モリちゃんの酒中日記 10月その3

10月某日
立川談四楼の「シャレのちくもり」が面白かったので、図書館で同じ立川談四楼の「一回こっきり」(新潮社 2009年9月)を借りて読む。四章仕立てと中編小説で、一章は「弟」で、談四楼の少年時代と思しき正昭が小学校4年生のとき、弟を破傷風で亡くしてしまう。二章の「一年生」は正昭が落語家となり落語界の草野球チームに参加したりしつつ、落語界に何とか確固とした地歩を築こうと苦労する。三章の「出た長男」は最愛の母を66歳で失う話。故郷を「出た長男」が喪主のあいさつをすべきか悩む。四章の「独立」は親友の映画配給会社に勤める男の実父の通夜に参列、親友から独立話を聞かされる。第五章の「一回こっくり」は幼子を亡くした大工夫妻が子供の亡霊によって生きていく力をもらう、という創作古典人情噺。うーん、やっぱり面白いんだよね。談四楼は1951年生まれだから今年66歳、すでにベテランである。でもツイッターで敢然と安倍首相を批判し立憲民主党の支持を公言している。リベラル噺家なのである。
今日は日曜日なので文庫本をもう一冊読む。「しかたのない水」(井上荒野 新潮文庫 平成20年3月)。ある街のフィットネスクラブ。そこには主婦や失業者や遊び人、老いた母親とその娘などが通ってくる。クラブに通う人や受付嬢を主人公とした連作短編小説である。井上荒野の小説は決して「居心地のいい」小説ではない。何か日常生活の些細な違和感を拡大鏡で確認するようなところが私には感じられる。井上荒野は井上光晴の娘である。作風は全然違うのだが、日常に対する「悪意」「不信」「不安」という漠然としたテーマは共通しているように私は感じる。そこがいいのだけれど。
晩御飯を食べて風呂に入ったらすることもないので図書館から借りた「いつか陽の当たる場所で」(乃南アサ 新潮文庫 平成22年2月 単行本は平静19年8月)を読む。主人公の小森谷芭子は29歳、女子大生のときホストに貢ぐために、伝言ダイヤルで相手を見つけては、ホテルに連れ込んで薬を飲ませて眠らせるという手口で、金を盗む。懲役刑を務めた後、夫殺しで同房だった41歳の江口綾香と谷中で働き始める。犯罪小説やヤクザを主人公にした小説を除いて前科者を主人公とした小説は珍しい。この小説はドラマの主人公がたまたま前科者だったのだ。小森谷の実家は金持ちである。だが罪を犯した小森谷には冷たい。冷たいけれども金持ちだから3000万円の預金通帳と谷中の祖母が住んでいた家の権利を芭子に与えるという。実家との絶縁を条件に。うーん、談四楼の小説の実家の温かさとは雲泥の差である。もちろん談四楼は犯罪を犯したわけでもなく、むしろ芸能人として故郷に錦を飾ったわけだが。

10月某日
図書館で借りた「敗者の想像力」(加藤典洋 集英社新書 2017年5月)を読む。加藤典洋は何度か読んだが、私からすると小難しい理屈が多いような気がしてちょっと苦手意識があった。でも今回はかなり面白く読めたし納得するところも多かった。本書の意図は作者と作品を論じることによって日本の戦後の位相を明らかにすることにあると思う。そうした意味でも第七章と「終わりに」で大江健三郎、とくに大江健三郎が訴えられた沖縄戦時の集団自決を巡る訴訟事件の顛末が私の興味をそそった。集団自決とは1945年、沖縄戦のはじめ、慶良間列島で700人におよぶ非戦闘員の島民が集団自決をとげたことを指す。集団自決については大江の沖縄ノート(1970年)はじめ家永三郎や新崎盛暉らの著作で明らかにされている。日本社会の右傾化と軌を一にするかのように2006年、右派団体からの働きかけのもと、旧守備隊隊長と遺族が大江と版元の岩波書店を名誉棄損で訴える。最終的にはこの訴えは最高裁で退けられる。私はこの裁判にほとんど無関心であったので、加藤展洋の意図とは違うかもしれないが、訴訟の事実自体に驚かさられる。軍の強制による集団自決という「あったこと」を本人の自発的な意志として「なかったこと」とする。私の考えは次のようなものだ。
そもそも沖縄が戦場にならなければ、集団自決などありえなかった。そして当時の沖縄軍が軍官民共生共死という考え方をとらなければ、軍は住民を巻き込むことなく米軍と戦ったはずである。実際は軍が住民を盾に使った例もある。軍から具体的に自決するようにという命令があったかなかったかはそれほど大きな問題ではない。米軍上陸前に軍から住民に自決用の手榴弾が与えられていたことこそが、軍が「いざというときは死を選べ」と命じていたことを明らかにしている。したがって現場の司令官に第一義的な責任があったにせよ、最終的な責任は当時の政府、大本営にあったとみるべきと思う。そして戦後70年を経過した今も、沖縄に日本の米軍基地の大部分が存在しているという現実、これについては明らかに私たちが責任を負うべき事柄と思う。

10月某日
今から30年ほど前、私は年友企画で年金住宅融資を担当していた。年金住宅融資は当時累増していた年金積立金を原資に、被保険者に住宅融資として還元融資するというものだ。人口も増加し経済も高成長、勤労者の住宅需要は旺盛で年金住宅融資も住宅金融公庫の融資と並んで有力な公的資金であった。この年金住宅融資をはじめ年金福祉事業団を管轄していたのが当時の年金局資金課。江利川毅さんが資金課長に就任した時、同年齢だったこともあって親しくなった。江利川さんの次の課長が江利川さんの同期の川辺新さんで引き続き仲良くさせてもらった。何年か前から江利川さんと川辺さんを囲む呑み会を不定期でやっている。メンバーは当時課長補佐だった足利さんや岩野さん、年住協の企画部長だった竹下さんを加えて7、8人。今回は足利さんが都合で出席できなかったがセルフケアネットワークの高本代表理事が参加してくれた。開始は6時からだが5時半には会場の「ビアレストランかまくら橋」に行く。しばらくすると川辺さん、竹下さんが顔を出す。6時半には全員がそろう。どうということもないことを話すのだが「仲間トーク」が…

モリちゃんの酒中日記 10月その2

10月某日
中村秀一さんを虎ノ門の事務所に訪問。現在制作中の単行本「ドキュメント 社会保障改革」の打ち合わせ。当社の酒井も同行。打ち合わせ後、神田で酒井と飲むことにする。神田駅東口の「北海道」へ。当社で総務・経理をやっている石津さんも遅れて参加。酒井は下戸だが、石津さんはビール、私はトウモロコシ焼酎をガンガン頼む。

10月某日
「明治維新 1958-1881」(坂野潤治+大野健一 講談社現代新書 2010年1月)を読む。第二次世界大戦後、韓国や台湾、シンガポールやマレーシアなどで急速に経済成長が進んだ。
これらの国では朴正煕、蒋介石、リークァンユー、マハティールらが権力を掌握し、その独裁的な権力を背景にして開発を進めた。これらの開発独裁のモデルが明治維新以降の日本であったという通説に異を唱えているのが本書である。坂野は日本の近代政治史専攻で東大の社研教授を長く務めた。60年安保のときは東大の院生で、樺美智子の先輩。私の記憶では駒場時代は日本共産党で、本郷ではブントの創設にもかかわったのではないかと思われる。大野は開発経済学、産業政策論が専門。新書版で230ページに満たない本だが中身は非常に濃い。明治維新以降の日本政治と政策は柔構造で担われたという見解を打ち出す。「国家目標と指導者の基本的な組み合わせ」という図版が挿入されている。大久保利通が「殖産興業」、西郷隆盛が「外征」、板垣退助が「議会設立」、木戸孝允が「憲法制定」という4極構造である。大久保と西郷が「富国強兵」で、西郷と板垣が「海外雄飛」で、板垣と木戸が「公議輿論」で、木戸と大久保が「内治優先」でそれぞれ連携している。この4極構造は西郷が西南戦争で敗死し、大久保が暗殺され、木戸が病死してからも基本的に続く。私の能力ではうまく要約できないが、坂野の本はもう少し読んでみたいと思う。

10月某日
「シャレのち曇り」(立川談四楼 ランダムハウス講談社文庫 2008年8月 単行本は1990年3月に文藝春秋から刊行)を読む。買った覚えはないのだけれど、家に積んでおいてあったので読んでみたら、面白くて止まらない。読み進んで行くとところどころに鉛筆で傍線が引いてある。こういう読み方をするのは友人のナベさんだ。多分、ナベさんが「面白いよ」と私にくれたのじゃないかな。ナベさんは車谷長吉の「赤目四十八瀧心中未遂」も推薦して貸してくれた。小説の「目利き」なのだ。談四楼が高校を卒業して立川談志のもとに入門したのが今から50年近く前の1970年。前座から二つ目、真打に至るまでの師匠と仲間と酒と女を巡る話である。談四楼の本も少し読んでみたいと思う。

10月某日
新宿でクラブ「ジャックの豆の木」の店長をしていた三輪さんは、奥さんの実家のある鹿児島に帰っているが、ときどき東京に出てくる。本日は会社向かいの鎌倉橋ビルの地下にある「跳人」で会食。三輪さんは東京に来ると慈恵医大病院に通っているが、今日は病院の近くの新生堂という和菓子屋さんで買ってきてくれた「切腹最中」もお土産にもらう。新橋から慈恵医大のあたりは昔の田村町。江戸時代は田村右京太夫の屋敷があった。浅野内匠頭が切腹をしたのが田村右京太夫の屋敷だったところから「切腹最中」を売り出したということらしい。三輪さんは新宿歌舞伎町で30年以上も店をやっていただけに話は抜群に面白い。

10月某日
「新装版 アームストロング砲」(司馬遼太郎 講談社文庫 2004年12月)を読む。幕末を扱った9編の短編が収められている。巻末の磯貝勝太郎(文芸評論家)の解説によると、初出は昭和35年から40年にかけてのオール読物や小説新潮などに掲載されている。司馬が30代後半から40代にかけての作品である。史実の断片から短編小説を作り上げていく力量はやはり並のものではない。

10月某日
我孫子のレストラン「コビアンⅡ」で吉武民樹さんと大谷源一さんと待ち合わせ。大谷さんに貸すつもりで持ってきた石井瑛嘻の「ブント一代」を読みながら2人を待つ。石井さんは60年安保闘争を東大医学部で主導、卒業後医者となるが第2次ブントの再建にも関わる。ブントの情況派や松本礼二、長崎浩らとの交流も描かれめっぽう面白い、この本の出版記念パーティに出たとき頂戴したものだが、そのとき読んだ記憶があるが例によって内容は覚えていない。大谷さんに「読んだら返してね」と言って渡す。吉武さんが来たので3人で乾杯。ジジイの淡い付き合いもいいもんだ。

10月某日

「決定版 日本のいちばん長い日」(半藤一利 文春文庫 2006年7月 単行本は1995年6月)を読む。天皇の終戦の詔勅を収めた録音盤を巡る侍従を中心とした宮中と、近衛師団を中心とした反乱軍との攻防戦を縦軸に、鈴木首相の決断や阿南陸相の自決を横軸に8月15日正午に至る24時間を描く。決定版は1995年だが、最初の版は1965年に出ている。諸般の事情から、最初は大宅壮一の名を冠して発行された。半藤は1930年生まれだから当時37歳、月刊文藝春秋の編集次長の職にあった。1965年と言えば終戦の1945年から20年、当時の現場を知る人の多くが存命であった。貴重な証言を後世に残したいという半藤の執念と編集者としてのセンスによって出来た本であろう。

モリちゃんの酒中日記 10月その1

10月某日
浅田次郎の「勇気凛々ルリの色 福音について」(講談社文庫 2001年1月)を読む。「週刊現代」1996年10月19日号~1997年10月25日号に連載されたものが1998年2月に講談社により単行本化されている。初出は今から20年前である。少しも古びた感じがしないのは著者の瑞々しい感性のためであろう。自身の老化やハゲについての自虐的なネタも面白いがときどき間違ったように挿入される真面目ネタがいい。「老師について」は北京の胡同に昼は子どもたちに数学を教え、夜は日本語の書物の翻訳に没頭する李啼平(リイ・テイピン)先生のことを綴る。先生は戦前に慶應大学で法律を学び、その後北京で教鞭をとるが文化大革命で財産は没収され一家は離散する。しかし先生は微塵も気品を失わせはしない。作家は「漂い出る清廉さのみなもとは、学問の尊厳と、それを希求してやまぬ学者の魂だけなのであろう」と表現する。年長のいとことの死別をテーマにした「ヒロシの死ついて」、14歳が小学生を殺害し、頭部を切断して学校の校門に晒した事件に触れた「アンファン・テリブルについて」もいい。浅田は中高一貫教育の進学校、駒場東邦に進学、高校1年のとき忽然と姿を消し、中央大学付属杉並高校に転じる。大学受験に失敗し自衛隊に入隊、除隊後は極道人生を送るが、小学生以来の作家志望はずっと変わらなかった。大学には行かなかったが浅田の和漢洋の教養にはなまじの大学出は及ぶまい。

10月某日
元社会保険庁長官で阪大教授もやった堤修三さんとニュー新橋ビルの「いろり屋」で待ち合わせ。堤さんは「厚生行政のオーラルヒストリー 堤修三」という報告書を持ってきてくれる。これは立教大経済学部の菅沼隆氏が研究代表を務めて、歴代の厚生省幹部にインタビューしたものの1冊。A4で200ページ近くある。「読んでよ」と言われたが笑ってごまかす。遅れて健康生きがい財団の大谷常務が参加。私、堤、大谷は昭和23年生まれ、全共闘体験という共通項がある。大学は違うけどね。

10月某日
年友企画の迫田女史と南阿佐ヶ谷のケアセンターやわらぎに石川はるえ代表理事を訪問。配偶者特別控除が女性の社会進出を妨げ、介護の人材不足を助長しているとして「社会保障の構造改革より、社会の構造改革が必要よ」と叫ぶ。もっともである。
桐野夏生の「新装版 天使に見捨てられた夜」(講談社文庫 2017年7月 単行本は1994年6月、1997年6月文庫化されたものの新装版)を読む。女探偵、村野ミロシリーズの2作目。桐野夏生は好きな作家でほとんどの作品を読んでいると思っていたが本作は読み落としていた。20年以上前の作品。携帯電話やパソコンの普及する前なので赤電話やワープロといった言葉が時代を感じさせるが、内容は全く古びていない。最初に文庫化されたときの解説で、松浦理英子が桐野の取り組んでいる主題を「恋愛と性愛をめぐる主題」として、「男性に依存せず自分の人生を主体的に営んで女性は、いったいどのような恋愛をし、どのような性生活を持つのだろうか」という問題意識に支えられているとしている。なるほどね。私が田辺聖子や林真理子といった女流作家に魅かれるのもそんなところかもしれない。そういえば石川はるえさんも「男性に依存せず自分の人生を主体的に営んでいる女性」である。

10月某日
元社会保険庁長官で年住協の理事長もやった末次彬さんに誘われて両国国技館に行く。末次さんのゴルフ友達である高根さんがチケットを入手してくれた。両国駅のホームで高根さんと待ち合わせ、開場まで少し時間があったので国技館付近を散策。高根さんは地元の観光協会のボランティアガイドをしているので船橋聖一の誕生の地などを案内してくれる。相撲は地元の幼稚園園児と関取との取組みや相撲甚句、横綱5人掛かりなど、普段の場所では見られないアトラクションが面白かった。4時前に終了したので2人とは両国駅で別れる。元年住協の林弘之さんに連絡、新松戸でのむことに。新松戸の「ぐい吞み」に行く。ここは稀勢の里を贔屓にしている店なので、女将さんに相撲見物を報告する。

10月某日
明日から3連休。夜の予定が入っていないので我孫子へ直帰。駅前の「七輪」に寄る。「愛花」にはしご。常連の坂田さんに会う。「愛花」がオープンしたのは15年ほど前。ママと亡くなった常連さんの話になってややしんみり。

10月某日
今日から3連休。テレビをザッピングしているとBSで「ローマの休日」をやっていた。オードリー・ヘップバーン扮する某国の王女がローマを訪れ、偶然、アメリカの新聞記者(グレゴリーペック)と出会い、恋に落ちるというストーリー。王女はホテルへ戻り記者会見に臨む。グレゴリーペックを見つめながら「ローマの思い出は生涯忘れないでしょう」と語る。会見場を大股で後にするグレゴリーペックにエンドマークが重なる。何度観てもいいですねー。林真理子の「東京」(ポプラ文庫 2008年12月)を読む。林真理子は山梨出身。地方出身者の東京に対する独特の感覚をとらえるのが巧み。

モリちゃんの酒中日記 9月その4

9月某日
「シリーズ実像に迫る⑪ 島津斉彬」(戎光祥出版 松尾千歳 1017年7月)を読む。幕末の薩摩藩主で西郷隆盛を登用、英明な君主として知られるが、明治維新を見ることなく11858(安政5)年に死去、50歳だった。著者の松尾は尚古集成館館長。尚古集成館は鹿児島にある博物館で、島津家関する史料や薩摩切子、薩摩焼などが展示されている。もともと集成館とは斉彬が作った洋式の反射炉やガラス工場などの工場群のこと。薩摩藩というと英治を殺傷した生麦事件やそれを発端にした薩英戦争から攘夷のイメージが強い。しかし本書によると琉球を統治していたこともあって南西に開かれた海洋国家だったそうだ。今、鹿児島は過疎の県になってしまった印象があるけれど。

9月某日
会社休む。今が顧問の肩書なので毎日行くことはない。今日は家人がもらった「アメイジング・ジャーニー 神の小屋より」を有楽町昴座に見に行くことにする。家人が知り合いからクリスチャン限定特別鑑賞券をもらったということから分かるように、これは現代アメリカを舞台にした宗教映画である。妻と子供3人と幸福に暮らすマック。ある日子どもたちとキャンプに行くが末娘を誘拐されてしまう。数時間後、山小屋で血塗られた末娘のドレスが発見される。深い悲しみに沈むマックに「週末にあの小屋に来ないか パパ」という招待状が。山小屋から青年に綺麗な建物に案内されたマックは、黒人の中年女性とアジア系の若い女性に会う。黒人女性がパパ=神=造物主で、案内した青年がキリスト、アジア系の女性が精霊という設定だ。神・キリスト・精霊の三位一体に基づいているのだろう。神が実在するのならこの世からなぜ悲惨はなくならないか、という古典的な問いに答えようとしたと思われる。マックは末娘を殺害した犯人を赦すことができるのだろうか?結末としてはマックに平安が訪れることになるのだが。

モリちゃんの酒中日記 9月その3

9月某日
図書館で借りた「娘と嫁と孫と私」(藤堂志津子 集英社文庫 2016年4月)を読む。主人公の玉子は65歳。著者は1949年生まれだから著者と主人公はほぼ等身大。職業や家族構成は違っても価値観は一緒とみてよいだろう。舞台は藤堂の生まれた札幌。玉子は長男を交通事故で亡くし、今は長男の嫁里子と孫の春子の3人暮らし。そこに嫁に行った娘の葉絵、家を出て行った夫が絡む家庭劇。うーん暇つぶしにはいいかも。
慶應大学の権丈先生からメール。「厚生労働省の友人から「病中閑話」を借りて読んでいる。奥付を見ると年友企画発行とあるけど、在庫はもうないでしょうね」という内容。「さがしてみます」と返信したが、やはり在庫はなかった。PDFにした記憶はあるのだが。

9月某日
西新橋の「新ばし家」でHCMの大橋社長と元ジャックの豆の木の三輪さんと。この店は青森のお店で店員も青森出身者が多い。大橋さんも青森出身なので贔屓にしている。三輪さんは東京練馬の出身で高校は大泉高校、大学は慶應だが、もともとは岐阜大垣の出だそうだ。大垣は関西出張の帰りに寄ったことがあるが、清流の流れる町の印象だった。三輪さんによると「水都」と呼ばれているらしい。すっかり大橋社長にご馳走になる。
「病中閑話」のPDFを印刷会社キタジマの営業マン、金子君が届けてくれる。権丈先生に送る。

9月某日
林真理子の「みんなの秘密」(講談社文庫 2001年1月 単行本は1997年12月)を読む。第32回吉川英治文学賞受賞作となっている。私はこの一種の不倫小説を読みながら中国の古典「論語」のことを思い浮かべた。論語はきわめてわかりやすく人類の普遍的な徳について孔子の考えを述べている。林真理子のこの小説もきわめてわかりやすく人類に普遍的と思われる不倫について述べている。林真理子は通俗作家ではあるが、その小説は奥が深いと私は思う。奥の深さは林真理子が人間の「業」について深い洞察力を持っているためであろう。夫(妻)がありながら他の男(女)に魅かれていくというのも人間の業としか言えないからである。論語も孔子の深い洞察力でもって人間の徳について述べている。そこに共通点を見出すのである。

9月某日
上野駅から常磐線で帰ろうとしたら健康生きがい財団の大谷さんから携帯に電話。今、東京駅とのこと。上野駅の不忍口で待ち合わせ。アメ横の「番屋余市」へ。

9月某日
高校(室蘭東高)の首都圏同級会を銀座の銀波で。開始5分前に店の前に行くともう皆がそろっていた。私たちの高校は戦後のベビーブーマーに対応して新設され、私たちはその2回生。普通科3クラス、商業科2クラスの小さな高校で同級会も普通科3クラスが合同で行う。確か3年間、毎年クラス替えがあったので皆顔みしりで仲が良い。中沢君や飯田君、京谷君たちと話す。

9月某日
「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」(新潮文庫 加藤陽子 平成28年7月 単行本は21年7月、朝日出版社)を読む。神奈川県の栄光学園の中高生への講義をまとめたものだ。加藤陽子は1960年生まれ、日本近代史専攻の東大文学部教授。序章の「日本近現代史を考える」から日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変と日中戦争、太平洋戦争がテーマ。加藤陽子の講義は私がイメージするものとはずいぶん違う。それだけ新鮮だ。例えば日露戦争で日本は戦争に勝ったにもかかわらずロシアから賠償金を得られなかった。戦費を調達するための「非常特別税法」は賠償金を得られなかったために恒久法とされる。戦争前の選挙人口は98万人、税金が高くなった結果、納税者も増えて1908年の選挙では選挙人口は158万人となった。選ばれた政治家もそれまでの地主中心から会社経営者など新興ブルジョアジーに広がった。この辺はふつうの歴史書にはなかなか出てこないと思う。
第一次世界大戦後、戦後の世界秩序をどうするか話し合われたのがパリ講和会議である。アメリカのウイルソン大統領が民族自決の原則を掲げるが、このときウイルソンの念頭にあったのはポーランドやベルギー、ルーマニア、セルビアだったがウイルソンの思惑を超えて、民族自決の原則は多くの被抑圧民族を勇気づけた。日本の植民地だった朝鮮にも、3.1独立運動として発火する。日中戦争は1937年7月、北京郊外の盧溝橋で夜間演習を行っていた日本軍と中国軍との小さな衝突がきっかけとなった。当時の陸軍はじめ国民の多くが口にしたのは「満蒙は我が国の生命線」。今にして思えばずいぶんと自分勝手な言い草である。遅れてきた帝国主義国家ならではの主張である。このころの日本の指導者の言動は北朝鮮の金正恩やアメリカのトランプ、日本の安倍首相の言動に似ていると思うのは思い過ごしだろうか。

モリちゃんの酒中日記 9月その2

9月某日
「福沢諭吉 その報国心と武士道」(西部 邁 中公文庫 2013年6月)を読む。福沢諭吉は何ものか?こうした問いに答えるのはそうやさしいものではないと思う。「学問のすすめ」や「西洋事情」を著した啓蒙家にして思想家、「時事新報」に拠るジャーナリスト、慶應義塾を創始した教育者といった多面性を有している。西部はそうした福沢をマージナル・マン(境界人)として評価する。福沢を語る西部の文章の真意を理解するのは、私には正直難しかったのだが当時のトップレベルの知識人であった福沢がたんなる西欧文明の紹介者にとどまることなく〝伝統″〝良識″に根差した公智・公徳を大切にした〝保守″の人であったということは理解できた。

9月某日
「生と死-その非凡なる平凡」(西部 邁 新潮社 2015年4月)を読む。このところ西部の本を読む機会が多い。西部の考え方すべてに賛同するというわけではないのだが、彼の身の処し方や友人、知人、家族、世間との接し方には共感するものが多い。本書は主に雑誌「発言者」に掲載されたものだが、より西部の肉声に近いものが聞こえるような気がする。立川談志との交情を綴った「正気と狂気のあいだを渡った人」も良かったが、本書の圧巻はなんといっても亡き妻のことを回想し哀惜する文章だと思う。

9月某日
この夏、我が家の玄関に体調6~7㎝のヤモリが顔を出すようになった。サンダルにへばりついている姿を毎日のように見かける。我が家の玄関をわが住処、サンダルをわが褥と認識しているのだろうか?毎日見ているとそれなりに愛着も出てくるのだが、先日「あれ、今朝は見かけななぁ」と呟いたら、家人が「死んじゃったのよ」と言う。亡骸は庭の片隅に埋めたそうだ。会社を休んだ今朝、図書館に行こうと玄関を出ると体長3㎝くらいの小さなヤモリがいるではないか。きっと死んだヤモリの子供に違いないと思う。

9月某日
中央線沿線で訪問介護や特養、デイサービスなど介護事業を幅広く展開している特定非営利活動法人やわらぎの代表理事で、同じく社会福祉法人にんじんの会の理事長の石川はるえさんとは20年を超える友人。最近は児童虐待防止活動にも熱心に関わっている。やわらぎが創立30周年、にんじんの会が創立20周年を迎え、立川グランドホテルでのパーティに招かれた。JRの立川駅の改札で30周年写真集の制作に携わったフリーのエディターの浜尾さん、ディレクターの横溝君と待ち合わせて会場へ。大谷源一さん、中村秀一さんや吉武民樹さん、竹下隆夫さんら知り合いに挨拶。パーティが終わった後、ホテルの8階のラウンジの2次会にも参加、私と吉武さんはホテルに宿泊。お世話になりました。

9月某日
図書館で借りたミネルバ日本評伝選の「西郷隆盛-人を相手にせず、天を相手にせよ」(家近良樹 ミネルバ書房 2017年8月)を読む。A5判 600ページ近い大著だが面白くて3日ほどで読了。どうも私は歴史において敗者に魅かれる。幕末明治維新期ならば新選組、彰義隊、会津藩、榎本武揚。西郷は戊辰戦争においては勝者だが、最終的には西南戦争で敗者として人生を終える。今まで断片的に西郷の人生を読んできた。江藤淳の「南洲残影」桶谷秀昭の「草花の匂う国家」、小説では司馬遼太郎の「翔ぶが如く」である。家近の西郷隆盛」は、従来の研究も参考にしつつも残されている書簡や日記を丹念に拾って西郷の実像に迫ったのが特徴と言える。西郷と島津久光との角逐は従来から歴史書で明らかにされているが、本書を読むとそれがいかに西郷にストレスを与えていたかが分かる。もう一つ本書で知ったのは大政奉還から王政復古の大号令、倒幕へと向かう政治過程の中で、薩摩の島津久光、土佐の山内容堂、越前の松平春嶽、伊予の伊達宗城らが直接会ったり、書簡を交わすなどして積極的に国政にかかわっていたことである。西郷が下野する直接的なきっかけとなった征韓論の敗北については、どうも西郷の「死にたがり」の性格にも起因しているような気がする。

9月某日
浅田次郎の「五郎治殿御始末」(新潮文庫 平成21年5月 平成15年に中央公論新社より刊行)を読む。これは明治維新の敗者の物語である。「椿寺まで」は彰義隊の敗残兵となった旧幕臣三浦小兵衛が身分を偽って商人として成功する。小僧を伴って尼寺の庵主を訪ねた小兵衛を待つ間、寺男が小僧に明かす真実は。ひねりがあって、人情があって、浅田次郎の幕末ものは面白い。面白いしこの短編を描くにあたってどれほどの資料をあたったことか、浅田次郎恐るべし。

モリちゃんの酒中日記 9月その1

9月某日
御茶ノ水の「山の上ホテル」で社保険ティラーレの佐藤社長と社会保険研究所の清水君と待ち合わせて明治大学の田中秀明先生に「地方から考える社会保障フォーラム」の講師をお願いに行く。先生には財政と社会保障、とくに地方議員に関心を持ってもらいたい地方財政についてお話しいただきたいとお願いした。田中秀明先生は若い時に在籍していた大蔵省から厚生省老人保健部に出向していたことがあるそうで当時の部長は多田さん、岡光さんで若い部員に唐沢剛さんや武田俊彦さんがいたそうだ。御茶ノ水から町田へ、株式会社アイケアの鎌田社長へ「季刊誌へるぱ!」の当社の迫田と取材。介護という一種の準市場で収益を上げていく難しさと楽しさを取材。鎌田さんの前職は飲食業で40代前半。若いことと異業種経験が武器になっている。迫田とは町田で別れ新宿へ。「健康・生きがい財団」の大谷常務に連絡して御徒町で会うことに。御徒町の「仲ちゃん」という焼き鳥屋さんに入る。若い女性やカップルでほぼ満席。確かに焼き鳥はおいしいし、岩手の地酒もうまかった。
浅田次郎の「お腹召しませ」(中公文庫 2008年9月 単行本は同社から2006年2月刊)を読む。全6編の幕末マゲモノの短編集。それぞれの短編の冒頭に幼いころの作者と祖父の暮らしが挿入され、その祖父が明治初年生まれの曽祖父から聞いた話が原型となっていることが示唆される。「本当にあったかもしれない」と思わせる巧みな導入だ。表題作は婿が公金を持ち逃げしたことから、「切腹すれば家名を永らえることができる」と上役、妻女から「お腹召しませ」と迫られる武士の話。武士道は何よりも建前や名分を大切にする。逆に言うと建前や名分が立てばどのような理不尽も許された。切腹を迫られた武士は明治維新によって切腹は中止、佃の渡しの船頭となって明治時代を生きる、という話が曽祖父から祖父が聞いた話として結末で明らかにされる。江戸時代、確かに武士は支配者階級であったろうが、中級下級の武士は庶民、現在のサラリーマンと境遇的には似たもの同士。時代小説が読み継がれる所以でもあろう。

9月某日
「日本の財政-再建の道筋と予算制度」(田中秀明 中公新書 2013年8月)を読む。先日、講演をお願いした田中先生が財務省から明治大学に移った直後の著作で、新書ながら日本の財政について多くのことを学ぶことができた。日本の財政は先進国中に最悪の赤字と言われて久しい。しかし歴史的な低金利と赤字国債がほぼ国内で消化されていることから、ギリシャのようなデフォルトには至っていない。本書は日本の財政悪化の歴史的な経緯をたどりながらアメリカ、イギリス、オーストラリア、ドイツの財政再建の事例も明らかにする。財政の仕組み、国会と内閣の関係は、実は先進各国でも異なっていることが理解できた。日本の財政は「透明性」において先進各国に及ばないことと、国会における決算審議が予算審議に比べはるかに軽視されていること、財務省に対する各省の概算要求の際、その細目まで明らかにすることが求められていることなどが問題であろう。財政再建は予算制度の問題に限らず、極めて政治経済的な権力構造の問題であるのだ。
「音楽運動療法」の研究会に参加。音楽療法が介護予防や認知症のケアにどのような有効性があるか実証しようという研究会だ。元厚労省の宇野裕さんのほか、小金井リハ病院の川内先生、清水坂あじさい荘のサービス提供責任者、黒澤さん、音楽療法懇話会漢字の丸山さん、金井原苑苑長の依田さんが参加。私は「音楽療法」には素人ですが、異なる分野の人の話を聞くのは大変、勉強になります。

9月某日
「ファシスタたらんとした者」(西部邁 中央公論新社 2017年6月)を読む。本書によるとイタリア語のファシスタの原意は「結束者」「団結者」という意味で、西部は「そこ(未来)には混沌しか待ち構えていないと推測・予測・創造される状況では、頼みの綱は敏速なる決断力と果敢なる行動力で他者と結束して前進するしかない」「危機としての生を実践するとはそういうことなのだ」と書いているが、そういう意味で「ファシスタたらんとした」西部の半生が綴られている。道内一の進学校の札幌南高から東大に進学、東大教養学部の委員長、全学連幹部として60年安保を戦い、三つの刑事裁判を抱えるも大方の予想と違っていずれも執行猶予付きの判決を得る。東大大学院に進学の後、横浜国大、東大教養学部に職を得るが、人事を巡る低次元な構想に愛想を尽かせて辞表を提出、その後は文筆業や「知識人」としてのテレビ出演で口を糊しつつ「表現者」「発言者」といった雑誌を発行する。西部の面白さは何ものにも追従しないその独自性とあえて言えば文章の表現に現れる現世、世間に対する悪意のようなものではあるまいか。ところで西部はギルバート・K・チェスタトンの次の言葉を紹介する。「人生の最大限綱領は一人の良い女、一人の良い友、一個の良い思い出、そして一冊の良い書物を得ることにとどまる」。西部は亡くなった奥さんをはじめこの綱領に近いものを手に入れたという。

9月某日
元厚労省の阿曽沼真司さん、健康生きがい財団の大谷源一常務と会社近くの「跳人」で会食。私は次の日が静岡県の函南でゴルフがあるので8時過ぎに店を出て、「こだま」で熱海へ。熱海から函南は在来線で1つ目。函南までは順調に来たがタクシーがなかなか来なくて待つこと30分。ゴルフ場のホテルに泊まる。

9月某日
民介協の理事の皆さんとゴルフ。私は扇田専務、北海道の上田さんと回る。ゴルフは昨年秋にフィリピンのマニラでやって以来。上田さんはショートでバーディ。女性ながらなかなかの腕前。帰りの新幹線は上田さんと扇田専務、佐藤理事長と一緒。千歳空港に車を置いてある上田さんを除いてビールで乾杯。

モリちゃんの酒中日記 8月その5

8月某日
「私の家は山の向こう-テレサ・テン10年目の真実」(有田芳生 文春文庫 2007年3月)を読む。テレサ・テンは台湾出身で日本では「ときの流れに身をまかせ」「空港」「愛人」などの演歌歌手として知られるが、台湾、香港、中国本土など中国語圏では「アジアの歌姫」として広く人気がある。テレサ・テンの誕生から台湾、日本でのデビューからタイ、チエンマイでの早すぎる死までを本人へのインタビューを含む関係者の証言や資料で綴っていく。なかでも天安門事件に前後する中国の民主化運動へのテレサ・テンへの共感と苦悩が本書の大きなウエイトを占める。書名となった「私の家は山の向こう」は中国の民主化運動支援のため香港で開催されたコンサートでテレサ・テンが歌った歌のタイトルである。元歌は日中戦争当時につくられ、その後、大陸から台湾に逃れてきた国民党軍の兵士たちが望郷の念を込めて歌ったという。香港のコンサートで歌われたテレサ・テンの「私の家は山の向こう」はユーチューブで聞くことができる。中国語なので意味は分からないが、哀感のあるいいメロディーである。歌い終わったテレサ・テンが「やった!」とでもいうように小さな叫び声を上げているのも収録されている。1989年の天安門事件から4半世紀が過ぎているのに中国の民主化は実現していない。

8月某日
「リラと私-ナポリの物語」(エレナ・フェランテェ 早川書房 2017年7月)を読む。日経新聞に好意的な書評が載り、図書館でリクエストしている人もいなかったので借りることにする。ナポリの町外れの団地に住むリラとエレナの二人の女の子が主人公。リラは靴職人、エレナは市役所の案内係の娘で、作者の分身のエレナの目を通して描かれる「ナポリの物語」は四巻からなっていて、この第一巻が「序章」「幼年期」「思春期」からなり、第二巻が「青年期」、第三巻が「壮年期」、が「成熟の時」「晩年」「終章」という構成になっている。第二巻以降はまだ刊行されていないが、第一巻はリラの結婚式で終わっている。リラは16歳で結婚しているから第一巻の舞台は1950年代。第2次世界大戦の敗戦国であるイタリアの1950年代は、同じ敗戦国の日本に負けず劣らず貧しかった。リラとエレナはともに学業優秀だったがリナは義務教育で学校教育は終了、図書館で小説を借り、独学で外国語を学ぶ。彼女が学ぶのは向学心というより好奇心で、興味が家業の靴づくりや恋人に向かうと図書館には見向きもしなくなる。エレナは教師の勧めるままに上級学校に進学するが、リナとの友情は変わらない。リナとエレナは1944年生まれという設定だから1948年生まれの私とほぼ同世代。イタリア南部と北海道では気候風土には共通点はないのだが、主人公たちの行動や心理には共感するものが多い。敗戦国や貧しさという環境が共通するためだろうか。

8月某日
「デンジャラス」(桐野夏生 中央公論新社 2017年6月)を読む。文豪谷崎潤一郎とその三番目の妻松子とその妹重子、松子の連れ子の清一とその妻千萬子、同じく松子の連れ子で谷崎家に同居する美恵子の物語で、「私」(重子)の目を通して谷崎をめぐる人間関係が語られる。「兄さんは、家族を再編し、構築するのが好きでした。身の回りを、好きな女性だけで(それも血縁のない)固めていく傾向があったのです」というように。ここで言う「兄さん」とは谷崎のことである。重子は「細雪」のヒロイン「雪子」のモデルでありそのことに誇りを持っている。しかし戦争が終わり「細雪」がベストセラーとなり、谷崎が文化勲章を受章したあたりから谷崎の関心は若く奔放な千萬子に向かう。千萬子をモデルに老人の「性」をテーマにした「鍵」や「瘋癲老人日記」が書き上げられる。谷崎にとって最も重要なのは作品であった。谷崎が好んだ女性や贅沢な料理や住居は作品の材料、舞台としても大きな意味を持っていたということなのだろう。それにしても谷崎は毎日のように速達で千萬子と文通していたという。ラインやメールで簡単に連絡をとれる現代と違って、手紙を書いて宛名を書いて切手を貼って郵便局へもっていかなければならない。谷崎の場合は郵便局へは女中が持っていくのだが、それにしても大変なエネルギーだ。

8月某日
社会福祉法人にんじんの会の石川はるえ理事長が主催する虐待予防推進事業勉強会に出席。一般社団法人にんしんSOS東京の中島さんと吉田さんから活動報告を受けた後、絵本作家の生川さんから絵本「あそぼ」の説明があった。厚労省出身で現在、内閣府の地方創生総括官の唐沢剛さん、大分大学の相澤先生、弁護士で社会福祉士の馬場さんらが参加、短期間でこれだけのメンバーを集める石川さんの「突破力」にはいつもながら驚嘆させられる。にんじんの会の事務局で働いている旧友の伊藤さんに会う。

モリちゃんの酒中日記 8月その4

8月某日
新宿歌舞伎町の「ジャックの豆の木」店長だった三輪さんは、「ジャックの豆の木」を閉店させた後、奥さんの実家がある鹿児島に転居した。それでも年に何回かは上京するので時々会う。今日は会社近くの青森料理の店「跳人」で17時に待ち合わせ。三輪さんは鹿児島物産店で「軽羹」や「さつま揚げ」などおいしいものをいろいろ買ってきてくれる。新宿時代の話を色々聞かせてもらう。我孫子に帰って駅前の「愛花」へ。ゴルフショップを経営している福田さんが来る。福田さんは20代に交通事故で瀕死の重傷を負い日本医大の手術で一命を取り留めた。逆境を跳ね返した強さを感じる。

8月某日
図書館で借りた佐藤雅美の「怪盗桐山の藤兵衛の正体-八州廻り桑山十兵衛」(2017年7月文藝春秋)を読む。「オール読物」に2014年11月号から2016年12月号まで断続的に発表されている。桐山の藤兵衛を頭目とする強盗団が桑山十兵衛の管轄する関八州を荒らしまわったが、20年前に犯行はぴたりと止む。十兵衛はひょんなところから藤兵衛の手がかりを得て一味を追う。幕府の広大な放牧場が下総小金にあったが、そこで馬の世話をする牧士がからむ。小説の舞台は江戸を中心に伊勢崎、太田宿、足尾などに広がるが、十兵衛が犯人の即席を追って松戸、柏、我孫子、木下(きおろし)という今でいう常磐線、成田線界隈を辿るのも私には面白かった。我孫子、木下は江戸時代、利根川による水運の要地でもあったのだ。

8月某日
天理市の介護事業者、有限会社あいネットを取材。社長の中川さんとNPO法人つむぎの山本代表に当社の迫田と話を伺う。グループ全体の前期の売上げは1億2000万円、純利益は790万円、利益率は6.5%、うち小規模多機能(美心逢)が売上げ7300万円、純利益760万円、利益率10.5%、デイサービス(つむぎ)が売上げ2100万円、純利益8万6000円、利益率0.4%、訪問介護(ゆうゆう)が売上げ2800万円、純利益が150万円、利益率5.5%。今期の4-7月ではグループ全体で49000万円を売上げ、純利益は870万円、利益率は17.6%と好調だ。小規模多機能が売上げ2900万円、純利益620万円、利益率21.5%、デイサービスが売上げ920万円、純利益180万円、利益率19.6%、訪問介護が売上げ1050万円、純利益60万円、利益率5.5%。デイサービスの稼働率が上がったことが高収益につながった。職員の仕事の見える化を図り、パソコンを活用して管理コストを削減したこと、さらに仕事のムダを減らして労働密度を上げてきたことも大きい。
夜は京都で元厚労省の阿曽沼さん、阿曽沼さんと同期の田中耕太郎さん、それと2人より3年入省が早い堤修三さんと食事。の筈だったが食事の場所がわからずウロウロしているうちに携帯が電池切れに。コンビニを探して充電器を買い求め近くのアイリッシュパブ、ダブリンで充電、聞いたことのないアイリッシュウィスキーを吞む。充電が進んで携帯を見ると阿曽沼さんから10回以上も電話が。阿曽沼さんに電話すると見当はずれの場所を探していたようで「タクシーで来い」との指示。やっと「先斗先太」という料理屋にたどり着く。3人に平身低頭して謝る。

8月某日
奈良の橿原神宮前の社会福祉法人うねび会の「ぽれぽれケアセンター白橿」に酒井宏和理事長を訪問。酒井さんは民介協の理事でもあるので何度か東京で会っている。「ぽれぽれケアセンター白橿」は地域密着型特養、グループホーム、ショートステイ、リハビリ強化型のデイサービス、ケアプランセンター、住宅型有料老人ホームそれに職員向けの保育所を備えた複合施設。ぽれぽれグループは社福のうねび会と株式会社のひまわりの会で構成されるグループ。創業者は理事長のお母さんで「ぽれぽれ」はスワヒリ語で「ゆっくり、ゆっくり」という意味。前理事長がケニアに旅行した際に「この名前にしよう」となったらしい。入居者も職員もいきいきとしているのが印象的だった。

8月某日
慶應大学商学部の権丈善一先生に取材。当社の迫田が同行。13時から取材などで食堂へ。慶應出身の迫田の勧めで「山食堂」のカレーライスを食べる。権丈先生には日本の社会保障の持続可能性について聞く。社会保障を巡る多くの問題は財源をどうするかだが、給付先行型だった日本の社会保障はその財源的に非常に厳しいのが現実と先生。要はこの現実を国民が受け入れ、負担増に納得するかということだと思う。

モリちゃんの酒中日記 8月その3

8月某日
会社近くの呑み屋「跳人」の大谷さんに目黒の雅叙園でやっている「アートイルミネーション 和のあかり×百段階段」のチケットをもらった。折角なのでフリーライターの香川さんを誘っていくことにする。目黒駅で待ち合わせて雅叙園に行く。確か30年近く前に「年金と住宅」という雑誌の「古地図を歩く」という連載で、筆者の中村一成さんとカメラマンの緒方さんと取材に訪れたことがある。かつて雅叙園があったと思われる一角にはタワーホテルが建ち印象は一変していた。百段階段のある建物は昭和10年建築で、雅叙園に唯一現存する木造建築だそうで、ウィキペディアで調べると太宰治の小説の舞台にもなったそうだ。見終わってから目黒駅の反対側にあるPIZZERIA&BAR CERTOで食事。

8月某日
来年の「医療・介護ダブル改定の最新情報と対策」をSMSの介護経営コンサルタント星野公輔さんが講演するというので住友不動産芝公園タワーのSMSまで当社の迫田と聞きに行く。会場には介護事業者と思しき人たちが50人ほど集まっていた。大変参考になる講演だったが、乱暴に要約すると、日本全体が高齢化と労働力人口の減少により財政難と人手不足に陥っている、しかし利用者数が約1.5倍に増えることや入院期間の短縮によりマーケットは拡大し、IT、IOT、ロボット、クラウド等の導入により生産性の向上が図られるというもの。医療と介護は間違いなく成長産業だが、医療報酬と介護報酬の伸びは抑制されざるを得ない。報酬の点数は切り下げられるということだ。星野氏は訪問介護の収支差率(経常利益率)の5.5%が中小企業平均(2014年度:3.6%)くらいに下げる可能性ありとしていた。我孫子に10時頃帰り、駅前の「愛花」に寄る。昔常連だった「ゆきっぺ」が来ていた。「私も60過ぎたのよ」と言っていたがあまり変わらないように見えたけどね。

8月某日
慶應大学商学部教授の権丈善一先生の「ちょっと気になる医療と介護」(勁草書房 2017年1月)を読む。権丈さんは前回の「地方から考える社会保障フォーラム」に講師として来ていただいた。そのとき前著の「ちょっと気になる社会保障」を読んだが、「医療と介護」はさらに過激になっているように思う。それだけ日本の社会保障制度の持続可能性がピンチに立たされているということなんだろう。権丈さんは戦闘的と形容詞をつけたいほどの改革論者だ。しかも実証的で実践的な議論を進める。例えば「第6章 競争から協調へ」では舞鶴市の例を挙げて、国立病院や日赤、市立病院などの公的病院に医師が分散して患者を奪い合い状況にあると指摘、新型医療法人の創設を提案する。この法人に参加する国立病院や公的病院は本部から切り離されることを法律的に担保するというのだ。系列病院による病院完結型医療から地域完結型医療への転換ということでもあるのだろう。普通の専門書や新書では巻末に「注」が付いているのだが、本書は「知識補給」として長めの「注釈」が施されている。「指標と政策概念の間にあるギャップ」では「指標頼りの政策は、指標の変化が起こりやすい近辺の政策に政策担当者の関心を集中させて、本当に深刻な問題を放置させる」ことも起こりかねないとし「大切なことは、指標よりも人の思考力の方が上」と強調。同感です。他にも小選挙区制や内閣人事局についての考えにも全く賛成!