モリちゃんの酒中日記 3月その1

3月某日
西新橋の社会保険福祉協会で会議。会議終了後、同じ西新橋の弁護士ビルに大学の同級生、雨宮弁護士を訪ねよもやま話。近くの「酒房 長谷川」へ。高齢(80代?)のマスターに挨拶。マスターは力道山の後援者だった新田組の社長と親しく、「力道山VS木村政彦」のゴングを鳴らしたそうだ。ここは新潟の料理と酒の店で美味しい。雨宮弁護士にすっかりご馳走になる。

3月某日
図書館で借りた「対話する社会へ」(暉峻淑子 岩波新書 2017年1月)を読む。淑子は「いつこ」と読むそうだ。暉峻の名前はオールド左翼として私の記憶に残っていたが、「対話する社会へ」を読むとそんな感じはなかった。むしろ「対話」の重要性を諄々と説く姿勢には好感が持てた。大事なことは人間の考えがいろいろであり、単一の価値観に陥らない広い視野が必要ということ。そのためにこそ対話が大切なのだ。人間同士、憎みあうのではなく「対話」することにより、こんがらかった糸もほぐれるということだろう。インターネットによる通信が飛躍的に拡大する現代だからこそ対話がより重要になってくると思う。

3月某日
吉田修一の新刊「犯罪小説集」(KADOKAWA 2016年10月)を図書館で借りて読む。人気があるようで裏表紙に「この本は、次の人が予約してまっています。読み終わったらなるべく早くお返しください。」と印刷された黄色い紙が貼ってあった。5つの犯罪が吉田の小説上で展開される。モデルとなった犯罪があると私にはっきりわかったのは2つ。名家の3代目で大手企業の専務の地位にありながらギャンブルにおぼれていく男を描く「百家楽餓鬼(ばからがき)」、これは大王製紙の会長が関連会社から多額の借金をして賭博につぎ込んだ事件をモデルにしている。もうひとつは「万屋善次郎」。これは過疎の村での大量殺人がモデルになっていると思う。犯罪は小説やドラマの宝庫である。日本の古典でいえば石川五右衛門や白波五人男、ドストエフスキーなら「罪と罰」、現代日本なら「復讐するは我にあり」(佐木隆三)、最近なら「籠の鸚鵡」(辻原登)、吉田修一なら「悪人」など。圧倒的多数の読者は善良な市民で生涯、犯罪と関わることはなかろう。そういう人がなぜ、犯罪に魅かれるのか?おそらく小説の供給側(小説家)としては、人間の極限が描きやすいということ、小説の需要側(読者)としては、犯罪の非日常性かもしれない。これについては自信がないけれど。

3月某日
当社の石津さんを飲みに誘う。会社から神田駅に向かう途中に「神田もつ焼きセンターえん」という店があるのでそこにする。期待していなかったけれど「モツ」が非常にうまかった。朝どれのモツで石津さんによると「私んちの方でとれた」。モツはやはり鮮度ですね。
石津さんにご馳走になってしまった。

3月某日
図書館で借りた「いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件」(大崎善生 KADOKAWA 2016年11月)を読む。この本も人気があるようで「次の人がまっています」という黄色い紙が貼ってある。大崎は「聖の青春」「将棋の子」など将棋界を題材にしたノンフィクション作家としてデビュー、最近は小説も発表している。この本はタイトルにもある通り2007年に名古屋で起きた、闇サイトで知り合った男たちが女性を拉致して殺害した事件を題材にしている。被害者の女性が30歳を過ぎてから囲碁に興味を抱き、名古屋市内の囲碁カフェに通い始めたことを知った大崎が事件をノンフィクションとして描きたいと思い至った。何の罪もない見ず知らずの女性を拉致し殺害する。しかも犯人の一人は女性に強姦に及ぼうとまでする(未遂)。母一人子一人で育った被害者女性の、控えめだが確かな人生と残された母の苦悩、そして犯人の卑劣さが抑制された筆致で描かれていると思う。

3月某日
「共生保障〈支え合い〉の戦略」(宮本太郎 岩波新書 2017年1月)を図書館で借りて読む。少子高齢化社会ということは支えられる層が増大し支える層が減少するという社会である。少子化については20年ほど前から様々な人や団体が警鐘を鳴らしてきたにもかかわらず、消費税の10%への引き上げは見送られたのを始めとして見るべき改革がなされたとは言い難い。私ら団塊の世代がすべて後期高齢者となる2025年には「どうなるんだよ!」と思っていたときだけに、この本には共感し納得するところが多かった。
 著者は以前から「「支える」「支えられる」という二分法からの脱却」を唱えていたが、本書はその理念的かつ具体的な処方箋ということができる。その前提として社会全体として中間層がやせ細り貧富の差が拡大していることを指摘する。「支える」「支えられる」の二分法的思考では社会保障給付の拡大か切り捨てと言ったそれこそ二分法的な政策しか出てこない。著者は「「支える側」を支え直す」と「「支える側」の参加機会を拡大」を提唱する。前者ではこれまで「支える側」であった現役世代を広く支え直し、彼ら彼女らがその力を発揮できる条件づくりを目指す、として具体的には企業の外部でも知識や技能を身につけることができるリカレント教育や職業訓練、女性の社会参加を支える子育て支援、あるいは将来の支え手を育てる就学前教育などをあげている。後者ではこれまで「支える側」とされがちであった人々が積極的に社会とつながることを支援することであるとしている。この他、介護や子育てなどの「準市場」では「サービスの質を客観的に評価することが必要」とする一方、準市場における情報の非対称性も指摘している。こうした議論は論壇だけでなく政策決定の場でも積極的に議論すべきと思う。

モリちゃんの酒中日記 2月その4

2月某日
社会保険福祉協会で「介護職のためのグリーフケア研修」の報告と打合せ。1時30分にセルフケアネットワークの高本代表と待ち合わせ。社福協は本田常務と岩崎さん。打合せの後、社福協近くのHCMへ。高本代表が「40歳からの介護研修」の話を大橋社長にする。HCMにネオユニットの土方さんが資生堂パーラーのケーキを手土産に来る。私はモンブランを頂く。ちょっと中座して弁護士ビルに大学の同級生、雨宮弁護士を訪問。HCMに戻ると高本代表は帰っていた。大橋さんと土方さんと3人で「うおや一丁」へ。ここは北海道のお店。「タラの白子」が美味しかった。大橋さんにご馳走になる。帰りに我孫子駅前のバー「ボンヌフ」へ。

2月某日
金曜日、会社から帰る電車の中で読みかけの文庫本を会社に忘れてきたことに気が付いた。土日に読む本がないというのも何なので我孫子駅前の東武ブックストアに寄る。読みかけの本があるのだから、この場合は厚い本はダメである。薄い文庫本に限定して探す。桜木紫乃の「誰もいない夜に咲く」(角川文庫 平成25年1月初版)を買う。巻末に「本書は2009年12月に小社より刊行した単行本『恋肌』を改題したうえ、大幅な加筆・訂正をしたもの」という「但し書き」のようなものが添えられていた。「大幅な加筆・訂正」というのがいい。桜木という作家の文学的な誠実さを表しているように私には感じられた。7編の短編が収められている。冒頭の「波に咲く」は中国人の嫁を迎えた北海道の酪農家の青年のストーリー。嫁を守るために青年は家を出て農協に就職するのだが、2人の飾らない誠実さが描かれていて好感が持てる。私の読んだ桜木の小説はすべて北海道が舞台。北海道は人口が減少する一方、札幌への一極集中が進んでいる。つまり札幌以外は寂れる一方と言っていいと思う。その中にも人々の生活があり出会いと別れがある。桜木の小説は少子高齢化が進む地域の姿を先取りしているといういい方もできる。少し前にも手元に読む本がなくて本屋に入った。そのときも桜木紫乃の文庫本(ワン・モア)を買ったことを思い出した。

2月某日
天理市に出張したときに古本屋で買った半藤一利の「ノモンハンの夏」(文春文庫 2001年6月 単行本は1998年4月)を読む。1939(昭和14)年に日本モンゴル国境で発生した日本軍とソ連・蒙古軍の間で発生した軍事衝突、ノモンハン事件のドキュメントである。それも戦場だけでなく、関東軍の本拠があった新京、陸軍参謀本部があった三宅坂、さらに軍事、外交の最終的な決定権を握っていた首相官邸、宮城を結ぶ多角的なドキュメントとなっている。さらに加えるならば第2次世界大戦の開戦を控えたベルリン、モスクワの動きも克明にとらえている。ノモンハン事件は高校の日本史でさらっと学んだ程度の知識しかないので本書は実に新鮮であった。日本が陸軍を中心に日独伊三国同盟を推進しようとしていたとき、ドイツとソ連は突如、独ソ不可侵条約を結ぶ。平沼内閣は「欧州情勢は不可解」と総辞職する。天皇と海軍は三国同盟に消極的というか反対であった。ノモンハン事件は5月に始まり(第1次)、一時休戦を経て8月にソ連軍の機甲部隊が関東軍を襲う(第2次)。その兵力は日本軍にたいして、歩兵1.5倍、砲兵が2倍、飛行機は5倍であった。勝負にならない闘いであった。主力の第23師団は出動人員1万5975人中の損耗(戦死傷病)は1万2230人、損耗率は76%に達している。日本はノモンハン事件から何も学ばず、無謀な対米戦争に突入する。

2月某日
我孫子市民図書館に行く。「名前とは何か なぜ羽柴筑前守は筑前とは関係ないのか」(小谷野敦 青土社 2011年4月)を借りることにする。小谷野敦は文芸評論も書くし、小説も書く。東大の文学部から大学院で比較文学の博士課程を修了し、カナダに留学、阪大で教師をやっていたが今は辞めているはず。私は彼の小説の「母子寮前」「ヌエのいる家」を読んだことがある。肉親との葛藤を描いた私小説で私は面白く読んだ。本書は律令時代に定められた官職名や官位が時代とともに変質してきていることを論じたもの。タイトル名になっている筑前守は、秀吉が信長の臣下であったときに名乗った官命だが、秀吉は筑前地方に赴任したことはなく無関係である。律令が実質的に機能しなくなった平安時代から、官職名は行政官や領主の仕事の内容や支配関係と無関係になり、支配機構(藤原氏、平氏、鎌倉、室町幕府、織豊政権、徳川幕府)における臣下のランク付けに使われたのであろう。ところが江戸時代、国持大名の島津は薩摩守、前田が加賀守、山内が土佐守を名乗っており必ずしもすべてが無関係だったわけではない。また、吉良上野介の上野介は上野の国の次官であることを示している。これは「親王任国」といって上野、上総、常陸の三国は親王が国主に任ぜられるのだが、実際には赴任せず、「介」が実質的なトップであり、「守」より格下というわけでもなさそうだ。というようなことが延々と書いてあるのだが、中世史や近世史を専門に学ぶ人ならともかく一般の人には興味は薄いと思われる。しかし、小谷野のある種の凄さはそこにあるのではないか?つまり自分の興味、やりたいことが先にあり、それが世間に受け入れられるかどうかは二の次なのである。

2月某日
日本橋小舟町にあるセルフケア・ネットワークで打合せ。事務所から地下鉄の人形町までは歩いて5分。日比谷線で人形町から上野まで出れば常磐線で我孫子まで帰ることが出来るのだが、今日は人形町で都営地下鉄に乗り、立石に行くことにする。立石は我孫子の吞み友だちの大越さんに連れて行ってもらって以来、何度か行ったが最近行っていない。目当てのアーケードの店に行ったらまだやっていなかったのでアーケードを出て、店を探す。「食堂トキワ」に暖簾が出ていたので入る。テーブルが2つ、カウンターが8席ほどの古い店。80くらいのお婆さんと息子と思しき人が2人でやっている。ビールと煮込み、ニラ玉を頼む。テーブル席の2人が最近の映画「沈黙」について議論している。議論は「沈黙」から「カラマーゾフの兄弟」へ移り「ゾシマ長老が…」と進む。立石でドストエフスキーとは、結構似合うかも。新しいお客さんが隣へ座り「マグロと〆さばを半々で」と頼む。私に「ここは刺身がうまいんだよ」と教えてくれる。立石へ一人で来ると必ずと言っていいほど話しかけられる。下町の良さが残っている。

2月某日
図書館で借りた辻原登の「Yの木」(文藝春秋 2015年8月)を読む。短編4編が収められていて「首飾り」と表題作の「Yの木」は主人公が作家で大学教授も兼ねるということから一読すると私小説風であるが、フィクションである。あと2作は完全なフィクション。「たそがれ」は優秀で大阪でOLをやっているという姉を中学生の弟が訪ね、2人でユニバーサルシティに遊ぶ。弟と別れた姉は着替えた後、飛田の娼家で客を待つ。「シンビン」は就職した大手証券会社の倒産後、仲間とベンチャーキャピタルを設立した主人公の女性は心ならずも詐欺に近い未公開株式商法に手を染める。関係書類の処分を携帯で命じた後、彼女が訪れたのは秩父宮ラグビー場。彼女の母校の青山学院と慶應の試合が始まっていた。「青学、がんばってますね」と若い女に話しかけられる。試合は青学の勝利に終わり、若い女は主人公を逮捕に来た刑事であったことが明かされる。辻原は長編もいいが短編もいい。現実の切り取り方が巧みなんだろうか。

モリちゃんの酒中日記 2月その3

2月某日
図書館で借りた「日本の死に至る病 アベノミクスの罪と罰」(河出書房新社 倉重篤郎 2016年10月)を読む。毎日新聞の専門編集委員の倉重が経済学者や政治家にインタビューしたものをまとめた。私はもともとアベノミクスは評価していない。ただ確たる理論的な根拠があって評価していないわけではなく、安倍晋三という存在が気に食わないという感情的なものと「実績がともなっていないじゃないの?」という感性的な反発である。この本は14人の経済学者や政治家へのインタビューが掲載されている。吉川洋一氏は、安倍政権の株高、企業業績アップはアベノミクスそのものの実力というより景気循環の上昇期と重なった恩恵を相当受けているとにべもない。財務省出身の森信茂樹氏は消費増税再延期ついて「一番の問題は消費税は政争の具にしないという三党合意が破られたことだ。(中略)要は、国民の政治に対する信頼がなくなった。それが一番大きな問題だ」とし、2番目はいずれの政党も増税は先送り、社会保障財源については赤字国債だとか、別の財源を探すとか、いい加減な話になってきていると手厳しい。批判の矛先は安倍首相だけでなく野党にも向かう。伊東光晴氏は「成長を分不相応に望まないこと。今あるパイの中で富を高齢者から若者にシフトする再分配政策を取ること」とコメントする。しかし安倍自民党は選挙で国民の信託を受けた。自民党内でも安倍は一強多弱である。どうなる日本‼。

2月某日
土曜日だけれど民介協の事例発表会があるので会社へ。会社で少し仕事をした後、事例発表会の会場へ。これからの地域で高齢者の生活を支えるとなると行政やボランティア、社協の力だけでは不十分でどうしても介護事業者の力が必要になってくると思われる。民介協の事例発表会もそうした観点から非常に参考になった。事例発表会の合間にカラーズの田尻社長、エルフィスの阿部社長にあいさつ。事例発表会の後の懇親会で民介協の佐藤理事長、扇田理事長、馬袋特別理事にあいさつ、大阪の在宅介護サービスのヒューマンリンクの西村社長と歓談。西村社長はもともとは障害者支援から介護サービスに入った人のようで「それまでは運転手」と言っていた。そういえばパンプキンの渡邊会長も元運転手。「介護業界の社長にはガテン系が多い」ということは言えないだろうか。懇親会でビールとワインをご馳走になり我孫子駅前の愛花へ。

2月某日
図書館でリクエストした「綴られる愛人」(井上荒野 2016年10月 集英社)を読む。井上は小説家で1992年に66歳で死んだ井上光晴の長女だけれど、今はそんなことを知っている若い読者はほとんどいないだろう。「綴られる愛人」だけが、私は面白く読んだ。主人公の柚は児童小説家。夫は出版社に勤める編集者だが柚のプロデューサーであり、有の創作活動を実質的に支配している。柚はそれに耐えられないが表面的には仲の良い夫婦を装っている。もうひとりの主人公、航大(こうた)は富山県魚津市の大学3年生、恋人はいるが恋愛にも就職活動にも真剣に取り組めない。そんな2人を結びつけたのが「綴り人の会」という文通サークル。柚は28歳の専業主婦、航大は35歳の貿易会社のサラリーマンとして文通を始める。柚は夫に殺意を抱き航大に犯行を依頼する、というようなストーリーなのだが、幸せそうな夫婦の日常に潜む悪意(それは夫にも妻にもある)が巧みに描かれていると思う。

2月某日
川村学園大学の吉武先生から電話。「今夜空いてる?」「社長辞めてから夜はヒマだよ」「学士会館で食事会があってその後フラココに行こうと思うんだけどモリちゃんもどう?9時頃まで大谷さんとでも吞んでいれば」。「うん」と返事をしたけれど、大体9時まで誰と吞もうが俺の勝手じゃないか! とは言え大谷さんに電話すると今、大宮だとか。日暮里駅前の居酒屋「喜酔」で待ち合わせ。私が席に着いて5分もしないで大谷さんが来る。ナマコや刺身の三点盛を肴にビールと日本酒を吞む。大谷さんに「もう社長じゃないから割り勘ね」とお願いする。根津のフラココへ。大谷さんは明日が早いとか言って5000円を置いて帰る。しばらくすると吉武さんが2人連れて来る。なんでも東大のときの先輩かなにかだという。こっちはもう出来上がってしまったよ。勘定は習慣で私が払ってしまった。

モリちゃんの酒中日記 2月その2

2月某日
社長を辞めて出勤時間を遅くしてもらった。社長のときは9時前に出社するようにしていたが、グリーン車を使っていた。費用は会社持ちである。出勤時間を遅くしたら普通車でも座れるようになったので原則、グリーン車は使っていない。通勤時間の使い方だが、朝は日経新聞を読み帰りは単行本を読んでいることが多い。深酒したときは別ですが。さて今日は帰りの電車で読む本がないことに気付いた。家に帰れば読む本はあるのだが、こういう場合は本屋によって文庫本を購入する。厚い本、内容の難しいものは敬遠する。虎ノ門の虎ノ門書房に入り文庫本を物色する。このところ凝っている桜木紫乃の「ワン・モア」(角川文庫 平成27年1月 2011年11月に単行本)を買う。安楽死事件を起こして離島に飛ばされた女医の美和が、高校の同級生でやはり女医の鈴音に懇願されて鈴音の医院に赴任する。鈴音は末期がんの宣告を受けていたのだ。舞台はやはり道東。桜木紫乃の小説は基本的にはウエットだと思う。人情ものと言ってよいのではないか。道東の乾いた風土との調和が何とも言えない魅力になっていると思う。

2月某日
奈良の天理市のNPO法人つむぎを訪ねる仕事があったので京都で阿曽沼さんに会うことにする。阿曽沼さんは元厚生労働次官で、今は京都大学の理事。京都には私が脳出血で船橋リハビリテーション病院に入院していたときの主治医、澤田先生が京都府立医大にいるので一緒に会うことにする。澤田先生は現在、京都府立医大のリハビリテーション学科で教えているので阿曽沼さんは京都府立医大近くの徳寿(のりひさ)という和食の店を予約してくれた。阿曽沼さんと始めていると澤田先生が来る。澤田先生は当直医のバイトがあるとかでノンアルコールビール。元厚生官僚とドクターということもあって共通の話題も多く(私は官僚でもドクターでもないが)、翌日、澤田先生から「楽しい時間をありがとうございました。楽しすぎてトイレに行く時間ももったいないくらいでした」というメールが来ていた。阿曽沼さんにご馳走様でした。

2月某日
京都から近鉄で天理へ。セルフケアネットワークの高本代表と1時30分に改札で待ち合わせ。時間があるので前にテレビで見た「天理スタミナラーメン」を食べに行くことにする。700円の普通盛りを頼む。確かにおいしいが年寄り向きとは言えないね。天理本通りをぶらぶらする。古本屋で半藤一利の「ノモンハンの夏」を160円で購入。定価は590円である。高本さんと合流してNPO法人つむぎへ。つむぎでは「40歳からの介護研修」についていろいろと教えを乞う。この事業所はICTで事務管理部門を徹底して合理化する一方、職員の労働の密度の最適化を図り、コストを圧縮している。感心した。天理から京都へ。高本代表は東京へ帰り、私は「わがやネット」の児玉さんたちと会いに名古屋へ。

2月某日
Apple銀座で介護事業者向け経営支援サービス「カイポケ」についてのトークイベントが開催されるというので健康生きがい財団の大谷常務と聞きに行く。スピーカーはデイサービスを経営している(株)グレートフルの岩崎英治代表取締役、NPO法人Ubdobeの中浜崇之理事とエス・エム・エスの介護事業支援部の藤田和大グループ長、モデレータはフリーアナウンサーサーの町亞聖さん。天理のNPO法人つむぎの話を聞いたばかりだったので非常に面白かった。月末、月初の介護報酬の請求事務が大幅に省力化されたこと、送迎の経路を「カイポケ」でシステム化したことなど参考になった。省力化された時間で職員と職員の家族との食事会を開催したり子ども食堂を始めたりと職員や地域に還元しているのもさすがですね。終わってから大谷さん、東京福祉専門学校の白井副校長、撮影に協力してくれた横溝君、SCNの高本代表、当社の迫田と丸の内北口の「ヴァンドゥヴィ」で食事。

2月某日
立川のNPO法人やわらぎの事務所で「児童虐待防止パンフ」の打合せ。石川代表と絵を描いた成川君、やわらぎの楮さん、フリーの編集者の浜尾さんが集まる。事務所近くの蕎麦屋さんでお昼をご馳走になる。石川代表にトークイベントの話をすると的確な反応が返ってきた。石川さんは介護の事業で業務の標準化の必要性に早くから気付いていた人だ。ロボットにも興味を持っており産総研の委員もやっているそうだ。

モリちゃんの酒中日記 2月その1

2月某日
常磐線の亀有駅前の古本もエロ本も売っている小さな新刊書店で買った、「隅田川の向う側-私の昭和史」(半藤一利 ちくま文庫 2013年5月 単行本は2009年3月創元社)を読む。半藤は1930年、東京生まれ。東大文学部卒業後、文芸春秋社入社、「週刊文春」「文芸春秋」編集長、専務を歴任したエリートなのだが、現在は「歴史探偵」を名乗る作家、エッセイストとして知られる。本書は、半藤が文芸春秋の現役編集者のころ、旧暦の正月に豆本形式で知人に送り届けた年賀状がもとになっている。昭和57(1982)年、58年、59年の3か年で、それぞれが空襲下の東京向島を描く第1章「隅田川の向う側」、旧制長岡中学時代の第2章「わが雪国の春」、高校・大学でのボート部の青春を描く第3章「隅田川の上」となっている。随所に挿入されている著者のスケッチ、版画も楽しい。中味は読んでのお楽しみとしておくが、この本を買ったエロ本も古本も売っている小さな書店も「隅田川の向う側」であり、この本だけでなく地元を撮った写真集や郷土史の本を集めたコーナーがあった。店主の見識であろう。正確にいうと亀有は隅田川のもう一つ先の荒川の向う側であり、江戸川の手前なんだけどね。

2月某日
第一生命の営業ウーマンの本間民子さんが神田駅北口の嘉徳園でご馳走してくれるという。当社の石津さんとたまたま当社に来ていた健康生きがい財団の大谷常務とご馳走になる。火鍋がメインの中華料理の店で大変、美味しかった。しかし大谷さんがスパイスアレルギーであることを忘れていた。彼は辛い物を食べると汗が止めどもなく出てくるのである。「せっかくだから」と大谷さんにもすすめる。汗をかきかき食べていた。

2月某日
田辺聖子の「ジョゼと虎と魚たち」(角川文庫 昭和62年1月初版)を図書館で借りて読む。表題作を含め9作の短編が収められている。何年か前に読んだことがあるが、表題作以外内容はほとんど覚えていない。今回読んでわかったが、この短編集に通底するのは「性愛」である。山武羅紗の事務員、以和子はお茶の習い事で知り合った大庭と恋仲になる。濡れ場の描写が上品でエロティック。「男の手で、宿の浴衣の紐を解かれるときは、以和子はいつも(初めて!)の動悸を感ずる。自分でも何をしているかわからずに、大庭の手首を抑えて、その動きを押しとどめようとしている。それにはかまわず…」という感じである。

2月某日
「政治が危ない」(御厨貴 芹川洋一 日本経済新聞出版社 2016年11月)を図書館で借りて読む。御厨と芹川は東大法学部で同じゼミで鍛えられた仲という。御厨は東大法学部の教授となり現在は青山学院大学の特任教授。芹川は日本経済新聞の記者となり現在は論説主幹。対談集なので「深み」は求むべくもないが、随所に「なーるほどね」と思わせるところはある。第1章から3章の「菅官房長官は、官僚を知り尽くしている」「国をおかしくした鳩菅政権」「中堅は自民党より人材豊富な民進党」「公募候補は高学歴でイケメンだが、挨拶ができない」「憲法9条は日本の国体である」などだが、私が深く同感したのは、第4章の御厨の、政治はベルリンの壁の崩壊以前は、西か東か、親米か親ソかなど、他律的に規定されるものであったが、1990年代に入って宗教や民族などいろいろな問題が世界で生まれてきた。イデオロギー的他律性がなくなったら、訳の分からない自己主張がどんどんおもてにでてくるようになった、という主張である。これからは私の主張でもあるのだが、今求められているのは他律ではなく自律=自立である。そのうえで社会に対して緊張感をもって対峙していくということではなかろうか。まぁ私が実践できているというわけではないですが。

モリちゃんの酒中日記 1月その4

1月某日
10年程前までよく通っていたのが新宿の「ジャックの豆の木」というクラブ。10年ほど前に廃業してマスターの三輪ちゃんは、奥さんの故郷の鹿児島県に引っ越した。携帯メールに上京するという知らせが。神田駅西口の改札で待ち合わせ、「葡萄舎」へ。三輪ちゃんと2人で呑むのは初めてだが、共通の知人が多いので話題は尽きなかった。三輪ちゃんは私より1歳上の昭和22年生まれというのも初めて知った。ということは20代で新宿歌舞伎町のクラブのマスターをやっていたわけだ。

1月某日
図書館で借りた佐藤雅美の物書同心居眠り紋蔵シリーズ「老博打ち」(講談社文庫 2004年7月 単行本は2001年3月)を読む。八丁堀同心の紋蔵には所かまわず居眠りするという持病があり、同心の花形である「定廻り」には配属されず、内勤である「物書同心」を務める。江戸時代の司法制度では裁判官と捜査、検察が町奉行に統合されていたため「物書同心」は警察、検察の取調べの書記と裁判記録の管理を任されていた。紋蔵の記憶力と推理力によって事件は解決していくのだが、私がなぜ佐藤雅美の時代小説に惹かれるか考えてみた。人はしがらみを抱えて生きる。それは江戸時代も現代も同じである。だが現代のしがらみを描くとなるといろいろな差し障りが出てくる。そういうこともあって時代を200年ほどさかのぼったと思うのだが、そこで重要になるのは小説の細部のリアリティである。佐藤雅美の小説はそこが圧倒的に優れていると思う。

1月某日
「モリちゃんの社長退任を祝う会」を霞が関ビルの東海大学校友会館で。100人を超える参加者があった。ほぼ自作自演で私が仕掛けたパーティですが、本当に多くの人に参加してもらってうれしかった。受付をやってくれた石津さんや司会をやってくれた岩佐さんをはじめ協力してくれた社員の皆さん、名簿や領収書を作ってくれた健康生きがいづくり財団の大谷常務やティラーレの佐藤社長、サキソフォンの演奏をやってくれた荻島夫妻、その他多くの人に感謝である。

1月某日
「血盟団事件」(中島岳志 文藝春秋 2013年8月)を図書館で借りて読む。血盟団事件とは1932(昭和7)年に起きた連続テロ事件で、元大蔵大臣の井上準之助と三井財閥の総帥の団琢磨が射殺されている。事件の起きる前の昭和初期は、デフレによる不況が長引き、農業も全般的に振るわず、社会不安が高まっていた。そこに登場したのが法華経に依拠する井上日召が率いる思想集団であった。「世の中をかえる」ために「一人一殺」のテロリズムを実践する。著者の中島は「あとがき」で「私は、血盟団事件を追いかけながら、どうしても現在社会のことを思わざるを得なかった。格差社会が拡大し、人々が承認不安に苛まれる中、政治不信が拡大し…‥1920年代以降の日本とあまりにも状況が似ている」と書いている。同感である。IS(イスラム国)に魅かれる若者にも血盟団に魅かれる若者にも、同じような心情が潜んでいるのではと思うのだが。

1月某日
帰りの電車を亀有で途中下車。駅前に本屋があったので寄る。古本もエロ本も売っている下町の小さな本屋さん。こういう本屋さん好きだなぁ。エロ本を買おうと思ったけどまだ日が高いので止めておいた。文庫本を1冊買って居酒屋「白虎隊」に入る。日本酒をちびちび飲んでいると携帯に電話。荻島さんの奥さんの道子さんからで「いろいろありがとう」と礼を言われる。良太君にサックスの演奏をお願いしたことを言っているようだがとんでもないこと。参加者にとても喜んでもらえたし、私は道子さんからお礼を言われてとてもうれしかった。

モリちゃんの酒中日記 1月その3

1月某日
その石川さんと進めている「児童虐待防止パンフレット」のラフデザインが上がってきたので立川のケアセンターやわらぎへ。横溝君がだんだんダンスの打ち合わせで来ているが、それはそれで進めてもらって、石川さんとフリーの編集者の浜尾さんと私はパンフレットの打ち合わせ。打ち合わせを終わって私と石川さんが事務所近くの「すえひろ」へ。「すえひろ」が満席になるというので、石川さんがよく使うといううなぎ屋へ行く。ここはうなぎ屋というと高級なイメージだが、実質はうなぎをメインとする居酒屋。実際、ここでいただいたうなぎは絶品であった。私のふるさと北海道ではうなぎを食べたことはない。ヤツメウナギは川でとったことはあるが、うなぎとヤツメウナギは生物学的には全然関係ない。大学入学で上京してからもうなぎとは縁がない。唯一縁があったのが大学の同級生がデモでパクられ、荻窪の彼の家で両親に状況を説明したとき、昼飯にうなぎをとってくれた。何を言いたいかというと、あまりうなぎとは縁のない私でもおいしいと感じたということ。とくに柔らかさね。

1月某日
図書館で借りた「蛇行する月」(桜木紫乃 双葉社 2013年10月)を読む。初出は双葉社の「小説推理」2012年から1年間、断続的に発表されている。釧路にある架空の高校、道立湿原高校の図書部の仲間たちの恋愛、結婚、仕事を描く。桜木が描くのは普通の庶民である。普通の庶民が普通ではない恋をする。普通ってなんなんだろう。おそらくそれは一つの抽象的な概念に過ぎないのではないか?具体的な一人ひとりの人生はそれぞれ個別的であるに決まっているわけだし。

1月某日
年金住宅福祉協会の森理事とHCMの大橋社長とHCM近くの沖縄料理屋「城」(ぐすく)で新年会。パパイヤのサラダや海ブドウなどヘルシーな沖縄料理を堪能。

1月某日
社会保険俱楽部霞が関支部の新年賀詞交歓会。幸田支部長、社福協の近藤理事長、元参議院議員の阿部さんなどに挨拶。阿部さんは社会連帯としての社会保険制度について熱く語る。まったく同感。
神楽坂の「馳走紺屋」でSCNの高本代表理事、市川理事、看護師で等々力共愛ホームの施設長をやっている笹川さんと会食。「馳走紺屋」は古民家を移築した風情。私たちの席のすぐ傍らで三味線を弾いてくれる。料理だけでなく雰囲気も楽しもうということだと思う。

1月某日
HCMで「シミュレータ」の打ち合わせ。開発者の土方さん、HCMの大橋社長、当社の迫田が参加。終わって一昨日行った「城」(ぐすく)へ。前回食べなかった豚足や「ミミガー」(豚の耳)を食べる。おいしかった。土方さんにご馳走になる。

モリちゃんの酒中日記 1月その2

1月某日
社会福祉法人にんじんの会の事務長の伊藤さんとは伊藤さんが展示場運営会社のナショナル開発に勤めていたころからだから40年近い付き合い。私が社長を辞めたというので御飯をご馳走してくれることに。中国本場の餃子料理を当時のナショナル開発の同僚だった香川さんとご馳走になる。香川さんはナショナル開発を辞めてからフリーライターに。リクルートの仕事を一緒にやった。伊藤さんはナショナル開発を辞めてから旅行会社に勤めたりしたが、最後はJR東日本系の損保代理店の実質的な経営者をやっていた。

1月某日
半藤一利と加藤陽子の対談「昭和史裁判」(文春文庫 2014年2月 単行本は2011年7月)を読む。半藤は元文芸春秋社の編集者で「昭和史」など著作多数。加藤は東大教授、近代日本政治史を専攻。戦前、戦中の日本のリーダー5人を縦横に論じている。豊富な資料に立脚しつつ埋もれたエピソードを紹介するという手法が成功している。戦中の内大臣、木戸幸一は「自称『野武士』、ゴルフはハンディ『10』」という具合。木戸以外に取り上げられたのは広田弘毅、近衛文麿、松岡洋右、昭和天皇。加藤は「あとがき」で「歴史を動かした政治的人間であった当事者が、どのようなことを考え、どのような気持ちでそのような行動をとったのかという、その当事者の側に立った主観的な情報を綺麗に取り出す作業ではないか」と歴史学を位置づけ、「政治的な人間たちが誤った、その主観的な失敗の情報こそが、実のところ将来起こりうる問題に立ち向かわせるためのワクチンとなりうる」。失敗の情報こそがワクチンとなるというのはよくわかります。

1月某日
図書館で借りた「そして、人生はつづく」(川本三郎 平凡社 2013年1月)を読む。雑誌「東京人」2010年7月号から2012年11月号まで連載した「東京つれづれ日記」を中心に編集されている。川本は1944年生まれだから66歳から68歳まで、ちょうど私の年代である。だからというわけでもないが非常に共感のできるエッセーであった。連載中に発生した東日本大震災への想いにも深くうなずく。温泉好きの川本が推す温泉を訪ねてみたい。そういえば丸谷才一を追悼する「徹底した雅の人」で丸谷の流れを継ぐ作家として池澤夏樹、村上春樹と並べて辻原登をあげていた。

1月某日
キャンナスの菅原由美代表が私の社長退任パーティに出席できないということで、ご馳走してもらうことに。イイノホールで開催される虎の門フォーラムの新春座談会に行くというのでその後、東京駅近くのヴァン・ドゥ・ヴィを予約。SCNの高本代表と待っていると菅原さんが2人連れで来る。山梨県の社会保険病院で看護部長をしていたが、訪問看護をやりたいということでキャンナスに来ることになったらしい。菅原さんたちはノンアルコールビール、私と高本さんはグラスワイン。菅原さんの魅力って何だろう?私が思うに人を分け隔てしない度量の広さではないだろうか。被災者も普通の市民も偉いドクターや官僚も、菅原さんにとっては同じ人間なんだ。それプラス類稀な実行力だね。

1月某日
虎の門フォーラム(医療介護福祉政策研究フォーラム)の中村理事長が今まで書いてきた社会保障に関するエッセーを本にまとめたいというのでお手伝いした。麹町のフランス料理店でご馳走になることに。私と実質的に編集をやってくれたフリーの阿部さん、帯の文章を書いてくれた石川さん、それの当社の迫田に声をかけてくれたのだが残念ながら迫田には出張が入ってしまった。麹町のライオンズマンションにあるそのお店は確かにおいしかった。4人は中村さんが元厚生官僚、石川さんが社会福祉法人の理事長、私が元出版社の社長、阿部さんがフリーの編集者とそれぞれ立場は違うが、それだからかとても楽しい食事会になった。

モリちゃんの酒中日記 1月その1

1月某日
内田樹と中田考(イスラム学者)の対談集「一神教と国家-イスラーム、キリスト教、ユダヤ教」(集英社新書 2014年2月)を読む。イスラム教については新聞、テレビで報道されている以上の知識はないので新鮮に読んだ。近代世界はヨーロッパを中心とした国民国家(領域国家)の成立をとともに始まるが、イスラムにはもともと国家や領域の観念が薄い。それは砂漠で生まれ砂漠で育ったイスラム教の基盤が遊牧民だからだ。内田は遊牧民「柵を作らない人」、定住民「柵を作る人」という比喩を使っていたが言いえて妙だと思う。中田は領域国家に分断されたイスラム世界をカリフ制の再興により再統合することを目指している。たぶんIS(イスラム国)もイスラム世界を暴力的に再統合しようとしているようにみえる。中田は宗教的に平和的な再統合を理念として唱えているのだと思う。

1月某日
「ラブレス」(桜木紫乃 新潮文庫 2013年12月 単行本は2011年8月)を読む。北海道の開拓村で極貧の家に育った百合江と里美の姉妹。百合江は旅芸人の一座に飛び込み、座付きの歌手となり、里美は理容師の道を歩む。文庫本のカバーには「流転する百合江と堅実な妹の60年に及ぶ絆を軸にして、姉妹の母や娘たちを含む女三世代の壮絶な人生を描いた圧倒的長編小説」とある。非常に起伏にとんだストーリーを破綻なくまとめる作家的な力量はさすがというべきだが、私は桜木の経歴に興味を持った。実家は理容室で釧路東高卒業後、裁判所にタイピストとして勤める。結婚して退職、専業主婦となり、2人目の子供を出産後、小説を書き始める。私は北海道という風土の独特さを思わずにはいられない。桜木も祖父か曾祖父の時代に本州から北海道に移住したと思われる。故郷で十分に暮らせたのならば移住の必要はない。貧困やしがらみからの脱出を試み、道民の祖先は移住したのではないか。日本人のなかで「遊牧民」的な気性を最も色濃く持っているのが北海道人だと思う。

1月某日
正月休み。図書館も休みである。我孫子駅前の東武ブックストアも休み。柏まで足を延ばし駅前商店街の新星堂へ。新潮文庫の「夕ごはんたべた?」(新装版)(田辺聖子 1979年3月 単行本は1975年9月)を買う。私の記憶では朝日新聞の夕刊に連載されていたのではないかと思うが、私は当時、田辺聖子には何の興味もなかったので読むこともなかった。主人公は尼崎の下町で皮膚科を開業する吉水三太郎と妻の玉子。子供は大学生の長女と学園紛争に積極的に参加する長男と次男。息子たちは成田や羽田の闘争にも遠征、逮捕され、次男は高校退学を余儀なくされる。実際の田辺の息子2人、といっても田辺が後妻に入った「カモかのおっちゃん」こと川野医師の連れ子なのだが、も高校生のとき学園紛争に参加している。そんな田辺のエッセーを読んだ記憶がある。当時身内にゲバ学生(今や死語だが、ゲバルトに積極的に参加した活動家のことをなかば揶揄してこう呼んだ)を抱えた家族の苦悩が、ユーモラスに綴られている。
客観的にはそういうことなのだが、私は当時ゲバ学生の当事者だったから今さらながら「心配かけたんだろうなぁ」と感慨一入だった。私の両親だけではない。私の奥さんは一人娘だったから、ゲバ学生のところに嫁にやる(結婚前に私は運動から足を洗っていたとはいえ)奥さんの両親の気持ちは如何ばかりであったろうか。それはさておき田辺は自らの気持ちを三太郎に仮託させて次のように書いている。「赤軍派一派のごとき、無謀で独善的な過激理論を是認できない。しかし彼らが一途に煮えたぎってついに煮えこぼれ、自滅してしまった哀れさに、三太郎は人の子の親として涙せずにいられない」。長谷部日出雄は解説で「本当の愛とやさしさとは、おそらく、この世で最も苦しく、悲しく、無残な運命に置かれた人たちにちかい立場に、わが身をおくことなのだ」と書いている。長谷部の言う「この世で最も苦しく、悲しく、無残な運命に置かれた人」とは連合赤軍の永田洋子であり森恒夫であると同時に彼らに総括という名の下で殺された「同志」たちであるだろう。こうした田辺の視線は貴重である。

1月某日
図書館で借りた「激しき雪―最後の国士、野村秋介」(山本重樹 幻冬舎 2016年9月)を読む。野村秋介といっても今の若い人は知らないだろうな。タイトルの「激しき雪」は野村の俳句「俺に是非を問うな激しき雪が好き」からとったもの。野村は今から20年以上前の平成5年10月20日、朝日新聞本社の役員応接室で同社の報道姿勢(具体的には前年の参議院選挙で野村が代表を務めた「風の会」を週刊朝日の山藤章二のブラックアングルで「虱の会」と揶揄したこと)に抗議して、拳銃自殺した。その野村のドキュメンタリーである。もとはと言えば横浜の愚連隊だったが、並外れた度胸で頭角をあらわし、服役中に知り合った右翼の縁で戦前の右翼、三上卓の知遇を得る。俳句、短歌も詠み、仏教にも造詣が深い。何より河野一郎廷の焼き討ち事件、経団連襲撃事件で合わせて18年の獄中生活を送っている。彼のような「激しさ」はとてつもない「優しさ」と並列していたのではないかということがうかがい知れる。こういう人ってこの頃いなくなったなぁとつくづく実感する。表紙の雪を踏みしめている野村秋介のスナップ(宮嶋茂樹撮影)がいい。

1月某日
「籠の鸚鵡」(辻原登 新潮社 2016年9月)を読む。バブル時の和歌山市を舞台にした人間の欲望と暴力をテーマにした小説。和歌山市内でバーBergmanのママ、カヨ子、そこに通う和歌市近郊の下津町の出納室長梶、カヨ子の情夫でヤクザの峯尾、カヨ子の元夫紙谷が主な登場人物。峯尾はカヨ子に梶を誘惑させ、下津町の公金を横領させる。峯尾は対立するヤクザの幹部を射殺、タイへの逃亡資金3000万円を梶に要求する。梶は峯尾の殺害し、自分は自殺することを決意する。紙谷は梶に嶺尾を殺害させ、梶が自殺した後に3000万円を横取りすることを計画、カヨ子の協力を得て、梶による峯尾の殺害には成功する。粗筋はまぁそういうことなのだけれど、和歌山ってちょいと不思議な地域である。中上健次に確か「紀州根の国」という著作があると思うが、地理的には京都、大阪、奈良に近いにも関わらず、「異郷」の雰囲気があるのだ。カヨ子は梶を自殺させることはせず梶とともに自首することを選ぶ。ボートで睡眠薬から覚めた梶は「何や、ここがフダラクか…」と恍惚の表情を浮かべ「ナンマイダ、ナンマイダ」と手を合わせるところで物語は終わる。フダラクは補陀落のことで、和歌山の海上の南に補陀落があるという補陀落信仰を下敷きにしている。カヨ子が伊東静雄の詩を愛唱し梶が吉本隆明の全著作集1定本詩集の「とほくまでゆくんだ」を愛読している。カヨ子が梶に好意を寄せ始めるきっかけとなったのである。

顧問の酒中日記 12月その4

12月某日
根津のスナック「ふらここ」の忘年会。御徒町の中華料理屋「大興」に集合。ママに常連客の大ちゃん、宮ちゃん、みかちゃん、吉武さん、それに私が集まる。宮ちゃんは文部科学省の役人だが上野の科学博物館の勤務が長く、それで根津の「ふらここ」の常連となったようだ。今は佐倉の歴史博物館に勤めている。大ちゃんは確か高松商業の野球部で立命館大に進学、衣料品をデパートに卸す仕事をしていた。2次会は「ふらここ」で。根津で美容院を経営しているカバちゃんが日本酒を持ってやってくる。カバちゃんはパリで美容師の修業をしたという本格派だ。

12月某日
図書館で借りた「戦争まで-歴史を決めた交渉と日本の失敗」(加藤陽子 朝日出版社 2016年8月)を読む。加藤は東大文学部教授。同じ出版社から高校生に太平洋戦争に至る昭和史を講義した「それでも、日本は「戦争」を選んだ」(2010年)を出版している。今回は池袋のジュンク堂書店の提案で、中高生を相手に行った連続講義の記録だ。1章が「ものさし」としての歴史について、2章が「リットン報告書」、3章が「日独伊3国軍事同盟」、4章が「日米交渉」、そして終章という構成になっているのだけれど、私にはとても新鮮に感じられた。普通の歴史の本って起こったことをたんたんと叙述する。まぁたんたんと叙述する以外に歴史の方法はない、講談じゃないのだから。でもこの本では加藤は、中高生に資料を読ませ、その意味を問い考えさせる。歴史とは叙述されたひとつの事実の背景に無数と言ってもよい事実が積み重なっている。それは陸海軍それぞれの内部事情であったり、国民感情であったり、生産力であったりする。つまり加藤にかかると歴史は事実の断片をつなぎ合わせただけでなく、もっと重層的で複雑な積み木細工の様相を呈してくるのだ。加藤陽子、恐るべし!

12月某日
待ち合わせの時間に少し余裕があったものだから駅近くのブックオフに寄る。文庫本の棚を見渡すと鷺沢萠の文庫本が3~4冊並んでいた。鷺沢萠の小説は私が40代から50代のころよく読んだ記憶がある。硬質な文体とそれに潜むある「切実さ」のようなものに惹かれたのだろうと思う。新潮文庫の「失恋」(定価400円が260円!)を買って読む。題名からして恋愛もの。今の私には縁遠いがそれでもそれなりに面白くは読めた。鷺沢は2004年、今から12年前に目黒区の自宅で自殺している。35歳だった。鷺沢萠という今は半ば忘れ去られた作家について少し触れておきたい。ウィキペディアによると彼女は上智大学外国語学部ロシア語学科中退、1987年に「川べりの道」で第64回文学界新人賞を受賞、1990年代には矢継ぎ早に作品を発表している。後に父方の祖母が韓国人であることを知り、これを契機に韓国に留学する。ヘヴィースモーカーで麻雀好きだったらしい。もともと繊細だった精神が自身のルーツの一つに「韓国」という存在があることを知り、さらに磨かれたのではないかとさえ思う。早すぎる死をいたましく感じる。

12月某日
「物語の向こうに時代が見える」(川本三郎 春秋社 2016年10月)を読む。作家論、作品論なのだが、私が未読の本も非常に魅力的に論じているし、私が好きな柳美里や桜木紫乃の作品についても的確に批評している。川本は麻布高校から東大法学部、朝日新聞社というエリートコースを歩むが、赤衛軍を名乗る日大生の朝霞自衛官殺害事件にからんで逮捕起訴され、朝日新聞社を懲戒解雇された。こうした過去が川本の評論活動に独特の陰影を与えたと言っていいのではないか。
「顧問の酒中日記」はこれで最終。新年からは「モリちゃんの酒中日記」(仮)とでもして、会社のホームページとは別に公開するつもりです。よろしくお願いします。

★「モリちゃんの酒中日記」はこちらでスタートしています。