モリちゃんの酒中日記 11月その5

11月某日
出版健保へ脱退の手続きをしに行く。総務の石津さんが付き添ってくれる。スタジオ・パトリの三浦さんとフリーの編集者の保科さんに退職の挨拶とわたしの「ご苦労さん会」の催促に行く。年友企画にお邪魔してSMSの担当者と年友企画の担当の迫田さんと打ち合わせ。6時から住宅金融支援機構の理事を退任した望月久美子さんのご苦労さん会を「ビアレストランかまくら橋」で。結核予防会の竹下隆夫さん、川村女子学園の吉武民樹さん、プレハブ建築協会の合田純一さん、高齢者住宅財団の落合明美さんが集まる。望月さんとは30年くらい前、住文化研究協議会の研究会で出会った。福岡の修猷館高校の出身で吉武さんとは同窓。お酒は飲めないが気風の良い女性。2次会は竹下、吉武両氏と一緒に葡萄舎へ。いささか呑みすぎ。来年70歳になるのだから少し控えよう。

11月某日
図書館で借りた「西郷の首」(伊東潤 角川書店 2017年9月)を読む。伊東潤は1960年生まれの歴史小説家。わたしは「義烈千秋 天狗党西へ」を読んだことがある。本書は幕末の加賀藩の足軽の家に生まれた2人が主人公。1人は草創期の陸軍に入り西南戦争に従軍、介錯された西郷隆盛の首を発見する。1人は明治維新後の薩長の藩閥政府から疎外された加賀藩の境遇に反発、大久保利通の暗殺を企て実行する。不平士族、それも佐賀の乱や萩の乱、熊本の神風連といったメジャーな不平士族ではなく、石川の不平士族に焦点を当てたのが目新しい。この作者は「天狗党西へ」もそうだが、歴史の谷間に埋もれているもの掘り起こし、巧みにストーリーとする。

11月某日
新潟市立美術館のミュージアムショップになぜか設けられていた300円均一の古本コーナー。そこで買った「大書評芸」(立川談四楼 2005年3月 ポプラ社)を読む。談四楼は「小説も書く落語家」で私も何冊か読んだことがある。本書は談四楼の書評122本を一冊にまとめたもの。第1部「小説の愉しみ」第2部「評論のすご味」第3部「芸人の味わい」の3部構成。私が読んだ本も何冊かあり、同感するものも多い。この人は群馬県の大工のせがれで高卒後、談志に入門、談志のお供で出かけた銀座のバーで何人かの小説家に出会い、それらの小説家の小説を読むようになったのが「本読み」のきっかけ。頭のいい人なんだろうな、文章に無駄がなく的確だもの。

11月某日
北海道の室蘭で弟夫婦と同居していた母が亡くなった。94歳だった。NHKの人気番組「ブラタモリ」で室蘭を特集していたのを見終わったら、弟から電話があったのも何かの因縁か。
通夜・葬儀が室蘭で行われるというので妻と出席する。バニラエアという格安航空券で成田-千歳空港を妻が予約。北海道への往復はいつも羽田からで、障碍者割引を使っても2万円くらいだったから格安である。成田空港まではJRの成田線で我孫子から成田まで、空港線に乗り換えて成田空港まで1駅、1時間ちょいで行くことができる。羽田空港までなら我孫子から2時間かかるので時間も「割安」。ただ成田空港の発着は第3ターミナル、成田空港駅から一番遠いのが難点だが、何しろ「格安」だからね。
千歳空港から高速バスで1時間半ほどで室蘭東町ターミナル。そこからタクシーでワンメーターで葬儀場の「やわらぎ」。無宗教で家族葬なので参列者も20人に満たない。「送る会」では兄と弟が選んでくれた在りし日の母の写真をスライド上映、弟が解説する。先に室蘭入りしていた兄が尿路結石で室蘭の病院の急遽、入院を余儀なくされたので続いて私が挨拶。小学校の低学年のとき「月の満ち欠け」について母に尋ねたら、台所の60ワットの電灯を太陽、銚子を月になぞらえ、銚子を回しながら「月はもともと黒い物体なの。太陽の光を浴びて輝くのだけれどまあるいから光の当たり方によって地球から見ると満月になったり三ケ月に見えたりするの」と巧みに説明されたエピソードを紹介した。ついでに裕福ではない家計から私が無理を言って東京の私学に進学したこと、それにもかかわらず過激な学生運動に参加、私が逮捕起訴されて安くはない保釈金を負担させたにもかかわらず、一言も叱られなかったことにも触れた。「送る会」を終えた後、弟の友人が寄ってきて「私も前科一犯です」という。弟は高校生のとき室蘭で高校生運動に参加、室蘭工業大学の反帝学評グループと共闘していたから、そのころの仲間だろう。68年の末、反帝学評と革マルの内ゲバが東大の駒場であったとき、反帝学評は駒場の教育会館を拠点にしていた。私もそこにいたことがあるが室蘭工業大学の反帝学評も何人か来ていたことを思い出す。

モリちゃんの酒中日記 11月その4

11月某日
図書館で借りた川上弘美の「森へ行きましょう」(日本経済新聞出版社 2017年10月)を読む。日経新聞の夕刊に2016年1月から2017年2月まで連載されたもの。連載中に断続的に読んだ記憶はあるが、単行本になったものを読むと全く違う印象。日経の夕刊は連載小説や連載エッセー、家庭欄も含めてなかなか面白いと思うのだが、夜、飲んで帰ることが多いものだから読まずに寝てしまうことも少なくない。だから連載小説はストーリーが飛んじゃうのね。「森へ行きましょう」はしかし、大変面白く読んだ。主人公は1966年ひのえうまの日に誕生した留津、とルツ。2人はパラレルワールドに生きている。パラレルワールドがこの小説のテーマのひとつ。人生にはいろいろな可能性があり、どう転ぶかわからない。ルツは理系の学部を出て研究所の技官になり、留津は女子大を出て中堅の薬品会社に一般職として入社、見合い結婚でブルジョアの御曹司、俊郎と結婚する。ルツの理系女子の独身生活、留津の姑に振り回される結婚生活も「深刻さ」を伴わず描かれる。川上弘美はお茶の水女子大の理学部出身だからルツの描き方には自身の体験も反映されているかもしれない。後半、社長夫人となった留津は小説家としてデビューし、ルツは遅い結婚をする。相手は没落した御曹司で始末屋の俊郎。パラレルワールドに生きるのは留津とルツの2人だけではない。夫を殺してバラバラにする瑠通、50歳で死んでしまう、る津。留津と鏡を通して会話する流津、そして研究所で研究に没頭するるつ。留津とルツの1966年から2027年までが描かれる本書は、「こうあったかもしれない」人生をパラレルワールドという舞台設定によって巧みに描き切ったといえるのではないか。

11月某日
HCMの平田高康前会長が亡くなる。82歳だった。平田さんにはこの20年ほど親しくさせてもらった。天龍寺の末寺に生まれ、同志社大学に進学。永大産業に就職して年金住宅福祉協会を創業した故坂本専務と出会う。協会が新規融資を停止した後も協会を陰で支え続けた。奥の深い腹の座った人だった。
夜、SCNの高本代表、SMSの長久保君、竹原さんと神田の葡萄舎で呑む。長久保君も竹原さんも北海道札幌出身。竹原さんは早稲田大学商学部からJR北海道、東急エージェンシーを経てSMSへ。JR北海道では主に不動産開発を担当したという。長久保君も竹原さんもギラギラしたところがなく私は付き合いやすい。

11月某日
会社が「森田さんを送る会」を「跳人」で開いてくれた。大山社長以下の社員のほか、社会保険研究所の川上会長、鈴木社長、谷野編集長、フィスメックの田中会長、小出社長、社会保険出版社の近藤取締役、民介協の扇田専務、ネオユニットの土方さん、フリーの沢見さんたち30人近くが参加してくれた。6時開催だが、私は5時から李さんと「ビアレストランかまくら橋」でビールを飲む。李さんにご馳走になる。「跳人」が終わると「かまくら橋」で2次会、3次会は「葡萄舎」に寄ったらしいが覚えていない。4次会はひとりで久しぶりに根津の「ふらここ」へ。常連の文科省のミヤちゃんの勤務先が国立歴史博物館だったことを思い出して、現在開催中の60年代末の学生反乱を回顧した「1968年展」を見に行く旨、伝えてとママに頼む。

11月某日
私の会社員生活最後の日。午前中、当社の石津さん、フリー編集者の浜尾さんと青物横丁にある町田学園の女子高の藤原校長先生に挨拶。藤原先生は石津さんの中学時代の恩師。三宅島噴火のとき三宅島高校の校長で貴重な経験をしたという。16時に会社を後にして我孫子の七輪へ。ホッピーを2本開けて愛花へ。

11月某日
図書館で借りた「永山則夫の罪と罰」(井口時男 コールサック社 2017年8月)を読む。永山則夫は極貧の少年時代を送り、東京に集団就職。転職を繰り返し横須賀の米軍基地で盗んだ拳銃で4人を射殺、殺人罪で起訴され死刑が確定、1997年8月1日に刑が執行される。獄中で「無知の涙」を執筆、刊行され話題を呼び、その後小説も執筆、新日本文学会新人賞を受賞する。永山は犯行時19歳だったため、犯行時未成年への死刑判決が当時議論になった。井口はとても丁寧に永山の生い立ちや上京生活、犯行、獄中をたどる。獄中で女子高生を殺害し死刑になった李珍宇の獄中書簡集「罪と死と愛と」を読み、李珍宇に親近感を抱くようになる。永山則夫のことを知ることは私にとってとても「痛い」ことだ。「痛い」が知らねばならぬことと思う。

モリちゃんの酒中日記 11月その3

11月某日
北海道室蘭市の老健施設に入所している母親に会いに兄と室蘭へ。母は弟夫婦と同居していたが軽い認知症を発症し、日常生活が困難になったために入所することになった。弟に連れられて母を訪ねると一瞬、だれかわからなかったようだが、すぐに思い出してくれた。思えば3人兄弟の中でも私は、一番の親不孝だ。さして経済的に豊かでもないのに東京の私立大学に進学させてもらい、挙句に私は学生運動にのめりこんで逮捕起訴された。でも母も父もそんな私を叱責することもなかった。もちろんほめられはしなかったが。高倉健の歌う「唐獅子牡丹」の歌詞に「つもり重ねた不孝の数を、なんと詫びようかおふくろに。背中で泣いてる唐獅子牡丹」というのがある。若いころよく歌いました。

11月某日
弟の家に2泊させてもらう。老健施設で母と面会。昔の記憶は完璧だが最近の記憶は覚束ない。施設の職員に説明を受ける。要介護2の認定なので特養には入所できない。有料老人ホームへの入所などの選択肢がある。職員はとても親身になって説明してくれる。施設の秋祭りで母がピアノ演奏した写真を手渡される。満面の笑みの母だ。千歳空港で幼馴染のみずえちゃんと奈良君に会うと母に伝えると、母は「あんた、みずえちゃんのこと好きだったものね」。そういうことは覚えているのである。空港のレストランでみずえちゃんと奈良君と食事。奈良君は労働組合で役員をしているときに対馬財団の理事長のお父さんの選挙運動を手伝ったのが縁で対馬財団に入社したという。理事長のお父さんとは炭労(石炭産業の労働組合)出身の参議院議員で後に参議院副議長も務めたという。「もう辞めたいのだけれどなかなか辞めさせてくれなくて」と奈良君。理事長の信頼が厚いのだろう。みずえちゃんと奈良君から「来年の10月、中学の同級会があるからまた来なよ」といわれる。母の見舞いがてら来ようかな。

11月某日
図書館で借りた「日本近代史」(坂野潤治 ちくま新書 2012年3月)を読む。本書は日本の近代を1857(安政4)年から1937(昭和12)年までの80年間の歴史を6つの段階に区分して通観している。改革期(1857-1863)、革命期(1863-1871)、建設期(1871-1860)、運用(1880-1893)、再編(1880-1893)、危機(1925-1937)の6つである。幕末、国論は「尊王攘夷」と「佐幕開国」に二分された。尊王攘夷派は武力倒幕、佐幕開国派は公武合体の勢力とも重なる。尊王攘夷派は薩摩と長州の対外戦争(薩英戦争と下関戦争)を経て、尊王開国、尊王倒幕へとイデオロギーを転換させる。中心的な役割を果たしたのが西郷隆盛であった。というようなことが第1章「改革」、第2章「革命」に書かれている。著者はその時代を生きた有名人、無名人の書簡や日記、さらに地租や米価をはじめとする税や物価の推移を丹念にたどり、歴史が変化していく要因を探ろうとする。我孫子市民図書館が蔵書する坂野の著作はすべて読みたいと思う。平民宰相として名高い原敬も著者からすると大正デモクラシーに抵抗する守旧派として描かれる。目から鱗の歴史観なのである。

11月某日
私の年友企画での最後の仕事となる中村秀一さんの著作「ドキュメント社会保障」の試刷りが届く。中村さんの主催する「虎ノ門フォーラム」で予約販売する。受付にコーナーを作ってもらって、編集を担当した当社の酒井と販売する。といっても私はもっぱら知った顔に声をかけるだけ。元厚労省の高井さん、角田さん、亀井美登利さん、足利さん、フリーライターの長岡美代さんらについでに退任のあいさつをする。本の帯を執筆してもらった慶應大学の権丈先生も来ていたので、「打ち上げ」の日程をすり合わせ。
その前に虎ノ門の中村さんの事務所で打ち合わせ。「虎ノ門フォーラム」開始までに時間があったので社会保険福祉協会の稲村常務と年金住宅福祉協会の和田理事に退任のあいさつ。2人とも「退任してもときどき顔を出してくださいよ」と声をかけてくれる。HCMまで足を延ばして大橋社長と川島さんにあいさつ、会場に向かう。フォーラム終了後、当社の酒井と健生財団の大谷常務と会場のプレスセンタービル地下1階の焼き鳥屋「おか田」で軽く呑む。3人とも千代田線で帰る。大谷さんは西日暮里で京浜東北線に酒井は町屋で京成線に乗り換え。私は終点の我孫子まで一本。

モリちゃんの酒中日記 11月その2

11月某日
荻島良太さんのサキソフォンリサイタル。市ヶ谷駅で川邉新さん、セルフケアネットワークの高本代表と待ち合わせ。駅近くで軽く食事をとりながら、高本さんが取組んでいるグリーフサポート事業に川邉さんからアドバイスをもらう。川邉さんにご馳走になる。会場のルーテル市ヶ谷センターへ。竹下隆夫さん、田中和也さんに挨拶。荻島さんは亡くなった厚生官僚の荻島國男さんの遺児。私が荻島さんの病室を見舞ったときに見かけた記憶があるが、そのときは中学生だった。愛知県立芸術大学に進学、クラシックのサキソフォン一筋だ。私の退任パーティのときにも演奏してもらった。今回のリサイタルは難度の高い選曲だったと思うが、見事にこなしていた。サキソフォンは確か19世紀にベルギーで発明された比較的新しい楽器。リードを使うので木管楽器だが楽器そのものは金属製。荻島さんの演奏で感じたのだがサキソフォンの高音は和笛に似ている。演奏後、竹下さんにご馳走になる。

11月某日
「音楽・運動療法研究会」で依田明子委員が苑長をやっている川崎市麻生区の特別養護老人ホーム「かないばら苑」を訪問。事務局をやっている宇野裕さんと小田急多摩線の栗平駅で待ち合わせ。依田さんが車で迎えに来てくれる。午前中は新百合ヶ丘の昭和音大で音楽療法の勉強をしている学生と指導教官がボランティアで入居者への音楽療法を実施しているのを見学。入居者の意識は療法を受けているというよりもリクリエーションの一環。「今日はお天気が良くて富士山がよく見えますね」と司会の学生さんが口火を切り、「フジはニッポンイチのヤマ」を参加者と歌う。午後は地域の高齢者のために開催している「ロコモチャレンジ体操教室」を見学させてもらう。見学の後、講師を務めた小泉恵美さんにインタビュー。こちらは90分で参加費用は800円。施設としては赤字だが社会福祉法人の地域貢献事業と位置付けているようだ。私も参加者と一緒に歌を歌ったり体操をしたりしたが、確かに声を出して歌ったり軽い体操をしたりするのは気持ちがよかった。小泉さんによると90分間、体操だけでは高齢者には過激だし、飽きてしまうので歌と体操の組み合わせがキモなのだろう。

11月某日
虎ノ門の日土地ビル地下1階の喫茶店でSCNの高本代表と打ち合わせ。終末期から看取り、グリーフサポートについてのネットワークづくりに挑戦してみることにする。高本さんと別れて私は日土地ビルの別の事務所で打ち合わせ。

11月某日
小学校以来の友人の山本オッチから「みずえちゃんが東京に来ているから会おう」と電話。秋葉原のヨドバシカメラで待ち合わせ。オッチもみずえちゃんも私も、父親が室蘭工業大学の教師で、住まいも近所だった。みずえちゃんは可愛いうえに勉強ができたので、悪ガキたちのマドンナ的存在だったが、愛情表現が未熟な悪ガキ故に「イジメ」の対象となったことがあるかもしれない。3人で3時間ほどおしゃべり。みずえちゃんはこんなにしゃべる人だったかなぁ。私は母の見舞いで来週、北海道へ行くのでその時も会うことにする。

11月某日
「音楽・運動療法研究会」で音楽療法士の井黒さんにインタビュー調査。事務局をやっている宇野さんと三軒茶屋の改札で待ち合わせ。井黒さんが来たので近くのこじゃれた喫茶店でインタビュー。井黒さんの本職は整形外科の事務職だが、国立音楽院で音楽療法を学ぶ。高齢者に加えて自閉症などの障害児への音楽療法をやっている。音楽療法は医療保険、介護保険では対象にならない。作業療法の一部として介護保険の対象になることもあるようだが、あくまでも一部としてだ。放課後デイでも音楽療法を取り入れているところもあるが、音楽療法として例えば支援費の対象ともなっていないようだ。制度的に認められていない、医療保険や介護保険の対象となっていないから、大変だなーということはその通りだ。しかし「制度に縛られない」というメリットもあるように思う。

モリちゃんの酒中日記 11月その1

11月某日
我孫子駅の改札口で川邉さん、吉武さん、大谷さんと待ち合わせ。吉武さんが予約してくれた我孫子駅南口の「海鮮処いわい」へ。ビールで乾杯の後、吉武さんが持ってきてくれた赤ワインを飲む。その後で日本酒。店の女性が勧めてくれた日本酒を呑む。呑みやすい酒だったが、残念ながら銘柄を忘れた。一人5000円でお釣りが来た。3人と別れて私は「愛花」に寄る。

11月某日
中村秀一さんの「ドキュメント 社会保障改革」の装丁をお願いしているデザイナーの工藤さんの事務所へ、ブックカバーと表紙の色校正を持っていく。当社の担当の酒井に同行。工藤さんはブックデザイン賞を受賞するなどこの世界では重鎮。でも全然偉ぶらない。工藤さんの事務所「デザイン実験室」のある外苑前から銀座線に乗る。神田まで酒井とおしゃべり。神田で酒井は下車して帰社。私は末広町で降りて「章太亭」に寄るか、上野のガード下を覘くか、銀座線の終点の浅草まで足を延ばすか迷ったが、結局、我孫子へ帰る。駅前の「七輪」でホッピーとウイスキーの炭酸割。

11月某日
我孫子駅前の呑み屋「愛花」の常連のソノちゃんとケイちゃんに誘われて、新潟へ1泊2日の旅へ。ホテルとセットなので新幹線はグリーン車。新潟駅前のホテルに荷物を置いて駅ナカへ。駅ナカでは新潟大学の医学部が糖尿病の検査をやっていたので私とケイちゃんはやってもらう。ソノちゃんは頑なに「やらない」。駅ナカの日本酒館で500円で5種類の地酒を呑み比べ。タクシーで酒蔵「今代司酒造」へ。酒造りの現場を見学。見学の終わりに純米大吟醸、純米吟醸、純米酒などを利き酒。近くの味噌蔵「峰村醸造」で私は生姜の味噌漬けを購入。夕方になったのでタクシーで新潟駅近くの繁華街へ。60過ぎと思われる女将が一人でやっている「えちご」という店に入る。一瞬「大丈夫かな?」と思ったが、これが大正解。新潟でもあまり出回っていないという菅名岳という酒を呑む。エビとツブ貝の刺身、のどぐろの焼き物もおいしかった。近くの「安具楽」という店へはしご。お客が勧めてくれた「緑川」を呑む。タクシーでホテルへ。2日目。朝から雨。新潟市内の観光名所を巡るバスで新潟市美術館へ。国立近代美術館の工芸館名品展と常設展を鑑賞。ミュージアムショップでなぜか立川談四楼の古本を売っていたので300円(+消費税)で購入。新潟駅近くの定食屋で昼食。私はさすがに酒を控えるがケイちゃんは生ビールの小、ソノちゃんは八海山を2合。帰りは越後湯沢で途中下車、ソノちゃんとケイちゃんは買い物、私は駅ナカの温泉へ。新幹線で上野へ戻り我孫子へ。

11月某日
図書館で借りた桜木紫乃の「砂上」(角川書店 2017年9月)を読む。主人公の柊玲央は離婚後、同居していた母とも死別、現在は同級生がオーナーシェフのビストロでアルバイトをしながら小説を書いている。編集者の助言で2年前に懸賞小説に応募した小説「砂上」を全面的に書き直すことにする。桜木紫乃の小説「砂上」が玲央の描く「砂上」のメイキングドラマになっているという言わば「入れ子構造」の物語。玲央の「砂上」では玲央の母は「女がひとり新宿から出て北海道に戻り子供を産んだ」し、玲央は「女の娘も、早くに男を覚えて妊娠し、父のない子を産んだ」と表現される。生々しいストーリーを乾いた文体で表現するのが桜木の特徴だ。玲央は「この世に『生まれた』というよりも、砂の上に『生えた』と表現したほうがふさわしい女たちだった。縛られるだけの親を持たず、縛るような子を持たず、頼むに足る杖を持たずに生きている。それでよしとする己を、せめて自分だけは大事にしてやろうと思う」と書く。これはたぶん桜木の思いとも通じる。それにしても桜木は、川上弘美、井上荒野、三浦しをん、角田光代といった女流作家とほぼ同世代と思われるが、ずいぶん異質に感じられる。生まれ育ち現在も住んでいる北海道という風土もあるが、高卒で就職しながら文学修業に挑んだということも影響していると思う。身近に仲間がいないという強さかもしれない。

モリちゃんの酒中日記 10月その5

10月某日
浅田次郎の「見知らぬ妻へ」(光文社文庫 2001年4月 単行本は平成10年5月)を読む。初出は平成7年から10年の小説宝石や小説現代など。今から20年前後も前に書かれた小説だが、文章の巧みさは今と変わらない。この短編集の共通したテーマは「都会の孤独」だろうか。表題作「見知らぬ妻へ」の主人公花田は札幌で会社を潰し、浮気相手の女子社員と歌舞伎町にやってくる。女はひと月で札幌へ帰り花田はボッタクリバーの客引きで口を糊する。知り合いの出稼ぎ外国人手配師の土橋から、中国人との偽装結婚を持ち掛けられた花田は承知する。玲明と名乗る中国娘との束の間の同棲生活の中で、花田と娘との間に愛情が芽生え始めるが、娘は組織の指令により東京から別の街へ。突然の別れ。「都会の孤独」に飲み込まれていくはかない恋を描く現代のおとぎ話。

10月某日
健康生きがい財団の大谷さんが常務理事退任のあいさつに来る。そのまま会社近くの「跳人」で飲む。我孫子へ帰って駅前の「愛花」に寄る。看護大学の助教の佳代ちゃん、常連の福田さんに挨拶。家に帰って三浦しをんの「天国旅行」(新潮文庫 平成25年8月 単行本は2010年3月)を読む。死をテーマにした短編集である。それも自然死ではなく自死、心中、事故死である。死をテーマにしつつ三浦の文章はときにユーモラスである。そこに才能を感じざるを得ない。

10月某日
図書館で借りた「永山則夫 封印された鑑定記録」(堀川恵子 岩波書店 2013年2月)を読む。永山則夫といっても今の若い人にはピンと来ないだろうな。永山は1968年10月から11月にかけて発生した4件の連続射殺事件の犯人として逮捕され、最高裁で死刑判決が確定、1997年8月に死刑が執行されている。4件の中には2件のタクシー運転手射殺が含まれている。当時、私は早稲田大学の1年生。新宿で高校の同級生と飲んでいて終電を逃し、明大前の同級生の下宿に帰ろうとタクシーを止めたら、運転手から「学生さん?一人だったら絶対乗せないね」といわれたことを思い出す。若い学生風の男が調査対象とされていたのだ。犯人の永山は逮捕当時19歳、私より一歳下の昭和24年生まれだった。本書は永山の精神鑑定に当たった石川医師が心血を注いで作成した「永山則夫精神鑑定書」と、それを作成するために録音された100時間を超える永山の録音テープをもとに書かれている。当時、私は高度経済成長に浮かれつつ過激な学生運動にのめり込んでいくという矛盾した生活を送っていたのだが、貧困から逃れようにも逃れられなかった永山のような青春もあったのである。

10月某日
広島市のデルタツーリング社を取材。ツーリングはtoolingで金型のこと。金型メーカーから出発して、現在は工作機械の設計などにも手を広げている。技能士検定の取材だったが、人材と設備への積極的な投資が特徴。労働力人口が減少する中で日本の中小企業の生き残る一つの方向を示しているように思う。広島出張は日帰り。名古屋を過ぎたあたりから飲み始める。我孫子についたら10時を過ぎていた。駅前の「愛花」に寄る。

10月某日
広島往復の新幹線の中で「日本の宿命」(佐伯啓思 新潮新書 2013年1月)を読む。佐伯は1949年生まれ。東大経済学部卒、東大の大学院では西部邁が指導教官だったのではないかなぁ。民主主義やヒューマニズム、平等と権利などに対する根本的な疑念の表明は西部に近いものがある。したがって私としては親近感を持たざるを得ない。

10月某日
図書館で借りた「石原吉郎セレクション」(岩波現代文庫 2016年8月)を読む。石原のシベリア抑留体験を綴った「望郷と海」(筑摩書房)は読んだことがある。年譜を見ると「望郷と海」の出版は1972年、私が読んだのもそのころ。過酷なという言葉では言い表せられないようなシベリア体験。帰国した石原の目に映った日本は、復興から高度成長をひたすらに歩む日本だった。それは永山則夫の感じた違和感と似たような思いのような気がする。石原は1977年、62歳で入浴中に心不全で亡くなっている。早すぎる死。

モリちゃんの酒中日記 10月その4

10月某日
坂野潤治の「明治デモクラシー」(岩波新書 2005年3月)を読む。小説家と読者には間違いなく相性が存在するが、研究者と読者にも間違いなく相性があると思う。最近、私が抜群に相性がいいと思っているのが日本近代史の坂野潤治先生(以下、先生を略)である。この本でも私の通念や思い込みがずいぶんと正されたように思う。北一輝は2.26事件に連座して処刑されたことから、陸軍皇道派の黒幕、右翼ナショナリストと長く思い込んでいたのだが、実際のところ若き北一輝は急進的な民主主義者でむしろ社会主義的な考え方を持っていたことが分かる。天皇機関説を唱えた美濃部達吉にしても明治憲法下における「神聖にして侵すべからず」という天皇を、国会や内閣のコントロールの中に置こうとした、当時としては急進的な民主主義者として描かれる。坂野は東大の国史出身で私の記憶によれば、樺美智子の数年先輩。1960年6月15日に樺が国会デモの中で圧死したときも、東大での学内葬を主導している。共産党除名組だと思う。そんなこともあって機械的な唯物史観にとらわれず史料を駆使した歴史の叙述には好感が持てるのだ。

10月某日
「伊藤元重が警告する日本の未来」(伊藤元重 東洋経済新報社 2017年6月)を読む。伊藤は1951年生まれ、静岡高校から東大経済学部卒、海外留学を経て東大経済学部教授、現在は学習院大学国際社会科学部教授。伊藤の本を読むのは初めてだと思うが、経済学的な知見を踏まえて現実の経済の動きを解釈するという、極めてまっとうな経済学者と思う。AI、ICT、IoTなどの技術革新が世界経済を変えるという主張もその通りと思うし、働き方を一新しなければ経済は変わらないという考えも正しいと思う。問題はそれを誰がやるかだ。社会保障をはじめとした制度改革では政府の役割は大きいが、民間部門の役割が極めて重要だ。企業家、働く人の意識、労働組合の意識、それらが変わっていかなければ日本は取り残されていく。

10月某日
「緑の毒」(桐野夏生 角川書店 平成23年8月)を読む。表紙を開いて扉をめくると、「嫉妬はこわいものでありますな、閣下。そいつは緑色の目をした怪物で、人の心を餌食にして、苦しめるやつです。『オセロ』シェイクスピア 三神勲=訳」という一文が掲げられておりタイトルの「緑の毒」が「オセロ」にちなんでいるということがわかるし、この小説のテーマは嫉妬なのかなとも思う。開業医の川辺は医学部の後輩と結婚、彼女は新宿の総合病院で勤務医として働き、同僚の救命センターの医師と不倫を重ねている。川辺はアパートに一人暮らしで住む若い女性をターゲットにスタンガンで脅し、麻酔薬を打って暴行を繰り返す。勤務医と開業医、医師と看護師、医療スタッフと事務スタッフなど、医療の世界には微妙なまたあからさまな格差がある。医療の世界だけではない一般社会にだって正社員と派遣社員、パートには格差がある。格差の裏には嫉妬がある。格差や差別、そして嫉妬という感情はそう簡単にはなくなりはしない。しかしそれを放置しておいていいという問題ではない、桐野はこの小説でそういう問題提起を行っているのではないだろうか。

10月某日
「いちばん長い夜に」(乃南アサ 新潮社 2013年1月)を読む。小森谷芭子はホストに貢ぐために昏睡強盗罪を犯す。江口綾香は度重なるドメスティックバイオレンスに耐え兼ね夫を絞殺する。2人は刑務所で出会い、犯した罪も家庭環境も異なりながら友情を育み、出所後も東京の下町、根津界隈で過去を世間に知られないようにひっそりと暮らす。本書はシリーズ3作目で最終作。芭子は綾香の子供の消息を探るために綾香に内緒で仙台を訪れる。綾香の住んでいたところを訪ね図書館で事件の新聞記事を読む。仙台郊外での調査を終えたとき東日本大震災に遭遇する。芭子は仙台からタクシー3台を乗り継いで東京へ帰る。この場面がずいぶんとリアルに表現されている。「あとがき」を読むと乃南は、この小説の取材のために地震当日に編集者とともに仙台にいた。仙台から福島、宇都宮を経て東京に至る逃避行は乃南の実体験に即したものなのだ。綾香はパン職人を目指して根津のパン屋さんで働いているが震災後、自ら焼いたパンをもって被災地を休みの度に訪れる。福島を経由して被災地に通う綾香に対して、職場の同僚は放射能を持って帰ってきていると非難する。綾香は敢然と反論し、パン屋を辞める。乃南は犯罪者や前科持ちの心理を描くのが巧み。それに加え、本作では原発被害の受け止め方にも鋭く迫っている。

10月某日
京大理事の阿曽沼真司さんから東京出張というメールをもらったので、東京駅近くのOAZOの「ねのひ」でご馳走になる。健生財団の大谷さんが同席。「ねのひ」は愛知県の盛田酒造の直営店。肴もうまい。私は生ビールの後、「ねのひ」の本醸造をいただく。阿曽沼さんは来年4月から東京で開校予定の社会人向けの講座についての構想を語る。当方は呑みに専念。
総選挙の結果が出る。自公で衆議院の三分の二を確保、連立政権の圧勝である。小池都知事が代表を務める希望の党は惨敗。小池代表と民進党を解党して希望の党との合流を目論んだ民進党、前原代表の政治責任は免れないだろう。私個人としては安倍政権に対しては批判的な姿勢は変わらない。ただ安定多数をとったのだから社会保障改革をはじめ制度改革は大胆に進めてもらいたいと思う。国民にとって身を切る改革をできるのは、政権が安定している今しかないと思う。

モリちゃんの酒中日記 10月その3

10月某日
立川談四楼の「シャレのちくもり」が面白かったので、図書館で同じ立川談四楼の「一回こっきり」(新潮社 2009年9月)を借りて読む。四章仕立てと中編小説で、一章は「弟」で、談四楼の少年時代と思しき正昭が小学校4年生のとき、弟を破傷風で亡くしてしまう。二章の「一年生」は正昭が落語家となり落語界の草野球チームに参加したりしつつ、落語界に何とか確固とした地歩を築こうと苦労する。三章の「出た長男」は最愛の母を66歳で失う話。故郷を「出た長男」が喪主のあいさつをすべきか悩む。四章の「独立」は親友の映画配給会社に勤める男の実父の通夜に参列、親友から独立話を聞かされる。第五章の「一回こっくり」は幼子を亡くした大工夫妻が子供の亡霊によって生きていく力をもらう、という創作古典人情噺。うーん、やっぱり面白いんだよね。談四楼は1951年生まれだから今年66歳、すでにベテランである。でもツイッターで敢然と安倍首相を批判し立憲民主党の支持を公言している。リベラル噺家なのである。
今日は日曜日なので文庫本をもう一冊読む。「しかたのない水」(井上荒野 新潮文庫 平成20年3月)。ある街のフィットネスクラブ。そこには主婦や失業者や遊び人、老いた母親とその娘などが通ってくる。クラブに通う人や受付嬢を主人公とした連作短編小説である。井上荒野の小説は決して「居心地のいい」小説ではない。何か日常生活の些細な違和感を拡大鏡で確認するようなところが私には感じられる。井上荒野は井上光晴の娘である。作風は全然違うのだが、日常に対する「悪意」「不信」「不安」という漠然としたテーマは共通しているように私は感じる。そこがいいのだけれど。
晩御飯を食べて風呂に入ったらすることもないので図書館から借りた「いつか陽の当たる場所で」(乃南アサ 新潮文庫 平成22年2月 単行本は平静19年8月)を読む。主人公の小森谷芭子は29歳、女子大生のときホストに貢ぐために、伝言ダイヤルで相手を見つけては、ホテルに連れ込んで薬を飲ませて眠らせるという手口で、金を盗む。懲役刑を務めた後、夫殺しで同房だった41歳の江口綾香と谷中で働き始める。犯罪小説やヤクザを主人公にした小説を除いて前科者を主人公とした小説は珍しい。この小説はドラマの主人公がたまたま前科者だったのだ。小森谷の実家は金持ちである。だが罪を犯した小森谷には冷たい。冷たいけれども金持ちだから3000万円の預金通帳と谷中の祖母が住んでいた家の権利を芭子に与えるという。実家との絶縁を条件に。うーん、談四楼の小説の実家の温かさとは雲泥の差である。もちろん談四楼は犯罪を犯したわけでもなく、むしろ芸能人として故郷に錦を飾ったわけだが。

10月某日
図書館で借りた「敗者の想像力」(加藤典洋 集英社新書 2017年5月)を読む。加藤典洋は何度か読んだが、私からすると小難しい理屈が多いような気がしてちょっと苦手意識があった。でも今回はかなり面白く読めたし納得するところも多かった。本書の意図は作者と作品を論じることによって日本の戦後の位相を明らかにすることにあると思う。そうした意味でも第七章と「終わりに」で大江健三郎、とくに大江健三郎が訴えられた沖縄戦時の集団自決を巡る訴訟事件の顛末が私の興味をそそった。集団自決とは1945年、沖縄戦のはじめ、慶良間列島で700人におよぶ非戦闘員の島民が集団自決をとげたことを指す。集団自決については大江の沖縄ノート(1970年)はじめ家永三郎や新崎盛暉らの著作で明らかにされている。日本社会の右傾化と軌を一にするかのように2006年、右派団体からの働きかけのもと、旧守備隊隊長と遺族が大江と版元の岩波書店を名誉棄損で訴える。最終的にはこの訴えは最高裁で退けられる。私はこの裁判にほとんど無関心であったので、加藤展洋の意図とは違うかもしれないが、訴訟の事実自体に驚かさられる。軍の強制による集団自決という「あったこと」を本人の自発的な意志として「なかったこと」とする。私の考えは次のようなものだ。
そもそも沖縄が戦場にならなければ、集団自決などありえなかった。そして当時の沖縄軍が軍官民共生共死という考え方をとらなければ、軍は住民を巻き込むことなく米軍と戦ったはずである。実際は軍が住民を盾に使った例もある。軍から具体的に自決するようにという命令があったかなかったかはそれほど大きな問題ではない。米軍上陸前に軍から住民に自決用の手榴弾が与えられていたことこそが、軍が「いざというときは死を選べ」と命じていたことを明らかにしている。したがって現場の司令官に第一義的な責任があったにせよ、最終的な責任は当時の政府、大本営にあったとみるべきと思う。そして戦後70年を経過した今も、沖縄に日本の米軍基地の大部分が存在しているという現実、これについては明らかに私たちが責任を負うべき事柄と思う。

10月某日
今から30年ほど前、私は年友企画で年金住宅融資を担当していた。年金住宅融資は当時累増していた年金積立金を原資に、被保険者に住宅融資として還元融資するというものだ。人口も増加し経済も高成長、勤労者の住宅需要は旺盛で年金住宅融資も住宅金融公庫の融資と並んで有力な公的資金であった。この年金住宅融資をはじめ年金福祉事業団を管轄していたのが当時の年金局資金課。江利川毅さんが資金課長に就任した時、同年齢だったこともあって親しくなった。江利川さんの次の課長が江利川さんの同期の川辺新さんで引き続き仲良くさせてもらった。何年か前から江利川さんと川辺さんを囲む呑み会を不定期でやっている。メンバーは当時課長補佐だった足利さんや岩野さん、年住協の企画部長だった竹下さんを加えて7、8人。今回は足利さんが都合で出席できなかったがセルフケアネットワークの高本代表理事が参加してくれた。開始は6時からだが5時半には会場の「ビアレストランかまくら橋」に行く。しばらくすると川辺さん、竹下さんが顔を出す。6時半には全員がそろう。どうということもないことを話すのだが「仲間トーク」が…

モリちゃんの酒中日記 10月その2

10月某日
中村秀一さんを虎ノ門の事務所に訪問。現在制作中の単行本「ドキュメント 社会保障改革」の打ち合わせ。当社の酒井も同行。打ち合わせ後、神田で酒井と飲むことにする。神田駅東口の「北海道」へ。当社で総務・経理をやっている石津さんも遅れて参加。酒井は下戸だが、石津さんはビール、私はトウモロコシ焼酎をガンガン頼む。

10月某日
「明治維新 1958-1881」(坂野潤治+大野健一 講談社現代新書 2010年1月)を読む。第二次世界大戦後、韓国や台湾、シンガポールやマレーシアなどで急速に経済成長が進んだ。
これらの国では朴正煕、蒋介石、リークァンユー、マハティールらが権力を掌握し、その独裁的な権力を背景にして開発を進めた。これらの開発独裁のモデルが明治維新以降の日本であったという通説に異を唱えているのが本書である。坂野は日本の近代政治史専攻で東大の社研教授を長く務めた。60年安保のときは東大の院生で、樺美智子の先輩。私の記憶では駒場時代は日本共産党で、本郷ではブントの創設にもかかわったのではないかと思われる。大野は開発経済学、産業政策論が専門。新書版で230ページに満たない本だが中身は非常に濃い。明治維新以降の日本政治と政策は柔構造で担われたという見解を打ち出す。「国家目標と指導者の基本的な組み合わせ」という図版が挿入されている。大久保利通が「殖産興業」、西郷隆盛が「外征」、板垣退助が「議会設立」、木戸孝允が「憲法制定」という4極構造である。大久保と西郷が「富国強兵」で、西郷と板垣が「海外雄飛」で、板垣と木戸が「公議輿論」で、木戸と大久保が「内治優先」でそれぞれ連携している。この4極構造は西郷が西南戦争で敗死し、大久保が暗殺され、木戸が病死してからも基本的に続く。私の能力ではうまく要約できないが、坂野の本はもう少し読んでみたいと思う。

10月某日
「シャレのち曇り」(立川談四楼 ランダムハウス講談社文庫 2008年8月 単行本は1990年3月に文藝春秋から刊行)を読む。買った覚えはないのだけれど、家に積んでおいてあったので読んでみたら、面白くて止まらない。読み進んで行くとところどころに鉛筆で傍線が引いてある。こういう読み方をするのは友人のナベさんだ。多分、ナベさんが「面白いよ」と私にくれたのじゃないかな。ナベさんは車谷長吉の「赤目四十八瀧心中未遂」も推薦して貸してくれた。小説の「目利き」なのだ。談四楼が高校を卒業して立川談志のもとに入門したのが今から50年近く前の1970年。前座から二つ目、真打に至るまでの師匠と仲間と酒と女を巡る話である。談四楼の本も少し読んでみたいと思う。

10月某日
新宿でクラブ「ジャックの豆の木」の店長をしていた三輪さんは、奥さんの実家のある鹿児島に帰っているが、ときどき東京に出てくる。本日は会社向かいの鎌倉橋ビルの地下にある「跳人」で会食。三輪さんは東京に来ると慈恵医大病院に通っているが、今日は病院の近くの新生堂という和菓子屋さんで買ってきてくれた「切腹最中」もお土産にもらう。新橋から慈恵医大のあたりは昔の田村町。江戸時代は田村右京太夫の屋敷があった。浅野内匠頭が切腹をしたのが田村右京太夫の屋敷だったところから「切腹最中」を売り出したということらしい。三輪さんは新宿歌舞伎町で30年以上も店をやっていただけに話は抜群に面白い。

10月某日
「新装版 アームストロング砲」(司馬遼太郎 講談社文庫 2004年12月)を読む。幕末を扱った9編の短編が収められている。巻末の磯貝勝太郎(文芸評論家)の解説によると、初出は昭和35年から40年にかけてのオール読物や小説新潮などに掲載されている。司馬が30代後半から40代にかけての作品である。史実の断片から短編小説を作り上げていく力量はやはり並のものではない。

10月某日
我孫子のレストラン「コビアンⅡ」で吉武民樹さんと大谷源一さんと待ち合わせ。大谷さんに貸すつもりで持ってきた石井瑛嘻の「ブント一代」を読みながら2人を待つ。石井さんは60年安保闘争を東大医学部で主導、卒業後医者となるが第2次ブントの再建にも関わる。ブントの情況派や松本礼二、長崎浩らとの交流も描かれめっぽう面白い、この本の出版記念パーティに出たとき頂戴したものだが、そのとき読んだ記憶があるが例によって内容は覚えていない。大谷さんに「読んだら返してね」と言って渡す。吉武さんが来たので3人で乾杯。ジジイの淡い付き合いもいいもんだ。

10月某日

「決定版 日本のいちばん長い日」(半藤一利 文春文庫 2006年7月 単行本は1995年6月)を読む。天皇の終戦の詔勅を収めた録音盤を巡る侍従を中心とした宮中と、近衛師団を中心とした反乱軍との攻防戦を縦軸に、鈴木首相の決断や阿南陸相の自決を横軸に8月15日正午に至る24時間を描く。決定版は1995年だが、最初の版は1965年に出ている。諸般の事情から、最初は大宅壮一の名を冠して発行された。半藤は1930年生まれだから当時37歳、月刊文藝春秋の編集次長の職にあった。1965年と言えば終戦の1945年から20年、当時の現場を知る人の多くが存命であった。貴重な証言を後世に残したいという半藤の執念と編集者としてのセンスによって出来た本であろう。

モリちゃんの酒中日記 10月その1

10月某日
浅田次郎の「勇気凛々ルリの色 福音について」(講談社文庫 2001年1月)を読む。「週刊現代」1996年10月19日号~1997年10月25日号に連載されたものが1998年2月に講談社により単行本化されている。初出は今から20年前である。少しも古びた感じがしないのは著者の瑞々しい感性のためであろう。自身の老化やハゲについての自虐的なネタも面白いがときどき間違ったように挿入される真面目ネタがいい。「老師について」は北京の胡同に昼は子どもたちに数学を教え、夜は日本語の書物の翻訳に没頭する李啼平(リイ・テイピン)先生のことを綴る。先生は戦前に慶應大学で法律を学び、その後北京で教鞭をとるが文化大革命で財産は没収され一家は離散する。しかし先生は微塵も気品を失わせはしない。作家は「漂い出る清廉さのみなもとは、学問の尊厳と、それを希求してやまぬ学者の魂だけなのであろう」と表現する。年長のいとことの死別をテーマにした「ヒロシの死ついて」、14歳が小学生を殺害し、頭部を切断して学校の校門に晒した事件に触れた「アンファン・テリブルについて」もいい。浅田は中高一貫教育の進学校、駒場東邦に進学、高校1年のとき忽然と姿を消し、中央大学付属杉並高校に転じる。大学受験に失敗し自衛隊に入隊、除隊後は極道人生を送るが、小学生以来の作家志望はずっと変わらなかった。大学には行かなかったが浅田の和漢洋の教養にはなまじの大学出は及ぶまい。

10月某日
元社会保険庁長官で阪大教授もやった堤修三さんとニュー新橋ビルの「いろり屋」で待ち合わせ。堤さんは「厚生行政のオーラルヒストリー 堤修三」という報告書を持ってきてくれる。これは立教大経済学部の菅沼隆氏が研究代表を務めて、歴代の厚生省幹部にインタビューしたものの1冊。A4で200ページ近くある。「読んでよ」と言われたが笑ってごまかす。遅れて健康生きがい財団の大谷常務が参加。私、堤、大谷は昭和23年生まれ、全共闘体験という共通項がある。大学は違うけどね。

10月某日
年友企画の迫田女史と南阿佐ヶ谷のケアセンターやわらぎに石川はるえ代表理事を訪問。配偶者特別控除が女性の社会進出を妨げ、介護の人材不足を助長しているとして「社会保障の構造改革より、社会の構造改革が必要よ」と叫ぶ。もっともである。
桐野夏生の「新装版 天使に見捨てられた夜」(講談社文庫 2017年7月 単行本は1994年6月、1997年6月文庫化されたものの新装版)を読む。女探偵、村野ミロシリーズの2作目。桐野夏生は好きな作家でほとんどの作品を読んでいると思っていたが本作は読み落としていた。20年以上前の作品。携帯電話やパソコンの普及する前なので赤電話やワープロといった言葉が時代を感じさせるが、内容は全く古びていない。最初に文庫化されたときの解説で、松浦理英子が桐野の取り組んでいる主題を「恋愛と性愛をめぐる主題」として、「男性に依存せず自分の人生を主体的に営んで女性は、いったいどのような恋愛をし、どのような性生活を持つのだろうか」という問題意識に支えられているとしている。なるほどね。私が田辺聖子や林真理子といった女流作家に魅かれるのもそんなところかもしれない。そういえば石川はるえさんも「男性に依存せず自分の人生を主体的に営んでいる女性」である。

10月某日
元社会保険庁長官で年住協の理事長もやった末次彬さんに誘われて両国国技館に行く。末次さんのゴルフ友達である高根さんがチケットを入手してくれた。両国駅のホームで高根さんと待ち合わせ、開場まで少し時間があったので国技館付近を散策。高根さんは地元の観光協会のボランティアガイドをしているので船橋聖一の誕生の地などを案内してくれる。相撲は地元の幼稚園園児と関取との取組みや相撲甚句、横綱5人掛かりなど、普段の場所では見られないアトラクションが面白かった。4時前に終了したので2人とは両国駅で別れる。元年住協の林弘之さんに連絡、新松戸でのむことに。新松戸の「ぐい吞み」に行く。ここは稀勢の里を贔屓にしている店なので、女将さんに相撲見物を報告する。

10月某日
明日から3連休。夜の予定が入っていないので我孫子へ直帰。駅前の「七輪」に寄る。「愛花」にはしご。常連の坂田さんに会う。「愛花」がオープンしたのは15年ほど前。ママと亡くなった常連さんの話になってややしんみり。

10月某日
今日から3連休。テレビをザッピングしているとBSで「ローマの休日」をやっていた。オードリー・ヘップバーン扮する某国の王女がローマを訪れ、偶然、アメリカの新聞記者(グレゴリーペック)と出会い、恋に落ちるというストーリー。王女はホテルへ戻り記者会見に臨む。グレゴリーペックを見つめながら「ローマの思い出は生涯忘れないでしょう」と語る。会見場を大股で後にするグレゴリーペックにエンドマークが重なる。何度観てもいいですねー。林真理子の「東京」(ポプラ文庫 2008年12月)を読む。林真理子は山梨出身。地方出身者の東京に対する独特の感覚をとらえるのが巧み。