モリちゃんの酒中日記 3月その4

3月某日
亡くなった荻島国男さんの奥さん、荻島道子さんを花小金井の有料老人ホームに訪問する。我孫子の鈴木珈琲の珈琲をお土産に持って行く。係りの人が「荻島さんなら3階の談話室にいらっしゃいますよ」と教えてくれたので談話室に行くとそれらしき人がいない。キョロキョロしていると「あらっ」と声を掛けられ振り返ると道子さんがいた。髪が黒々として後ろからだと気が付かなかった。「染めたのよ」と道子さん。道子さんは長く小学校の教師をしていたが、本日は野方の小学校のころの同僚の方たちが来ていた。一緒に「図書館の改革をやったのよ」ということだ。

3月某日
佐藤雅美の「縮尻鏡三郎シリーズ 首を斬られにきたの御番所」(文春文庫 2007年6月)を図書館で借りて読む。佐藤の時代小説にはいくつかのシリーズがあり、主なもので「物書き同心居眠り紋蔵」「八州廻り桑山十兵衛」それに「縮尻鏡三郎」がある。この3つはいずれも捕物ものだが、主人公の人間関係や家庭を丁寧に描いているのも特徴の一つ。その意味ではホームドラマの要素もある。本作でも義理のせがれ(娘の知穂の夫)で家を継いでいる三九郎が狂言回しの役を担っている。私も当初は佐藤雅美の綿密な時代考証に魅かれていたのだが、最近では家族ドラマの要素も楽しんでいる。

3月某日
図書館で借りた村田喜代子の「八幡炎炎記」(平凡社 2015年2月)を読む。村田喜代子は割と好きな作家で、最近も熊本の遊女を描いた「ゆうじょこう」を面白く読んだ。本書は広島の紳士服店の親方の女房と深い仲となり、九州の八幡に駆け落ちしてきた瀬高克美と駆け落ちした相手、ミツエとその親族を中心にした物語。どこにでもありそうな戦後の庶民の物語だが、実はそれが圧倒的なリアリティをもって「どこにもない」庶民の物語として読者に迫ってくる。挿絵が何枚か掲載されていて、「ずいぶん迫力あるなぁ」と思ったら作者は堀越千秋だった。

3月某日
HCMの大橋社長、ネオユニットの土方さんとHCMで「シミュレータの販売会議」。売ったところからの評判はいいし、もっと売れてしかるべき商品ということでは一致。要するに商品情報がユーザーにまで浸透していない、情報を露出させなければとなった。会議を終わって新橋の「花の舞」で吞む。映像を担当している横溝君も参加。

3月某日
日経新聞の書評欄で中学か高校のころ、太宰治の「人間失格」の大きな影響を受けたというエッセーを読み、図書館で「人間失格」を借りることにする。図書館にあったのは岩波文庫で「人間失格」と絶筆となった「グッド・バイ」、晩年の評論「如是我聞」が収められている。底本となったのは1948年7月刊の「人間失格」(筑摩書房)、同年11月刊の「如是我聞」(新潮社)である。太宰は1948年6月13日、玉川上水に山崎富江と入水している。私は同年11月の生まれだから、「人間失格」は、この世に出てから私とほぼ同じ年月を過ごしたことになる。解説の三好行雄がいうように太宰の文学のキーワードのひとつは「道化」。道化によって世間との和解を図ろうとする主人公は、しかし根源的な和解に至ることはなく、自身の規定によると「人間を失格」し、脳病院に収容される。凄惨な物語ではあるが、太宰の実人生をある程度たどった青春小説の一面もある。

3月某日
上野駅構内の書店、ブックエクスプレスで「結婚」(井上荒野 角川文庫 平成28年1月)を買う。結婚詐欺師とその連れ合い、そして複数の被害者の物語。結婚詐欺に関わらず詐欺に引っかかるのは普通の人である。世間知らずな人が騙されるというのとも違う気がする。この小説は犯人と被害者の関係を詐欺というかなり特殊な犯罪であぶり出す。井上はここら辺の心理描写が巧みと思う。

3月某日
図書館で借りた「夜の公園」(川上弘美 中央公論新社 2006年11月)を読む。中西リリと夫の隆夫を中心とする既婚、未婚に関わらない男女関係を描く。心中未遂もあったりするのだが、太宰の描く心中未遂事件に比べると時代の違いを感じざるを得ない。ひとつは時間の過ごし方。現代はおしゃれな食事、お酒、携帯電話が必須だ。過剰な消費が前提となっているのだ。終戦直後に描かれた太宰の小説は欠乏が前提である。しかし男女の結びつきは小説の永遠のテーマとなっている。

3月某日
図書館で借りた浅田次郎の「月島慕情」(文春文庫 2009年11月)を読む。浅田次郎は「巧いなー」と思う。このところ桜木紫乃の恋愛小説にはまっているが、小説の深さというか余韻というか、そこらへんは浅田次郎が数歩リードかな。桜木はまだ若いのだから頑張ってね!表題作の「月島慕情」。吉原の遊女に売られたミノは生駒太夫として年季を重ね、駒形一家の時次郎に引かされることになる。しかし、ひょんなことから時次郎には妻も子もあり、妻子と離縁した後の身請け話だったことが知れる。ミノは身を引くことを決め、宿替えを人買いの卯吉に相談する。「あたしはね、この世にきれいごとなんてひとっつもないんだって、よくわかったの。だったら、あたしがそのきれいごとをこしらえるってのも、悪かないなって思ったのよ」「ばかだな、おめえは」「それァ承知さ」「ばかだが、いい女だぜ」。泣かせるセリフである。

3月某日
奈良県の天理市で介護事業を展開する「あいネットグループ」をセルフケア・ネットワーク(SCN)の高本代表と社会保険出版社の高本社長と訪ねる。あいネットグループを訪問するのは私と高本代表は3回目、高本社長は初めて。あいネットの山本さんと中川さんの優秀さには毎回驚かされるし、今回はパンフレット「40歳からの介護研修」をデザインしたデザイナーの方ともお話ししたがこの人も優秀。こういう出会いは大切にしたい。今回の出張は、SCNの仕事なので交通費はSCNに出してもらった。帰りの新幹線は3人で宴会。2人とは東京駅で別れて私は我孫子へ。駅前の「愛花」に寄る。

3月某日
日本経済新聞にシンポジウム「AI本格稼働社会へ」の内容が掲載されていた。その中で富国生命の部長が「医療保険の給付金の支払い部門にAIを導入した。(中略)AI導入で肝心なのは、導入を目的とせず、AIを前提とした業務設計を行うことだ」と語り、NECの研究所長は「人間の認識・理解、予想・推論、計画・最適化をシステム処理し」と言っていた。公的医療保険や介護保険の支払い審査にもAIの導入は不可避と思うし、ケアプランの作成などはまさにAI向きと思った。さぁーて、人間は何をやるのか。

3月某日
民介協の理事長はソラストの佐藤専務、その佐藤専務を支えていたのが同じくソラストの柴垣さん。佐藤専務もソラストを退き柴垣さんもソラストを退社することになった。で、民介協の扇田専務が音頭をとって柴垣さんの送別会を開催することになり、私にも声がかけられた。会場は神田の「玄品ふぐ」、出席者はほかにカラーズの田尻さん、浜銀総研の田中さんなど総勢9人。なかなか心温まる会だった。ソラストの中国人の女性が参加していたので出身を聞くと西安だという。上越教育大学で勉強したという。優秀そうであった。

3月某日
図書館で借りた「咲庵(しょうあん)」(中山義秀 2012年3月 中公文庫)を読む。中山義秀(1900~1969)を読むのは初めて。咲庵とは明智光秀の号で、明智光秀が斎藤道三の首実検に立ち会う冒頭から、本能寺で織田信長を自害に追い込み、山崎の合戦で秀吉に敗れるまでの生涯を描いている。信長の苛烈な独裁者ぶり、それへの対応に右往左往する家臣たちの姿がよく描かれている。しかし戦国時代の主従関係って凄い。主の意に添わなければ切腹、磔刑も覚悟しなければならなかったのだから。

モリちゃんの酒中日記 3月その3

3月某日
社会福祉法人にんじんの会の石川はるえ理事長と阿佐ヶ谷の星乃珈琲で会う。だんだんダンスと児童虐待防止パンフの新しい担当を紹介される。立教大学大学院の石川さんの講座の出身ということだ。名刺がまだ出来ていないということで名前を聞いたけど忘れてしまいました!終わって近くの「築地日本海」という店でご馳走になる。店名に恥じず刺身と寿司が美味しかった。

3月某日
システムエンジニアの李さんが晩ご飯をご馳走してくれるというので、会社近くの小料理屋「福一」へ。李さんは名前からもわかるように在日だ。今は日本に帰化して日本名は大山というのだが、みんなが李さんと呼ぶので私も李さんと呼んでいる。もともとは亡くなった大前さんの知り合いで、明治大学生協の同僚だったそうだ。李さんは昔、ボイラー関係の仕事をしていて、そのときの同僚が早稲田の哲学の教授をやっているという。私が「早稲田の哲学と言えば竹田青嗣がいるね」と言ったら「それそれ、竹田青嗣」と李さん。
ボイラー仲間なんだ。私は焼酎のお湯割りを4杯ほど、李さんは生ビールを2杯。いい気持になりました。

3月某日
数年前に閉店した新宿歌舞伎町のクラブ「ジャックの豆の木」のマスター、三輪さんと会社近くの「ビアレストランかまくら橋」で待ち合わせ。私が酒のディスカウントストアでニッカウヰスキーの「宮城峡」を買い込んで店に行くと三輪さんはすでに来ていた。生ビールの後、私は宮城峡、三輪さんはずっとビールだった。三輪さんに「ジャックの豆の木」のころの話をいろいろと教えてもらう。いつか三輪さんの「聞き書き」本を作ってみたいものだ。

3月某日
日本橋小舟町のSCNの事務所で「40歳からの介護研修」の打合せ。お昼ご飯を近くの「花乃蕎麦」でご馳走になる。ミニ天丼と温かい蕎麦のセットを頼む。小舟町、堀留町、人形町界隈はおいしい店が多い。夕方、健康・生きがいづくり財団の大谷常務と築地のがんセンターへ。厚労省から出向している経営企画部長の横幕章人さんに面会。横幕さんは水道環境部計画課のとき荻島課長の下にいたことがあるそうだ。「そのうち呑みましょう」ということで横幕さんとは別れ、大谷さんと2人で日比谷線で人形町へ。甘酒横丁の居酒屋へ入る。なかなか結構でした。

3月某日
先日読んだ小林信彦の「天才伝説 横山やすし」(文春文庫)の解説は映画評論家の森卓也という人が書いていた。解説の冒頭、山本夏彦の「私の岩波物語」から「若いとき天才といわれた人は一生忘れない。誰一人おぼえていなくなっても忘れない。全盛時代があったことを世間は忘れてあとかたもないのにひとり当人は忘れない」という一節が引用されていた。森卓也はもちろん「若いとき天才といわれた人」=横山やすしという意味で引用しているのだが、「天才伝説」と同じく古書として入手したのが、たまたま山本夏彦の「私の岩波物語」(文春文庫 1997年5月)だった。山本夏彦の主宰する雑誌「室内」に1987年4月~1993年4月まで連載され、1994年に文藝春秋社で単行本になっている。「室内」という雑誌はもと「木工界」という名称で家具、建具業界、設計家、デザイナーなどを主要な読者としていた。40年前、私が在籍していた日本木工新聞社という業界新聞社は「週刊家具」「週刊建具」「週刊新建材」(のちに住宅ジャーナルと改題)という新聞を発行していたから「室内」という雑誌の存在は知っていたが、手に取って読むことはなかった。20代の学生運動崩れの業界紙記者が読むには高級すぎたのかもしれない。「私の岩波物語」は「室内」が創刊35周年を超えたのを機会に山本が社史として同誌に連載を始めたものだが、岩波、講談社、電通はじめ印刷、製本に至るまでの業界のナマの歴史を描いている。山本夏彦は2002年に亡くなり「室内」も休刊、ああいう雑誌はもう現れないだろう。ちなみに「若いとき天才といわれた人は一生忘れない」は「実業之日本社の時代」の項にあり、実業之日本社が日本の出版界をリードしていたことを述べているが、ここでの「若いとき天才といわれた人」は同社のことである。

モリちゃんの酒中日記 3月その2

3月某日
久しぶりに神田明神下の「章太亭」へ。ここは女性3人(70代、60代、50代(いずれも推定))でやっている小料理屋で、お客も女性たちと同じような年代が多い。ビールを頼むと「銘柄は何がいい?」と聞いてくれる。こういう店はなかなかない。キリンの一番搾りを頼む。おでんと月見を肴にぬる燗(確か沢の鶴だったと思う)を3本ほど。少しいい気持になって我孫子へ。駅前のバー「Vingt Neuf」に寄る。ジントニックを頼む。隣のお客が呑んでいたジンが美味しそうだったのでストレートでいく。確かにうまいような気がした。

3月某日
有楽町の交通会館の三省堂に寄る。今話題の村上春樹の「騎士団長殺し」が所狭しと平積みされている。私は躊躇せず2階の文庫本売り場に行く。村田喜代子の「ゆうじょこう」(新潮文庫 平成28年2月発行 単行本は25年4月)を買う。鹿児島県の硫黄島(小笠原諸島の硫黄島とは別)で生まれ育ったイチは15歳で熊本の東雲楼に売られてくる。遊女として売られて来るのだがこのイチは滅法たくましい。遊女はなじみ客に手紙を書かなければならないし、借金がいくら残っているか算術も学ばなければならない。イチと同僚たちは遊郭の学校、女紅場(じょこうば)に通わされる。そこにはお師匠さんの鐵子がいた。鐵子は下級幕臣の娘。幕府瓦解ととともに収入の途絶えた親によって吉原に売られた。年季を終えた後、遊女たちの読み書きの師匠となる。鐵子にイチは女紅場に行くたびに手紙を書く。島育ちでなおかつ好奇心いっぱいのイチには何もかもが新鮮だ。島の言葉で書かれた手紙の幼さ。遊女として女として成長していくイチ。これらを描く作者の筆力に脱帽。

3月某日
3.11の東日本大震災から6年。土曜日なので家でゴロゴロしていると、同じ我孫子の住人の吉武民樹さんから電話。駅北口のショッピングセンターで鎮魂の催しがあってその打ち上げがあるから来ないかという誘い。社長を辞めてやることもないだろうと心配してくれているのだろう、ここは厚意に甘えて行くことにする。開始の6時を少し回ったころ会場のショッピングセンターの3階に行くと打ち上げはすでに始まっていた。吉武さんは川村女子学園大学の副学長を去年まで勤め、地元でも名士。我孫子消防団の元団長で震災直後に南三陸町に入った人の話を聞くことが出来た。会の後、近くの蕎麦屋「おかめ」で吉武さんにご馳走になる。聞けばもうすぐ店を閉めるという。後継者不足なのだろうか。吉武さんと別れた後、駅南口の「愛花」へ。

3月某日
上野駅構内の本屋で「とめられなかった戦争」(加藤陽子 2017年2月 文春文庫)を買う。加藤陽子は東大大学院人文社会系大学院教授で日本近現代史専攻。日本が戦争へと突き進んでいく過程を実証的に研究している。何冊か著作を読んだことがあるが、実証的で謙虚な研究姿勢には好感が持てる。さて本書は、2011年5月、NHK教育テレビで4回にわたって放映された「さかのぼり日本史 昭和 とめられなかった戦争」の内容に添って書かれている。第1章「敗戦への道」1944年から第4章「満州事変 暴走への原点」まで歴史をさかのぼって、敗戦へ至る道が明らかにされている。加藤の視点は軍部が暴走したという単純なものではなく、それを阻止できなかっただけでなく、むしろ支えた当時の政治家、官僚、宮中そして次第に好戦的なっていくマスコミや庶民にも批判の目は向けられている。ところで本書によって私は「満州」の意味を始めて理解した。もともとは清王朝を建てたジュシェン(女真)族の国名(マンジュ国=16世紀末、清の太祖ヌルハチが建国した部族国家。マンジュとは梵語のマンジュシリ、文殊菩薩に由来する)であり、民族名だった。その後、マンジュの音に漢字の「満州」が当て字された。その範囲は清末、中華民国の行政区画でいえば東三省(遼寧省〔奉天省〕、吉林省、黒竜江省)の地域に該当する。なるほどねー。

3月某日
わが家のある我孫子市若松の近くにちょっと洒落た喫茶店がある。ランチもやっているのだが私は入ったことがない。日曜日に近郊の農家が軽トラックに野菜を載せて売りに来る。散歩のついでに寄ることがある。今日は菜の花を買う。その喫茶店の店頭で古本も売っている。「天才伝説 横山やすし」他文庫本4冊を買う。文春文庫で初版は2001年1月、単行本は1998年1月、「週刊文春」連載は1997年。やすしが死んだのは1996年1月、今から21年前だ。本書を読むと2人で演じるショービジネスとしての漫才の難しさがよくわかるような気がする。両雄は並び立たなければならないのだが、漫才はそこが難しい。ツービトは結局たけしが残り、伸介竜介では竜介が脱落した。漫才の相方同士が仲の悪いのは当たり前で例外は兄弟、夫婦、もと夫婦と本書にも出ていたが、それほど難しいということであろう。私は本書に描かれた芸人やすしの肖像を大変面白く興味深く読ませてもらったが、天才の不安、哀しさも十分に伝わった。

モリちゃんの酒中日記 3月その1

3月某日
西新橋の社会保険福祉協会で会議。会議終了後、同じ西新橋の弁護士ビルに大学の同級生、雨宮弁護士を訪ねよもやま話。近くの「酒房 長谷川」へ。高齢(80代?)のマスターに挨拶。マスターは力道山の後援者だった新田組の社長と親しく、「力道山VS木村政彦」のゴングを鳴らしたそうだ。ここは新潟の料理と酒の店で美味しい。雨宮弁護士にすっかりご馳走になる。

3月某日
図書館で借りた「対話する社会へ」(暉峻淑子 岩波新書 2017年1月)を読む。淑子は「いつこ」と読むそうだ。暉峻の名前はオールド左翼として私の記憶に残っていたが、「対話する社会へ」を読むとそんな感じはなかった。むしろ「対話」の重要性を諄々と説く姿勢には好感が持てた。大事なことは人間の考えがいろいろであり、単一の価値観に陥らない広い視野が必要ということ。そのためにこそ対話が大切なのだ。人間同士、憎みあうのではなく「対話」することにより、こんがらかった糸もほぐれるということだろう。インターネットによる通信が飛躍的に拡大する現代だからこそ対話がより重要になってくると思う。

3月某日
吉田修一の新刊「犯罪小説集」(KADOKAWA 2016年10月)を図書館で借りて読む。人気があるようで裏表紙に「この本は、次の人が予約してまっています。読み終わったらなるべく早くお返しください。」と印刷された黄色い紙が貼ってあった。5つの犯罪が吉田の小説上で展開される。モデルとなった犯罪があると私にはっきりわかったのは2つ。名家の3代目で大手企業の専務の地位にありながらギャンブルにおぼれていく男を描く「百家楽餓鬼(ばからがき)」、これは大王製紙の会長が関連会社から多額の借金をして賭博につぎ込んだ事件をモデルにしている。もうひとつは「万屋善次郎」。これは過疎の村での大量殺人がモデルになっていると思う。犯罪は小説やドラマの宝庫である。日本の古典でいえば石川五右衛門や白波五人男、ドストエフスキーなら「罪と罰」、現代日本なら「復讐するは我にあり」(佐木隆三)、最近なら「籠の鸚鵡」(辻原登)、吉田修一なら「悪人」など。圧倒的多数の読者は善良な市民で生涯、犯罪と関わることはなかろう。そういう人がなぜ、犯罪に魅かれるのか?おそらく小説の供給側(小説家)としては、人間の極限が描きやすいということ、小説の需要側(読者)としては、犯罪の非日常性かもしれない。これについては自信がないけれど。

3月某日
当社の石津さんを飲みに誘う。会社から神田駅に向かう途中に「神田もつ焼きセンターえん」という店があるのでそこにする。期待していなかったけれど「モツ」が非常にうまかった。朝どれのモツで石津さんによると「私んちの方でとれた」。モツはやはり鮮度ですね。
石津さんにご馳走になってしまった。

3月某日
図書館で借りた「いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件」(大崎善生 KADOKAWA 2016年11月)を読む。この本も人気があるようで「次の人がまっています」という黄色い紙が貼ってある。大崎は「聖の青春」「将棋の子」など将棋界を題材にしたノンフィクション作家としてデビュー、最近は小説も発表している。この本はタイトルにもある通り2007年に名古屋で起きた、闇サイトで知り合った男たちが女性を拉致して殺害した事件を題材にしている。被害者の女性が30歳を過ぎてから囲碁に興味を抱き、名古屋市内の囲碁カフェに通い始めたことを知った大崎が事件をノンフィクションとして描きたいと思い至った。何の罪もない見ず知らずの女性を拉致し殺害する。しかも犯人の一人は女性に強姦に及ぼうとまでする(未遂)。母一人子一人で育った被害者女性の、控えめだが確かな人生と残された母の苦悩、そして犯人の卑劣さが抑制された筆致で描かれていると思う。

3月某日
「共生保障〈支え合い〉の戦略」(宮本太郎 岩波新書 2017年1月)を図書館で借りて読む。少子高齢化社会ということは支えられる層が増大し支える層が減少するという社会である。少子化については20年ほど前から様々な人や団体が警鐘を鳴らしてきたにもかかわらず、消費税の10%への引き上げは見送られたのを始めとして見るべき改革がなされたとは言い難い。私ら団塊の世代がすべて後期高齢者となる2025年には「どうなるんだよ!」と思っていたときだけに、この本には共感し納得するところが多かった。
 著者は以前から「「支える」「支えられる」という二分法からの脱却」を唱えていたが、本書はその理念的かつ具体的な処方箋ということができる。その前提として社会全体として中間層がやせ細り貧富の差が拡大していることを指摘する。「支える」「支えられる」の二分法的思考では社会保障給付の拡大か切り捨てと言ったそれこそ二分法的な政策しか出てこない。著者は「「支える側」を支え直す」と「「支える側」の参加機会を拡大」を提唱する。前者ではこれまで「支える側」であった現役世代を広く支え直し、彼ら彼女らがその力を発揮できる条件づくりを目指す、として具体的には企業の外部でも知識や技能を身につけることができるリカレント教育や職業訓練、女性の社会参加を支える子育て支援、あるいは将来の支え手を育てる就学前教育などをあげている。後者ではこれまで「支える側」とされがちであった人々が積極的に社会とつながることを支援することであるとしている。この他、介護や子育てなどの「準市場」では「サービスの質を客観的に評価することが必要」とする一方、準市場における情報の非対称性も指摘している。こうした議論は論壇だけでなく政策決定の場でも積極的に議論すべきと思う。

モリちゃんの酒中日記 2月その4

2月某日
社会保険福祉協会で「介護職のためのグリーフケア研修」の報告と打合せ。1時30分にセルフケアネットワークの高本代表と待ち合わせ。社福協は本田常務と岩崎さん。打合せの後、社福協近くのHCMへ。高本代表が「40歳からの介護研修」の話を大橋社長にする。HCMにネオユニットの土方さんが資生堂パーラーのケーキを手土産に来る。私はモンブランを頂く。ちょっと中座して弁護士ビルに大学の同級生、雨宮弁護士を訪問。HCMに戻ると高本代表は帰っていた。大橋さんと土方さんと3人で「うおや一丁」へ。ここは北海道のお店。「タラの白子」が美味しかった。大橋さんにご馳走になる。帰りに我孫子駅前のバー「ボンヌフ」へ。

2月某日
金曜日、会社から帰る電車の中で読みかけの文庫本を会社に忘れてきたことに気が付いた。土日に読む本がないというのも何なので我孫子駅前の東武ブックストアに寄る。読みかけの本があるのだから、この場合は厚い本はダメである。薄い文庫本に限定して探す。桜木紫乃の「誰もいない夜に咲く」(角川文庫 平成25年1月初版)を買う。巻末に「本書は2009年12月に小社より刊行した単行本『恋肌』を改題したうえ、大幅な加筆・訂正をしたもの」という「但し書き」のようなものが添えられていた。「大幅な加筆・訂正」というのがいい。桜木という作家の文学的な誠実さを表しているように私には感じられた。7編の短編が収められている。冒頭の「波に咲く」は中国人の嫁を迎えた北海道の酪農家の青年のストーリー。嫁を守るために青年は家を出て農協に就職するのだが、2人の飾らない誠実さが描かれていて好感が持てる。私の読んだ桜木の小説はすべて北海道が舞台。北海道は人口が減少する一方、札幌への一極集中が進んでいる。つまり札幌以外は寂れる一方と言っていいと思う。その中にも人々の生活があり出会いと別れがある。桜木の小説は少子高齢化が進む地域の姿を先取りしているといういい方もできる。少し前にも手元に読む本がなくて本屋に入った。そのときも桜木紫乃の文庫本(ワン・モア)を買ったことを思い出した。

2月某日
天理市に出張したときに古本屋で買った半藤一利の「ノモンハンの夏」(文春文庫 2001年6月 単行本は1998年4月)を読む。1939(昭和14)年に日本モンゴル国境で発生した日本軍とソ連・蒙古軍の間で発生した軍事衝突、ノモンハン事件のドキュメントである。それも戦場だけでなく、関東軍の本拠があった新京、陸軍参謀本部があった三宅坂、さらに軍事、外交の最終的な決定権を握っていた首相官邸、宮城を結ぶ多角的なドキュメントとなっている。さらに加えるならば第2次世界大戦の開戦を控えたベルリン、モスクワの動きも克明にとらえている。ノモンハン事件は高校の日本史でさらっと学んだ程度の知識しかないので本書は実に新鮮であった。日本が陸軍を中心に日独伊三国同盟を推進しようとしていたとき、ドイツとソ連は突如、独ソ不可侵条約を結ぶ。平沼内閣は「欧州情勢は不可解」と総辞職する。天皇と海軍は三国同盟に消極的というか反対であった。ノモンハン事件は5月に始まり(第1次)、一時休戦を経て8月にソ連軍の機甲部隊が関東軍を襲う(第2次)。その兵力は日本軍にたいして、歩兵1.5倍、砲兵が2倍、飛行機は5倍であった。勝負にならない闘いであった。主力の第23師団は出動人員1万5975人中の損耗(戦死傷病)は1万2230人、損耗率は76%に達している。日本はノモンハン事件から何も学ばず、無謀な対米戦争に突入する。

2月某日
我孫子市民図書館に行く。「名前とは何か なぜ羽柴筑前守は筑前とは関係ないのか」(小谷野敦 青土社 2011年4月)を借りることにする。小谷野敦は文芸評論も書くし、小説も書く。東大の文学部から大学院で比較文学の博士課程を修了し、カナダに留学、阪大で教師をやっていたが今は辞めているはず。私は彼の小説の「母子寮前」「ヌエのいる家」を読んだことがある。肉親との葛藤を描いた私小説で私は面白く読んだ。本書は律令時代に定められた官職名や官位が時代とともに変質してきていることを論じたもの。タイトル名になっている筑前守は、秀吉が信長の臣下であったときに名乗った官命だが、秀吉は筑前地方に赴任したことはなく無関係である。律令が実質的に機能しなくなった平安時代から、官職名は行政官や領主の仕事の内容や支配関係と無関係になり、支配機構(藤原氏、平氏、鎌倉、室町幕府、織豊政権、徳川幕府)における臣下のランク付けに使われたのであろう。ところが江戸時代、国持大名の島津は薩摩守、前田が加賀守、山内が土佐守を名乗っており必ずしもすべてが無関係だったわけではない。また、吉良上野介の上野介は上野の国の次官であることを示している。これは「親王任国」といって上野、上総、常陸の三国は親王が国主に任ぜられるのだが、実際には赴任せず、「介」が実質的なトップであり、「守」より格下というわけでもなさそうだ。というようなことが延々と書いてあるのだが、中世史や近世史を専門に学ぶ人ならともかく一般の人には興味は薄いと思われる。しかし、小谷野のある種の凄さはそこにあるのではないか?つまり自分の興味、やりたいことが先にあり、それが世間に受け入れられるかどうかは二の次なのである。

2月某日
日本橋小舟町にあるセルフケア・ネットワークで打合せ。事務所から地下鉄の人形町までは歩いて5分。日比谷線で人形町から上野まで出れば常磐線で我孫子まで帰ることが出来るのだが、今日は人形町で都営地下鉄に乗り、立石に行くことにする。立石は我孫子の吞み友だちの大越さんに連れて行ってもらって以来、何度か行ったが最近行っていない。目当てのアーケードの店に行ったらまだやっていなかったのでアーケードを出て、店を探す。「食堂トキワ」に暖簾が出ていたので入る。テーブルが2つ、カウンターが8席ほどの古い店。80くらいのお婆さんと息子と思しき人が2人でやっている。ビールと煮込み、ニラ玉を頼む。テーブル席の2人が最近の映画「沈黙」について議論している。議論は「沈黙」から「カラマーゾフの兄弟」へ移り「ゾシマ長老が…」と進む。立石でドストエフスキーとは、結構似合うかも。新しいお客さんが隣へ座り「マグロと〆さばを半々で」と頼む。私に「ここは刺身がうまいんだよ」と教えてくれる。立石へ一人で来ると必ずと言っていいほど話しかけられる。下町の良さが残っている。

2月某日
図書館で借りた辻原登の「Yの木」(文藝春秋 2015年8月)を読む。短編4編が収められていて「首飾り」と表題作の「Yの木」は主人公が作家で大学教授も兼ねるということから一読すると私小説風であるが、フィクションである。あと2作は完全なフィクション。「たそがれ」は優秀で大阪でOLをやっているという姉を中学生の弟が訪ね、2人でユニバーサルシティに遊ぶ。弟と別れた姉は着替えた後、飛田の娼家で客を待つ。「シンビン」は就職した大手証券会社の倒産後、仲間とベンチャーキャピタルを設立した主人公の女性は心ならずも詐欺に近い未公開株式商法に手を染める。関係書類の処分を携帯で命じた後、彼女が訪れたのは秩父宮ラグビー場。彼女の母校の青山学院と慶應の試合が始まっていた。「青学、がんばってますね」と若い女に話しかけられる。試合は青学の勝利に終わり、若い女は主人公を逮捕に来た刑事であったことが明かされる。辻原は長編もいいが短編もいい。現実の切り取り方が巧みなんだろうか。

モリちゃんの酒中日記 2月その3

2月某日
図書館で借りた「日本の死に至る病 アベノミクスの罪と罰」(河出書房新社 倉重篤郎 2016年10月)を読む。毎日新聞の専門編集委員の倉重が経済学者や政治家にインタビューしたものをまとめた。私はもともとアベノミクスは評価していない。ただ確たる理論的な根拠があって評価していないわけではなく、安倍晋三という存在が気に食わないという感情的なものと「実績がともなっていないじゃないの?」という感性的な反発である。この本は14人の経済学者や政治家へのインタビューが掲載されている。吉川洋一氏は、安倍政権の株高、企業業績アップはアベノミクスそのものの実力というより景気循環の上昇期と重なった恩恵を相当受けているとにべもない。財務省出身の森信茂樹氏は消費増税再延期ついて「一番の問題は消費税は政争の具にしないという三党合意が破られたことだ。(中略)要は、国民の政治に対する信頼がなくなった。それが一番大きな問題だ」とし、2番目はいずれの政党も増税は先送り、社会保障財源については赤字国債だとか、別の財源を探すとか、いい加減な話になってきていると手厳しい。批判の矛先は安倍首相だけでなく野党にも向かう。伊東光晴氏は「成長を分不相応に望まないこと。今あるパイの中で富を高齢者から若者にシフトする再分配政策を取ること」とコメントする。しかし安倍自民党は選挙で国民の信託を受けた。自民党内でも安倍は一強多弱である。どうなる日本‼。

2月某日
土曜日だけれど民介協の事例発表会があるので会社へ。会社で少し仕事をした後、事例発表会の会場へ。これからの地域で高齢者の生活を支えるとなると行政やボランティア、社協の力だけでは不十分でどうしても介護事業者の力が必要になってくると思われる。民介協の事例発表会もそうした観点から非常に参考になった。事例発表会の合間にカラーズの田尻社長、エルフィスの阿部社長にあいさつ。事例発表会の後の懇親会で民介協の佐藤理事長、扇田理事長、馬袋特別理事にあいさつ、大阪の在宅介護サービスのヒューマンリンクの西村社長と歓談。西村社長はもともとは障害者支援から介護サービスに入った人のようで「それまでは運転手」と言っていた。そういえばパンプキンの渡邊会長も元運転手。「介護業界の社長にはガテン系が多い」ということは言えないだろうか。懇親会でビールとワインをご馳走になり我孫子駅前の愛花へ。

2月某日
図書館でリクエストした「綴られる愛人」(井上荒野 2016年10月 集英社)を読む。井上は小説家で1992年に66歳で死んだ井上光晴の長女だけれど、今はそんなことを知っている若い読者はほとんどいないだろう。「綴られる愛人」だけが、私は面白く読んだ。主人公の柚は児童小説家。夫は出版社に勤める編集者だが柚のプロデューサーであり、有の創作活動を実質的に支配している。柚はそれに耐えられないが表面的には仲の良い夫婦を装っている。もうひとりの主人公、航大(こうた)は富山県魚津市の大学3年生、恋人はいるが恋愛にも就職活動にも真剣に取り組めない。そんな2人を結びつけたのが「綴り人の会」という文通サークル。柚は28歳の専業主婦、航大は35歳の貿易会社のサラリーマンとして文通を始める。柚は夫に殺意を抱き航大に犯行を依頼する、というようなストーリーなのだが、幸せそうな夫婦の日常に潜む悪意(それは夫にも妻にもある)が巧みに描かれていると思う。

2月某日
川村学園大学の吉武先生から電話。「今夜空いてる?」「社長辞めてから夜はヒマだよ」「学士会館で食事会があってその後フラココに行こうと思うんだけどモリちゃんもどう?9時頃まで大谷さんとでも吞んでいれば」。「うん」と返事をしたけれど、大体9時まで誰と吞もうが俺の勝手じゃないか! とは言え大谷さんに電話すると今、大宮だとか。日暮里駅前の居酒屋「喜酔」で待ち合わせ。私が席に着いて5分もしないで大谷さんが来る。ナマコや刺身の三点盛を肴にビールと日本酒を吞む。大谷さんに「もう社長じゃないから割り勘ね」とお願いする。根津のフラココへ。大谷さんは明日が早いとか言って5000円を置いて帰る。しばらくすると吉武さんが2人連れて来る。なんでも東大のときの先輩かなにかだという。こっちはもう出来上がってしまったよ。勘定は習慣で私が払ってしまった。

モリちゃんの酒中日記 2月その2

2月某日
社長を辞めて出勤時間を遅くしてもらった。社長のときは9時前に出社するようにしていたが、グリーン車を使っていた。費用は会社持ちである。出勤時間を遅くしたら普通車でも座れるようになったので原則、グリーン車は使っていない。通勤時間の使い方だが、朝は日経新聞を読み帰りは単行本を読んでいることが多い。深酒したときは別ですが。さて今日は帰りの電車で読む本がないことに気付いた。家に帰れば読む本はあるのだが、こういう場合は本屋によって文庫本を購入する。厚い本、内容の難しいものは敬遠する。虎ノ門の虎ノ門書房に入り文庫本を物色する。このところ凝っている桜木紫乃の「ワン・モア」(角川文庫 平成27年1月 2011年11月に単行本)を買う。安楽死事件を起こして離島に飛ばされた女医の美和が、高校の同級生でやはり女医の鈴音に懇願されて鈴音の医院に赴任する。鈴音は末期がんの宣告を受けていたのだ。舞台はやはり道東。桜木紫乃の小説は基本的にはウエットだと思う。人情ものと言ってよいのではないか。道東の乾いた風土との調和が何とも言えない魅力になっていると思う。

2月某日
奈良の天理市のNPO法人つむぎを訪ねる仕事があったので京都で阿曽沼さんに会うことにする。阿曽沼さんは元厚生労働次官で、今は京都大学の理事。京都には私が脳出血で船橋リハビリテーション病院に入院していたときの主治医、澤田先生が京都府立医大にいるので一緒に会うことにする。澤田先生は現在、京都府立医大のリハビリテーション学科で教えているので阿曽沼さんは京都府立医大近くの徳寿(のりひさ)という和食の店を予約してくれた。阿曽沼さんと始めていると澤田先生が来る。澤田先生は当直医のバイトがあるとかでノンアルコールビール。元厚生官僚とドクターということもあって共通の話題も多く(私は官僚でもドクターでもないが)、翌日、澤田先生から「楽しい時間をありがとうございました。楽しすぎてトイレに行く時間ももったいないくらいでした」というメールが来ていた。阿曽沼さんにご馳走様でした。

2月某日
京都から近鉄で天理へ。セルフケアネットワークの高本代表と1時30分に改札で待ち合わせ。時間があるので前にテレビで見た「天理スタミナラーメン」を食べに行くことにする。700円の普通盛りを頼む。確かにおいしいが年寄り向きとは言えないね。天理本通りをぶらぶらする。古本屋で半藤一利の「ノモンハンの夏」を160円で購入。定価は590円である。高本さんと合流してNPO法人つむぎへ。つむぎでは「40歳からの介護研修」についていろいろと教えを乞う。この事業所はICTで事務管理部門を徹底して合理化する一方、職員の労働の密度の最適化を図り、コストを圧縮している。感心した。天理から京都へ。高本代表は東京へ帰り、私は「わがやネット」の児玉さんたちと会いに名古屋へ。

2月某日
Apple銀座で介護事業者向け経営支援サービス「カイポケ」についてのトークイベントが開催されるというので健康生きがい財団の大谷常務と聞きに行く。スピーカーはデイサービスを経営している(株)グレートフルの岩崎英治代表取締役、NPO法人Ubdobeの中浜崇之理事とエス・エム・エスの介護事業支援部の藤田和大グループ長、モデレータはフリーアナウンサーサーの町亞聖さん。天理のNPO法人つむぎの話を聞いたばかりだったので非常に面白かった。月末、月初の介護報酬の請求事務が大幅に省力化されたこと、送迎の経路を「カイポケ」でシステム化したことなど参考になった。省力化された時間で職員と職員の家族との食事会を開催したり子ども食堂を始めたりと職員や地域に還元しているのもさすがですね。終わってから大谷さん、東京福祉専門学校の白井副校長、撮影に協力してくれた横溝君、SCNの高本代表、当社の迫田と丸の内北口の「ヴァンドゥヴィ」で食事。

2月某日
立川のNPO法人やわらぎの事務所で「児童虐待防止パンフ」の打合せ。石川代表と絵を描いた成川君、やわらぎの楮さん、フリーの編集者の浜尾さんが集まる。事務所近くの蕎麦屋さんでお昼をご馳走になる。石川代表にトークイベントの話をすると的確な反応が返ってきた。石川さんは介護の事業で業務の標準化の必要性に早くから気付いていた人だ。ロボットにも興味を持っており産総研の委員もやっているそうだ。

モリちゃんの酒中日記 2月その1

2月某日
常磐線の亀有駅前の古本もエロ本も売っている小さな新刊書店で買った、「隅田川の向う側-私の昭和史」(半藤一利 ちくま文庫 2013年5月 単行本は2009年3月創元社)を読む。半藤は1930年、東京生まれ。東大文学部卒業後、文芸春秋社入社、「週刊文春」「文芸春秋」編集長、専務を歴任したエリートなのだが、現在は「歴史探偵」を名乗る作家、エッセイストとして知られる。本書は、半藤が文芸春秋の現役編集者のころ、旧暦の正月に豆本形式で知人に送り届けた年賀状がもとになっている。昭和57(1982)年、58年、59年の3か年で、それぞれが空襲下の東京向島を描く第1章「隅田川の向う側」、旧制長岡中学時代の第2章「わが雪国の春」、高校・大学でのボート部の青春を描く第3章「隅田川の上」となっている。随所に挿入されている著者のスケッチ、版画も楽しい。中味は読んでのお楽しみとしておくが、この本を買ったエロ本も古本も売っている小さな書店も「隅田川の向う側」であり、この本だけでなく地元を撮った写真集や郷土史の本を集めたコーナーがあった。店主の見識であろう。正確にいうと亀有は隅田川のもう一つ先の荒川の向う側であり、江戸川の手前なんだけどね。

2月某日
第一生命の営業ウーマンの本間民子さんが神田駅北口の嘉徳園でご馳走してくれるという。当社の石津さんとたまたま当社に来ていた健康生きがい財団の大谷常務とご馳走になる。火鍋がメインの中華料理の店で大変、美味しかった。しかし大谷さんがスパイスアレルギーであることを忘れていた。彼は辛い物を食べると汗が止めどもなく出てくるのである。「せっかくだから」と大谷さんにもすすめる。汗をかきかき食べていた。

2月某日
田辺聖子の「ジョゼと虎と魚たち」(角川文庫 昭和62年1月初版)を図書館で借りて読む。表題作を含め9作の短編が収められている。何年か前に読んだことがあるが、表題作以外内容はほとんど覚えていない。今回読んでわかったが、この短編集に通底するのは「性愛」である。山武羅紗の事務員、以和子はお茶の習い事で知り合った大庭と恋仲になる。濡れ場の描写が上品でエロティック。「男の手で、宿の浴衣の紐を解かれるときは、以和子はいつも(初めて!)の動悸を感ずる。自分でも何をしているかわからずに、大庭の手首を抑えて、その動きを押しとどめようとしている。それにはかまわず…」という感じである。

2月某日
「政治が危ない」(御厨貴 芹川洋一 日本経済新聞出版社 2016年11月)を図書館で借りて読む。御厨と芹川は東大法学部で同じゼミで鍛えられた仲という。御厨は東大法学部の教授となり現在は青山学院大学の特任教授。芹川は日本経済新聞の記者となり現在は論説主幹。対談集なので「深み」は求むべくもないが、随所に「なーるほどね」と思わせるところはある。第1章から3章の「菅官房長官は、官僚を知り尽くしている」「国をおかしくした鳩菅政権」「中堅は自民党より人材豊富な民進党」「公募候補は高学歴でイケメンだが、挨拶ができない」「憲法9条は日本の国体である」などだが、私が深く同感したのは、第4章の御厨の、政治はベルリンの壁の崩壊以前は、西か東か、親米か親ソかなど、他律的に規定されるものであったが、1990年代に入って宗教や民族などいろいろな問題が世界で生まれてきた。イデオロギー的他律性がなくなったら、訳の分からない自己主張がどんどんおもてにでてくるようになった、という主張である。これからは私の主張でもあるのだが、今求められているのは他律ではなく自律=自立である。そのうえで社会に対して緊張感をもって対峙していくということではなかろうか。まぁ私が実践できているというわけではないですが。

モリちゃんの酒中日記 1月その4

1月某日
10年程前までよく通っていたのが新宿の「ジャックの豆の木」というクラブ。10年ほど前に廃業してマスターの三輪ちゃんは、奥さんの故郷の鹿児島県に引っ越した。携帯メールに上京するという知らせが。神田駅西口の改札で待ち合わせ、「葡萄舎」へ。三輪ちゃんと2人で呑むのは初めてだが、共通の知人が多いので話題は尽きなかった。三輪ちゃんは私より1歳上の昭和22年生まれというのも初めて知った。ということは20代で新宿歌舞伎町のクラブのマスターをやっていたわけだ。

1月某日
図書館で借りた佐藤雅美の物書同心居眠り紋蔵シリーズ「老博打ち」(講談社文庫 2004年7月 単行本は2001年3月)を読む。八丁堀同心の紋蔵には所かまわず居眠りするという持病があり、同心の花形である「定廻り」には配属されず、内勤である「物書同心」を務める。江戸時代の司法制度では裁判官と捜査、検察が町奉行に統合されていたため「物書同心」は警察、検察の取調べの書記と裁判記録の管理を任されていた。紋蔵の記憶力と推理力によって事件は解決していくのだが、私がなぜ佐藤雅美の時代小説に惹かれるか考えてみた。人はしがらみを抱えて生きる。それは江戸時代も現代も同じである。だが現代のしがらみを描くとなるといろいろな差し障りが出てくる。そういうこともあって時代を200年ほどさかのぼったと思うのだが、そこで重要になるのは小説の細部のリアリティである。佐藤雅美の小説はそこが圧倒的に優れていると思う。

1月某日
「モリちゃんの社長退任を祝う会」を霞が関ビルの東海大学校友会館で。100人を超える参加者があった。ほぼ自作自演で私が仕掛けたパーティですが、本当に多くの人に参加してもらってうれしかった。受付をやってくれた石津さんや司会をやってくれた岩佐さんをはじめ協力してくれた社員の皆さん、名簿や領収書を作ってくれた健康生きがいづくり財団の大谷常務やティラーレの佐藤社長、サキソフォンの演奏をやってくれた荻島夫妻、その他多くの人に感謝である。

1月某日
「血盟団事件」(中島岳志 文藝春秋 2013年8月)を図書館で借りて読む。血盟団事件とは1932(昭和7)年に起きた連続テロ事件で、元大蔵大臣の井上準之助と三井財閥の総帥の団琢磨が射殺されている。事件の起きる前の昭和初期は、デフレによる不況が長引き、農業も全般的に振るわず、社会不安が高まっていた。そこに登場したのが法華経に依拠する井上日召が率いる思想集団であった。「世の中をかえる」ために「一人一殺」のテロリズムを実践する。著者の中島は「あとがき」で「私は、血盟団事件を追いかけながら、どうしても現在社会のことを思わざるを得なかった。格差社会が拡大し、人々が承認不安に苛まれる中、政治不信が拡大し…‥1920年代以降の日本とあまりにも状況が似ている」と書いている。同感である。IS(イスラム国)に魅かれる若者にも血盟団に魅かれる若者にも、同じような心情が潜んでいるのではと思うのだが。

1月某日
帰りの電車を亀有で途中下車。駅前に本屋があったので寄る。古本もエロ本も売っている下町の小さな本屋さん。こういう本屋さん好きだなぁ。エロ本を買おうと思ったけどまだ日が高いので止めておいた。文庫本を1冊買って居酒屋「白虎隊」に入る。日本酒をちびちび飲んでいると携帯に電話。荻島さんの奥さんの道子さんからで「いろいろありがとう」と礼を言われる。良太君にサックスの演奏をお願いしたことを言っているようだがとんでもないこと。参加者にとても喜んでもらえたし、私は道子さんからお礼を言われてとてもうれしかった。

モリちゃんの酒中日記 1月その3

1月某日
その石川さんと進めている「児童虐待防止パンフレット」のラフデザインが上がってきたので立川のケアセンターやわらぎへ。横溝君がだんだんダンスの打ち合わせで来ているが、それはそれで進めてもらって、石川さんとフリーの編集者の浜尾さんと私はパンフレットの打ち合わせ。打ち合わせを終わって私と石川さんが事務所近くの「すえひろ」へ。「すえひろ」が満席になるというので、石川さんがよく使うといううなぎ屋へ行く。ここはうなぎ屋というと高級なイメージだが、実質はうなぎをメインとする居酒屋。実際、ここでいただいたうなぎは絶品であった。私のふるさと北海道ではうなぎを食べたことはない。ヤツメウナギは川でとったことはあるが、うなぎとヤツメウナギは生物学的には全然関係ない。大学入学で上京してからもうなぎとは縁がない。唯一縁があったのが大学の同級生がデモでパクられ、荻窪の彼の家で両親に状況を説明したとき、昼飯にうなぎをとってくれた。何を言いたいかというと、あまりうなぎとは縁のない私でもおいしいと感じたということ。とくに柔らかさね。

1月某日
図書館で借りた「蛇行する月」(桜木紫乃 双葉社 2013年10月)を読む。初出は双葉社の「小説推理」2012年から1年間、断続的に発表されている。釧路にある架空の高校、道立湿原高校の図書部の仲間たちの恋愛、結婚、仕事を描く。桜木が描くのは普通の庶民である。普通の庶民が普通ではない恋をする。普通ってなんなんだろう。おそらくそれは一つの抽象的な概念に過ぎないのではないか?具体的な一人ひとりの人生はそれぞれ個別的であるに決まっているわけだし。

1月某日
年金住宅福祉協会の森理事とHCMの大橋社長とHCM近くの沖縄料理屋「城」(ぐすく)で新年会。パパイヤのサラダや海ブドウなどヘルシーな沖縄料理を堪能。

1月某日
社会保険俱楽部霞が関支部の新年賀詞交歓会。幸田支部長、社福協の近藤理事長、元参議院議員の阿部さんなどに挨拶。阿部さんは社会連帯としての社会保険制度について熱く語る。まったく同感。
神楽坂の「馳走紺屋」でSCNの高本代表理事、市川理事、看護師で等々力共愛ホームの施設長をやっている笹川さんと会食。「馳走紺屋」は古民家を移築した風情。私たちの席のすぐ傍らで三味線を弾いてくれる。料理だけでなく雰囲気も楽しもうということだと思う。

1月某日
HCMで「シミュレータ」の打ち合わせ。開発者の土方さん、HCMの大橋社長、当社の迫田が参加。終わって一昨日行った「城」(ぐすく)へ。前回食べなかった豚足や「ミミガー」(豚の耳)を食べる。おいしかった。土方さんにご馳走になる。