の電車で行くことにする。次の電車も遅れに遅れて評議員会の会場に着いたのは30分遅れ。評議員会は中村さんを議長にすでに進められていた。石川正紀常務の報告を聞いた後に各事業所からの報告があって評議員会は無事修了。近くのお寿司屋さんで懇親会、バーに席を移してジントニックを一杯飲んだところで石川理事長がタクシーを呼んでくれたので私と吉武民樹さんは帰ることにする。

3月某日
「平成最後の桜を見る会」を霞が関ビル35階の東海大学校友会館で。ここ2回ほど赤字が続いたので会費は1000円値上げして9000円に。受付は神山さんにお願いしたが神山さんにも会費を頂いているので、18時過ぎには年友企画の酒井佳代さんに受付を頼む。今回はNPO法人「楽」の柴田範子理事長や弁護士法人「フェアネス法律事務所」の遠藤代表弁護士も参加してくれて盛り上がる。今回は黒字になる。

3月某日
常陽カントリー倶楽部で末次彬さん、高根和子さんとゴルフ。吉武民樹さんは新しい大学での用事があるとかで欠席。いつもは吉武さんの車に乗せてもらうのだが、この日は息子に運転してもらう。ゴルフは行く前は多少億劫感があるのだが、行くとやはり楽しい。5月もいくことを約束する。帰りは末次さんの車で家まで送ってもらう。高根さんからお土産まで頂いてしまい重ね重ね恐縮です。

3月某日
「AI×人口減少-これから日本で何が起こるのか」(中原圭介 東洋経済新報社 2018年11月)を読む。人口減少もAIも最近の私が気になっているテーマ。中原圭介という人の本は初めて読むがなかなか鋭い指摘が随所に見られる。私が感心したのは「第4次産業革命の隆盛によって生産性を上げる企業が次々と現れてくれば、富裕な資本家や投資家は株価の上昇によって大いに喜ぶことになるでしょう。しかしその一方で、失業から生活苦に陥る人々が増加の一途を辿り、格差の拡大が史上最悪の水準を更新するという事態も避けられなくなるでしょう」というくだり。AI等の技術革新によって社会の生産性は飛躍的に高まるが、問題はその果実を手にするのは誰かということだ。技術革新を手放しで喜んでばかりはいられないのである。

モリちゃんの酒中日記 3月その3

3月某日
友人の毛利建夫さんと上野駅不忍口で待ち合わせ。毛利さんと知り合ったのは1980年前後。私が日本木工新聞社に勤めていたときだ。私が労働組合の委員長をやっていたとき、専門紙労働組合協議会(専門紙労協)という団体に加盟、そこからオルグとしては派遣されてきたのが毛利さんだった。当時、毛利さんは機械工業新聞という業界紙にいてそこが争議中だった。70年安保が過ぎて学生運動は連合赤軍の事件もあって退潮していく。学生運動の活動家が潜り込んだ一つが業界紙だった。私も毛利さんもその一人だったわけだ。当時は高度経済成長期だったから業界を取材してもそれなりに面白かったし給料も「それなり」だった。私は知らなかったが毛利さんは機械工業新聞争議の事件で逮捕起訴され入獄経験もある。毛利さんはその後、山谷闘争やブンド系の組織に関わったり、私生活では2度の結婚と離婚をしたりする。傍から見ると波乱万丈の人生。私とは40年近い付き合いとなるのだが、2-3年に1回は会って酒を呑む。毛利さんは北千住に住んでいるので今回は北千住で焼き鳥屋に行く。話題はあっちへ飛びこっちへ飛びだったが面白かった。

3月某日
監事をやっている一般社団法人の理事会に出席。東京駅から高田馬場へ。学バスで早稲田大学へ、150円。50年前は確か15円、50年という歳月を感じます。バスの中から学生時代に通った喫茶店「早苗」の看板を見つける。リーガロイヤルホテル東京で担当の青木さんと「早大闘争から50周年の集い」の打ち合わせ。早稲田大学から高田馬場へ。レストランの「高田牧舎」や居酒屋「源兵衛」を確認。大学構内を少し散策したが建物がほとんど建て替えられて、懐かしい思いは無かったが喫茶店や居酒屋には懐かしさを感じる。大学には行ったが授業に真面目に出たのは1学年の1学期まで。それ以降は学生運動でデモに明け暮れていた。私は1969年の「9.3」の第2学生会館攻防戦で逮捕起訴され、封鎖も解除された。私の学生運動もほぼこれで終了。しかし授業に戻ることはなく酒と麻雀の日々だった。高田馬場の駅前広場で本郷さんと待ち合わせて、本郷さんは中央大学を卒業後、石油連盟に入社、その後石油の輸入商社へ転じた。業界紙が学生運動の活動家の受け皿の一つとしたら、業界団体もそうだったかもしれない。高田馬場駅近くの「静岡おでんガッツ」へ行く。静岡おでんは美味しかったが私には味が濃すぎ。高田馬場で本郷さんと別れ我孫子へ帰る。我孫子駅前の「愛花」に寄ったら常連のタキさんがいた。

3月某日
「沈黙と軌跡」という高原駿という人の文章がネットに公開されているらしい。「文学部の解放派らしいけれど」とコピーを渡される。高原駿は私より一年早い1947年生まれ。戸山高校から一浪後、早稲田の文学部に入学。当初は革マル派にオルグされたが文連の社思研に入ったのがきっかけで社青同解放派へ。1968年の「4.17」本部突入にも、1969年の「9.3」第2学生会館の攻防戦にも参加している。「4.17」と「9.3」の両方に参加したのは何人もいないはずだが私には高原駿は記憶にない。高原駿は逮捕起訴後も非転向を貫き、大学中退後世田谷区役所に就職、世田谷反戦青年委員会で合法活動を進める一方、対革マルの内ゲバも担うことになる。高原と私は「4.17」と「9.3」は共通体験だが、それ以降は全く違う人生を歩む。高原は解放派が狭間派と労対派に分裂以降も労対派に所属、10数年間活動を続ける。活動を離脱した以降トラック運転手として働き、カネを貯めてフィリピンに移住、現在はフィリピンでダイビングを楽しんでいるらしい。うーん、人生ですなぁ。

3月某日
「近代日本の右翼思想」(片山杜秀 講談社選書メチエ 2007年9月)を読む。片山は1963年生まれだから本書執筆時は40代と思いがちだが、「あとがき」によると第1章は慶應大学法学部の学生論文集に掲載された論文がおおもと、第2章は1991年に提出した明治大学政経研究科修士論文が素材、第3章は1991年に慶大の院生論文集に出た「日本ファシズム期の時間意識」が原型という。とすれば第1章は20代前半、第2章は20代中ごろ、第3章は20代後半に執筆されたということになる。早熟ですねー。片山は「はじめに」で右翼と左翼、保守と保守反動ということばについて整理している。それは「反動は反り返って動く。保守は現在を大事にする。左翼は未来に期待する」ということだ。これからすると安倍首相は保守ではなく反動だね。
私は本書を読んでいろいろ感じるところがあった。一つは戦前右翼=天皇主義者の悲劇性である。彼らは天皇に限りない期待を寄せる。たとえば北一輝の「日本改造法案大綱」は天皇大権によって憲法を停止し、天皇の名のもとに私有財産の制限や都市部の土地の全国有化、華族制度の廃止など社会主義的な国家改造プランを示している。北の理論に影響されて決起したのが2.26事件の青年将校であった。しかし昭和天皇は彼らの主張に一顧だにすることなく、彼らを反乱軍として鎮圧を命ずる。青年将校にしてみれば「片思いの挙句、片思いの相手に石を投げられた」ようなものである。もうひとつあげるとすれば権藤成卿の「社稷」という考え方である。片山はここで言う「社稷」とは原始的な自治村落共同体の理想型を意味すると述べる。唐突ではあるが私は「社稷」は地域包括ケアシステムと通じるものがあると思うのだけれど。「おわりに」で片山は「大川周明の『東西対抗史観』や石原莞爾の『世界最終戦争論』は、ハチントンの『文明の衝突』などよりもはるかに構想力豊かであり、権藤成卿の自治主義や橘孝三郎の農村論は、肥大しすぎ、ついに地球温暖化まで招いた現代文明の警鐘として、現在も有効だろう」という。なるほど。

3月某日
神田司町にある中華料理屋「神田台所」で大谷源一さんと食事。大谷さんに私のPCを見てもらったのでお礼に「ご馳走する」ことに。年友企画の迫田さん、HCMの大橋社長も誘う。「神田台所」に予約を入れた時点で財布を忘れてきたことに気づく。大谷さんに「お金貸しておくれ」とメール、「トイチだよ」との返事。店に行くと神山さんと大谷源一さんが来ていた。少し遅れて大橋さん、迫田さんが到着。この店は中国人がやっている店で味もしっかりしているし値段もリーズナブル。2時間呑み放題食べ放題で5人で15,550円、一人3,000円とちょっとである。

3月某日
虎ノ門フォーラムに参加。今回は狭間研至氏による「地域包括ケアにおける薬局・薬剤師の役割~外科医が薬局に戻って・見えてきたもの~」。狭間氏は薬局の次男坊、勉強を頑張って阪大医学部に合格、外科医として活躍するが親の仕事を継いで薬局経営にも乗り出す。この話がとても面白かった。話を要約するとレジュメの最初にある「薬剤師が薬を渡すまでではなく、薬をのんだあとまでフォローすれば、薬物治療の質は飛躍的に向上する」につきる。薬剤師の養成課程は医師、看護師と同じ6年間、その割には薬剤師の存在感が薄いのではないかとは私も感じてきたところ。ぜひ、薬剤師にもっと地域医療に関わって欲しいと思った。薬局・薬剤師って重要なインフラなんだ。

モリちゃんの酒中日記 3月その2

3月某日
「夢も見ずに眠った」(絲山秋子 河出書房新社 2019年1月)を読む。大学で一緒だった高之と佐和子は結婚して熊谷の佐和子の実家の離れに住む。佐和子は企業に勤めキャリアを積むが高之はアルバイト先が一定しない。高之は佐和子の両親と気が合っている。佐和子が札幌に転勤となっても佐和子の実家からは離れない。高之は鬱病を病み2人の気持ちは次第に離れていって離婚する。佐和子はシンガポールの会計事務所に転職、帰国後、知人の弟と起業する。高之は青梅で女住職の紹介で便利屋のような仕事を始めるが、女住職の信用もあって徐々に仕事が増えていく。というような2人の日常が淡々と綴られていく。それが何とも言えない絲山秋子の「味」を出している。札幌、函館、岡山、佃島、奥出雲と日本各地を訪れる2人、それが日常に彩りをあたえてもいるのだろう。大学の同級生と結婚して奥さんの実家に住み、鬱病になるというのはワタシと一緒です。

3月某日
お茶の水の山の上ホテル裏の明治大学14号館に政経学部の金子隆一特任教授を訪問する。社保険ティラーレの佐藤聖子社長と一緒に5月の「地方から考える社会保障フォーラム」の講師をお願いするためだ。先生は人口学の権威。日本の人口は江戸時代中頃に新田開発や農業技術の改良によって3000万人ほどに拡大、その後天明の飢饉などによって拡大にストップがかかるが、明治以降、戦争中の一時期を除いて増加する。しかし数年前から人口は減り始め、この傾向に歯止めを掛けるのは難しいのではという論旨の論文を読んだことがある。フォーラムでは地方議員の先生方に「地方ごとに人口減少という課題をどう乗り切っていくか考えてもらいたい」と訴えてもらえたらと思う。社保険ティラーレに伺い、吉高さんにUAゼンセンの常任執行委員の永井崇大さんを紹介される。永井さんは武田薬品の労組からゼンセンに来ているが、日本の製薬会社も人口減=マーケットの縮小という現実に直面している。永井さんのような若い人に頑張ってほしいと思う。
今日は元厚労次官で人事院総裁も務めた江利川毅さんを囲む会があるので、神田の「カクヤス」という酒の量販店に行きアイリッシュウイスキーのジェムソンを買う。会場の鎌倉橋ビル地下1階の「跳人」に行く。スタートは6時からだが、6時前に江利川さんが厚労省年金局資金課長時代の課長補佐だった岩野さん、江利川さんの次の資金課長だった川邉新さん、社保険ティラーレの佐藤社長が来る。6時になると川邉さんの次の資金課長の吉武民樹さん、元厚労省で現在、埼玉医科大学教授の亀井美登利さん、社会保険旬報の手塚優子さん、私の飲み友達の大谷源一さん、その飲み友達の一般社団法人LeLien代表理事の神山弓子さん、同じく一般社団法人セルフケアネットワークの高本真佐子代表理事も来る。吉武さんは台湾土産の紹興酒を持参、これが香が高く絶品。「竹下さんを偲ぶ会」に出席できなかった茅野千江子さんが竹下さんの闘病の様子を知りたいというので今回、フィスメックの小出建社長にも出席してもらい話してもらう。この会は最初、江利川さんや川邉さんの資金課長時代の補佐と、竹下さんと私というメンバーで始まったが、その後私が勝手にメンバーを広げていった。それを江利川さんは笑って許してくれている。

3月某日
「なきむし姫」(重松清 新潮文庫 平成27年7月)を読む。文庫の巻末に「本作は、主婦の友社『Como』に2005年4月号から2006年9月号まで掲載された『なきむし姫』に加筆修正した、文庫オリジナル作である」と記してある。「なきむし姫」ことアヤと哲也は幼稚園の頃からの幼馴染。結婚した今は4月から小学校に入学するブンちゃんと地の都の幼稚園に通うチッキの2児の親でもある。もう一人の幼馴染でバツイチの健は子供のころから何かとアヤと哲也のことをかばってくれていた。4月から哲也が神戸に単身赴任し翌年の3月に哲也が神戸から帰り、健はシングルファーザーとして育ててきた娘を再婚する元妻のもとに返すことになる。その1年間を描く中編小説の主人公はもちろんアヤだ。しかし隠れた主人公は健であろう。言ってみれば健は「フーテンのトラ」の新興団地版である。そう言えば重松清の小説は舞台は違ってもどれも同じような味わいである。毒がないのも「フーテンのトラ」に似ている。

3月某日
本郷の東大工学部8号館に辻哲夫さんを訪ねる。5月の「地方から考える社会保障フォーラム」の講師をお願いに社保険ティラーレの佐藤社長と千代田線の根津駅から東大へ向かう。辻さんは「これからの社会保障は市町村がカギを握っている」と「社会保障フォーラム」の考え方にも全面的に賛成してくれた。辻さんの部屋に海上自衛隊幹部学校の校長からの感謝状が掲げられていたので「あれは何ですか?」と聞くと「幹部学校で講演をしたため」という。「外に向かっては外交と防衛、内に向かっては社会保障」と辻さんは考える。「成程」である。辻さんに高橋ハムさんが「俺は厚労省では辻が一番気が合う」と言ってましたと伝えると「そうですか。学生時代から彼は全共闘で私はどちらかというと保守派。考え方は違うのですがなぜか気が合うのですよ」と嬉しそうだった。
元厚労省の山崎史郎さんは現在、リトアニアの大使。社会保険研究所の谷野浩太郎編集長が「会うので一緒に来ませんか?」と誘ってくれたので東大から待ち合わせ場所の読売新聞社へ。佐藤社長がタクシーを奮発してくれた。山崎さんは北海道庁に出向していたことがあるので「リトアニアは北海道に似ているかな。十勝平野や美瑛のイメージ」という。リトアニアはロシア革命前はロシア帝国に併合され、革命後、いったんは独立したもののスターリンによってふたたび併合、第2次世界大戦ではナチスドイツに占領される。そのときナチスドイツから逃れるユダヤ人に日本経由のビザを発行したのが当時の領事、杉原千畝だ。そんなこともあって対日感情は大変いいそうだ。「町並みはきれいだし、女性も美人が多いね。遊びに来なよ」と山崎さん。美人が多いというのは魅力だけれど。

3月某日
有楽町の交通会館にある「ふるさと回帰支援センター」で代表の高橋ハムさんと出版社ウエイツの中井社長、法学部闘争委員会OBの竹石さんと「早大闘争50周年の集い」の打ち合わせ。中井さんは私たちより数年若い。早大闘争の後、革マルのリンチによって殺された早大生、川口君の「虐殺に抗議する闘い」を担った。ハムさんとは新宿のゴールデン街で知り合ったらしい。終って交通会館地下1階の「よかよか」でハムさんにご馳走になる。ここは日本全国の日本酒が揃っている。

3月某日
机を置かせてもらっている西新橋のHCM社に大谷さんに来てもらって、「早大闘争50周年の会」と「桜を見る会」の打ち合わせ。終って2人で内神田の「社保険ティラーレ」へ。吉高さん、佐藤聖子社長と話す。佐藤社長には「桜を見る会」への出席をお願いする。終って2人で「鳥千」へ。ここは屋号が焼き鳥屋のようだが刺身がうまい。4月の呑み会の予約もしておく。