モリちゃんの酒中日記 8月その2

8月某日
大谷源一さんに連絡して御徒町の中華料理屋「大興」で会うことに。ここは安くて美味しい人気店で大谷さんが電話予約してくれたのでやっと入れた。「シューマイ」や「ホタテとアスパラ炒め」などを肴にビール、焼酎を呑む。隣に座った若い女性の2人組に「ここは何が美味しいのでしょうか?」と聞かれ、大谷さんが丁寧に答えていた。8時半頃お開き。真直ぐ自宅へ帰る。

8月某日
図書館で借りた「権力の『背信』-『森友・加計学園』スクープの現場」(朝日新聞取材班 朝日新聞出版 2018年6月)を読む。2017年2月の朝日新聞の報道から始まった森友学園への国有地売却問題、同じく5月に朝日新聞に掲載された愛媛県今治市に新設される加計学園の獣医学部の問題は、森友学園は首相夫人の関わり、加計学園は学園の理事長と安倍首相の親密な関係が取り上げられた。新聞やテレビで報道された以上の新事実が明らかにされたわけではないが、朝日新聞の記者がこれらの問題を真摯に追いかける姿勢と報道陣や野党の追及をはぐらかす政権側の姿勢が浮き彫りにされている。私自身もそうなのだが国民の多くがこうした事件の情報の多くをテレビをはじめとした映像で入手し、それに影響を受けてしまう。事件の劇場化ということだが、映像を見てコメンテーターの感想を聞き、それで事件を理解したかのように思ってしまう。どうも事件に対する検証がおざなりになってしまっているのではないか、そう感じる。その意味でも本書は事件の幕引きを図ろうとする政権側に対して、事件の検証を通して「事件は終わってはいない」と主張する。朝日新聞の記者魂を見る思いがする。
もう一つ本書を読んで強く感じたのは「官僚は全体の奉仕者」という民主主義国家の官僚制の原則があまりに軽視されていないか、ということ。首相や首相周辺に気を使いその意思を忖度し、国会に参考人招致されても「訴追の恐れがある」と証言を拒む。私が知っている官僚は国民のため国のためを考えていたと思うのだが。省庁の幹部人事を一元的に取り仕切る内閣人事局の存在も影を落としているのだろうか。もう一つ指摘しておきたいのは政治家とくに与党国会議員の質の低下。本書でも明らかにされているが参院予算委員会で与党議員が財務省の太田理財局長に「局長は安倍政権をおとしめるために変な答弁をしているのじゃないか」と質問、さすがに議事録から削除されたということだが、議席を与えすぎると程度の低い議員も当選してくるということなのだろうか。この秋、安倍自民党総裁の3選は動かないようだが、総裁選は自民党全体の見識も問われていることも忘れないでほしい。

8月某日
「金融政策に未来はあるか」(岩村充 岩波新書 2018年 6月)を読む。この本の内容は正直、私の貧しい経済学の知識を以てしては十分に理解したとは言い難い。しかし随所に著者の柔軟な感性と深い専門知識、そして本当の意味での教養を感じることはできた。岩村は1950年東京生まれ東大経済学部卒、日本銀行を経て、1998年より早稲田大学教授。最終章で著者は、円やドルなどの法定通貨も、その価値の由来という観点から見れば、実は最初から仮想通貨だったと言える、と書いている。これは多分、仮想通貨に対する円やドルなどの法定通貨も国家の信用力という一種の幻想に支えられているということではないだろうか。生物学者の吉村仁の著書「強いものは生き残れない」(新潮社 2009年)から「利己ではなく利他的戦略をとった生物種の方が長期的に見れば生き残ることが多い」という説を紹介し、通貨においても「強過ぎるものは生き残れない」という論理が通用するかもしれないとしている。とても示唆的である。

8月某日
図書館でたまたま手にした「下山事件 暗殺者たちの夏」(柴田哲孝 平成27年6月 祥伝社)を読む。最初のページに「この物語はフィクションである。だが登場する人物、団体、地名はできる限り実名を用い、物語に関連する挿話もすべて事実に基づいている。その他、匿名の人物、団体、創作の部分に関しても実在のモデルや事例が存在する。それでもあえて、この物語はフィクションである-著者」とある。思わせぶりなのである。しかし読み始めると物語の圧倒的なリアリティに惹き込まれていく。このリアリティは「あとがき」を読むと納得させられる。下山事件というのは昭和24年7月5日、国鉄の初代総裁下山定則が日本橋三越本店での足取りを最後に失踪、翌6日未明常磐線綾瀬駅近くの線路上で轢死体で発見され、自殺他殺が交錯するまま捜査は終了した「戦後最大の謎」とされる事件だ。「あとがき」によると、著者の祖父の23回忌の法要のとき大叔母から「下山事件をやったのは、もしかしたら兄さん(祖父)かもしれない」と明かされたという。著者が事件に関わることになったきかっけという。祖父の名前は柴田宏(ひろし 小説中は柴田豊)、復員後、日本橋の亜細亜産業に復職、会社ぐるみで進駐軍の影となって数々の謀略に手を貸す。下山総裁が謀殺された理由として、下山が大規模な人員整理を含む合理化と共に賄賂が横行していた国鉄とその周辺にメスを入れようとしたためと本書では推測されている。同年に国鉄を舞台に三鷹事件、松川事件も発生している。戦後史の闇は深いというべきか。

8月某日
図書館で借りた「『日米基軸』幻想 凋落する米国、追従する日本の未来」(進藤榮一 白井聡 詩想社 2018年6月)を読む。このところ白井がずっと主張している「日本は米国追随一辺倒で大丈夫か?」をさらに補強する。白井は安倍政権が倒れたからと言って日本がすぐまともな道を歩むことにはならないだろうとする。なぜなら「安倍政権が去っても、そこにはそれらを長らく支持してきた、安倍政権と同様に、無能かつ不正で腐敗した国民が残る」からだという。「無能かつ不正で腐敗した国民」というのは少し違うと思う。そうした国民は同時に有能かつ勤勉な正義感あふれる国民」でもあるのだ。人間はそうした両義性を持つ存在だと思う。

8月某日
この1週間ほど少しばかり難しい本を読んでしまった。小説を読みたくなる。こういうときは以前だったら田辺聖子の本に手が出たのだが、田辺の短編はほとんど読んでしまった(長編は読み残しがあるが)ので、最近は林真理子と浅田次郎をもっぱら読んでいる。ということで今回は林真理子の「嫉妬」(ポプラ文庫 2009年8月)を読むことにする。ポプラ文庫には林真理子コレクションと銘打ったシリーズがあり、既存の単行本からテーマに沿って何篇かをピックアップしている。林自身が「あとがき」で「女のいやらしさというのも、小説の題材としてはうってつけなのだ」と書いているが、「女」はすなわち「人間」であろう。作家の人間観察眼の確かさが小説に奥行きを与えているように思う。

モリちゃんの酒中日記 8月その1

8月某日
ネオユニットの土方さんがHCMに来社。大橋社長と先月末で年住協を辞めた茂田君とが新橋駅前の「焼鳥センター」で吞むことになっているというので合流することに。「もう一人来ます」と大橋社長。しばらくすると若い女性が合流。「マニュライフ生命 高山恵莉」という名刺をもらう。福岡の高校を卒業した後、国立音大に進学、生保の営業職に就職したらしい。「焼鳥センター」では私はもっぱらホッピーを吞む。「ナカミ」(焼酎)は店の人がこちらの好きなだけ入れてくれる。久しぶりに若い女性と会話したこともあってのみすぎてしまった。

8月某日
国土交通省の伊藤明子住宅局長が内閣審議官に就任した。伊藤さんは京大建築学科出身の住宅技官。私が初めて会ったのは今から30年以上前、住文化研究協議会の月に一度の研究会のときだったと思う。彼女は建設省住宅局の住宅生産課の係長だった。兵庫県宝塚市に出向していたときも出張のついでに会いに行ったこともある。厚労次官をやった阿曽沼慎司さんがシルバーサービス対策室長だったときに「住宅と福祉」をテーマに座談会を企画したことがあった。阿曽沼さんは例によって「女が出るんなら出てもいいよ」という。住宅生産課の課長補佐だった伊藤さんにお願いしに行ったら「こういうのはバランスがあって厚生省が室長ならこっちもそのクラスでなければ」と渋る。当時、住宅局長だった那珂さんに言って何とか実現に漕ぎつけた。何回か一緒に吞みに行ったが、一度無断欠席されたことがある。翌日電話で「ごめん、仕事をしていたら行くのを忘れてしまって」と謝られた。それだけ仕事熱心ということだが、子どもを出産したときも出産間際まで電話で指示を出していたというエピソードもあるくらいだ。

8月某日
浅田次郎の「天切り松闇がたり」の第2巻「残侠」を読む。「天切り」というのは屋根を破って民家に侵入し盗みを働くことをいう。盗賊の「目細の安吉」一家に売られた松蔵は、やがて「天切り松」と呼ばれることになるのだろうが、第2巻では松蔵はまだ修業中の身、兄貴分からは「松公」と呼ばれる。表題作の「残侠」は清水次郎長の子分だった山本政五郎、人呼んで小政が目細の安吉一家に客分として現れ、一宿一飯の恩義からアコギな向島一家の親分はじめ主だった幹部を見事に切り捨てるというストーリー。勧善懲悪ほんとうにわかりやすい物語なのだが、特に「天切り松」シリーズは登場人物の台詞回しがいい。小政の切る古風な仁義。「親分は清水の山本政五郎、御一新の前に実子盃をいただきやした名前の儀は、政五郎と発します。ご覧の通り四尺七寸の小兵者につきまして、清水の小政の二ツ名をこうむりやす。天保の末年に命さずかりましてよりこのかた、弘化、嘉永、万延、文久、元治、慶応、明治、大正と、一天地六の賽の目稼業、はてしもねえ楽旅の流れ者ではござんすが、向後(きょうこう)お見知りおかれましては、宜しくお頼み申し上げます」という具合である。

8月某日
愛知県から「わがやネット」の児玉道子さんが上京、高齢者住宅財団の「財団ニュース」に「地域居住における高齢者支援の現状と課題」の連載が掲載されたので、財団の担当の小川さんにお礼に行くという。私は14時から社保研ティラーレで次回の「地方から考える社会保障フォーラム」の企画会議に出席、同じビルにある民介協の扇田専務に挨拶、携帯に社会保険研究所の鈴木社長から「近くにいるという話ですが」という電話。「じゃ寄ります」ということで社会保険旬報の編集部があるWTC内神田ビル3階へ。打ち合わせを終わって高齢者住宅財団へ。近くのプレハブ建築協会の合田専務を訪問。鎌倉河岸ビルの「跳人」へ行くと大谷さんがすでに来ていた。年友企画の迫田さんを呼び出して4人で乾杯。アイリッシュウイスキーの「ジェムソン」を呑む。我孫子へ帰って「愛花」に寄る。勘定を払って帰るときに常連の佳代ちゃんに会う。

8月某日
林真理子の「最高のオバサン 中島ハルコの恋愛相談室」(文春文庫 2017年10月)を読む。中島ハルコは52歳。バツ2の女性経営者、旅行先のパリでフードライターの菊池いづみと知り合う。毒舌家でドケチの中島ハルコだが、その本音で生きる姿勢にいづみは次第に魅かれていく。ハルコもハルコを観察するいづみも林真理子の分身、いづみがフードライターだけに食事シーンも出色。

モリちゃんの酒中日記 7月その5

7月某日
酒中日記7月(その4)で白井聡の「国体論 聞くと星条旗」(集英社新書)について触れた。明治維新以降、現在に至るまでの日本の統治構造について示唆に富む論が展開されていた。しかし十分に理解したとは言い難いので再読することにした。私は小説でも一般書でも同じ本を2度読むことはほとんどしない。唯一の例外と言えるのは田辺聖子の小説。これは同じ小説を何度読んでも面白い。それだけ白井聡の国体論が気にかかったということなのだが。本書は、日本の国体の歴史は「近代前半」(明治維新~敗戦)と「近代後半」(敗戦~現在)で反復されているとする。「近代前半」の国体とは王政復古から戊辰戦争、明治10年の西南戦争を経て明治政権の基盤が確立するなかで日本独特の国体観念が成立する。天皇制は他の国の君主制とはかなり異なる。戦前の天皇制の基本理念とは、①万世一系の皇統=天皇現人神 ②祭政一致という神政的理念 ③天皇と日本国による世界支配の使命 ④文明開化を推進するカリスマ的政治指導者としての天皇-とまとめられる。これらいずれも他の君主制には見られない特徴であろう。
戦前の天皇制にはこのように明確な特徴づけがなされるが現在の天皇制を扱おうとすると甚だしい混乱に陥る、と白井は主張し、それは「戦後の国体」はアメリカという要因を抜きにしては考えられないとする。戦前の天皇制の基本理念の①は天皇による支配秩序の永遠性(天壌無窮)を含意するが、これは現在にあっては日米同盟の永遠性(天壌無窮)に置き換えることができる。②の祭政一致を現在において体現しているのは「グローバリスト」によって構成される経済専門家(中央銀行関係者、経済学者等)で、「ニューヨーク・ダウ平均株価の上下に一喜一憂し、最終的な政策決定者たる神聖皇帝(米大統領)の経済思想を懸命に忖度する」光景は「祭政一致の今日的形態」とみなすことができる。③は戦前の「八紘一宇」の戦後的形態は「パックス・アメリカーナ」に見出すことができる。④の文明開化の推進は戦後の物質的生活、消費生活、大衆文化等々の諸領域におけるアメリカニズムの拡大である。白井はこうした「戦後の国体」は破滅に向かうとしている。そして、「戦後の国体」に対して控えめに、しかしながら断固として否定したのが今上天皇の「お言葉」だったとする。うーん、「成程」と肯かざるを得ない。

7月某日
週末。今週も毎日出社しかも猛暑。いささか疲れたので帰りはグリーン車を奮発。車内で缶ビールとワンカップ。我孫子で「七輪」でホッピーとハイボール。「愛花」で常連さんと話す。呑み過ぎたのでタクシーを呼んでもらう。タクシーを降りたら尻餅をついてしまった。
なかなか立ち上がれないでいたら、家から長男が出てきて助けてくれた。今年70歳になるのだからほどほどにしないとね。

7月某日
図書館で借りた「その話は今日はやめておきましょう」(井上荒野 毎日新聞出版 2018年5月)を読む。製薬会社の営業職を定年退職した昌平と妻のゆり子、2人は定年後の共通の趣味として自転車を楽しむようになる。昌平は自転車事故で入院するが、退院時に一樹という青年に親切にされたことがきっかけで一樹に病院の送り迎えなどを依頼する。桐野夏生の小説をプロレタリア文学と評したのは白井聡だが、今回の井上荒野の小説もそうした観点から見ることもできる。高度経済成長期に大手製薬会社の営業職として過ごした昌平は役員にこそならなかったが、東京の郊外に一戸建ての家を建て、今はまさに悠々自適の暮らしを送っている。対して高卒の一樹は高卒後、工場勤務に就くが長続きせず、その後も職を転々とする。昌平はプチブルジョア階級で一樹はプロレタリア階級である。一樹の実家もプロレタリア階級、昌平の2人の子供は昌平同様プチブルジョア階級である。作家の意図ではないかもしれないが現代日本社会の「階級の固定化」が表現されている。一樹はゆり子や昌平のブレスレットや時計を盗む。盗みは発覚し一樹は職を失う。そこからラストに至るまでが読ませる。階級対立を超えた昌平夫妻と一樹の精神的な「連帯感」の回復が暗示される。井上荒野は戦後の文学界で異彩を放った井上光晴の娘だが、血筋を感じてしまう。

7月某日
南阿佐ヶ谷のケアセンターやわらぎのデイサービスを訪問。石川はるえさんに相談と報告。デイサービスには小学校低学年くらいの女の子が来ていて利用者の高齢者とゲームに興じていた。子供と高齢者や障害者の「共生」ってことかな。石川さんが「呑みに行きたいんでしょ」というので「阿佐ヶ谷パールセンター」の角打ち「三矢酒店」に向かう。「角打ち」とは酒屋の店頭で呑ませることで、昔は多くの酒屋でやっていたが、今は見かけない。「三矢酒店」で地酒を2杯ほどいただく。帰りに同じ商店街の「日本海」でお寿司。石川さんにすっかりご馳走になる。

7月某日
図書館で借りた「天切り松闇がたり第一巻 闇の花道」(浅田次郎 集英社文庫 2002年6月 単行本は1999年9月)を読む。大正6年夏、下谷車坂の長屋に育った松蔵は数えで9歳、母は死に姉は吉原へ売られる。松蔵も抜弁天の安吉という盗賊に買われる。安吉親分は目細の安と呼ばれ、スリの大親分として名高い仕立屋銀次の跡目を継ぐと噂されている。解説の降旗康雄(映画監督)は「天切り松の心の中で、人が人たるものとして真ん中に置かれているのは目細の安一家と言う盃で結ばれた小さな共同社会です。社会学者が言うゲマインシャフトの原型でしょうか」と書いているが、共同社会には共同社会の掟があり、盗みやスリは高度な技術をともなう伝承すべき芸能なのだ。物語は80歳を過ぎた老盗賊の松蔵が警察の留置場で同房の留置人や看守、刑事を相手に昔語りをするというかたちで始まる。私が大田区の大森警察署に留置されていたのは49年前の1969年9月、窃盗や賭博の容疑の人たちと同房であった。物語は浅田節全開で山縣有朋や永井荷風も登場、泣かせどころもきちんと用意されている。

7月某日
暑いので4時前から大谷源一さんを上野に呼び出してホッピーを呑む。鰺の叩きを肴に1時間ほど歓談。ひとり2000円でお釣りがくる。つまみを頼まなければ「千ベロ」(1000円でベロベロ)も可能ということだ。

モリちゃんの酒中日記 7月その4

7月某日
厚労省の医系技官だった高原亮治さんの命日に墓参りに行かないか、というメールが堤修三さんから入る。木村陽子さんも一緒だという。上智大学の教授を辞めた後、高原さんは公知の病院の勤務医となり、その地で急死した。高原さんも堤さんも現役時代から知っていたが親しくなったのは厚労省退職後。何回か3人で呑みに行った。3人の共通点を敢えて言えば「全共闘崩れ」。堤さんは東大、高原さんは岡山大、私は早大でもちろん学生時代は互いに知ることもなかったが、ひょんなことから知り合い仲良くなった。もちろん全共闘だからと言ってすべての人と仲良くなるわけではなく、この場合は「本好き酒好き」という共通点があったからもしれない。高原さんは上智大学の聖イグナチオ教会の納骨堂に眠っている。高原さんは(102-1)という番地に納骨されている。毎回、捜すので今回は番地を記録しておく。墓参り後、四谷の新道横丁の「のどぐろ」という店で軽く一杯。木村陽子さんは確か総務省系(旧自治省系)の団体の理事長をやっていたが、今はそれも辞めて「名刺がないっていいわよ」という。木村さんは和歌山県出身でお土産に南高梅を頂く。木村さんは上野の神学校に行くというので6時30分頃お開きに。神学校には授業をしに行くのではなく、授業を聴きに行くのだという。

7月某日
オウム真理教の地下鉄サリン事件などで死刑判決が確定していた松本智津夫(麻原彰晃)ら7人が処刑された。地下鉄サリン事件は1995年3月。あの頃は新聞もテレビのワイドショーもオウム真理教の記事や映像であふれ返っていた。麻原は処刑されたがいったいあの事件は何だったのだろうと思う。図書館で「A3」(森達也 集英社インターナショナル 2010年11月)というオウム事件について書かれた本があったので借りることにする。「月刊プレイボーイ」の2005年2月号から2007年10月号までの連載をベースに2010年の視点や情報を加えている。著者の森達也という人はテレビ番組制作会社出身のもともとは映像作家だが現在は執筆が主となっているようだ。500ページ以上ある単行本だが、私には非常に面白かった。オウム事件の真実に迫りたいという著者の姿勢にとても共感が持てた。「真実に迫る」というのはジャーナリズムの基本と思うのだが、オウム事件に関しては多くのジャーナリズムは警察や検察の発表を鵜吞みにして麻原等を極悪人と報道するにとどまった。むろん27人の殺害に関わった麻原は極悪人であろう。だがなぜ、人は極悪人になってしまうことがあるのか、その背景には何があったのか、それを解明するのがジャーナリズムの役割と思うのだが。事実の報道はもちろん大事だが、真実の解明も忘れてはならない。森友加計学園問題、財務省の文書改ざん問題、日大アメフト部問題などについてもいえることだと思う。

7月某日
HCM社の大橋社長とエチオピア大使館に行く。スマートファインという会社の根田会長らと待ち合わせ、駐日全権大使のチャム・ウガラ・ウリヤトゥ氏を紹介される。エチオピアはシバの女王伝説からも分かるように歴史の非常に古い国だが、出生率が高く熱心に国づくりに取り組んでいるということでは、とても「若い国」でもある。エチオピア大使と仲介してくれたのが40年以上、日本に滞在し日本人女性と結婚しているタスティ・ガライアさん。1947年生まれだから私より1歳上。笠間市で陶芸をやっていて旭日双光章を受賞している。1時間ほど大使と歓談した後、中目黒のエチオピア料理のお店、その名も「シバの女王」に行く。大使夫人にエチオピアの隣国、エルトリアの大使も加わる。大使館の日本人の女性スタッフ、鈴木さんの隣に座ったので話をする。東海大学観光学部出身でエジプト大使館の観光局に勤務の後、エチオピア大使館に移ったそうだ。大橋さんと日比谷線で上野へ。上野駅のアイリッシュバーに寄る。

7月某日
「国体論 菊と星条旗」(白井聡 集英社新書 2018年4月)を読む。この本が書かれたのは2016年8月の今上天皇の「お言葉」がきっかけだったという。白井によると天皇は「お言葉」によって「自らの思索の成果を国民に提示し」、「象徴天皇制」が戦後民主主義と共に危機を迎えており、打開する手立てを模索しなければならないとの呼び掛けが国民に対してなされたというのである。今上天皇は皇后と共に日本全国にとどまらず、近年は太平洋戦争の戦跡も訪ねて慰霊を行っている。東日本大震災をはじめとする被災地にも足繁く足を運ばれている。天皇にとってこれらの行為は象徴として当然なすべきことであり、だからこそ「天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます」(お言葉)ことから生前退位へと繋がっていく。白井は日本の国体について1945年の敗戦によってそれは無効が宣言されたのではなく戦後も形を違えて生き残っているとする。白井は1977年生まれの政治学者だが、その「視点」の新鮮さにいつも驚かされる。

モリちゃんの酒中日記 7月その3

7月某日 
HCM社の大橋社長とネオユニットの土方さんと西葛西の駅で待ち合わせ。土方さんの車で東京福祉専門学校へ。副校長の白井孝子先生からシミュレータについてアドバイスを頂く。校舎の一部が地域住民のために開放されているので見学させてもらう。「なごみの家 葛飾南部」というのが正式名称で、なんでも江戸川区の社会福祉協議会から委託されているらしい。小学生が2人、施設の備品のタブレットでゲームして遊んでいたし、若い母親が乳児を連れて遊びに来ていた。「なごみの家」を出て、西葛西駅近くの「庄屋」で一杯。土方さんにご馳走になる。帰りは西葛西から西船橋まで東西線で。西船橋から新松戸まで武蔵野線、新松戸から我孫子まで千代田線で。

7月某日
電車の中で読む本を家に忘れてきたので日暮里駅の「リブロ」という本屋で「昭和史講義【軍人編】」(筒井清忠編 2018年7月)を買う。太平洋戦争開戦時の首相を務め敗戦後A級戦犯として処刑された東条英機、敗戦時の陸軍大臣で「一死大罪を謝す」という遺書を残して自決した阿南惟幾、世界最終戦を唱え日蓮宗(国柱会)の信者でもあった石原莞爾、インパール作戦の指揮を執った牟田口廉也、ラバウルの名将と呼ばれ現地人を登用した植民地経営を進めながら、戦犯として現地刑務所に服役、釈放後は自宅の隅に小屋を建てて生活した今村均、海軍では連合艦隊司令長官の山本五十六、昭和期海軍の語り部と言われた高木惣吉、山本五十六と兵学校同期で親友だった堀悌吉ら14人の行動やリーダーシップの在り方に焦点をあてた。米英との開戦に当たっては陸海軍の多くの指導者は勝利への確信は持ちえなかった。国力からして米国に勝つのは無理、しかし3年後には日本の石油は底を突き、そこを米国に攻撃されれば日本はひとたまりもない。ならば先制攻撃で米国に一撃を加え、日本有利のもとに米国と和睦するというストーリーだったようだ。客観的に情勢を観察して判断するという基本ができていなかった。今の政治家にも言えるのではないか。

7月某日
「世界消滅」(村田紗耶香 河出文庫 2018年7月)を読む。村田沙耶香は「コンビニ人間」で芥川賞を受賞している。舞台は近未来の日本。人間の生殖は性行為ではなく人工授精によって行われる。夫婦間の性行為は「近親相姦」としてタブー視されている。主人公の雨音は夫ともに実験都市の千葉に移住する。そこでは人工授精による出産が行われ、生まれた赤ん坊は「子供ちゃん」として集団で育てられる。性行為をともなう恋愛は小説の大きなテーマであった。「世界消滅」はそれに対して挑戦しているのであろうか? 私は逆に恋愛における性行為の位置を再確認しているように思えるのだが。

7月某日
図書館で借りた「ルポ川崎」(磯部涼 サイゾー 2017年12月)を読む。川崎には今までほとんど縁がなかったが、最近、川崎駅近くの小規模多機能施設を訪問する機会が多い。川崎にはもともと在日の朝鮮人の人が多く住む地域があり、彼らに続いてフィリピン人やペルー人、その2世や日本人とのハーフが住み着くようになった。彼らに対して「ヘイト・デモ」が催され、同時にこうしたデモに反対する「カウンター」の運動も盛んである。そして本書で重要な位置を占めるのが「ラッパー」や「ダンサー」。彼らの多くは中学で不良となり、ラップやダンスに自分の生きる道を見出す。今日本の社会に欠けているのは多様性を認め合うということではないか。

7月某日
半藤一利の対談集「昭和史をどう生きたか」(文春文庫 2018年7月)を読む。「あとがき」によると2014年に東京書籍により刊行された単行本を文庫化したものとある。東京書籍の単行本はおよそ2000年から2010年まで「文藝春秋」や「オール読物」などで企画された昭和史に絡む対談を収録している。半藤一利の歴史読み物は読みやすさと正確さを兼ね備えた貴重な存在と兼ねてから私は思っていた。本書のなかでは「ふたつの戦場-ミッドウェーと満洲」(澤地久枝)、「指揮官たちは戦後をどう生きたか」(保阪正康)、「天皇と決断」(加藤陽子)、「栗林忠道と硫黄島」(梯久美子)が特に面白かったが、「失敗の本質」で名高い経営学者の野中郁次郎との対談が異色。対談の最後の方で野中が「本当に知的なリーダーを生み出すには時代が知的でなければいけない、というご指摘が胸にこたえました。まさしく現代に似てるな、と感じました」と語っていた。同感である。

モリちゃんの酒中日記 7月その2

7月某日
図書館で借りた西部邁の「保守の遺言―JAP.COM衰滅の状況」(平凡新書 2018年2月)を読む。西部は今年1月21日、多摩川に入水、自ら命を絶った。何年か前から西部の著作に強く惹かれるものを感じて何冊も読んだ。彼が自ら言う通り「保守」の立場が鮮明な論理なのだが、一般に言われるところの右派あるいは親米としての保守とは違う。一番わかりやすいのは反米保守であったということ。大東亜戦争に敗北して日本は米国に従属する途を選び、今や日本は米国の準州ではないか、というのが持論であった。そこから憲法改正、日本核武装論へと繋がっていく。私は憲法改正や核武装論には賛成できないのだが、西部の日本の状況に対する悲憤慷慨は理解できるつもりだ。私の考えでは西部は日本の国家としての自立を訴え続けたのだと思う。その上で所得の再分配をきちんと行い、地域や家族を大事にせよと主張した。西部の死への想いはずいぶん以前からあったようだが、4年前に妻を亡くしてからその思いはますます強くなったようだ。
本書の最終章で唐牛真喜子さんの死について触れられている。唐牛さんは60年安保のときの全学連委員長、唐牛健太郎の未亡人で私も10数年前、旧友の倉垣君の紹介で知り合い、その後何回か食事をしている。西部が自殺したことをニュースで知り、唐牛さんが気落ちしているだろうと「アトモス」という彼女の会社に電話したら「唐牛は無くなりました」と告げられたのだ。本書では「ごく最近、僕の旧友の未亡人唐牛真喜子さんが71歳で身罷った。彼女もまた多くの女の常として公の場に顔を出すことが少ないまま、亡夫の思い出を抱懐しつつ、日常の仕事を反復し続けたのであろう」「彼女は3年近く前から癌病に冒され、それにたいして何の治療も加えず誰にも知らせないまま、私が会った2か月近くあとにあっさりと亡くなってしまった」と記されている。この本を図書館に返したらちゃんと書店で買おうと思う。

7月某日
金曜日だけれど呑む相手がいないので大谷さんにメール。HCM社に来てもらう。上野の浅草口方面で呑もうということになり、浅草口を降りてすぐの居酒屋に入る。18時まではハッピーアワーで酒類が割引なのでビールで乾杯の後、私は焼酎のお湯割り、大谷さんはホッピー。今度からこの店で呑むときは最初からホッピーのほうがいい。割り勘で感情を済ませて外に出ると大谷さんが「傘を忘れた」というのでそこで別れる。次の日大谷さんから「朝顔市に行きました」というメールが来ていた。私は我孫子で「愛花」による。

7月某日
丸の内の「ヴァン・ドゥ・ヴィ」で旧友の倉垣君と元年友企画の浜尾さんと待ち合わせ。倉垣君は先週、恒例になっている唐牛健太郎の墓参りに行ってきたというのでその話を聞く。西部さんの娘さんも来ていたという。浜尾さんはフリーの編集者となって活躍中。彼女は元は倉垣君が創業した会社で倉垣君の秘書をしていた。倉垣君は偏食なので「お昼のお弁当を買うとき苦労しました」と言っていた。

7月某日
桐野夏生の対談集で近代政治思想史専攻の原武史が「天皇制の深層に迫っている」と語っていた「女神記」(桐野夏生 角川書店 2008年)を読む。ヤマトの南方、「海蛇島」の巫女の家系に生まれたナミマは、マヒトと恋に落ちて孕む。2人は小舟で島を逃れ、ナミマは海上で娘を出産する。ナミマはマヒトと娘の3人で幸福感の絶頂にあったが、突然マヒトに殺される。殺されたナミマは地下宮殿の黄泉の国で女神、イザナミに仕える。小説はここからイザナキイザナミの物語へと移っていく。そこに天皇制の根源があるというのが原の考えだと思うが私の理解を超える。むしろ私は先週、処刑された麻原彰晃らのオウム真理教の幹部も黄泉の国に行くのだろうか、と愚にもつかぬことを考えた。

7月某日
図書館で借りた「漱石の印税帖-娘婿がみた素顔の文豪」(松岡譲 文春文庫 2017年2月)を読む。著者の松岡譲は芥川龍之介、久米正雄、成瀬正一らと東大時代に同人誌第4次「新思潮」を出し、その縁で漱石最後の門下生となった。漱石の没後、漱石の娘の筆子と結婚することになる。その間に生まれたのが巻末の「父に代わっての娘よりのあとがき」を書いた半藤末利子で、私の記憶に間違いがなければ作家の半藤一利の奥さんである。松岡は非常に寡作だったが、それでも暮らしていけたのは夏目家の財産管理もやっていたのではないかというのは私の想像である。想像ではあるが漱石の印税収入についてこと細かに記した「漱石の印税帖」や漱石の遺品に触れた「漱石の万年筆」などを読むとあながち私の想像も外れてないのかもしれない。私が面白く読んだのが「回想の久米・菊池」で菊池とは作家で文藝春秋の創業者でもある菊池寛のことである。久米はもともと惚れやすいタイプで漱石の娘、筆子にも一方的に惚れて母の鏡子に結婚を申し込んでいた。しかし筆子の心は松岡にあり、久米は失恋を余儀なくされる。松岡と筆子の結婚後、久米は2人を「悪者に仕立て一連の甘美な失恋小説を続けざまに書いた」(父に代わって娘よりのあとがき)そうだ。

モリちゃんの酒中日記 7月その1

7月某日
「桐野夏生 対論集 発火点」(文藝春秋 2009年9月)を読む。小説では読み取ることのできない作家の「想い」が伝わりなかなか面白かった。読もうかなと思ったのは「松本清張の遺言」を書いた原武史との対談が収録されていたため。原は今までの天皇論が「お堀の外側」の天皇しか見ていないのではとしたうえで、「お堀の内側」、具体的には宮中祭祀に焦点を当てないと、戦前と戦後を一貫する天皇像をとらえ損なうとする。そして桐野の「女神記」(角川書店)を「天皇制の深層に迫っているのではないか」と強い感銘を受けたと語る。「憲法や政治史からいったん離れて、神話を通して天皇制に迫っていく」と評価するのだ。これに対して桐野は「古事記」「日本書紀」のイザナミとイザナギの物語の持つ「女性にとってのむごさ」に触発されて「女神記」を書いたと語り、「原さんがおっしゃった天皇制の根源に突き当たるとは全く思わずに書いたのです」と答える。作者の想いと学者の想いが交差する面白さがある。他にも松浦理英子、皆川博子、林真理子、小池真理子、柳美里、坂東眞砂子という女流作家との対談も面白かった。

7月某日
図書館で借りた社会学者の橋爪大三郎と経済学者の小林慶一郎の対談集「ジャパン・クライシス―ハイパーインフレがこの国を亡ぼす」(筑摩書房 2014年10月)を読む。遅々として財政再建が進まず赤字国債の発行額が一向に減らない日本財政に危機感を抱く橋爪が小林に財政危機の原因とその処方箋を聞くという体裁。本来は赤字国債の発行は禁じられている。それにも関わらず特例法によって発行が認められそれが何年も続いている。麻薬で当面の痛みを回避しているようなものである。このままいけば誰も国債を買わなくなり、金利は高騰し、大不況に突入。そうならないように日銀が国債を買い支えればハイパーインフレが待っている。そうならないためには消費税を35%に上げるしかないと小林はいう。きわめてまともだと私は思う。この本が発行された2014年に国債等の国の借金は1000兆円を超えたが、2015年度末では1091兆円。これは日本のGDPのほぼ2倍である。にもかかわらず消費税は8%。10年後、20年後には危機が顕在化する可能性が強い。与野党それにこのような財政政策を許した国民の責任は重い。将来世代に申し開きができない。

7月某日
「私は河原乞食・考」(小沢昭一 岩波現代文庫 2003年9月)をたまたま図書館で見かけ読むことにする。巻末に「本書は1969年9月三一書房より単行本として、1976年9月文藝春秋より文春文庫として、それぞれ刊行された」とある。小沢昭一は1924年生まれ(没年は2012年)だから著者が40代の作品である。文庫本で400ページ余り、なかなか読みでがあり面白く、かつまた私もヒマであるので2日で読了した。著者の目線の低さと志の高さに魅了されたというか。目線の低さということでは本書にはストリッパーや香具師、ゲイバーのママ、ホモセクシュアルの“権威”等が登場するのだが、著者の彼ら(彼女ら)に対する目線が常に対等ということである。むしろ世間で蔑みられがちな彼ら(彼女ら)にこそ真実がある、と著者は考えているのである。偉ぶらず、肩肘張らず、それでいて本音を語らせる。目線の低さはまた志の高さにも表れていると思う。日本の芸能の原点を探りたいという志の高さである。その志は中世期の「賤民」が我が国の芸能に果たした功績を忘れまいとする著者の姿勢にも表れている。なんて小難しい理屈を並べてしまったけれど、リクツ抜きに面白かったというのが本音である。
「私は河原乞食・考」の巻末に「付録 落語と私」が収録されている。麻布中学から海軍兵学校を経て早稲田大学に進学、そこでの折々の落語、落語家との付き合いが綴られている。それに触発されて、図書館の「古典芸能」のコーナーに行くと落語の本がたくさんあった。そのなかで「この世は落語」(中野翠 筑摩書房 2013年3月)を借りることにした。「明烏」「崇徳院」「湯屋番」「柳田格之進」「中村仲蔵」「居残り佐平治」「粗忽長屋」「芝浜」「酢豆腐」といった落語の概略を紹介しつつ落語の魅力を語る。魅力を語るついでに中野の辛口の現代批評が顔を出す。「三方一両損」では「とにかく! カネ、カネ、カネの世の中。ポイントカードだの割引サービスだの小銭に目の色変える平成のオリコウ者たち。落語の世界にだけでも、その逆を行ってイイ気になっている馬鹿野郎がいてくれるのは、ありがたいことじゃないですか?」とバッサリ。

モリちゃんの酒中日記 6月その5

6月某日
社会福祉法人にんじんの会の評議員会。評議員会は7時からだが13時にケアセンターやわらぎの研修センターに集合して施設見学会に参加する。グループホームや特養、老健施設、自治体から受託している地域包括支援センターなどを見学する。60代のベテラン、30代、40代の中堅、20代の若手がそれぞれ生き生きと仕事をしているのがわかる。介護事業所では利用者と職員の笑顔が一つの判断基準になると思う。7時からの評議員会は1時間ほどで終了。近くの美登利寿司でご馳走になる。元厚労省の吉武民樹さんと中村秀一さんも評議員なのだが中村さんは欠席。筑波大学の久野晋也先生も評議員で美登利寿司にもご一緒した。久野先生は住まいが我孫子で吉武さんや私と一緒。「タクシーチケットがありますからよかったらご一緒に」といってくれたので便乗させてもらう。我孫子駅北口まで送ってもらい私は南口の愛花に寄る。

6月某日
桐野夏生の「ロンリネス」の前編に相当する「ハピネス」(光文社 2013年)を図書館で借りて読む。登場人物はほぼロンリネスと同じ。ただ「ロンリネス」では保育園児だった有紗の娘、花菜が3歳2か月、夫はアメリカに単身赴任中だ。桐野夏生の小説はプロレタリア文学だと言ったのは確か政治学者の白井聡だ。「ハピネス」「ロンリネス」もその系統にあると思う。江東区のタワーマンションに暮らす有紗は、同じ年頃の娘を持つマンション内の母親たちとママ友グループを作る。だが有紗と親友になる美雨ママ以外はタワーマンションの分譲マンションに住み、有紗は賃貸、美雨ママはそもそもタワーマンション外で、近くの賃貸マンションだ。有紗と美雨ママはプロレタリア階級、それ以外のママ友はブルジョア階級なのだ。表面は仲良くしているものの内実は理解し合えない2つの階級。ママ友グループの対立を縦軸に美雨ママの恋愛を横軸に物語は展開していく。

6月某日
図書館で借りた「草薙の剣」(橋本治 新潮社 2018年3月)を読む。本のカバーの惹句に曰く「10代から40代まで10歳ずつ年の違う男たちを主人公に、彼らの父母、祖父母までさかのぼるそれぞれの人生を、戦前から平成の終わりへと向かう日本の軌跡のなかに描き出す」。私は昭和23年生まれだから敗戦こそ知らないが、その後の戦後復興、高度経済成長、オイルショック、昭和の終焉、バブルの崩壊、2つの大震災、オウム真理教などは記憶に刻まれている。作者の橋本治も同年、東大生のとき五月祭だったかのポスターの作者として有名になった。銀杏の入れ墨を背中に彫った東大生のイラストが「とめてくれるなおっかさん、背なの銀杏が泣いている」というコピーとともに私の記憶のなかにある。このポスターが優れているのは時代を描く批評精神だと思う。それはこの作品でも健在である。

6月某日
机を置かせてもらっているHCM社の大橋社長を誘って神田の「清瀧」へ。大橋社長といろいろな話で盛り上がったが呑み過ぎであまり記憶なし。「清瀧」は埼玉県蓮田市の酒造メーカーの経営で日本酒が安くつまみもそれなりに旨い。それで呑み過ぎるのが難点。

6月某日
根津の「フラココ」へ。大谷さんを誘う。大谷さんは八重洲ブックセンターのイベントに参加してから参戦。新顔のお客さんが来店。公認会計士だそうだ。私は11時過ぎに帰ったが大谷さんは公認会計士の先生と3時までいたそうだ。

6月某日
HCM社の大橋社長と再び神田の「清瀧」へ。HCM社三浦部長、「胃ろう・吸引シミュレーター」の開発者、土方さんも参加、遅れて年友企画の石津さんも来てくれた。大橋社長は元大手生命保険、三浦部長は元大手都市銀行、土方さんはアメリカに留学経験のあるデザイナーという具合に前歴はバラバラなのだがなぜか気の合う仲間だ。

6月某日
図書館で借りた「松本清張の『遺言』-『昭和史発掘』と『神々の乱心』を読み解く」(原武史 文春文庫 2018年2月)を読む。「神々の乱心」は清張の遺作で未完。新興宗教と宮中の内紛に殺人事件が絡む社会派ミステリーらしい。「昭和史発掘」は歴史研究者でもあった清張の歴史ドキュメントで「昭和史発掘」の研究成果が「神々の乱心」に生かされているらしい。「らしい」が続くのは「昭和史発掘」も「神々の乱心」も未読のため。

6月某日
友人の本郷さんに誘われて東中野の「ポレポレ坐」に「レフト・アローン」(井上紀州監督)を観に行く。もらったビラに「左側を歩くことの孤独…」とあった。六全協から60年安保、60年代後半の全共闘による学生反乱を描くドキュメント映画である。私のような当時の当事者が観客の多く占めるのではないかと思ったが、行ってみると観客の8割方は20台と思しき青年男女だった。映画は評論家の「すが秀美」が六全協前後を松田政男に、60年安保を西部邁と柄谷行人にインタビューをするというかたちで進行する。松田政男は私の学生時代、気鋭の映画評論家として学生たちにも人気があった。都立高校のときに日本共産党の党員となり、山村工作隊に参加したりするが後に除名される。西部邁は機嫌よくインタビューに答える姿が印象的だった。資料提供者に唐牛真希子さんの名前があった。唐牛さんは昨年亡くなり、西部さんは今年自裁した。1部、2部構成だが1部が終わったところで本郷さんと映画館を出る。新中野の居酒屋で本郷さんと呑む。

モリちゃんの酒中日記 6月その4

6月某日
「竹下さんを囲む会」を神楽坂の「久露葉(クローバー)亭」で。17時頃フィスメックの小出社長を訪問、一緒に結核予防会へ。竹下さんと3人で神楽坂上のクローバー亭へ。住文化研究協議会で一緒だった元東急住生活研究所の所長だった望月久美子さん、元国土交通省住宅局の合田さん、セルフケアネットワークの高本代表、元厚労省の北村さんはじめ、竹下さんを含めて9人が参加、賑やかな会となった。南部美人、加賀鳶とおいしい日本酒を頂く。竹下さんは小出社長が車で送り、私も秋葉原まで社会保険出版社の高本社長にタクシーで送ってもらった。いい会だったと思う。

6月某日
図書館で河原宏著の「秋の思想―かかる男の児ありき」(幻戯書房 2012年6月)を見つけた。河原宏先生は私が早稲田大学政経学部に入学したときの「英書購読」の先生だった。入学後、1、2回は授業に出たのだろうか、その後は学生運動の活動が忙しいという理由にもならない理由で出席したことはなかった。私は1968年の入学だから今から50年前である。先生は1928年生まれと巻末の略歴にあるから、当時は40歳の少壮の学者だった。学問に対する真摯で謙虚な姿勢が印象に残っている。先生の名前を思い出すこともなかったが、図書館で偶然のように先生の名前を目にして借りることにした。一読して先生の思想は反骨にして反近代と感じた。インターネットやAIなどの技術進歩を否定はしないが、ものごとの本質はそこには存在しないというのだ。本書で論じられているのも、源実朝、近松門左衛門、伊藤若冲、小林清親、成島柳北等であり、戦後文学も輪廻転生という観点から三島由紀夫、深沢七郎、遠藤周作を論じている。これは相当にユニークな視点といっていいし、反時代的ともいえる。先生は2012年に亡くなっている。先生の本を読むとすれば古書を探すしかない。

6月某日
音楽運動療法研究会を新宿の貸会議室で。特別養護老人ホームなどの協力を得て、音楽運動療法法が認知症予防などに一定程度の効果があることを実証する方法などについて議論。この研究会はメンバー全員が活発な議論を行う。音楽療法士や特養の施設長、リハビリ病院の医師などの専門家が参加しているのが強み。私はもっぱら利用者、市民としての立場から発言。貸会議室での予定時間が終了してからも近くの中華料理店「西安」に場所を移して議論。率直に意見を交換できるのが楽しい。

6月某日
図書館で借りた「武士の日本史」(高橋昌明 岩波新書 2018年5月)を読む。題名通り武士の発生から果たした役割とその時代ごとの変化などを論じた新書だが、随所に著者のユニークな視点がうかがえ、大変面白く読んだ。「武士は芸能人」というのも高橋の新説だ。しかしこれも仔細に読むと納得のいく話である。「武士とは本来、『武』という芸(技術)をによって他と区別された社会的存在」で、「ある芸能が芸能であり続けるためには、当事者たちが自分の技芸の能力を不断に練磨し、新たな技能を我がものとし、それらを後継者に伝えてゆかねばならない」のである。高橋の筆は明治維新から日中戦争、太平洋戦争にも及ぶ。武士道、兵(つわもの)の道は明治以降の官員や軍人に受け継がれていくからである。高橋は「我々は日本が武の国とか日本人は勇敢な民族だとかいう確かめようのないプロパガンダに乗ぜられるのではなく、むしろ『軍事面での勇敢さ』を不要とする、平和と安全保障の国際関係、国際環境を構築する方向で、それこそ勇敢に、粘り強く努力すべきである」とする。1945年生まれの高橋先生はいまや貴重なリベラリストなのである。

6月某日
桐野夏生の新著の広告を新聞で見かけたので早速、虎ノ門書房で「ロンリネス」(光文社 2018年6月)を購入する。タワーマンションに夫と娘と暮らす有紗が主人公。有紗は離婚歴があって、前夫のもとに長男を置いてきている。有紗の親友美雨ママは夫と子供を捨てる。有紗の不倫相手も妻と子供を捨て美雨ママと沖縄への移住を決意する。有紗は同じマンションの高梨に魅かれていき、二人は不倫関係に至る。こう書くと不倫小説ということになるし、実際に不倫がこの小説の柱になっていることは事実なのだが、私には真実の愛とは、家族とはテーマにした小説として読んだ。これは「ハピネス」の続編ということなので、図書館で「ハピネス」を借りることにする。しかし「ロンリネス」にも続編を期待したい。有紗の恋がどうなるか、美雨ママは無事に沖縄で新生活を送れるのか、続編を読みたいものね。

6月某日
虎ノ門フォーラムに出席。本日の講師は産業医科大学の松田晋也先生、「2025年の医療問題―医療介護ニーズの複合化への対応」というタイトル。大変ためになる講演だったので、講演資料からいくつか抜粋させてもらうと、①質の高い医療・介護の総合的提供体制が人生の最終段階におけるQOLに大きく影響する②利用可能な社会資源に限りがあるので地域の医療介護の在り方をそれぞれの地域で考えざるを得ないなどなど。傷病別に適切な医療・介護の在り方も紹介していた。ちなみに脳血管障害や骨折では①発症予防のための生活習慣病の管理②発症後の適切な早期治療と早期リハ③回復期でのリハ(在宅復帰)④維持期におけるリハ(ADLの維持・向上)⑤閉じこもり予防―である。これは私の脳出血の経験からしても全く正しい。「まとめと」として①これからの地域における医療介護ニーズの量と内容にもっとも大きな影響を及ぼすのは人口構造(地域差が大きいので各地域で考える必要がある)②急性期はもちろん重要、それと同じくらい急性期以後が重要となる(そのため医療者の意識変革が必要。医療と介護ニーズが複合化するので連携が重要になる。併せて街づくり(地域包括ケア)の視点が重要になる)としている。なるほど。講演終了後、基金連合会の足利理事と飯野ビルの地下で呑む。霞が関から千代田線に乗り北千住で快速に乗り換え。乗り換えたのが成田線で目が覚めたら布佐駅。上りの電車はすでになく駅前にタクシーもない。途方に暮れていると1軒だけ赤提灯が見えた。寿司屋が営業していたのだ。ビールと刺身を頼んでタクシーを呼んでもらう。とんだ散財である。

モリちゃんの酒中日記 6月その3

6月某日
図書館で借りた「西郷隆盛 維新150年目の真実」(家近良樹 NHK出版新書 2017年11月)を読む。家近は日本近代史、とくに幕末から明治維新にかけての政治史の権威、と私は思っている。昨年出版された「西郷隆盛」(ミネルバ書房)も丁寧に文献をたどった力作だった。「はじめに」によると、本書の柱をなすのは、①辺境の地にあった薩摩藩がなぜ、幕末維新史において主役の座を射止めることができたか②薩摩藩内の真の主役は誰であったか③西郷がなぜ幕末維新史上で「図抜けた存在」になりえたか、という問題の解明にある。①は江戸からは辺境であっても、琉球王国の支配を通して薩摩は中国大陸、東南アジアとつながっていたし、ペリーも浦賀に来航する前に沖縄に寄港していた。つまり鎖国下、薩摩は諸藩のなかで例外的に世界と繋がっていた。②は西郷と大久保が主役という通説に対して、著者は島津久光と小松帯刀こそが真の主役とする。これは藩内のパワーゲームの主役という点では家近説が正しい。しかし武力倒幕説を曲げず明治政権を樹立したのは紛れもなく薩長、とりわけ西郷と大久保であった③については、いろいろな考え方があろうが私は、維新の功臣、西郷の悲劇的な最期こそが「西郷を特別な存在たらしめた」最大の理由と思う。

6月某日
図書館で借りた「天国までの百マイル」(浅田次郎 朝日文庫 2000年10月)を読む。連載は「小説トリッパ-」97年秋季号~98年夏季号、単行本は98年10月。城所安夫は4人兄弟の末っ子、産まれてすぐに父は他界、4人の兄弟は母親の細腕で育てられる。兄のうち1人は商社マン、1人は医者に、姉の夫は銀行の支店長へと世間的には成功者に。安夫も学校の成績は良くなかったが、バブルのころに立ち上げた「城所商産」で一時は年商数十億円を稼いだ。がバブル崩壊とともに倒産、安夫は自己破産、女房とは離婚。安夫は高校時代の友人が社長をやっている会社にセールスマンとして雇われ、月給は手取り30万円。別れた双子の子供が名門私立小学校に入学、仕送りは月々15万円から30万円に。おまけに1人暮らしの母が心臓病で入院、房総の鴨浦という漁師町にあるサン・マルコ記念病院の心臓外科医、曽我先生の手術だったら回復の見込みがあるという。母が入院している病院から鴨浦までは150キロ、100マイルである。で「天国までの百マイル」というタイトル。安夫は勤務先からバンを借りて母を搬送することを決意する。鴨浦のサン・マルコ記念病院は鴨川の亀田記念総合病院をモデルにしていると知れる。浅田次郎は今や押しも押されぬ大家だが、本書は「鉄道員(ぽっぽや)で直木賞を受賞した前後の作品、通俗性たっぷりで泣かせどころも何か所か用意されている。私にとって浅田次郎の作品はそれで十分。毎回予想を超えて楽しませてくれる。

6月某日
5月からHCMで債権管理の仕事をしている早乙女さんの歓迎会を近くの中華料理屋「ユイツ」で。早乙女さんは年住協に出向していたので、「出向先から本社勤務になった」というわけ。早乙女さんは40年ほど前、1年半ほどヨーロッパを放浪していたことがあると、今回初めて聞いた。行きはシベリア鉄道だったという。五木寛之の「さらばモスクワ愚連隊」などの影響もあったらしいけれど、私はその頃すでに今の奥さんと結婚して、子どももすでにいた。業界紙の記者をしていて生活は楽ではなかったが社会全体は今より明るかったような気がする。同じころ早乙女さんはヨーロッパ放浪の旅に。いろんな青春があったわけだ。「ユイツ」という店は「唯一」という意味で中国人がやっている広東料理のお店。なかなかおいしかった。

6月某日
図書館で借りた「財政破綻後―危機のシナリオ分析」(小林慶一郎編著 日本経済新聞出版社 2018年4月)を読む。財政破綻の危機が以前から言われながら、財政再建の歩みは遅々として進まない。そうした危機感が本書を産んだと言えよう。第1章「人口減少時代の政策決定」(森田朗津田塾大教授)は、日本を含むアジア諸国の高齢化がヨーロッパに比べて急速であることを指摘する。日本は高齢化率が7%から21%へ上昇するのに37年かかっているが、フランスはなんと157年である。ちなみに中国は33年、韓国は28年と日本より短い。フランスは日中韓のおよそ5倍の時間を賭けて高齢化に対応できたのである。高齢化にともない有権者に占める高齢者の割合は増え、しかも高齢者の投票率は高い。森田は政治家に「高齢者層を説得し、高齢者に負担を受け入れてもらう努力を期待するしかない」としつつ、読者には「いまは冷静に現実を見つめて、その状態を改善するために可能な選択肢を探ること」が必要であると訴える。
第2章「財政破綻時のトリアージ」(佐藤主光一橋大教授他)では財政破綻時の政府の選択肢は増税と大幅な歳出削減にほぼ限られるとしたうえで、歳出削減が必要になったときのトリアージを(優先順位)をあらかじめ考えておけと主張する。第3章「日銀と政府の関係、出口戦略、日銀引き受けの影響」(小黒一正法政大教授他)では、今は金利がほぼゼロだがデフレ脱却後に金利が正常化すると、巨額の債務コストが顕在化すると警鐘を鳴らす。国の負債はおよそ1000兆円、年間の利払いはその1%ほぼ10兆円ですんでいるが、金利が3%になれば30兆円である。論者らはここでも「増税や歳出削減の実行」という国民の痛みをともなう政策の実行を迫る。第4章「公的医療・介護・福祉は立て直せるか?」(松山幸弘キャノングローバル戦略研究所主幹)では、国債札割れによって公費の流れが止まると、診療報酬・介護報酬の公費分が未収金となり報酬改定マイナス時代が長期化し、多くの民間医療・介護事業体は倒産するというショッキングな予測を立てる。そのためにはたとえば「公的医療保険を2階建て」にして2階部分は被保険者のニーズによって変えればよいと提案する。
第5章「長期の財政再構築」(佐藤主光一橋大教授他)では、財政の構造改革について考察する。税制では経済のグローバル化や高齢化といった「新しい経済環境」で成長と両立するような税制の再構築、具体的には消費税を軸にした増税を提案する。財政再建が低所得者など社会的な弱者を切り捨てることになってはならないとも警告する。それによるポピュリズムの台頭を懸念するのだ。至極真っ当な議論といえる。第6章「経済成長と新しい社会契約」(小林慶一郎慶大教授)では、「経済成長を先に実現し、財政再建は後にする」という、これまで30年間続いた日本の経済政策の基本哲学を批判的に検討する。むしろ「将来の財政破綻の予測が、現時点での経済成長を低迷させる」という。財政再建問題や地球環境問題は深刻な世代間対立を巻き起こしかねない深刻な問題である。たとえば赤字国債を発行して道路を建設し景気を回復させるとすると、受益はもっぱら現役世代で負担は後世代である。環境基準を甘くして経済活動を活発化させれば、その受益を現役世代は受け取れるが環境の負荷は後世代にも及ぶ。そのため政府や政党から独立したフューチャーデザインの長期予測機関の設置や、行政機関として将来世代の護民官ともいうべき「世代間公平確保委員会」の創設などを紹介している。本書を通読して感じたことは財政危機の深刻さだが、同時に危機の克服過程にこそ日本社会の構造転換のチャンスが潜んでいるのではないかという希望である。ピンチの後にチャンスあり、である。