モリちゃんの酒中日記 1月その2

1月某日
社会福祉法人にんじんの会の事務長の伊藤さんとは伊藤さんが展示場運営会社のナショナル開発に勤めていたころからだから40年近い付き合い。私が社長を辞めたというので御飯をご馳走してくれることに。中国本場の餃子料理を当時のナショナル開発の同僚だった香川さんとご馳走になる。香川さんはナショナル開発を辞めてからフリーライターに。リクルートの仕事を一緒にやった。伊藤さんはナショナル開発を辞めてから旅行会社に勤めたりしたが、最後はJR東日本系の損保代理店の実質的な経営者をやっていた。

1月某日
半藤一利と加藤陽子の対談「昭和史裁判」(文春文庫 2014年2月 単行本は2011年7月)を読む。半藤は元文芸春秋社の編集者で「昭和史」など著作多数。加藤は東大教授、近代日本政治史を専攻。戦前、戦中の日本のリーダー5人を縦横に論じている。豊富な資料に立脚しつつ埋もれたエピソードを紹介するという手法が成功している。戦中の内大臣、木戸幸一は「自称『野武士』、ゴルフはハンディ『10』」という具合。木戸以外に取り上げられたのは広田弘毅、近衛文麿、松岡洋右、昭和天皇。加藤は「あとがき」で「歴史を動かした政治的人間であった当事者が、どのようなことを考え、どのような気持ちでそのような行動をとったのかという、その当事者の側に立った主観的な情報を綺麗に取り出す作業ではないか」と歴史学を位置づけ、「政治的な人間たちが誤った、その主観的な失敗の情報こそが、実のところ将来起こりうる問題に立ち向かわせるためのワクチンとなりうる」。失敗の情報こそがワクチンとなるというのはよくわかります。

1月某日
図書館で借りた「そして、人生はつづく」(川本三郎 平凡社 2013年1月)を読む。雑誌「東京人」2010年7月号から2012年11月号まで連載した「東京つれづれ日記」を中心に編集されている。川本は1944年生まれだから66歳から68歳まで、ちょうど私の年代である。だからというわけでもないが非常に共感のできるエッセーであった。連載中に発生した東日本大震災への想いにも深くうなずく。温泉好きの川本が推す温泉を訪ねてみたい。そういえば丸谷才一を追悼する「徹底した雅の人」で丸谷の流れを継ぐ作家として池澤夏樹、村上春樹と並べて辻原登をあげていた。

1月某日
キャンナスの菅原由美代表が私の社長退任パーティに出席できないということで、ご馳走してもらうことに。イイノホールで開催される虎の門フォーラムの新春座談会に行くというのでその後、東京駅近くのヴァン・ドゥ・ヴィを予約。SCNの高本代表と待っていると菅原さんが2人連れで来る。山梨県の社会保険病院で看護部長をしていたが、訪問看護をやりたいということでキャンナスに来ることになったらしい。菅原さんたちはノンアルコールビール、私と高本さんはグラスワイン。菅原さんの魅力って何だろう?私が思うに人を分け隔てしない度量の広さではないだろうか。被災者も普通の市民も偉いドクターや官僚も、菅原さんにとっては同じ人間なんだ。それプラス類稀な実行力だね。

1月某日
虎の門フォーラム(医療介護福祉政策研究フォーラム)の中村理事長が今まで書いてきた社会保障に関するエッセーを本にまとめたいというのでお手伝いした。麹町のフランス料理店でご馳走になることに。私と実質的に編集をやってくれたフリーの阿部さん、帯の文章を書いてくれた石川さん、それの当社の迫田に声をかけてくれたのだが残念ながら迫田には出張が入ってしまった。麹町のライオンズマンションにあるそのお店は確かにおいしかった。4人は中村さんが元厚生官僚、石川さんが社会福祉法人の理事長、私が元出版社の社長、阿部さんがフリーの編集者とそれぞれ立場は違うが、それだからかとても楽しい食事会になった。

モリちゃんの酒中日記 1月その1

1月某日
内田樹と中田考(イスラム学者)の対談集「一神教と国家-イスラーム、キリスト教、ユダヤ教」(集英社新書 2014年2月)を読む。イスラム教については新聞、テレビで報道されている以上の知識はないので新鮮に読んだ。近代世界はヨーロッパを中心とした国民国家(領域国家)の成立をとともに始まるが、イスラムにはもともと国家や領域の観念が薄い。それは砂漠で生まれ砂漠で育ったイスラム教の基盤が遊牧民だからだ。内田は遊牧民「柵を作らない人」、定住民「柵を作る人」という比喩を使っていたが言いえて妙だと思う。中田は領域国家に分断されたイスラム世界をカリフ制の再興により再統合することを目指している。たぶんIS(イスラム国)もイスラム世界を暴力的に再統合しようとしているようにみえる。中田は宗教的に平和的な再統合を理念として唱えているのだと思う。

1月某日
「ラブレス」(桜木紫乃 新潮文庫 2013年12月 単行本は2011年8月)を読む。北海道の開拓村で極貧の家に育った百合江と里美の姉妹。百合江は旅芸人の一座に飛び込み、座付きの歌手となり、里美は理容師の道を歩む。文庫本のカバーには「流転する百合江と堅実な妹の60年に及ぶ絆を軸にして、姉妹の母や娘たちを含む女三世代の壮絶な人生を描いた圧倒的長編小説」とある。非常に起伏にとんだストーリーを破綻なくまとめる作家的な力量はさすがというべきだが、私は桜木の経歴に興味を持った。実家は理容室で釧路東高卒業後、裁判所にタイピストとして勤める。結婚して退職、専業主婦となり、2人目の子供を出産後、小説を書き始める。私は北海道という風土の独特さを思わずにはいられない。桜木も祖父か曾祖父の時代に本州から北海道に移住したと思われる。故郷で十分に暮らせたのならば移住の必要はない。貧困やしがらみからの脱出を試み、道民の祖先は移住したのではないか。日本人のなかで「遊牧民」的な気性を最も色濃く持っているのが北海道人だと思う。

1月某日
正月休み。図書館も休みである。我孫子駅前の東武ブックストアも休み。柏まで足を延ばし駅前商店街の新星堂へ。新潮文庫の「夕ごはんたべた?」(新装版)(田辺聖子 1979年3月 単行本は1975年9月)を買う。私の記憶では朝日新聞の夕刊に連載されていたのではないかと思うが、私は当時、田辺聖子には何の興味もなかったので読むこともなかった。主人公は尼崎の下町で皮膚科を開業する吉水三太郎と妻の玉子。子供は大学生の長女と学園紛争に積極的に参加する長男と次男。息子たちは成田や羽田の闘争にも遠征、逮捕され、次男は高校退学を余儀なくされる。実際の田辺の息子2人、といっても田辺が後妻に入った「カモかのおっちゃん」こと川野医師の連れ子なのだが、も高校生のとき学園紛争に参加している。そんな田辺のエッセーを読んだ記憶がある。当時身内にゲバ学生(今や死語だが、ゲバルトに積極的に参加した活動家のことをなかば揶揄してこう呼んだ)を抱えた家族の苦悩が、ユーモラスに綴られている。
客観的にはそういうことなのだが、私は当時ゲバ学生の当事者だったから今さらながら「心配かけたんだろうなぁ」と感慨一入だった。私の両親だけではない。私の奥さんは一人娘だったから、ゲバ学生のところに嫁にやる(結婚前に私は運動から足を洗っていたとはいえ)奥さんの両親の気持ちは如何ばかりであったろうか。それはさておき田辺は自らの気持ちを三太郎に仮託させて次のように書いている。「赤軍派一派のごとき、無謀で独善的な過激理論を是認できない。しかし彼らが一途に煮えたぎってついに煮えこぼれ、自滅してしまった哀れさに、三太郎は人の子の親として涙せずにいられない」。長谷部日出雄は解説で「本当の愛とやさしさとは、おそらく、この世で最も苦しく、悲しく、無残な運命に置かれた人たちにちかい立場に、わが身をおくことなのだ」と書いている。長谷部の言う「この世で最も苦しく、悲しく、無残な運命に置かれた人」とは連合赤軍の永田洋子であり森恒夫であると同時に彼らに総括という名の下で殺された「同志」たちであるだろう。こうした田辺の視線は貴重である。

1月某日
図書館で借りた「激しき雪―最後の国士、野村秋介」(山本重樹 幻冬舎 2016年9月)を読む。野村秋介といっても今の若い人は知らないだろうな。タイトルの「激しき雪」は野村の俳句「俺に是非を問うな激しき雪が好き」からとったもの。野村は今から20年以上前の平成5年10月20日、朝日新聞本社の役員応接室で同社の報道姿勢(具体的には前年の参議院選挙で野村が代表を務めた「風の会」を週刊朝日の山藤章二のブラックアングルで「虱の会」と揶揄したこと)に抗議して、拳銃自殺した。その野村のドキュメンタリーである。もとはと言えば横浜の愚連隊だったが、並外れた度胸で頭角をあらわし、服役中に知り合った右翼の縁で戦前の右翼、三上卓の知遇を得る。俳句、短歌も詠み、仏教にも造詣が深い。何より河野一郎廷の焼き討ち事件、経団連襲撃事件で合わせて18年の獄中生活を送っている。彼のような「激しさ」はとてつもない「優しさ」と並列していたのではないかということがうかがい知れる。こういう人ってこの頃いなくなったなぁとつくづく実感する。表紙の雪を踏みしめている野村秋介のスナップ(宮嶋茂樹撮影)がいい。

1月某日
「籠の鸚鵡」(辻原登 新潮社 2016年9月)を読む。バブル時の和歌山市を舞台にした人間の欲望と暴力をテーマにした小説。和歌山市内でバーBergmanのママ、カヨ子、そこに通う和歌市近郊の下津町の出納室長梶、カヨ子の情夫でヤクザの峯尾、カヨ子の元夫紙谷が主な登場人物。峯尾はカヨ子に梶を誘惑させ、下津町の公金を横領させる。峯尾は対立するヤクザの幹部を射殺、タイへの逃亡資金3000万円を梶に要求する。梶は峯尾の殺害し、自分は自殺することを決意する。紙谷は梶に嶺尾を殺害させ、梶が自殺した後に3000万円を横取りすることを計画、カヨ子の協力を得て、梶による峯尾の殺害には成功する。粗筋はまぁそういうことなのだけれど、和歌山ってちょいと不思議な地域である。中上健次に確か「紀州根の国」という著作があると思うが、地理的には京都、大阪、奈良に近いにも関わらず、「異郷」の雰囲気があるのだ。カヨ子は梶を自殺させることはせず梶とともに自首することを選ぶ。ボートで睡眠薬から覚めた梶は「何や、ここがフダラクか…」と恍惚の表情を浮かべ「ナンマイダ、ナンマイダ」と手を合わせるところで物語は終わる。フダラクは補陀落のことで、和歌山の海上の南に補陀落があるという補陀落信仰を下敷きにしている。カヨ子が伊東静雄の詩を愛唱し梶が吉本隆明の全著作集1定本詩集の「とほくまでゆくんだ」を愛読している。カヨ子が梶に好意を寄せ始めるきっかけとなったのである。

顧問の酒中日記 12月その4

12月某日
根津のスナック「ふらここ」の忘年会。御徒町の中華料理屋「大興」に集合。ママに常連客の大ちゃん、宮ちゃん、みかちゃん、吉武さん、それに私が集まる。宮ちゃんは文部科学省の役人だが上野の科学博物館の勤務が長く、それで根津の「ふらここ」の常連となったようだ。今は佐倉の歴史博物館に勤めている。大ちゃんは確か高松商業の野球部で立命館大に進学、衣料品をデパートに卸す仕事をしていた。2次会は「ふらここ」で。根津で美容院を経営しているカバちゃんが日本酒を持ってやってくる。カバちゃんはパリで美容師の修業をしたという本格派だ。

12月某日
図書館で借りた「戦争まで-歴史を決めた交渉と日本の失敗」(加藤陽子 朝日出版社 2016年8月)を読む。加藤は東大文学部教授。同じ出版社から高校生に太平洋戦争に至る昭和史を講義した「それでも、日本は「戦争」を選んだ」(2010年)を出版している。今回は池袋のジュンク堂書店の提案で、中高生を相手に行った連続講義の記録だ。1章が「ものさし」としての歴史について、2章が「リットン報告書」、3章が「日独伊3国軍事同盟」、4章が「日米交渉」、そして終章という構成になっているのだけれど、私にはとても新鮮に感じられた。普通の歴史の本って起こったことをたんたんと叙述する。まぁたんたんと叙述する以外に歴史の方法はない、講談じゃないのだから。でもこの本では加藤は、中高生に資料を読ませ、その意味を問い考えさせる。歴史とは叙述されたひとつの事実の背景に無数と言ってもよい事実が積み重なっている。それは陸海軍それぞれの内部事情であったり、国民感情であったり、生産力であったりする。つまり加藤にかかると歴史は事実の断片をつなぎ合わせただけでなく、もっと重層的で複雑な積み木細工の様相を呈してくるのだ。加藤陽子、恐るべし!

12月某日
待ち合わせの時間に少し余裕があったものだから駅近くのブックオフに寄る。文庫本の棚を見渡すと鷺沢萠の文庫本が3~4冊並んでいた。鷺沢萠の小説は私が40代から50代のころよく読んだ記憶がある。硬質な文体とそれに潜むある「切実さ」のようなものに惹かれたのだろうと思う。新潮文庫の「失恋」(定価400円が260円!)を買って読む。題名からして恋愛もの。今の私には縁遠いがそれでもそれなりに面白くは読めた。鷺沢は2004年、今から12年前に目黒区の自宅で自殺している。35歳だった。鷺沢萠という今は半ば忘れ去られた作家について少し触れておきたい。ウィキペディアによると彼女は上智大学外国語学部ロシア語学科中退、1987年に「川べりの道」で第64回文学界新人賞を受賞、1990年代には矢継ぎ早に作品を発表している。後に父方の祖母が韓国人であることを知り、これを契機に韓国に留学する。ヘヴィースモーカーで麻雀好きだったらしい。もともと繊細だった精神が自身のルーツの一つに「韓国」という存在があることを知り、さらに磨かれたのではないかとさえ思う。早すぎる死をいたましく感じる。

12月某日
「物語の向こうに時代が見える」(川本三郎 春秋社 2016年10月)を読む。作家論、作品論なのだが、私が未読の本も非常に魅力的に論じているし、私が好きな柳美里や桜木紫乃の作品についても的確に批評している。川本は麻布高校から東大法学部、朝日新聞社というエリートコースを歩むが、赤衛軍を名乗る日大生の朝霞自衛官殺害事件にからんで逮捕起訴され、朝日新聞社を懲戒解雇された。こうした過去が川本の評論活動に独特の陰影を与えたと言っていいのではないか。
「顧問の酒中日記」はこれで最終。新年からは「モリちゃんの酒中日記」(仮)とでもして、会社のホームページとは別に公開するつもりです。よろしくお願いします。

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顧問の酒中日記 12月その3

12月某日
「人口と日本経済」(吉川洋 中公新書 2016年8月)を読む。少子高齢化が進むなか、支えられる層(私たち65歳以上の高齢者)の人口増大と支える層(生産年齢人口)の減少が日本社会の将来に大きな影響を与えると言われている。吉川の論は、人口減少は重大な問題だが、わが国は「人口減少ペシミズム」が行き過ぎているというもの。先進国の経済成長を決めるのは、人口ではなくイノベーションであると技術開発の重要性を強調する。私は吉川の論に基本的に賛成の立場である。介護業界の人材不足が言われて久しいが、管理部門のIT化、直接部門でのロボットをはじめとした機器の導入によるイノベーションにより人材不足への対応と「介護の質」をあげることは可能と考えている。産業革命や農業革命によって工業と農業の生産性は向上し、人口は飛躍的に増大した。しかし先進国の人口はアメリカを除き縮小している。私たちは子育て支援政策によって「子どもを産み育てる環境」を整えると同時にイノベーションに果敢に挑む社会を作っていかなければならないと思う。

12月某日
リクルートの週刊住宅情報の元編集長、大久保恭子さんが「モリちゃんの社長退任を祝う会」に出られないからと一席設けてくれる。場所は銀座の「玉亭」。玉亭の女将はこれも元リクルートで月刊ハウジング情報の編集長だった渡辺尚子さん。私が年友企画に入社したのはプレハブ新聞社に在籍していた30年以上前、年友企画を通して週刊住宅情報にアルバイト原稿を書いていたことに始まる。当時、年住協の企画課長だった小峰さんの紹介だ。年友企画に入社したら主に戸建ての注文住宅を対象にしたハウジング情報が創刊され、その創刊準備号から手伝った。渡辺さんにはその頃からお世話になった。「玉亭」に着くと大久保さんはすでに来ていた。「玉亭」は店をオープンして20年になるそうで渡辺さんは還暦を迎えたそうだ。ということは渡辺さんは30そこそこでハウジング情報の編集長をしていたことになる。
日本住宅建築センターの社本顧問、国交省の伊藤明子審議官も顔を出してくれる。社本さんは私がプレハブ新聞の記者をしていたころ、当時の建設省住宅局民間住宅課の補佐で住宅金融公庫の担当だった。当時は今と違って金利が高く低金利の公的住宅融資が住宅建設に欠かせなかった。プレハブ新聞としても社本さんは重要な取材源だった。社本さんは住宅生産課庁を最後に退官、パナソニックで専務を務めた後、日本住宅センターの社長を務めた。伊藤さんとは私が年友企画に移り、住文化協議会の活動に参加してから。伊藤さんは住宅生産課の係長だった。雑誌で「高齢者と住まい」というテーマで座談会を企画し、当時のシルバーサービス対策室長の阿曽沼さんに出席をお願いしたら例の調子で「女性が出るなら出てもいい」という。伊藤さんは「向こうが室長ならこっちもそうしないと」と渋ったが無理にお願いして座談会は実現した。ふーん、なんかお世話になりっぱなしだなー、私の人生って。

12月某日
読まないでいた「思想としての全共闘世代」(小阪修平 ちくま新書 2006年8月)を読む。ウィキペディアによると、小阪はこの本が出版されて1年後、急性心不全で亡くなっている。小阪は66年に福岡修猷館高校を卒業、現役で東大に入学した。私より年齢で1歳、大学の学年では2年違う。しかし東大全共闘が医学部闘争を契機として結成されたのが、私が早大に入学した1968年であり、全共闘体験の中身は別としてスタイルとしてはほぼ重なる。自分自身のことをいうと、私は小阪のように「思想として」全共闘の体験を深化させることはなかったが行動様式は全共闘体験を色濃く引きずっているように思う。それは何かといわれると明確に言葉にできないのだが、一つは「逃げない」こと。これは最終的には逃げてしまうにせよ、ギリギリ現場に踏みとどまろうとすることと言ってもよいかもしれない。二つ目は「結果より過程」。「成功するか失敗するか」というもちろん結果は重要なのだが、過程がそれなりに充実していれば、もっというと楽しければそれでいいとしてしまう。これはまぁ私の全共闘体験なので異論は多いと思うが。小阪の本は真面目に全共闘世代の思想に迫っていると思う。

顧問の酒中日記 12月その2

12月某日
16時から西国分寺の「にんじんホーム」で児童虐待パンフの打合せがある。その前に花小金井の有料老人ホームに入居している荻島道子さんを訪問。荻島さんの部屋へ行ったら、九段高校の同級生というひとが来ていた。ということは亡くなった荻島国男さんとも同級生ということでひとしきり荻島さんの思い出話をした。たまたま結核予防会の竹下さんの名前が出たら、結核予防会の会長をしていた青木さんという人は随筆家の幸田文(幸田露伴の孫娘)の娘の青木玉(この人も随筆家)の夫ということだった。ふーん、世間は狭いというか生きているといろいろな出会いがあるものだと感じた。荻島さんと別れて近くの白梅学院大学の山路先生(元毎日新聞の記者)に社長退任の挨拶。西国分寺駅でフリーの編集者の浜尾さんと落ち合って「にんじんホーム」へ。石川理事長に担当の楮本(かずもと)さんを紹介される。珍しい苗字で出身は秩父ということだった。楮(こうぞ)はクワ科の植物で和紙の原料として知られる。先祖は秩父で和紙を作っていたのだろうか。打合せを終わって石川さんに西国分寺駅前の「味の山家」でご馳走になる。

12月某日
東大の高齢社会総合研究機構の辻哲夫さん(元厚労次官)に退任の挨拶をしに行く。辻さんは「社長退任を祝う会」にも「先約が入っているので遅れるけど出ます」と言ってくれた。それから根津の青海社の工藤社長にも退任の挨拶。工藤さんと最初に会ったのは我孫子の「愛花」だ。「愛花」のママが「こちらも出版社の社長さん」と紹介されたのだ。工藤さんは糖尿病と診断され、最近あまり吞んでいないようだ。その代り毎日、西日暮里から根津の会社まで歩いているそうだ。一病息災とはよく言ったものである。青海社から茗荷谷の「健康生きがい開発財団」へ。この財団は辻さんが理事長で実務は常務の大谷さんが仕切っている。大谷さんと会社へ戻る。大谷さんと「千両箱」へ。鰺の叩きを頼んだら骨をから揚げにしてくれてこれが旨かった。日本酒をひとり3合ほどいただく。

12月某日
図書館にリクエストしていた「株式会社の終焉」(水野和夫 2016年9月 ディスカヴァリー21)を借りる。人気があるらしく裏表紙に「この本は次の人が予約してまっています。読み終わったらなるべく早くお返しください」と書かれた紙が貼られていた。新書版230ページの本だが、経済学に門外漢の私としては小説を読むようなわけにはいかず、結局、1週間かけて読了した。水野の本は何冊か読んだが歴史的、俯瞰的に日本経済の現状を分析するという視点が気に入っている。理論経済学というか高等数学を駆使した現代経済学は信用できないというのは、私の根拠のない決めつけだが、経済史や経済学史は「歴史」ということから一応信用できると思っている。私が水野の理論を十全に理解したとは言い難い。だが経済が成長し、人口も増大していくという私たちの常識はたかだか19世紀の産業革命以降に当てはまるに過ぎないし、黒田日銀総裁の物価2%上昇の公約の実現も困難となった今、人口も減少し始めた日本では「成長理論」に代わる理論とシステムが求められているということであろう。もちろんそれはアベノミクスではありえない。

12月某日
「居酒屋の戦後史」(橋本健二 2015年2月 祥伝社)を読む。居酒屋を通して戦後の日本社会を描くというのは面白い視点だ。しかし橋本の本質は少し違う気がする。彼の専門は階級・階層論で、その視点から日本の酒を受容してきた文化を論じているのだ。経済的格差の拡大によって日本の酒文化は衰退の危機に瀕している、酒好きならば格差拡大に抗して政治闘争に挑めとアジっている。異議なーし!

12月某日
奈良県の天理市で「地域で安心して暮らせるためのプラットフォームづくり」を目指して異業種交流を行っているNPO法人「つむぎ」の勉強会にセルフケアネットワークの高本代表と参加。京都まで新幹線、京都から近鉄で天理市へ。先週、みのもんたの司会するテレビ番組で「天理スタミナラーメン」のことを放送していたので、昼飯にそれを食べようと高本代表に提案したのだが、「お昼からニンニクたっぷりはダメ!」とあえなく却下、「笑家(えみや)」というレストランに入り、「生姜焼き定食」を頼む。これが正解で食後のコーヒーを含めて実に美味しかった。タクシーで「つむぎ」に迎い、中川代表と山本専務に挨拶。ワークショップに参加させてもらう。ハウスクリーニングをやっている「TRUST CLEAN」の井上さんが面白かった。近鉄で京都へ。京都から新幹線で私は名古屋で下車。「わが家ネット」の児玉さんが迎えに来てくれる。そのまま新幹線口の「YONEZAWAYA」へ。以前、「わが家ネット」の勉強会で会った加藤さんとハウジングアイチの鬼頭さんが来てくれた。シミュレータの販売について打合せ。

顧問の酒中日記 12月その1

12月某日
川村女子学園大学教授の吉武さんから「福岡の羽田野弁護士と8時過ぎに根津の「ふらここ」に行くから」と電話。羽田野弁護士は吉武さんとは福岡修猷館高校の同級生。滋賀県大津市で毎年開催される「アメニティフォーラム」で吉武さんに紹介された。「福岡に出張のときは連絡ください」と言われたので健康生きがい財団の大谷常務と福岡に出張したとき遠慮なく事務所を訪ねたら、歓待されてしまった。羽田野さんは九大法学部出身だが、九大柔道部のOBとしても活躍している。というわけで8時までの時間つぶしに大谷さんと神田の「福一」で吞む。大谷さんと「ふらここ」へ行ってしばらくすると吉武さんと羽田野さんが来る。福岡へ行ったとき羽田野さんの行きつけのバーで「切り絵」の腕前を披露されたけど、今回もその場で「切り絵」を切ってくれ、博多土産のお菓子までもらってしまった。

12月某日
「フォーティ 翼ふたたび」(石田衣良 講談社 2006年2月)を読む。自宅の本棚に読まずに積まれていたものをたまたま手に取って読むことにする。主人公の吉松喜一は大手広告代理店に17年勤めた後、脱サラ、40歳にしてフリーの広告プロデューサーになる。弱所代理店のモリタニADの片隅に机を置かせてもらっているのだが、以前の大手広告代理店に在籍したころに比べれば仕事は激減、冴えない日常を送っている。その日常がAV女優からメールによる仕事の依頼から変わり始める。創業した会社を追われたAV女優の恋人は、創業者利得で巨万の富を得たものの、毎晩六本木のクラブをはしごするなど荒んだ日々を送っている。AV女優は恋人を心配し何とかならないか、と吉松に依頼する。吉松の真摯な対応により恋人は再生を果たす。これは吉松が関わった再生の物語であり、再生に関わることにより吉松自身が再生されていく。そんな物語が7編ほど収められている。私も社長を辞めて「さぁ何をやろうか」と思案する日々である。社長のときと同じことをやってもしょうがないし、むしろやってはいけないだろう。私なりの「第2の人生」をデザインしようと思っている。

12月某日
柳美里の「JR上野駅公園口」(河出書房新社 2014年3月)を図書館で借りて読む。JR上野駅は私が日常、通勤で利用している駅だし、公園口は東京博物館や西洋美術館、動物園に行く際、たびたび利用している。タイトルに惹かれて借りたのだが、中身は哀切極まりないものだった。1933年、今の天皇と同じ日に福島県相馬郡で「私」は生まれる。自作農とは言え、所有する田圃はわずか。国民学校を卒業するとともに小名浜へ出稼ぎに。それから「私」はひたすら出稼ぎで高度経済成長を支える。しかし長男がレントゲン技師の国家資格に受かったとたんに下宿先で突然死する。60歳になりやっと妻と2人だけの暮らしを楽しもうとしたら妻は急死してしまう。動物病院の看護師をしている孫娘が同居し面倒を見てくれるのだが、「私」はある日、「突然いなくなって、すみません」の置手紙を残して家出する。それから「私」は上野公園でホームレスとして過ごすことになる。ここには希望は描かれない。東日本大震災の津波で孫娘は流され、ラストは「私」が上野駅で鉄道自殺することが暗示される。希望を与えられることのない人生。それを描くのもまた文学であると思う。

12月某日
カイポケマガジンの取材で西東京市のNPO法人サポートハウス年輪の安岡厚子理事長を訪問。安岡理事長に会う前に田無病院の高岡さんに社長退任の挨拶に行こうと思っていたら当社の迫田が「どうせなら取材させてもらいましょうよ」。高岡さんは西東京市の在宅療養連携支援センターのセンター長になっていたのでセンターのある西東京市保谷庁舎へ。高岡さんの取材を終わって「年輪」へ。介護保険外のサービスの位置づけは「外」であるが故に介護保険の本質を巡る話になってくると思う。夜は酒井英幸さんが叙勲されたということなのでささやかなお祝いを富国倶楽部で。社会保険旬報の谷野編集長と酒井さんが富国倶楽部の前で待っていてくれた。この2人に私、当社の岩佐や村井などと10年以上前によく山歩きをしたものだ。酒井さんは変わらずお元気だった。

12月某日
日経OBの尾崎雄さんが「2025年、高齢者が難民になる日 ケア・コンパクトシティという選択」(日経プレミアシリーズ 2016年9月)送ってくれたので早速読む。地域包括ケアシステムとコンパクトシティを合体させたケア・コンパクトシティはこれからのまちづくり、コミュニュティづくりに欠かせない概念だと思う。私の住む我孫子市も人口10万人(未確認)程度だがJRの成田線沿いに合併により広がっていった。高度経済成長期と人口の増大期にはそれでよかったかもしれないが、これからは自ずとケア・コンパクトシティづくりを進めざるを得ないと思う。

社長の酒中日記 11月その5

11月某日
愛知県の(一社)わがやネット(児玉道子代表)の水曜塾で「胃ろう・吸引シミュレータ」の話をさせてくれるというので「勤労感謝の日」だけれど名古屋へ。会場には工務店の経営者、リフォーム業者、訪問看護ステーションの理学療法士など10数人が集まる。シミュレータの実演はいつも介護士や看護師が対象なのだが、今回はちょっと違う雰囲気。でも皆さん発信力の強そうな人なのでアナウンス効果としてはかなり期待できそうだ。何人かと名刺交換をしたが、そのうちの一人が上京した児玉さんと一緒に神田で吞んだ(株)ノダ建材事業部の長田さん。日本福祉大学の大学院にも在籍しているそうで、たまたまこの日、中村秀一さんの講義があったという。世間は広いようで狭い。

11月某日
大学の同級生の雨宮弁護士の事務所へ社長退任の挨拶。5時を過ぎたので雨宮君に「今日予定入ってるの?」と聞くと「空いてるよ」というのでそのまま飲みに行く。弁護士事務所の近くの日本酒をたくさん置いている店に連れて行ってくれる。「雪の茅舎」など日本酒をぬる燗で。「日本酒はやっぱりぬる燗」で雨宮君と一致。雨宮君にすっかりご馳走になる。

11月某日
年友企画の株主総会で代表取締役社長を退任。社長に就任して2、3年は調子が良かったのだが、その後、社会保険庁は解体されるし年金住宅融資は廃止されるしで舞台は暗転、本当に苦しい時代が続いた。その私を支えてくれたのはやはり社員だ。社員の支えがあったからここまでやれたとつくづく実感する。社長を退任してもシミュレータの販売、「地方から考える社会保障フォーラム」、セルフケアネットワーク、雑誌の「へるぱ!」、SMSのカイポケマガジンなどの手伝いはするつもり。
株主総会の日、つまり私の社長退任の日はたまたま私の誕生日、11月25日だ。SMSの長久保君と神田明神下の「章太亭」で吞んでいたら、店の若女将が「あちらの方も今日が誕生日ですよ」と教えてくれる。私より5歳ほど年長で文芸春秋社の社長をやった池島信平の甥っ子だそうだ。11月25日は1970年のその日、作家の三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊総監部で総監を監禁、隊員に決起を促すが聞き入れられず、楯の会会員の森田必勝とともに自決した日でもある。そんなことを話しながら社員から退任記念にもらった高級ウイスキーを長久保君と吞んでいたらすっかり悪酔いしてしまった。

11月某日
図書館で借りた「日本はなぜ開戦に踏み切ったか―「両論併記」と「非決定」」(森山優 新潮選書 2012年6月)を読む。著者は1962年生まれ、現在は静岡県立大学の准教授。1941年12月8日、日本海軍はハワイ真珠湾のアメリカ太平洋艦隊に奇襲攻撃を敢行した。1945年の8月、日本の敗戦によって終結した3年半以上にわたって続いた対米英蘭戦争の始まりである。本書は日本が開戦に踏み切るに至る政治過程を各種資料から丁寧に追跡、明らかにしている。そこで明らかになるのは本書の副題にあるように、当時のリーダーたちの政治的意思決定場面における「両論併記」と「非決定」の実態である。政治的リーダーシップが欠如するなかで「両論併記」と「非決定」を繰り返したうえ、陸軍の主導する開戦論がなし崩し的に国策とされる。「非決定」は今も「決められない政治」として日本の伝統のようになっている感がある。しかし開戦に至るまで「非決定」が続いていれば開戦には至らなかったはずである。陸軍の開戦論を阻止できなかった政府首脳、重臣、そして天皇の責任は重いと言わざるを得ない。

11月某日
「7月24日通り」(吉田修一 新潮社 2004年12月)を図書館で借りて読む。地方都市のOLである「私」は自分の住んでいる町をポルトガルのリスボンになぞらえる。いつもバスに乗る「丸山神社前」は「ジェロニモ修道院前」だし「岸壁沿いの県道」は「7月24日通り」だ。このアイディアは冴えていると思う。地方都市の若いOLの抱える「閉塞感」とそこから脱出を願う「希望」がよく表れている。

11月某日
「星々たち」(桜木紫乃 実業の日本社文庫 2016年5月)を我孫子駅前の本屋で買う。帯に「松田哲夫氏激賞」とあったのでつい買ってしまう。松田哲夫は筑摩書房の編集者。呉智英とも友人で私の1年年長。桜木は北海道を舞台とする小説が多いようだがこの小説も北海道の母、娘、孫娘の三代にわたる性愛にまつわる物語。母は呑み屋の女将を続けながら流浪の男と同棲、困窮のうちに死ぬ。娘は交通事故で片足を失う。こう書くと悲惨な小説のように思われるかもしれないが、三代の女性のひたむきさが伝わり、孫娘の幸せな結婚を暗示するラストも悪くない。

11月某日
「薄情」(絲山秋子 新潮社 15年12月)を読む。この本も絲山のサイン入り。うちの奥さんが絲山のトークショーで買い求めたものだ。高崎市郊外に住む宇田川は神主見習い。それだけでは食べていけないので5月半ばから夏が終わるまで、嬬恋村でキャベツの収穫の手伝いに行く。宇田川と高校の同窓生の蜂須賀や木工芸家の鹿谷などとの交流が、上州弁でたんたんと描かれる。上州弁に限らず、栃木や茨城など北関東のなまりは独特。それが一種のリズムになっている。
さて社長を辞めたので「社長の酒中日記」はこれでお終い。12月中は「顧問の酒中日記」として当社のHPに掲載するが、1月からは独自のブログにしようと思っている。

社長の酒中日記 11月その4

11月某日

社会保険福祉協会の内田、高橋、岩崎さんとHCMの大橋社長と呑み会。社会福祉士で介護事業所向けの社会保険労務士事務所を開いている吉沢努さん、もとソラストで現在、東京精密グループで新規事業の開拓を行っている平田由紀子さんも一緒。6時に東京駅近くの会場「ヴァン・ドゥ・ヴィ」に行ったら社会保険福祉協会の皆さんと平田さんはすでに来ていた。遅れて当社の迫田と吉沢さんが到着。吉沢さんと平田さんは初対面、おまけに社福協と吉沢さん、平田さんも初対面ということだったが、「介護」の周辺で仕事をしているという共通の土俵があるのか話は盛り上がった。

11月某日
元宮城県知事の浅野史郎さんの出版記念会が内幸町のプレスセンターで開かれるというので社保研ティラーレの佐藤聖子社長と出席。札幌いちご会理事長の小山内美智子さんに挨拶。浅野さんの厚生省入省同期の江利川さん、川邉さん、結核予防会の竹下専務、内閣法制局にいた茅野さんと飯野ビル地下で2次会。

11月某日
佐藤雅美の「物書同心居眠り紋蔵」シリーズの「一心斎不覚の筆禍」(講談社 2008年8月)を図書館で借りる。シリーズの9作目である。居眠りの持病(今でいうナルコレプシーか)がある江戸南町奉行の同心、藤木紋蔵は過去の判例を調べる物書同心である。紋蔵の出会うさまざまな犯罪、難問を過去の判例を参考にしながら解いていくというなかなか考えられたストーリーである。江戸の刑事事件、民事事件がどのように裁かれたのか、当時の下級武士、庶民の暮らしに即して描かれている。江戸時代は現代のように社会保障制度があったわけではないが庶民はそれなりに暮らしていた。5人組など地域の組織がある程度、庶民のセーフティーネットの代替をしていたことに加え、短命で老後が短かったこと、子どもが多かったことも結果的に幸いしたのかもしれない。

11月某日
「小松とうさちゃん」(絲山秋子 河出書房新社 2016年1月)を読む。この本はうちの奥さんが絲山のトークショーに出掛けて買い求めたもの。従って本の見返しに絲山のサインがある。小松は大学の非常勤講師を掛け持ちする52歳の独身。新幹線で知り合った同年のみどりと恋愛関係に。うさちゃんとは小松の飲み友達の宇佐美のことでネトゲ(ネットゲームのことか)に夢中な敏腕サラリーマン。3人はそれぞれ仕事を持っているが、交流は仕事とは関係ない。仕事とは関係のない人間関係って大事だよな、小説のテーマとは関係なくそう思った。絲山は早稲田大学政経学部を卒業後、衛生陶器メーカーの営業マンをやっていた。そういうこともあってかビジネスパーソンの心理を描くのが上手いと思う。

11月某日
環境協会の林さんから電話。久しぶりでもないけれど吞むことにする。上野駅の改札で待ち合わせ、上野駅構内の居酒屋「かよひ路」に行く。ここはJR東日本の経営なので味も値段もリーズナブルだった。林さんは永大産業(若い人は知らないだろうが昔、そういうプレハブメーカーがあった)から年住協に入社、営業の要だった人だ。私はもっぱら年住協の機関誌「年金と住宅」や広報物の制作に関わっていたので企画関連の職員との付き合いが多かったのだが林さんとはなぜか気が合う。年住協の昔話で盛り上がる。

11月某日
朝方、割と大きな地震があった。朝風呂に入っていたのだが、お湯が波打っていた。慌てて風呂を出ると、福島県沖を震源地とする地震で震度5弱、福島県には津波警報が出ていた。地震の影響で電車に遅れが出て9時30分頃会社に着く。午後、HCMの大橋社長に面談した後、社福協で「介護職の看取り、グリーフサポート」についての検討委員会に出席。なかなか実のある議論が出来た(と私は思っている)。我孫子のレストラン「コ・ビアン」で川村女子学園大学の吉武民樹さんと打合せ。

社長の酒中日記 11月その3

11月某日
トランプ大統領の誕生はグローバリゼーションの恩恵が一部の階層にのみ集中し、労働者階級(とくに製造業の労働者)にまで行きわたっていないことの表れだと思う。トリクルダウン理論(富める者が富めば、貧しい者にも自然に富がしたたり落ちる)は、経済理論としても間違っていると思うし、トランプ政権も自らの支持基盤に配慮してトリクルダウン理論は執り得ない。従ってトランプ政権は内政的には所得の再配分政策を強めざるを得なくなると私は予想する。外交面では内向きの傾向になるし保護貿易の指向も強まるのではないか。億万長者のトランプを大統領にした共和党政権は、所得の再分配と保護主義という民主党的な政策をとらざるを得ないという皮肉な結果を生むだろう。
市川福祉公社から女性が2人、シミュレータを見学にHCM社を訪れる。反響は上々、HCMの大橋社長、開発者の土方さんは自信を深めたと思う。終わってからHCMの三浦さん、当社の迫田、酒井を交え会社近くの「跳人」で反省会。

11月某日
社会保険研究所のグループ経営会議。会議後、神田駅南口の居酒屋でグループ各社の経営幹部と呑み会。2次会で近くの葡萄舎へ。最初は数人と吞むつもりだったがほとんどの人がついてきたので葡萄舎にしては大宴会に。

11月某日
買ったままで読まずにいた「吉本隆明1968」(鹿島茂 平凡社出版 2009年5月)を読む。鹿島は1949年生まれ、68年に東大入学。ということは私と同世代。私は1948年生まれで一年浪人して68年に早稲田に入学した。待っていたのは学生運動とそれまで読んだこともない本の読書体験だった。吉本隆明も埴谷雄高も黒田寛一も大学に入って初めて読んだ。というか大学に入るまでは彼らの名前も知らなかった。鹿島は「はじめに」で吉本世代の心の支えとなった論文集として「擬制の終焉」「抒情の論理」「芸術的抵抗と挫折」「模写と鏡」をあげている。吉本隆明の思想の本質は「言語にとって美とは何か」「共同幻想論」「心的現象論」といった主著にはなく、「擬制の終焉」などのポレミックな論文集にあるというのだ。私は「言語にとって美とは何か」も「共同幻想論」も読んだことは読んだのだが、中身はよく理解できなかったというのが正直なところである。むしろ鹿島のいう「ポレミックな論文集」に大きな影響を受けた。私のささやかな全共闘体験とその挫折は吉本を読んだ体験とほぼパラレルになっていると思う。それにしてもと私は鹿島のこの本を読んで改めて思う。「吉本隆明はやっぱり戦後思想界の巨人だ」と。

11月某日
早大全共闘の1年先輩が高橋ハムさんこと高橋公さん。69年の4月17日、ハムさんや後に群馬大学の医学部へ進学した基司さんや辻さんなど40人ほどで革マル派が戒厳令を敷いていた大学の本部構内を突破、そのまま大学本部を封鎖した。これは私の全共闘体験のなかでも数少ない勝利体験だ。ハムさんは大学中退後、呑み屋の用心棒や魚河岸で働いた後、自治労の書記に採用され、今は「ふるさと回帰支援センター」の確か代表理事だ。そのハムさんから「今夜空いているか」との電話。指定された店に行くと内閣の「まち・ひと・しごと創生本部」の唐澤さんと北海道の上士幌町の竹中町長が来ていた。竹中さんは自治労出身ということだった。少し遅れて今は小豆島の町長をやっている元厚労省の塩田さんが来る。ハムさんにすっかりご馳走になってしまった。

11月某日
運営に関わっている地方議員向けの「地方から考える社会保障フォーラム」。初日は慶応大学の井手英策教授、SCNの高本真左子代表理事、それに前の日高橋ハムさんと一緒に呑んだ唐沢剛内閣府地方創生総括官。唐沢さんとは彼が荻島企画官の下で係長をしていたときに知り合った。知り合って間もないころ「モリちゃん、おんなじ大学同士だから仲良くしようよ」と言われたので「よく間違われるけど俺は東大じゃないよ」と答えたら「違うよー早稲田だよ」と言う。その頃は早稲田を出て中央官庁のキャリアになる人は珍しかった。フォーラムにはケアセンターやわらぎの石川はるえさんも参加してくれたので意見交換会のあと、神田の結核予防会の竹下専務と高齢者住宅財団の落合さんが吞んでいる葡萄舎へ。

社長の酒中日記 11月その2

11月某日
「薔薇の雨」(田辺聖子 中央公論社 1989)を図書館から借りて読む。「薔薇の雨」を読むのは2度目か3度目。私は同じ本を再読三読することはあまりしないのだが田辺聖子だけは別。同じ小説を何度読んでも飽きることがない。「薔薇の雨」には5編の短編が収められていて、5つの愛の「かたち」が描かれている。例えば「鼠の浄土」では後妻に入った丹子と夫と義理の息子との葛藤がテーマ。子連れ医師の「カモカのおっちゃん」の後添えとなった田辺の体験が生きているのかもしれない。「お手紙下さい」は売れっ子シナリオライターが東京での不倫スキャンダルから逃れて京都に逃避し、そこでのブティック経営者(この人も妻を亡くしている)との出会いと恋がストーリー。「良妻の害について」は姑に仕え、夫の浮気にも文句を言わず耐えてきた「私」が、「一口最中」をきっかけに自立する話。「君や来し」はわがままな義理の妹の見合いに付き添った佐代子と、義理の妹の見合いの相手とのラブストーリー。表題作の「薔薇の雨」は50歳の留禰と15歳下の守屋の恋物語である。いずれも描かれているのはラブストーリであるが、一貫したテーマは女性の自立であるように思う。専業主婦にしろ仕事を持つ女性にしろいろいろなしがらみに縛れて生きている。「ときにはしがらみから離れてみよ!そして身軽になってみよ!」というのが田辺のメッセージだと思われる。そこが田辺が女性に圧倒的に支持される理由の一つなのだろう。

11月某日
HCMの大橋社長と富国生命の「経済講演会」を聞きに帝国ホテルへ。講師は岡崎哲二東大大学院経済学研究科教授でテーマは「経済史の新しい見方 制度と組織の経済史」。岡崎先生というお名前は聞いたことがないが、スタンフォード大学の客員教授とか経済産業研究所のフェローという経歴それに「制度と組織の経済史」というテーマからして、亡くなった青木昌彦の系譜だろうと思う。岡崎先生はA.トインビーの「歴史の教訓」から「未来に起こりうるもろもろの可能性について少なくとも一つの可能性を示す」ことが歴史とりわけ経済史の使命であるとし「現在、当然のことと受け入れられている状態は必ずしも普遍性を持たない」と続けた。日本の金融が株式市場等からの直接金融ではなく銀行等からの間接金融が中心という現在の常識も、戦前は株式市場が機能を果たし直接金融が盛んだったという例により必ずしも普遍性を持つものではないという。また従来、技術進歩、資本蓄積、人口の増加が経済発展をもたらしたというのが経済学の常識だったが、技術進歩、資本蓄積、人口増は経済発展そのものであり、むしろ「国家による所有権の保護」と「国家からの所有権の保護」が経済を発展させたのであり、名誉革命の経済的意味はそこにあると指摘した。なるほどねー。経済史的に制度の役割を見ているわけだ。11世紀に地中海世界で「商業の復活」があったのも「自律試行的(プレイヤーが制度に従うインセンティブを持つ)な私的制度が国家による契約執行を代替していたから」という。なかなか納得できる話ではある。今度、機会があれば先生の著作を読んでみたいと思う。なるべく分かりやすいのをね。講演後、パーティに参加して富国生命の矢崎さんに挨拶、その後、大橋社長にご馳走になる。

11月某日
昨日(11月7日)の日経の朝刊に日経イノベーションフォーラム「AI時代を勝ち抜くために」(共催・リコー、日本将棋連盟)の要約が掲載されていた。脳科学者の茂木健一郎の基調講演がAIと人間の関係の本質を突いているように思うので以下抜粋する。「人間は記憶力、計算能力、論理的推理能力ではAIに勝てません。勝てるのは人格力です。人格力とは開放性、誠実性、外向性、協調性、神経症的傾向で構成されます。人格力を磨くことがAIの時代に非常に大事ですが、羽生王座の強さの秘密もそのあたりにあるように思います」。

11月某日
かいぽけマガジンの取材で堤修三氏にインタビュー。当社に来社してもらう。テーマは「要介護度が改善した場合、事業者にインセンティブを与えるべきか」。結論から言うと堤さんの考えは、金銭的なインセンティブは必要ない、むしろ要介護度を改善させた事業者には市長から表彰するなどしたらどうかという意見だった。事業者にとっては宣伝になるし被保険者には事業者選択の目安の一つになりうるというもの。インタビュー後、堤さんとSMSの山田君、当社の迫田、酒井と会社の向かいの「ビアレストランかまくら橋」で食事。

11月某日
米大統領選挙で共和党のトランプ氏が大方の予想を裏切って当選。予備選に出馬した段階では泡沫候補に過ぎなかったトランプ氏が、あれよあれよと見る間に予備選を勝ち上がり、ついには本選を制してしまった。日本の株価は下落し円相場は上昇した。アメリカの大統領は国家元首と行政府の長を兼ね国軍の最高司令官。核兵器使用の命令を出すのも大統領だ。超大国アメリカの絶大な権限を持つ最高権力者である。政治家や軍人の経験のない大統領はトランプ氏が初、加えて日頃の言動からトランプ氏の大統領としての手腕を疑問視する論調を多く目にする。私は少し違う見方。権力を持てば言動に注意せざるを得ない。そこが候補と現職大統領の大きな違いだ。もうひとつは実際の政策については、経験がないだけにブレーンや閣僚の意見に耳を傾けざるを得ないということ。トランプ氏はヒットラーにならないしなれないのだ。