モリちゃんの酒中日記 1月その2

1月某日
「この星のソウル」(黒川創 新潮社 2024年11月)を読む。戦前の日本と朝鮮、戦後の独裁政権下の韓国と高度経済成長期の日本、そして現在の韓国と日本、時空を超えた旅を体験させてくれる小説である。主人公の中村直人は1961年生まれ。著者の黒川も1961年生まれだから著者の分身と考えてよさそうだ。中村は韓国のガイドブックを編集するためにソウルを訪れる。ガイドを頼んだのが在日韓国人でソウルに留学中の崔(チェ)さんである。崔さんと二人で訪れるソウルの街、そこは戦前の李王朝の首都でもあり、日本に併合された後の京城である。韓国の現代史へのあまりの無知に恥ずかしくなる。

1月某日
韓国の現代史を知ろうと図書館で「新・韓国現代史」(文京殊 岩波新書 2015年12月)を借りる。序章で幕末から明治期の日本人の朝鮮、朝鮮人観を描き、さらに1910年の日本の韓国併合の歴史をたどる。韓国は現在、ユン大統領の弾劾が国会で議決されたが、大統領は官邸での籠城を続けている。私は韓国の民主主義の徹底と市民のデモによる政治参加、政治意識の高さに驚いたものだ。本書を読むと韓国の民主主義が多くの市民が犠牲になった光州事件をはじめとした市民的な抵抗をもとにしていることがわかった。戦後、日本がアメリカから与えられた民主主義を受け入れたのとは、基本が違う気がする。韓国は日本と違って終戦後直ぐに民主主義的な政体が発足したわけではない。日本の敗戦により日本の植民地であった朝鮮半島には北にはソ連軍が、南には米軍が進駐し北には朝鮮民主主義人民共和国、南には大韓民国が成立する。韓国では李承晩が政権を長く握ったが1960年の広範な学生デモにより退陣に追い込まれる。民主主義が定着するかに見えたが朴正煕の軍事クーデターにより朴が独裁的な権力を手中にする。朴のもとで日韓条約が結ばれ、また驚異的な経済成長を遂げる。朴は1979年に暗殺される。朴の後を継いだのが同じ軍人出身の全斗煥で80年には民主化を求める光州事件が起きる。民主化の声が高まり92年には金泳三が大統領に就任、97年に金大中、03年に廬武鉉、07年には李明博、12年には朴槿恵が大統領に当選する。「新・韓国現代史」はここらで記述を終了するのだが、大統領は文大統領に続いてユン大統領が就任する。韓国には政権交代のダイナミズムが存在する。だからこそ市民の政治意識も高くならざるを得ないのではないか。

1月某日
「三千円の使いかた」(原田ひ香 中公文庫 2021年8月)を読む。単行本は18年4月発行だから時代状況は10年代後半か。私が会社を辞めたのが確か16年の11月だからその頃とも重なる。東京は十条に暮らすサラリーマン一家の暮らし、とくにお金を巡る物語である。十条というのがミソ。北区十条、JRの駅でいうと京浜東北線の東十条と赤羽線の十条である。住宅地ではあるが決して高級ではない。東十条から赤羽を過ぎて川を渡ると川口、埼玉県だ。私は中年の母・智子や姉娘の真帆に感情移入してしまったが、実は祖母の琴子と同年代であった。琴子は夫を亡くした後、年金を減額され働きに出ることに。琴子の決意が美しくたくましいのだ。

1月某日
大学の同級生が新橋で弁護士事務所を開いている。彼が幹事をやって毎年、同級生が4、5人集まって新年会をやっている。でも今年は入院や検査、風邪などで欠席者が相次ぎ、私と弁護士の先生だけが出席ということに。5時過ぎに西新橋の事務所を訪問。先生は家族でロスアンゼルスに行ってきたそうでお土産をいただく。先生の事務所の女性を交えて3人で新年会。事務所の女性と話すのは初めてだが、話題が豊富でなかなか面白かった。ちなみに愛読書

モリちゃんの酒中日記 1月その1

1月某日
「明治天皇の大日本帝国 天皇の歴史07」(西川誠 講談社 2011年7月)を読む。平安時代以降、日本の国王たる天皇は後醍醐天皇など一部の例外を除いて直接的な権力を行使してこなかった。「君臨すれども統治せず」ということだが、江戸時代の庶民にとって、自らの王は自分たちと領地を統治する大名とその大名を支配する将軍であって、天皇は京都の御所の密やかな存在で「君臨」とは遠い存在であった。そういう存在が明治維新で一変する。薩長などの倒幕勢力は、その目的のために王政復古というイデオロギーとその象徴として天皇を担ぎだした。維新当時、明治天皇はわずか16歳。

1月某日
11時30分に予約していたマッサージ店「絆」へ。年賀状の返事をポストに出して坂東バスの停留所「若松」から「我孫子駅」行きに乗車、「八坂神社前」で下車、町中華の「喜楽」で中華焼きそばを食す。一人で食べている高齢男子多し。もちろん私もそのひとり。「カットクラブパパ」で散髪。今年から料金が500円上がって4000円に。「八坂神社前」から「アビスタ前」までバス。

1月某日
「ガザ虐殺を考える-その悲痛で不条理な歴史と現状を知るために」(森達也編著 論創社
2024年11月)を読む。現在のイスラエルのガザ侵攻は、直接的には2023年のヒズボラによるイスラエルに対する奇襲攻撃への報復であり、イスラエルに正当性があるかのように見える。しかし本書を読むと、イスラエルというユダヤ国家の建国そのものに疑念が持たれるし、現在のガザ侵攻は本書のタイトルのようにガザ虐殺そのものだ。酒井啓子は「2023年10月7日以降世界で起きていることとして、ガザで数万の住民が圧倒的な軍事力のもとで殺戮されていること、完全封鎖状態のなかで飢餓、衛生状態の悪化により死に瀕していることという、人道的危機の深刻さが第一に指摘できるが、加えて深刻視すべき点は、国連や人道支援組織、国際社会が、この紛争を解決できていないことだ」と述べる。新右翼の代表的な活動家、木村三浩は「今こそ、ベトナムやイラクをはじめ、アメリカがやってきた侵略戦争、介入戦争を徹底的に批判し、検証しつつ、裁く時ではないだろうか。パレスチナ・ハマスの決起とは、彼らが長い歴史の中で置かれた立場からの言い分だということを、我々は想像してみる必要があるのだ」と書いている。虐げられている人々を想像する力ということだろう。

1月某日
「台所で考えた」(若竹千佐子 河出書房新社 2024年11月)を読む。若竹は63歳で主婦から作家になり、70万部のベストセラー「おらおらでひとりでいぐも」で芥川賞を受賞した。若竹の著作を読むのは初めてだがかなり共感できた。弱者への共感そして強者への抵抗とかね。

1月某日
上野駅不忍口で大谷さんと待ち合わせ。御徒町まで歩く。御徒町で前に行った中華、大興を目指すが開店前で断念、御徒町駅前の吉池食堂に変更。ビール、日本酒を頼み、刺身などを食す。吉池は新潟の出なので栃尾の油偈も頂く。大谷さんにすっかりご馳走になる。上野駅で大谷さんと別れ、私は常磐線で我孫子へ。駅前の「しちりん」による。

1月某日
「あの家に暮らす四人の女」(三浦しをん 中公文庫 2018年6月)を読む。「あの家」とは阿佐ヶ谷駅から徒歩20分、善福寺川にほど近い敷地150坪の古い洋館、牧田家のことである。家には寡婦の鶴代、鶴代の娘で刺繍作家の佐知、下宿人の雪乃と多恵美が暮らす。佐知は「私たち、『細雪』に出てくる四姉妹と同じ名前なんだよ」と語る。解説(清水良典)によると「この物語は、谷崎潤一郎の『細雪』が下敷きになっているのである」「長女の鶴子が夫の転勤に伴って東京へ去り、芦屋の邸宅には幸子、雪子、妙子の三姉妹が暮らす」ということだ。私は「細雪」は未読。だがこの小説は楽しく読ませてもらった。私は舞台となった阿佐ヶ谷駅から徒歩20分あたりには土地勘がある。私の知り合いが理事長をやっていた社会福祉法人の経営するグループホームがあったのだ。ヒマに任せてグループホームに通い、阿佐ヶ谷駅界隈で理事長に何度かご馳走になったことを覚えている。

モリちゃんの酒中日記 12月その2

12月某日
「ナチュラルボーンチキン」(金原ひとみ 河出書房新社 2024年10月)を読む。ナチュラルボーンは「生まれつきの」、チキンは「ニワトリ」ではなく俗語の「臆病モノ」という意味である。主人公の浜野は45歳独身の×1女性。出版社の文芸図書の編集部に在籍していたが、同業者との離婚を機に経理担当となり、「仕事に動画とご飯」がルーティンとなる。浜野はある日、部長から在宅勤務の平木と連絡をとれないので様子を見て来てくれないかと頼まれる。ホストクラブに通いロックグループのコンサートに入れあげる平木の日常は、浜野の「仕事と動画とご飯」とは全く異質のものだった。浜野は平木に誘われてロックコンサートへ行き、バンドの打ち上げにも参加する。そしてそこで出会ったバンドのメンバー、まさかと恋仲になるのだが…。金原ひとみは1983年生まれ、私と35歳違う。出てくる用語も私には意味不明な横文字も多い。それでも私にはこの物語が面白かった。柄谷行人が言っていたと思うが、中上健次や村上春樹以降の「新しい文学」の世界があるように感じられるのだ。

12月某日
目が覚めると喉が痛い。体の節々も痛い。体温を測ると平熱であった。念のため名戸ヶ谷我孫子病院へ行く。アビスタ前からバスに乗って4つ目の市役所前で降りると病院のすぐ前に着く。内科外来で3時間待って診察は5分。たんなる風邪だった。まぁ採血や採尿、CTで肺も撮影してもらったし、いい機会とゆうことで。市役所前からバスに乗って若松で下車、調剤薬局のウエルシアで調剤。ウエルシアから徒歩で自宅へ。朝から何も食べていなかったので、妻にうどんを作ってもらって食す。

12月某日
テレビでクリントイーストウッド主演、監督の「グラントリノ」を観る。実はこの作品は2度ほど観ているのだが、いつも途中から。今回初めて最初から観る。「グラントリノ」というのはフォード社の制作した1970年代の乗用車。燃費が悪く現代向きではないということでは主人公のコワルスキーを象徴している。コワルスキーの住む町にベトナムから脱出したモン族が住み着くようになる。モン族の少年との淡い友情が描かれる。少年の姉がモン族の不良に凌辱され、コワルスキーは立ち上がる。コワルスキーは死に、グラントリノはモン族の少年に遺贈される。コワルスキーはポーランド系移民の末裔で宗教はカソリック。アメリカ社会では少数派である。トランプの大統領再登場でアメリカ社会の分断が強化されるという予測も根強い。「グラントリノ」はアメリカ社会における少数派、ベトナム難民の少年とポーランド移民の末裔のカソリックの老人の友情を描いたという観方もできる。

12月某日
「ナチズム前夜-ワイマル共和国と政治的暴力」(原田昌博 集英社新書 2024年8月)を読む。第1次世界大戦でドイツが敗北し、ワイマル共和国が成立する。やがてナチスが台頭しワイマル共和制は崩壊する。本書は当時、ドイツの街頭や酒場で起きていた「暴力」に着目し、それが共和国の政治や社会を蝕んでいった過程をひもとくことによって答えを探る。この時期のドイツ政治の特徴のひとつは街頭での政治的暴力である。主として共産党とナチスが時に死者を出しながら激しく戦った。私は日本において1980年代から顕著になった革共同革マル派と中核派の内ゲバを連想してしまう。こちらの場合は多数の犠牲者を出しながら暴力的な衝突は一応は終息したようだ。

12月某日
「消費される階級」(酒井順子 集英社 2024年6月)を読む。著者の酒井順子は「負け犬の遠吠え」(2004年)が出世作となったエッセイスト。私は酒井の著作を読むのは本作がはじめて、おおむね酒井の考えに同意できた。例えば「結婚する人が減り続け、そうして日本の人口が減っていくのは、制度上の平等と精神的平等の乖離から日本人が眼を逸らし、放置し続けているから」というくだり。「制度上の平等と精神的平等の乖離」ね。確かに私の在職していた会社も日本の多くの職場にも男女の「制度上の平等」は保障されていた。しかし「精神的平等」はどうか? おそらく精神的な平等はまだのような気がする。

12月某日
「坂の中のまち」(中島京子 文藝春秋 2024年11月)を読む。北陸の高校から東京の女子大に進学した私は、茗荷谷の志桜里さんの家に下宿する。私と志桜里さんの日常が淡々と描かれる。私の学生時代というと50年以上前だが、学生運動が盛んな時代で、学生同士の暴力事件が日常的に起きていた。とても「淡々と」してはいなかった。しかし今にして思うと「坂の中のまち」に描かれるような日常が正しいのだと思う。

モリちゃんの酒中日記 12月その1

12月某日
「まほろ駅前多田便利軒」(三浦しをん 文春文庫 2009年1月)を読む。先日読んだ三浦の「エレジーは流れない」がつまらなかったので直木賞受賞作で映画化もされた本書を読むことにする。感想は「面白かった」。便利屋を主人公とした発想、中年×1の独身男ふたりのコンビ、コロンビア出身の売春婦…。登場人物がいずれもユニーク。乃南アサの「前持ち二人組」シリーズと似た感じを私は持った。どちらもそれぞれが優れたエンターテインメントだと思うけれど、重たい過去を抱えた二人組ということで…。「前持ち二人組」は文京区の根津が舞台だが、こちらはまほろ市という架空の街が舞台。小説中では「まほろ市は東京の南西部に、神奈川へ突きだすような形で存在する」「まほろ市の縁をなぞるように、国道16号とJR八王子線が走っている」と紹介されている。これからわかるようにまほろ市のモデルは町田市である。しかしモデルの都市が物語の構成に大きな影響を与えたとは思えない。東京近郊で高度経済成長期に人口が膨張した、中堅の都市であればよい。独身男の二人、多田と行天について物語は次のように語る。「多田と行天は、たぶん似たような空虚を抱えている。それはいつも胸のうちにあって、二度と取り返しのつかないこと、得られなかったこと、失ったことをよみがえらせては、暴力の牙を剥こうと狙っている」「わかったことは、と多田は事務所に戻りながら考えた。行天は確実にだれかを幸せにしたことがあるが、俺にはないということだ」。これはすでにハードボイルドではなかろうか。

12月某日
月に1度のペースで我孫子駅近くの中山クリニックへ行く。バスでアビスタ前から八坂神社前まで行く。高血圧の治療のためだが、治療行為は行われることはない。毎日測る血圧の測定記録を提出し、先生に見てもらう。先生「安定してますね」私「はい」先生「いつもの薬を出しておきましょう」私「はい。ありがとうございます」先生「お大事に」。こういう応答を恐らく20年以上やっている。ところでいつもは閑散としているクリニックの待合室が混んでいた。恐らくインフルエンザの予防接種のためだろう。私はすでに済ませているがコロナのワクチン接種の予約をしておいた。帰りは八坂神社前から若松までバス。ウエルシア薬局で調剤してもらう。ウエルシアから歩いて5分で自宅へ。

12月某日
「二〇三高地-旅順攻囲戦と乃木希典の決断」(長南正義 角川新書 2024年8月)を読む。ロシアの極東艦隊の拠点であった旅順港とそれを防衛していたのがロシア帝国陸軍である。ロシア軍は堅固な要塞に守られ、兵器弾薬も豊富に所有していた。日本帝国陸軍は満洲軍(総司令官 大山巌 総参謀長 児玉源太郎)の第三軍(司令官 乃木希典 参謀長  
伊地知幸介)が攻撃に当たった。第三軍は8月19日、第1回の総攻撃を開始するが、戦闘総員5万765人(ロシア軍の1.5倍)中1万5860人の死傷者(死傷率約31%、ロシア軍の約10倍)を出して、失敗に終わる。突撃は主に小銃と機関銃で阻止され、「特に機関銃の存在が脅威であった」。陸軍は要塞に対する重砲の威力が不足していることを認識し、対艦用の海岸砲である大口径重砲28サンチ榴弾砲を活用することとし、大本営は8月下旬に28サンチ榴弾砲を旅順要塞攻撃に投入することにした。砲の据え付け作業は9月に終了、10月から要塞攻撃と旅順港内のロシア艦隊攻撃に使用された。10月30日、第2回の総攻撃が開始されたが、またも失敗に終わった。第2回の死傷者は3830人(第1回の約5分の2)、ロシア軍の死傷者・行方不明者は4532人(第1回の3倍)であり、「戦闘成績は第1回総攻撃に比して遥かに良かった」。
第3回の総攻撃は11月26日に開始され、12月5日に203高地を陥落させた。第3回の203高地における死傷者は7578人(ロシア軍死傷者6739人)であった。主要堡塁が陥落し1905(明治38)年1月1日、ロシア軍のステッセル中将は降伏を決意、翌2日に水師営で日露両軍の委員が「旅順港開城規約」に調印し、旅順攻囲戦は終結した。乃木将軍に対して戦略家として能力が低かったとする評もあるが、著者は否定する。著者は乃木の決断力、統率力を高く評価し、司令部の組織的能力を効果的に活用する点でも優れていたとしている。「指揮力や決断力のみならず、統率の基盤たる人格も含め、乃木の存在が旅順攻略に寄与した度合いは大きい。そして何よりも彼は、悪条件が重なる中で軍を立て直し、「負け戦(lost battle)」を逆転勝利に導いた。近代日本史上稀有な軍人なのである。それゆえ、乃木は軍司令官として名将と評されて然るべきだといえよう」(おわりに)。乃木は旅順攻囲戦で2人の息子も亡くしているしね。

12月某日
韓国が揺れている。発端はユン大統領が戒厳令を発令したことに始まる。与野党議員が国会で戒厳令の無効を議決、ユン大統領は戒厳令の撤回に追い込まれた。国会でユン大統領の罷免は回避されたが、ユン大統領の早期の辞任は避けられないのではないか。辞任どころかユン大統領の内乱罪での逮捕もあり得るという。内乱罪の最高刑は死刑。韓国では民主主義が未成熟とする論調が一部にあったが、私はむしろ日本以上に民主主義が徹底しているように思う。国会外での市民の集会(15万人ともいわれる)が国政に大きな影響を与えた。民主主義は結局のところ市民、国民の政治に対する関心の深さで決まると思うけれど…。

モリちゃんの酒中日記 11月その3

11月某日
秋葉原のバーミヤンで軽く忘年会。メンバーはHCM社の大橋さん、ネオユニットの土方さん、それに年友企画で経理を担当していた石津さん、それに私。2時に会場に行くと大橋さんと石津さんはすでに来ていた。すぐに土方さんも来て乾杯。3時間ほど食べて呑む。この4人はネオユニットが開発、制作した「胃ろう・吸引シミュレーター」の販売に関わったのが共通点。在庫がなくなっても呑み会は続けたいと思う。

11月某日
17時から神田の「跳人」で忘年会。その前に上野の国立東京博物館で開催されている「はにわ展」を観に行くことにする。平日の午後というのに「はにわ展」は行列ができるほどの賑わい。展示品は写真撮影が自由に行われるのでカメラやスマホで展示物を撮影している人も多い。上野駅に戻ると16時過ぎ、神田駅までJRで、神田駅西口から徒歩で鎌倉河岸ビル地下1回の「跳人」へ。開店まで10分ほど時間があるので店の前の椅子に座って待っていると厚労省OBの小林さんが登場、ほどなく店長があらわれ開店。もう1人、大谷さんも来店して3人が揃う。ビールで乾杯の後、私は日本酒、2人はハイボールを呑む。

11月某日
「エレジーは流れない」(三浦しをん 双葉文庫 2024年10月)を読む。三浦しをんの小説はずいぶん読んできたけれど、概ね面白かった。しかし本作は違った。温泉町に暮らす高校生の群像劇なのだが、私には少しも面白くなかった。まぁ私はこの11月で76歳になった。高校生が主人公の小説に共感できなくてもしょうがないか。

11月某日
「人生オークション」(原田ひ香 講談社文庫 2014年2月)を読む。表題作と「あめよび」の中編2作がおさめられている。「エレジーは流れない」とちがってこちらは面白かった。「人生オークション」は離婚して一人暮らしとなった叔母と、叔母を訪ねてくる姪の話。叔母の持っているブランド品はネットオークションで販売するのだが…。その過程で叔母さんの隠れた過去が明らかになって来る。「あめよび」は雨予備のこと。ラジオ中継される野球放送などが雨天で試合が行われないことに備えた番組のこと。眼鏡店に勤める美子は何年も付き合っている恋人輝男がいる。輝男は工場務めだが「あめよび」番組への投稿が趣味。輝男には美子には明かさない諱(いみな)があるのだが…。この本は我孫子市民図書館で借りたのだが人気があるらしく「この本は、次の人が予約してまっています」という黄色い紙が裏表紙に貼ってあった。早速返してこよう。

11月某日
「ふかいことをおもしろく」(井上ひさし PHP文庫 2024年10月)を読む。井上ひさしは1934年11月、山形県置賜郡小松町(現・川西町)に生まれる。父は作家志望でかつ農民運動にも従事するが34歳の若さで死亡する。母は釜石でラーメンの屋台を始めるが、井上は同居せず、仙台の児童養護施設、ラ・サール・ホームで暮らす。仙台一高を経て、上智大学に進学、在学中から浅草フランス座でストリップの幕合にやっている笑劇の台本を書き始める。1964年からNHKの連続人形劇「ひょっこりひょうたん島」(共作)の台本執筆。69年に「日本人のへそ」で演劇界にデビュー。72年には「手鎖心中」で直木賞を受賞。それ以降、戯曲や小説で相次いで受賞。01年には朝日賞、04年、文化功労者にえらばれる。10年4月に永眠。井上ひさしはユーモア作家として括られることが多いかも知れないが、私は反骨、反戦の作家ととらえたい。井上が現代に生きていればウクライナやガザの現状をどう思うだろうか…。

モリちゃんの酒中日記 11月その2

11月某日
土曜日だが、いつもより早く目を覚ました。新聞を取りに行って1時間ほど寝床の中で読む。7時過ぎに起床。入浴。朝食を済ませ9時30分からNHKBSの「高倉健にあいたい」を見る。高倉健の生前の映像と武田鉄矢、佐藤浩一などのインタビューで構成される。高倉健は役柄からして「寡黙な人」と見られがちだが、佐藤浩市によると実際はよくしゃべる人だったという。しかしだからといって明るい人だったかどうかは分からない。番組では高倉健の座右の銘が紹介されていた。「往く道は精進にして、忍びて終わりて悔いなし」という仏教の言葉。ネットで調べると大無量寿経の歎仏偈(たんぶつげ)に出てくる言葉で、正確には「たとい身を、もろもろの苦毒の中に終わるとも、我が行は精進して、忍びてついに悔いじ」(たとえどんな苦難にあおうとも、決して後悔しないであろう)だそうだ。思うに高倉健は精進と決意の人であったのであろう。本日は15時45分に柏駅中央口で高校時代の友人たちと待ち合わせ、会食の予定。15時30分過ぎに柏駅中央口で待つ。45分を過ぎても50分を過ぎてもだれもあらわれない。幹事役のYさんの携帯に電話しようとして気がついた。今日ではなく12月だったんだ。昔から思い込みが激しいんだよ!

11月某日
「アイヌがまなざす-痛みの声を聴くとき」(石原真衣 村上靖彦 岩波書店 2024年6月)を読む。石原は1982年、アイヌと琴似屯田兵(会津藩)とのマルチレイシャルとして生まれる。村上は1972年生まれ、大阪大学人間科学科教授。本書は石原と村上によるアイヌの人びとへのインタビューとそれへの考察によって構成される。私は北海道室蘭市出身でアイヌの人びとには多少の理解があるつもりでいたのだが、本書を読んで北海道と先住民のアイヌについてあまりにも知らないことだらけだったのに驚かされた。まず私たちの先祖は植民者、侵略者として先住民アイヌの土地を奪ったということ。恐らく狩猟採集の民族だったアイヌには土地を私有するという観念はなかったと思われるが、彼らが狩猟や採集で歩いた北海道の大地(アイヌモシリ)はアイヌの共有地、コモンであった。所有権は当然、共同体としてアイヌ全体にある。それを植民者は共有地からアイヌを追い出し移住させた。明治になってからも収奪は続いた。一部を除いてアイヌの生活水準は低く、高校への進学率も低かった。人類学研究の名前でアイヌの墓から遺骨が盗掘された事実もある。唐突だが、私は東アジア反日武装戦線のことを思いだした。主犯の大道寺は釧路出身、逮捕当日の自殺したSは私と同じ室蘭出身。ともにアイヌ差別や在日朝鮮人差別への怒りが運動を始めた動機という。無差別テロは許されないけれど…。

11月某日
「だめになった僕」(井上荒野 小学館 2024年10月)を読む。ネットによると「著者23年ぶりの書下ろし長編恋愛小説」だって。主人公は音村綾、長野でペンションを経営しながら漫画家としても活躍している。綾が東京で開かれるサイン会に出席するところから話は始まり、物語は「現在」から「1年前」「4年前」…「14年前」「16年前」とさかのぼり、エピローグ「現在」で終わる。恋愛小説であるとともにちょっとした「謎解き小説」でもあると思うのでストーリーの詳細は省きます。私としては大変満足した小説でした。

11月某日
「聖書の同盟-アメリカはなぜユダヤ国家を支持するのか」(船津靖 KAWADE夢新書 2024年6月)を読む。パレスチナの紛争は分かりにくい。とりわけ外国に占領された経験が第2次世界大戦に敗れて連合国、主として米国に占領された1回だけという日本人にとっては分かりにくい。本書は共同通信で海外特派員経験が長く、現在は広島修道大学で国際政治を教える著者が優しい語り口で解き明かしてくれる。現在のイスラエルやパレスチナが存在する地域は第1次世界大戦までがドイツと同盟国だったオスマントルコが領有していた。しかしもともとこの地域にはユダヤ人の国家が存在していた。本書によると「ユダヤ人の歴史で確かなのは前9世紀以降、エルサレムを中心に、伝説的なダビデ王家の血統を主張する王が支配する南王国ユダが存在し、その北方に強大な北王国イスラエルがあった」「両王国ともヤハウェを信仰する宗教的部族連合」だった。北王国はアッシリアに滅ぼされ、南王国もやがて新バビロニアに滅ぼされる。その後、ペルシアやシリアの支配を経てユダヤ人独立国家、ハスモン王朝が成立するがやがてローマの支配下に入る。そこで君臨したのがヘロデ王で、このときにユダヤ教の神殿支配者層を公然と批判したのがイエスである。イエスはユダヤ教の革新を目指したとも言えるが同時にキリスト教の創始者でもあった。「ユダヤ人は「神の選民」でありながら「神の子」イエスを受け入れることを拒んで殺した、とキリスト教徒に非難され」「ユダヤ教徒のその後の苦難は「神罰」として正当化され」た。
独立国家を失ったユダヤ人は世界各地へとくにヨーロッパへ移住した。ユダヤ人は差別されてきたが19世紀以降、故郷への帰郷運動が本格化する。第一次世界大戦中、英米仏はユダヤ財閥からの戦費調達のため戦後のユダヤ国家創設を約束し、アラブには対オスマントルコへの戦闘協力と引き換えに戦後の独立を約束した。有名な2枚舌、3枚舌外交である。ナチスのユダヤ人迫害もあって戦前からイスラエルへのユダヤ人帰還は続いた。しかしそこはアラブ人が平和に暮らしていた土地でもあった。イスラエルとアラブは1948年から67年まで3次に渡る中東戦争を戦った。昨年10月のハマスのイスラエル侵攻に始まり、報復にイスラエルがガザを侵攻しているのは第4次中東戦争ということになる。トランプ再選の場合、著者は次のように予想する。サウジアラビアとイスラエルの国交を正常化させ、イラン封じ込めの負担も両国に分担させ、中東への軍事的関与を減らし、余力を中国との競争やアメリカ国内への投資に充てたいところだろう、というものだ。なかなかに説得力のある主張だと思うのだが。

モリちゃんの酒中日記 11月その1

11月某日
「転がる珠玉のように」(ブレイディみかこ 中央公論新社 2024年6月)を読む。ブレイディみかこの本に出合ったのは19年6月に出版された「女たちのテロル」を図書館で見て借りたのがきっかけだ。「女たちのテロル」は戦前のアナキストで、摂政暗殺を企てたとして死刑を宣告され、後に無期懲役に減刑されるも獄中で縊死した金子文子と海外の女性テロリスト2名の評伝をまとめたもの。これ以降ブレイディみかこの著作を読むようになった。「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」は英国ブライトンでのアイルランド系イギリス人の夫と息子との暮らしを描いて話題となった。彼女は福岡の名門校、修猷館高校を卒業後、進学せずに英国へ渡った。「ぼくはイエローで…」の頃、中学生だった息子が「転がる…」では高校生で大学を受験するまでになっている。夫が癌になったり母親が死んだり…。それなりに起伏のある家族や周囲の人たちの人生を淡々と描く。

11月某日
社保研ティラーレを表敬訪問。吉高会長と佐藤社長へ挨拶。衆議院選挙ではティラーレは立憲民主党の神奈川県の新人候補を応援していたが、めでたく当選したそうだ。帰りに我孫子駅前の「しちりん」で夕食兼晩酌。

11月某日
アメリカ大統領選で共和党のトランプが当選。予想された大接戦とはならず、ハリスは敗退した。大統領選ではヒラリークリントンとハリス、二人の女性民主党候補がトランプに敗れている。米国の大統領は軍の最高司令官も兼ねるが、女性に最高司令官は務まらないということか。トランプはロシアのプーチンや北朝鮮の金最高指導者と親近性が高いように思う。それが国際間の緊張緩和に向かうのか。私はプーチンや金を増長させることを恐れる。

11月某日
「言葉果つるところ」(鶴見和子 石牟礼道子 藤原書店 2024年9月)を読む。本書は鶴見(1918~2006)と石牟礼(1927~2018)の対談集で、2002年に発行された(鶴見和子・対話まんだら)『石牟礼道子の巻』を底本としている。タイトルは鶴見が石牟礼を評して「言葉果てたるところから文学が出発する。そして文学は言葉果つるところに到達する、かつそこが出発点になる」と発言しているところからとられている。水俣病の闘いも「言葉果つるところ」から始まったし、水俣にほど近い島原の地で400年前に闘われた島原の乱も同様であった。水俣病の問題はもう終わったように私などは感じていたが、それはどうも終わっていないのだ。産業革命以降の人類の深刻な環境汚染が終わらないかぎり、水俣の問題は繰り返されている。

11月某日
週1回のマッサージで「絆」へ。今日は長男が休みなので車でスーパーウエルシアによってアイリッシュウイスキーを購入、ついでに床屋まで送ってもらう。床屋の後、近くの食堂「三平」で中華丼を食べる。駅前からバスでアビスタ前まで。

11月某日
「罪名、一万年愛す」(吉田修一 KADOKAWA 2024年10月)を読む。吉田修一は芥川賞受賞作家だが作品は純文学に限らず、恋愛小説、冒険小説と幅が広い。本作は冒険小説と言える。横浜の私立探偵に一風変わった依頼が舞い込む。「一万年愛す」と名付けられた35カラット以上のルビーを探してもらいたいというのだ。舞台は富豪の一家が滞在する九州の孤島。実は九州でデパート経営に成功した富豪一家の祖父には隠された秘密があった。

モリちゃんの酒中日記 10月その3

10月某日
日曜日の朝日新聞「歌壇 俳壇」から。ガザに想いを寄せて。「ガザの子はたぶん大谷翔平を知らない野球さえできなくて」(近江八幡市 寺下吉則)「『将来はヒズボラになる』と泣きながら父の屍のそばに座る子」(牛久市 高木美鈴)。袴田さん、無罪。「再審の無罪となりし弟をこの日も車椅子で押す姉」(寝屋川市 今西富幸)「弟よ、巌、巌は無実なり姉の見据ゑし判決下る」(東京都 笹山羊)。袴田さんは俳壇にも。「袴田さんさて何をせん秋の暮れ」(八王子市 額田博文)。次の2句は全共闘世代の俳句?「連帯も共闘もせず秋の蠅」(東京都新宿区 山口晴雄)「青茄子に思想の如く棘がある」(東京都渋谷区 佐藤正夫)。

10月某日
「あなたを待ついくつもの部屋」(角田光代 文藝春秋 2024年7月)を読む。部屋とはホテルの部屋のことである。ホテルは東京、大阪、上高地の帝国ホテルである。初出はIMPERIAL80号から122号とあるから帝国ホテルのPR雑誌に掲載されたものであろう。東京、大阪、上高地の帝国ホテルを訪ねる老若の女性を主人公とした42編の短編が収録されている。ホテルを舞台にした42編のショートストーリー、どれも都会的で洒脱であった。最後の「光り輝くその場所」は20歳のとき、はじめて帝国ホテルに足を踏み入れた楓子は、宴会場で開催されていた文学賞の受賞パーティに迷い込む。38歳になった楓子は、自身の受賞パーティ会場となった帝国ホテルへ向かうという話。

10月某日
17時30分に神田駅で前の職場の友人と待ち合わせ。少し早く出て上野の国立東京博物館で開催中の「はにわ展」を観に行こうかと思ったが、思い直して東京駅へ。丸の内口を出て、丸善の書籍売り場に向かう。吉田修一の新刊、「罪名、一万年愛す」を購入。丸の内口から歩いて神田駅へ。待ち合わせ時間にはまだ時間があるので駅近くの居酒屋で時間をつぶす。時間になったので神田駅北口へ。かつての同僚と北口近くの居酒屋で呑む。

10月某日
「猛獣ども」(井上荒野 春陽堂書店 2024年8月)を読む。高原の別荘地でのひと夏のできごと。密会中の男女が熊に殺される。愛に傷ついた管理人の男女と別荘の6組の夫婦に何が…。「夫婦って不思議だな」と思ってしまう。なんの関係もなかった一組の男女が出会い恋に落ち、家庭を営む。その不思議さを井上荒野はたんたんとさりげなく描く。巧み!

10月某日
幼馴染の佐藤君が出張で東京に出てくるので新橋で会食の予定。先日、国立東京博物館の「はにわ展」に行けなかったので上野駅で下車したら雨が降ってきたので、上野駅近くの西洋美術館に変更、クロード・モネ展が開催中だった。実は私は障害者手帳を持っているので公立の美術館や博物館は基本的に無料。平日の午後だったのに結構、混んでいて入場者が並んでいたが、こちらも障害者優先でスイスイ。しかもエレベータまで案内してくれる。一通り鑑賞したので新橋へ。昔、新橋烏森口の日本プレハブ新聞社という業界紙に勤めていたことがあった。会社があったビルには呑み屋さんが入っていた。約束の17時30分近くなったので烏森口へ。高校で1年後輩だった小川君、井出君などがすでに到着していた。女子の旧姓中田さん、佐藤君も揃ったので会場の銀座ライオン新橋店へ。実はこの集まりは室蘭東高スキー部のOB会なのだが、ほぼ幽霊会員だった私にも声が掛る。会費は6000円だったが、佐藤君がすべて払ってくれた。佐藤君は札幌でIT会社を創業、社長から会長に退いた。ありがたくご馳走になる。佐藤君にご馳走になったうえ、お土産に北海道の銘菓「わかさ芋」をいただく。

10月某日
「正しく読む古事記」(武光誠 エムディエヌコーポレーション 2019年10月)を読む。古事記と日本書紀は日本の国の成り立ちを伝えるという同じような役割を持っていると思っていたが、本書によるとその役割をそれぞれ違っていた。古事記は人々に読ませる「伝説集」で、日本書紀は、日本の公式の史書としてつくられた。古事記は天皇家の歴史であるのに対して日本書紀は、海外向け(当時は唐か)の日本の歴史で、記述内容も古事記が漢文を下敷きにした和文であるのに日本書紀は漢文であった。古事記には子供ころ親しんだ童話もとになったものもある。海彦山彦、ヤマトタケルなどなど。

モリちゃんの酒中日記 10月その2

10月某日
袴田巌さん(88)の無罪が確定した。逮捕から58年も経っているんだって。死刑が確定してから、処刑の恐怖と闘いながら冤罪を訴えてきた。本人も偉いが袴田さんを支えてきたお姉さんのひで子さん(91)もエライ。ひで子さんは現在、マンションを経営していて、そこに巌さんと一緒に住んでいるらしい。テレビで拝見するとひで子さんはとても頭脳明晰に感じられる。経営の才能にも恵まれているってことだね。石破茂内閣が発足したと思ったら解散だって。自公で過半数は確保するだろうけれど自民は相当議席数を減らしそうだ。そうそう石破内閣には村上誠一郎が自治大臣で入閣した。安倍元首相が銃撃されたとき「国賊」発言をして党から処分された人。安倍や高市といった右派受けする人から、石破や村上などリベラル色を感じさせる人まで自民党の幅広さを感じる。自民党にはアメリカの共和党と民主党の両方の強みを持っている感じがする。

10月某日
今年のノーベル平和賞が日本原水爆被害者団体協議会(被団協)に決まった。異議はないけれど…。広島、長崎に原爆が落とされ、日本が戦争に負けてから90年になろうとしている。戦争や武力紛争はほぼ絶えることなく続いている。中国大陸の国共内戦、朝鮮戦争、アルジェリア独立戦争、ベトナム戦争、中印国境紛争、最近ではロシアのウクライナ侵攻とイスラエルのパレスチナ侵攻である。人類の歴史とともに戦争はあったのだろうか? 人類が誕生したころ、狩猟採集で食べていたころには戦争はなかったのではないかと思う。原始共産主義の時代だからね。日本でいうと米作が始まった縄文時代の晩期には戦争があったらしい。石礫や鏃などが発掘されている。卑弥呼の時代には、内乱がおさまらず女王を立てたら戦がおさまったという記述が中国の歴史書にあるらしい。奈良時代、平安時代はほぼ戦はなかったが、平将門の乱や蝦夷との戦があり、平安末期には源平の戦が続いた。鎌倉時代には2度の元寇があったし、室町時代は南北朝の戦や応仁の乱があり、戦国時代を経て関ヶ原合戦、大坂の陣をへて泰平の世(江戸時代)が始まる。明治時代以降。1945年の敗戦に至るまで日本は対外戦争を繰り返した。台湾出兵、日清日露戦争、武力による朝鮮併合、シベリア出兵、第1次世界大戦への参戦、満州事変に日中戦争、そしてアジア太平洋戦争である。90年も日本が戦争をしていないなんて日本近代史ではむしろ異常。だから、戦争にはつねに反対の意志を持っていなければと思います。

10月某日
書棚を整理していたら「白秋」(伊集院静 講談社 1992年9月)が出てきた。伊集院静は1950年2月生まれ。私より1学年下だが現役で立教大学に入学しているから、一浪して早稲田に入った私とは大学では同学年だが、大学に入学してからの人生の軌跡はまったく違う。伊集院は野球部の合宿所に文学全集を持ち込んで先輩、同僚をびっくりさせるが、ほどなく体を壊して野球部を退部。卒業後は広告会社への勤務の傍ら作詞に手を染める一方、CMディレクターとしても辣腕を振るうなか、夏目雅子と恋仲になる。伊集院には妻子があり不倫関係を続ける。伊集院の離婚後ふたりは結婚、ほどなくして夏目は病魔に侵され死去(85年)。女優の篠ひろ子と再再婚(92年)。伊集院の両親は韓国から日本に来た。本作はこうした伊集院の経験が凝縮されている。主人公の真也は富豪の家に生まれるが心臓に病を持ち、鎌倉の別荘地に看護師と暮らす。真也の別荘の2軒先に生け花の先生、衣久女が住む。衣久女のもとに生け花を習いに来るのが文枝。文枝と真也は恋に落ちる。以久女は戦前、朝鮮半島で日韓の混血として生まれたことも明らかにされる。文枝と真也は結ばれるが、ほどなく真也は死去、文枝は出産、愛児とふたりで生きてゆくことを決意する。まぁ「死と再生の物語」といってよい。

10月某日
「ヤマト王権-シリーズ日本古代史②」(岩波新書 岩波新書 2000年11月)を読む。本書によると日本列島の政治的統合のプロセスは、①倭国としての統合の展開(1世紀末から2世紀初頭)②近畿地方を中心とする定型的企画をもつ前方後円墳秩序の形成(3世紀後半)③ヤマト王権の成立(4世紀前半)となる。卑弥呼が登場したのが①である。また本書では実在した初代の天皇は崇神天皇(はつくにしらすスメラミコト)とされる。②において国家連合的な形でヤマト王権が誕生し、③において「絶対主義的」なヤマト王権が確立したのであろう。本書ではヤマト王権と朝鮮半島、中国大陸とのかかわりについても多く記されている。中国の歴代王朝には朝貢を行い朝鮮半島に対しては侵略と友好を繰り返したようだ。

10月某日
「陥穽-陸奥宗光の青春」(辻原登 日本経済新聞社 2024年7月)を読む。陸奥は明治維新を主導した薩摩や長州ではなく、紀州和歌山藩の重臣の家に生まれた。しかし父が政争に巻き込まれ一家は藩を追われる。陸奥は高野山での学僧を経て幕府の海軍塾で学び、そこで勝海舟や坂本龍馬と知りあい、海援隊に参加する。明治政府内で頭角をあらわすが、明治10年の西郷の西南戦争に呼応しようとした疑いで投獄される。物語は陸奥の青春と入獄を描く。陸奥は海軍塾時代に英語の重要性に目覚め、獄中でも英書を読んでいた。思うに陸奥は、英書からデモクラシーを学んでいた。西南戦争へ呼応しようとしたのもそれ故であった。しかし獄中から解放された後、陸奥は自由民権派には属しなかった。陸奥の有能さを藩閥政府の伊藤博文らが手放さなかったのだ。余談だが陸奥は最初の妻が亡くなった後、新橋の17歳の芸者、亮子と結婚する。亮子の写真はウイキペディアで確認できるが、やはり美人、それも現代的な美人であった。

モリちゃんの酒中日記 10月その1

10月某日
「日本社会の歴史(上中下)(網野善彦 岩波新書 1997年4月)を読む。網野善彦(1928~2004)は山梨県出身、幼少期に港区西麻布へ転居、白銀小学校、旧制東京尋常科、同高等科を経て、1947年東京大学文学部国史科に入学、石母田正に師事。この頃、日本共産党に入党し民主主義学生同盟副委員長兼組織部長となったが、後に運動から脱落する(ウイキペディアによる)。網野の専門は日本中世史とされるが、本書は先史時代から戦後までの通史である。だが、単なる通史ではなく蝦夷や琉球列島の歴史、遊女や被差別民の歴史にも配慮されている。私は網野の「無縁・公界・楽」や「異形の王権」を購入したが、読み通すことはできなかった。今回、「日本社会の歴史」を読んで、改めて網野史観の独特な魅力に魅かれた。一言でいうと網野の辺境や稀人に対する視線に共感したということか。

10月某日
「静子の日常」(井上荒野 中央公論新社 2009年7月)を読む。タイトル通り75歳の静子の日常を描く。静子は一人息子の愛一郎とその妻、薫子、孫のるかと同居している。夫の十三はすでに亡くなっている。75歳といえば私と同い年である。ということもあって静子には共感できることが多々あった。まぁ静子の価値観とか人生観とかにね。やっぱり、この年齢になっても大切なのは自立です。静子はプールでの付き合いや町内会のバス旅行でも立派に自立している。自立した「静子の日常」は爽やかでもある。
今日は「日本社会の歴史」と「静子の日常」を我孫子市民図書館へ返却に行きます。

10月某日
「左太夫伝」(佐々木譲 毎日新聞出版 2024年8月)を読む。仙台藩士として生まれ、戊辰戦争の渦中に明治新政府に反逆した罪で処刑された玉虫左太夫という人の評伝小説。左太夫は最初、仙台藩の学問所の養賢堂に学び、その後、江戸へ出て大学頭、林復斎の私塾で学ぶ。林復斎はペリーとの外交交渉を担い、左太夫は従者として従う。左太夫は外交交渉の経験を買われ、遣米使節の従者にも選ばれる。左太夫はアメリカの文明に圧倒されるが、何よりも驚いたのが、アメリカの共和制と民主主義だ。左太夫は後に榎本武揚を名乗る榎本釜次郎と知り合うが、彼に次のように述べる。「わたしは漢学を、とくに儒教を学んだ書生です。アメリカにいても、もっともわたしを揺さぶったことは、もしや儒学は意味のない学問ではなかったかということなのです。(後略)」。大政奉還、王政復古の大号令により、幕府は瓦解、左太夫も仙台藩に帰る。仙台藩では藩主の伊達慶邦に信頼され洋式陸戦隊の創設を任される。また奥羽列藩同盟の創設を主張し会津藩、米沢藩との調整連絡役を担う。会津藩に官軍が迫るとき、左太夫は榎本に蝦夷が島へ誘われる。蝦夷が島での共和国樹立を夢見た左太夫は誘いに乗ることにするが、榎本の艦隊とは行き違いとなる。左太夫は江戸、横浜への脱出を図るが官軍に捕らえられる。左太夫がアメリカに渡る前、蝦夷が島と北蝦夷地(樺太)をまわるが、次のように記述されている。「やがて一行は、ヘケレウタという土地に着いた。モロラン会所の東にあって、深い湾に面している。狭い海岸に、南部藩の陣屋が置かれていた」。モロランとは後の室蘭、私の故郷である。

10月某日
「隆明だもの」(ハルノ宵子 晶文社 2023年12月)を読む。2012年に亡くなった「戦後思想界の巨人」と呼ばれた吉本隆明。ハルノ宵子はその長女で漫画家、7歳下の次女が吉本ばななで小説家である。ハルノが吉本隆明全集の月報に連載したものを中心にハルノとばななの対談も収録している。ハルノは吉本家の日常をかなり赤裸々に描いている。吉本隆明といえば私たち団塊の世代にとっては教祖的な存在で、新刊が出ると争って買ったものだ。私は講演会にも2回行った。最初は学生時代でブンドの叛旗派の政治集会に吉本がゲストで講演した。内容は覚えていない。2回目は我孫子市の市民会館で柳田国男がテーマだったと思う。吉本の著作を購入しサインしてもらった記憶がある。「隆明だもの」から私が面白く感じたものを抜粋する。
「90年代前半、父はよく働きよく食べた。そして痩せてきた。(中略)あまりに度が過ぎる隠れ食いのひどさに、口うるさかった母もサジを投げ、この頃の父の食事管理は、無法地帯になっていた。それで糖尿病を悪化させ、痩せてきたのだ」。吉本は伊豆で海水浴中に溺れかけたことがあったが、「溺れた原因も、私は低血糖症だと思っている」。吉本も亡くなる前は認知症めいた行動もあったらしい。「1日のほとんどが眠りがちで」「そんなある日、父が『キミ、塾のポスターを描いて、うちの(私道の)壁に貼ってくれないか』と言う」。これは「2度と戻れない少年時代の、今氏乙治先生の私塾へ通っていた時代への郷愁なのだ」。「うちの家族は全員“スピリチュアル”な人々だった」「たとえばネイティブアメリカンの族長を想像してほしい。なんとなく父のイメージと重なると思う」「吉本家は薄氷を踏むような“家族”だった。父が10年に1度位荒れるのも、外的な要因に加えて、家がまた緊張と譲歩を強いられ、無条件に癒しをもたらす場ではなかった(父を癒したのは猫だけだ)」。ハルノとばななの対談ではハルノが「とてもじゃないけど、並の人は家事もやって子供の弁当まで作って、それであれだけの仕事をこなすことはできないと思います」と語っている。複雑でかつ「族長」のような人だった。