モリちゃんの酒中日記 9月その4

9月某日
「シリーズ実像に迫る⑪ 島津斉彬」(戎光祥出版 松尾千歳 1017年7月)を読む。幕末の薩摩藩主で西郷隆盛を登用、英明な君主として知られるが、明治維新を見ることなく11858(安政5)年に死去、50歳だった。著者の松尾は尚古集成館館長。尚古集成館は鹿児島にある博物館で、島津家関する史料や薩摩切子、薩摩焼などが展示されている。もともと集成館とは斉彬が作った洋式の反射炉やガラス工場などの工場群のこと。薩摩藩というと英治を殺傷した生麦事件やそれを発端にした薩英戦争から攘夷のイメージが強い。しかし本書によると琉球を統治していたこともあって南西に開かれた海洋国家だったそうだ。今、鹿児島は過疎の県になってしまった印象があるけれど。

9月某日
会社休む。今が顧問の肩書なので毎日行くことはない。今日は家人がもらった「アメイジング・ジャーニー 神の小屋より」を有楽町昴座に見に行くことにする。家人が知り合いからクリスチャン限定特別鑑賞券をもらったということから分かるように、これは現代アメリカを舞台にした宗教映画である。妻と子供3人と幸福に暮らすマック。ある日子どもたちとキャンプに行くが末娘を誘拐されてしまう。数時間後、山小屋で血塗られた末娘のドレスが発見される。深い悲しみに沈むマックに「週末にあの小屋に来ないか パパ」という招待状が。山小屋から青年に綺麗な建物に案内されたマックは、黒人の中年女性とアジア系の若い女性に会う。黒人女性がパパ=神=造物主で、案内した青年がキリスト、アジア系の女性が精霊という設定だ。神・キリスト・精霊の三位一体に基づいているのだろう。神が実在するのならこの世からなぜ悲惨はなくならないか、という古典的な問いに答えようとしたと思われる。マックは末娘を殺害した犯人を赦すことができるのだろうか?結末としてはマックに平安が訪れることになるのだが。

モリちゃんの酒中日記 9月その3

9月某日
図書館で借りた「娘と嫁と孫と私」(藤堂志津子 集英社文庫 2016年4月)を読む。主人公の玉子は65歳。著者は1949年生まれだから著者と主人公はほぼ等身大。職業や家族構成は違っても価値観は一緒とみてよいだろう。舞台は藤堂の生まれた札幌。玉子は長男を交通事故で亡くし、今は長男の嫁里子と孫の春子の3人暮らし。そこに嫁に行った娘の葉絵、家を出て行った夫が絡む家庭劇。うーん暇つぶしにはいいかも。
慶應大学の権丈先生からメール。「厚生労働省の友人から「病中閑話」を借りて読んでいる。奥付を見ると年友企画発行とあるけど、在庫はもうないでしょうね」という内容。「さがしてみます」と返信したが、やはり在庫はなかった。PDFにした記憶はあるのだが。

9月某日
西新橋の「新ばし家」でHCMの大橋社長と元ジャックの豆の木の三輪さんと。この店は青森のお店で店員も青森出身者が多い。大橋さんも青森出身なので贔屓にしている。三輪さんは東京練馬の出身で高校は大泉高校、大学は慶應だが、もともとは岐阜大垣の出だそうだ。大垣は関西出張の帰りに寄ったことがあるが、清流の流れる町の印象だった。三輪さんによると「水都」と呼ばれているらしい。すっかり大橋社長にご馳走になる。
「病中閑話」のPDFを印刷会社キタジマの営業マン、金子君が届けてくれる。権丈先生に送る。

9月某日
林真理子の「みんなの秘密」(講談社文庫 2001年1月 単行本は1997年12月)を読む。第32回吉川英治文学賞受賞作となっている。私はこの一種の不倫小説を読みながら中国の古典「論語」のことを思い浮かべた。論語はきわめてわかりやすく人類の普遍的な徳について孔子の考えを述べている。林真理子のこの小説もきわめてわかりやすく人類に普遍的と思われる不倫について述べている。林真理子は通俗作家ではあるが、その小説は奥が深いと私は思う。奥の深さは林真理子が人間の「業」について深い洞察力を持っているためであろう。夫(妻)がありながら他の男(女)に魅かれていくというのも人間の業としか言えないからである。論語も孔子の深い洞察力でもって人間の徳について述べている。そこに共通点を見出すのである。

9月某日
上野駅から常磐線で帰ろうとしたら健康生きがい財団の大谷さんから携帯に電話。今、東京駅とのこと。上野駅の不忍口で待ち合わせ。アメ横の「番屋余市」へ。

9月某日
高校(室蘭東高)の首都圏同級会を銀座の銀波で。開始5分前に店の前に行くともう皆がそろっていた。私たちの高校は戦後のベビーブーマーに対応して新設され、私たちはその2回生。普通科3クラス、商業科2クラスの小さな高校で同級会も普通科3クラスが合同で行う。確か3年間、毎年クラス替えがあったので皆顔みしりで仲が良い。中沢君や飯田君、京谷君たちと話す。

9月某日
「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」(新潮文庫 加藤陽子 平成28年7月 単行本は21年7月、朝日出版社)を読む。神奈川県の栄光学園の中高生への講義をまとめたものだ。加藤陽子は1960年生まれ、日本近代史専攻の東大文学部教授。序章の「日本近現代史を考える」から日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変と日中戦争、太平洋戦争がテーマ。加藤陽子の講義は私がイメージするものとはずいぶん違う。それだけ新鮮だ。例えば日露戦争で日本は戦争に勝ったにもかかわらずロシアから賠償金を得られなかった。戦費を調達するための「非常特別税法」は賠償金を得られなかったために恒久法とされる。戦争前の選挙人口は98万人、税金が高くなった結果、納税者も増えて1908年の選挙では選挙人口は158万人となった。選ばれた政治家もそれまでの地主中心から会社経営者など新興ブルジョアジーに広がった。この辺はふつうの歴史書にはなかなか出てこないと思う。
第一次世界大戦後、戦後の世界秩序をどうするか話し合われたのがパリ講和会議である。アメリカのウイルソン大統領が民族自決の原則を掲げるが、このときウイルソンの念頭にあったのはポーランドやベルギー、ルーマニア、セルビアだったがウイルソンの思惑を超えて、民族自決の原則は多くの被抑圧民族を勇気づけた。日本の植民地だった朝鮮にも、3.1独立運動として発火する。日中戦争は1937年7月、北京郊外の盧溝橋で夜間演習を行っていた日本軍と中国軍との小さな衝突がきっかけとなった。当時の陸軍はじめ国民の多くが口にしたのは「満蒙は我が国の生命線」。今にして思えばずいぶんと自分勝手な言い草である。遅れてきた帝国主義国家ならではの主張である。このころの日本の指導者の言動は北朝鮮の金正恩やアメリカのトランプ、日本の安倍首相の言動に似ていると思うのは思い過ごしだろうか。

モリちゃんの酒中日記 9月その2

9月某日
「福沢諭吉 その報国心と武士道」(西部 邁 中公文庫 2013年6月)を読む。福沢諭吉は何ものか?こうした問いに答えるのはそうやさしいものではないと思う。「学問のすすめ」や「西洋事情」を著した啓蒙家にして思想家、「時事新報」に拠るジャーナリスト、慶應義塾を創始した教育者といった多面性を有している。西部はそうした福沢をマージナル・マン(境界人)として評価する。福沢を語る西部の文章の真意を理解するのは、私には正直難しかったのだが当時のトップレベルの知識人であった福沢がたんなる西欧文明の紹介者にとどまることなく〝伝統″〝良識″に根差した公智・公徳を大切にした〝保守″の人であったということは理解できた。

9月某日
「生と死-その非凡なる平凡」(西部 邁 新潮社 2015年4月)を読む。このところ西部の本を読む機会が多い。西部の考え方すべてに賛同するというわけではないのだが、彼の身の処し方や友人、知人、家族、世間との接し方には共感するものが多い。本書は主に雑誌「発言者」に掲載されたものだが、より西部の肉声に近いものが聞こえるような気がする。立川談志との交情を綴った「正気と狂気のあいだを渡った人」も良かったが、本書の圧巻はなんといっても亡き妻のことを回想し哀惜する文章だと思う。

9月某日
この夏、我が家の玄関に体調6~7㎝のヤモリが顔を出すようになった。サンダルにへばりついている姿を毎日のように見かける。我が家の玄関をわが住処、サンダルをわが褥と認識しているのだろうか?毎日見ているとそれなりに愛着も出てくるのだが、先日「あれ、今朝は見かけななぁ」と呟いたら、家人が「死んじゃったのよ」と言う。亡骸は庭の片隅に埋めたそうだ。会社を休んだ今朝、図書館に行こうと玄関を出ると体長3㎝くらいの小さなヤモリがいるではないか。きっと死んだヤモリの子供に違いないと思う。

9月某日
中央線沿線で訪問介護や特養、デイサービスなど介護事業を幅広く展開している特定非営利活動法人やわらぎの代表理事で、同じく社会福祉法人にんじんの会の理事長の石川はるえさんとは20年を超える友人。最近は児童虐待防止活動にも熱心に関わっている。やわらぎが創立30周年、にんじんの会が創立20周年を迎え、立川グランドホテルでのパーティに招かれた。JRの立川駅の改札で30周年写真集の制作に携わったフリーのエディターの浜尾さん、ディレクターの横溝君と待ち合わせて会場へ。大谷源一さん、中村秀一さんや吉武民樹さん、竹下隆夫さんら知り合いに挨拶。パーティが終わった後、ホテルの8階のラウンジの2次会にも参加、私と吉武さんはホテルに宿泊。お世話になりました。

9月某日
図書館で借りたミネルバ日本評伝選の「西郷隆盛-人を相手にせず、天を相手にせよ」(家近良樹 ミネルバ書房 2017年8月)を読む。A5判 600ページ近い大著だが面白くて3日ほどで読了。どうも私は歴史において敗者に魅かれる。幕末明治維新期ならば新選組、彰義隊、会津藩、榎本武揚。西郷は戊辰戦争においては勝者だが、最終的には西南戦争で敗者として人生を終える。今まで断片的に西郷の人生を読んできた。江藤淳の「南洲残影」桶谷秀昭の「草花の匂う国家」、小説では司馬遼太郎の「翔ぶが如く」である。家近の西郷隆盛」は、従来の研究も参考にしつつも残されている書簡や日記を丹念に拾って西郷の実像に迫ったのが特徴と言える。西郷と島津久光との角逐は従来から歴史書で明らかにされているが、本書を読むとそれがいかに西郷にストレスを与えていたかが分かる。もう一つ本書で知ったのは大政奉還から王政復古の大号令、倒幕へと向かう政治過程の中で、薩摩の島津久光、土佐の山内容堂、越前の松平春嶽、伊予の伊達宗城らが直接会ったり、書簡を交わすなどして積極的に国政にかかわっていたことである。西郷が下野する直接的なきっかけとなった征韓論の敗北については、どうも西郷の「死にたがり」の性格にも起因しているような気がする。

9月某日
浅田次郎の「五郎治殿御始末」(新潮文庫 平成21年5月 平成15年に中央公論新社より刊行)を読む。これは明治維新の敗者の物語である。「椿寺まで」は彰義隊の敗残兵となった旧幕臣三浦小兵衛が身分を偽って商人として成功する。小僧を伴って尼寺の庵主を訪ねた小兵衛を待つ間、寺男が小僧に明かす真実は。ひねりがあって、人情があって、浅田次郎の幕末ものは面白い。面白いしこの短編を描くにあたってどれほどの資料をあたったことか、浅田次郎恐るべし。

モリちゃんの酒中日記 9月その1

9月某日
御茶ノ水の「山の上ホテル」で社保険ティラーレの佐藤社長と社会保険研究所の清水君と待ち合わせて明治大学の田中秀明先生に「地方から考える社会保障フォーラム」の講師をお願いに行く。先生には財政と社会保障、とくに地方議員に関心を持ってもらいたい地方財政についてお話しいただきたいとお願いした。田中秀明先生は若い時に在籍していた大蔵省から厚生省老人保健部に出向していたことがあるそうで当時の部長は多田さん、岡光さんで若い部員に唐沢剛さんや武田俊彦さんがいたそうだ。御茶ノ水から町田へ、株式会社アイケアの鎌田社長へ「季刊誌へるぱ!」の当社の迫田と取材。介護という一種の準市場で収益を上げていく難しさと楽しさを取材。鎌田さんの前職は飲食業で40代前半。若いことと異業種経験が武器になっている。迫田とは町田で別れ新宿へ。「健康・生きがい財団」の大谷常務に連絡して御徒町で会うことに。御徒町の「仲ちゃん」という焼き鳥屋さんに入る。若い女性やカップルでほぼ満席。確かに焼き鳥はおいしいし、岩手の地酒もうまかった。
浅田次郎の「お腹召しませ」(中公文庫 2008年9月 単行本は同社から2006年2月刊)を読む。全6編の幕末マゲモノの短編集。それぞれの短編の冒頭に幼いころの作者と祖父の暮らしが挿入され、その祖父が明治初年生まれの曽祖父から聞いた話が原型となっていることが示唆される。「本当にあったかもしれない」と思わせる巧みな導入だ。表題作は婿が公金を持ち逃げしたことから、「切腹すれば家名を永らえることができる」と上役、妻女から「お腹召しませ」と迫られる武士の話。武士道は何よりも建前や名分を大切にする。逆に言うと建前や名分が立てばどのような理不尽も許された。切腹を迫られた武士は明治維新によって切腹は中止、佃の渡しの船頭となって明治時代を生きる、という話が曽祖父から祖父が聞いた話として結末で明らかにされる。江戸時代、確かに武士は支配者階級であったろうが、中級下級の武士は庶民、現在のサラリーマンと境遇的には似たもの同士。時代小説が読み継がれる所以でもあろう。

9月某日
「日本の財政-再建の道筋と予算制度」(田中秀明 中公新書 2013年8月)を読む。先日、講演をお願いした田中先生が財務省から明治大学に移った直後の著作で、新書ながら日本の財政について多くのことを学ぶことができた。日本の財政は先進国中に最悪の赤字と言われて久しい。しかし歴史的な低金利と赤字国債がほぼ国内で消化されていることから、ギリシャのようなデフォルトには至っていない。本書は日本の財政悪化の歴史的な経緯をたどりながらアメリカ、イギリス、オーストラリア、ドイツの財政再建の事例も明らかにする。財政の仕組み、国会と内閣の関係は、実は先進各国でも異なっていることが理解できた。日本の財政は「透明性」において先進各国に及ばないことと、国会における決算審議が予算審議に比べはるかに軽視されていること、財務省に対する各省の概算要求の際、その細目まで明らかにすることが求められていることなどが問題であろう。財政再建は予算制度の問題に限らず、極めて政治経済的な権力構造の問題であるのだ。
「音楽運動療法」の研究会に参加。音楽療法が介護予防や認知症のケアにどのような有効性があるか実証しようという研究会だ。元厚労省の宇野裕さんのほか、小金井リハ病院の川内先生、清水坂あじさい荘のサービス提供責任者、黒澤さん、音楽療法懇話会漢字の丸山さん、金井原苑苑長の依田さんが参加。私は「音楽療法」には素人ですが、異なる分野の人の話を聞くのは大変、勉強になります。

9月某日
「ファシスタたらんとした者」(西部邁 中央公論新社 2017年6月)を読む。本書によるとイタリア語のファシスタの原意は「結束者」「団結者」という意味で、西部は「そこ(未来)には混沌しか待ち構えていないと推測・予測・創造される状況では、頼みの綱は敏速なる決断力と果敢なる行動力で他者と結束して前進するしかない」「危機としての生を実践するとはそういうことなのだ」と書いているが、そういう意味で「ファシスタたらんとした」西部の半生が綴られている。道内一の進学校の札幌南高から東大に進学、東大教養学部の委員長、全学連幹部として60年安保を戦い、三つの刑事裁判を抱えるも大方の予想と違っていずれも執行猶予付きの判決を得る。東大大学院に進学の後、横浜国大、東大教養学部に職を得るが、人事を巡る低次元な構想に愛想を尽かせて辞表を提出、その後は文筆業や「知識人」としてのテレビ出演で口を糊しつつ「表現者」「発言者」といった雑誌を発行する。西部の面白さは何ものにも追従しないその独自性とあえて言えば文章の表現に現れる現世、世間に対する悪意のようなものではあるまいか。ところで西部はギルバート・K・チェスタトンの次の言葉を紹介する。「人生の最大限綱領は一人の良い女、一人の良い友、一個の良い思い出、そして一冊の良い書物を得ることにとどまる」。西部は亡くなった奥さんをはじめこの綱領に近いものを手に入れたという。

9月某日
元厚労省の阿曽沼真司さん、健康生きがい財団の大谷源一常務と会社近くの「跳人」で会食。私は次の日が静岡県の函南でゴルフがあるので8時過ぎに店を出て、「こだま」で熱海へ。熱海から函南は在来線で1つ目。函南までは順調に来たがタクシーがなかなか来なくて待つこと30分。ゴルフ場のホテルに泊まる。

9月某日
民介協の理事の皆さんとゴルフ。私は扇田専務、北海道の上田さんと回る。ゴルフは昨年秋にフィリピンのマニラでやって以来。上田さんはショートでバーディ。女性ながらなかなかの腕前。帰りの新幹線は上田さんと扇田専務、佐藤理事長と一緒。千歳空港に車を置いてある上田さんを除いてビールで乾杯。

モリちゃんの酒中日記 8月その5

8月某日
「私の家は山の向こう-テレサ・テン10年目の真実」(有田芳生 文春文庫 2007年3月)を読む。テレサ・テンは台湾出身で日本では「ときの流れに身をまかせ」「空港」「愛人」などの演歌歌手として知られるが、台湾、香港、中国本土など中国語圏では「アジアの歌姫」として広く人気がある。テレサ・テンの誕生から台湾、日本でのデビューからタイ、チエンマイでの早すぎる死までを本人へのインタビューを含む関係者の証言や資料で綴っていく。なかでも天安門事件に前後する中国の民主化運動へのテレサ・テンへの共感と苦悩が本書の大きなウエイトを占める。書名となった「私の家は山の向こう」は中国の民主化運動支援のため香港で開催されたコンサートでテレサ・テンが歌った歌のタイトルである。元歌は日中戦争当時につくられ、その後、大陸から台湾に逃れてきた国民党軍の兵士たちが望郷の念を込めて歌ったという。香港のコンサートで歌われたテレサ・テンの「私の家は山の向こう」はユーチューブで聞くことができる。中国語なので意味は分からないが、哀感のあるいいメロディーである。歌い終わったテレサ・テンが「やった!」とでもいうように小さな叫び声を上げているのも収録されている。1989年の天安門事件から4半世紀が過ぎているのに中国の民主化は実現していない。

8月某日
「リラと私-ナポリの物語」(エレナ・フェランテェ 早川書房 2017年7月)を読む。日経新聞に好意的な書評が載り、図書館でリクエストしている人もいなかったので借りることにする。ナポリの町外れの団地に住むリラとエレナの二人の女の子が主人公。リラは靴職人、エレナは市役所の案内係の娘で、作者の分身のエレナの目を通して描かれる「ナポリの物語」は四巻からなっていて、この第一巻が「序章」「幼年期」「思春期」からなり、第二巻が「青年期」、第三巻が「壮年期」、が「成熟の時」「晩年」「終章」という構成になっている。第二巻以降はまだ刊行されていないが、第一巻はリラの結婚式で終わっている。リラは16歳で結婚しているから第一巻の舞台は1950年代。第2次世界大戦の敗戦国であるイタリアの1950年代は、同じ敗戦国の日本に負けず劣らず貧しかった。リラとエレナはともに学業優秀だったがリナは義務教育で学校教育は終了、図書館で小説を借り、独学で外国語を学ぶ。彼女が学ぶのは向学心というより好奇心で、興味が家業の靴づくりや恋人に向かうと図書館には見向きもしなくなる。エレナは教師の勧めるままに上級学校に進学するが、リナとの友情は変わらない。リナとエレナは1944年生まれという設定だから1948年生まれの私とほぼ同世代。イタリア南部と北海道では気候風土には共通点はないのだが、主人公たちの行動や心理には共感するものが多い。敗戦国や貧しさという環境が共通するためだろうか。

8月某日
「デンジャラス」(桐野夏生 中央公論新社 2017年6月)を読む。文豪谷崎潤一郎とその三番目の妻松子とその妹重子、松子の連れ子の清一とその妻千萬子、同じく松子の連れ子で谷崎家に同居する美恵子の物語で、「私」(重子)の目を通して谷崎をめぐる人間関係が語られる。「兄さんは、家族を再編し、構築するのが好きでした。身の回りを、好きな女性だけで(それも血縁のない)固めていく傾向があったのです」というように。ここで言う「兄さん」とは谷崎のことである。重子は「細雪」のヒロイン「雪子」のモデルでありそのことに誇りを持っている。しかし戦争が終わり「細雪」がベストセラーとなり、谷崎が文化勲章を受章したあたりから谷崎の関心は若く奔放な千萬子に向かう。千萬子をモデルに老人の「性」をテーマにした「鍵」や「瘋癲老人日記」が書き上げられる。谷崎にとって最も重要なのは作品であった。谷崎が好んだ女性や贅沢な料理や住居は作品の材料、舞台としても大きな意味を持っていたということなのだろう。それにしても谷崎は毎日のように速達で千萬子と文通していたという。ラインやメールで簡単に連絡をとれる現代と違って、手紙を書いて宛名を書いて切手を貼って郵便局へもっていかなければならない。谷崎の場合は郵便局へは女中が持っていくのだが、それにしても大変なエネルギーだ。

8月某日
社会福祉法人にんじんの会の石川はるえ理事長が主催する虐待予防推進事業勉強会に出席。一般社団法人にんしんSOS東京の中島さんと吉田さんから活動報告を受けた後、絵本作家の生川さんから絵本「あそぼ」の説明があった。厚労省出身で現在、内閣府の地方創生総括官の唐沢剛さん、大分大学の相澤先生、弁護士で社会福祉士の馬場さんらが参加、短期間でこれだけのメンバーを集める石川さんの「突破力」にはいつもながら驚嘆させられる。にんじんの会の事務局で働いている旧友の伊藤さんに会う。

モリちゃんの酒中日記 8月その4

8月某日
新宿歌舞伎町の「ジャックの豆の木」店長だった三輪さんは、「ジャックの豆の木」を閉店させた後、奥さんの実家がある鹿児島に転居した。それでも年に何回かは上京するので時々会う。今日は会社近くの青森料理の店「跳人」で17時に待ち合わせ。三輪さんは鹿児島物産店で「軽羹」や「さつま揚げ」などおいしいものをいろいろ買ってきてくれる。新宿時代の話を色々聞かせてもらう。我孫子に帰って駅前の「愛花」へ。ゴルフショップを経営している福田さんが来る。福田さんは20代に交通事故で瀕死の重傷を負い日本医大の手術で一命を取り留めた。逆境を跳ね返した強さを感じる。

8月某日
図書館で借りた佐藤雅美の「怪盗桐山の藤兵衛の正体-八州廻り桑山十兵衛」(2017年7月文藝春秋)を読む。「オール読物」に2014年11月号から2016年12月号まで断続的に発表されている。桐山の藤兵衛を頭目とする強盗団が桑山十兵衛の管轄する関八州を荒らしまわったが、20年前に犯行はぴたりと止む。十兵衛はひょんなところから藤兵衛の手がかりを得て一味を追う。幕府の広大な放牧場が下総小金にあったが、そこで馬の世話をする牧士がからむ。小説の舞台は江戸を中心に伊勢崎、太田宿、足尾などに広がるが、十兵衛が犯人の即席を追って松戸、柏、我孫子、木下(きおろし)という今でいう常磐線、成田線界隈を辿るのも私には面白かった。我孫子、木下は江戸時代、利根川による水運の要地でもあったのだ。

8月某日
天理市の介護事業者、有限会社あいネットを取材。社長の中川さんとNPO法人つむぎの山本代表に当社の迫田と話を伺う。グループ全体の前期の売上げは1億2000万円、純利益は790万円、利益率は6.5%、うち小規模多機能(美心逢)が売上げ7300万円、純利益760万円、利益率10.5%、デイサービス(つむぎ)が売上げ2100万円、純利益8万6000円、利益率0.4%、訪問介護(ゆうゆう)が売上げ2800万円、純利益が150万円、利益率5.5%。今期の4-7月ではグループ全体で49000万円を売上げ、純利益は870万円、利益率は17.6%と好調だ。小規模多機能が売上げ2900万円、純利益620万円、利益率21.5%、デイサービスが売上げ920万円、純利益180万円、利益率19.6%、訪問介護が売上げ1050万円、純利益60万円、利益率5.5%。デイサービスの稼働率が上がったことが高収益につながった。職員の仕事の見える化を図り、パソコンを活用して管理コストを削減したこと、さらに仕事のムダを減らして労働密度を上げてきたことも大きい。
夜は京都で元厚労省の阿曽沼さん、阿曽沼さんと同期の田中耕太郎さん、それと2人より3年入省が早い堤修三さんと食事。の筈だったが食事の場所がわからずウロウロしているうちに携帯が電池切れに。コンビニを探して充電器を買い求め近くのアイリッシュパブ、ダブリンで充電、聞いたことのないアイリッシュウィスキーを吞む。充電が進んで携帯を見ると阿曽沼さんから10回以上も電話が。阿曽沼さんに電話すると見当はずれの場所を探していたようで「タクシーで来い」との指示。やっと「先斗先太」という料理屋にたどり着く。3人に平身低頭して謝る。

8月某日
奈良の橿原神宮前の社会福祉法人うねび会の「ぽれぽれケアセンター白橿」に酒井宏和理事長を訪問。酒井さんは民介協の理事でもあるので何度か東京で会っている。「ぽれぽれケアセンター白橿」は地域密着型特養、グループホーム、ショートステイ、リハビリ強化型のデイサービス、ケアプランセンター、住宅型有料老人ホームそれに職員向けの保育所を備えた複合施設。ぽれぽれグループは社福のうねび会と株式会社のひまわりの会で構成されるグループ。創業者は理事長のお母さんで「ぽれぽれ」はスワヒリ語で「ゆっくり、ゆっくり」という意味。前理事長がケニアに旅行した際に「この名前にしよう」となったらしい。入居者も職員もいきいきとしているのが印象的だった。

8月某日
慶應大学商学部の権丈善一先生に取材。当社の迫田が同行。13時から取材などで食堂へ。慶應出身の迫田の勧めで「山食堂」のカレーライスを食べる。権丈先生には日本の社会保障の持続可能性について聞く。社会保障を巡る多くの問題は財源をどうするかだが、給付先行型だった日本の社会保障はその財源的に非常に厳しいのが現実と先生。要はこの現実を国民が受け入れ、負担増に納得するかということだと思う。

モリちゃんの酒中日記 8月その3

8月某日
会社近くの呑み屋「跳人」の大谷さんに目黒の雅叙園でやっている「アートイルミネーション 和のあかり×百段階段」のチケットをもらった。折角なのでフリーライターの香川さんを誘っていくことにする。目黒駅で待ち合わせて雅叙園に行く。確か30年近く前に「年金と住宅」という雑誌の「古地図を歩く」という連載で、筆者の中村一成さんとカメラマンの緒方さんと取材に訪れたことがある。かつて雅叙園があったと思われる一角にはタワーホテルが建ち印象は一変していた。百段階段のある建物は昭和10年建築で、雅叙園に唯一現存する木造建築だそうで、ウィキペディアで調べると太宰治の小説の舞台にもなったそうだ。見終わってから目黒駅の反対側にあるPIZZERIA&BAR CERTOで食事。

8月某日
来年の「医療・介護ダブル改定の最新情報と対策」をSMSの介護経営コンサルタント星野公輔さんが講演するというので住友不動産芝公園タワーのSMSまで当社の迫田と聞きに行く。会場には介護事業者と思しき人たちが50人ほど集まっていた。大変参考になる講演だったが、乱暴に要約すると、日本全体が高齢化と労働力人口の減少により財政難と人手不足に陥っている、しかし利用者数が約1.5倍に増えることや入院期間の短縮によりマーケットは拡大し、IT、IOT、ロボット、クラウド等の導入により生産性の向上が図られるというもの。医療と介護は間違いなく成長産業だが、医療報酬と介護報酬の伸びは抑制されざるを得ない。報酬の点数は切り下げられるということだ。星野氏は訪問介護の収支差率(経常利益率)の5.5%が中小企業平均(2014年度:3.6%)くらいに下げる可能性ありとしていた。我孫子に10時頃帰り、駅前の「愛花」に寄る。昔常連だった「ゆきっぺ」が来ていた。「私も60過ぎたのよ」と言っていたがあまり変わらないように見えたけどね。

8月某日
慶應大学商学部教授の権丈善一先生の「ちょっと気になる医療と介護」(勁草書房 2017年1月)を読む。権丈さんは前回の「地方から考える社会保障フォーラム」に講師として来ていただいた。そのとき前著の「ちょっと気になる社会保障」を読んだが、「医療と介護」はさらに過激になっているように思う。それだけ日本の社会保障制度の持続可能性がピンチに立たされているということなんだろう。権丈さんは戦闘的と形容詞をつけたいほどの改革論者だ。しかも実証的で実践的な議論を進める。例えば「第6章 競争から協調へ」では舞鶴市の例を挙げて、国立病院や日赤、市立病院などの公的病院に医師が分散して患者を奪い合い状況にあると指摘、新型医療法人の創設を提案する。この法人に参加する国立病院や公的病院は本部から切り離されることを法律的に担保するというのだ。系列病院による病院完結型医療から地域完結型医療への転換ということでもあるのだろう。普通の専門書や新書では巻末に「注」が付いているのだが、本書は「知識補給」として長めの「注釈」が施されている。「指標と政策概念の間にあるギャップ」では「指標頼りの政策は、指標の変化が起こりやすい近辺の政策に政策担当者の関心を集中させて、本当に深刻な問題を放置させる」ことも起こりかねないとし「大切なことは、指標よりも人の思考力の方が上」と強調。同感です。他にも小選挙区制や内閣人事局についての考えにも全く賛成!

モリちゃんの酒中日記 8月その2

8月某日
老健局長、社会保険庁長官を歴任した後、阪大教授におさまったのが堤修三さん。阪大教授を定年で辞めた後は「小人閑居して不善を為す」かと思ったら、最近何かと忙しいらしい。取材にかこつけて会うことにした。当社までご足労願って1時間ほど取材、取材が終わったら亡くなった高原亮次さんが眠っている四谷の聖イグナチオ教会に行くことにする。高原さんは厚生省の医系技官、健康局長で退職した。高原さんと堤さんは同じ日に厚生省を退職したそうだ。在職中はそれほど親しくなかった2人だが退職してから仲良くなり、私も同席して3人でよく吞んだ。堤さんが東大全共闘、高原さんが岡山大学の医学部の全共闘、私が早大全共闘という全共闘つながりでもあった。高原さんが納骨されているところで黙祷、せっかくだから四谷の新道通りで吞むことにする。5時前だったので空いている店は少なかったが、2階の居酒屋に入る。さかなが美味しい店で「のどぐろ」がお勧めということで刺身を頼む。ビールで乾杯の後は日本酒。

8月某日
日本経済新聞の「経済教室」で井上智洋駒澤大学准教授が「2030年には汎用AIが実現し労働の大半は代替され」、筆者の名付ける「純粋機械化経済」が実現する。「純粋機械化経済では成長率が年々高まる」が、ベーシックインカム(基本所得、BI)のような大規模な所得の再分配制度を導入しなければ、資本家が高い収益を得る一方、多くの労働者が失業して所得を得られなくなると予言する。「BIなきAIはディストピア(反理想郷)をもたらしかねない。しかしBIのあるAIはユートピアをもたらすであろう」というのが結語である。AIとBIって語呂合わせ的にもいいんじゃないかな。
夕方、「ジャックと豆の木」の元マスター、三輪ちゃんと会食。当社の岩佐が私に話があるというので岩佐も同席。岩佐も「ジャックと豆の木」には何回か訪れたことがあったそうだ。三輪ちゃんは現在、鹿児島在住だが、慈恵医大で治療中の身でもあるのでときどき東京に出てくる。30年以上も新宿歌舞伎町でクラブをやっていただけに話はとっても面白い。

8月某日
図書館で借りた井上智洋駒沢大学准教授の「ヘリコプターマネー」(日本経済新聞出版社 2016年12月)を読む。井上の主張は単純化させると、世の中に流通する貨幣の量を増大させれば好況になり、そのためにはかつてミルトン・フリードマンが主張した「ヘリコプター」政策をとるべきというものだ。空からヘリコプターでお金を降らせるように、日銀のような中央銀行(または政府)が発行したお金を国民にばらまく政策である。実際の政策となるとそう簡単にはいかないと思うが、井上という経済学者は「国民にとっての経済」を考えている学者ではないか。AIに対する考え方にもそれは現れていると思う。
会社近くの「いきしぐさ」でフィスメックの小出社長にご馳走になる。当初は編集者の阿部さんと3人の予定だったが、全住協の加島常務が来社したので誘うことにする。小出社長は以前、年金住宅融資を扱う全国社会保険共済会という財団にいたので加島さんとは旧知の仲。阿部さんは年住協の「ヨーロピアンハウス」の編集をお願いしたので、共通の知人もいる。年金住宅融資の全盛期の話などで盛り上がった。

8月某日
終戦記念日が近いためだろう、我孫子市民図書館の展示コーナーには太平洋戦争関連の図書が並べられていた。そのうちの一冊「日本のいちばん長い夏」(文春新書 2007年10月 半藤一利編)を借りる。第2次世界大戦の敗北は日本人にとって初めての対外戦争の敗北であり、外国軍による占領も有史以来の体験であった。日本の敗戦とは何であったか、30人の大座談会が明らかにする。表紙に刷られたコピーに曰く“政治や軍部の中枢から前線の将兵や銃後の人々まで、30の視点が語る忘れてはいけないあの戦争。貴重な証言で埋め尽くされた「後世への贈り物」”。この大座談会を企画し司会を務めたのが若き日の半藤一利であった。座談会が行われたのが昭和38(1963)年の6月、文藝春秋の8月号に掲載された。吉田茂元首相と町村金吾元警視総監(当時北海道知事)は誌上参加だったが、それにしても28人が「なだ万」という料亭の大広間に集まり、午後3時から5時間に及ぶ座談会がスタートした。ということが巻末の半藤と昭和思想史の研究者、松本健一の対談で明らかにされている。大座談会という形式で、しかも各界の人材を集めて当時の状況を明らかにするという発想は、半藤の編集者としてのセンスの良さであろう。半藤はこの座談会に触発されてドキュメント「日本のいちばん長い日」を執筆することになる。座談会が実施されてから半世紀。出席者のほとんどが故人となっている。当たり前のことだが「生きているうち」にしか話は聞けないのである。

モリちゃんの酒中日記 8月その1

8月某日
図書館で借りた「物書同心居眠り紋蔵シリーズ」の「敵討ちか主殺しか」(佐藤雅美 講談社 2017年6月)を読む。巻末のシリーズ紹介のページによると本作は15作目。佐藤雅美のシリーズものの中でも人気のシリーズなのだろう。江戸時代の町奉行は警察と司法を兼ねていた。主人公の紋蔵は過去の判例を調べる「例繰り方」である。今まで時代小説やテレビで取り上げられたのは、刑事事件の捜査を主とする「町方」同心。江戸時代も幕末に近い文化文政のころが舞台。商品経済も行きわたり、江戸文化が爛熟したころ。丁寧な時代考証はいつもの佐藤雅美の小説である。

8月某日
社保研ティラーレ主催で年3回実施している「地方から考える社会保障フォーラム」の検討会を会社近くの「むさし坊」で。社保研ティラーレの吉高会長と佐藤社長、社会保険研究所の松沢総務部長、水野君、清水君が出席。社会保険研究所グループとして「社会保険」という枠にとどまらず、社会保障全体に目配りする必要があるのではないかと話す。我孫子に帰って駅前の「愛花」に顔を出す。常連のカヨちゃんとアライさんがいた。

8月某日
今日、明日と休み。久しぶりに被災地を訪ねてみようと思い常磐線で「いわき」へ。急ぐ旅でもないので各駅停車を乗り継いでいったら3時間以上かかってしまった。「いわき」から津波の被害が一番ひどかった「四ツ倉」に行こうと思ったが、次の列車まで1時間以上時間があるので「いわき」の駅前へ。駅前の商業ビルの4階と5階が市立図書館になっているので寄ってみる。ずいぶん立派な図書館だ。東日本大震災のコーナーも常設されているので立ち寄る。四倉町2丁目には7.55mの津波が押し寄せ、いわき市全体で400名近い死者、行方不明者が出たことがわかる。震災関係の図書も揃えられていて、「福島が日本を超える日」(浜矩子他、かもがわ出版、2016年3月)を読んでいたら時間が来たので再び駅へ。2つ目の「四ツ倉」駅で下車。何度か訪れたことがある四ツ倉海岸沿いの「道の駅」へ。ここら辺は野菜や果物、海産物が豊富、昆布となめこなどを買う。2階の喫茶室で生ビール。目の前が海水浴場になっているので行ってみると女子高生と思しきグループがビーチバレーに興じていた。サーフボードを抱えた青年も見かけたが平日からか閑散とした印象だ。駅への帰りに「大川魚店」で弁当を買う。帰りの電車でビールの肴にするつもり。駅前のスーパーで家族の土産に福島産の桃を買う。
「四ツ倉」から乗った電車は水戸行きだったので「いわき」で降りずにそのまま乗車。車中で弁当を食いながらビールを吞む。日立で特急に乗り換えることができるので下車。特急券を買おうとしたらちょうど日立から東京へ帰るサラリーマンで券売機の前には長い列が。結局、目当ての特急には乗れず、勝田まで各駅停車で行くと柏に停車する特急に乗ることができるのでその特急券を購入。駅の特産物コーナーをのぞくとNHKの朝の連ドラ「ひよっこ」の展示がされていた。主人公の「みね子」が生まれ育ったのは茨城県北部の架空の村、奥茨城村。だもんで県北の日立市や常陸大宮市、高萩市などで茨城県北「ひよっこ」推進協議会を結成、PRに努めているのだ。
「ひよっこ」毎回楽しみに見ているので展示も楽しめた。勝田で特急に乗り換え家路に。

8月某日
図書館で借りた桐野夏生の「ジオラマ」(新潮文庫 平成13年1月)を読む。桐野は好きな作家で割とよく読むのだが、読むのは長編がほとんど短編集の「ジオラマ」ではじめて短編を読むことになる。桐野は「あとがき」で子供の頃、地面に埋まっている石ころを剥がす遊びに夢中だったとし、自分にとっての短編小説は「石をめくってみて、その下にあった世界を見る驚きや、その世界を書くこと」と書いている。続けて「様々な場所の様々な石をひっくり返すこと、その地中世界まで掘り下げるのは、私の場合、長編での仕事である」と述べている。なるほどねぇ。そういえば私も子供の頃、石をひっくり返して、蟻が右往左往しているのを飽かずに眺めていた記憶がある。

8月某日
「跳人」で健康生きがいづくり財団の大谷常務と。大谷さんは「生涯現役起業支援事業助成金」の資料を持ってきてくれる。高年齢者が起業するにあたって、募集や採用、教育訓練の費用を助成するというもの。人件費や備品の購入費用は対象とならないそうなので私が考えていたのとは違う助成金。でも大谷さんには感謝。

モリちゃんの酒中日記 7月その5

7月某日
新宿歌舞伎町の伝説のクラブ「ジャックと豆の木」の店長だった三輪さんからワインが送られてくる。ラベルを見るとフランスワインのヴィンテージもの。西荻に住む私の兄の家に北海道の弟が来るというので持って行くことにする。弟はホタテなど北海道の海産物を持ってきてくれたのでそれを肴に呑む。夕方6時頃から呑みはじめ、我孫子の家に帰り着いたら12時を過ぎていた。

7月某日
夕方、会社の石津さんと呑みに行く約束をしていたら、HCMの大橋社長から誘いの電話。ネオ・ユニットの土方さんと静岡に出張した帰りで今、東京駅という。5時に会社近くの「跳人」で待ち合わせ。私は会社近くの藤田酒店が販売元になっている芋焼酎「神田の戦士」を1本買っていく。石津さんも6時には合流、楽しく飲みました。

7月某日
社会保険福祉協会の助成で「音楽運動療法」の研究をやっている。今日は三軒茶屋で実際に音楽療法をやっている現場を見学することに。9時半に三軒茶屋で待ち合わせ。会場の太子堂地区社会福祉協議会へ向かう。メンバーは幹事の宇野裕さん、スポンサーの社福協の本田清隆常務、音楽療法士の丸山ひろ子さん、特養のサービス提供責任者でホームヘルパー協会副会長の黒澤加代子さん、社会福祉法人金井原苑苑長の依田明子さん。三々五々、高齢者が会場に集まってくる。圧倒的に女性が多い。最終的には70人近くになったようだ。本日の講師兼司会進行は井畔理恵さん、ピアノ伴奏は手塚直子さんでいずれも国立音楽院の卒業生。井畔さんの進行が抜群に上手だった。私も久しぶりに大きな声で歌をうたえて楽しかったし、軽いストレッチも取り入れているので運動にもなった。介護予防に最適と思いますね。

7月某日
当社と同じビルにオフィスを構えるのが一般社団法人の民間介護事業者協議会、民介協だ。その民介協のオフィスで暑気払いがあり、当社の全員も招かれた。都合のつく社員、7、8名で押し掛けた。当社からは「跳人」に頼んでオードブルを差し入れ。キタジマからウイスキーや日本酒、それに藤田酒店の「神田の戦士」が差し入れられた。民介協の扇田専務や天野さん、それに扇田専務が後援会長をやっている落語家の三遊亭円丸師匠も参加。扇田専務の音頭でビールで乾杯、私はその後、ワインとウイスキーをご馳走になる。「跳人」のオードビルもおいしかった。タダ酒でつい飲みすぎた。

7月某日
図書館で借りた「日本の近代とは何であったか―問題史的考察」(岩波新書 三谷太一郎 2017年3月)を読む。三谷太一郎は東大名誉教授で専門は日本外交史。新書版で文章も平易だが、書かれている内容はかなり高度だ。近代以前、「慣習の支配」によって人類は拘束され、独創性は停滞した。人類を慣習の支配から解放することが「近代」の歴史的意義で、それは「議論による統治」を意味する。マルクスと同時代人でマルクスと同じように政治経済学的観点から英国近代を分析したウォルター・バジョットは「いかなる国家も議論による統治を持たなければ一流たりえない」と言っている。幕藩体制において権力は複数の老中、若年寄、目付等によって行使されたが、これは三谷によると権力抑制のメカニズムであったという。倒幕後の権力は各藩の権力を超えた「公議」として認識され、王政復古は幕府的な存在を排除し、権力の分立と立憲制を招来した。これに対して昭和の大政翼賛会に対する違和感、反発は、ナチズム、ファシズム、ボルシェビズムを連想させた故であった。
日本に資本主義が勃興したのは、日清戦争以前に先進的作業技術、資本、労働力、平和といった資本主義を可能にする客観的条件が存在したためである。具体的には①官営事業に象徴される国家による先進的産業技術の導入②地租を始めとする安定度の高い歳入を保障する租税制度③質の高い労働力を生み出す公教育制度(初等及び高等教育制度)④資本蓄積を妨げる資本の非生産的消費としての対外戦争の回避があげられる。一方、日本の植民地構想は経済的利益関心よりも軍事的、安全保障的関心から発生している。ヨーロッパ先進国(英仏等)のように「自由貿易帝国主義」による「非公式帝国」の拡大は目指さず、より大きなコストを要する軍事的依存度が高い「公式帝国」の途を選んだ。日本の近代化を貫く機能主義的思考様式については、明治日本にはヨーロッパというモデルはあったがヨーロッパ化のモデルはなかった。そのため制度、技術、機械、その他の商品といった個別の機能を導入してヨーロッパ化を図った。またヨーロッパには諸機能を統合する機能として宗教(キリスト教)があったが、日本ではそれを皇室に求めた。「神の不在」が天皇の神格化をもたらしたのである。明治憲法の外で「神聖不可侵」を体現する天皇の超立憲君主的性格を積極的に明示したのが「教育勅語」である。井上毅、山県有朋、伊藤博文らの藩閥官僚と天皇の側近勢力(永田英莩)の共同作品であった。通常の勅語には国務大臣の副署があるが教育勅語にはない。これは教育勅語が立憲君主制の原則に拘束されないことを示している。
終章で三谷は東日本大震災による原発事故は、日本の近代そのものへの根源的な批判を惹起したとする。徳川慶喜政権から明治政権へ権力は交代したが、路線として「文明開化」と「富国強兵」は連続している。戦後の日本は国民主権を前提にした「強兵」なき「富国」路線を歩んできたが原発事故によってその路線が揺らいでいる。三谷は国際共同体の組織化を通じてグローバルな規模での近代化路線の再構築を提案する。これを実現していくのは我々後世代の務めだろう。